Words

『ニッポン・キトク』 

数年前の、このメッセージ欄で、「人類は間違いなく水で滅びる」と断言したレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引いて、温暖化現象による水の被害は年々加速的に甚大となり、もはや打つ手が無く、 唯々受け身でこの崩壊現象に流されていくしかないであろうと書いたが、この度の西日本ほぼ全域にわたる、かつて無い被害の大きさを見ると、どうやら予見は当たっていたように思われる。加速的に、つまり、釣瓶落とし的な速さで私達の現実に危機的な状況が迫っているのである。……ダ・ヴィンチは、最初は「人類は火で滅びる」と予見したが、途中で火を水へと、その考えを書き変えている。彼の明晰な頭脳の中で、火がなぜ水に変わったのか、その根拠は書いてないが、その沈黙が却って不気味である。ともあれ、背後の裏山を背負って生きている人は、年々増している降水量の増加が間違いなく山崩れへと繋がっていくわけだから、本気で何らかの決断をしなくてはならない時期に否応なく来ていると思われた方が良いであろう……自分だけは大丈夫。……今まで何も起きなかった。……ご先祖様が守ってくれているから……は、命取りになってしまうのである。

 

……ところで、もはや好き嫌いではなく、エアコンがなくては夏を乗り切れない時代になってしまったが、そもそも最初にエアコンを考えた、人類にとって感謝すべき人は、はたして誰だろうか!?……私の素朴な問いに、「それは1758年にベンジャミン・フランクリンと、ケンブリッジ大学で化学の教授をしていたジョン・ハドリ―が蒸発の原理を使って物体を急速冷却する実験をしたのが、すなわちエアコンの始まりである」と、ケペル先生のように忽ち導いてくれた物知りな友人の言に沿って調べて行くと、彼らの後にウィルス・キャリア(1876~1950)という人物が現れ、1902年に噴霧式空調装置(すなわちエアコン)を作った事、そしてその後の1930年にフロンガスの開発……を経て今日に至っているという経緯をはじめて知った。もし今、エアコンがなかったら……と考えるとゾッとする。間違いなく毎日、とてつもない数の死者が出て、世界は断末魔的な末期を呈していたであろう事は間違いない。……しかし、現在のこのエアコンの機能。間違いなく来るであろう更なる高温の時に備えて、今よりももっと冷却の温度設定を低くする改良が確実に要求されて来るであろう事は想像に難くない。

 

以前に週刊新潮の連載『死のある風景』で一緒に組んでいた久世光彦さんの著書に『ニホンゴキトク』という本がある。美しい響き、奥深い翳りの韻と色気のある日本語が次々と死語となって消えていく事への久世さんなりの警鐘であったが、私はそれを越えて、もはや昨今の日本が面し呈している様を見て「ニッポン・キトク」と言いたい衝動に駆られている。……あまりに殺伐とした感がますます日本全体を不気味に覆っているが、……その最たるものが、先日逮捕された大口病院の看護師・久保木愛弓が起こした事件であろう。……現在で20人くらいの殺害を自供しているが、まだ20人くらいの不審な急死をとげた患者がこの病院にはいるので、調べが進んでいくと、ひょっとすると合わせて40人くらいが殺害されたという前代未聞の数に達する可能性も多分にある。……この大口病院、アトリエからかなり近い所にその病院(事件の現場)があり、私も以前に何回か診てもらった事がある。その時、或いは後に犯人となるこの看護師が傍にいたかもしれないと想うだけで、もはや真夏の怪談よりも背筋の寒いものがある。……話はかわって、アトリエのある妙蓮寺駅前に面して「妙蓮寺」という名の古刹があり、毎日のように葬儀があり、「メメント・モリ(死を想え)」を私に思わせる場となっている。……昨日は、近くに住んでいた歌丸師匠の葬儀が行われていた。参列者2500人くらいの人が、晩年になるにつれて更に深まっていった、この名人の芸と人柄を惜しんで見送っていた。……私は中学時代、何故か落語が好きで、学校から帰るとテレビの前に座り、5代目志ん生、8代目文楽、6代目圓生……といった、今では伝説的な名人の芸を、それとは知らず、ごく普通の気楽な気持ちで味わっていた。……しかし、何故か正座をして聴いていたのは自分でも妙ではある。その後で、ベルクソンの『笑い』という著書を読み、「笑い」なるものの、複雑な感覚の生理を知る事になった。笑い、その本質を深めていくと間違いなく狂気の域に近づく、それは恐ろしい領域なのだと思う。…………さて、次回は一転して、〈大久保利通〉という計り知れない野心家・鉄人の暗い内面にわけいった、題して『紀尾井坂の変』を書く予定。……次もまた乞うご期待である。

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , | コメントは受け付けていません。

『……どんでん返しは無いのか!?』

ある日、TVの画面に映った歌手の平井堅の顔を観ていたら、ふと画家の中村彝(なかむらつね)が描いた、ロシアの盲目の詩人・エロシェンコ氏に似ていると思い気になって調べてみたら、実際のところあまり似ていなかったのは意外であった。また、昨日、TVの画面に映る自称「紀州のドンファン」こと野崎幸助氏の顔を観ていたら、今度はふと、ジャパネットたかたの前社長の顔とダブったので画像を比べてみたら、またしても似ていなかった。二連敗である。……どうもその事が気にかかり、何人かの友人に電話で聞いてみると、やはり彼らも、言われてみると確かに、この組み合わせは似ているという。……しかし、実際はかなり違っている。脳の記憶力などは、ことほどさようにいい加減で記号的なもので、あまり当てにはならないものだと実感した。そこから浮かぶのは、マジックミラー越しに、複数の人間の中から、目撃者が犯人を指し示す「目撃者証言」の捜査方法の怖さである。……目撃証言者のその日の気分や体調、はたまた単にその面(つら)が気にくわないという気紛れな主観や無意識が作用して誤認逮捕、冤罪の可能性すら見えてくる。……とまれ、「紀州のドンファン」から話がずれて、最初に考えていた内容を少し逸脱してしまったようである。…………さて、「紀州のドンファン」。おぉ、遂に出た御三家の登場であるが、拝顔したところ、故人には失礼ながら身の丈が合わず、せいぜい「和歌山のドンファン」あたりが相応しい。この人物はドンファンを自称するには残念ながら大きな艶ある華がない。ドンファンとは、周知のようにスペインの伝説上の放蕩者であるが、色事師かつ美男子であり、実力を持って恋の駆け引きを楽しんでいる。私は思うのだが、ドンファンよりもむしろ、井原西鶴の『好色一代男』の主人公こと世之助に故人は近いように思われる。しかし「紀州の世之助」という言葉の響きは、全く紀州と世之助の釣り合いが合うようで合わず、まぁここはドンファンに指を折るのか。……さて、人生第一義の拝金主義に染まった氏の映像を観て、その人生に羨ましさよりも、何やら薄ら寒い孤独な寂しい影を覚えたのは私だけではないだろう。確かに、有り余る使いきれない金は、その実無きに等しいという言葉は至言である。……さて、今回のこの事件、絵に描いたように構図がはっきりしていて、脚本家がこういうミステリ―の案を出したら即却下されるような単純さであるが、この先にアッと驚くようなどんでん返しは仕掛けられてないのであろうか!!。もしそうでなかったら、あまりにもこの事件は実がなく、底の浅い顛末に終わってしまって、あまりにも哀しい。………………さて、毎日様々な事件が起きて、世相は本当にかしましい。そのメディアの喧騒、人々の関心の移り、……その推移が目まぐるしく移っていくのを、藪の中の暗がりのような心中を持って、じいっと待ち望んでいる人物が、少なくとも、そして確かに二人(もちろん男性!!)いる、という事を私達は忘れてはならない。……藪の中に潜み、隙あらば更に奥の葉群らの闇に、自身のその存在を消し去ろうと目論んでいる人物が、少なくとも二人いる事を私達は忘れてはならない。

 

カテゴリー: Words | コメントは受け付けていません。

『日本語の不毛なる行方』

私はいちおう美術家であるから、毎回書くこのメッセージ欄は、どうしても美術、あるいは芸術全般について書く事が多い。しかし、時としてどうしてもこの人間は如何かな!?……と思う場合は、時事的な内容についても書いている。近い記憶にあるのでは、かつて元総理だった菅直人について書いたことがあった。この男もまた「権力は内から腐る」の言葉通り情けなくも変わっていったのを目の当たりにして、またこの男の零落ぶりに唖然として、私は冷ややかな視点で書いたのであった。そして実のない、ただパフォーマンス好きなこの男が、人目を引くために、おそらくは後にやるであろう〈お遍路姿〉がふと目に浮かび、私は予言的に『君はお遍路に行くのか!?』というタイトルで書いたら、それから半年もしない内に、菅直人は頭を剃り、私の予言通りに、杖を持ってお遍路に出掛けた時は笑ってしまった。

 

さて今回は、日大アメフト部の前監督と、前コ―チについてさすがに若干言及したいと思う。……〈責任は私がすべて負う〉という発言とは裏腹に〈私は何も指示していない〉という矛盾した発言を繰り返す前監督。また日大の人事権を握るその男の傍で監督の伝令役として生きる前コ―チ。……先日この二人は、自らを火に油を注ぐような明らかな虚偽に充ちた記者会見をして更に世論の反感をかい墓穴を掘ったが、今朝、実にタイミンゲよく公表された文春デジタルの、前監督の生々しい肉声を捕らえた音声記録は、刑事告訴された場合に動かざる証拠になる事は必至であるが、しかし、さすがにここに至って文科省がやるべき事はあるであろう。前監督は理事として大学の人事権を握っているというが、監督は辞任しても人事権を握るこの理事という要職には頑なに固執している観がある。しかし、世論の怒りが収まるのは、この前監督が自らの意思で大学を去るという最終章を見ない限りは、おそらく鎮まらないであろう。日大の広報課の、まるで子供の使いのような話し方には失笑を禁じえないが、いまここに来て、実質的に問われているのは日大の教職員諸氏の変革への動きであろう。もし、ここで彼らによる何らかの動きが無い場合は、この日大という教育機関(?)は、根底からその存在の意味を失墜するであろう。「国家の根幹は教育である」と語った初代文部大臣の森有礼の言葉から、もはやかなり遠い所に日大の現在は来てしまったように思われるが如何であろうか。

 

話は変わるが、「責任を取る!!」……この言葉からどうしても思い出してしまうのは、1968年に京都国立近代美術館でロ―トレック展の開催中に起きた、名作『マルセル』盗難事件である。日本で起きた史上最大の名作盗難事件というのもショッキングであったが、何よりショッキングであったのは、その責任が事件発覚前夜から当直であった守衛に向けられ、追い込まれたその守衛が割腹自殺して果てた事である。……何もそこまでやる事はないであろうと、当時の私は思ったものであるが、その直後に痛々しい戦慄が日本中に駆け巡ったのを今もありありと覚えている。……この守衛の人生について思う時、真逆の連想として浮かぶのは、戦時中に多くの前途ある若者を「特攻隊」として無惨に死地に送り込み、特攻の日にその若者達に向かって「後ですぐに俺も行くから!!」と言いながら、自らは決して飛び立つ事なく終戦を迎え、なおも戦後を生き延びた上官達の事である。……彼らの姑息な振る舞いを主題にして追い詰めたドキュメンタリーが放送されたのをテレビで観た事があるが、年老いた、かつてのその上官は「顔だけはどうか映さないで下さい」と震えるように懇願しながら、演技か本心か定かではないが、忸怩(じくじ)たる想いを語りながら、声を震わせていたのであった。これも一つの人生とはいえ、観ていて何とも後味の悪い番組であったのを、これまたありありと覚えている。……とまれ、昨今の世情(特に政界)に多分に見られるのは、凛とした責任を取らずに詭弁を弄してなんとか逃げようとする傾向である。英文は構造が論理的に緻密な為に意味の方向性に拡大解釈が作用する事はないが、この点、日本語は曖昧で、解釈に主観という幅が入り、何とも絞り込めないものがある。文芸の分野ではそこに可能性があるのであるが、こと現実に於ては、その逃げが、その人間の人生を寂しく、ひたすら寒いものに染め上げていく。……なんだか昨今の日本は、そして日本語は、豊かだった嘗ての抒情からは遠く、無機的な不毛な方向に堕ちていっているように感じるのは、私だけなのであろうか。

 

カテゴリー: Words | コメントは受け付けていません。

『おぉ、レトロフト』

3年前の秋に私の個展を開催された、鹿児島のギャラリ―「レトロフト」のオ―ナ―の永井友美恵さんからお便りが届いた。……開けてみると、朗読会のお知らせと一緒にお手紙が添えられていた。レトロフトでは、今年の2月から朗読会「朗読と音」を開始し、最初が梶井基次郎の短篇『闇の絵巻』で、続く第2弾〈5月19日に開催予定〉が、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』で、それに併せて、以前にこのメッセージ欄で私が熱く書いた『128年の時空を越えて』を紹介したいとの由である。むろん私に異存はなく、むしろ内容が内容だけに、鹿児島に私も行って参加したいくらいであるが、病み上がりで仕事がたまっているこの身としては、遠くから会の成功を見守るしかないのが残念である。しかし、浅草十二階―凌雲閣という、明治・大正を象徴するこのイコンに寄せる我が想い。もの狂い……とまで言っていい、浅草十二階への熱い想いは、現代の人たちに、ましてや、浅草の現場から遠い、鹿児島の若い人達に、果たしてどれくらいリアリティ―が伝わるのか、実際に立ち会ってみたいものである。出来るならば、私が入手した浅草十二階の遺構、赤煉瓦を見せて直に手で触れて頂ぎ、時空を繋げる旅を触覚的に体験して頂きたいくらいである。……正に、眼を閉じて直に触れてみる事で初めてありありと見えてくる、浅草十二階のざらついた生々しい触感、今一つの『押絵と旅する男』になり得るかと思うのである。

 

 

鹿児島の中心地にあるギャラリ―「レトロフト」は、その設立理念が高く、また実際に文化の発信地として活動を活発に行っている画廊として、出色の存在である。そしてその建物の実際の構造も、夢見の中の、例えばピラネ―ジの『牢獄シリ―ズ』や、30年代の魔都上海の巣窟の場面にでも登場しそうな謎めいた気配を帯びていて、今もって懐かしく、まさにレトロフト自体が、江戸川乱歩の小説の舞台として相応しい造りを成している。……3年前の個展の折りは、ご主人の永井明弘さんが、午前中は「城山」の西南の役の現場を中心に毎日、幕末史の私の疑問を解く逍遙にご同行頂き、午後はレトロフトの個展会場にて、来訪する人達との出逢いの場を作って頂いたりと、懐かしい思い出に充ちているのである。……まさか、そのレトロフトで、浅草十二階の事が朗読会として話題になろうとは、予期してなかっただけに面白く、また考えてみると、レトロフトほど、それに相応しい場はないようにも思われるのである。……

 

 

会期: 5月19日(土曜) 開場19時15分

開演19時30分

会場:レトロフトチトセリゼット広場

参加費1800円(お茶付)・要予約

 

お申込・お問合せ:email:info@retroftmuseo.com

電話099―223―5066

 

主催レトロフト

 

 

 

カテゴリー: Event & News, Words | コメントは受け付けていません。

『インフルエンザA型に』

3月の富山の画廊・ぎゃらり―図南(川端秀明さん)、……そして4月の東京の画廊・ギャラリ―香月(香月人美さん)での各々の個展が成功のうちに終了した。新しいコレクタ―の方々が各々の画廊で共に増え、個展はやはり「継続こそ力」である事をあらためて実感する。そして、常に実験性を絶やすべきではない事を実感する。……先ずは、個展を成功へと導かれた川端秀明さん、香月人美さんにあらためて御礼を申し上げたいと思う。……そして、遠方からも含めて、個展にいらして頂いた全ての方々に。また、私の作品を昔から変わらず愛しておられるコレクタ―の方々。そして、今回の個展を出会いとして、新たに私の作品をコレクションされた方々に、感謝の気持ちを捧げたいと思う。……皆さん、本当に有難うございました。

 

……個展とは、しかし様々な意味でかなり体力を消耗するという事を、個展終了後に今回は身をもって知らされた。……個展が終わりホッとする間もなく、深夜に急に悪寒と40度より確実に高い熱に突然襲われてしまったのである。翌日、病院で検診すると、インフルエンザA型との由で1週間くらいは安静に……と言われて、久しぶりの床に伏せる日々が続いた。しかし、のんびりと休みたい気持ちもあるが、迫っている〈やるべき事〉を前にすると、グルグルと頭が回る。

 

前回のメッセージでも少し触れたが、先ずは6月から9月まで福島の美術館―CCGA現代グラフィックセンタ―で開催される大規模な私の版画の個展。……求龍堂から刊行される私のオブジェ作品集の様々な打ち合わせと、詰めの進行。……以前に求龍堂から拙著『美の侵犯―蕪村vs西洋美術』が刊行された直後から、オブジェの作品集刊行の企画は立ち上がっていたが、担当編集者の方と私のスケジュ―ルがなかなか合わず、漸く、満を持しての具体化を見たのである。……また今年の10月からは、都内でも最も大きな空間である、日本橋高島屋・美術画廊Xでの個展(今回で毎年連続通算10回目となる)の為の制作が待っている。毎回、少しずつ新たな試みをしながら歩んで来た、美術画廊Xでの個展。継続は力なりで、この個展を楽しみにしている人達が年ごとに増え、私も制作に力が入るというもの。…………さてさて、今回は珍しく病床からのメッセージ記述となってしまい、正岡子規や宮沢賢治の晩年の姿が枕元に浮かんで仕方がないが、次回は全快した脳みそで頑張って書きますので、乞うご期待なのであります。

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , | コメントは受け付けていません。

『銀座・画廊香月個展PART②』

ずいぶん昔、まだ20代の頃に、犬山市にある「明治村」を訪れた事があった。広大な敷地の中に、移築した実際の漱石の家や帝国ホテルなどの貴重な遺構が数多く点在し、まさにタイムスリップの醍醐味があって、一日中、嬉々としながら過ごしたのであった。夕刻、明治村の閉門の時が来て出る時に、「もし、この広大な敷地の中の貴重な建物の中に、そっと人が潜んでしまったらどうなるか!」……その点の警備の事に興味が湧いて、係員に訊ねた事があった。係員の答は素晴らしかった。「閉門30分後になるといっせいに犬を放して潜伏者を見つけ出します」。

 

刑務所から逃走して向島の中に10日以上潜んでいるという男の話は、辞職に追い込まれた財務省の男や新潟県知事の弛んだ話よりもよほど面白く、私は興味を持って注視している。逃走者1名VS警官2000名。……品川区ほどの広さがあるという向島。その中で今もなお(尾道に泳ぎ渡ってしまった可能性もあるが)逃走劇は続いているのである。……未だ捕まらないという今回の報道を見て、私が思い出したのは、先ほど記した明治村の犬を放つという話であった。島民を向島の一ヶ所に集めて、性格の荒いド―ベルマンをいっせいに八方から放つと、さてどうなるか!?……それを私はいま想像しているのである。この向島には20年ばかり前に訪れた事があるから、この想像は1種のリアルさを帯びて浮かんでくる。

 

この向島には1000軒以上の空き家があり、その家々をチェックしている警官は、家のチェックが終わるとその家の目立つ場所に〈チェック済み〉の緑のシ―ルを貼って次の捜査に向かうという。……しかし、その緑のシ―ルを貼ってある家(既に捜査済み)に、そのチェック法を知ってか知らずか、逃走者が夜陰に乗じて密かに入ってしまったら、事は厄介である。……この逃走している孤独な男の、追い詰められた「眼差し」に、光眩しい西海道、春ことほぎの向島の空や海や緑陰は、はたしてどのように映っているのであろうか。……この男の脅える視線がそのままにカメラのレンズとなって風景を撮したら、その写真は犯意を映した陰りのマチエ―ルを帯びて、なかなかに面白い写真が出来そうな気もする。あぁ、そのような犯意を帯びた視線のままに、また撮影の旅に出たいと思う、春四月末の私なのである。

 

―さて、24日まで開催中の銀座・画廊香月での個展も後半に入った。連日、遠方からも個展を観にはるばる来られる方が多く、私の現在の表現世界をゆっくりと時間をかけて鑑賞されている。私が造り出すオブジェの表現世界。個々がこの世に一点しかないオリジナル故に、各々の作品をどなたがコレクションされていくのかを見届ける事は、私の表現行為における、ある意味での最終行為である。私は、その作品をこの世に立ち上げた。……そして、コレクションされた方は、これから後、その作品と長い時をかけて対話を交わし、様々なイメ―ジを紡いでいく、もう一人の紛れもない作者なのである。その意味で、個展の最終日まで、私の表現活動は続いているのである。……この個展の後は、6月から開催される郡山のCCGA現代グラフィックセンタ―での、版画を主とした大規模な個展。……また求龍堂から刊行される、私のオブジェ(近作を主とした)の作品集の打ち合わせ……と、多忙な日々が待っているのである。

 

 

 

カテゴリー: Event & News, Words | タグ: , , , , | コメントは受け付けていません。

『吾妻橋を渡って』

……「吾妻橋のまん中ごろと覚しい欄干に身を倚せ、種田順平は松屋の時計を眺めては来かかる人影に気をつけている。女給のすみ子が店をしまってからわざわざ廻り道をして来るのを待合しているのである。/橋の上には円タクのほか電車もバスももう通っていなかったが、二、三日前から俄の暑さに、シャツ一枚で涼んでいるものもあり、包をかかえて帰りをいそぐ女給らしい女の往き来もまだ途絶えずにいる。…… 」……永井荷風の小説『墨東綺譚』の1節であるが、荷風の小説には、このように吾妻橋〈画像掲載:新旧の吾妻橋の写真〉が度々登場する。吾妻橋……あづまばし。荷風は隅田川にかかる橋の中で、この吾妻橋が一番好きだと記しているが、風情があって、寂しさや哀感があり、私もまた好きな橋である。特に往来の人々が影の中に姿を隠してしまう日没の頃が良い。荷風が『墨東綺譚』を書いたのは昭和十一年頃であるが、それから80年後の夕刻の吾妻橋を、機会があってここ最近、私は度々渡るようになった。……硝子によるオブジェの新たな可能性に挑むべく、理化ガラスなどの制作で第一人者の八木原敏夫さんの工房を訪れ、八木原さんの話される詳しいガラスの製作過程の中から、ガラスが持つ危うさと共にエロティシズム、郷愁、二元論……と云った、ガラスでしか出来ない表現メソッドと、私の内なる硬質なるものへの資質的偏愛を絡めて、未踏の表現の形に達したいと考えているのである。八木原敏夫さんは三代目というから、八木原ガラス工房の歴史は古い。……最初に訪れた時には、プラハの錬金術師の実験室を想わせるその造りに驚いたものである。数多のガラスの表に数ヶ所からの光が鋭く射し込み、室内は金属質的な硬質な緊張感に充ちていて、私はたいそう興奮したのを覚えている。……その八木原さんは緻密で積算的な、実に精度の高い技術の持ち主であり、私は、破壊・アクシデントの方向にその可能性を見ているという真逆の方向を目指しているので、建設的で理想的な話が八木原さんとは出来、その場で閃く事が以前から度々あった。……実は、私のガラスのメチエへの拘りは20年以上も前からあり、文芸誌『新潮』で、『水底の秋』と題した随筆の中で、私はガラスのメチエへの強い想いを綿々と書いている。……だから、今、私がガラスに挑むのは必然的な展開なのである。これから私の表現の中で、鉄、箔などと共に、ガラスはますます重きを置いたものとなってくるのを予感として感じ取っている。

 

 

 

 

 

……さて、今年の6月16日から9月9日までの長期に渡って、福島県須賀川市にあるCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催される私の個展「北川健次: 黒の装置―記憶のディスタンス」展の準備がいま佳境に入っている。カタログのテクストは、詩人の野村喜和夫さんが実に鋭く、緊張感を帯びた、詩的断章とも云うべきテクストを既に書かれ、拙作の版画『肖像考―Face of Rimbaud』を使った巨大なポスタ―と美麗なカラ―のチラシの校正刷りがようやく終わった。テクスト執筆は、野村喜和夫さんと共に、美術館側からは、木戸英行さん、神山俊一さんが各々の視点から書かれるので、今はその執筆完成を楽しみにしている段階であり、執筆が完了次第、一気に展覧会の準備は最後の詰めへと入っていくのである。……作品は、私の版画やオブジェのコレクタ―の方からお借りするので、その作品の受け取りが5月の連休明けに待っている。……昨年の9月に、私の前に個展を開催された加納光於さんの展示を観に、会場の美術館を訪れたが、実に清潔感が漂った中に緊張感があり、また天井からは美しい採光が入って、理想的な空間である。展示は、私の版画(処女作~最後の版画集まで)を主体に、近作のオブジェも展示される事になっており、2011年に開催された福井県立美術館での個展内容とはかなり異なった構成になるので、全く違った角度からの私の表現世界が新たに立ち上がるかと思われる。……まだ会期は少し先であるが、乞うご期待を願う次第である。

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , | コメントは受け付けていません。

『魔所―〈十二階下〉』

前回のメッセージで書いた通り、私の手元にはいま、明治、大正時代を象徴する異形な高搭―浅草十二階(凌雲閣)の赤煉瓦が、ほとんど完全な姿で2つ、半分のが1つ、小さな欠片が1つ在る。……「浅草二丁目の建設作業中の現場の地中深くから浅草十二階の遺構が出て来た!!」という報道がネットや新聞で一斉に流れるや、沢山の人が現場に押しかけた。そして現場の人の好意により、運よくタイムリーに、出土した浅草十二階の煉瓦を入手出来た人達がいたという。しかし、ネットを読むと、配布された煉瓦の多くが、ショベルカ―で砕かれた為に小さな欠片であったらしい。……その煉瓦の配布が終了してから既に日が経ち、私が現場に行ったのはようやくの10日後であった。しかし、私の〈想ったものをこちらに手繰り寄せる念力の、尋常でない強さ〉がまたしても発揮されたらしく、奇跡的に、あたかも私の到来を何者かが待っていたかのように、工事現場の目立たない場所に、その時に降っていた流れるような春の雪にうっすらと埋まるようにして、完全な姿のままに在る赤煉瓦を私は見つけたのであった。そして、その内の完全な形状をした煉瓦はアトリエの医療戸棚の中に収まり、小さな欠片は『浅草十二階』というタイトルの美しい本と共に、本棚の中に収まっている〈画像掲載〉。明治20年代に撮られた十二階と瓢箪池の水の写真が美しく本の表紙に配され、その手前に原物の赤煉瓦の欠片を配した眺めは、まるで不思議なタイムスリップの妙がある。江戸川乱歩が名作『押絵と旅する男』の文中に書いた妖しい言葉「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこりんな代物でございましたよ。」という文を読むたびに「あぁ、自分はあまりに遅く生まれてしまった!!」という、過去の人達への羨望が少しは薄らいだのであった。…………祭りの後のように静かな日が過ぎたある日、私はふと、あの現場に再び行ってみたくなった。遺構は保存される事なく、工事を続行する為に、おそらく十二階の遺構はまもなく完全に閉じられて、128年前の明治の「気」と「時間」の中に永遠に封印される頃であろう。……そう想うと、矢も盾もなくなり、私は現場へと向かった。……現場に着くと果たして、工事は続行されてかなり進んでおり、先日見た遺構もほとんどが柵の中に隠され、わずかに1ヶ所を残すのみとなっていた。おそらく明日は完全に閉じられてしまうのであろう。ギリギリで間に合ったという感である。前回に見た時は、現場はシ―トで覆われていたが、今日は二人の作業中の人がいるだけで、埋める工事が着々と進んでいる。見ると、今日は珍しく地上から現場へと降りる梯子が掛けられている。……寒空の下、私はマスクをとって作業中の人に大声で声をかけた。

 

「すいません、文化財の仕事に関わっている者ですが、貴重な文化遺産が埋められてしまうので、ちょっと梯子を降りて間近で見せて頂けますか!?」……すると、「ああ、いいよ!!降りてらっしゃい」という嬉しい返答が返って来た!!……逸る気持ちで梯子を降り、私は浅草十二階の、深い時間の澱を湛えたその実物を間近で眺め、直に手で触れた。そのひんやりと湿気を帯びたザラツキの感触が、私の感覚を震わせる。想えば、雑誌『太陽』の江戸川乱歩特集でも、私は「浅草十二階」への思いを熱く書き、浅草に来る度に空の高みを仰ぎ見て、既に消えた非在の高搭―浅草十二階のまぼろしを幻影の内に何度、私は透かし見たことであろうか。……それが今、不思議な時間隧道の捻れを経て、私の眼前に在る事の不思議!!不思議なタイムスリップが現実に起きている事の奇跡!!。 ……作業員の方に伺うと、その方は先日の騒動の時に新聞社から取材を受けられたとの事。「凄い数の人が、数日間、ここに押し掛けて来たよ!」との由。その時にショベルカ―で砕かれた赤煉瓦の欠片が見物人に配布され、またたく内に無くなってしまったようである。見物人は、ネット越しに、この現場を熱心に見下ろしていたという。そして、私は改めて、自分の強運を思った。…………正面を見ると、良い状態のまま、赤煉瓦が露出している。私は「もうこの遺構が見れるのも最後だと思いますので、もし宜しければ記念に少し頂けますか!?」と問うと、「ああ、いいよ」と、その作業員の方(おそらくはこの現場の責任者のようである)は言われ、ハンマーで大きな形のままにザックリと取り出して、私に渡してくれたのであった。……かくして、最後の最後に私は本当に器の広い良い人と出会え、最後にまた1つ、赤煉瓦を入手する事が出来たのであった。……さようなら浅草十二階、さようなら、ノスタルジアに満ちた明治の人よ、その夢見のようなあやかしの時空間よ!!……浅草十二階の遺構の最後の姿を眼に焼き付けたその足で、私が次に向かったのは浅草―等光寺(歌人・土岐善麿の生家)であった。……等光寺、そこは歌人・石川啄木の葬儀が行われた寺である。……そして再び私は浅草十二階の現場に戻り、浅草花屋敷の裏側―知る人ぞ知る、かつて私娼窟が在った、通称「十二階下」と呼ばれた魔所を探訪して廻ったのである。

 

「十二階下」……そこは魔都上海の響きにも通じる魔所、……盛りの時は3000人以上の女達が蠢めいていた私娼窟、すなわち性の饗宴、狂いの場でもあったが、そこは同時に近代文学の発芽をも促した温床の場でもあった。黄昏時、浅草十二階の高搭がその巨大な影を不気味に落とす頃に、夜陰に紛れるようにして「十二階下」の魔所に通った若き文学者達は多彩を極めている。……谷崎潤一郎、川端康成、芥川龍之介、永井荷風、石川啄木、室生犀星、北原白秋、高見順、高村光太郎、金子光晴、江戸川乱歩、画家では竹久夢二……etc。わけても室生犀星は、上京するや、上野駅からこの「十二階下」に直行し、そのままに溺れていったという経緯がある。「……ふしぎに其処にこの都会の底の底を溜めたおりがあるような気がする。夜も昼もない青白い夢や、季節外れの虫の音、またはどこからどう掘り出して来るかとも思われる十六、七の、やっと肉づきが堅まってひと息ついたように思われる娘が、ふらふらと、小路や裏通りから白い犬のように出てくるのだ。……〈中略〉それが三月か四月のあいだに何処から何処へゆくのか、朝鮮かシナへでも行ったように姿を漸次に掻き消してしまうのだ。」(室生犀星『公園小品』より。…………まるで寺山修司の芝居のような、ミステリアスな艶と謎と危うい引力を、この十二階下は秘めている。

 

十二階下の魔窟に軒を並べている娼家の客となった犀星。……しかし、もっと顕な記述を遺しているのは石川啄木である。啄木は、暗号のように密かに綴った『ロ―マ字日記』(岩波文庫)の中で「……女の股に手を入れて手荒くその陰部をかき回した。」と記し、「微かな明かりに、じっと女の顔を見ると、丸い、白い、小奴そのままの顔が、薄暗い中にぽ―っと浮かんで見える。予は目も細くなるほど、うっとりとした心地になってしまった。」「若い女の肌は、とろけるばかりに温かい」と素直に精細に書き綴り、十二階下は奇跡的に「地上の仙境」であるとさえ記している。…………「浅草の/凌雲閣にかけのぼり/息がきれしに/飛び下りかねき」・「不来方(こずかた)の/お城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心」・「函館の/青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花」……。私は石川啄木の墓のある函館の立待岬にかつて行った事があるが、何もない、ただ海風だけが荒く吹いている寂しい所である。

 

大震災が起きて数多の人心が絶望感に打ちひしがれている時に、目をぎらつかせながら被災地を野良犬のように駆け回っている者たちがいる。……盗人たちである。あれはもはや別な生き物かと思われるが、…………それと似たような危うい男が、関東大震災の直後に被災地を好奇の目を持って駆け回っていた事を知る人はあまりいない。誰あろうその人物とは、ノ―ベル賞作家の川端康成である。『文学』(岩波書店)の「浅草と文学」特集号の中で〈大正十二年九月一日に関東大震災が起こった時には、地震発生から二時間とたたぬ内に、彼(川端康成)は本郷駒込千駄木町の下宿から浅草の様子を見に行ぎ、浅草の死体収用所や吉原の廓内、本所の被服厰跡や隅田川河畔で無数の死体を眺め回った。〉とある。ここに記述はないが、川端と共に途中から行動を共にした人物がいるのを私は知っている。……芥川龍之介である。川端と芥川。……意外な結び付きに思われるかもしれないが、菊池寛が間にいる事を思えば直に結び付くであろう。〈類は友を喚ぶ〉ではないが、川端、芥川、共に最後が自死である事を思えばまた見えてくる事もある。浅草十二階の下には瓢箪池という大きな池があり、主に其処で溺死したのは、十二階下に棲まう未だ幼さを残す私娼たちであった。周知のように川端康成は目を通しての視姦、死体愛好の強度な癖を持っていた。『雪国』の中に登場する主人公の島村以外は、芸者駒子以下誰もが既にして死者である事は知られているが、『片腕』『たんぽぽ』他何れも、この世でなくかの世の話である。横光利一の葬儀の弔辞で川端は「僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく」と語り、以後は日本の抒情歌を綴る事に専心した。かそけき抒情の花の下、その地中深くにはネクロフィリアの暗い根が不気味に息づいているのである。

 

…………アトリエに戻り、作業員の人から頂いた浅草十二階の赤煉瓦の表に付いていた土を洗い流していると、その一辺が黒く溶けたようになっているのが見えて来た。熱に強い煉瓦がこのように黒いとは……!? そして私はその黒ずみが、他でもない関東大震災時の猛火の惨事の様をありありと映す証しである事を理解した。……黒ずみは、煉瓦の内部にまで浸透し、その激しさを如実に物語っていて、この煉瓦は特に貴重な物と思われる。…………今、私が手にしている煉瓦のすぐ間近に、川端康成のあの烏のような眼があり、石川啄木がおり、そして私が唯一、先生とよぶ寺田寅彦(物理学者、俳人、随筆家)が、そして数多の文学者達がおり、そして消えていったのである。

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , | コメントは受け付けていません。

『128年の時空を超えて』

私は今まで、このメッセージを通して私に起きた不思議な出来事を度々書いて来た事があった。……その不思議な出来事とは、私がこうあって欲しい、或いは、ふと頭の中に唐突に閃いた事が、すぐに、あるいは、暫くの時を経て目の前で現実化してしまうという、一種の予知現象の事である。1回なら、それは偶然で終わってしまうものが、私の場合、10代の後半から、それこそ何十回と起きているので、やはり、私の頭の中の回路の一部は、〈時間〉の捻れと何処かで直結しているように思われて仕方がないのである。

 

その例を少し挙げると、①80年代の終わりに〈都市論〉なるものが流行っていた頃、「東京人」という雑誌が目立って注目を浴びていた時があった。ある日の午前中に、私は何故かふと「東京人」に書いてみるのも面白いなぁ!と想ったのであるが、……その日の午後に、何と、「東京人」の編集部からとつぜん電話が入り、私はその求めに応じて〈岸田劉生の代表作『切通之写生』の現場の今昔の違い〉について書いた事があった。②個展で熊本に行った帰り、私はANAに乗って羽田への帰途についていた。羽田に着くや横浜美術館に直行して、新潮社から刊行したばかりの拙著『モナリザミステリ―』についての講演が待っていたのである。その羽田へと向かう機内の中で、私は機内誌『翼の王国』を読んでいた。イタリアの街について誰かが書いた記事を読んで、生意気にも「私ならもっと艶のある紀行文が上手く書けるのになぁ……」と想いながら地上に着き、2.3日が過ぎた頃、『翼の王国』編集部から電話が入り、代官山で会って面会したいという。……その初めての面会の時に知ったのであるが、私の新刊を読んだ編集者が私に興味を持ち、〈次の紀行文の取材は北川で〉という案が編集会議にかけられたのであるが、正にその時、私は空の高みの機上にいて機内誌を読んでいた、その時なのであった。……そして私は念じた通りとなって、写真家とスタッフの3人でパリへと飛んだのであった。

 

③……「ガウディの建てた、あの異形な建築物〈サグラダ・ファミリア教会〉は、何故バルセロナの〈あの場所〉に建てられたのであろうか!?」……どの研究書にも書かれていない、その詳しい背景について、私は電車(東横線)に乗りながら自らに設問し、かつその答をまさぐっていた。……しかし、建築の専門家でない私にわかろう筈がない。……電車は、まもなく終点の渋谷へと近づいていた。私はふと、網棚の上に新聞が打ち捨ててあるのに気がついた。普段は他人が読み捨てていった新聞になど興味がないのであるが、その時だけ何故かふとその新聞が気になり、背を伸ばして手に取り開いて見た。それは確か産経新聞であったかと思う。パラパラと読み流していく内に文化欄の紙面になり、その紙面を見た私は、我が目を疑った。……そこには正に私がいま自問しながら終にわからないでいた、〈サグラダファミリアが、何故バルセロナのその場所に建てられたのか〉という具体的かつ興味深い理由について、日本人建築家の人が詳しく書いた記事が載っていたのであった。…………「そんなに知りたいのなら、ではそっとお前だけに教えてやろうか!!」……悪戯好きな悪魔が、間違いなく私の傍にいる!!記事を読みながら、私はそう思ったのである。

 

④ 昨年の春5月のある日の夜半、私は民放の「報道ステーション」なる番組をぼんやりと見ていた。北朝鮮についての相変わらずの報道を見ていた時、私は全く唐突に、昔、訪れた事のある太宰治の生家「斜陽館」の事がふと脳裡に浮かび、そこでかつて見たビデオの美しい映像 ― 桜吹雪が舞うなか、ゆらゆらと揺れるように、太宰治の生家近くの金木駅の線路上を走る津軽鉄道の古色を帯びた電車の光景を見た時の記憶がよみがえって来た。私は何故か無性にその映像の事が恋しくなり、「あぁ、今一度あの電車を見てみたい」という突き上げる感情を覚えたのであった。…………すると数分後に司会者の(……それでは、ここで気分を変えて、この映像をご覧下さい)という声が流れるや、画面は一転して深夜の暗い駅舎が映り、そこに今し入ってくる最終電車の、ロ―カルで抒情溢れる映像が画面に中継で映し出された。……〈まさか!!〉と思い驚いて見ると、それは正にその少し前に、突然私の脳裡に立ち上がって激しく見たいと希求した、正にその津軽鉄道・金木駅と電車の光景なのであった。………………………………

 

私に度々起こるこの現象……いわゆる人体に潜む超常能力と超感覚の具体的な現れについては、コリン・ウィルソンの著書『サイキック』(荒俣宏監修)に詳しく記されているが、その現象がまた先日にも起きた。これから記すのは、先日書いたメッセージ『夢見るように眠りたい』の後日譚のようなものである。

 

先日、十日以上前に私は、隅田川・吾妻橋の河岸に建つアサヒビ―ル本社22階のカフェから、関東大震災で崩れ去った異形な高塔―浅草十二階(通称・凌雲閣)の建っていた場所を遠望しながら、その塔への強い拘り、一目見たかったという、その思っても詮無い想いをたぎらせていた。江戸川乱歩の最高傑作『押し絵と旅する男』の一節は次のようにある。「……あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこりんな代物でございましたよ。…………高さが四十六間と申しますから、一丁に少し足りないぐらいの、べらぼうな高さで、八角型の頂上が、唐人の帽子みたいにとんがっていて、ちょっと高台へ登りさえすれば、東京中どこからでも、その赤いお化けが見られたものです。……」。私はこの文に接する度に、遅く生まれてしまった事を悔やみ、もし、明治期に遡って生まれ変われるものであれば、今の生に全くの執着は無い、……それほどに強い想いのままに、カフェの高みから、その蜃気楼、その幻影の塔を透かし見ていたのであった。…………しかし、私が見ていた正にその時、かつて十二階が在ったとおぼしき場所では、信じがたい事が起きようとしていたのであった。

 

「工事中の作業現場から浅草十二階の遺構らしき礎石の一部と赤い煉瓦が発見される!!」という報道が、新聞やネットで流れた日、私は全くその報道を知らずに、前回のメッセージ『夢見るように眠りたい』の文で、正にリアルタイムで、浅草十二階への強い想いを書いている最中であった。そして、その情報を後に知ったのは、シス書店の佐々木聖さんからであった。さっそくネットで見てみると、出てきた浅草十二階の赤煉瓦は、ショベルカーで砕かれ、その破片を、報道を見て駆けつけた人達に配っているという。その群集の中にはアルフィ―の坂崎幸之助さんの姿も混じって映っていたのには驚いた。……そしてネットの最後に、出てきた十二階の赤煉瓦の配布は既に終了し、作業は続行して新しいビルが建つ事、また赤煉瓦の形の良いのだけが数個選ばれて文化遺産として保存される由が記されていた。……その記事を見て万事休す、あぁ、私は何故そこに駆けつけなかったのか!という悔いに包まれた。……しかし、赤煉瓦の配布を終了してから既に十日以上が経っている。私は目の前に現れた蜃気楼が一瞬、現実と交差してふたたび幻となって過去の時の中へ消え去っていくのを覚えた。……しかし、せめて、今回の工事でその建っていた場所が確認された、その場所を見てみたいという思いが立ち上がって来た。東京に出る用事は数日後であったが、それを待たずに明日、行ってみよう、そう思って、その日は寝た。翌朝は雨であった。浅草の雷門に着くと、雨は急に雪へと変わった。薄雪の降りが流れるように美しい。白く霞んで、ふと彼方の昔日の雪をそこに透かし見た。「こぞの雪今いづこ」……そう呟いた中原中也の詩の事がふと浮かぶ。…………白雪の中を、伝法院通り、六区、ひさご通りへと歩いて、ようやくその現場へと私は来た。……しかし、何故か地面を深く掘り下げた作業現場に作業員は全くおらず、ネットで見た、10日前にたくさん駆けつけた人達も当然おらず、現場は不思議な程に全くの無人であった。……私はかつて浅草十二階が建っていたまさにその現場に立ち、ふと何かに誘われるような「気」を覚えて、導かれるままに現場の目立たない一画に目をやった。……そこに私は、信じ難い物が在るのを見てとった。既に配り終えて在る筈の無い赤煉瓦(しかも完全な形のままに)が二つ、ひっそりと薄雪に埋もれるようにして在るのを見たのである。……乱歩の小説の中で「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこりんな代物でございましたよ。…………」と呟いた魔的な呟きが、ふと頭をよぎる。その魔的な何者かが、この浅草の一角を暫し「不思議な時空」へと変えて、あの電車の中で起きた時のように、私に見せてくれた妖かしのこの時、まさに一時のこの時に、128年の時空が捻れて交差した!!……私はそのように思ったのであった。……かくして今、過去の遠い見果てぬ夢、幻の蜃気楼は、具体的な〈時の欠片〉となって、私のアトリエの医療戸棚の中に、ひっそりと息づくようにして在るのである。浅草十二階―通称・凌雲閣。……その確かな現物が、実物を見てみたかったと永年夢見て来た私のアトリエに、かくして息づいて在るのである。

 

〈追記/ 持ち帰った浅草十二階の赤煉瓦(ほぼ完璧な形状のまま)を、現代のJIS規格で決められているレンガのサイズと比較してみると、現代のレンガは三辺が210×100×60であるのに対し、128年前のその赤煉瓦は三辺が175×100×55と、やや小ぶりであるが、今日のそれと比べると遥かに密度があり、ズシリと重い。設計者のウィリアム・K・バルトンの確かな想いがそこから見えてくる。……アトリエに在るその赤煉瓦は、128年間の時間の澱を孕んで深い古色を帯び、それは終わりの無い夢想を運ぶ、もはや完璧なオブジェとして、いま私の眼の前に在る。……とまれ、浅草・吾妻橋沿いのアサヒビ―ル社の22階のカフェから、十二階の在った場所を遠望しながら紡いでいた或る日の見果てぬ夢が、僅か10日の後に、不思議な経路を経て現れ出て、いまアトリエの医療戸棚の中にひっそりと在る事の不思議よ。……私は今日もまた夢見のような気持ちで、浅草十二階のその断片を眺めているのである。〉

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『夢みるように眠りたい』  

アドリア海に面しているヴェネツィアの寒さは、また日本のそれとは質が違う厳しさである。足下の凍った石畳から直に冷気が伝わって来て感覚が硬直してくるのである。しかし、感性はその分、垂直的になるのでむしろ良い。……とまれ、2台のカメラを駆使した撮影の成果は、詩画集という形で今後に展開していく事になっているので、乞うご期待である。

 

……翌日は、昼過ぎに紀尾井町にある文藝春秋社ビル内で打ち合わせが終わるや、私はすぐに浅草へと向かった。最近、つとに永井荷風の事が頭にちらつくので、彼が愛した浅草隅田川、吾妻橋、言問橋、向島……を眼下遥かに見下ろせるアサヒビール社の22階の展望カフェで、〈浅草〉が持っている不思議な魔の引力について考えてみたくなったのである。しかし、それにしても快晴である。……嘘のように晴れ渡った眼下を見ながら、浅草寺のやや左側に、大正12年の関東大震災で崩れ去るまで建っていた、蜃気楼のような浅草十二階―通称「凌雲閣」の事を私は想った。

 

浅草十二階

 

仁丹塔

 

 

映像の魔術師と云われた映画監督のフェリ―ニを愛する私は、ア―ティフィシャルな人工美に何よりも重きを置いている。……故に「現世(うつしよ)は夢、夜の夢こそまこと」と記した江戸川乱歩の最高傑作『押し絵と旅する男』の舞台となった浅草十二階は、私のイマジネ―ションの核にありありと今も聳え建っているのである。…………あれは何年前であったか。平凡社『太陽』の名編集長であったS氏から電話がかかって来て「今度、江戸川乱歩の特集〈怪人乱歩・二十の仮面〉で20人の書き手に、乱歩の20の謎をキ―ワ―ドにして書いてもらいたいので、あなたには〈洞窟〉を書いてもらいたいのですが……」と切り出された時に、私はすかさず「〈洞窟〉は書きたくないけれど、〈蜃気楼〉をキ―ワ―ドにして〈押し絵と旅する男〉についてなら喜んで書きますよ」と話した。意外にも、当然企画に入っていると思った〈蜃気楼〉がなく、私は即座にそれならば書こうと閃いたのである。一旦編集会議を開いて……となり、翌日再度電話がかかって来て、私は〈蜃気楼〉を書く事になった。……ちなみに最初に依頼された〈洞窟〉は〈迷宮〉を更に追加して、直木賞作家の高橋克彦氏が書いたのであるが、この時の執筆者は他に、種村季弘、久世光彦、谷川渥、佐野史郎、鹿島茂、石内都、荒俣宏、赤瀬川原平、団鬼六、林海象……他、実に賑やかであったが、すでに今は鬼籍に入られた方も多い。……さて、私はかつて浅草十二階が聳え建っていた場所を22階の高みから透かし見ながら、今一つの蜃気楼―〈仁丹塔〉の事を、遠い記憶をなぞるように、これもまた重ね見たのであった。……ずいぶん以前のこのメッセージ欄で、私は仁丹塔に登った事、中の螺旋階段は途中で行き止まりになっていて、そこに何故か二羽の白い鳩が、突然の来訪者である私に驚いてパタパタと塔内の虚ろな空間に羽ばたいていた事、またその仁丹塔の入口近くには怪しい蛇屋があった事……などを書いた事がある。しかし、もはやそれも遠い記憶、確かに行った事さえも夢見の中の出来事のように虚ろな、正に逃げ水や、蜃気楼のような遠い記憶なのである。

 

 

 

……その、今では幻と化した浅草・〈仁丹塔〉が重要な舞台となった映画『夢みるように眠りたい』(林海象監督)展が、恵比寿にあるギャラリ―「LIBRAIRIE6+シス書店」で開催中である(24日まで)。この映画は1986年に初上映された時に私は観ており、実に32年ぶりである。この映画を観んと、この度、ギャラリ―に訪れた沢山の観客に混じって私は観たのであるが、この映画は色褪せるどころか、更に不思議なマグネシウムの閃光のような煌めきを放って私を魅了した。……つまりは、この世は〈想い出〉に他ならず、人生もまた幻であると見るなら、映画の本質は、その幻影ゆえの実をまことに映し出している、という意味で、この映画はその本質を直に活写したものであり、フェリーニの『アマルコルド』や、衣笠貞之助の『狂った一頁』(川端康成原作)と並び立つ名作だと私は思う。ギャラリ―のオ―ナ―の佐々木聖さんから監督の林海象さんをご紹介頂き、私は林さんに、「実は私も仁丹塔に登った事があります」と話すと、林さんは古い共犯者に再会したかのように驚かれ、「あすこに登った人は、意外にいなくて、確かに見えていたのに近づくとフウッと消えて見えなくなってしまう、あれは実に怪しい塔なんだよ」と話されたので、「全く同感、あれは蜃気楼だったんですよ!」と私は話した。この映画でデビュ―した佐野史郎さん、また会場で久しぶりにお会いした四谷シモンさん以外、私はこの塔に登った人を知らないし、存命者ではもうあまりいないかと思われるのである。

 

本展の会場になったギャラリ―「LIBRAIRIE6+シス書店」は、JR恵比寿駅の西口から徒歩2分。少し歩くと、急に恵比寿の喧騒が消え失せ、ふとパリのモンマルトルの一角を想わせるような風が立ち、目の前に急な石段が現れる。その石段を登り、それとわかる何気ないビルの扉を静かに開くと、そこは、全くの別世界。その静寂の中、高い美意識に包まれて次第に気持ちが典雅にリセットされてくる。しかし、このギャラリ―は、いつも決まって何人かの来廊者がいて、静かに作品を鑑賞している姿が見てとれる。……私はこのギャラリ―のオ―ナ―の佐々木聖さんとは20年近い、長いお付き合いをして頂いているが、今もってこの人は謎である。毎回、夢のような優れた企画展示をしているが、元来が〈風〉の人である佐々木さんは、ある日ふと、何の前触れもなくギャラリ―を突然たたんで、気まぐれにサ―カスの軽業師の団員か何かになって、まるでブラッドベリの小説の中の登場人物のように、嵐の夜に忽然と消えてしまいそうな気配を漂わせていて掴めない。掴めないが、この人の拘りと、眼の確かさは本物である。……私は、以前にゲ―テが愛した〈風景大理石〉をこの画廊で買い求めて、今はアトリエの壁に大切に掛けているが、本展でまた1点、写真の素晴らしい作品に出会い、一目で気に入り、購入を予約した。……それが、『夢みるように眠りたい』の1シ―ン、前述した〈仁丹塔〉の屋上に登った、謎の探偵に扮した佐野史郎さんと助手が点景のようになって、仁丹塔から彼方を指差している写真(額入り)である。この写真作品を見た時に、かつてそこに登った時の自分が重なり、本当の自分は、実は今もなお、既に消えて久しい仁丹塔の中の迷宮をいまだに、それこそ永遠にさ迷っているような感覚に包まれて無性に懐かしかった。……この作品は、私にとって〈夢の結晶〉のように大切な物として、後日アトリエにやって来るのであるが、ご興味がある方は、ぜひ24日の会期終了までに訪れて、ご覧頂く事をお薦めしたい展覧会である。

 

 

LIBRAIRIE6+シス書店

東京都渋谷区恵比寿南1―12―2 南ビル3F

TEL03―6452―3345

Open・水曜~土曜 12:00―19:00 日曜・祭日12:00―18:00

Close: 月曜/火曜

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律