Words

『夢の力-記憶は果たして遺伝するのか!?』

…急に寒くなったからではないが、最近、布団に入って本を読みながら次第に眠りへと落ちていく束の間の時間が、実に甘やかな気分になって愉しい。…夢の中では亡くなった懐かしい人達が笑顔のままに現れて、私達は談笑しているような幸せな気分になるが、…やがて靄が霞むように朧な姿になって、亡き人達は再び遠い所へと消えていく。

……また夢は時に、脳の潜在的な能力の深淵を垣間見せてくれるような、唯、不思議としか言い様がない事も見せてくれる。

 

………あれはたしか8年くらい前の事であった。…アトリエで夕方くらいまで、私はオブジェを作っていた。…あともう1歩で完成するという段階で、作品の中に入れる最後の詰めとも言うべき「何か」大事な物が何なのか遂に閃かず、私は断念して家路に就いた。…そして夜に夢を見た。

 

…その夢は明るい光を放ち、その光の真ん中に、私が昨日まで取り組んでいたオブジェがあり、…驚いた事に、作品は完成した姿となってそこに在るのであった。(……何だ‼出来ているじゃないか‼)…夢の中で私はそう声高に叫んだ。

 

…昨夜、閃かずにいたその箇所には、ネジくらいの大きさの小さな時計の部品が固定してあり、…それが実に絶妙な効果を呈していて、夢の中で私は満ち足りた気分になっていた。

 

 

…朝早々にアトリエに行き、私は或る物を必死になって探した。…夢の中に出て来たその小さな時計の部品は、確かにアトリエの中に在った筈、そう思いながら私はそれを探し始めたのである。…しかしその作業は困難を極めた。…アトリエの中には小さな部品(様々な物の断片)が3000以上はあり、それらは沢山の引き出しの中に無尽蔵に埋もれているのである。

 

…私は異常な記憶力があるらしく、夢の中に出て来たその部品の姿は目覚めてもなお、ありありと覚えていた。…探し始めてから三時間ばかり経った頃、奥の暗い引き出しまでも次々と開けて、或る引き出しの中を掻き分けると、その埋もれている底に、それは在った‼…(これだ!これ!!)…私は嬉々としながら、その小さな部品を掴み出し、オブジェのその箇所に固定して、遂に作品は完成したのであった。

 

……私は時に、美術に関するミステリ-や詩も書くが、絡まった推理が夢の中できれいに解れたり、また詩も夢の中で完成していて、早朝の目覚めの時に、それを携帯電話のメモに書き移す場合が度々ある。……………………夢の中で作品を作り出す。…その例としては、ポ-ル・マッカ-トニ-が夢の中でメロディ全体を完成させてしまっていた名曲『イエスタディ』の逸話は有名であるが、覚醒時の創るという緊張が解れた時に、創造の翼は夢の中で想像力の無限の可能性を呈してくるのであろうか。…創造するという行為は、覚醒している意識と、潜在的な無意識とのせめぎ合いのようなものであるが、時に夢の中の潜在光景がもの凄い可能性の拡がりを呈してくる事がある。

 

………これは夢の別な話であるが、夢の中で全く自分の知らない人達が現れて来て、私の方に実に親しげな笑顔を見せる。…すると私はえも言われぬ懐かしさがこみ上げて来て、彼らに対して微笑を返す。

 

…まるで内田百閒の名作『冥途』のような夕暮れの闇の中に見る生者と死者との交流のような感覚。その同じ夢を私は度々見るのである。…そして或る時、私ははたと思った。…これは亡くなった親(父か母のどちらか)の記憶が、私の中で遺伝子を介して映っているのではないか…と。

 

…記憶の遺伝ではなく、反応の遺伝は存在すると言われて来た。…しかし最近、哲学や心理学の仮説として扱われて来たにすぎなかった「記憶の遺伝」説が、近年の「後世遺伝学」の発展により、一部で限定的ながらも科学的な根拠が見えて来た段階にあるという。…私の場合はどうやらユングの「祖先の記憶」「集合的無意識」の考えと近いように思われるが、先のオブジェの例で書いたように、「記憶は埋もれているだけで、時に夢の力を援用すると、実は全てを覚えているのではないか⁉」という事が経験的に実証されもするのである。

 

 

 

「或る物を見て強い感動を覚えるという事は、…実は今の私と、遥か昔の遠い先祖の或る記憶とが、共振しているのである」という事を、小泉八雲は霊性について語った本の中で書いているが、真に私達の内なる夢の力には、常識という浅いものからは、かけ離れた計り知れないものがあるように思われるのである。

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『熊がルネ・ラリックを観に来た話』

…秋が深まって来たというのに、熊は冬眠する気配もなく、13人が熊に襲われて亡くなっている。一方、秋田県で駆除された熊だけで既に1000頭以上を数えるという。…もはや熊と人との仁義なき全面闘争となって来た感がある。

そんな中、1頭の熊が秋田県仙北市の大村美術館にやって来たというニュ-スは少し私の気をひいた。…大村美術館…?はじめて聞く名前である。…熊が来るくらいなら、渋い日本画でも展示しているのかな?…と思って検索したら、ア-ル・デコ様式ルネ・ラリックのガラス作品を展示している個人美術館であった。

 

 

 

 

 

…(この熊は、危険を冒してまでもルネ・ラリックの作品が観たかったのか!?)…そう思って、私は息を呑み込んだ。そして思った。美術館にやって来たその熊は、その後で駆けつけたハンタ-によって撃たれてしまったのだろうか?

 

…もし撃たれたなら、…そしてハンターがその死骸に近寄って、硬直した熊の手のひらを開いた時、熊がしっかりと美術館の無料優待券を握りしめていたなら、それはそれで…悲しいものがある。

 

 

先月の10月19日に起きたル-ブル美術館のナポレオン関連などの王冠の宝石(155億円相当)が大量に盗まれた事件は、この美術館の警備の甘さが露呈してしまった感がある。

犯人(実行犯は2人、計4人組)は、長い梯子(機械式リフト)を使って階上に上がり、ガラス窓を割って侵入し、警備員(これも怪しい)を脅かしながら、短時間で現場から逃げ去ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

…その一報が入って来た時、私は(白昼にル-ブル美術館で盗難⁉…ならばきっとあの場所から入ったな‼)…と思ったら、果たしてそうであった。…表のピラミッドの入り口付近は警官がいて警備が堅く、しかも来館した人々の長い行列でたくさんの人目がある。しかし裏側のセ-ヌ河に面した方のドゥノン翼館の奥の通りはいつも静かで、人影もあまり無い。

 

犯人は開館直後に侵入し、数分の犯行の後に現場からスク-タ-で逃走したという。…開館直後、すなわちあまりに白昼堂々の犯行ゆえに、その梯子が階上に延びていても、通行人はおそらく、美術館の作業中だと思うに違いない!犯人はその効果も考えて犯行に及んだに違いない、…そう推理していた。…すると、私のその気が喚んだのか、高島屋の美術画廊Xで個展開催中に面白い人物が画廊に現れたのであった。

 

…あれは個展が後半に入った頃であったか。…画廊のテ-ブルの椅子に座って書き物をしていると、30代らしい一組の男女が現れて作品を観はじめた。すると突然男性の方が私の作品を観ながら(カッコいい‼)という甲高い声をあげた。

 

…その後ろ姿から(作家だな)と思って近寄って話しかけると、その男性は(昨日ル-ブルから帰って来ました)と言う。??……事情を詳しく訊くと、その男性はAIの画像を動かして「動く写真」を作っている作家で、ル-ブル美術館の地下で10月に開催しているア-トフェアに出品して帰って来たばかりだと言う。

 

更に話を訊くと、その男性は10月19日の早朝の午前9時30分頃にア-トフェアの会場に行く為に、セ-ヌ河に面したル-ブル美術館の裏通りを歩いていると、地上にスク-タ-が2台あって人が数人おり、梯子が階上に延びていたので、(あぁ、朝早くから作業をしているんだなぁ)と思いながら、そこを通って、ル-ブル美術館の地下に入って行くと、たくさんの美術館職員が血相を変えて走り回っている光景が飛び込んで来たのであった。

 

…彼のスマホで撮影したその画像を見ると、確かに小走りに走るたくさんの美術館職員が映っていた。……私は言った。(すると君は、正に犯人が梯子を使って階上で宝石を盗んでいる最中に、その現場に通りかかったわけで、その場にもう少しいたら、宝石を抱えた犯人達が梯子(機械式リフト)から必死な姿で降りてくる場面に遭遇した事になるわけだ。…お手柄になるか、いやむしろナイフで刺されていた可能性が高いかもしれないね‼)

 

…事件後にル-ブル美術館の副館長が記者会見で次のように語った。…(強盗犯が侵入した窓を映す監視カメラは老朽化の為に映っていなかった)と。……………ル-ブル美術館内に展示されている作品数は実に3万5千点あるという。…その多くに監視カメラが設置されているというが、実情は、さぁどうであろうか。…仮に全ての作品に監視カメラを設置した場合、その監視カメラを随時チェックしているセンタ-は膨大な広さと人員が要り、現実的に不可能である。

 

私は以前に映画『ダ・ヴィンチコ-ド』を観ていて、主人公がひそかに語った或る台詞に注目した事があった。…何と、監視カメラの1/3がダミ-なのだという。…ル-ブル美術館の監視カメラが脆弱な事は以前から指摘されていたが、(監視カメラの多くがダミ-であった)とは、とても公に言えない話であり、苦肉の案として出た老朽化という言葉であったように思われる。

 

 

次回のブログは『記憶は果たして遺伝するのか!?』と題して、徒然なるままに私のあまりにも不思議な体験談を交えながら書く予定。ぜひご期待ください。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『待望の秋が来て、今思う事』

…異常な猛暑が去り、まともな秋らしさがやって来て、人間らしい感覚がようやく戻って来た感があるのは、ともかくも嬉しい。蒙古襲来のように、来年の夏は40度突破の更なる大軍が攻めて来るのは必至であるが、ともかくは暫しの「今」をこのブログの読者の方々と言祝ぎ(ことほぎ)たい。

 

 

…先日、ちょっと気持ちに余裕が出て来たのか、子供のような悪戯心が湧いて来た。…今や全能のごとく言われているAIを、試しに引っ掻けてみたくなったのである。AIの操作に詳しい後輩のTさんに頼んで、時々AIに質問して返答が来るのを楽しんでいる私。

 

 

…その私は好奇心がかなり強い質らしく、子供の頃から疑問が常に渦巻いていた。…(それって何故だろう、でも本当はどうなのか⁉…)と、問題を次々に作っては、いつも一人でブツブツと自問しながら呟いていたのである。だからこのAIなるものは、今の私には疑問をぶっつければ打てば響く、知的な玩具、若しくは距離をおいた頭の良い遊び相手のような存在なのである。…その彼は今は未だ穏やかな顔をしている。しかしやがて無表情な顔に変身して、不気味な集団へと化けていく事は自明ではあるが。…

 

…先日発した質問はこうであった。「ルネサンスとは、つまりは突出した人物達だけが成し得た形ある芸術的な産物を指すのか?それとも文芸復興という形のない概念を指すのか?、先鋭な論者で知られた美術史家の若桑みどりさんも(結局ルネサンスとは何だったのか、わからない)と語っているが、その実体についての返答を乞う」…と問うてみた。

 

…AIの答は、長文ゆえに掲載は省くが、私の質問から二重構造へと転じて解いてみせたその返答は、ルネサンス研究家も形無しの見事な内容で、私は積年の疑問がたちまち氷解したのであった。…他にも幾つか質問するとAIは先ずは(とても鋭いご質問です)(いいところに着目されていますね)という感じの、否定でなく先ずは肯定から語り始めるのが、要注意ではある。…しかし解答はどんな変化球の質問を投げても、第一人者と自称し権威ぶっている数多の学者よりも遥かに的確であった。…ならば、そのAIが、この角度なら絶対に間違うに違いないという質問が閃いたので、試してみたのである。

 

質問はこうであった。
…「文献で知られている限りで良いが、手相占いを最初に否定したのは誰か?」というあっさりした質問である。…実は私はその人物の名前を知っているのであるが、わざと(…その人は○○であるが、それは事実なのか?)という角度からの文章を伏せて問うてみたのであった。…歴史上の情報を地層に見立て、AIでもこの湿った深い地層までは未だ来ていないに違いない、そう思って閃いた質問である。

 

AIの答はこうであった。「手相占いが根拠がないという事を最初に批判的に語ったのは懐疑論者で知られるモンテ-ニュ(1533-1592)で、〈難破船で打ち上げられた死体の手相は皆違う〉という例えを著書『エセ-』の中で書いています。もし引用がモンテ-ニュでなければ、経験主義者のフランシス・ベ-コン(1561-1626)でしょう。」…という答であった。

 

 

…………………果たして予想した通り、AIの答は間違っていた。そう、AIも間違うのである。…正解はモンテ-ニュではなく、彼より81年前に生まれた経験主義者の祖と言っていいレオナルド・ダ・ヴィンチである。

 

 

 

 

 

 

ダ・ヴィンチは彼の手稿の中で(手相占いに根拠がないのは、例えば難破船で岸に打ち上げられた沢山の溺死者の手を開いて見るがいい。皆違った手相をしているのである)と語っている。…モンテ-ニュが同じような文章を書いているのは、ダ・ヴィンチの手稿からの写しであろう。

 

…私は拙著『「モナリザ」ミステリ-』(新潮社刊)を書くに際し、彼の手稿にあったこの文章の事を知り、(何という説得力のある言葉か‼)と思って感動し、記憶に強く残っていたのである。そして、前述した角度からの問いを発したのである。

 

 

 

 

………AIが全智という印象があっても、それに膨大な情報を手作業で処理しているのは、実は搾取された難民たちであり、そこに巨大なブラック企業が絡んでいる、実質アナログの実態であるという事を知っている人は案外少ないのではないだろうか。私は先日のテレビで実態を知り、その舞台裏の不毛を痛感したのであった。私は実態の真偽を問うべくAIに質問すると、その返答は以下のようであった。「…AIを作る過程で人手が関与しており、その人たちの待遇や秘密保持、契約形態には倫理的な問題が生じうる、という点は現実的な懸念です。」という、主客関係がかすれるような涼しい返答が返って来た。

 

 

……………最近のニュ-スで、アルバニアで世界初のAI大臣なるものが誕生したという。…この依存度は、もはや一身教と言っていいものであり、人としての最終的な尊厳を自ら放棄するに等しい傾向であるが、1960年代に早々と『20001年宇宙の旅』の著者のア-サ-・C・クラ-ク手塚治虫が鋭く予見した通り、実に不気味な世界の出現が加速的に迫っているのは間違いないであろう。

 

 

 

 

 

…来年の夏にまたやって来る、更に異常さを増した火炎地獄の夏と共に……

 

 

最後にもう一度言おう。

…そうAIも、人と同じで間違うのである。

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『ポタン、ポタン……』

…台風一過、またしても猛暑が。…ここは腹を括って長期戦と思い、気分一新で新しいブログを書く事にした。

 

……シャンソンのエディット・ピアフに『パダン、パダン』という曲がある。軽妙なリズムに乗って次第に力がみなぎってくる名曲である。…しかしこれから書くのはそれではなく、ちょっと響が似た『ポタン、ポタン』というお話。…ポタン、ポタン…、すなわち水音(滴)の事である。

 

昨日の夕方、風呂に入っていた時の事。リラックスしようと浴槽の中で目を閉じていると、離れた所からポタン、ポタン…という水滴の規則的に垂れてくる音が気になりだした。。(蛇口の栓がゆるいのだな…、出たら締めよう)…そう思ってまた目を閉じたら、次第にその規則的に落ちる水音が気になりだして来た。内耳から脳に入り込んで来る、その規則的に垂れる音に次第に苛立って来たのである。私は考えた。(…もしこの音をずっと何日も拷問のように休みなく聞かされるとしたらどうだろう?……狂うな、間違いなく‼、ひょっとすると昔の拷問の中にあったかも知れない、…そう思ったのであった。疑問から仮説、そして実証へと移るのは私の常なる思考パタ-ン。さっそく風呂から出て調べる事にした。

 

 

その拷問は、果たしてあった。…中国の公安が尋問する際に水滴の音を規則的に聞かせると、次第にその音に心が乱されて不眠状態に陥り、やがて自白するか、最悪は発狂に至るのだという。また楊貴妃の時代に嫉妬に狂った女官がこの水音による拷問をおこなったという話もある。

 

……以前に京都の先斗町で、京都精華大教授の生駒泰充さんと京都高島屋美術部の福田朋秋さんと呑んでいた時の専らの話題は『古今東西の奇妙な拷問百話』であった。…その時に生駒さんが話した(狭い室内に平行線を引き、その一部を僅かに歪めておくと、その部屋に閉じ込められた人は終には発狂する)という話が今も忘れられないでいる。…その僅かに歪めた角度が何度なのか、後に生駒さんに訊いたが、その文献名を失念してしまっているという。…やむなく私は一人で図面を引いて考え中なのである。目的はただ1つ、長方形の立方体を作り、そこに細い鉄線を5本配して、立体のオブジェを作りたいのである。…題して『Saint Jacques-或いは幾何学の悪い夢』。タイトルだけは先行して出来ている。

 

 

 

〈…ほらほら、この道を狂った智恵子さんが大声で叫びながら走っていましたよ〉…。智恵子とは高村光太郎夫人-高村智恵子の事である。…先日、その『Saint Jacques-或いは幾何学の悪い夢』の構想を、このブログで度々登場する富蔵さんに谷中墓地近くのカフェで話しながら二人で幾つかの簡単な図面を引いた後で、私は一人、千駄木の方角へと向かった。

 

 

…以前に森まゆみさんの本を読んで、文中に高村光太郎の家近くに住んでいて、高村智恵子のその姿を度々目撃していた老婆が森さんに語った…その知られざる逸話を思い出して、向かったのである。…智恵子が叫びながら走っていた、自宅前の細い小路。…それを視る事で、オブジェの立方体の形状と5本の細い鉄線の姿を浮かべる為の舞台案を考えてみたくなったのである。

 

 

文京区千駄木5丁目…に在った、高村光太郎夫妻旧宅跡はすぐわかった。…ご親戚の方なのか、高村の表札があり、件の小路も確認し、私の頭の中に全てが入った。

 

 

 

〈あなたの咽喉に嵐はあるが/かういふ命の瀬戸ぎはに/智恵子はもとの智恵子となり/生涯の愛を一瞬にかたむけた/それからひと時/昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして/あなたの機関はそれなり止まった/写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう

 

 

 

『智恵子抄』『レモン哀歌』を読んだのは中学の時であったか?…特にラストの(あなたの機関はそれなり止まった)の〈機関〉という表現に強く惹かれたものであった。…しかし後に智恵子抄の美しすぎる表現に疑問を持ち始め、数年前に書いたブログで〈智恵子抄に秘められた嘘〉について書き、光太郎が秘めた智恵子への贖罪迄も見破ったように私は書いた。そう、私は光太郎に関する文献を漁歩し、また光太郎の心理に入る試みをして、智恵子が発狂してしまった真の事実をも見破ったのである。

 

 

…後に文章表現は柔らかいが、池内紀さんも、光太郎の秘めた贖罪に気がついているらしく、私と似た視点で書いた文章を読んだ事があって面白かった。…視点を変えて読む事で研究者がついぞ気づかない盲点に光が射す時がある。…それもこれも疑問から仮説、そして立証へと考える事のミステリ-の妙味なのであり、やがて暗示を含んだ作品という虚構へと私の場合、立ち上がっていくのである。

 

 

 

 

 

…さてブログの最後に大事なお知らせを。…私がここ10年近く、ほとんど毎回欠かさずダンス公演を拝見している、勅使川原三郎氏が主宰するカラス・アパラタス(荻窪駅より徒歩3分)で、9月6日より18日迄、佐東利稲子さんのダンスソロ公演『紫日記』が開催されます。

 

……佐東さんは勅使川原氏と共に毎回デュオで見事なダンス表現を開示して、私達観者を深遠で危うい身体表現の極北へと誘い、他に類の無い妙味を刻んでいます。…その佐東さんが放つ美しい存在感は唯一無比なものがあり、今回の『紫日記』というタイトルの妖しさと相乗して、私は今回の公演を楽しみにしています。

 

…ダンス表現だけでなく、光と闇の魔術師とも評される勅使河原三郎氏が照明を行う今回の『紫日記』、…… 〈人は夢と同じもので織られている…〉と書き記したシェイクスピアの言葉をそのままに映すような夢幻性を帯びた公演になるような予感の中、このブログの読者の方にぜひのご高覧をお薦めする次第です。…公演の日時や詳細、または観覧ご希望の方は勅使川原三郎KARASオフィシャルサイトをご覧ください。

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『長い廊下の奥から、今日も赤ん坊の泣き声が…』

…午前4時頃の未だ無明の頃に蝉時雨が聞こえて来たので、眼が覚めた。

 

 

…何匹の雄蝉が鳴いているのか、ジャリジャリと数珠を擦るようなかまびすしい、しかし孤独な響きである。残り数日の命を知ってでもいるのか、生殖の為に、子孫を残す為に…雌を喚ぶその声は生と死の狭間にあって、本能を絞るように必死である。

 

 

 

 

表現に関わっている者の感性はアナログに徹するべきであるという考えで、私はいまだに携帯電話はガラケ-である。…よってこのブログの文章もガラケ-に打ち込んでいる。それを知った人は(大変でしょう)と言うが、私には丁度良い距離関係である。…そう、過剰な情報が入って来ないので丁度よい。

 

電車に乗った時は、考え事か、風景を観るか、本を読むかの何れかである。いやもう1つあった。…面白そうな特徴のある人を見ると、顔つきや服装から、その人の職業、家族構成、さらには…小さな犯罪歴や、どんな過去の物語りがあったのか…などを観察推理している時もままにあって、これがなかなか面白い。コナン・ドイルが参考にした、シャ-ロック・ホ-ムズのモデルになった、外科医ジョセフ・ベル博士という人物が実在したが、その人の癖と同じである。……10年くらい前まではまだ車内には、私に限らずいろんな人の様々な姿があったように思う。……しかし昨今の電車内は、大多数の人は俯いたままでスマホを見ていて、あたかも大事な位牌を抱くように握りしめている。いずれも皆一様に同じ姿で、次々と現れてくる、たいして意味のない情報を追っている。そして自主的に考えるという力が疲弊して、思考が受動的に退化していくのである。

 

……ここで(便利さに意味はない)と看破した永井荷風や、過度な不要な情報を警視した寺田寅彦たち先人の知恵が、予言として見えてくる。………脳ミソというのは実に怠惰でだらしなく、快楽を追うように(次こそがもっと大事な面白い情報が来る、きっと来る!)とばかりに、人々はスマホを捲るのである。…一度その癖がつくと、麻薬中毒のようにスマホを開くのであるが、そうしているのは自分の意思や考えでなく、脳ミソからの指令に他ならない。…麻薬や賭け事、喫煙、…と同じく脳が日常的に快楽を追うように指令しているのである。

 

……車内での一様に同じ姿でいる人達の情報への依存度の強い様を見ていて、ふと(これはある意味、新手の新興宗教だな!)と思った。通話料という名のお布施、或いは献金が、常時リアルタイムの膨大な金額として通信会社に金の洪水の如くドンドン入っていく。

 

……私はSF作家のレイ・ブラッドベリのように、ふと空想した。…人々が依存していたスマホから発する情報はいつしか巧みに指令の要素をも含み始め、ある時、電車に乗ってスマホを見ている人達に(…次の駅で全員下りるように!!)という指令が一斉に入る。人々は催眠術にかかったように全員が次の駅で下り始める。…すると、指令を受け取っていない私だけが車内に残っているが、やがてナチの軍服のような兵士服を着た駅員がやって来て連れ出され、私は異端分子として駅構内で即処刑される。…その頃にスマホを管理しているのはもはや人でなく、劣化した人類を凌いで完全に優秀な存在と化した〈AI〉である。次は、そのAIについて書こう。

 

 

…ナチスが原爆を開発する可能性を懸念したのはアメリカで、アインシュタインらの進言を受けて、アメリカが世界で初めて原爆を製造した事は周知の通り。…そこにオッペンハイマ-の魔的な存在があった。

 

…また、ナチスの難解な暗号エニグマを解析し、コンピュ-タ-の父と云われた天才数学者アラン・チュ-リング(後に青酸カリ自殺)、またチュ-リングと共にAIの基礎を作った、〈人間のふりをした悪魔〉と云われたジョン・フォン・ノイマンetc

 

……恐るべき様々な知性が集中的に輩出して、今や、原爆水爆の恐怖が凄まじい時代に私達は生きている。……仮にこれを、ここでは外圧と呼ぼう。

 

 

そして今日、人類はAIの登場によって、今までの価値観が歪み、激しい転換の切り替えを要求される時代へと一気に突入した。…身近なスマホの登場は、その便利さ故に子供までが扱い、本来緩やかに成長していく脳の構造の発達に亀裂が入り、脳が未発達なままの奇形化した子供達が溢れている。…最近発表された学力調査で、児童男女の学力が歴然と目に見えて落ちて来ているという結果報告は、近未来を暗示して不気味なものがある。…脳は知識や難解な思考という知の刺激を与え続けなければ、筋肉と同じで加速的に劣化する。…そこに件のAIの登場である。

 

 

原爆、水爆といった兵器が人類に及ぼすのは、その肉体の崩壊である。…これに対して、身近なスマホや、日々進化しているAIが人類をジワジワと滅ぼしているのは、その脳の劣化であり精神の荒廃である。則ち人間が人間である為の立脚点の尊厳が壊されているのである。…これを内圧からの確実に浸透している〈被爆〉と呼ぼう。原爆は広島、長崎以降は使われていない。故に以後は被爆はないが、しかし、スマホ、AIによるゆるやかな、しかし確実なる内圧からの被爆を私達は既に浴び始めている、そう危機的に考える必要はあるであろう。… 間違いなく目に見えないながらも、内圧からの精神への被爆崩壊は既に始まっているのである。

 

…今年、ますます顕著になった異常な熱波ゲリラ豪雨は、来年そして更に先は、考えるだけでも凄まじく断末魔的である。……しかし冒頭に書いた蝉の本能的な蝉時雨の如く、今日もまた新たな新生児が次々に産まれている。…その新生児たちが成長していく過程で、世界はどのような灼熱や洪水の様を呈して来るのであろうか。(お母さん、僕を産んでくれて有難う)…今と比べるとまだ少しは善き時代であった昔は、そういう感情の覚えが確かにあったが、…その新生児たちが未来に呟くのは、断末魔を生きなくてはならない〈母よ!…私を何故産んでしまったのか‼〉といった絶叫なのであろうか?

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『今日もまた、バケツをひっくり返したような雨が…』

今日は8月15日。豪雨の後にまた暑さが戻って来た。…熱波の日々でみんなの疲労が蓄積し、免疫力が低下して、この時期は誰もが最も危険な時かもしれない。……さて、疲れを取る私のやり方は、夕方に38度くらいのぬるま湯に入り、15分以上、無心に目を閉じる。すると百会(頭の天辺)から次第に悪い汗が流れて来る。…そして、遠くの森から蝉時雨が聞こえてきて気分はもはや浄土である。…あぁ、このまま死んでしまうのも善いかなぁ…と、ふと想う。

 

先日、九州全土を襲った豪雨は凄まじかった。私の大切な友人が、鹿児島、熊本、そして福岡に住んでいるので、他人事ではなく気にかかる。…前線が本州に動けば明日は我が身でもあるのである。…昨今の気象の狂いには不気味なものがあるが、思い返せば、まだ20年前頃までは、それでも四季折々にいろんな表情をした雨が降っていたように思われる。周知のように、雨にはいろんな言葉があって、実に情趣豊かな名前がついていた。そしてそれが私達の詩心へと繋がるような感性を育んでも来た。様々な雨を指す言葉、…その数56とも、いや400はあるとも諸説云われている。

 

白雨.驟雨.錦雨.氷雨.端雨.慈雨……etc。中には日照雨.天気雨という言葉を指して(狐の嫁入り)という言葉さえ生まれている。更に思えば各々の雨には私達の人生と関わっている物語りさえ時にあったように思われる。その例として「遣らずの雨」(やらずのあめ)という言葉がふと浮かぶ。

 

しかし今や雨の呼び名は四季を通じて1つに極まった。…すなわち線上降水帯がもたらす〈ゲリラ豪雨〉これ一本である。

 

…日本全土の中の河川分布状況を見ると、一級河川を除いた細い河川状況はまさに毛細血管の如くである。人的被害をもたらす豪雨が降り続き、ミシリと前夜に小さな音を立てていた後ろの山が突然崩れて人家を一瞬でのみ込む光景はもはや日常化しており、

(…いやいや何百年も何もなかったから)(…大丈夫、ご先祖様が守ってくれている)は、最早命取りの考えである。

 

 

川端康成の小説『山の音』は、ふと聴いた〈山の音〉に死期の告知をみた初老の男の情趣ある深い話であるが、昨今の現実の「山の音」は、情趣どころか具体的な死の予兆(今そこにある危機)である。

 

 

 

 

 

 

 

最近、豪雨が去った後の街角インタビュ-を観ていると、みんな同じように(バケツをひっくり返したような雨が降ってました…)とお決まりの言葉を使っているが、もはやバケツではないだろう、と私はふと思った。…ではどんなものをひっくり返したようなのが相応しいかと自問した。

 

……たらい、湯船ではないな。…ならば思いきり拡大して、相模湾、あるいは太平洋をひっくり返したような…という言葉が浮かんだが、それでは腕が痛くなる。…結局だんだん戻っていって、先ずはたらいに返ったが、たらいだと〈水〉が具体的に浮かんで来ない。…やはりバケツのバの濁音が効いているのか…と思って元に落ち着いた。しかしこのバケツをひっくり返したような…という表現、気になって調べてみたら、韓国やイギリスでも〈バケツ〉という言葉を使って豪雨を表している事がわかって妙に納得するものがあった。

 

 

…以前のブログで登場して頂いた『マルロ-との対話』他の著作でも知られる、仏文学者の竹本忠雄さんから分厚い小包がアトリエに送られて来た。

 

包みを開くと中から、新刊書の『幽憶』(ルネサンスから現代まで/新フランス詩華集)が現れた。…竹本さんは現在93歳であるが実にお元気で、上田敏以来のこの翻訳の大業をコロナ感染という非常時の中、四年もの月日をかけて執筆され、ついに刊行されたのである。…帯には、フランス政府から贈られた〈ルネサンス・フランセ-ズ大賞〉受賞記念出版と銘記されている。

 

 

 

 

…さっそく開くとヴェルレ-ヌユゴ-ボ-ドレ-ルランボ-ヴァレリ-マルロ-マラルメリルケ…などの詩が、竹本さんによる実に美しい日本語で綴られた深い翻訳となって載っている。

 

 

…そして、各々の詩に合わせてユゴ-、モロ-ロダンブラックゴヤマネミケランジェロ、…などの絵画や彫刻作品が深い配慮に依って的確に選定されて載っており、ランボ-の詩『太陽と肉体』のところでは、ピカソの版画作品が、そして『少年ランボ-の面影』と題したヴェルレ-ヌのところでは私の銅版画作品『肖像考-Face of Rimbaud』が載っていて、実に相応しい組合せで構成されている事に作者である私は強い手応えを覚えたのであった。作品が確かな形で活かされている、…そう思ったのである。…この竹本さんの『幽憶』はこれからも度々開いて耽読していく大事な本になっていくであろう。

 

 

10月15日から11月3日まで日本橋・高島屋の美術画廊Xで開催予定の個展『逆さ文字-吊り下げられたブレヒトの七月の感情』であるが、先日、リ-フレット(案内状)の打ち合わせも終わり、これからは作品を暗箱やアクリルケ-スに固定していく第2段階に入るのであるが、新作60点以上作り終えたというのに、埋火のように未だ新作創造への余熱が消えずに、新たなイメ-ジが閃いては、なおも今、制作を続行している日々である。…これからはこのブログで、個展の予告編のように、新作の主なのを数点掲載していこうとも思っている。

 

 

次回のブログは、「原爆の父」として知られ、核戦争の扉を開いてしまったロバート・オッペンハイマーとスマホについて書く予定。…このブログ、書く話題がいつも八方に飛び交っている。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『日本の歴史上、一番暑い日にブログを書くの巻』

昨夜、知らぬ内に寝落ちしていたらしく我が魂はゆらゆらとミルキーな涅槃の中へ……と思っていたら、突然窓ガラスが割れるようなもの凄い爆裂音がして目が醒めた。…テレビをつけたら速報が入り、横浜港で開催している花火大会で、花火を打ち上げる2隻の台船が炎上し、花火師5人が海に飛び込んで救助された由とあった。しかし、無人の船は燃え盛っているので花火玉に次々と火が移っているらしく、引火した花火の炸裂音が次々と響いて最早処置なしである。

 

 

…あれは、確か1989年の夏であったと思うが、山下公園近くの海岸通りに住んでいた時の事。歩いてすぐの横浜港で開催されていた花火大会で、花火玉の点火に失敗して船上で炸裂、この時は2名の花火師が即死。…瞬間、手足を拡げたままの姿で吹き飛ぶ花火師の姿が破裂した眩しい逆光の中でありありと見えてしまったのを覚えている。それは確かにもの凄い光景であったと今も思う。…夜まで続く猛暑の中、プロとはいえ、花火師達の注意力もさすがに落ちていたのかもしれない。

 

 

……しかし、暑い。危険なラインの40度を軽々と越えて、自然の猛威は容赦ない。…まるでボイラ-室内にいるようなこの猛暑。やむをえず街を歩くと、人々の顔は苦渋に歪み、中には太陽の方を見ながら何が楽しいのか、口元がゆるんでいる人もいる。(…あぁ、遅かったのか‼)……………日曜の朝に俳句の番組を観ていたら(「百年後全員消エテイテ涼し」)という俳句が紹介されていた。たいして優れた俳句ではないが、イメ-ジはまぁ面白い。確かに百年後はこの街を行く人々は、私も含めてほぼ全員(子供たちも含めて)が死んでいる。…それを想いながら街を眺めると、眼前の暑さでもやったような街が全くの無人となって不気味な静けさを帯びて見えてきた。……、そして、そこに何処からか涼しげな風鈴のチリリン…という音が幻聴のように一音鳴って、全てが暗転して、…おしまいである。

 

 

………………………しかし、それにしてもこの暑さはどうだろう。脳ミソが柔らかくなったのか、逃避するように自ずと妄想が膨らんでくる。……そして妄想が一人歩きする。

 

(…もし今、お付き合いするとしたらどんな女性がいいですか?)…と訊かれたとしたら、私は迷わずに『雪女』と答えるであろう。(…冷たい女性になったその理由。…糸魚川の海岸線に在る親不知子知らずの一夜怖譚、あのトンネルの謎、…吹上トンネル、黒沢トンネルとの関わり、最近反省している事があるか?、…小泉八雲に本当に会ったのか⁉……等々)

 

そして、『白梅軒』という名の喫茶店で冷やしコ-ヒ-を呑みながら、氷柱のような御仁を相手に話は尽きないように思われる。

 

 

 

 

…さて、今年は4月から4つの展覧会が終わり、次は10月15日(水曜)から11月3日(月曜・祝)まで開催予定の高島屋・美術画廊Xでの個展である。…今回の個展のタイトルは『逆さ文字-吊り下げられたブレヒトの七月の感情』。…版画からオブジェへと表現の形は変わって来たが、通して変わらないのが垂直線への拘りである。…垂直線に対する私の内なるオブセッションとでもいうべき執拗な拘りを今回の個展では前面に押し出してみた。…出品作品数は約60点。…完成度の高さに重きをおいた今回の個展は、今までの中で最もクオリティの高い作品が揃ったという自信がある。…展覧会については随時お知らせしていく予定。…乞うご期待である。

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『攻撃の切っ先-大久保利通暗殺秘話』

…一度しかない人生を豊かにするか否かは、善き人との出逢いが大きい。…その意味では私は本当に善き人達との出逢いに恵まれていると思う。…わけても先達の人で、今も現役の活動をされている人達からは知的刺激と強い気を頂いている。…5月に名古屋画廊で私との二人展を開催した俳人で美術評論家の馬場駿吉さん(93才)、海外でも最も高い評価のある写真家の川田喜久治さん(92才)、…そしてアンドレ・マルロ-と親しく、『マルロ-との対話』他の著作でも知られる仏文学者の竹本忠雄さん(93才)。…竹本さんは八月に刊行予定の新フランス詩華集『幽憶』のランボ-の『太陽と肉体』の訳に併せて、私の版画『肖像考-Face of Rimbaud』(戸嶋靖昌記念館収蔵)が掲載される予定。刊行が楽しみである。……そして、わが国のシュリアリスム研究の第一人者で瀧口修造さんやアンリ・ミショ-とも親交が深かった鶴岡善久さん(89才)……etc。

 

その鶴岡さんを先日、船橋に訪うた。鶴岡さんの部屋はいまだに書籍の山で、壁には、私の個展の案内状が沢山貼られていて感動した。…その日は二時間ばかりの滞在であったが、国家とは、そしてそもそも天皇性とは何なのか、…その是非について、また川端三島谷崎大江健三郎梶井基次郎…の話に移り、最後は、この国の本来は在るべき軌道であったものを狂わせてしまった西郷隆盛農本主義大久保利通の富国強兵をスローガンとする、ドイツを規範とした政策の対立について意見を交換して、時間があっという間に過ぎてしまった。……大久保利通…欧化主義…、そして紀尾井坂の大久保が暗殺された現場の事が帰路の際に頭に残ったのであった。

 

 

周知のように、征韓論で敗れた西郷隆盛は鹿児島に下野し、明治10年2月から9月迄続いた西南の役で、故郷の城山で自刃して果てた。ここに於いて農本主義の可能性は無くなり、以後は大久保利通が牽引する富国強兵策によって、日本は本来の気質や精神の身の丈に合わない路線を狂歩する事となった。

 

…だが、その大久保は8ヶ月後に、政府の専制的な政治や富国強兵策などの不満を抱いた島田一郎ら6名の不平士族によって紀尾井坂の清水谷付近で暗殺された。…いわゆる『紀尾井坂の変』である。

………その暗殺現場のあった場所(ホテルニューオ-タニ前近く)を私は度々通っている。拙著『美の侵犯』や作品集『危うさの角度』刊行の為に出版社・求龍堂に打ち合わせに行く時に、私は好んでその道を通っていたのである。

 

…ある時から関心は、大久保を斬殺した島田一郎ら6名にも及び、谷中墓地に在るという彼らの墓を見に行った事があった。…しかし一万基は在るという広大な墓地で捜すのは不可能に近い。…だが、私には呼び寄せる力があるらしく、その時も私に吸い寄せられるようにして、墓地内で墓を案内する年輩の男性が何処からか不意に現れた。

 

…(大久保を斬殺した島田一郎達の墓を見に来たのですが、わかりますか?)と言うと(あぁ、わかるよ!付いてきな!)と言って歩き出した。案内のその男は急に振り向いてこう言った。(俺も30年以上、この墓地の案内をしているが、島田一郎達の墓を尋ねて来たのは、あんたが初めてだよ)と。

 

…そして前を歩きながら男は独り言のようにこう言った。(…あの島田一郎は確か鳥取藩だったな)と。…私は言った。(いえ、島田一郎は石川県士族です‼)と。………男は急に振り向いて、伝法な物言いでこう言った。(あれかぇ?お前さん…ひょっとして訳ありの人かい?)と。…(いえ、私は只の人間です。)

 

……かくして私は案内されて、その刺客6名の墓の前に立った。…そこは横山大観の墓裏の昼なお暗い場所であった。

 

…よほど私は不穏な凶事の気配が好きなのであろうか、…現場主義の私は大久保が災難時に乗っていた、血痕が生々しく残っている馬車を皇居三の丸尚蔵館で展示された時にも観に行っている。

 

そして先日、……梅雨入りの冷たい雨がしめやかに降る午前に、桜田門にある警視庁参考室に行き、暗殺時に島田一郎らが使った刀が展示されているので、事前予約を入れてそれを観に行った。

……大久保利通の乗った馬車が近づいて来た瞬間、刺客は先ずは馬の脚を斬り、次に馬丁を斬った後に、大久保を馬車から引きずり出して16ケ所を斬って斬殺した。

 

 

 

 

… (⭕注意・ここから以下は血圧の低い人や、10才未満のお子様は読まないようにお願いします。全て実際にあった話です。) ↓

 

 

 

大久保は暗殺される前日に前島密(郵便制度の父・当時内務省の官僚であった)にこう言ったという。…(昨夜、不思議な夢を視たよ。西郷と私が高い岩山の上で縺れ合いのように取っ組み合いをしながら、やがて二人とも下に堕ちてしまうのだが、自分の頭が割れて、脳みそがピクピクと動いているのを、もう一人の自分がじっと視ている、そんな夢を視たよ。)と。

 

明治11年5月14日、午前9時頃、内務卿大久保利通が刺客に襲われた‼という一報が赤坂仮御所に入った時に、真っ先に現場に駆けつけたのは前島密であった。…そして前島はそこで視たのであった。…大久保が前日に語った通り、柘榴のように切り裂かれた大久保の割れた頭蓋骨の中で、未だその脳みそがピクピクと動いている、その光景を。………私は警視庁のその展示室に在った刺客が使った刀の切っ先が4センチばかり欠損しているのを視た時に、大久保の頭蓋をも切り裂いた、日本刀の物凄い力を想像し、その大久保が語った予知夢のような不思議な話を思い出して戦慄した。

 

 

しかし、この予知夢のような話を分析すると、2つばかり、大久保の深層心理らしきものが見えてくる。

 

…1つは、暗殺前に島田一郎達から大久保宛に届いた暗殺予告の手紙の存在である。大久保は臆する事なく超然としていたというが、或る事が見えてくる…(私はあと10年はこの国の政治を牽引し、その後は後進にその職を渡す)と言った大久保は、その道が間近に断たれる危険性をその手紙から感じて、内心はその死を怖れていた事が見えてくる。

 

…もう1つは、もしその手紙の通り自分が暗殺されたならば、半年前に亡くなった盟友・西郷隆盛と、正に両雄相討ちの体となる…、という、恐怖と自負が入り交じった感情となり、それが間近に迫っている事による強迫観念となって、前島密から視た場合の予知夢的なものとなって現実化した、そのような事も見えてくるのである。

 

……展示室を見終えて警視庁を出ると、眼前には桜田門が雨に重く霞んで陰鬱に見えている。… (…そういえば、165年前に、正にこの前の広い道で水戸藩の浪士に大老の井伊直弼が暗殺されたな、…それをふと思い出した。……ある日、私の好きな作家で、史実を徹底的に調べる事で知られる吉村昭さんに警視庁から突然の問い合わせがあった。(桜田門外の変が在った場所を正確に知りたい)という内容である。…吉村さんは話した、(正にあなた達がいる警視庁の真ん前がその現場ですよ)と。

 

 

……唯のイメ-ジでなく、歴史の史実を知れば知るほど、現在に膨らみが見えて来て人生が面白くなってくる。…もっと知りたいという私の好奇心は、最近ますます強くなって来ているようである。……さぁ、次は何処に行こうか。

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『土方歳三に会って来た話』

…桜の花弁が散ったと思ったら、もう5月の足音が…。そしてますますの気象の乱高下が、今夏の更なる異常熱波の到来を不気味に暗示してでもいるような。

 

……さて、前回のブログでご紹介した福井のギャラリ-サライでの個展は今月末まで開催中であるが、…先日、雷雨の隙間を縫うようにして午前中に名古屋画廊に入り、夕方までかけて作品の展示に関わって来た。…5月は9日から24日まで、俳人で美術評論など他分野までも幅広く活動されている馬場駿吉さんとのヴェネツィアを舞台にした俳句と美術作品による二人展が開催され、また5月22日から6月9日迄は千葉の山口画廊で3回目の個展が開催されるのである。…画廊のオ-ナ-の山口雄一郎さんは毎回、作品の本質を見極めるような鋭い視点で長文のテクストを書かれるので、今回も私はそれを拝読するのを愉しみにしているのである。…このブログでは順を追ってご紹介する予定なので、次回のブログは、先ずは名古屋画廊での展覧会について詳しく書こうと思っている。

 

 

…さて、あなたがもし犯人に疑われ、警察の取調室で無罪を証明する為に1年前のこの日にどうしていたか⁉…と突然問われたら、その日の事を直ぐに思い出せるだろうか。…日記に書いてでもいない限り、まず即答は無理であろう。…しかし、私がいまブログを書いている4月21日に限っては、1年前のこの日に何をしていたかを即答出来る。…それほどに1年前の4月21日は記憶に強く残る日であった。

 

……1年前のこの日、私は日野に在る佐藤彦五郎新撰組資料館に行き、新撰組副長、土方歳三の生身の物を目撃するという体験をしていたのである。その物とは、新政府軍による箱館総攻撃で、土方が銃弾を浴びて亡くなる前日に、未だ少年だった小姓の市村鉄之助に、自分の写真、愛刀と共に土方の日野にある生家に届けるように命じた、土方が自分で切った形見としての遺髪であった。

 

(…少年の市村鉄之助は、官軍の厳しい捜査網を掻い潜り、実に2年をかけて日野にある土方の生家に遺品を隠し持って辿り着いたが、その時の姿はまるで衰弱しきった悲惨な乞食のようであったという。)……その後、土方の写真や愛刀は折りにふれて公開されたが、遺髪だけは土方家の仏壇内に仕舞われたままで、その存在は今まで全く秘密であった。

 

 

………その秘密にされていた土方の遺髪の存在をずばり指摘したのは、死者の遺品、或いは行方不明者の持ち物に残る「残留思念」から、その時の状況を言い当てる事で知られる超能力者のジャッキ-・デニソンさんというイギリス人の女性である。…私はたまたま或る番組で、ジャッキ-さんが土方の子孫の前に座り、土方の刀に触れた後で、静かな、しかし確信を持った口調で、(もしかすると、この人の遺髪がある筈だ)とずばり言い当てて、子孫の人が驚愕するその場面を観ていたのであった。

 

…このジャッキ-さんのような、残留思念から不明者の様々な事を透視する能力が確かに存在する事は以前から知っていた。……残留遺物から事件の真相(例えば誘拐犯人の居場所や死体遺棄現場……など)を突き当てる捜査法が、欧米の警察捜査では実際に活用されている事はつとに知られているが、ジャッキ-さんの持っている透視能力は特に突出している感がある。…ちなみに、このブログでも度々書いているが、私は予知的な能力、或いは強度な「気」を発する、更には瞬時に離れた場所から物事の本質を視ぬいてしまう直感力…などといった能力は多分に持っているが、ジャッキ-さんのように残留思念から捜査の対象者の当時の事柄を透かし視るという能力は、私とは違うまた別なものである。…

 

その土方歳三の形見の遺髪が初公開されるという2024年の4月21日。…日野にある佐藤彦五郎新撰組資料館の前は、そのテレビ番組を観て、公開日を知って訪れた人、人、人…で溢れていた。資料館の人の話では、公開日は限定した数日間に限られていたが、1日で約6000人もの人が全国から訪れているという。…私が行ったその日も整理券が配られて、…遠方から遙々来ても入れない人もいるという状況であった。

 

私達の列が観れる番が来たが、限られた見学時間は僅かに10分。…近藤勇沖田総司永倉新八、…等々の書簡、土方の愛刀、写真(複写)…と順に展示されている別な場所に、件のその束ねた遺髪が白紙の上に展示されていた。

 

 

…私はその髪を観ながら、間違いなく死ぬという明日の激戦を前に髪を形見に切った瞬間の土方の心境を想った。

 

そして、その束ねた毛髪からは、池田屋事件時の叫びや長州人の断末魔の怒声、鳥羽伏見の闘いの時の大砲の破裂音や硝煙の匂いさえも透かし視るように伝わって来るのであった。

 

 

 

 

…熱くなって覚えたこの感覚の先に、ジャッキ-デニソンさんには、残留遺物からの様々な事が見えてくるのであろう。

 

 

 

………ふと気がつくと、遺髪を観ている私のすぐ横に、たいそう美しい女性が静かに立っていた。その顔を見て…土方歳三の子孫だと直感したので、(もしかして子孫の方ですか?)と問うと、果たしてそうであった。…私は好機と思い、以前からずっと気になっていた或る事を確認したく、その方に訊いてみた。(…実はものの本で知ったのですが、市村鉄之助が隠し持って来た土方歳三の写真の実物には、その写真の端を噛んだ土方の歯跡が残っていると書いてありましたが本当でしょうか⁉)と。

 

………………女性の方は、おそらくは今まで誰も訊いて来なかったであろうこの質問に一瞬戸惑ったようであったが、(……うっすらですが、その写真には土方の歯跡が今も確かに残っています)と答えてくれた。……やはりそうであったか。……私は写真の端に付いているというその歯跡こそ、土方の生きた証と矜持を映す物であると常々思っていたのであるが、今まで機会ある度に見た写真の複製には写っていなく、或いは伝説上の話かとも思っていたのであるが、タイミングよく子孫の方に直に訊けて得心したのであった。

 

………(新撰組で一番恐かったのは、それはもう副長の土方歳三です。隊列の先頭で歩いて来る、あんな鋭い眼をした人は今も忘れる事は出来ません。) ……司馬遼太郎が書くずっと以前に、作家の子母澤寛が、土方歳三を目撃したという、当時まだ存命中だった京の街に住んでいた老婆から訊いた覚え書きには、そのようにある。…幕末史に詳しい人でも、西郷隆盛暗殺未遂事件というのがあった事を知る人は案外少ないのではないだろうか。…

 

 

 

その暗殺未遂事件、単独で仕掛けたのは誰あろう、土方歳三である。…実行したのも土方歳三ただ一人(近藤も沖田も関わっていない幕末遺聞の閉ざされた一頁。)…土方は一人、平服で待機しており、薩摩藩邸から出て来た大男を視るや、通り越し時に抜き胴で一瞬で仕留めたが、それは西郷ではなく別人であった。

 

もしこの時、西郷本人であったら間違いなく明治維新は無く、徳川政権が続いた事は必至であろう。幕府の最大の敵になるのは西郷隆盛である事を、土方は早々と明察して、単独で暗殺を謀ったのである。

 

 

 

 

…今回のブログは土方歳三のその豪胆な話と先見性に詳しく言及したかったのであるが、信号が赤く点ってしまった。…どうやらブログの分量が尽きてしまったようである。

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『室生犀星&恩地孝四郎 in福井』

…いよいよ4月。…先日の桜の頃に、個展のために福井に行って来た。3日間の慌ただしい滞在であったが、故郷である事もあって久しぶりに会う人が多く、嬉しくも駆け抜けたような3日間であった。

 

 

……個展会場であるGalleryサライのオ-ナ-の松村せつさんのセンスの良い采配で、作品34点が壁面に掛けられていき、緊張感を帯びた個展空間が立ち上がった。翌日の初日、朝10時の開廊と共に福井のコレクタ-の人達が次々に入って来て、会場はすぐに人で埋まった。

 

 

初日の夕方、福井に来たもう1つの大事な目的があった。日本の近・現代版画の主要な作品を数多くコレクションされているコレクタ-の荒井由泰さんが来られて、車で一緒に荒井さんのご自宅がある勝山(恐竜博物館でも知られる)に行き、作品の数々を(今回は近代版画の地平を切り開いた恩地孝四郎を中心に)拝見するのである。

 

…そして、その後で、同じく勝山に住む画廊サライのオ-ナ-の松村さんのご自宅と古い蔵(築300年)に行き、その壁面に掛けられている作品の数々を拝見するのである。…画廊で、これから勝山に行く事を知った私の作品のコレクタ-の若い男性2人も同乗する事になり、夕方一路、深い自然が残っている古刹の永平寺を通過して勝山へと向かった。

 

荒井さんは、以前のブログでも何回か登場されているが、美の眼識が実に高く、交流関係の実に広い人で、画家のバルテュスが来日した際も、はるばる勝山を訪れて、荒井さんのご自宅で寛いだという逸話がある、荒井さんとはそういう人である。荒井さんとのお付き合いは長いが、いつも作品について熱心に熱く話をされる荒井さんを見ていると、「作品を収集するという行為もまた、確かな創造行為なのである。」という言葉があるが、この言葉は実に至言だなと思うのである。…熱い思いでコレクションされて来た作品の総体。それがすなわち、荒井さん自らが紡ぎ上げた紛れもない自画像なのである。

 

 

 

2階で恩地孝四郎の代表作にして近代版画の頂点に在る「『氷島』の著者・萩原朔太郎像』、『Allegorie No.2 Ruins (Haikyo)』が先ず在って私を驚かせた。

 

『氷島』の著者(萩原朔太郎像)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そしてその場で私は荒井さんから恩地孝四郎の貴重な随筆と写真が載っている限定本『博物志』をプレゼントとして頂いた(美術家にして詩や文章も書く恩地孝四郎は私における具体的な導きの先達なのである)。

 

 

…その後で恩地の貴重な作品を数多く拝見したが、特にその夜に私の関心を惹いたのは、室生犀星の『青い猿』の挿画作品として刷ったグロテスクな女達の相を描いた木版画であった。…私は反射的に〈あっ、これはあれだな‼〉と閃く、室生犀星の詩があった。…それについて以下に少しく書こう。

 

 

ここに掲載した室生犀星の詩。…画像は裏が透けて読みにくいかと思うが、これは私が詩集の新しい表現の為の印刷の可能性を実験した為で他意はない。さて犀星の詩はこう書いてある。

 

…(あさくさに来りて/くらき路地をくぐりぬけつつ/哀しきされど美しき瞳をさがす。/うつくしき瞳はみな招へども/こころ添いゆかず/さまよい疲れて坐る/公園のつめたき石。)

 

……哀しき、美しき…が前面に出ているロマンチケル、理想の高い夢追い人、室生犀星の都会のさ迷い日記の一頁のような…詩である。…しかし、この詩に登場する舞台や人物は、このブログで度々登場する凌雲閣(浅草十二階)下に迷宮のように広がっていた銘酒屋(店に置いている酒は飾りで実際は淫売屋)で客の男性を漁っている女郎たちである。…室生犀星は夜行列車で金沢から上京するや、上野からすぐその足で浅草に行き、銘酒屋の女達を求めて頻繁にさ迷っていたのである。

 

…恩地孝四郎が描いたこのグロテスクな女達の不気味な相は、それを直に表した作品なのである。……今は無きこの銘酒屋にいた女郎たちはその数実に2000人はいたというから、浅草十二階下から拡がっているその様を迷宮といったのは誇張ではない。…室生犀星は(うつくしき瞳はみな招へども…)と美しい言葉で装おって書いているが、次の行の(こころ添いゆかず)は、リアルである。

 

…この淫質な迷宮をさ迷っていたのは室生犀星だけではなく、…谷崎潤一郎今東光石川啄木竹久夢二永井荷風高村光太郎…と挙げればきりがない。…室生犀星は幼児期に姉が東京の女郎屋に売られた事があり、最初は姉の行方探しもあったかと思うが、次第にこの都会-浅草の毒に、はまっていったように思われる。

 

…それにしても、すぐれた抽象、具象の抒情…と恩地孝四郎の表現の幅は実に広く、かつ深い。…恩地だけにとどまらない荒井さんの膨大なコレクションを全て見ようと思ったら数日はかかってしまうに違いない。…(荒井さん、もう1度機会をみてまたぜひ、今度は個展でない時に来たいですね。) ……そう話していると、ギャラリ-から松村せつさんが戻られたので、続いて、松村さんのご自宅へと向かった。

 

…300年前に建てられたという大きな蔵に入って驚いた。…広い四方の壁面に私のオブジェや版画が沢山掛かっていて、それがアフリカの古いお面やタピエス…などの作品と調和していて、また新たに変容した私の表現世界が静かにそこに、松村さんの美意識と相乗していたのであった。

 

 

 

 

 

そして蔵に隣して在るご自宅は、昭和の初期に建てられたという大きな病院だった家で、電話室がある玄関から入ると、奥は寺院や老舗の旅館の奥座敷を想わせる深い気品があり、松村さん手製の大きな提灯が広い和室に深い韻を醸し出していた。

 

 

 

 

 

 

……勝山は、周囲を深山が領している、時間が止まったような静かな美しい土地である。夜、暗い道を歩いていると、既に亡きこの土地に生きた先祖たちの魂が豊かに息づき、生者を見守っているような気配を私は感じたのであった。…荒井さん、松村さん、…共に私の作品を相当数コレクションされていて、その作品がこの勝山の夜と同化している。…私は表現者冥利に尽きる感慨を覚えながら、数日後に横浜に戻って来たのであった。

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律