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『顔、そして眼……楢崎龍(おりょう)の場合』

……電車に乗っていると、ほとんどの人はスマホに没頭しているが、私は座席の前に並んで座っている人達の顔に関心がいって仕方がない。顔という小さな面積(キャンバス)の中に、先祖代々の様々な人達の遺伝子や物語が凝縮して、今、目の前の人達の「顔」として宿命のように現れている。そう想うと、「人は皆、遠い先祖たちの過去までも背負って生きている」と映って、想像力が湧いて来て仕方がないのである。……昔、コナン・ドイルが『名探偵シャ―ロック・ホ―ムズ』の執筆を着想した際にモデルにした人物がいるが、その人は医者でありながら、趣味は、人の顔相や着ている服装、そして靴の痛み具合や磨り減り方を見て、観察している相手の職業や家庭環境……等を推理する事であったという。そして、このホ―ムズのモデルとなった医者の分析はことごとく当たっていたという。私はこの逸話を聞いて、暫くそれに没頭した事があるが、とにかく、そういうわけで私は他人の顔に関心がいって仕方がないのである。……そして、その顔が他の何に似ているかと考え、痒い所に手が届いた達成感のようにピタリと当てはまらないと、自分でもまだまだイメ―ジを連結させる修行が足りないと、反省する事しきりなのである。人に似ている物が、別な人とは限らない。例えば、正面から見た新幹線であったり、海藻が絡み付いた地引き網であったりと、その対象はあまねく広範囲なのである。……そういうわけで、顔と云えば、インパクトに於いて他の追随を許さない人物、つまり前回に続いてカルロス・ゴ―ンがここに登場する事になる。……この男、「レバノンにいま必要なのは先ずは教育現場の豊かな拡張だと思う。だから僭越かも知れないが、私は私財を叩いて学校を建てる事に協力を惜しまない。この国に尽くしたい。……」とでも云えば、レバノンでもいだかれている拝金主義の亡者のイメ―ジから、流れは少しは変わるかも知れないが、作業員に変装して失笑をかった辺りから、やることすべてに焼きが回ったようで、つまりは精彩がなく窮していくばかりである。とまれ、日産・ルノ―、そして造反、……そんな事は全く関心はなく、私は年明けから、このあまりに特徴的な顔をしたゴ―ンが他の「何」に似ているかという事に取りつかれ、その事ばかり考えていた。……タブレットで検索すると「Mr.ビ―ン」に似ているという意見が圧倒的に多い。たぶん、みんなの関心もゴ―ンの顔にあるのであろう。……しかし、Mrビ―ンの売りは、小心、屈折、無口、僻みであって、ひたすらな強気、頑固、巧みな饒舌、背景を大きく見せる剛腕で生きて来たゴ―ンとは真逆で、言われる程には似ていない。……私は更に考えて漸く、痒い所に手が届く物に到達した。それが、……何と、……「達磨(だるま)落とし」である。太い眉、不機嫌に相手を睨み付ける強い眼力、逆Vの字の固く閉じた口。…………さてさて、皆さんにはどのように映ったであろうか!?

 

 

 

 

話は変わって、話題は顔から眼に移る。……昨年の夏に千葉を襲った猛雨の時に、本来ならば災害本部を立てて陣頭指揮をすべき筈の県知事の森田健作が、あろう事か一番大事な時に公用車を私的に使い自宅へ向かった!というW失態で糾弾されたのは記憶に新しいかと思う。しかし、その直後の会見がいささか不味かった。……私だったら早々と頭を丸め、修行僧の袈裟姿に服装を変えて会見の場に臨み、横に「どんなに注意して歩いても、目先の石にだってつまずく事はある。だって、人間だもの。 相田みつお」と、黒々と墨書きした大きな色紙を掲げて(もちろん、相田みつおに、そんな言葉は無いと思うが……)、先ず最初に深々と頭を下げ、「この失態を猛省し、知事である以前に、先ずは一人の人間として精神の修行を積み重ね、これをバネにしてこの国の県知事史上、最高に優れた知事と言われるように己をひたすら磨き、千葉県の人々の為に粉骨砕身しますので、皆さんも、この未熟者を叱咤すると共に、何卒寛大な眼差しを持って見守って頂きたいのであります!」と先手で話し、「……何もそこまでやらなくとも……」と、矛先をはぐらかせば良いものを、詭弁を弄して逃げ切ろうとする反発の姿勢を見せたから、2か3で済むのを、8か9に飛び火させて、世論の過剰反応な情緒が一斉に噛みついたのであった。……その公用車の私的使用に関しても、舛添都知事の時もあったし、極論すればかなりの数の政治家、知事、その他諸々がまぁ日常的にやっていることは想像に難くないのである。…………テレビで、その森田健作が汗を拭きながら弁明する姿を見ていて私が思ったのは、ちょっと世間の人の憤りとは違ったものかと思う。「……しかしこの森田健作、ずいぶん眼が小さく、細くなったなぁ……」という驚きであった。ためしにタブレットで昔の俳優をやっていた頃の森田健作を見ると、果たして、人はかくも眼が小さくなるのかと、ため息が出る程の今の変わり様である。私は思った。〈人は例外なく歳を取ると、眼が小さくなってしまう〉と。森田健作以外に身近の周りを思い出しても、そこに例外は無い。……かく言う私も、20代の頃は30m先から北川さんの大きな眼、長い睫毛が気になって仕方がない……と方々に指摘され、瞳孔の綺麗な光が太陽に反射して眩しすぎる!……とつい昨日のように言われたのを今、思い出した。……そして、私は思ったのであった。「やはり間違いない!……あの女は、楢崎龍ではなく別人である!!」と。…………本名、楢崎(ならさき〉龍、通称、おりょう坂本龍馬の妻として知られる、あまりにも有名な女性である。

 

 

私のアトリエのある横浜・東横線の妙蓮寺駅から3つめの「反町駅」という駅で下車して暫く行くと、高台の上に「田中家」という幕末からの老舗料亭が今も在る。広重の東海道五十三次の「神奈川台之景」にも、その「田中家」は描かれている。1867年に京都の近江屋で坂本龍馬が暗殺された後、明治の世になり、龍馬の妻のおりょう(1841~1906)は、勝海舟の口利きで、この田中家で働いていた事があった。そこで撮した当時の写真が残っているが、その顔は、おりょう晩年の時に撮した顔と目鼻立ちにおいて似ており、何より眼が大きいのが特徴的であり、同一人物と見て間違いはない。……晩年のおりょうの眼は、なかなかいないくらいに眼が大きいのが特徴的なのである。……その2枚の写真と比べると、度々、龍馬関係の番組などで知られる、若き日のおりょう(と云われている)の写真の顔は、瓜実顔で眼が細い典型的な京美人の顔である。……若い頃に撮ったおりょうの顔が、晩年の顔と違いすぎるので、疑問視する声は以前からかなりあり、同写真を収蔵している高知県立坂本龍馬記念館が警視庁科学警察研究所に鑑定を依頼した事があった。顔の輪郭や目などの位置や形を分析した結果、目や口の形などに相違はあるが、同一人と示唆することが科学的に妥当な判断と、断定は控えながらも一応はゆるい結論が出た。……「目や口の形などに違いはあるが」という大事な箇所を、警視庁科学警察研究所は何らこだわりなく素通りしているが、私が引っ掛かるのは、若い頃より晩年の方の眼が、写真では大きいという不自然な事実である。これが、若い頃に眼が大きく、晩年になって小さくなっていたのなら、「目や口の形などに違いはあるが(つまり、すぼんだ)」は難なく納得するが、そこの大事な所を鑑定者は飛ばしてしまったのではないかと、気にかかる。……また、その若き日に撮られたおりょうと同一人物が芸者として写っている写真も別に存在していて、誰もが納得するような結論はまだ藪の中である。……私は『「モナリザ」・ミステリ―』という著書を以前に書いたので、読まれてご存知の方もお在りかと思うが、そこまでやるのか!と言われるくらいに、問題点が浮かんだら物証的な裏付けを求めて、例えば、京大の発達心理学の教授に会いに行って、私の視点に対し、その分野のプロが見て整合性はあるのか……というふうに客観性を交えた複眼で徹底的に詰めて書く人間であるが、それ故に、この警視庁科学警察研究所の鑑定結果報告に、消化不良の得心の無さをどうしても覚えてしまうのである。……まぁ、良しとして事なかれの妥協点をこの国は平気で出して、人々も曖昧の内に了解してしまう流れが国民性としてあるが、これが西洋だと、その曖昧さは許されない。……数年前の話になるが、ダリの娘だと称する女が現れた時に、フィゲラスのダリ美術館の地下に埋葬されているダリの死骸を掘り出して、血液鑑定、遺伝子鑑定を徹底精査して、その女の虚偽を立証した例などは記憶に新しい。……とまれ、人は例外なく歳を取ると眼が小さくなる。……ここに書いたおりょうのように、小さく細かった眼が重力や目蓋の重みに反して、不自然なまでに晩年になってありありと開いた……というのは絶対に有り得ないが、余談を記せば、若い頃から眼が大きく、晩年になっても、その眼の大きさを保った……というのは、考えてみると、女優の京マチ子(1924~2019)くらいであろう。未だ新人の内に文豪・谷崎潤一郎にその才能を絶賛され、谷崎の予言通りに、国際映画祭を次々に制し、グランプリ女優と呼ばれた伝説の女優の、それは内に秘めた矜持の成せる業なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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『年の始めに……永井荷風と陽水』

新年明けましておめでとうございます。今年初のメッセ―ジをお送りします。…………12月後半は不覚にもA型のインフルエンザを患い、熱が下がったと思ったら次は悪性の風邪。医者からはひたすら安静に、と言われていたので寝床での読書三昧の日々が続いた。……読んでいたのは芥川龍之介『支那游記』、谷崎潤一郎『上海交遊記』、そして永井荷風『断腸亭日乗』……他である。以前のブログでも書いたが、私は自分が関心を持つと、何故か少し遅れてメディアがそれを話題にする事が度々あるが、年末のテレビで、読んでいたその芥川の『支那游記』を原作とした『ストレンジャ―~上海の芥川龍之介』の放送があった時は、あまりにタイムリ―すぎて面白かった。1920年代の魔都・上海をリアルに映像化した画像が出てきて、まるで私の為にこの番組を組んでくれたかのように愉しめたのである。……そして年が明けた2020年。除夜の鐘のゴ~ンという音の響きがまだ記憶に残っている時に、生き物の方のゴ―ンが狭いトランクの中に潜んで、日本を脱出した。シュミレ―ションを何回も重ねた後の脱出劇だというが、もし仮に検査係が「カミソリ」のような切れ者で、トランクに疑問を抱いて脱出直前で開いていたならば、……と、その姿を想像すると笑いが止まらない。一か八かの博打のようで、この事件、江戸時代の大奥の女が、惚れた歌舞伎役者に逢いにいく為に、籠に潜んで抜け出た江戸城からの脱出劇と発想は同じで、今も昔と変わらない。

 

 

 

 

……さて、正月の2日、先ずはアトリエの片付け、清掃からと思って作業を進めていると、卒然と神経に直に伝わってくる生々しい感覚を覚えた。自分でも意外だったのであるが、創作の衝動が急に立ち上がって来たのである。(この空間にそれらはいつからかおり、私に捕まるのを息を潜めて待っているかのようである。)……作る!というよりも何物かの強い力によって導かれ、引っ張られるように、次々に構想が浮かび、一気に様々な短編小説を綴るように作業台の上に10点近い生なオブジェ(勿論、最終的な完成形は後日になる)が、夕方、暗くなる頃には一堂に並んだのである。……それらを視ると、また新たな展開が来訪したかのように、かつて無かった世界が、そこに拡がっている。二年前に求龍堂から刊行された作品集『危うさの角度』で自作を振り返り確認出来た事であるが、制作に於ける攻める方法論が、より「客体」である事を志向するかのように、年々ありありと変わって来ているのである。……今、私の眼前にある10点近い新たな形は、彼方からやって来たように有機的な気配を未だ帯びており、私はその「名付けえぬ物」たちの生誕に立ち会う最初の観者のように、それらの新作を眺め観ているのである。

 

 

……『クレーの日記』や『ドラクロアの日記』は、美術の分野における画家の正直にして貴重な内面の記録であるが、文学の分野における日記の有り様は、各々の作家の複雑な資質を映して、正直あり、自白あり、隠し事あり……となかなかに一様では掴めない(という手強さがある)。三島由紀夫、山田風太郎、石川啄木、樋口一葉、正岡子規、武田百合子……等々。しかし、群を抜いた面白さという点では、やはり永井荷風の『断腸亭日乗』に指を折るかと思われる。世相の移りと荷風自身の内面との距離感が面白く、そこに時代特有な抒情やエロティシズムが絡んで、夕暮れの切ない陰影を孕んでいて面白い。……その『断腸亭日乗』を年末から年明けにわたって読んだのであるが、実は30年ぶりの再読になる。12月の鹿児島での個展の合間に訪れた文学館に再現されている向田邦子さんの書斎の蔵書の中に『断腸亭日乗』があるのを見つけ、「やはりツボを押さえているな」と思い、鹿児島の古書店で見つけて久しぶりに読み始めたのである。……再読してもやはり面白い。「秋の空薄く曇りて見るもの夢の如し。午後百合子訪ひ来りしかば、相携へて風月堂に往き晩餐をなし、堀割づたひに明石町の海岸を歩む。佃島の夜景銅版画の趣あり。石垣の上にハンケチを敷き手を把り肩を接して語る。……」といった抒情や男女の風情ある交わりがあるかと思えば、転じて、「去年大晦日の『毎夕新聞』に市ヶ谷富久町刑務所構内にて明治三十年来死刑に処せられし罪囚の姓名出でたり。左に抄録す。明治三十年より昭和十年まで四十年間に御仕置になりしもの六百余人なりといふ。 野口男三郎(詩人野口寧斎女婿臀肉斬取り犯人)・幸徳秋水(約九字抹消)・石井藤吉(大森砂風呂お孝殺し)・大米竜雲(鎌倉辺尼寺の尼を多く強姦せし悪僧)・ピス健(強盗)…………」と、物騒ながら何故か気を引く記述が続く。かと思えば、「十一月五日。百合子来る。風月堂にて晩餐をなし、有楽座に立寄り相携へて家に帰らむとする時を街上号外売の奔走するを見る。道路の談話を聞くに、原首相東京駅にて刺客のために害せられしといふ。余政治に興味なきを以て一大臣の生死は牛馬の死を見るに異ならず、何らの感動をも催さず。人を殺すものは悪人なり。殺さるるものは不用意なり。百合子と炉辺にキュイラッソオ一盞を傾けて寝に就く。」……といった、政治、世相に対岸の火事のごとき無関心の距離をとって、個人主義に徹し、それよりも身近にいる女性の存在の方に関心の揺れる重きを置く。…………と、この辺りで、そう云えば、この記述に似た冷めた眼差しの距離があったな……と思い、辿っていくと、井上陽水の初期の代表曲『傘がない』に行き着いた。「都会では自殺する若者が増えている/今朝来た新聞の片隅に書いていた/だけども問題は今日の雨 傘がない/行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ……」。……これが出た1972年当時は、若者の自殺が増え、川端康成のガス自殺があったりと不穏な世相であったが、その世相への冷めた視線と、個人に重きを置く切り口が斬新ということで、この曲は時代を映す名曲となったが、辿っていくと永井荷風にその先を見るわけであるが、井上陽水が荷風のこの日記を読んで閃いたのか、はたまた時代は廻る……といった時世粧の事に過ぎないのかは、勿論知るよしもない事である。とまれ、この永井荷風の『断腸亭日乗』、ご興味のある方にはぜひお薦めしたい、不思議な引力のある、読み応えありの書物です。

 

 

 

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「さらば2019年」

鹿児島の個展から戻ると何かと忙しい日々が待っていた。……しかし充電は必要と思い、今月の14日は三島由紀夫の代表作『サド侯爵夫人』(演出・鈴木忠志)を観に吉祥寺シアタ―を訪れた。この観劇に誘って頂いたのは日本語教育研究所の理事をされている春原憲一郎さんである。春原さんと初めてお会いしてから、もう何年が経つであろうか。……はじめは確か森岡書店での私の個展か、伴田良輔氏(作家・写真家)との二人展の時だったかと思うが、初めてお会いして直ぐに私は春原さんに対して、「旧知の懐かしい人にようやく出逢えた!」というなんとも熱い不思議な印象を抱き、以来その感覚は変わらずに、豊かなお付き合いは今も続いている。その春原さんは、演出家の鈴木忠志氏の作品をまだ20代の頃から観続けておられ、満を持しての今回の三島由紀夫『サド侯爵夫人』にお誘い頂いたのである。……三島由紀夫の才能の真骨頂は戯曲に尽きるのはもはや自明であるが、その中でも頂点を極めた『サド侯爵夫人』の台詞が持つ「言外の言」の心理描写とその鋭さは圧巻であり、あらためて、戯曲は目で読むものではなく、目と耳(聴覚)で生々しく体感するものである事を実感する。

 

 

 

 

……私たち表現者と、その作品というものが持つ宿命、すなわち淘汰について考えていた。すると私的な感想かもしれないが、私には20世紀の前半を牽引したピカソにもはやかつてのような鮮度や驚きを覚える事はなく、マチス、ダリ、エルンスト……、あのデュシャンさえも、時の経過と共にその澱に包まれ始めているような、そういう印象をふと抱いたのであった。まぁ、言い換えればそれが古典に入っていくという意味なのかもしれないが、否、しかし、という閃きが跳ねるように立って来た。いつまでもその作品群が褪せないばかりか、逆に今日に対して、鮮やかな深いポエジ―を放射している画家が一人だけいる事に気づいたのである。……それがポ―ル・クレーなのであった。クレーの作品は何回観ても、また画集を開いても、そこには初見の驚きと眼の至福感、そして懐かしい既視感があり、そしてそこには、他の画家には比べようもない馥郁たるポエジ―が私達をして、記憶の原初へと誘っていくのである。その秘密に迫るべく彼が遺した書簡集『クレーの手紙』を読んでいると、ある日、公演の開催を告げる1通の案内状がアトリエに届いた。両国シアタ―X公演 勅使川原三郎『忘れっぽい天使 ポ―ル・クレーの手』である。クレーが最晩年に到達した主題は「天使」であったが、その時、クレーの手は筋肉が硬直化して自由な線が描けないという状態にあった。またそこに追い打ちをかけるナチスの迫害。しかしクレーはそれを才能と意志の力を持って凌駕し、「線」というものが持ちうる最高な表現の高みへと飛翔し、奇跡的な達成をなし得たのであった。……勅使川原氏は、クレーの線が持つ生命力に背反をも含む二言論的なベクトルの妙を覚え、自らのダンスメソッドをそこに重ね見たものと思われる。私はさっそく勅使川原氏が主宰しているKARASの橋本さんに連絡して、指定の予約日を早々と入れていた。……それが三島由紀夫『サド侯爵夫人』を観た翌日、15日の公演の最終日であった。会場のシアタ―Xはかつての吉良邸の在った場所、しかもその日は吉良邸襲撃の悲願達成の翌日。会場内に入ると客席は満員、しかも熱心な若い世代の男女が目立つ。私の席は嬉しくも最前列のど真ん中である。……私は拝見していて、クレーの晩年に入り込んだというよりは、クレーを自らの方へ、勅使川原氏は逆に引き込んでいるな、という印象を強く持った。そこに勅使川原氏とクレ―との妙味ある合一を、重ね見た想いがしたのであった。…………美術史の近代の中で例を見れば、ゴヤは聴覚を失う事で、あの暗黒の「妄」が地獄の釜が開くように開示し、マチスは晩年に手の自由がきかなくなってから「切り絵」による更なる開眼を果たし、そしてクレーにも、あの平明にして、その実は悪魔的な両義性を孕んだ、逡巡と強い意志の力が瞬間で揉み合い、一気に迷路の中を疾走していく、あの独自な線への到達がある。…………。さてもアクシデントは時として、不思議としか言い様のない恩寵をもたらすのであろうか。

 

 

 

 

「亡妻よ聴け観世音寺の除夜の鐘」「時計みな合わせて除夜の鐘を待つ」「近づいてはるかなりけり除夜の鐘」………… ちなみに「除夜の鐘」を詠んだ俳句をタブレットで調べてみたら、予想を越えて数千以上の句が出て来て驚いた。いにしえより、この除夜の鐘を聴きながら、今年逝った近しき人を偲び、遠い昔日の両親や先祖を想い、来る年に切なくも小さな夢を託して来たのであろう。……とまれ、風の流れによる鐘の響きの違いで、私達の心情も揺れながら、生の哀しみや尊さをしみじみと除夜の鐘のあの響きは教えてくれるのである。……中国の宋の時代を起源とし、鎌倉時代の禅寺から始まったという、この深淵な除夜の鐘に対して、昨今俄に〈騒音〉と言い始めた近隣の住人が寺を相手に、除夜の鐘を止めるように裁判を起こし、裁判所は「防音装置を付けるように」と判決を下したものの、費用をどちらが負担するかということで、問題は白紙に戻っているという。馬鹿馬鹿しい限りである。また、実質は僅かな数に過ぎない「除夜の鐘を止めろ!」という連中の抗議をマスコミがまた馬鹿馬鹿しくも取り上げるから世間は拡がっていく社会現象のように錯覚し、つまらない広がりを見せている。……私に言わせれば、この裁判長はかなり頭が悪いと思えて仕方がない。防音装置などという馬鹿な出費を労さずとも、100円ショップで売っている「耳栓」を、その神経過敏な、風情、情緒、伝統の奥深さを解せない連中に渡し、そんなに耐えられないならば(しかし、何ゆえ今、突然言い出したのか!?)、鐘が鳴り終わるまでの、たった二時間くらい耳栓を突っ込んで布団を被って寝ていろ!!と判決を下す方が具体的に理にかなっていよう。……私は以前にスペインのバルセロナに留学した際に、恐らく深夜も騒音が凄いだろうと読んで、日本から「耳栓」を持って行ったのであるが、この読みがピタリと当たり、バルセロナの、日本人だけを留まらせるホテルで、私だけが安眠快適に毎晩過ごし、他の泊まり客から羨ましがられたのを今、懐かしく思い出している。……その、「除夜の鐘を廃止しろ!」と訴えた連中とピタリと重なる俳句があるので、ここに書こう。

 

「おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘」 山口青邨

 

 

……ことほど左様に、昨今の日本は、自我の確立が未熟なままに「個人情報」云々という張りぼてがヨロヨロと横行した辺りから、妙にギスギスした窮屈な国へと更に劣化の道をひた走っているように思われる。……今年の9月に列島を襲った猛烈な台風(もはやハリケ―ン)が残した爪痕の深さが癒えぬまま、おそらく来年は更なる凄みを増した台風や、或いはいよいよの地震が、この国を容赦なく砕き始める、そんな事態が待ち受けているように思われる。この事は実は誰もが感じている事ではあるが、そのような時に始まるオリンピックは、もはや幕末の「ええじゃないか」と同じ不気味な狂態の再来である。……ともあれ、かく言う私の言葉が杞憂に終わる事を今は乞い願うのみである。大晦日の夜は私が住んでいる横浜は、除夜の鐘と共に横浜港に停泊中の船が年越しの前後に一斉に汽笛を鳴らして誠に情緒深いものがあり、年越しのそれは、またとない楽しみなのである。…………1年間のご愛読に感謝しつつ、今年のメッセ―ジはひとまず今回で終わります。……年明けの2020年1月に、またお会いしましょう。どうぞ、よいお年をお迎え下さい。

 

 

 

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『桜島を見ながら考えた事』

個展で滞在中の鹿児島のホテルで、夜中にテレビを観ていたら、オリンピックというものに対する欧米人の生な意見が紹介されていて、なるほど!と思った。……彼等の意見の主たるものは「自分の知らない人間が自分より高く跳んでも、早く走っても、それについての関心はほとんど無い。それがどうした!?」というのである。個人の自覚が成熟している故のこの醒めた意見、ちなみに私も全く同感である。海外のオリンピック関連報道で熱く流されるのは、実は番組成立の為に一部の人間を誇張し構成して流しているにすぎず、その実質は冷やかに醒めているのが実態であり、オリンピックよりも、むしろ普段のサッカーや野球の方がまだ熱いらしい。……大河ドラマの『いだてん』が全く人気がなく、悲惨な低視聴率に陥っているのをみると、昔の東京オリンピック時と違い、この国の民もオリンピックなるものの裏の実態が浸透して見えて来て、「スポ―ツ」という名の裏側に貼り付く、ごく一部の企業や人間に利権が集中していくという金まみれの汚れ具合に辟易として来ているのかと思われる。……先だっての台風の被害に遭われた長野、福島……の未だ絶望的な状況にある人達、また地震の被災の爪痕が未だに残っている人達への復興支援金に、オリンピックや桜うんぬんの結局は膨大な湯水と変してしまう膨大な予算を使う方が、税金がまだいくらかは活かされるというものである。

 

 

 

 

……さて、鹿児島のレトロフトMuseoでの個展であるが、1週間の滞在中、画廊には、まるで会社の面接試験のように次々と人が来られて、かなり忙しい日々であった。私の名前は知っていても、遠方ゆえに作品を実際に観るのは初めてという方がけっこうおられて、2回目(3年ぶり)の今回の個展、実現して本当に良かったと思う。画廊の永井さんご夫妻も会場におられる事が多く、ご夫妻を通じて私はこの短い期間に、個性的な、いろいろな方と知り合う事が出来た。その中でも印象深いのは、編集者のH氏である。氏は、文芸誌『新潮』にかつて掲載された私の『停止する永遠の正午―カダケス』という、ダリ・ピカソ・デュシャンに纏わる、謎の多いカダケスという土地を主題にした美術紀行文を読んでいらい私に興味があったらしく、私の個展が地元の鹿児島で開催されるというのを知って楽しみに来られた由。さすがにH氏は編集者である。実に博識であり、私もまた話をしていて面白く、三時間ばかりを氏との尽きない話題の展開に終始した。……沢尻エリカがスペイン滞在時にカダケスにいたとやらで、カダケスの名を久しぶりにテレビで聴いたが、H氏にぜひそのカダケスに行かれる事をお薦めして私達は別れた。……また調香師のYさんという方が来られたので、私は、その香を炊いて嗅ぐと、死者が現れるという『反魂香』を実は長年探していると言うと、Yさんの眼が一瞬鋭く光った。「お主、反魂香の事を知っているのか!!」という、まるで京の朱雀門辺りで陰陽師同士が出逢ったような印象を私は持った。Yさんの言に拠ると『反魂香』は確かに実在するし、調合の秘伝の割合も知っているが、反魂香だけは、絶対に手を出してはいけない、云わば禁忌の香であるという。……私はますます興味が湧いて来たのであった。会いたい死者が現れるという、その『反魂香』。もし樋口一葉が現れるならば、私はぜひ、この禁忌なる香を入手したいものである。

 

……画廊のレトロフトは11時に開くので、その前の時間をみて、鹿児島市美術館に行き、念願だった香月泰男の名作『桜島』を観た。香月は実に絵が上手い。上手いという字より、巧いの方がむしろ合っていようか。(画像を掲載したのでご覧頂きたい)。……桜島を描いた画家は多いが、わけても黒田清輝の『噴火する桜島』のリアルな描写は秀逸であるが、香月泰男の『桜島』は、モダニズムの視点から見てもその上を行っていると私は思う。桜島に、今一つの象徴性が加わって、絵は観照としての深みを帯びて観る人に迫ってくるのである。「油彩画で画かれた水墨画」という形容をこの絵に賛した人がいるが、まぁ当たっているかと思う。画面下段、右側の桜島の煙の描写は嫌らしいまでに巧みであり、表現としての「殺し文句」を帯びてなおも深い。……また、画面左下の黒の描写と、描かない余白の釣り合いが絶妙で、私は他に観客のいない午前の部屋で、香月の画面と対峙しながら、その余白の幾つかの位置に指を重ねて、描いている時の香月の心境を重ね視た。それから画面上部の実に美しいマチエ―ルに、例えばゴヤの、砂に埋もれる犬を描いた名作『犬』の上部空間の実に密度の深いマチエ―ルを重ね視た。……ダリやルドンなどの西洋の作品も観ながら、およそ一時間ばかりを美術館で過ごし、隣接して在る「かごしま文学館」で開催中の向田邦子展を観た。以前のブログでも書いたが、或る深夜に、演出家で作家の盟友・久世光彦さんと向田さんは、この世に在る様々な死に方の名前をつらつらと思い浮かべて挙げるという言葉遊びにふけっていた。……最後に久世さんが向田さんに、「では君の望む死に方は何か!?」と問うと、向田さんはすかさず「爆死!!」と即答した。果たしてその通りに、数年後、直木賞受賞後の絶頂期に、台湾上空で、飛行機は原因不明の爆発を起こし、向田さんは7000m上空で一瞬で散った。……恐ろしくも、実に見事な予言である。……個展が終了した翌日、飛行機は夕方の便なので、朝早くにホテルからタクシ―に乗り、西南の役で西郷隆盛が入っていたという城山に現存する洞窟を見に行き、政府軍の総攻撃が始まった時にその洞窟を出て、更に下り、腹部に被弾した現場、西郷自刃の現場を経て、更に歩き、西郷隆盛ほか、薩摩軍の兵士達が眠る南洲墓地、そして、西南の役の資料が展示されている記念館を訪れた。……館長としばらくお話をして、疑問に思っている幾つかの歴史的な闇の不明点を尋ね、知りたかった疑問は氷解したのであった。……かくして8日間に渡る鹿児島の滞在は終わり、永井さんご夫妻をはじめ、様々な方とお会いした思い出を胸に、私は機上の人となり一路、東京へと帰ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『老婆に生々しさを覚えた夜』

……今から数年前の或る夜の事。私はアトリエの近くにある図書館で『豊田佐吉』の伝記本を読んでいた。20時を過ぎていたので人の姿もまばらであった。…………豊田佐吉の挫けない、豊田式木製人力織機開発へのめげない努力。この根性、私も学ばねば……と胸に誓ったその時、いつから私の背後の席にいたのか、まるでゴヤの黒い絵の『妄』のシリ―ズにでも出て来そうな3人の老婆達の会話が突然聞こえて来た。いずれもダミ声の、何かが喉の奧に詰まったような低い声である。「気候が年々おかしくなり、人間同士の関係も何だか殺伐だよ~」「昔が良かった、ホント昔が良かったよ!!」……と会話が続いたその後であった。「こうなったら、あれだね。いっそ早く逝った方が逃げ得かもよ~」と1人の老婆が喋ったのと同時に、別の2人の老婆が「確かにね~!」と強く賛同し、その直後に弾けたようなダミ声の高笑いとなり、それが図書館の床を伝い這って、私の足下から背中に廻り、一気に首筋に回って、ぞぞ~っとした生々しい寒気を覚えたのであった。私が驚いたのは、老婆というものに抱いていたイメ―ジが、その時に崩れたからであった。老いの為に、この世を視る眼ももっとぼんやりと霞んでおり、世時の事も何もかも関心が薄くなり、ひたすら昔の懐古の事にばかり行っているものと思っていたのが、さにあらず、当然と言えば当然なまでに、老婆達もまた「今」を生々しく直視していたのであった。「逃げ得かぁ、まぁ確かにそういう見方もあり得るな」。……その時から数年が更に経ち、老婆達が語っていた気象は更に狂いを呈し、もはや愛でる四季の風情も私達の前から消え去ってしまった。恐らく、その時の老婆達も、あれから願い通りに逝ってしまったかと思われる。……「逃げ得」、……私の頭の中にその言葉だけが今もしっかりと残っているのである。

 

 

 

 

……少し遅きに失した感があるが、最近、スマホの危険性が漸く指摘されるようになって来た。確かに、電車に乗るとほとんどの乗客が、まるで位牌を手に持つようにスマホに眼がくぎ付けである。そのスマホへの異常とも映る画一的な熱中の様は明らかに異常な姿であり、それは脳の病める依存症の不気味な映しであるが、次々に飛び込んでくる情報(その殆んどが実は全く知る価値の無い)に遅れまいと、若者達は総じて、自分に似た、ボンヤリとした幻想の友をそこに求めて、切実なまでに繋がっていたいのであろう。ONを押せば、便利で、すぐに現れる内実の虚しい幻を求めて。更にはゲ―ムに没頭し、肩や眉間を歪ませてカチカチと指先を突き刺すその様は明らかに歪んだ神経症のそれである。……しかし若者の世代はもはや処置無しであり、パチンコや喫煙の底無しの沼と同じく、また環境破壊による自然界の容赦なき猛威が呼び起こす終末感とリンクして、ますますパラレルに重症化していくのは必至であるが、問題は、情けなくも若者達と同じようにスマホに集中している、頭が白くなり加齢臭さえ漂っているオヤジ達である。その姿は情けなさの窮まりであるが、私はこのオヤジ達が繋がろうと必死に指を突っついている、その先が何であるのかを、……ふと想う。……若者達が追うのは、合わせ鏡の所詮は覇気なき自分のコピ―のような映しであるが、問題はオヤジ達の繋がろうとしている、その先である。彼等が繋がろうとしているその先は、……ひょっとして、………………あの世か!????

 

 

晩秋になると、薄墨色で刷られた「喪中につき……」の葉書が届くこの頃は、夕暮れに閉ざされた哀しみの季節である。今年もまた私の大切な友が逝き、肉親も逝った。しかし、彼の世とこの世は一本の地続きと考えている私は、住所録や携帯電話に在る、彼ら逝った人達の名前も電話番号も消さないでいる。ふと何かの間違いでかかって来るのではないか、或いは試しに電話をすると、何かの弾みで彼らと声が繋がるのではないか……そういう想いが私にはあるのである。……だからその内、私の携帯電話の記録は、生者の数を越えて、死者達の名前でいっぱいになるであろう。

 

 

死を目前に迎えた時、殆んどの人が恐怖や絶望感、或いは不条理感を覚えるのは致し方のない事かと思われる。そして死には、晩秋の風が落葉を吹き散らしていくような哀しみが付きまとう。……さて、では、死を目前に迎えて、そこに凛と飛び込んで哀しみの欠片もなく、堂々と逝った人物はいなかったかと、歴史の中に追ってみると何人かの名前が浮かんで来た。……その筆頭に先ず浮かんだのは、光秀の謀叛にあって本能寺で死んだ織田信長である。予期しなかった光秀の謀叛に遭い、天下統一を目前にしてさぞや無念……と想うのは凡人のひ弱な想像であり、この非凡にして、中世の扉を押し開いた稀人は、「是非も無し!!」の言葉を残して燃え盛る炎の中に鮮やかに消えた。この信長は、来世や輪廻など無く、生は一回限りであると断じ、無神論そのままに激烈に生きた男である。……そして今一人は、ご存じ大石内蔵助である。「あら楽(たのし)や/思いは果つる/身は捨つる/浮世の月に/かかる雲なし」……吉良の首を討って本懐を遂げ、真の目的である幕府に刃の切っ先を突き付けて判断の窮地に追い込んだ大石が詠んだ辞世の句は、後世への意地もあるかと思うが、その表に於いて実に清々しいものがある。……そして幕末から明治にかけて大業を果たした勝麟太郎。この鋭い慧眼の男が、死の床において語った人生最後の言葉をご存知であろうか?……驚くなかれ、「これで、おしまい!」がそれであり、最後まで人をくっていて面白い。勝は十代の若年時から向島の寺で禅の修行に入り、自分という存在に対する執着を脱け出し、来るべき死に対して超然とする腹が座っていた。……織田信長、大石内蔵助、そして勝麟太郎(海舟)。……この三人に共通するのは、自分が運命として与えられた、苛烈にして非凡な人生に於いて果たし得た達成感が、それであるかと思う。達成感、……人生の最期に於いて、その心境に入れる者はまさに稀人である。

 

 

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『一葉に恋して・本郷編』

先日まで開催していた高島屋の個展に、映画の企画をされている成田尚哉さんが来られて、24歳の若さで逝った、日本初の女流作家・樋口一葉の映画化に触手が動いて来た旨を話された。……7月頃のブログに書いたが、アトリエに成田さんが来られた際に、樋口一葉を、従来の文芸ではなくミステリ―の角度から現代の切り口で立ち上げると間違いなく面白い作品が出来ますよ!……と私は話して、劇画家の上村一夫の『一葉裏日誌』を渡していたのだが、持ち帰って読まれて、次第に企画者の視点から一葉の多面的な面白さ、捕らえ難さが浮かび上がって来たようで、私は嬉しかった。

 

 

 

11月20日の11時に、丸の内線『本郷三丁目』駅で、私は成田さんと待ち合わせて、ある方向へと歩き出した。成田さんに「これから何処に行こうとしているかわかりますか?」と話すと、成田さんは「本郷菊冨士ホテル跡か、樋口一葉の旧居跡!」と言われた。その通りで、私はこれから成田さんを連れて、本郷の坂の下、さらにその坂の下にある、作家を志し始めた頃に母親と妹の邦子と住んでいた頃の井戸が今に残る旧居跡(画像参照)、その石段上に住んでいた金田一京助(石川啄木も頻繁に訪れた)旧居跡、その傍に在った、樋口一葉が金銭的に追い詰められ、意を決して「秋月」という変名で接近した怪しい相場師・久佐賀義孝の旧居跡、一葉がその短い晩年まで通った質屋『伊勢屋』(そのままの姿で遺構が残っている)、一葉が死んだ年に生まれた宮澤賢治が上京して一時期住んだ旧居跡、……等を歩きながら、私は一葉という謎多き天才の魅力について語り、その後に老舗の鰻屋『鮒兼』に入って、嬉しくも成田さんの奢りで鰻重、肝焼き、ビ―ルを頂きながら、なおも語った。……一葉が書き遺した日記(14歳からの)は膨大な頁になるが、その数頁が一葉によって何故か意図的に破られている。また、晩年に樋口一葉宅を多くの文学青年達が慕って訪れ、その光景と彼らの人物像を一葉は詳細に描いているのであるが、何故か、その青年達に交じって訪れていた若き日の泉鏡花については全く触れていない。しかし、敏感な一葉は、只者ではなく、一葉の美を継ぐように文学空間を拓いていく鏡花には、一際覚えるものがあった筈で、その鏡花からの視点も映画の中に取り入れていくと、謎は深まりを見せる筈…………などなど語りながら、そのまま私達は、いま本郷三丁目のギャラリ―884で開催中の私の個展会場へと向かったのであった。今回の個展では、なかなか展示する機会のなかった銅版画作品(10点)をメインに、オブジェ(9点)、コラ―ジュ(9点)、写真(3点)、併せて31点を展示中。会期は今月の30日迄であるが、本展が東京での今年最後の個展になる。……連日多くの方が来られて賑わいを見せているが、近年の中でも最も完成度の高い作品が展示されている今回の個展、ぜひご覧頂けると有り難いのである。

 

 

 

北川健次個展『黒の廻廊―〈切り取られた〉光の記憶』

会期:11月12日~11月30日 11時~18時30分

〈月曜休み・最終日は4時まで〉

会場:ア―トギャラリ―884

東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884 お茶の水ビル1F

TEL03―5615―8843

 

 

 

 

 

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『大規模な個展終了、そして次へ……』

やく3週間の長きに渡って開催された日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展が先日、盛況のうちに終了した。今回で12回目になるが、夏にアトリエに来られて「出品作品全てが、今までで最も高い完成度を示している」と分析された、美術部の福田朋秋さんの予見通り、個展初日のオ―プンと同時にコレクタ―の人達が次々に来られ、また、美術館も運営され、私の作品と3年前に出会って以来、既に50点以上収蔵されているS氏が、秘書の方と共に来廊され、今回も鋭い直感力と眼識を持ってたちまちの内に作品が選ばれていき、初日の午前の2時間だけで早くも10点以上の作品が、その人達のコレクションに入っていった。それが幕開けとなって、会期中に都内、また遠方の各地からも、連日数多くの方が来られ会場は賑わった。そして、この賑わいは年毎に高まりを見せている。……私は、「作品の作者は二人いる」という考えを強固に持っている。その一人は、まぎれもなく作品を立ち上げた私。そしていま一人は、それをコレクションし、日毎に様々なイメ―ジを組み立て、長い年月をかけて、その作品と対話していくコレクタ―の人達である。コレクションするという行為はまさしく創造行為であり、特に私の作品をコレクションされている人達は、その意識の高みが高く、美意識が強いという感想を、私は経験的に抱いている。作品とは本質的に匿名であり、故に作品を観て、またコレクションに何れを決めるか!……と考えている時の、会場でのその人達が放つ「気」は真剣そのものであり、鋭い空気が会場に充ちている。作品の前で、いま彼らは自身の観照の意識と向き合って対峙している!……会場にいて、私が最も手応えを覚えるのは、まさにこの瞬間なのである。

 

…………かくして、3週間が過ぎ、個展最終日がやって来た。毎日会場にいる私の疲労も、さすがにピ―クを迎え、最終日は静かな終わり方をすると思っていた。…………午前中から画廊の奥の小部屋では、私の次に開催される個展『現代美術の室礼―村山秀紀の見立て』で特別上映される映像インスタレ―ション『糸口心中』の為の器械設置で、美術家の束芋さんが設営準備に取り組んでいる。そして、個展をされる、我が国の表具師の第一人者である村山秀紀さんが、照明などの事で美術部の人と奥で打ち合わせをされている。……村山さんと「見立て」についての話をし、意見が一致する。どの表現の道も詰まる所の着地点と、その深度は同じなのである。ただ、多くの表現者たちがそれに気づかず、狭い概念を安易になぞっているだけである。……個展最終日も夕方に近づいた頃に、写真家として私が最も尊敬している川田喜久治さんが来られた。川田さんが笑みを浮かべながら私にA3大の硬いカルトンに入ったものを渡された。開けて見ると、昨年の個展の際に私を被写体として背景にオブジェを配した、私のポ―トレ―トを厚い和紙にプリントした貴重な作品である。裏面には川田さんのサインが書かれており、氏の代表作に加え、私はまた一点、貴重な作品を川田さんから頂いたのであった。暫く歓談されて川田さんは帰られた。そして画廊にまた静寂が訪れたと思ったのも束の間、個展最終日を知って訪れた人達で会場が再び人群れで埋まった。……その中に、私は一人の人物(しかし、最もお会いしたかった人の一人)が来られているのを見つけ、熱いものが込み上げた。……アメリカの美術界でもその名は知られる存在であり、私のオブジェを絶賛したクリストやホックニ―とも親しいコレクタ―のW氏が、昨年に続き来廊されたのである。話を伺うと、先ほど成田に着かれ、その足で私の個展に直行された由。……さっそく、展示作品の中から鋭い直感力で、たちまちの内にコレクションの数々が選ばれていった。……かくして、美術画廊Xでの個展は終了した。……来年の会期も早々と決まり、私は福田朋秋さんに、来年秋の個展のタイトルを書いた紙をそっとお見せした。生き急ぐ私は、もう次を見据えているのである。そのタイトルはまだ秘密であるが、次の個展では、更なる展開と実験的な拡がりを暗示すると思われるそのタイトルを見て、福田さんはすぐに私の秘めた意図を了解された。

 

…………11月12日~30日迄は本郷のギャラリ―884で、そして12月6日~11日迄は鹿児島の画廊レトロフトで3年ぶりの個展が開催され、今年の私の表立った活動は終わる。しかし、私の頭の中では、来春刊行予定の初の詩集の為の構想がじわじわと沸き上がっており、またオブジェの新たな領土への模索が既に始まっているのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『近代の呪縛―岸田劉生』

私のアトリエはガラス張りなので、制作をしている姿が外から丸見えである。云わば、人間動物園。非日常的な感のこのアトリエの中が珍しいのか、度々人が眺めながら歩いて行く。先日の暗くなった夕方には、小学生らしき小さな女の子が扉のガラスの前に立って真剣にアトリエの中を覗いていたのには一瞬ゾッとした。まるで〈座敷わらし〉のような雰囲気で立っていたのである。見ると、その暗がりの横に父親とおぼしき人が並んで立っており、気がついた私に、娘に代わってという感じで頭を下げていた。…時には散歩中の犬さえも意識して眺めながら去って行く。犬は確かに何かを考えているようだ。……駅に行く近道の路地裏に在るので、朝の8時頃は、皆が同じ方角に急ぐ姿と、その横顔がガラス越しに見える。……確か、石川啄木の短歌に似た光景を詠んだのがあったなと思い、歌集を開くと果たしてあった。「人がみな/同じ方角に向いて行く/それを横より見ている心。 啄木」   実景の描写というより、予定調和的で画一的な社会の型にはまっていく近代人への批判を込めた、覇気強し人―啄木の骨頂の歌か。……また、昼下がりに、制作の手を止めてぼんやりとガラス越しに外を眺めていると、左右から見知らぬ男女がすれ違う一瞬が、ふと見える時があり、そんな時には妄想が膨らんで、天才歌人―春日井建の歌を思い出す。……「行き交へる/男女が一瞬かさなれる/はかなき情死をうつす硝子戸」

 

 

先日、東京駅のステ―ションギャラリ―に『岸田劉生展』を観に行った。劉生の絵は度々観ているが、今回はどうしても観たい作品が出品されているので、制作の合間を縫って駆けつけたのである。それは劉生の代表作であり、日本近代絵画の頂点に立つ作品とも云える『道路と土手と塀(切通乃写生)』を側面から描いた作品がある事は知っていたが、それが今回、並んで展示されているというのである。岸田劉生のその絵の描かれた現場は以前に取材の仕事を兼ねて見に行った事があった。きっかけを作ってくれたのは雑誌『東京人』であった。ある日、『東京人』の編集部から突然電話がかかって来て「東京都内にまだ残っているらしき、近代絵画の作品が描かれた現場に行って感じた事を何か書いてほしい」という内容であった。「しかし具体的に何処か、ありますか?」と訊くので、その場で「劉生の代表作―切通乃写生の現場が確か在ると想うので、それを書きますよ。」と約束して電話を切った。……切った後で、しかし、描かれた現場は代々木であったのは記憶にあったが、その頃は今と違い、ネットも無ければスマホも無い頃であったので、はたして……と考えた。……しかし、岸田劉生研究の第一人者は冨山秀男さんである事は知識として知っていたので、104で調べて、当時、館長をされていた京都国立近代美術館にアポ無しで電話をすると、運よく出勤の日で、直ぐに電話に出てこられた。ちなみに私は冨山さんとは一面識も無い。……しかし名前を告げると、冨山さんは私の事を知っていたのには驚いた。以前に東京国立近代美術館で開催された『東京国際版画ビエンナ―レ展』に出品していた私の作品が記憶にあり、名前も覚えていてくれたのであった。おかげで話はトントンと進み、渋谷から現場迄の具体的な道順、詳しい住所を冨山さんは実に親切に教えてくれた。劉生に関する私の考え―高槁由一の遺伝子として劉生は在るという事、また、京都に移ってからの劉生の性急な失墜について私見を語ると冨山さんは興味を持たれ、暫く電話口で語り合った。……さて、その劉生展であるが、やはり麗子を描いた一点と、『切通乃写生』の完成度の高さとその強度は、何回観ても素晴らしい。そして、その横に、今回観たいと思っていた、その現場を真横の遠望から描いた作品が在り、私はその二点を比較した。『切通乃写生』を名作たらしめているのは、人とも電柱の影とも見える、画面を斜めに走る暗い影の存在である。この影の存在が、画面に不穏な気配と謎を作り上げ、観る人の想像力を煽るのである。……作品として近似値的に近い作品を何か挙げろと云われれば、私は躊躇なくキリコの『通りの神秘と憂愁』に指を折る。「影の詩学」という点に於いて、劉生とキリコの各々の作品は合わせ鏡的に似ていると私は想うのである。……しかし、その絵を見ると、影は明らかな電柱のそれであった。物象を物象として描きながら、そこにふと立ち上がる強度な何物かの存在、……それは自らを御し難く生きた劉生の突き上げるアニマの映しであったと私は思っている。……冨山さんに教わった通りに行くと、童謡「春の小川」のモチ―フになった現場跡があり、更に行き、緩い坂を下って振り返ると、そこが『切通乃写生』が描かれた現場であり、それを示す木碑が立っている。左側の塀は今は、秀和レジデンスのマンションであり、高みに描かれていた蒼穹の空は今は澱んで跡形も無い。……名作は、その時代を如実に刻印しながら尚も普遍に生きるものである。……劉生の言葉にあるように「いい画は皆、永遠の間に、夢の様にふっと浮かんでいる。」のである。

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の5月に個展を開いた、銀座の画廊香月西村陽平展『花の骨』が開催されている。5月の個展の時に西村さんが打ち合わせで画廊に来られた際に私は初めてお会いしたのであるが、それ以来、私はこの西村さんの個展を楽しみにしており、満を持して初日に伺ったのである。……「書物を骨として、炎の中で今し物語が開く」、会場の中でこの言葉が直ぐに立ち上がった。1000度以上の高温の加虐的な熱波を浴びて、書物に記されていた言葉は溶けて、開かれた危うい骨の結晶と化し、語り得ぬオブジェが、「客体」のその原初の姿を露にする。……西村さん、そして画廊香月のオ―ナ―香月人美さんがおられたので、すぐに西村陽平さんとの二人展の企画が立ち上がった。私のオブジェと西村さんのオブジェには危うい接点があるのを私は直感した。それは硬質なマチエ―ルと、その反美学とのアクロバティックな共存である。イタリアの写真家セルジオ・マリア・カラト―ニさんとの二人展の話もギャラリ―サンカイビのオ―ナ―の平田さんの企画で進んでいるが、時として、芯のある独自な表現世界を展開している方との、良い意味での競作展は、別な創造の引き出しを拓いてくれる生産的な切磋があるものである。……とまれ、西村陽平さんのこの展覧会は、私がいま一番に推すものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『……夏の終わりに』

8月に亡くなった兄の納骨のために福井に帰った。……生前に兄と電話で、私達の本当の「終の住処(ついのすみか)」とは何か、について話した事がある。ここで云う終の住処とは、普通に云う「最期を迎える時まで生活する住まい」の事ではなく、死までも含む私達の個々の存在した最終形を云う。私はそれは「永遠の忘却」だと云うと、兄は激しく否定して、あくまでも形ある墓がそれであると云った。兄弟とはいえ、かくも違う事は面白い。私は、この世は全て幻影(イリュ―ジョン)で構築された劇場だと思っており、故に切なく、故に美しいのだと思っている。しかし、兄は形ある墓に意味を見ていたので、私は兄に合わせるべく納骨に立ち会った。台風が近づいているために関東は雷雨であったが、北陸のこの地は逆に異常に暑い日であった。参列者の珠のような汗が乾いた墓石の上に落ちていった。……翌日、まだ新幹線までの時間があったので、知る人ぞ知る奇景の「丹厳洞」を見に行った。江戸時代の医師、山本瑞庵という人の別邸であるが、橋本左内ら倒幕の志士達が密談を交わした場所であり、漢詩の世界のような、絶対静寂の不思議な池に鯉が泳ぎ、今は料亭になっている所である。……かくして横浜に戻ると、過去に類のない激しさを持った台風一過の惨状を目の当たりにする事となった。近年、太平洋の海水温が更に上がり、日本の台風もアメリカ並みのハリケーンのような凄みを呈して来ているようである。とまれ、もはや私達の知る四季の姿は消え去ったようである。

 

激しい雨の中をぬって、旧知の友人で、優れた映画の企画を何本も立ち上げている成田尚哉さんがアトリエに来られた。成田さんは企画の仕事と並行してミクストメディアのコラ―ジュを作り画廊で発表しているのであるが、9月27日から下北沢の画廊で始まる個展の事で相談があるようである。大粒のシャインマスカットとピオ―ネをお土産に二房も持って来られ、近くの蕎麦屋でご馳走になりながら、個展の話を伺った。成田さんは元々の感性の良さに、映画の仕事で培って来た確かな美意識が相乗して独自な表現の世界を築いている人なので、話をしていて実に愉しい。……個展の事から話題が移り、私は成田さんに、ぜひ映画の企画で「樋口一葉」を一本撮って欲しいと提案した。樋口一葉は皆その名前と、「たけくらべ」などの名作の作者、死の直前に文壇で脚光を浴びながらも極貧の中、24歳で結核で亡くなった事……などを漠然とイメ―ジとして持っているが、詳しい事を知る人は意外に少ない。……しかし、この樋口一葉という女性、関連書を読んで知れば知るほど、井戸の底は底無しのそれと化し、生前に交わった人達が語るそのイメ―ジは、その数だけ明暗に分かれる違う顔を持った、多彩な仮面の顔とニヒリズムの持ち主で、調べるほどに興味が尽きない。紫式部や清少納言の再来として、かの森鴎外や幸田露伴達から絶賛された紛れもない天才であるが、別面、闇深い謎を多分に孕んだまま逝った「逃げ水」や「影踏み」のイメ―ジが濃い樋口一葉。成田さんは最近は文芸路線からは少し離れているが、この樋口一葉を唯の文芸路線でなく、終りなき謎を孕んだ妖しいミステリ―として仕上げれば、必ず名作になること請け合いであるが、果たして、成田さんは動かれるや否や!?……帰り際に今一度私はアトリエに戻り、上村一夫が樋口一葉を描いた劇画『一葉・裏日誌』をお渡しした。『夢二』、『人喰い』、『修羅雪姫』、『上海異人館』、『菊坂ホテル』……数々の名作の中で女性の妖しさと謎を追い求めて来た上村一夫が、死の直前に主題として最期に辿り着いたのが「樋口一葉」という謎めいた人物であった。上村一夫は、おそらく気づいていたのであろう。この一葉という人物が抱えていた底無しの妖しさと情念を……。成田さんから、ならばいっそ北川さんが一葉の脚本を書きませんか!?と言われ、一瞬その気になったが、次第に近づいた10月16日から始まる高島屋での個展の制作の追い込みと、来年に企画での出版の話を頂いている、最初にして最後の詩集を全力で書かねばならないので、残念ながらそちらに没頭しなければならない。……ここはぜひ成田さんの感性が、樋口一葉に向かうのを乞うばかりである。

 

 

 

 

 

 

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『戦艦大和―後日譚』

……私は三人兄弟の末っ子である。昨年の冬に長兄が急逝し、数日前に次兄が逝った。流れからみると来年は私の番かと思い、指折り数えて眼を閉じてみる。しかし、先日届いた健康診断の結果は、血管年齢が20才も若く、意外にも全ての数値が優良であった。2年前からジムに通い出したのであるが、筋肉を鍛える事で免疫力がアップし、常食の黒ニンニク、蜂蜜、もろみ酢……が効いているのかとも思われる。……2才の時に肺の病気で危篤の手前まで死にかけた事があり、以後も私は病弱で、毎朝、病院に寄ってから学校に行くという日々であったが、予測に反して夭折もせず、とりあえずはまだ現し世にいるようである。比較文化論が専門の四方田犬彦氏などは私の事を書いたテクストの中で、「北川健次はどうやら夭折の機会を逃がしてしまったようである。」と書いているくらいであるから、周囲の人の多くは私が早く逝くのが相応しいと思っているようであるが、意外にもまだ暫くは……のようである。さて、二人の兄が亡くなった事で、……家族とは何か?……兄弟という、この縁ある身近な人達とは何かをふと考えてみたくなり、アトリエの奥にしまってあった古いアルバムを開いてみた。……そこには逝った二人の兄の幼い時の姿があり、母がいて、父がいた。もちろん未成熟な私もそこにいる。(そして皆が笑っている。)…………写真とはつくづく不思議な物だと思う。一瞬で永劫忘却へと流れ逝く時間を瞬間で停止させ、その「時」を焼き付け、セピア色へと変色はしていくが、それでも回想するには充分な情報が刻印され、遂にはポエジ―やノスタルジアへの変奏と化していく魔法の装置―写真。……そのアルバムの中の写真を久しぶりに見た事で、私は久しぶりに父と再会した。今回のメッセ―ジは、少しくその父について書こうと思う。

 

……多くの人がそうであるかと思うが、私もまた、父の人生の細かい足跡は知らないままに、父は逝ってしまった。故に切れ切れに聴いた記憶を拙く結ぶ事しか、父の輪郭を映し出すその術はない。……父は長男であったが家督相続の権利よりも自由な人生の方を選び、10代の後半から東京に行き、ギリギリで崩壊する前の浅草凌雲閣を目撃し、戒厳令を潜って2.26事件の現場にも現れた。……最後は銀行員という固い職業で終わったが、父から聴いた話では東京で西洋料理を修行し、またネクタイの行商人もやったりと、……幾つかの職を転々としたようである。その話を裏付けるように、ステ―キやすき焼きだけは母ではなくて決まって父が料理する事になっており、子供心にもその味は確かにプロ級であった。行商人時代にたまたま尼崎に行った時にカフェの女給をしていた女性(つまり私の母)と知り合い、私ども兄弟が生まれたのだという。この時代は職を転々とする時代でもあったのか、例えば、江戸川乱歩などは、浅草の浮浪者、本屋の店主、下宿館の経営など約20近い職を転々として、それが後の「怪人二十面相」の発想執筆に結び付いていく、そういうゆらゆらした、ゆっくりとした時間が怪しく流れる良き時代であったように思われる。……父は「長崎の鐘」などで知られる詩人で作詞家のサトウハチロ―が隣家であった事から仲が良く、よく一緒に遊び廻ったようである。サトウハチロ―と言えば破天荒の代名詞のような人物であるから、案外、奥浅草か三ノ輪辺りに、私の知らない兄弟か姉妹がいる可能性も少しある。……父は戦争が始まる少し前から日本は必ず負けると予見し、犬死にしない為にその方法を考え、猛勉強をして造船の技術師へと変身した。よくまぁ転々と変われるものだと感心するが、短期間で変われるその能力には、息子の私は脱帽するしかない。そう言えば、両親は日本各地(長崎・佐世保・呉・尾道・横須賀……)を転々としているが何れも造船所のある街であり、アルバムには「日立造船」の名前が度々現れている。技師になれば戦争で外地に引っ張られる可能性は薄いと分析したらしく、またその読みは当たった。

 

……まだ私が小学生の頃に、父は私に呉という街にいた時に呉海軍工厰という所に入り、「戦艦大和」を造ったという話をした事があり、幼かった私を驚かせた事があった。父は病弱な私と違い肩幅のある長身の筋肉質であったが、大和は更にその「強さ」を拡大した、子供における大いなる憧れであり、幻影として映っていた。病弱であった私は興奮しながら、自分の中に潜在している強さを何とか引き出すような気持ちで熱心に話の続きを聴いた。とてつもなく巨大な板の囲いがあり、外部からは全く見えない中で大和の造船は続いていったという。……「大和のどの部分を造っていたのか?」と熱く問う私に父は「艦橋のエレベ―タ―」の辺りを主に造っていたと言ったのが、それがその後も、父の善き強いイメ―ジと重なって、記憶の中に強く残った。

 

……父が亡くなって10年ばかりが経ったある夏の日、私は神田神保町の書泉グランデの4階にいて、花や水晶の図鑑を見ていた。その先のカウンタ―に「丸」という戦争に関するマニアックな本がふと見えた。……見ると「戦艦大和特集」の文字が見えたので、ふと手に取って読み始めた。その中に大和を攻撃したアメリカの戦闘機カ―チスSB2Cヘルダイバ―のパイロットの証言インタビュ―が載っていた。いつにない珍しい側からの証言だなと興味を覚え、更に読んでいった。……そのパイロットいわく「驚いた事に、大和があんなに脆いとは思わなかった。」更に続けていわく、「一番最初に火を噴いたのは、艦橋のエレベ―タ―の所だった!!」。……私の目はここで止まった。昔、父が自慢げに話し、息子の私が「おお!」と熱く聴いた、その箇所から、どうも大和が崩れ去っていったという事を、そのパイロットは語っている。……瞬間、私の中で何かが崩れ去っていくのを、その夏の日の時に私は感じた。「いっそ、知らずにいたかった」という言葉があるが、こういう時にその言葉があるのかも知れない……と、少し思った。……かくして幻想は、そうして静かに消えていく、のであった。

 

 

 

……暑い夏の盛りに、スカッとしたくて、映画『アルキメデスの大戦』を観に行った。暑気払いのつもりで観たのだが、なかなかに良く出来ていて面白かった。山崎貴監督のCGの技は『ALWAYS – 三丁目の夕日』で実証済みであるが、映像に魔法の息を吹き込むようにリアルな昔日の時を甦らせてくれる。……冒頭に出て来る大和の巨大な姿の中に、父が造ったという艦橋が映り、私はそこに父を重ね観た。……また先日は、制作が終わった夜に吉田満氏の書いた『戦艦大和ノ最期』を読み耽った。実際の大和の数少ない生き残りであった吉田満氏が、大和の出港から沈没までを時系列に生々しく書いたこの本は名著であり、史的にも価値が高い内容であり、この本はぜひともお薦めしたい本である。…………夏がまもなく去り、やがて秋の気配が俄に立ってくる、今は9月1日。……10月16日から日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xで始まる個展『盗まれた記憶―Francesco Guardiの郷愁に沿って』の制作が佳境である。この1ヶ月が更に私には重要な時間なのである。

 

 

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