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『夏の行方―成田尚哉さんに』

このブログでは、私の親しい人達が実名で度々登場するが、映画の企画、制作、プロデュ―サ―をされている成田尚哉さんは、最も登場回数の多い内のお一人である。つまり、それだけ意識の内側に深く関わっているのだと思う。私のアトリエにも度々来られ、また成田さんの吉祥寺や現在の平井のご自宅にも伺って愉しい時間を過ごした。

 

ブログでは、昨年11月21日付けの『一葉に恋して/本郷編』に成田さんが登場する。……私はこの日の午前に成田さんと本郷三丁目駅で待ち合わせて、明治の面影が遺る菊坂下にある樋口一葉の旧宅跡や、その周辺を共に歩き、老舗の鰻屋『鮒兼』で鰻重と肝焼き、そしてビ―ルを飲み、私は成田さんに熱く、ひたすら熱く語った。樋口一葉の映画化の話をである。成田さんは、鮒兼の鰻重がたいそう気に入り、味に感動しながら話が進んでいった。「……例えば、女性の謎を追い求めた最期の絵師・あの上村一夫が最終的に辿り着いたのが樋口一葉です。成田さん、ここ大事です、樋口奈津(一葉の本名)には、追うと逃げ水のように消え去る不可解な謎があまりにも多い。天才にして、捕らえ難い実に面白い人物です。……」と語った。いつもそうであるが、この日も成田さんは終始聞く側に徹していた。ただ頭の中ではプロの映画の企画者としての感性が俊敏に動いている。そして、成田さんの語りから、気持ちが映画化の企画へと傾いている事が手応えとして伝わって来た。昨年の7月にアトリエに来られた際に、既に一葉の件は振ってあり資料も手渡してあったので、この日は、その続きなのであった。「確かに一葉は映画化しても面白いですね!」成田さんがそう言うので、私はなおも喋った。喋り続けた。……まさか今、目の前にいるこの親しき人が、半年後の9月に、もはや永遠に会う事が出来ない黄泉へと旅立ってしまう運命にある事など全く知らずに………………。

 

今年の2月、版画家、藤牧義夫が24才の若さで、版画家小野忠重の家に行った時点で忽然と消えてしまった謎を追って、私は追跡していたのであるが、ある日、その消えたといわれる向島小梅の現場に行く際に成田さんも誘おうと思って、「2月10日の正午に吾妻橋の中央の欄干で待ち合わせしませんか?」とメールを送信した事があったが、成田さんから来たメールには「最近、足がきついので、もし宜しかったら平井の拙宅は如何でしょうか?」という内容であった。……そして私は平井へと赴いた。奥様の可子さんもおられ、手作りのご馳走を美味しく頂きながら話が弾んだ。成田さんは、今秋開催予定の個展に向けて、制作の場になっている部屋の一角に進行中の作品が溢れていた。映画の企画の本業と共に成田さんはオブジェやコラ―ジュの制作も永くされており、その表現の深みは年毎に増して、完全に第一線級のプロの完成度を持つようになって来ている。昨年に開催した個展で、私は成田さんの作品が気に入り、購入させてもらい、次なる展開を本当に愉しみにしていた。…しかし、個展の開催は叶わず、成田さんは肝臓癌の転移により、この夏の終わりに旅立ってしまった。その日にお会いしたのが、結局は今生での最期となってしまったわけである。…そして私には、ひたすらの寂しさと共に多くの悔いが残る事となってしまった。

 

 

 

……成田尚哉さんとの出逢いは、20年以上前に遡る。渋谷の東急セミナ―から話があり、オブジェの講座を暫くやっていた事があった。ある日の講座で、私のアトリエに近い大倉山にある、大倉山精神文化研究所(現・大倉山記念館)なる建物で、私が23才の頃に目撃した、全裸の少年がその建物から飛び出して来た話や、その不穏な気配、謎の多い「精神文化研究所」なる物の来歴などについて話をした事があった。受講生の多くは、オブジェの技法でなく、そのような話ばかりする私に呆れていたようであるが、一人だけ、その話に興味深く食い込んで来てくれた人が、成田尚哉さんであった。そればかりか、成田さんは実に興味深い話をしてくれた。私はそこ(大倉山精神文化研究所)に行き、映画のロケをした事がありますよ、と切り出してくれたのである。メイクの女性が勘が実に鋭い人で、その現場に着くなり、成田さんに「ここはヤバイですよ、かなり危ない気が充ちていますよ!」と真顔で語ったという。果たしてその通りで、撮影の連日に事故がおき、あまりにも危険過ぎるので予定を早めに変更して撮影を切り上げたという。……成田さんがプロデュ―サ―を勤めた映画『1999年の夏休み』(原作・萩尾望都)がそれであり、当時は水原里絵の芸名だった、深津絵里が主演しスクリ―ンデビュ―して話題となった作品である。私は成田さんとは、初めてお会いしたその日に感性が合い、以来親しき友としての交流が始まった。

 

成田さんは慶應大学の美学美術史を専攻し、当時全盛を極めていた日活に入って、数百本以上のロマンポルノの企画を担当(わけても全ての石井隆原作のシナリオを企画)。日活から移籍後、2003年以降は自身の映像プロダクション『アルチンボルド』を立ち上げ、『ひぐらしのなく頃に』『海を感じる時』『花芯』……などの名作を連発していった。……私が(そして成田さん自身にとっても)残念だったのは、芥川賞受賞作の松浦寿輝『花腐し』の映画化を企画して、既に脚本までも完成しながら実現しなかった事である。この企画の話はかなり早い段階から伺っていて、幾つか私なりの考えも話した事があった。……実現していれば映画史に残る可能性があっただけに残念である。

 

……私が成田さん宅を訪れた2ヶ月後の6月、突然、成田さんから電話が入り、肝臓癌で余命が半年である事を告げられた。……私は自身が思っている人生の意味を語り、そして、その生において最も幸運な事は、自分を活かす生き甲斐のある仕事を見出だす事が出来、自らの可能性の引き出しをあまねく全開し、達成出来たか否かではないかと思う……という話をし、成田さん、貴方は全的に達成した人だと思う、と私は話した。……そして、映画の企画だけでなく、コラ―ジュなどの美術表現においても、成田さんの表現の域は、かなりの高みに在るという私見、確信を話した。……そして、私は死とは終わりに非ず、新たなる生の始まりであり、転生があると確信しており、私は今生の生が終る直前に、明治26年の9月6日の朝未だ来の浅草、花川戸に魂を翔ばし、まだ名作『たけくらべ』を書く直前の極貧の樋口一葉の横をかすめて、浅草十二階(凌雲閣)の螺旋階段を昇って上昇し、その高みに自分の魂を本気で翔ばすつもりですよ!と話した。普通の人なら私の考えを唯の夢想と片付けてしまうが、私に度々起きる様々な不思議な現象のある事を知っている成田さんは「……北川さんは陰陽師ですからね」と優しく言ってくれた。……それが今生で交わした成田さんとの最期の会話になってしまった。

 

まことに成田さんが作り出す作品はその初期から、完成度が高く、イメ―ジに艶があり、エスプリがあり、強度な毒と妖しさがあり、つまり、表現世界に既に確かなる芯があった。だから、渋谷の画廊から始まり、銀座、下北沢の画廊も結び付けて成田さんにご紹介し、画廊企画での個展開催に微力ながら尽力出来た事は、今思えば本当に良かったと思う。成田さんの表現力は瞬く間にその密度を増して、昨年の個展での作品の素晴らしさは私を感動へと導き、また驚かせた。4月に平井のご自宅の制作現場で見た新作への意欲は、美術作品の制作が成田さんの生き甲斐の強い手応えとなっている事を映していたと今にして思う。9月16日、斎場には映画の関係者を始め沢山の方が来られ、成田さんとの別れを惜しんでいた。……その中に在って、私は今、この時の成田さんの魂の行方について考えていた。願わくば、何らかの形で幽かな信号を送って欲しかったのである。

 

 

 

 

 

 

人間の死には2つの段階があると思っている。或る人が逝去したとしよう。しかし、その人の事を覚えている人がいる限り、その人は亡くなってはいない。そして、その人を知る最期の人が遂に亡くなった時、その人の生が終わり、初めてその死は完結するのである。しかし、魂の行方はまた別である。……これは私の持論であるが、永六輔さんが全く同じ事を言っていたのは興味深い。……私は携帯電話に記してある知人が故人となっても、その電話番号を消さないでいる。何かの弾みで、かかってくるような気もあり、またこちらからかけてみたいという気持ちも、あるのである。成田尚哉さん、またいつか再び逢いましょう。……そして昔、話をした……「成田さんが作り出す映画も、また私が作る作品も、詰まりは同じ〈夢の結晶〉、光を当てれば忽ちに消え去る泡沫のような淡い夢かもしれない」という、あの話の続きをしましょう。

 

 

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『ダリオ館再び―in Venezia』

脚本家で小説家の向田邦子さんには苦手なものがあった。……魚の目である。『父の詫び状』所収の「魚の目は泪」と題したエッセイの中で、芭蕉の名句「行く春や鳥啼き魚の目は泪」について書き、実は魚の目玉が恐くて、「目が気になりだすと、尾頭付きを食べるのが苦痛」で、魚屋へ行くと見まいと思っても、つい目が魚の目にいってしまう、と書いている。食通の向田さんにしては意外な話で印象深い。……魚の目に関しては、私にも遠い、或る思い出がある。たぶん4~5才の頃であったかと思うが、母親に連れられて魚屋に行った時の事。母親と魚屋の主人との長話が続くので、私は退屈であった。退屈な気分の先にずらりと並んだ沢山の魚が目に入った。……私はその魚の乾いた虚ろな目の様が面白く、悪戯心が湧き、つい指先が延びてしまった。魚の目玉の縁に指先を突き刺しひっくり返すと、訳のわからないねばねばした〈裏側〉が出てくる。それが面白く、一匹、また一匹、また一匹……とかなりの数の魚が、私の好奇心の犠牲になっていった。「あ~!!」と叫んだのは、あれは母親であったか、魚屋の主人であったか?……とまれ時既に遅しで、店頭にはもはや売り物にならない、無惨にも目玉がひっくり返った魚がたくさん並ぶ事となった。母親が始末をどうつけたのかは忘れたが、ひたすら謝っていた姿だけは覚えている。……たぶんその後の店先には、沢山の切り身が並んだ事と思われる。……この頃から次第に好奇心の強い性格が芽生え出し、以来、怖いもの、不可解なものに異常に執着するように私はなっていった。

 

 

……ひと頃は、『反魂香(はんごんこう)』なる物に興味を持った事があった。中国の故事に由来するが、焚くと死者の魂を呼び戻し、その姿を煙の中に出すと言われるお香の事である。おりょうが、亡き夫の坂本龍馬について語った回想録の本の題名も『反魂香』であったと記憶する。自由業なので時間があり、制作以外の時は、自分の好奇心の赴く方へと日々さすらっている人生である。だから反魂香に興味を持った時は、機会を見ては都内の香を扱っている店に入り、その香について問うたものである。しかし全くといっていい程、反魂香なる物について知る人は誰もいなかった。やはり伝説にすぎなかったのかと諦めていた頃、……昨年の冬に鹿児島のギャラリ―・レトロフトで個展をした時の事であった。まるで泉鏡花の怪奇譚の中にでも登場しそうな妙齢の謎めいた女性が入って来られた事があった。その気配から、一目見て只者ではないと思った。話を伺うと香道を生業とされているとの事。「遂に来た!」と直感した私は『反魂香』についてさっそくに切り出すと、その人の細い眉がぴくりと動き、鋭い眼で私を見返し、「確かにその香は存在しますが、あまり深入りはされない方が御身の為ですよ……」と静かに言った。面白いではないか!!……存在するなら、そして、その結果、何処かに連れ去られたとしても、私はいつでも本望である。しかし、その女性は、何故かその後の話を切り換えて別な話になり、その後に来客が来られたので、未消化のままに話は終わった。……老山白檀、沈香、龍脳、甘松……等を秘伝の調合でブレンドするらしい。

 

 

……さて、本題のダリオ館である。ヴェネツィアにある15世紀後半に建てられたこの館は、歴代の主や家族が自殺、又は非業な死を遂げるという、妖かしの館である。単なる伝説ではなく、この館に関わった者が実際に既に20人以上が亡くなっており、私が初めてヴェネツィアに滞在していた1991年時は生きていた、この館の主で起業家のラウル・ガルディニという人は、1993年の夏に銃で自殺を遂げている。以来、この館は無人の館となっていた由。私がこの館の不気味な存在を知ったのは、3回目にこの地を訪れた時であった。……ダ・ヴィンチの事を書く為に取材でロ―マから北上してフィレンツェに入った後に、ヴェネツィア在住の建築家に会う為に訪れた時であった。たまたま乗ったゴンドラのゴンドリエ―レ(ゴンドラの漕ぎ手)から、対岸にある、その一目見て不気味な建物―ダリオ館についての謎めいた話を詳しく教えてもらったのである。映画監督のウッディ・アレンがダリオ館に強い興味を抱き、真剣に購入を考えているという。ゴンドリエ―レは私達を見つめ、「彼は間違いなく死ぬだろう!」……そう言った。(この後、ウッディアレンは購入を断念したという話が入って来た。彼の友人達が真剣にその危険を諭したのだという)。……数年して私は写真の撮影の為に再びヴェネツィアを訪れた。その時は、この館に次々に起きる不吉な死の真相を確かめる為、私は本気でこのダリオ館に塀を越えて侵入するつもりであった。闇の帳が下りた頃、ダリオ館に行くと、意外にも中から灯りが漏れていた。見るとタイプライターで知られるオリベッティ社の銘が見えたので、残念ながら断念した。同じ並びにあるベギ―・グッゲンハイム美術館など、この運河沿いにある館の平均価格は250億はするという。まあ、私が貴族の末裔だったら絶対に購入するのだが……と、真相究明の挑戦はしばしお預けとなった。

 

永井荷風たち耽美派が影響を受けた詩人のアンリ・ドレニエは、かつてこの館に滞在した折りに「深夜に人の小さな呟きが聴こえた」と記している。またこの館には異様に巨大な鏡があるという。また、この館が建つ前は、そこはヴェネツィアの墓地であったという、……その辺りは切れ切れではあるが調べてある。

 

…………先日、何気なくふと、このダリオ館のその後が気になり、タブレットを開くと、信じがたい情報が飛び込んで来た。なんと、アメリカの起業家が800万ユ―ロ(たった12億8000万円!)で購入したというではないか。相場の10分の1の価格である。……しまった!と思った。遅かった!と思った。……そして、何とかならなかったのか!!と自分を責めた。そして、ふと我に帰った。……現実を見ろ!!と。しかし、私の好奇心は潰えてはいない。またヴェネツィアは行くであろう。しかし、その時には……という、真相究明の強い思いが、今もなお、私の心中で騒いでいるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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