月別アーカイブ: 1月 2025

『あぁ杉田くん、君は…』

 

…今年は、日本海側を中心に大雪を報せる映像が次々と入って来ている。例年の約二倍の降雪量というから凄まじい。…私は北陸の福井で育ったから雪の執拗な襲いかかり方は経験がある。…汗を流して雪掻きをしても、翌朝は嘲笑うようにまた繰り返し積もっていてきりがない。屋根に積もっている何トンもの雪を道に落とす為に、未だ小学生の頃から大屋根に登り、汗だくになって手伝ったものである。

 

 

 

 

…大屋根から落ちたら死ぬ危険性が高い為に本当は命綱が必要な作業だったが、子供だったので不安感はなく、今想えば、恐ろしい事を平気でやっていたものである。…今は雪も少なくなったが、昔は3メト-ル以上降った事もあり、家の2階の窓から出入りして、積もった雪の高みの上をまるで空中散歩のようにして歩いたものである。

 

 

 

 

…集団登校はホワイトアウトの中、凍った田んぼの上を進み、学校の姿が全く見えない為に、勘で方向を定め無言で何かに耐えるようにして歩く姿は、将兵199名を雪中遭難で死なせた映画『八甲田山』の映像とリアルに重なって来る。

 

氷が割れて田んぼの冷たい水の中に集団登校の児童の誰かがはまっても、まわりが無言で担ぎ上げ、何事もなかったようにまた無言で私たちは歩いて行くのである。

 

………今だったら、児童の死者が出ると誰が責任を…という事で早々と休校になるが、当時は吹雪の中を登校するのが当たり前で、誰も文句を言わず、それが当たり前であった。

 

 

 

…1991年の2月、私はパリのリヨン駅から夜行列車に乗り厳寒のヴェネツィアに向かった事があった。ヴェネツィアはつごう5回行っているが、その時が最初であった。…その年の冬はアドリア海が90年ぶりに凍るという酷しい寒さであった事は後で知った。

 

 

 

 

…滞在して3日目頃であったか、サンマルコ広場の老舗カフェ・フロ-リアンで夕方に休んでいて外に出ると、先ほどまであった人影が全く無く、店の灯りが次第に消えていき、まるでフェリ-ニの映画『カサノバ』の場面のように静かな不気味さが伝わって来た。…すると急に粉雪が吹き始め、たちまち呼吸すら出来ない白い吹雪のホワイトアウトに襲われたのであった。

 

…宿に向かって歩くが、何回試みても同じ場所に戻って来てしまい、無人の迷宮の中で焦りが次第につのって来た。…その時、八甲田山の死者達の死因を私は思い出した。…彼らは前進していたつもりで歩いていたが、実は同じ円の中をぐるぐる回っていて最期は亡くなったのであった。脳が覚えてしまう不気味なその錯覚の怖さを思い出した私は、今度は自分が良いと思う方向の真逆を進む事にした。すると次第に見覚えのある景色が現れて来て、…ようやく宿に帰る事が出来たのであった。ことほどさように雪は怖く、その白い衣裳の中には確かに魔物が棲んでいるのである。

 

 

…さて、今日は高校の同級生であった杉田君の事を書こうと思う。…この杉田君はずいぶん昔のブログで1度登場していて、今回が2回目になる。…1回目は修学旅行で阿蘇の草千里に行った時の事。…草千里には放牧中の牛や馬がいて、今は知らないが当時は係員の指導で希望者は乗馬が出来た。…杉田君、女子に良いところを見せようとでも思ったらしく、勇んで馬に乗ってみせた。…まぁそこまでは良かったのだが、どうやら雄馬のデリケートゾ-ン近くを彼の靴が弾みで当たったらしく、馬は突然悲鳴をあげるや、脚を高らかに上げ、杉田君を乗せてもの凄い速さで草千里の彼方へと駆けて行ったのであった。〈手綱を引いて姿勢を低くして下さい!!〉…焦った係員がマイクで必死に叫ぶのも空しく、杉田君を乗せた暴れ馬は、草千里のなだらかな斜面を一気に下り、いつしか私達の視界から消えていったのであった。

 

 

………今回はその数ヵ月が経った或る冬の日の話である。…校舎を改装する為に、私達は臨時に仮設したプレハブの校舎に一時的に移って授業をしていた。…昨夜から降った雪がかなり積もっていて、教室の窓を積もった雪が突き破りそうな程であった。…見かねた教師が(誰か雪掻きに行ってくれないか‼)と言った。…(…僕が行きます‼)といち早く挙手したのが件の杉田君であった。…授業をサボれる、…動機はそんなところであったかと思う。…しばらくして、窓硝子の向こうに長靴に履き替えスコップを持った杉田君が現れた。嬉しそうに、こちらに手を振っている。笑って応える生徒もいた。……そして私達は授業を受け、窓の外では杉田君がサクッサクッと真面目に雪を掻き除ける音がしていた。

 

 

 

……その日は前夜に降った大雪が嘘のように晴れた暖かい日であった。…………すると突然、私達の頭上で何かが纏まって滑り落ちていくもの凄い音がした。…明らかにプレハブの屋根に積もった雪が一斉に雪崩れて落ちていく音であった。

 

…教室の誰もが反射的に窓側を視た。そして視た‼…というよりは視てしまった。…杉田君が、さっきの笑顔とは一転して忽ち悲しい顔になり、両手を空しく上げ、自身に落ちてくる雪の量に耐えきれず、次第に積もった雪面の上にうつ伏せになって倒れこみ、やがて目を閉じて全く動かなくなり、その上を60センチほど積もった雪が完全に覆ってしまったその様を、私達は視てしまったのであった。その悲しい姿が窓ガラス越しに、ありありと見えるのである。

 

 

……その様を例えるならば、私たちが子供の頃に黒紙で覆ったビンの中に、二日程で出来たトンネルのような蟻の巣の作りがビンの外から丸見えに見えるのを想像してもらえたらわかりやすいかと思う。

 

…………(雪崩れで死ぬ人はあぁやって死んでいくんだなぁ)……(杉田、息をしてないんじゃないかな)……(まるで悟った仏みたいに杉田が見えるよ)……中には面白くて笑いを抑えている者もいた。

 

…あまりの異常なハプニングに最初笑っていた教師が、急に真顔になり(今からみんなで杉田を掘り出そう‼)と言ったので、私達は教室を駆け出して行ったのであった。

 

 

 

 

……それから時が流れていった。…2011年の秋に私の個展が福井県立美術館で開催される事になり、その記事が新聞に載った事があった。…それを読んだ元同級生の女子が発起人となり、同窓会が開かれる事になった。…同窓会というのは絶対に出ない私であるが、開催の主旨に私が絡んでいるのだから仕方がない。…というわけで出席したのであるが、座の途中で私は杉田君の事を思い出し、すっかり変わった杉田君を見つけたので近づいていって話をした。…確かに杉田君は生きていた。…そして、日本の近い将来の姿を考えて会社員を止め、一念発起して今は安定した職業の整体師になっているのだよ、…と言って、笑いながら私に「杉田整体医院」と印刷した名刺をくれたのであった。

 

 

 

 

追記。…しかし私には長い間、1つの疑問といえるものがあった。…それは、杉田君が雪崩れに襲われた時に簡単に失神してしまったのを目撃したのであるが、人はなぜ簡単に失神してしまうのであろうか?、もちろん雪崩れの雪の量にも拠るだろうが、意識の抵抗はかくも脆いのであろうか?…という疑問であった。

…しかし先日たまたまテレビを観ていたら、雪崩れの凄さを試す実験をやっていて成程と首肯するものがあった。

 

…地表に木製の硬い箱を置き、その上の屋根から雪崩れを落とす実験であった。…観て唖然とした。雪崩れの直撃を受けた箱は一瞬で木っ端みじんに砕け散ってしまったのであった。…重さ100Kg以上の直撃が次々と身体を襲えば、意識などは一瞬で停まってしまう。…先日も40代の女性が街中の通りの屋根からの雪崩れを受けて亡くなったという事故があったが、成程…と疑問が解けたのであった。…あの時、杉田君を助けに行くのがもう少し遅かったら…と思うと、今になってゾッとしたのであった。

 

 

 

 

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『2025年初春…それでも地球は回っている。』 

 

…今年最初のブログは、先ずは私からの年賀状です。

 

 

 

螺旋の永久運動を真似て蛇がうねる。
その蛇を真似て硝子がうねる。
遠い冬のラ.セ-ヌの上で、2025粒の光を浴びた…世界がうねる。

 

 

 

…今年から基本、郵便としての年賀状を書く事をやめているので、ブログを介しての年賀状とあいなった次第。しかし考えてみると、これはあまねく伝わるので、未だ直接お会いしてはいないが、しかしこのブログの善き読者である方々にも年頭のご挨拶が伝わるので良い試みではないかと思う、1月4日現在の私である。

 

…新年早々に、私の大切な才能ある友人のTが亡くなった一報が入って来た。…私は度々予知夢を視るし、最近妙に気にはなっていたので、やはり…という思いのまま、通りに出て茫然とするところで、………パチンと夢が弾けた。今年の初夢はそういう夢から始まった。皆さんの初夢は果してどのような宝船に乗った夢をご覧になったのであろうか。

 

 

 

……3日にアトリエ近くにある古刹の妙蓮寺に初詣に行き御神籤を引いたら、昨年と同じで「大吉」が出て、あぁ…という感じで溜め息をついた。昨年の大吉は、大事な個展直前に突然襲われた椎間板ヘルニアの発症で車椅子、松葉杖の生活をする羽目をもたらしてくれたが、さあ今年の大吉は何が来るのであろうか?…痛い目に遭ったのでつい身構えてしまう「大吉」である。

 

…今、人類がおかれている現状や近未来の姿を思うと、御神籤が入っている箱の中には気休めの大吉でなく、人びとに警告を発する全部「大凶」こそ相応しいのではあるまいか。私が神主ならそうするだろうし、結果、その神社や寺には人は寄りつかなくなってやがて、荒寺になっていくのであろう。

 

 

 

…実は、私は新年を迎えたという実感が無いままに、今、今年初のブログを書いている。昨年の大晦日の夜は10時過ぎに早々と寝床に入り、『詩の誕生』(大岡信・谷川俊太郎共著・岩波文庫)という対談本を読んでいて、そのまま寝落ちしてしまい、目が覚めたら、既に太陽が空の高みにあって眩しかった。…なので除夜の鐘も、横浜港から一斉に聞こえてくる、新年を祝う船の汽笛も聞いていないので、年が開けた瞬間の、あの大急ぎで頁をめくって新年にジャンプするような心の慌ただしい切り替えがないまま、今は2025年の1月4日なのである。

 

 

………俳人・高浜虚子の作に「去年今年貫く棒の如きもの」(去年の読みはこぞ)という俳句があるが、確かにあの、年を越していくという瞬間は気持ち的に重いものがある。…観念が唯一、生々しく肉体性を帯びた瞬間、そう言えるかもしれない。……だから、眠ったまま年を越した私には地球が新たに一周回っただけ、そんな感じなのである。…そもそも新年というものは何故必要なのであろうか?…答えは簡単で、新年というめり張りの効いた太い節がもし無かったら、人々は唯だらだらと呆けたように生きていく事になるからだと私は思う。

 

 

 

 

 

 

………さてここから話題が少し変わっていく。…人は、それが当たり前と思っているが実はそうではないという事がある。

 

…例えば今言った地球一周の話であるが、その時間はと問えば、人は当然のように24時間と答える。…では地球創成期においては地球は一周するのにどれくらいであったか、ご存知であろうか?

 

 

 

…実は、地球が誕生したばかりの頃(46億年前)は地球が一周するのに要したのは僅かに5時間であった。何という急速回転‼…18億年前は18時間、……そして今は24時間…と、駒の回転が次第にゆるくなっていくようにして、やがては…………。原因は、月が次第に地球から遠ざかって行く(月は地球から年3.82cm、離れていっている)事と、それによる潮の満ち引きによる摩擦が関係しているようである。何とも壮大な現象で、想像してみると巨大な玩具のようで面白い。

 

 

 

 

…続きの話として、…人は誰もがみんな西郷隆盛の名前を知っているが、実は、彼は西郷隆盛ではなく西郷隆永(たかなが)で、幼名は小吉、そして吉之助。

…隆盛というのは彼の父親の名前で、岩倉具視に宛てた手紙には西郷隆永と記されている。…だから龍馬高杉晋作たちは、西郷隆永という認識はあったが、西郷隆盛という名前の認識は全く無いままに付き合っていた事になる。

 

 

……間違って隆盛になったのは明治維新の後で、明治天皇から位階を授かる事になり、政府に本名を届ける時に、西郷がたまたま不在。役人が西郷の知人に尋ねたところ、間違って父親隆盛の名前を告げてしまった為に、そのまま戸籍まで西郷隆盛になってしまったという次第。…しかし西郷はその間違いを全く気にしなかったというからやはり大きい。……しかし思うのであるが、この間違い、西郷隆永よりは遥かに隆盛の方が響きが善い。…伝説になる下地はこの間違いが幸いしている感もなきにしもである。(名前は大事である。…例えば、天才舞踏家の土方巽(ひじかたたつみ)の本名は、米山久日夫(よねやまくにお)というが、まぁそういう事である。…

 

 

 

さて、ともかく新しい年が開けた。私は元旦からアトリエに入り、新作を二点仕上げた。…この勢いでまた新たな未知の領域に入っていくのであるが、そこにどのような表現が立ち現れるのか、…また今年は平行して詩も書いていこうと思っているが、その二本立てで突き進む気概である。…この連載ブログもまた、引き続きのご愛読を乞い願う次第である。…皆さま方の今年のますますのご多幸を祈念しつつ…今回はここまで。

 

 

 

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