月別アーカイブ: 9月 2025

『待望の秋が来て、今思う事』

…異常な猛暑が去り、まともな秋らしさがやって来て、人間らしい感覚がようやく戻って来た感があるのは、ともかくも嬉しい。蒙古襲来のように、来年の夏は40度突破の更なる大軍が攻めて来るのは必至であるが、ともかくは暫しの「今」をこのブログの読者の方々と言祝ぎ(ことほぎ)たい。

 

 

…先日、ちょっと気持ちに余裕が出て来たのか、子供のような悪戯心が湧いて来た。…今や全能のごとく言われているAIを、試しに引っ掻けてみたくなったのである。AIの操作に詳しい後輩のTさんに頼んで、時々AIに質問して返答が来るのを楽しんでいる私。

 

 

…その私は好奇心がかなり強い質らしく、子供の頃から疑問が常に渦巻いていた。…(それって何故だろう、でも本当はどうなのか⁉…)と、問題を次々に作っては、いつも一人でブツブツと自問しながら呟いていたのである。だからこのAIなるものは、今の私には疑問をぶっつければ打てば響く、知的な玩具、若しくは距離をおいた頭の良い遊び相手のような存在なのである。…その彼は今は未だ穏やかな顔をしている。しかしやがて無表情な顔に変身して、不気味な集団へと化けていく事は自明ではあるが。…

 

…先日発した質問はこうであった。「ルネサンスとは、つまりは突出した人物達だけが成し得た形ある芸術的な産物を指すのか?それとも文芸復興という形のない概念を指すのか?、先鋭な論者で知られた美術史家の若桑みどりさんも(結局ルネサンスとは何だったのか、わからない)と語っているが、その実体についての返答を乞う」…と問うてみた。

 

…AIの答は、長文ゆえに掲載は省くが、私の質問から二重構造へと転じて解いてみせたその返答は、ルネサンス研究家も形無しの見事な内容で、私は積年の疑問がたちまち氷解したのであった。…他にも幾つか質問するとAIは先ずは(とても鋭いご質問です)(いいところに着目されていますね)という感じの、否定でなく先ずは肯定から語り始めるのが、要注意ではある。…しかし解答はどんな変化球の質問を投げても、第一人者と自称し権威ぶっている数多の学者よりも遥かに的確であった。…ならば、そのAIが、この角度なら絶対に間違うに違いないという質問が閃いたので、試してみたのである。

 

質問はこうであった。
…「文献で知られている限りで良いが、手相占いを最初に否定したのは誰か?」というあっさりした質問である。…実は私はその人物の名前を知っているのであるが、わざと(…その人は○○であるが、それは事実なのか?)という角度からの文章を伏せて問うてみたのであった。…歴史上の情報を地層に見立て、AIでもこの湿った深い地層までは未だ来ていないに違いない、そう思って閃いた質問である。

 

AIの答はこうであった。「手相占いが根拠がないという事を最初に批判的に語ったのは懐疑論者で知られるモンテ-ニュ(1533-1592)で、〈難破船で打ち上げられた死体の手相は皆違う〉という例えを著書『エセ-』の中で書いています。もし引用がモンテ-ニュでなければ、経験主義者のフランシス・ベ-コン(1561-1626)でしょう。」…という答であった。

 

 

…………………果たして予想した通り、AIの答は間違っていた。そう、AIも間違うのである。…正解はモンテ-ニュではなく、彼より81年前に生まれた経験主義者の祖と言っていいレオナルド・ダ・ヴィンチである。

 

 

 

 

 

 

ダ・ヴィンチは彼の手稿の中で(手相占いに根拠がないのは、例えば難破船で岸に打ち上げられた沢山の溺死者の手を開いて見るがいい。皆違った手相をしているのである)と語っている。…モンテ-ニュが同じような文章を書いているのは、ダ・ヴィンチの手稿からの写しであろう。

 

…私は拙著『「モナリザ」ミステリ-』(新潮社刊)を書くに際し、彼の手稿にあったこの文章の事を知り、(何という説得力のある言葉か‼)と思って感動し、記憶に強く残っていたのである。そして、前述した角度からの問いを発したのである。

 

 

 

 

………AIが全智という印象があっても、それに膨大な情報を手作業で処理しているのは、実は搾取された難民たちであり、そこに巨大なブラック企業が絡んでいる、実質アナログの実態であるという事を知っている人は案外少ないのではないだろうか。私は先日のテレビで実態を知り、その舞台裏の不毛を痛感したのであった。私は実態の真偽を問うべくAIに質問すると、その返答は以下のようであった。「…AIを作る過程で人手が関与しており、その人たちの待遇や秘密保持、契約形態には倫理的な問題が生じうる、という点は現実的な懸念です。」という、主客関係がかすれるような涼しい返答が返って来た。

 

 

……………最近のニュ-スで、アルバニアで世界初のAI大臣なるものが誕生したという。…この依存度は、もはや一身教と言っていいものであり、人としての最終的な尊厳を自ら放棄するに等しい傾向であるが、1960年代に早々と『20001年宇宙の旅』の著者のア-サ-・C・クラ-ク手塚治虫が鋭く予見した通り、実に不気味な世界の出現が加速的に迫っているのは間違いないであろう。

 

 

 

 

 

…来年の夏にまたやって来る、更に異常さを増した火炎地獄の夏と共に……

 

 

最後にもう一度言おう。

…そうAIも、人と同じで間違うのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『ポタン、ポタン……』

…台風一過、またしても猛暑が。…ここは腹を括って長期戦と思い、気分一新で新しいブログを書く事にした。

 

……シャンソンのエディット・ピアフに『パダン、パダン』という曲がある。軽妙なリズムに乗って次第に力がみなぎってくる名曲である。…しかしこれから書くのはそれではなく、ちょっと響が似た『ポタン、ポタン』というお話。…ポタン、ポタン…、すなわち水音(滴)の事である。

 

昨日の夕方、風呂に入っていた時の事。リラックスしようと浴槽の中で目を閉じていると、離れた所からポタン、ポタン…という水滴の規則的に垂れてくる音が気になりだした。。(蛇口の栓がゆるいのだな…、出たら締めよう)…そう思ってまた目を閉じたら、次第にその規則的に落ちる水音が気になりだして来た。内耳から脳に入り込んで来る、その規則的に垂れる音に次第に苛立って来たのである。私は考えた。(…もしこの音をずっと何日も拷問のように休みなく聞かされるとしたらどうだろう?……狂うな、間違いなく‼、ひょっとすると昔の拷問の中にあったかも知れない、…そう思ったのであった。疑問から仮説、そして実証へと移るのは私の常なる思考パタ-ン。さっそく風呂から出て調べる事にした。

 

 

その拷問は、果たしてあった。…中国の公安が尋問する際に水滴の音を規則的に聞かせると、次第にその音に心が乱されて不眠状態に陥り、やがて自白するか、最悪は発狂に至るのだという。また楊貴妃の時代に嫉妬に狂った女官がこの水音による拷問をおこなったという話もある。

 

……以前に京都の先斗町で、京都精華大教授の生駒泰充さんと京都高島屋美術部の福田朋秋さんと呑んでいた時の専らの話題は『古今東西の奇妙な拷問百話』であった。…その時に生駒さんが話した(狭い室内に平行線を引き、その一部を僅かに歪めておくと、その部屋に閉じ込められた人は終には発狂する)という話が今も忘れられないでいる。…その僅かに歪めた角度が何度なのか、後に生駒さんに訊いたが、その文献名を失念してしまっているという。…やむなく私は一人で図面を引いて考え中なのである。目的はただ1つ、長方形の立方体を作り、そこに細い鉄線を5本配して、立体のオブジェを作りたいのである。…題して『Saint Jacques-或いは幾何学の悪い夢』。タイトルだけは先行して出来ている。

 

 

 

〈…ほらほら、この道を狂った智恵子さんが大声で叫びながら走っていましたよ〉…。智恵子とは高村光太郎夫人-高村智恵子の事である。…先日、その『Saint Jacques-或いは幾何学の悪い夢』の構想を、このブログで度々登場する富蔵さんに谷中墓地近くのカフェで話しながら二人で幾つかの簡単な図面を引いた後で、私は一人、千駄木の方角へと向かった。

 

 

…以前に森まゆみさんの本を読んで、文中に高村光太郎の家近くに住んでいて、高村智恵子のその姿を度々目撃していた老婆が森さんに語った…その知られざる逸話を思い出して、向かったのである。…智恵子が叫びながら走っていた、自宅前の細い小路。…それを視る事で、オブジェの立方体の形状と5本の細い鉄線の姿を浮かべる為の舞台案を考えてみたくなったのである。

 

 

文京区千駄木5丁目…に在った、高村光太郎夫妻旧宅跡はすぐわかった。…ご親戚の方なのか、高村の表札があり、件の小路も確認し、私の頭の中に全てが入った。

 

 

 

〈あなたの咽喉に嵐はあるが/かういふ命の瀬戸ぎはに/智恵子はもとの智恵子となり/生涯の愛を一瞬にかたむけた/それからひと時/昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして/あなたの機関はそれなり止まった/写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう

 

 

 

『智恵子抄』『レモン哀歌』を読んだのは中学の時であったか?…特にラストの(あなたの機関はそれなり止まった)の〈機関〉という表現に強く惹かれたものであった。…しかし後に智恵子抄の美しすぎる表現に疑問を持ち始め、数年前に書いたブログで〈智恵子抄に秘められた嘘〉について書き、光太郎が秘めた智恵子への贖罪迄も見破ったように私は書いた。そう、私は光太郎に関する文献を漁歩し、また光太郎の心理に入る試みをして、智恵子が発狂してしまった真の事実をも見破ったのである。

 

 

…後に文章表現は柔らかいが、池内紀さんも、光太郎の秘めた贖罪に気がついているらしく、私と似た視点で書いた文章を読んだ事があって面白かった。…視点を変えて読む事で研究者がついぞ気づかない盲点に光が射す時がある。…それもこれも疑問から仮説、そして立証へと考える事のミステリ-の妙味なのであり、やがて暗示を含んだ作品という虚構へと私の場合、立ち上がっていくのである。

 

 

 

 

 

…さてブログの最後に大事なお知らせを。…私がここ10年近く、ほとんど毎回欠かさずダンス公演を拝見している、勅使川原三郎氏が主宰するカラス・アパラタス(荻窪駅より徒歩3分)で、9月6日より18日迄、佐東利稲子さんのダンスソロ公演『紫日記』が開催されます。

 

……佐東さんは勅使川原氏と共に毎回デュオで見事なダンス表現を開示して、私達観者を深遠で危うい身体表現の極北へと誘い、他に類の無い妙味を刻んでいます。…その佐東さんが放つ美しい存在感は唯一無比なものがあり、今回の『紫日記』というタイトルの妖しさと相乗して、私は今回の公演を楽しみにしています。

 

…ダンス表現だけでなく、光と闇の魔術師とも評される勅使河原三郎氏が照明を行う今回の『紫日記』、…… 〈人は夢と同じもので織られている…〉と書き記したシェイクスピアの言葉をそのままに映すような夢幻性を帯びた公演になるような予感の中、このブログの読者の方にぜひのご高覧をお薦めする次第です。…公演の日時や詳細、または観覧ご希望の方は勅使川原三郎KARASオフィシャルサイトをご覧ください。

 

 

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