月別アーカイブ: 11月 2025

『横浜の支那人町に降る雪は、…幻のようでありました』

…思えば大学を出てから10回ばかり、山手町本牧…など転々と引っ越しを繰り返して来たが、いずれも横浜である。今の綺麗な無菌化した横浜と違い、不穏な怪しい気配がまだ横浜には充ちていて、幾つもの物語が交差していた感がある。

 

今や観光で賑わう〈みなとみらい21〉界隈は、綺麗になる前の赤レンガ倉庫が廃墟のように不気味に建っていて、引き込み線の線路にはペンペン草が生え、廃墟の裏には刺殺体が転がっていそうな危うい雰囲気が漂っていた。……私が本牧にいた頃は未だ米軍基地があって、日本人は立ち入り禁止なのだが、アトリエ裏の崖を登ってこっそりと基地内に入り、相模湾を航行する船を、柔らかな芝生の上に寝転びながら、のんびりと眺めていたものである。…つまりそうとう暇だったのである。…美術の作家と並行して私立探偵を職業にしようかと本気で考えていたのも、この頃であった。

 

一番長く住んでいたのは、山下公園そばの海岸通りの山下町で、30才から45才までの15年間。家を出れば目の前にすぐ横浜港が見え、背後には中華街があり、船の汽笛を遠くに聞きながら、自転車や徒歩でフラフラとしていたものである。当然何回か職務質問をされた事がある。国家も政治も権力なるものも、全て虚ろな幻に過ぎないと思っている私の事、警官の職業的勘から、この男は…何か怪しい!…と、思われたのかもしれないと、今は思う。

 

昼食は殆ど中華街であった。中華街の裏道りには暴力団の事務所があり、見ると、正面に巨大な額に入った一万円札が鉛筆で描かれていて、福沢諭吉の顔の場所には、明らかにその組の組長の顔が稚拙に描かれていた。

 

…また5階建ての怪しい古道具屋があって、商っている品は優れ物だが、廊下の壁の不自然な場所に固定されたマジックミラーが幾つも在って、来た客の多くが不審がっていた。…特に変なのは、いつも落ち着かない初老の店長の男以外は、店員はみな若い女性だけで、何故か顔ぶれがよく変わる。…そして戸口にはいつも貼り紙があってこう書かれていた。…〈求む女店員‼〉と。

 

 

 

「……この遠眼鏡にしろ、やっぱりそれで、兄が外国船の船長の持ち物だったという奴を、横浜の支那人町の、へんてこな道具屋の店先で、めっけて来ましてね。当時にしちゃあ、随分高いお金を払ったと申して居りましたっけ」

 

…この一文は江戸川乱歩の最高傑作『押絵と旅する男』の一節である。…横浜の支那人町(今の中華街)の古道具屋で兄が見つけた不思議な遠眼鏡(…自然の法則を超越した、我々の世界とどこかで喰違っている処の、別な世界を透き視してしまう望遠鏡)を兄が入手した処から始まる幻夢譚である。

 

 

 

 

 

兄はその望遠鏡を持って明治二十六年時の浅草十二階の高塔に上がり、浅草寺裏の観音堂裏手に在った一軒の覗きからくり屋に在った、押絵になった覗き絵の女性(八百屋お七)に恋慕してしまう処から始まる幻想文学の頂点に位置する小説である。

 

 

 

…私はこの小説が好きで、文中に出てくる横浜支那人町に、昔、乱歩がモデルとして着想したような古道具屋がないか探し回ったものである。

 

 

 

…さて、それから数十年が経ち、……過去の沢山の思い出が詰まった中華街に在る画廊で、縁あって12月1日から21日までの3週間、『記憶の十字路に射すヴィクトリアの光』と題したオブジェ中心の個展を開催する事になった。

 

…画廊の名前は1010美術。…オ-ナ-の方は倉科敬子さん。10年以上、この場所で企画展を運営されているというから正にプロである。

 

…ご縁ともいうべき不思議な導きによって開催する事になった今回の初の個展。…東京を中心に、名古屋、札幌、熊本、鹿児島、香川、京都、冨山、福井、千葉、金沢、…と今まで沢山の画廊で個展を開催して来たが、不思議な事に地元横浜での初の個展というのは、思えば不思議ではあるが、やはりご縁という〈導き〉なのであろう。…オ-ナ-の倉科さんとは波長が合うのか、お互いの話の展開が実に面白く、私は今回の個展が実に楽しみなのである。…アトリエからも近く、ほぼ30分で行けるので、出来るだけ在廊していたいと考えている。

 

30代の頃、…まさか後にこの中華街の中で個展を開催するとは知る由もなく歩いていたのだから、…人生とは本当に面白い。…私も度々画廊に行く事にしている今回の個展。……乱歩の小説に登場する謎の古道具屋を探し求めてさすらっている当時の私自身とすれ違うような…………、横浜中華街とは、そんな不思議感の漂う迷宮の町なのである。

 

 

 

 

 

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『夢の力-記憶は果たして遺伝するのか!?』

…急に寒くなったからではないが、最近、布団に入って本を読みながら次第に眠りへと落ちていく束の間の時間が、実に甘やかな気分になって愉しい。…夢の中では亡くなった懐かしい人達が笑顔のままに現れて、私達は談笑しているような幸せな気分になるが、…やがて靄が霞むように朧な姿になって、亡き人達は再び遠い所へと消えていく。

……また夢は時に、脳の潜在的な能力の深淵を垣間見せてくれるような、唯、不思議としか言い様がない事も見せてくれる。

 

………あれはたしか8年くらい前の事であった。…アトリエで夕方くらいまで、私はオブジェを作っていた。…あともう1歩で完成するという段階で、作品の中に入れる最後の詰めとも言うべき「何か」大事な物が何なのか遂に閃かず、私は断念して家路に就いた。…そして夜に夢を見た。

 

…その夢は明るい光を放ち、その光の真ん中に、私が昨日まで取り組んでいたオブジェがあり、…驚いた事に、作品は完成した姿となってそこに在るのであった。(……何だ‼出来ているじゃないか‼)…夢の中で私はそう声高に叫んだ。

 

…昨夜、閃かずにいたその箇所には、ネジくらいの大きさの小さな時計の部品が固定してあり、…それが実に絶妙な効果を呈していて、夢の中で私は満ち足りた気分になっていた。

 

 

…朝早々にアトリエに行き、私は或る物を必死になって探した。…夢の中に出て来たその小さな時計の部品は、確かにアトリエの中に在った筈、そう思いながら私はそれを探し始めたのである。…しかしその作業は困難を極めた。…アトリエの中には小さな部品(様々な物の断片)が3000以上はあり、それらは沢山の引き出しの中に無尽蔵に埋もれているのである。

 

…私は異常な記憶力があるらしく、夢の中に出て来たその部品の姿は目覚めてもなお、ありありと覚えていた。…探し始めてから三時間ばかり経った頃、奥の暗い引き出しまでも次々と開けて、或る引き出しの中を掻き分けると、その埋もれている底に、それは在った‼…(これだ!これ!!)…私は嬉々としながら、その小さな部品を掴み出し、オブジェのその箇所に固定して、遂に作品は完成したのであった。

 

……私は時に、美術に関するミステリ-や詩も書くが、絡まった推理が夢の中できれいに解れたり、また詩も夢の中で完成していて、早朝の目覚めの時に、それを携帯電話のメモに書き移す場合が度々ある。……………………夢の中で作品を作り出す。…その例としては、ポ-ル・マッカ-トニ-が夢の中でメロディ全体を完成させてしまっていた名曲『イエスタディ』の逸話は有名であるが、覚醒時の創るという緊張が解れた時に、創造の翼は夢の中で想像力の無限の可能性を呈してくるのであろうか。…創造するという行為は、覚醒している意識と、潜在的な無意識とのせめぎ合いのようなものであるが、時に夢の中の潜在光景がもの凄い可能性の拡がりを呈してくる事がある。

 

………これは夢の別な話であるが、夢の中で全く自分の知らない人達が現れて来て、私の方に実に親しげな笑顔を見せる。…すると私はえも言われぬ懐かしさがこみ上げて来て、彼らに対して微笑を返す。

 

…まるで内田百閒の名作『冥途』のような夕暮れの闇の中に見る生者と死者との交流のような感覚。その同じ夢を私は度々見るのである。…そして或る時、私ははたと思った。…これは亡くなった親(父か母のどちらか)の記憶が、私の中で遺伝子を介して映っているのではないか…と。

 

…記憶の遺伝ではなく、反応の遺伝は存在すると言われて来た。…しかし最近、哲学や心理学の仮説として扱われて来たにすぎなかった「記憶の遺伝」説が、近年の「後世遺伝学」の発展により、一部で限定的ながらも科学的な根拠が見えて来た段階にあるという。…私の場合はどうやらユングの「祖先の記憶」「集合的無意識」の考えと近いように思われるが、先のオブジェの例で書いたように、「記憶は埋もれているだけで、時に夢の力を援用すると、実は全てを覚えているのではないか⁉」という事が経験的に実証されもするのである。

 

 

 

「或る物を見て強い感動を覚えるという事は、…実は今の私と、遥か昔の遠い先祖の或る記憶とが、共振しているのである」という事を、小泉八雲は霊性について語った本の中で書いているが、真に私達の内なる夢の力には、常識という浅いものからは、かけ離れた計り知れないものがあるように思われるのである。

 

 

 

 

 

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『展覧会の緊急お知らせブログ・特別篇』

今回のブログは、コレクタ-の大湯祥蔵さんがご自身の膨大なコレクションの中から、私の作品のみを厳選して、この度、山梨の画廊(アートスペース夢)で展覧会を開催されるので、その緊急のお知らせである。…大湯さんのコレクション数は実に800点以上もあり、私の作品はその中の200点近くを収蔵されているというから驚きである。

 

大湯さんは2年前に、東京の本郷に在る画廊(ア-トギャラリ-884)でも、私の作品によるコレクション展を開催されているので今回で2回目である。…前回の展覧会の時、作品の掛ける高さや照明、配置に実に神経の行き届いた見事な展示をされていたので、今回の展示が実に楽しみである。

 

(蒐集という行為もまた、芸術における創造行為の一つである)という、眼識の高い先人が遺した言葉があるが、大湯さんの生き方を視ていると、その膨大なコレクションの全体像を通して、大湯さんの豊かな人生の輪郭が立ち上がってくるのを私は強く覚えるのである。自身の確かな眼を通して蒐集したコレクションの総体から視えて来るのが、他ならぬその人の深い肖像の映しなのである。…展覧会の会期は今月15日(土)~24日(月)迄。…大湯さんがご自身で作られた展覧会の案内状を以下に掲載しよう。

 

 

 

 

 

 

……高島屋での個展が終わって、10日が過ぎた。会期は3週間であったが、実に沢山の方との再会や新しい出逢いがあり、実に充実した個展であった。……その中でも特に忘れ難い人との出逢いがあった。それを書こう。

 
……画廊にその方(女性)が来られた時、私は佇まいの気配や美しさから、何か職人のようなお仕事をされている方だと直感した。…お話をすると果たして、蒔絵師をされている方であった。…〈蒔絵師とは、漆器や仏壇などに漆を接着剤にして金や銀の粉を蒔き、細密な絵や模様を描く職人の方をいう。〉輪島にお住まいの方で、先の能登半島地震に遭われ、また記録的豪雨による土石流により、お仕事の方も甚大な被害を経験されたのであった。…共に蒔絵のお仕事をされているご主人と(これから奮起して乗り越えていくには、そのそばに芸術作品を掛けて、その波動する強い力を受けながら乗り越えていこう)と話し合われ、今回の私の個展に来られたのだという。…初対面の方であったが、お話を伺うと、ご夫婦共に私の事をよくご存じのようであった。……そして会場で時間をかけて、一点のオブジェ作品を選ばれたのであった。

 

…コレクタ-の方から頂くお手紙の中に私の作品への感想として(部屋に掛けている作品からは強い波動がいつも伝わって来ます)というのを何通か頂いた事がある。…芸術作品たりえるならば、そこに強度なアニマを孕んでいなければならない…というのは、私が自らに課したカノン・規範であるが、その強度とは、私自身の資質の映しでもあるだろう。…とまれ、私はその蒔絵師の方から今回のお話を伺った事で、あらためて芸術の力とは何かを考える契機を頂いた事と併せて、今後更に深化する事への、励みともいうべき厳しい鞭を頂いたのであった。

 

 

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『熊がルネ・ラリックを観に来た話』

…秋が深まって来たというのに、熊は冬眠する気配もなく、13人が熊に襲われて亡くなっている。一方、秋田県で駆除された熊だけで既に1000頭以上を数えるという。…もはや熊と人との仁義なき全面闘争となって来た感がある。

そんな中、1頭の熊が秋田県仙北市の大村美術館にやって来たというニュ-スは少し私の気をひいた。…大村美術館…?はじめて聞く名前である。…熊が来るくらいなら、渋い日本画でも展示しているのかな?…と思って検索したら、ア-ル・デコ様式ルネ・ラリックのガラス作品を展示している個人美術館であった。

 

 

 

 

 

…(この熊は、危険を冒してまでもルネ・ラリックの作品が観たかったのか!?)…そう思って、私は息を呑み込んだ。そして思った。美術館にやって来たその熊は、その後で駆けつけたハンタ-によって撃たれてしまったのだろうか?

 

…もし撃たれたなら、…そしてハンターがその死骸に近寄って、硬直した熊の手のひらを開いた時、熊がしっかりと美術館の無料優待券を握りしめていたなら、それはそれで…悲しいものがある。

 

 

先月の10月19日に起きたル-ブル美術館のナポレオン関連などの王冠の宝石(155億円相当)が大量に盗まれた事件は、この美術館の警備の甘さが露呈してしまった感がある。

犯人(実行犯は2人、計4人組)は、長い梯子(機械式リフト)を使って階上に上がり、ガラス窓を割って侵入し、警備員(これも怪しい)を脅かしながら、短時間で現場から逃げ去ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

…その一報が入って来た時、私は(白昼にル-ブル美術館で盗難⁉…ならばきっとあの場所から入ったな‼)…と思ったら、果たしてそうであった。…表のピラミッドの入り口付近は警官がいて警備が堅く、しかも来館した人々の長い行列でたくさんの人目がある。しかし裏側のセ-ヌ河に面した方のドゥノン翼館の奥の通りはいつも静かで、人影もあまり無い。

 

犯人は開館直後に侵入し、数分の犯行の後に現場からスク-タ-で逃走したという。…開館直後、すなわちあまりに白昼堂々の犯行ゆえに、その梯子が階上に延びていても、通行人はおそらく、美術館の作業中だと思うに違いない!犯人はその効果も考えて犯行に及んだに違いない、…そう推理していた。…すると、私のその気が喚んだのか、高島屋の美術画廊Xで個展開催中に面白い人物が画廊に現れたのであった。

 

…あれは個展が後半に入った頃であったか。…画廊のテ-ブルの椅子に座って書き物をしていると、30代らしい一組の男女が現れて作品を観はじめた。すると突然男性の方が私の作品を観ながら(カッコいい‼)という甲高い声をあげた。

 

…その後ろ姿から(作家だな)と思って近寄って話しかけると、その男性は(昨日ル-ブルから帰って来ました)と言う。??……事情を詳しく訊くと、その男性はAIの画像を動かして「動く写真」を作っている作家で、ル-ブル美術館の地下で10月に開催しているア-トフェアに出品して帰って来たばかりだと言う。

 

更に話を訊くと、その男性は10月19日の早朝の午前9時30分頃にア-トフェアの会場に行く為に、セ-ヌ河に面したル-ブル美術館の裏通りを歩いていると、地上にスク-タ-が2台あって人が数人おり、梯子が階上に延びていたので、(あぁ、朝早くから作業をしているんだなぁ)と思いながら、そこを通って、ル-ブル美術館の地下に入って行くと、たくさんの美術館職員が血相を変えて走り回っている光景が飛び込んで来たのであった。

 

…彼のスマホで撮影したその画像を見ると、確かに小走りに走るたくさんの美術館職員が映っていた。……私は言った。(すると君は、正に犯人が梯子を使って階上で宝石を盗んでいる最中に、その現場に通りかかったわけで、その場にもう少しいたら、宝石を抱えた犯人達が梯子(機械式リフト)から必死な姿で降りてくる場面に遭遇した事になるわけだ。…お手柄になるか、いやむしろナイフで刺されていた可能性が高いかもしれないね‼)

 

…事件後にル-ブル美術館の副館長が記者会見で次のように語った。…(強盗犯が侵入した窓を映す監視カメラは老朽化の為に映っていなかった)と。……………ル-ブル美術館内に展示されている作品数は実に3万5千点あるという。…その多くに監視カメラが設置されているというが、実情は、さぁどうであろうか。…仮に全ての作品に監視カメラを設置した場合、その監視カメラを随時チェックしているセンタ-は膨大な広さと人員が要り、現実的に不可能である。

 

私は以前に映画『ダ・ヴィンチコ-ド』を観ていて、主人公がひそかに語った或る台詞に注目した事があった。…何と、監視カメラの1/3がダミ-なのだという。…ル-ブル美術館の監視カメラが脆弱な事は以前から指摘されていたが、(監視カメラの多くがダミ-であった)とは、とても公に言えない話であり、苦肉の案として出た老朽化という言葉であったように思われる。

 

 

次回のブログは『記憶は果たして遺伝するのか!?』と題して、徒然なるままに私のあまりにも不思議な体験談を交えながら書く予定。ぜひご期待ください。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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