『闇の深さ』

 

先日、横浜のそごう美術館で開催していた『水木しげる・魂の漫画展』を観に行った。なかなか上手い会場構成で、生誕から亡くなる迄の水木しげるの波乱万丈の歩みがよくわかり、見応えのある内容であった。初期の油絵を観ると、既にセンスの冴えが光り、後の水木ワ―ルドが開花する、その胚種のようなものが見て取れる。会場では各所に原画がたくさん展示されていたが、特に目を引いたのは、水木しげるの代名詞とも云える、神社の湿った裏の空間や、時間が停まったような民家の暗がり、闇だまり、あるいは黄昏の語源である「誰そ彼!?」の暮れなずまんとする、その闇への移行時に息づき始める「もののけ」の気配を現す為に描かれた、実に細かい線や、点打ちの鬼気迫る描画作業の苛酷さを映す原画の生々しい痕跡であった。……その密度たるや実に凄まじい。点打ちの苛酷さで、アシスタントだったつげ義春などは、毎日が腱鞘炎の日々であったという。……昨今の若い画家が、「幻想」などと云って、安直にただ細かさが売りだけの線描を描いて自足しているが、残念ながらその密度、強度、深み、すなわち現そうとする世界の立ち上がりのリアリティ―において雲泥の差があると云っていい。別な言い方をすれば、1本の線にも、それが描かれた時代の何か本質的なものが刻印されるという事であろうか。まさに1本の線さえも、作者の意図を越えて、その生きていた時代さえもありありと映すという事であろう。…………見えるものと見えないものが交差する、その十字路のような場に息づく不可解な気配、そのアニマの魂の交感。もはや現代に生きる我々がなかなか感じられなくなってしまった感覚、……怖いが、なぜか懐かしい、その郷愁にも似た世界を求めて、会場には実にたくさんの観客が訪れていた。 ……………………その水木しげるが描いた人物に、・民族学者・生物学者で粘菌の研究でつとに知られる「南方熊楠」と、仏教哲学者で妖怪を研究し「お化け博士」と呼ばれた「井上円了」がいる。特に最近は、私は井上円了に興味が傾いており、もっと深く首を突っ込んでみようと思っている。南方、井上の両氏とも実際に不思議な霊的体験を度々経験しているが、かく言う私もまた、四国丸亀の友人宅では、既に亡くなって久しい友人の祖父が二階で確かに歩く足音を聞き、以前のブログでも書いたが、上野の芸大の写真センタ―では、終戦時に集団自決した連隊の一兵士の、明らかに軍人が履く硬い靴音が、寝ている私の周りをひたすら歩きまわる音を聞いたり、幾つかの不可解極まる事を体験しているが、その不可思議な数々の出来事の謎の裏付けや分析を井上円了の書物の奥に探そうと思っているのである。……彼は生涯をかけて全国を歩き回り、数々の不思議な話を収集しているが、そこに私の好奇心がいま向かっているのである。……見えるものと見えないものが交差する十字路のような場。それは、クレーも語っているが、私どもが関わっている芸術というものの根源とも、実は深く結び付いているのである。

 

……6月の初旬辺りからオブジェの制作に熱が入り、アトリエにある大きな二つの作業テ―ブルの上に、次々と新作が並んでいく。7月は特に重要な月で、これからの1ヶ月間が最も集中した日々になっていくかと思われる。異常な長雨は憂鬱なものであるが、こと制作に於いては、意外にも集中を促してくれるのである。

 

 

 

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