『顔、そして眼……楢崎龍(おりょう)の場合』

……電車に乗っていると、ほとんどの人はスマホに没頭しているが、私は座席の前に並んで座っている人達の顔に関心がいって仕方がない。顔という小さな面積(キャンバス)の中に、先祖代々の様々な人達の遺伝子や物語が凝縮して、今、目の前の人達の「顔」として宿命のように現れている。そう想うと、「人は皆、遠い先祖たちの過去までも背負って生きている」と映って、想像力が湧いて来て仕方がないのである。……昔、コナン・ドイルが『名探偵シャ―ロック・ホ―ムズ』の執筆を着想した際にモデルにした人物がいるが、その人は医者でありながら、趣味は、人の顔相や着ている服装、そして靴の痛み具合や磨り減り方を見て、観察している相手の職業や家庭環境……等を推理する事であったという。そして、このホ―ムズのモデルとなった医者の分析はことごとく当たっていたという。私はこの逸話を聞いて、暫くそれに没頭した事があるが、とにかく、そういうわけで私は他人の顔に関心がいって仕方がないのである。……そして、その顔が他の何に似ているかと考え、痒い所に手が届いた達成感のようにピタリと当てはまらないと、自分でもまだまだイメ―ジを連結させる修行が足りないと、反省する事しきりなのである。人に似ている物が、別な人とは限らない。例えば、正面から見た新幹線であったり、海藻が絡み付いた地引き網であったりと、その対象はあまねく広範囲なのである。……そういうわけで、顔と云えば、インパクトに於いて他の追随を許さない人物、つまり前回に続いてカルロス・ゴ―ンがここに登場する事になる。……この男、「レバノンにいま必要なのは先ずは教育現場の豊かな拡張だと思う。だから僭越かも知れないが、私は私財を叩いて学校を建てる事に協力を惜しまない。この国に尽くしたい。……」とでも云えば、レバノンでもいだかれている拝金主義の亡者のイメ―ジから、流れは少しは変わるかも知れないが、作業員に変装して失笑をかった辺りから、やることすべてに焼きが回ったようで、つまりは精彩がなく窮していくばかりである。とまれ、日産・ルノ―、そして造反、……そんな事は全く関心はなく、私は年明けから、このあまりに特徴的な顔をしたゴ―ンが他の「何」に似ているかという事に取りつかれ、その事ばかり考えていた。……タブレットで検索すると「Mr.ビ―ン」に似ているという意見が圧倒的に多い。たぶん、みんなの関心もゴ―ンの顔にあるのであろう。……しかし、Mrビ―ンの売りは、小心、屈折、無口、僻みであって、ひたすらな強気、頑固、巧みな饒舌、背景を大きく見せる剛腕で生きて来たゴ―ンとは真逆で、言われる程には似ていない。……私は更に考えて漸く、痒い所に手が届く物に到達した。それが、……何と、……「達磨(だるま)落とし」である。太い眉、不機嫌に相手を睨み付ける強い眼力、逆Vの字の固く閉じた口。…………さてさて、皆さんにはどのように映ったであろうか!?

 

 

 

 

話は変わって、話題は顔から眼に移る。……昨年の夏に千葉を襲った猛雨の時に、本来ならば災害本部を立てて陣頭指揮をすべき筈の県知事の森田健作が、あろう事か一番大事な時に公用車を私的に使い自宅へ向かった!というW失態で糾弾されたのは記憶に新しいかと思う。しかし、その直後の会見がいささか不味かった。……私だったら早々と頭を丸め、修行僧の袈裟姿に服装を変えて会見の場に臨み、横に「どんなに注意して歩いても、目先の石にだってつまずく事はある。だって、人間だもの。 相田みつお」と、黒々と墨書きした大きな色紙を掲げて(もちろん、相田みつおに、そんな言葉は無いと思うが……)、先ず最初に深々と頭を下げ、「この失態を猛省し、知事である以前に、先ずは一人の人間として精神の修行を積み重ね、これをバネにしてこの国の県知事史上、最高に優れた知事と言われるように己をひたすら磨き、千葉県の人々の為に粉骨砕身しますので、皆さんも、この未熟者を叱咤すると共に、何卒寛大な眼差しを持って見守って頂きたいのであります!」と先手で話し、「……何もそこまでやらなくとも……」と、矛先をはぐらかせば良いものを、詭弁を弄して逃げ切ろうとする反発の姿勢を見せたから、2か3で済むのを、8か9に飛び火させて、世論の過剰反応な情緒が一斉に噛みついたのであった。……その公用車の私的使用に関しても、舛添都知事の時もあったし、極論すればかなりの数の政治家、知事、その他諸々がまぁ日常的にやっていることは想像に難くないのである。…………テレビで、その森田健作が汗を拭きながら弁明する姿を見ていて私が思ったのは、ちょっと世間の人の憤りとは違ったものかと思う。「……しかしこの森田健作、ずいぶん眼が小さく、細くなったなぁ……」という驚きであった。ためしにタブレットで昔の俳優をやっていた頃の森田健作を見ると、果たして、人はかくも眼が小さくなるのかと、ため息が出る程の今の変わり様である。私は思った。〈人は例外なく歳を取ると、眼が小さくなってしまう〉と。森田健作以外に身近の周りを思い出しても、そこに例外は無い。……かく言う私も、20代の頃は30m先から北川さんの大きな眼、長い睫毛が気になって仕方がない……と方々に指摘され、瞳孔の綺麗な光が太陽に反射して眩しすぎる!……とつい昨日のように言われたのを今、思い出した。……そして、私は思ったのであった。「やはり間違いない!……あの女は、楢崎龍ではなく別人である!!」と。…………本名、楢崎(ならさき〉龍、通称、おりょう坂本龍馬の妻として知られる、あまりにも有名な女性である。

 

 

私のアトリエのある横浜・東横線の妙蓮寺駅から3つめの「反町駅」という駅で下車して暫く行くと、高台の上に「田中家」という幕末からの老舗料亭が今も在る。広重の東海道五十三次の「神奈川台之景」にも、その「田中家」は描かれている。1867年に京都の近江屋で坂本龍馬が暗殺された後、明治の世になり、龍馬の妻のおりょう(1841~1906)は、勝海舟の口利きで、この田中家で働いていた事があった。そこで撮した当時の写真が残っているが、その顔は、おりょう晩年の時に撮した顔と目鼻立ちにおいて似ており、何より眼が大きいのが特徴的であり、同一人物と見て間違いはない。……晩年のおりょうの眼は、なかなかいないくらいに眼が大きいのが特徴的なのである。……その2枚の写真と比べると、度々、龍馬関係の番組などで知られる、若き日のおりょう(と云われている)の写真の顔は、瓜実顔で眼が細い典型的な京美人の顔である。……若い頃に撮ったおりょうの顔が、晩年の顔と違いすぎるので、疑問視する声は以前からかなりあり、同写真を収蔵している高知県立坂本龍馬記念館が警視庁科学警察研究所に鑑定を依頼した事があった。顔の輪郭や目などの位置や形を分析した結果、目や口の形などに相違はあるが、同一人と示唆することが科学的に妥当な判断と、断定は控えながらも一応はゆるい結論が出た。……「目や口の形などに違いはあるが」という大事な箇所を、警視庁科学警察研究所は何らこだわりなく素通りしているが、私が引っ掛かるのは、若い頃より晩年の方の眼が、写真では大きいという不自然な事実である。これが、若い頃に眼が大きく、晩年になって小さくなっていたのなら、「目や口の形などに違いはあるが(つまり、すぼんだ)」は難なく納得するが、そこの大事な所を鑑定者は飛ばしてしまったのではないかと、気にかかる。……また、その若き日に撮られたおりょうと同一人物が芸者として写っている写真も別に存在していて、誰もが納得するような結論はまだ藪の中である。……私は『「モナリザ」・ミステリ―』という著書を以前に書いたので、読まれてご存知の方もお在りかと思うが、そこまでやるのか!と言われるくらいに、問題点が浮かんだら物証的な裏付けを求めて、例えば、京大の発達心理学の教授に会いに行って、私の視点に対し、その分野のプロが見て整合性はあるのか……というふうに客観性を交えた複眼で徹底的に詰めて書く人間であるが、それ故に、この警視庁科学警察研究所の鑑定結果報告に、消化不良の得心の無さをどうしても覚えてしまうのである。……まぁ、良しとして事なかれの妥協点をこの国は平気で出して、人々も曖昧の内に了解してしまう流れが国民性としてあるが、これが西洋だと、その曖昧さは許されない。……数年前の話になるが、ダリの娘だと称する女が現れた時に、フィゲラスのダリ美術館の地下に埋葬されているダリの死骸を掘り出して、血液鑑定、遺伝子鑑定を徹底精査して、その女の虚偽を立証した例などは記憶に新しい。……とまれ、人は例外なく歳を取ると眼が小さくなる。……ここに書いたおりょうのように、小さく細かった眼が重力や目蓋の重みに反して、不自然なまでに晩年になってありありと開いた……というのは絶対に有り得ないが、余談を記せば、若い頃から眼が大きく、晩年になっても、その眼の大きさを保った……というのは、考えてみると、女優の京マチ子(1924~2019)くらいであろう。未だ新人の内に文豪・谷崎潤一郎にその才能を絶賛され、谷崎の予言通りに、国際映画祭を次々に制し、グランプリ女優と呼ばれた伝説の女優の、それは内に秘めた矜持の成せる業なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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