『冥土 in japan 』

……今回は物騒なタイトルから始まった。西洋では「Mement mori(死を想え!)」という警句があるが、日本語ではこれに似たような言葉はあまりない(少なくとも今は浮かばない)。……とまれ言葉は無くとも、この3月辺りから、新型コロナウィルスに扮した死神らしき者が私達の周りで死の舞踏を踊っている気配で、否応なくリアルに死を想う日々を過ごしている昨今である。この数ヵ月ほど、彼の世と此の世が実は地続きで、ほんのちょっとのモメントで死が隙間から覆い被さってくるという恐怖感覚を味わった事はなかった。それと昨今の地震の多発化が相乗して、この日本が何やら冥土へと斜めに滑り落ちていっているような、そんな暗くて不穏な「冥土in japan」なる日々である。

 

 

 

 

昔、まだ学生の頃の話であるが、神楽坂の友人宅にいた時に、その友達なる人が来た。その人はその世界では知られたパチンコの名人(つまりパチプロ)で、パチンコ店に行く時に決まって無一文の手ぶらで行き、帰りは稼いだかなりの現金を手に洋々と帰っていくという。……店に入るや、彼は床に落ちているパチンコ玉を1つ拾い、台を決めて静かに腰掛け、必ずその1発の玉でチュ―リップを開かせてから、プロの釘師と自分との闘いが始まるのだという。パチンコ台がコンピュ―タ化された今と違い、昔は名人と呼ばれる渡りの釘師がいて微妙に釘の角度を調節し、それをパチプロなる人がいて、両者の無言の闘いが行われていたアナログの時代だから、突き詰めれば一種の美学とも云えるものが成り立っていた(かと思う)。先日テレビで見たパチンコ狂いの客達は決まって貧相で、なんとも情けないに尽きる感があったが、想えばその時のパチプロなる男は一匹狼とも云える孤独な陰りがあり、今も記憶に何故か残っている。しかし機械化された今は、止める事が出来ない麻薬患者よろしく、自分の意思というよりは仕掛けられた店内の過剰な騒音などにより脳内モルヒネの分泌がパチンコ狂い達の弱い精神を突き動かし、自粛騒動の中を開いている店を求めて、あたかも薬中毒の患者のように延々と流浪しているのである。……「何もする事がないんだよ、いいんだよ俺は、パチンコさえ出来ればコロナで死んだっていいんだよ!ほっといてくれよ!!」歯が数本抜けた、そんな男達の(更に感染を増やす危険性が多々ある)姿を見ていて、ふと浮かぶものがあった。……何台ものパチンコ台、業者と共に彼らを無人の離島か、廃校になった學校の校舎に仮住まいさせ、お望み通り、パチンコ狂いに興じさせるのである。もちろん食事は有料で給される。しかし、彼らは入ったら最期、自分の意思で出る事は許されない。感染が収束するまでは各県の徹底した管理下におかれるのである。……収束後にテレビ局の人が取材でそこに入って行くと、そこにはウィルスにやられた悲惨な光景が映される。しかし彼らの顔を充たしているのは、病んだ脳からの命令とはいえ満足しきった至福に充ちた表情が浮かんでいた、……という結末である。

 

 

 

 

 

……最近、強く印象に残っている事がある。それは、日本と違い徹底した外出禁止令の中、死のリスクを背負いながら必死で医療に励む病院の医療関係者、患者達、……そして市民をあまねく励ます為に鳴らされた、パリのノ―トルダム聖堂から奏でられた、あの巨大な鐘の崇高なまでの響きであった。昨年の火災で自らも傷つきながら、荘厳に鳴り響くその音は、一神教の徒ではない私でさえも奮わせられるものがあった。……昔、パリに滞在していた時に聴いた、下宿の屋根裏部屋の天窓から聴こえてくるサンシュルピス教会の鐘の音、或いはブリュ―ジュで聴いたカリヨンの鐘……他、何れも聴覚に忍び入って来て内なる琴線を揺らし鼓舞してくれるものがあるが、やはり、ノ―トルダム聖堂のそれは圧巻であった。魂が天上的なるものとリンクして、精神がバネと化し力が湧いて来るのである。……文句なく美しい、そう思った。そして思った。日本の鐘はこういう場合、どう響くかと。例えば、テレビを観ていてそのノ―トルダム聖堂の鐘の響きに感動した寺の和尚がいて「よし俺も!……」と熱く思って鐘を鳴らしたら、どうそれは響くか!?……この比較は面白いと思った。西欧の乾いた気象の下で聞く硬質な鐘の音色は、天使の羽根の如く天上へと私達をして導いていくのであるが、日本の寺の鐘は、(除夜の鐘だけは過ぎ去る年を想って感慨深いが)むしろ逆効果であろう。精神を鼓舞するどころか、ゴ~ンと、湿った空気を抜けて響いてくるその鈍くて重い音は、限り無く冥土への誘いとして響いてくるに違いない。時期も時期。下手に鳴らすと、神経過敏な近隣の住人から「縁起でもない、何を考えているんだ!……不気味で気色が悪いからヤメロ!」と抗議が来ることは必至であろう。…単なる鐘の音のマチエ―ルの比較であるが、この発想は、そこに現実の新型コロナウィルスの問題を具体的に挟んでみると、はっきり違いが見えて来るのである。……そう、私は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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