『ヴェネツィアの水と夢』

……前回のブログで、コロナウィルス感染者ゼロの岩手県の不思議について書いたが、考えてみるとこの騒動の渦中にあって、現在もなお一人の感染者も出ていない岩手県の気丈とも云える異色な存在は、ある意味で死中に活を見るような一つの希望的存在であったような気がする。岩手県だけ何故感染者がゼロであるのかという謎は謎のままに、ある視点から見れば、新型コロナウィルスという敵にも死角のある事が、そこにうっすらと透かし見えたからである。……想えば、岩手はかつては平家の中央集権と離れて独自で強靭な藤原三代の栄華を咲かせた、正に独立自治の気概に富んだ地であり、また不思議な話に充ちた『遠野物語』の舞台でもあり、石川啄木、宮沢賢治、松本竣介……といった、私の好きな今だ色褪せないモダンな感性と豊かな詩心を持った特異な表現者を輩出した地でもあり、私はこの岩手という所が最近ますます好きになってきているのである。……さて、コロナウィルスは少しずつ最初の収まりを見せつつあるが、必ずや第二波が再び襲来する事は必至であろう。その時もなお岩手県が感染者ゼロを維持しうるのか否や、私は注目していたいと思っている。

 

……最近の私はかなり早起きになり、朝のBBCニュ―スを観るのが毎日の日課のようになっている。そのニュ―スで面白いものを観た。……恒例のカ―ニバルを途中で中止して、正に戒厳令の監視下にあるように観光客が絶えたヴェネツィアの運河の水が自浄作用が働いて綺麗になり、画面からは水中深くで生き生きと泳ぐ魚影の姿が映し出されたのであった。……今まで4回ばかりヴェネツィアを訪れた事があるが、運河の水はかなり汚く、夏の臭いは特にひどく、正に廃市の感があった。しかし画面に見るそれは人が絶えた事で生じた奇跡のように私には映った。…………その映像を観ていて、ずいぶん昔に見た或る夢の事を思い出した。…………廃市のように人が絶えた霧のヴェネツィア。その運河の水面を私が乗った黒いゴンドラが滑るようにして或る館の中に入っていく。……運河の水が異常に増した為に、この地の人の姿が全く絶えたのか、他は無人、唯私一人だけがゴンドラに乗っているのである。しかしゴンドラを操る漕ぎ手の姿もなく、ただ私を乗せたゴンドラが何かの強い磁力に引かれるようにして、嘗ての栄華を極めた或る館に滑りこんでいくのである。その暗い館に滑り入ると、全くの静寂の中、大きなガラスケ―スが何かの暗示のようにして対置して置かれていて、そのガラスの中を見ると、あろう事か、何故かダ・ヴィンチとミケランジゥロの素晴らしい素描が全くの無人の静寂の中で展示されているのであった。……私は陶然とした気持ちのままに、ただ、それらを眺めているという夢であった。……しかし、この夢は一種の予知夢であったらしく、時を経てやがて現実のものとなった。ロンドンの大英博物館の別館にあるルネサンスから近代迄の素描を集めた研究室で、日本からの美術の在外研修員として訪れた私は、夥しい数のダ・ヴィンチとミケランジェロの素描を白い手袋をはめたままに、じかに手に持って存分に見る事が叶ったのであった。ガラス越しと違い、自分の掌中にあるそれらは、不気味なまでの生々しい迫力を持って私に迫り、その体験から吸収した事は実に多いものがあり、著作の中でもそれを記した事があった。……さて話を始めに戻すと、人が絶えた事で生じた奇跡とも云える自然界の自浄作用で、この汚れた環境はかくも早く元に戻るのか!という驚きと、今一つの不気味がそこにあった。……もし、人類が絶えたら、長年の環境破壊によって、もはや死に体となりつつある地球の生成と死はその自浄作用によって……という、ある種の苦さと、然りという想いが交錯する感慨を私は抱いた。この想像の果てに辿り着くのは、ポエジ―の本質かと思われるが、その事を暗示してやまない、実に奇妙なものがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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