萩原朔太郎

『室生犀星&恩地孝四郎 in福井』

…いよいよ4月。…先日の桜の頃に、個展のために福井に行って来た。3日間の慌ただしい滞在であったが、故郷である事もあって久しぶりに会う人が多く、嬉しくも駆け抜けたような3日間であった。

 

 

……個展会場であるGalleryサライのオ-ナ-の松村せつさんのセンスの良い采配で、作品34点が壁面に掛けられていき、緊張感を帯びた個展空間が立ち上がった。翌日の初日、朝10時の開廊と共に福井のコレクタ-の人達が次々に入って来て、会場はすぐに人で埋まった。

 

 

初日の夕方、福井に来たもう1つの大事な目的があった。日本の近・現代版画の主要な作品を数多くコレクションされているコレクタ-の荒井由泰さんが来られて、車で一緒に荒井さんのご自宅がある勝山(恐竜博物館でも知られる)に行き、作品の数々を(今回は近代版画の地平を切り開いた恩地孝四郎を中心に)拝見するのである。

 

…そして、その後で、同じく勝山に住む画廊サライのオ-ナ-の松村さんのご自宅と古い蔵(築300年)に行き、その壁面に掛けられている作品の数々を拝見するのである。…画廊で、これから勝山に行く事を知った私の作品のコレクタ-の若い男性2人も同乗する事になり、夕方一路、深い自然が残っている古刹の永平寺を通過して勝山へと向かった。

 

荒井さんは、以前のブログでも何回か登場されているが、美の眼識が実に高く、交流関係の実に広い人で、画家のバルテュスが来日した際も、はるばる勝山を訪れて、荒井さんのご自宅で寛いだという逸話がある、荒井さんとはそういう人である。荒井さんとのお付き合いは長いが、いつも作品について熱心に熱く話をされる荒井さんを見ていると、「作品を収集するという行為もまた、確かな創造行為なのである。」という言葉があるが、この言葉は実に至言だなと思うのである。…熱い思いでコレクションされて来た作品の総体。それがすなわち、荒井さん自らが紡ぎ上げた紛れもない自画像なのである。

 

 

 

2階で恩地孝四郎の代表作にして近代版画の頂点に在る「『氷島』の著者・萩原朔太郎像』、『Allegorie No.2 Ruins (Haikyo)』が先ず在って私を驚かせた。

 

『氷島』の著者(萩原朔太郎像)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そしてその場で私は荒井さんから恩地孝四郎の貴重な随筆と写真が載っている限定本『博物志』をプレゼントとして頂いた(美術家にして詩や文章も書く恩地孝四郎は私における具体的な導きの先達なのである)。

 

 

…その後で恩地の貴重な作品を数多く拝見したが、特にその夜に私の関心を惹いたのは、室生犀星の『青い猿』の挿画作品として刷ったグロテスクな女達の相を描いた木版画であった。…私は反射的に〈あっ、これはあれだな‼〉と閃く、室生犀星の詩があった。…それについて以下に少しく書こう。

 

 

ここに掲載した室生犀星の詩。…画像は裏が透けて読みにくいかと思うが、これは私が詩集の新しい表現の為の印刷の可能性を実験した為で他意はない。さて犀星の詩はこう書いてある。

 

…(あさくさに来りて/くらき路地をくぐりぬけつつ/哀しきされど美しき瞳をさがす。/うつくしき瞳はみな招へども/こころ添いゆかず/さまよい疲れて坐る/公園のつめたき石。)

 

……哀しき、美しき…が前面に出ているロマンチケル、理想の高い夢追い人、室生犀星の都会のさ迷い日記の一頁のような…詩である。…しかし、この詩に登場する舞台や人物は、このブログで度々登場する凌雲閣(浅草十二階)下に迷宮のように広がっていた銘酒屋(店に置いている酒は飾りで実際は淫売屋)で客の男性を漁っている女郎たちである。…室生犀星は夜行列車で金沢から上京するや、上野からすぐその足で浅草に行き、銘酒屋の女達を求めて頻繁にさ迷っていたのである。

 

…恩地孝四郎が描いたこのグロテスクな女達の不気味な相は、それを直に表した作品なのである。……今は無きこの銘酒屋にいた女郎たちはその数実に2000人はいたというから、浅草十二階下から拡がっているその様を迷宮といったのは誇張ではない。…室生犀星は(うつくしき瞳はみな招へども…)と美しい言葉で装おって書いているが、次の行の(こころ添いゆかず)は、リアルである。

 

…この淫質な迷宮をさ迷っていたのは室生犀星だけではなく、…谷崎潤一郎今東光石川啄木竹久夢二永井荷風高村光太郎…と挙げればきりがない。…室生犀星は幼児期に姉が東京の女郎屋に売られた事があり、最初は姉の行方探しもあったかと思うが、次第にこの都会-浅草の毒に、はまっていったように思われる。

 

…それにしても、すぐれた抽象、具象の抒情…と恩地孝四郎の表現の幅は実に広く、かつ深い。…恩地だけにとどまらない荒井さんの膨大なコレクションを全て見ようと思ったら数日はかかってしまうに違いない。…(荒井さん、もう1度機会をみてまたぜひ、今度は個展でない時に来たいですね。) ……そう話していると、ギャラリ-から松村せつさんが戻られたので、続いて、松村さんのご自宅へと向かった。

 

…300年前に建てられたという大きな蔵に入って驚いた。…広い四方の壁面に私のオブジェや版画が沢山掛かっていて、それがアフリカの古いお面やタピエス…などの作品と調和していて、また新たに変容した私の表現世界が静かにそこに、松村さんの美意識と相乗していたのであった。

 

 

 

 

 

そして蔵に隣して在るご自宅は、昭和の初期に建てられたという大きな病院だった家で、電話室がある玄関から入ると、奥は寺院や老舗の旅館の奥座敷を想わせる深い気品があり、松村さん手製の大きな提灯が広い和室に深い韻を醸し出していた。

 

 

 

 

 

 

……勝山は、周囲を深山が領している、時間が止まったような静かな美しい土地である。夜、暗い道を歩いていると、既に亡きこの土地に生きた先祖たちの魂が豊かに息づき、生者を見守っているような気配を私は感じたのであった。…荒井さん、松村さん、…共に私の作品を相当数コレクションされていて、その作品がこの勝山の夜と同化している。…私は表現者冥利に尽きる感慨を覚えながら、数日後に横浜に戻って来たのであった。

 

 

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『個展 – 私の現在』

三週間続いた日本橋高島屋本店の美術画廊Xでの個展がようやく終了した。世の不況にも関わらず、出品点数82点の内、50点以上の作品がコレクターの方々のコレクションとなっていった。昨今の美術表現の傾向は、薄く脆く、ぼんやりしたイメージの芯のない傾向へと向かっているが、私は芸術とは強度で美と毒とポエジーこそ必須であると考えている。そしてマチスが美の理念とした言葉「豪奢・静謐・逸楽」ー つまりは、眼の至福たる事を範とし、その実践をしているという意識は強烈にある。しかし、そうは言ってもやはり実際にコレクションを決断されるというその行為に対しては本当に感謝したいと思っている。かつて池田満寿夫氏が語ってくれたように、「コレクションされるという事が、作品に対する最高の批評」なのである。

 

さて、今回も様々な方と会場でお話する機会があった。この国の最大のコレクターといっていい東京オペラシティの寺田小太郎氏は、毎回の個展でコレクションして頂いているが、今回は三点のコラージュを求められた。その後、私と寺田氏は一時間ばかり会話を交わした。この国の現在の混迷の元凶は、明治新政府において西郷隆盛の農本主義が廃された事に拠るという自説を語ると、実は寺田氏もまた同じ考えを持っておられた事に驚いた。そして日清・日露で勝ってしまった事がこの国の軌道を狂わせたという話になり・・・・寺田氏の豊富な体験談を伺って、私はずいぶんと教わる事となった。

 

有田焼十四代の今泉今右衛門氏とは、芸術作品の表象にある肌(メチエ)が如何に決定的に重要なものであるかについて、分野の垣根を超えて共通な眼差しをみられた事は意義深いものであった。メチエが持つエロティシズム・魔性・暗示されたイメージの豊饒、・・・・そして気品。ちなみに、この当然なメチエへのこだわりに眼を注いでいる美術家は、私の知る限り皆無であるといっていい。

 

さて掲載した作品写真は今回の出品作『ベルニーニの飛翔する官能』である。この作品をコレクションしたのは、短歌の第一人者、水原紫苑さんである。水原さんは、あの白州正子さんが「稀に見る本物の歌人」と高く評価した才人。このコラージュは危うく妖しいエロティシズムに充ちた難物であるが、さすがに天才の眼は、一瞬でこの作品に意味を見た。水原さんの購入が決まった後に売約済を示す赤いシールがタイトルの横に貼られた。その後、この作品を購入したかったという人が8人続いたが、その全員が女性であった事に私は作者として驚いた。男性は作品に理論的な意味付けを試みるが、女性は直感で作品の本質を見抜く。女性の感性たるや恐るべしである。

 

今一つの画像作品は、詩人の野村喜和夫氏がコレクションを決められた。野村氏は現代詩の第一人者として、昨今最もその評価が高い。先日は歴程賞を受賞し、この春は萩原朔太郎賞を受賞するなど、刊行する詩集や評論集のことごとくが注目の的となっている。野村氏は個展の度に私の作品をコレクションされているが、その選択眼は確かであり、私の作品の中でも代表作となるような重要な作品ばかりを必ず選ばれている。来年の一月には詩人のランボーを主題に絡ませた、野村氏と私の詩画集が思潮社から刊行予定となっており、作品は既に作り上げている。さて先述した水原紫苑さんや野村氏といった表現者の人にコレクションされる事には今一つの更なる楽しみがある。それは御二人に見るように、短歌や詩の中で私の作品が変容して再び立ち現れる事である。既に野村氏は今年の「現代詩手帖」の巻頭で、それを実行し、水原さんも近々の作品の中に詠まれる由。ともあれ、今年の個展は全て終了し、私は束の間ではあるが休息となる。しかし、このメッセージはしばらく休んでいた分、書きたい事が多くある。乞うご期待である。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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