…用事を済ませてアトリエに戻ったら、郵便受けに大きな封筒が。…差出人を見ると筑摩書房の大山さんからである。…!?と思って開けたら、美学者の谷川渥さんの新刊書『美学講義』が入っていた。…早速谷川さんに刊行のお祝いと御礼のメールを送る。…本の表紙には、〈バロックとの微妙な関係性のうちに展開する美学的言説をめぐる思考の軌跡…〉の文字が。
東大文学部の美学を出られた谷川さんの先輩になる、演出家で作家の久世光彦さんに生前〈美学って、つまるところ何ですか?〉と訊いたことがあった。久世さんの答えははっきりしていた。…〈結局わからない!〉であった。…そのわからないという所から谷川さんのこの本は出発しているので、かなり厄介だが、それ故に面白いと思う。………谷川さんの著作はこれで何冊になったのか?……これから書く四方田犬彦さんは既に300冊の著作をものにしているというが、突出した論客である、このお二人とは、どういうご縁があるのか、お付き合いが長い。
その四方田さんの著書『人形を畏れる』の冒頭は、私が持っていた不気味で土着的な人形に対する記述から始まり、次に私が登場する。
……(美術家の北川健次がいう。富山の方を廻っていて見つけたのだけれど、どうしたものだろう。北川は作品の素材を探しに行った先の古物商で、店の片隅に放置されている人形を見つけた。人目見て、何か因縁のあるものではないかと思い、あるかなきかの程度の金を払って引き取ってみたものの、はたして作業場に、他のオブジェや版画の間に並べておいていいものか迷っているという。彼はそれをなぜか「弥助人形」と呼んでいた。…以下続く)
…その人形がこれである。↓
自分とは違う作家が私の事を書いて、それが活字になると妙な感じがする。…自分であって、自分ではないような……。先に登場した久世光彦さんも私の事を何かの文章で書いているが、これはもう耽美な久世ワ-ルド一色で、危険な艶を帯びた姿で私の事が書かれており、あたかもルキノビスコンティの『地獄に墜ちた勇者ども』に登場する鋭くも怪しいナチスの将校のそれである。…しかし、いずれも、本になる前に自分が登場する事は知らされているのである程度予測はついている。
しかし、こんな事があった。……先だって、横浜の図書館で10冊ばかり本を借りて来て読んでいたことがあった。何冊かを読んで、次に森まゆみさんの著書『路上のポルトレ-憶い出す人々』を読んでいた。森さんが生前にお付き合いした人達の事を綴った点鬼簿のような本である。…私も生前に親しくして頂いた名書評家で作家の倉本史郎さんの章に来た。網野善彦、別役実…の名前が出て来たと思った次に、突然私の名前が出て来た時は驚いた。…亡くなった方ばかり登場するので、一瞬自分も死んでいるのかと慌てたのであった。
…あらためて読むと、葉山の倉本さんのお宅に招かれた時に、翻訳家の河野万里子さん、森まゆみさん達とお会いした時の事が書かれていたのであった。…その時に過ごした時間は本当に愉しい時間であったが、文中で森さんはその時の事が至福の時間であったと書いていて、(そうか、森さんもそう思っておられたのか)と嬉しかった。
…文章は移って倉本さんのお通夜の場面が出て来て、森さんともう一度お会いして、夜半に一緒に横須賀線で帰った事も思い出したのであった。
…その時に私は『モナリザミステリ-』という本を新潮社から刊行していたので、森さんにお送りすると(美術家にこんな上手い文章を書かれたら困る!)という嬉しいご感想のお返事を頂いたことがあった。
……後日、私が森さんの著作の熱心な読者になる事など、その時は知るよしもなかったのである …… 書く人によって、私の姿が各々違うのは当然であるが、結局人は、自分なりの独自なレンズで相手を視ているのである。…それを拡げて考えると、或る作品も決して一様に見えておらず、各人によって、その受け取りかたも全く違うのである。…ふとそんな当たり前の事を何故かぼんやりと思ってしまった。
…前回のブログでお伝えしたが、今月の25日まで名古屋画廊でヴェネツィアを主題にした、私のオブジェ、コラ-ジュ、写真と共に、馬場駿吉さんの俳句を展示した展覧会を開催中である。…
そして、今月の22日(木)から6月9日(月)まで、西千葉の山口画廊で、30点のオブジェから成る個展『謎/モンテギュ-の閉じられた箱の中で』展が開催される。…今までにない新しい試みによる作品も初めて本展で発表をしているので、ぜひのご高覧をお願いしたい次第である。
…画廊のオ-ナ-の山口雄一郎さんは、今回の個展開催に際して、『画廊通信』という画廊が刊行しているカタログで、『迷宮の詩学』と題して、実に緻密な論考を拙作への深い思索に充ちた文章で展開されていて、私はそのカタログがアトリエに届いて早々にあまりの面白さに読み耽ってしまった。…山口さんは寡黙で実に謙虚な方であるが、その内に実に鋭い直感を秘めていて、今回が4回目の個展になるが、未だに山口さんは私にとって尽きない〈謎〉なのである。
… 今回のカタログで山口さんは、北原白秋の『邪宗門秘曲』の詩と、私の詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』を対比させ、その角度から私の文章に於ける方法論を絞り込んでいき、エルンストや澁澤龍彦も登場して、稀にみる硬質な分析になっていて実に読み応えがある。…私が無意識と思っている部分にも鋭いメスを入れて、そこから必然的な意味をも引き出して来て、なおも作品の謎が深化していくという、それは実にトリッキ-とさえ想わせてしまう文章なのである。…画廊に来られたらぜひ、カタログの方の山口さんの書かれたテクストも味読していただければと願っている次第である。