#名古屋画廊

『クレ-・ゴッホ、そして…平賀源内登場』

…少し遡るが、先月の25日に名古屋に行ってきた。…名古屋の馬場駿吉さんとのヴェネツィアを主題とした二人展を、老舗の画廊の名古屋画廊で5月9日から開催するので、その打ち合わせが4時から予定されているのである。

 

…せっかくの名古屋行なので、着いて早々に先ずは愛知県美術館で開催中の『パウル・クレ-創造をめぐる星座』展を観る事にした。 広い会場には老若男女の沢山の人が熱心に観ている中、質の高いクレ-の作品が数多く展示されていて、高まって来るものがある。

 

クレ-はいい。作品とタイトルとの関係もまた絶妙である。…近・現代の美術作品が、各々の時代が放つ澱のようなものを帯びはじめていく中、時代の淘汰を凌駕して、ますますクレ-は、クレ-だけはその深い詩情を観者に放って、常に褪せぬ鮮度があり、かつ深い。会場で私はいろいろな事を考える事が出来て収穫の多い展覧会であった。…会期が3月16日迄なので、機会があればぜひご覧になる事をお薦めしたい展覧会である。

 

 

 

午後4時少し前に名古屋画廊に着く。25日に打ち合わせ日をお願いしたのは私の方で、画廊で開催中の『ファン・ゴッホと日本近現代ア-ト展』という実に興味深い展覧会の、この日が最終日なのである。

 

 

 

ゴッホの初期の油彩画の農夫の手を描いた作品が展示されているが、それはゴッホの初期を代表する名作『馬鈴薯を食べる人々』の習作で描かれた作品だと思うが、…小品ながらゴッホ研究の第一に来るべき名品かと思われる。

 

…農民の拳の盛り上がった肉の厚みを観ると、ゴッホの絵画の本質にあるミレ-の系譜に繋がる祈祷性を持った、ある意味の宗教画である事が実感として伝わって来る。……そのゴッホの作品の左右に坂本繁二郎白髪一雄中西夏之三木冨雄…達の作品が並んでいて不思議なバランスを奏でながら展示されているが、なかなか工夫された試みかと思う。…

 

しばらくして馬場駿吉さんが来られたので、画廊の社長の中山真一さん、画廊の桑原光司さんと一緒に打ち合わせが始まる。…近くの老舗鰻屋で名古屋名物のひつまぶしの会食を頂きながら、話が順調に進んでいった。…帰路の新幹線の中で、ヴェネツィアを訪れた時の事を思い出していた。…それをどう虚構に転じて詩情性を放つか、…新しい展開が少しずつ透かし見えてきたようである。

 

 

 

…美大の学生の頃に、…人は必ず死ぬ、ならばこの1回しかない人生をどう生きるか⁉…つらつらそんな事を考えていた時に、一つの指針となったのは、27才で亡くなった高杉晋作の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」であった。

 

 

 

 

 

 

…その次に飛び込んで来たのは平賀源内であった。…私の著書『美の侵犯-蕪村x西洋美術』(求龍堂刊)を絶讚して頂いた芳賀徹さんの名著『平賀源内』を読んだ影響もあると思うが、高杉晋作と共に風狂なまま自在に生きた源内は、ともかく自分の才を多彩に存分に出しきって生きた先達として私の心をとらえたのであった。

 

…(自分とは何者なのか!?)、(自分の才の様々な引き出しは果たしてどれだけあるのか!?)…ともあれ出しきって、死ぬ時に自足して死のう‼…そう思っていた。

 

 

 

……今まで引っ越しは8回ばかりしており、その度に部屋の作りも変わったが、変わらないのが一つだけあった。…平賀源内のあの肖像画だけは常に変わらず、部屋に貼っていたのである。…源内のように、一つだけの分野に収まらず、放射的に様々な分野に挑戦して生きてみたい、…いつしかそう考えるようになっていった。

 

…源内は発明、戯作、博覧会を開催、本草学者、画家、作家、銅版画の先駆者、コピ-ライタ-…などの分野で生きた。…では私はどうなのか?…銅版画、オブジェ、写真、美術評論の執筆、詩集の執筆刊行、版画集の版元かつ作者、コピ-ライタ-(これは電通からの依頼でやっている)

…では発明は?…と問われたら、実はしっかり或る物を発明して商品化に成功しているのである。

 

 

…あれは版画集を版画工房で制作している時であった。刷師のK君が、ある水溶性の版画溶剤を見せてくれた事があった。…その後で、私は窓の外を眺めていた時にふと透かし見えて来る光景があった。……銅版画は薄い銅板に油性のグランドという黒い液体を流して乾燥させ、その上から針で引っ掻いて絵を描き、それを硝酸液に浸すと、引っ掻いて銅の面が現れた箇所だけ腐食が入り、その腐食された溝に硬いインクを詰めて、紙に刷ると銅版画が完成する。

 

…しかし、その液体のグランドという薄膜は油性でなければ腐食の際に硝酸液の中で溶けてしまう。…それを、先ほど見せてくれた水溶性の版画溶剤を工夫すれば、硝酸液の中でしっかり腐食し、その後で水で流せばすぐに代用で塗ったグランドが水で流せるのではないか‼という……魔法のような商品の姿が見えて来たのであった。…そればかりか、神田の文房堂という老舗画材店の棚に、私が考案した物が画材商品として並んでいる姿が透かし見えて来たのであった。

 

…(どうだろう?)…刷師のK君に話すと理論的には絶対に不可能ですと言われてしまった。(いや、必ず出来る‼…なぜなら私には完成した姿が見えているのだから!)と言って、K君を励ました。…そう、私は閃くだけで、取り組むのはK君なのである。そこがずるい。…2年が経ったある日、(…出来たよ‼!)というK君からの吉報の電話が入って来た。…すぐに新日本造型という美術の画材会社に持ち込み、それは『ウォ-タ-グランド』と私が名付けて、ラベルにレンブラントの銅版画の絵を貼って店頭販売となり、2年前に私が予知的に透かし見てしまった、神田の老舗文房具店の棚にもそれは並び、美大からも注文が入って来た。

 

…この商品はそれなりに売れ、海外からの注文の話が入って来たりもした。…しかし、私は頭に閃いたのが実現した時点で、それで儲けていくという話には全く興味がなく、興味は失せて、新たな次なる作品の制作や執筆に関心が向かってしまうのである。…明日は何が待っているのか⁉…その見えない先に好奇心がいつも向かっていくのである。

 

 

………さて源内であるが、彼は或る事件で幕府の役人を殺め、獄中で亡くなってしまうのである。…(あぁ非常の人、非常を好み、行いこれ非常、何ぞ非常の死なる)…源内の墓に刻まれた親友杉田玄白の言葉がある。…台東区橋場の住宅街の一画に、それはひっそりと在る。

 

 

………さて私の最期はどんな結末が待ち受けているのであろうか?次第にその時が近づいている事は間違いないのであるが。……ともあれつらつら考えてみると、私という人間は、分裂気質で、何より安定してしまう事を嫌う資質だという事だけは間違いのないようである。

 

 

 

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『加速的に世界が壊れていっている今、…あなたは!?』

 

…やがて11月になり、季節は一気に秋の終わりへ向かおうとしている今、巷ではアジサイや桜が狂い咲き、ツクツクボウシが虚空に向かって鳴いているという。…周知のように永久凍土が溶けて流れ出し、今や当たり前のように世界中で起きている大洪水の凄まじい氾濫画像を観ると、20~30年後の為のCO2削減対策云々などと言っている話が、もはや完全に空々しい。

 

 

…荒れ狂う広大な大海に向かって、如雨露で水をショボショボと垂らすようなこの話。…既に遅すぎて打つ手無しで、人類が壊して来た自然界の猛威的な逆襲は、今後ますます容赦なく、その牙の鋭さを顕にして来ることは必定である。そんな中、今日、明日、明後日…と世界中で数多の新生児が次々に産まれている。…その親達は我が子の無事の生誕を喜び、この子が無事に大きく育ったら…と、やがて間違いなく襲って来る火炎地獄を直視せず、世は事も無しとばかりに狭視眼的にうっとりと、嘘のように晴れた青空をそこに見てでもいるような……。

 

 

 

…話は遡って、9月の某日、私は名古屋に行き、このブログでも度々登場されている、俳人の馬場駿吉さんの事務所で、11月29日から名古屋画廊で開催する予定の、馬場さんの俳句と私の作品によるヴェネツィアを主題にした展覧会の打ち合わせをした。…それから1ヶ月が経った或る日、画廊から連絡が入り、馬場さんが怪我をされたという知らせが入った。…そして、その後で次は私が突然、坐骨神経痛を発症してしまい、高島屋の個展開催すら危ういという情況に襲われてしまった。日々の長時間制作に集中したあまり、遂に脊髄が損傷してしまったのである。…正に万事休すであった。…脚の激痛の中でなんとか個展はスタ-トしたが、会期終了の21日まで、今まで体験した事のない日々を体験する事となった。

 

 

…個展会期始めに、名古屋画廊の中山真一さんが来られて開催日延期の話になり、来春5月9日→24日に開催が決まった。…故に来年の私の展覧会はつごう6ヶ所の画廊で開催するという事になった。

 

…展覧会の話が沢山入るという事は表現者冥利に尽きる幸せな話であるが、果たして、その後の命は……どうなるのであろうか?ちなみに展覧会を順にあげれば、福井(4月)・名古屋、千葉(共に5月)・東京恵比寿(7月)・東京日本橋高島屋(10月)・横浜(12月)である。…

 

 

 

 

 

高島屋の個展は、先日盛況のうちに終了し、旧知の大切な人達、また今回初めて出逢えた人達が、新作のオブジェを介して語り合う事が出来、実り深い19日間であった。

 

 

…また会期中、私は65点の新作を観ながら分析し、今、現在のオブジェの有り様を考えながら、次なる展開の可能性を探り、そこで掴んだ試みのヴィジョンを形にしたく、早速に始めたいという意欲に今、充ちているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……さて、個展が終わり、次なるブログの内容もほぼ決まった。

…タイトルは『昔、お葉と呼ばれた女がいた』である。

 

行間に大正ロマン特有のゆるんだエロティシズムが色濃く漂う

内容になる事は必至。

 

…乞うご期待である。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『存在感を放つ戸嶋靖昌記念館-東京・半蔵門』

…ここ数年来、千葉のDIC川村記念美術館から毎回送られてくる展覧会の招待状から次第に「気」が抜けて来ているなと思っていたら、案の定、来年1月から休館に入るという。収蔵されているコ-ネルほかの名品の行方を危ぶむ声が届いていて、その存続を願う動きが起きているという。しかし、多くの人々は気づいていない。美術館の実質は、建物や収蔵品が第一に非ず、ひとえにそれを企画する館長の理念と気概、学芸員のセンス、知性、そして発信するという事は知の揺さぶりなのだという有機的な自明の事を認識しているか否かの是非にあるという事を。…確かに千葉の佐倉は遠くて不便ではある。しかし、展覧会の質が高ければ、人は己を高める為に其処に行くのである。伝わって来る休館(或いは移転説)に至った経緯を読むと、運営における資金面や他の諸事情はあるとしても、つまりは人、人材が美術館というものの実質的な骨格なのである。

 

……例えば、10月2日から始まる高島屋での大きな個展の後、私は、11月29日から名古屋画廊馬場駿吉さん(美術評論・俳人)とヴェネツィアを主題とした二人展を開催する予定であるが、その馬場さんが以前に館長をされていた当時の名古屋ボストン美術館の展覧会の企画力は、実に素晴らしいものが続いており、その多くを観た私の記憶には今もそれが鮮明に残っている。馬場さん自らがその多くの企画の立ち上げから関わり、また優れた学芸員がそこに能力を発揮していて、展覧会には常に観る事の愉楽と知との華やぎがあった。ジム・ダイン展、北斎展、ゴ-ギャン展…と様々な名品展が次々に開催され、会場はいつも沢山の観客で溢れていた。…繰り返すが、その美術館の館長が抱いている理念の高みと、それを具体化する能力のある優れた学芸員の存在があれば、その美術館へと人は己を高めに積極的に行くのである。

 

 

しかし問題はDIC川村記念美術館だけでなく、アトリエに届く、他の多くの美術館の案内状からも同様に「気」が抜け落ちていて、何やらぼんやりとした黄昏時の感がある。…そのような中で例外とも云えるのが、このブログでも度々紹介して来た、東京・半蔵門にある戸嶋靖昌記念館からの展覧会の案内状であり、その記念館が刊行している冊子「ARTIS」が届いた時である。…郵便受けに届いていると、まるで私宛に届いた果たし状か挑戦状のような気配が既にしてそこから伝わって来る。

……「戸嶋靖昌記念館」…館長の執行草舟さんは、実業家、啓蒙家であると共にまた数多の著作を執筆刊行している人であるが、美術作品や書などの収集も精力的にされており、現在の収蔵品は既に数千点を超えており、今なおその作品数は増え続けている。…ちなみに私のオブジェや銅版画も多数そのコレクションの中に入っている。…昨年、この美術館の数多ある収蔵品の中から選抜してスペイン大使館で『禅と美』と題する展覧会が開催されたが、その企画の切り口の鋭さを感受した人々が会場を訪れて連日賑わいを呈していた。…前述したが、発信するという事は知と美の揺さぶりであり、この展覧会はそれを具現化した一例なのである。

 

 

…執行さんは「美とは、部分の調和によって成り立つ。それは、目に見えるものと見えないものとの間にある」というダ・ヴィンチが遺した言葉を知る人であり、その見えないものの深部迄も直観で感受出来る人なのだと、私は時おり感じることがある。

 

田中昇 「イタリア風景」1971年制作

…今、この戸嶋靖昌美術館では『イタリアの響き』というテ-マで、40代で夭折した画家・田中昇展を11月30日迄開催中である。…デュ-ラ-ゲ-テは烈々たる過剰な光を精神に受容せんとして希求するようにイタリアへと赴いたが、田中の描いたイタリアには、私達が知るその光が無く、むしろ謎めいた静寂を帯びていて、遺された画面には、ミステリアスな一人称めいた韻が静かに流れているのである。…

 

 

 

…さて、前述したが、この美術館では冊子「ARTIS」を刊行している。それは僅か10頁前後の薄い冊子であるが、その内容の知的密度には無尽蔵な深みと緊張があって、私は毎回送られてくるのを待ち遠しくしているのである。内容は主席学芸員の安倍三﨑さんから執行さんへのインタビュ-が主であるが、10代にして三島由紀夫や小林秀雄と対話して鍛えて来た人だけに直観の鋭さと知性の洗練が深みを帯びていて、その文章を読む事それ自体が私達に突きつけられた挑戦状であり、美的享受ともなっている。また安倍さんが執筆している巻頭の〈一点を追う〉、自由企画の〈いま、ここで〉は、9月号では田中昇さんの作品への詩的抒情に充ちた文章が綴られ、次回、10月1日から刊行配布される「持続する思考」特集号では、私のオブジェについての論考が掲載される予定である。

 

 

 

 

…………さて、最後に大事なお知らせを。…隔月毎に刊行されているこの「ARTIS」。希望される方には無料で送られてくるので、ぜひ読んで頂きたいと思っている。
申し込み方法は、①戸嶋靖昌記念館直通の電話番号03-3511-8162か、②主席学芸員の安倍三﨑さんのアドレス-abemi@biotec1984.co.jpに、お名前・ご住所・お電話番号を連絡すれば、次回、拙作のオブジェへの論考が掲載されている号から、無料で隔月毎に送られてくるので、ぜひのご愛読をお勧めする次第である。

 

 

……………さていよいよ、10月2日からの高島屋での個展『狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ』展が近づいて来た。出品総数65点。…今回は私の感性にいつしか呪縛的に入り込んでいる螺旋という構造が放つ狂いのオブセッションから、美を立ち上げるという試みである。全作品に私の神経が放射されており、深く突き刺さっているという手応えが強くある。今月末のブログにはそれについて書く予定。…乞うご期待である。

 

 

 

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「狂った空の下で書く徒然日記-2024年・狂夏」

災害級の猛暑に、ゲリラ雷雨…。そんな中を先日、馬場駿吉さん(元・名古屋ボストン美術館館長・俳人・美術評論家)と11月29日-12月14日まで開催予定の二人展の打ち合わせの為に、名古屋画廊に行って来た。ヴェネツィアを主題に、馬場さんの俳句と私のビジュアルで切り結ぶ迷宮の幻視行の為の打ち合わせである。馬場さん、画廊の中山真一さんとの久しぶりの再会。打ち合わせは皆さんプロなので、短時間でほぼ形が見えて来た。…後は、私のヴェネツィアを主題にした作品制作が待っている。

 

その前の10月2日-21日まで、日本橋高島屋の美術画廊Xで私の個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」を開催する予定。今年の2月から新作オブジェの制作を開始して7月末でほぼ70点以上が完成した。6ケ月で70点以上という数は、1ヶ月で約12点作って来た計算になるが、その実感はまるで無い。私は作り出すと一気に集中し、没頭してしまうのである。…2.5日で1点作った計算だが、しかし上には上がいる。ゴッホは2日で1点、佐伯祐三は1日で2点から3点描いていたという証言がある。…二人とも狂死に近いが、私の場合はさて何だろう。

 
…そんな慌ただしい中を先日、月刊美術の編集部から電話があり、横須賀美術館で9月から開催する画家・瑛九展があるので、この機会に瑛九について書いてほしいという原稿依頼があった。…さすがに忙しくてとても無理である。…何故、瑛九論を私に依頼したのか?と訊いたら、私と同じく、画家、写真家、詩人、美術評論…と多面的に彼が先駆者として生きた事、そして瑛九と関係が深かった池田満寿夫さんと、私との関係からであるという。

 

…以前に私の写真集刊行の時に、版元の沖積舎の社主・沖山隆久さんが、印刷に入る3日前に、写真80点に各々80点の詩を入れる事を閃いたので、急きょ書いて欲しいという注文依頼があった。時間的に普通なら無理な話であるが、私は不可能といわれると燃える質である。3日で80点の詩を書き上げた。…その詩を沖山さんが気にいって私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』の刊行へと続き、また詩の分野の歴程特別賞まで受賞したのだから人生は面白い。

 

………(とても無理ですね)と最初はお断りしたのだが、今回も瑛九に関して次第に興味が湧いて来て、結局原稿を引き受ける事になり、一気に書き上げた。短い枚数なので逆に難しいのだが、誰も書き得なかった瑛九小論になったという自信はある。

 

 

…しかしそう多忙、多忙と言っていても人生はつまらない。忙中閑ありを信条とする私は、先日久しぶりに骨董市に行って来た。…今回はスコ-プ少年の異名を持つ、細密な作品を作り、このブログでも時々登場する桑原弘明君の為に行って来たのである。

 

…明治23年に建てられた異形の塔・浅草十二階の内部の部屋を、彼は細密な細工で作品として作りたいらしいのだが、外観の浅草十二階の写真は余多あるのに何故か、その塔の内部を撮した写真が一枚も存在しないのである。…先日は、その幻の写真を私が彼の為に見つけんとして出掛けていったのである。(彼とは今月末に、その浅草十二階について語り合う予定)。

 

 

………昔の家族や無名の人物写真、出征前に撮した、間もなくそれが遺影となったであろう、頭が丸刈りの青年の写真などが段ボールの中に何百、何千枚と入っている。…しかし、件の浅草十二階の内部を撮した写真など、見つかりそうな気配は全くない。

 

 

 

 

…私は、次から次と現れる知らない人達の写真を見ていて(…考えてみると、これは全部死者の肖像なのだな)…という自明の事に気づくと、炎天下ながら、背中にひんやりと来るものがあった。……そしてふと想った。…もしこの中に、紛れもない私の母親の、未だ見たことのない若い頃の写真が二枚続きで突然出て来たら、どうだろう。…そしてその横に私の全く知らない男性が仲好く笑顔で、…そしてもう1枚は、二人とも生真面目な顔で写っていたとしたら、さぁどうだろう⁉…と、まるで松本清張の小説のような事を想像したのであった。

 

 

…考えてみると、両親の歩んで来た物語りなど、実は殆んど知らないままに両親は逝き、今の私が連面と続く先祖達のあまたの物語りの偶然の一滴としてたまたま存在しているにすぎないのである。

 

 

 

 

 

 

…ここまで書いて、初めてアトリエの外で油蝉がかまびすしい声で鳴いているのに気がついた。………今は外は炎天下であるが、やがて日が落ちる頃に俄に空が暗転し、また容赦の無い雨が激しく降って来るのであろう。…

 

 

 

 

 

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『日暮里に流れている不思議な時間…』

…今年は展覧会が5ヵ所で予定されている。…5月は金沢のアート幻羅(5月9日~6月2日)と千葉の山口画廊(5月22日~6月10日)での個展。金沢は初めてなので、私の今迄の全仕事総覧。千葉の山口画廊は全く新しい試みと挑戦による鉄の新作オブジェを中心とした展示。10月9日~14日は横浜の高島屋で、これは個展でなく、宮沢賢治の世界を主題としたグル-プ展。…10月2日~21日は日本橋高島屋ギャラリーXでの大きな個展。11月29日~12月14日は名古屋画廊で、ヴェネツィアを主題とした、俳人の馬場駿吉さんとの二人展である…。今はアトリエで制作の日々であるが、それでも忙中閑ありで、時間を見つけては度々の外出の日々であり、数多くの人と会っている。

 

…その中でも一番多くお会いしているのは、このブログでも度々登場して頂いている、真鍮細工などの超絶技巧の持ち主である富蔵さん(本名、田代冨夫さん)である。富蔵さんは、パリで昔建っていて今は無い建物とその一郭をアジェの古写真を元に精密に真鍮で再現し、その時に流れていた時間や気配までもそこに立ち上げるという、不思議なオブジェを最近は集中的に作っていて、作品のファンが多い。…富蔵さんとは初めてお会いした時から波長が合い、前世からのお付き合いが現世でもなお続いているような、懐かしの人である。昨年からは特に制作の具体的な話から、文芸の話、幼年時代の記憶までも含めて幅広い内容でお会いする事があり、私には気分転換と充電を兼ねた密にして大切な時間がそこに流れているのである。…待ち合わせ場所は決まって日暮里の御殿坂の上、谷中墓地の前にある老舗の蕎麦屋『川むら』であり、その前にあるカフェでさまざまな事を語り合っているのである。

 

3月のある日、その日も富蔵さんとの約束の日で、私は日暮里駅を降りて、御殿坂を上がっていったが、未だ約束の時間には早すぎたので、坂の途中にある古刹・本行寺の境内に入った。…この寺は江戸時代からの風光明媚な寺として知られ、小林一茶種田山頭火も俳句を詠んでいる。また寺の奥には徳川幕府きっての切れ者、永井尚志の墓があるので、それを見に行った。…坂本龍馬が暗殺の危機にあり、周りから土佐藩邸に入るように勧められた時に、龍馬が「自分は永井と会津に面会して、命の保障をされているんだ」と言った、その永井である。結局、龍馬は中岡慎太郎と共に見廻り組によって斬殺されてしまったのは周知の通り。……ちなみに文豪の永井荷風三島由紀夫の先祖である。

 

…墓参して引き返す時に、面白い光景が目に入った。…寺の塀に沿って夥しい数の卒塔婆がズラリと立ち並んでいるのである。その向かい側にはすぐに家々が建っていて、明らかに、その部屋から見える朝からの光景は、障子や窓越しに並んで立っている、卒塔婆、卒塔婆…のシルエットなのである。私はそれを見て思った。「…こういう眺めが平気で住んでいる人というのは、一体どういう人たちなのだろうか?」と。映画『眺めのいい部屋』の裏ヴァ-ジョンである。

 

 

…私は卒塔婆の傍に立って、様々な人物像や、その生活の様を、オムニバスの短編小説を書くようにして想像(妄想)した。…すると、何よりも好奇を好む私のセンサ-が強く反応して「いや、きっと面白い人物が住んでいるに違いない」、そう思い、私は待ち合わせ場所の『川むら』の横にある露地へと入っていった。

 

…昭和然とした家々がひっそりと建っている、その先に、はたして一軒の家が目に入った。

 

 

『湿板冩眞館』と書かれた白い看板。そして見ると、この家を訪れて撮影したとおぼしき、女優の杏さんや北野武、草彅剛の写真がその下にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そして、坂本龍馬を撮影した幕末期の写真機を使って、現在も活動中である由が書かれた看板も目に入った。…入ってみたい衝動に駈られたが富蔵さんとの約束の時間である。いったん戻り、再び私達はその家の前に立って、呼び鈴を押した。

 

 

 

中から出て来られたのは、写真家(写真術師の方が相応しい)の和田高広さん。…玄関壁には今まで撮影された人達の硝子湿板写真(その誰もが現代と昔日のあわいの不思議な時間の中で生きているようだ)。

そして、和田さんに案内されてスタジオの中に入るや、そこは、現代の喧騒とは無縁の、まるで時間を自在に操る光の錬金術師の秘密の部屋に入ったような感慨を覚えた。

 

 

…それから、和田さん、富蔵さん、そして私の、表現創造の世界に人生の生き甲斐を見いだしてしまった、云わば尽きない物狂いに突き動かされている私達三人の熱い話が、堰を切ったように、およそ二時間始まった。…話を伺うほど、和田さんが独学で究めてきた、写真術が未だ魔法の領域に属していた頃の世界に私達は引き込まれていった。

 

 

…私は以前のブログで書いた或る疑問を和田さんに問うてみた。…幕末の頃は写真機の前でポ-ズする時間がおよそ30分位は必要と言われているが、私には1つの疑問がある、それは龍馬と一緒に暗殺された中岡慎太郎が笑って写っている写真があるが、…30分くらい、人は可笑しくもないのに笑っていられるのか?…という疑問であった。…長年懐いていたこの疑問を和田さんは一言で解決してくれた。…(30分くらい必要というのは間違いで、実際は20秒あれば写ります!と。

 

 

…また樋口一葉が手を袖の中に入れて写っているが、その訳は何故か?…その答えは樋口一葉研究者達を一蹴するような、古写真撮影の現場を実際に知っている人にしかわからない話で、私は長年の疑問の幾つかが、忽ち氷解して勉強になったのであった。

 

…富蔵さんの話も面白かった。話が進んでいくと、富蔵さんと和田さんに共通の知人がいる事がわかってくる。私達はアンテナが何処かで間違いなくつながっている、そう思った。…二時間ばかりがすぎて私たちは写真館を出てカフェに行き、余韻の中で更なる会話がなおも続いたのであった。

 

 

2日後の22日に、東京国立近代美術館で4月7日まで開催中の写真展-『中平卓馬 火/氾濫』展を観る前に、私は今少し和田さんにお訊きしたい事があったので、事前に連絡を入れて、再び日暮里の写真館を訪れた。…すると嬉しい事が待っていた。午後から写真を撮られに来る人がいるので、その撮影の為に感光液を新たに作ったので、(その液の試験に)と、私を撮影する準備が出来ていたのであった。いつか私も生きた証しとなるような記念写真を和田さんに撮影してもらいたいと考えていたのであるが、まさか今日!とは嬉しい限りである。…しかも坂本龍馬を撮したのと同じ写真機で。

 

 

 

……思えばつい先日、本行寺に寄って龍馬と関わりがあった永井尚志の墓を見た帰りに、ふと見た卒塔婆に導かれて、細い露地へと入っていったその先に、このような出会いが待っていようとは、だから人生は面白い。…和田さんの二階から見えた本行寺の墓地は実に明るい眺めで、彼岸の陽射しを浴びて墓参に来られた人達もまた穏やかな会話を交わしている。…最初に予想していた逆で、この部屋こそ正に『眺めのいい部屋』なのであった。…ちなみに、私が撮ってもらった写真の仕上がりは、龍馬というよりは、高杉晋作、或いは石川啄木の姿に近いものであった。

 

 

 

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