#寺田寅彦

『長い廊下の奥から、今日も赤ん坊の泣き声が…』

…午前4時頃の未だ無明の頃に蝉時雨が聞こえて来たので、眼が覚めた。

 

 

…何匹の雄蝉が鳴いているのか、ジャリジャリと数珠を擦るようなかまびすしい、しかし孤独な響きである。残り数日の命を知ってでもいるのか、生殖の為に、子孫を残す為に…雌を喚ぶその声は生と死の狭間にあって、本能を絞るように必死である。

 

 

 

 

表現に関わっている者の感性はアナログに徹するべきであるという考えで、私はいまだに携帯電話はガラケ-である。…よってこのブログの文章もガラケ-に打ち込んでいる。それを知った人は(大変でしょう)と言うが、私には丁度良い距離関係である。…そう、過剰な情報が入って来ないので丁度よい。

 

電車に乗った時は、考え事か、風景を観るか、本を読むかの何れかである。いやもう1つあった。…面白そうな特徴のある人を見ると、顔つきや服装から、その人の職業、家族構成、さらには…小さな犯罪歴や、どんな過去の物語りがあったのか…などを観察推理している時もままにあって、これがなかなか面白い。コナン・ドイルが参考にした、シャ-ロック・ホ-ムズのモデルになった、外科医ジョセフ・ベル博士という人物が実在したが、その人の癖と同じである。……10年くらい前まではまだ車内には、私に限らずいろんな人の様々な姿があったように思う。……しかし昨今の電車内は、大多数の人は俯いたままでスマホを見ていて、あたかも大事な位牌を抱くように握りしめている。いずれも皆一様に同じ姿で、次々と現れてくる、たいして意味のない情報を追っている。そして自主的に考えるという力が疲弊して、思考が受動的に退化していくのである。

 

……ここで(便利さに意味はない)と看破した永井荷風や、過度な不要な情報を警視した寺田寅彦たち先人の知恵が、予言として見えてくる。………脳ミソというのは実に怠惰でだらしなく、快楽を追うように(次こそがもっと大事な面白い情報が来る、きっと来る!)とばかりに、人々はスマホを捲るのである。…一度その癖がつくと、麻薬中毒のようにスマホを開くのであるが、そうしているのは自分の意思や考えでなく、脳ミソからの指令に他ならない。…麻薬や賭け事、喫煙、…と同じく脳が日常的に快楽を追うように指令しているのである。

 

……車内での一様に同じ姿でいる人達の情報への依存度の強い様を見ていて、ふと(これはある意味、新手の新興宗教だな!)と思った。通話料という名のお布施、或いは献金が、常時リアルタイムの膨大な金額として通信会社に金の洪水の如くドンドン入っていく。

 

……私はSF作家のレイ・ブラッドベリのように、ふと空想した。…人々が依存していたスマホから発する情報はいつしか巧みに指令の要素をも含み始め、ある時、電車に乗ってスマホを見ている人達に(…次の駅で全員下りるように!!)という指令が一斉に入る。人々は催眠術にかかったように全員が次の駅で下り始める。…すると、指令を受け取っていない私だけが車内に残っているが、やがてナチの軍服のような兵士服を着た駅員がやって来て連れ出され、私は異端分子として駅構内で即処刑される。…その頃にスマホを管理しているのはもはや人でなく、劣化した人類を凌いで完全に優秀な存在と化した〈AI〉である。次は、そのAIについて書こう。

 

 

…ナチスが原爆を開発する可能性を懸念したのはアメリカで、アインシュタインらの進言を受けて、アメリカが世界で初めて原爆を製造した事は周知の通り。…そこにオッペンハイマ-の魔的な存在があった。

 

…また、ナチスの難解な暗号エニグマを解析し、コンピュ-タ-の父と云われた天才数学者アラン・チュ-リング(後に青酸カリ自殺)、またチュ-リングと共にAIの基礎を作った、〈人間のふりをした悪魔〉と云われたジョン・フォン・ノイマンetc

 

……恐るべき様々な知性が集中的に輩出して、今や、原爆水爆の恐怖が凄まじい時代に私達は生きている。……仮にこれを、ここでは外圧と呼ぼう。

 

 

そして今日、人類はAIの登場によって、今までの価値観が歪み、激しい転換の切り替えを要求される時代へと一気に突入した。…身近なスマホの登場は、その便利さ故に子供までが扱い、本来緩やかに成長していく脳の構造の発達に亀裂が入り、脳が未発達なままの奇形化した子供達が溢れている。…最近発表された学力調査で、児童男女の学力が歴然と目に見えて落ちて来ているという結果報告は、近未来を暗示して不気味なものがある。…脳は知識や難解な思考という知の刺激を与え続けなければ、筋肉と同じで加速的に劣化する。…そこに件のAIの登場である。

 

 

原爆、水爆といった兵器が人類に及ぼすのは、その肉体の崩壊である。…これに対して、身近なスマホや、日々進化しているAIが人類をジワジワと滅ぼしているのは、その脳の劣化であり精神の荒廃である。則ち人間が人間である為の立脚点の尊厳が壊されているのである。…これを内圧からの確実に浸透している〈被爆〉と呼ぼう。原爆は広島、長崎以降は使われていない。故に以後は被爆はないが、しかし、スマホ、AIによるゆるやかな、しかし確実なる内圧からの被爆を私達は既に浴び始めている、そう危機的に考える必要はあるであろう。… 間違いなく目に見えないながらも、内圧からの精神への被爆崩壊は既に始まっているのである。

 

…今年、ますます顕著になった異常な熱波ゲリラ豪雨は、来年そして更に先は、考えるだけでも凄まじく断末魔的である。……しかし冒頭に書いた蝉の本能的な蝉時雨の如く、今日もまた新たな新生児が次々に産まれている。…その新生児たちが成長していく過程で、世界はどのような灼熱や洪水の様を呈して来るのであろうか。(お母さん、僕を産んでくれて有難う)…今と比べるとまだ少しは善き時代であった昔は、そういう感情の覚えが確かにあったが、…その新生児たちが未来に呟くのは、断末魔を生きなくてはならない〈母よ!…私を何故産んでしまったのか‼〉といった絶叫なのであろうか?

 

 

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『誰でも簡単に聴ける神の声-イタリア番外編』

コロナ前の話であるが、今から8年ばかり前に写真撮影の旅でロ-マのバチカンにあるシスティ-ナ礼拝堂に行った時の事。…30年前に訪れた時には無かった事が起きていて興味を持った。…それはとみに増えた観光客によって礼拝堂の中が喧騒で渦巻いていた時の事。

 

その騒音を鎮める事と威厳を保つ為に、礼拝堂の真上の天井画『天地創造』の辺りから、突然、低音の実に響く声で人々を圧して諭すように唯一言、…『silent』(静かに・沈黙を守って…)の言葉が頭上から降って来たのであった。…『be quiet』(静かにしなさい)でなく、より音として垂直的な韻のあるsilent!。…この声はかなり効果的で、その神々しく響く声で観光客は〈あたかも神から叱られたかのごとく〉みな一瞬で静まってしまったのであった。(なるほど、上手い策を考えたものだ)と私は感心した。

 

 

……その、あたかも人々が神に懐いている共通なイメージを具現化したような声を聴きながら(…これはバチカンの司教達が一般までも広く面接した声の審査で、神に近い声の主を決めたに違いない!)と思った。…そしてこの声の実際の人物を見てみたいと思った。

…著名なバリトン歌手から、それこそテルミニ通りの場末にある居酒屋の酒臭い常連客(アントニオ、ドミニコ、エドモンド、パオロ、…果てはイタリア人以外の日本人の低い声の持ち主でたまたまロ-マに在住していた、佐藤弘之、彌月風太郎…まで幅広く)を集めて、〈うん、神に近い!!〉という男を司教達の投票で決めたに違いない、そう思って私は一人で顔を想像して面白がっていた。…女性には声美人という言葉があるが、実際に会って見たら、(え⁉…これがあの…)という事も可能性としては案外高い。要はイメージ、…そう世界は、イメージで成り立っているのである。

 

…………今はバチカンの重要な収入源で、ローマ観光の欠かせない場所と化したシスティ-ナ礼拝堂。しかし、未だ観光などという概念が無かった時代、かつてこの場所は、己を研鑽する人にとっては魂の巡礼の場所であった。例えば18世紀を生きたゲ-テの『イタリア紀行』を読むと、今と違い、ミケランジェロが描いた壮大な天井画『天地創造』のすぐ間近までゲ-テは松明を手にして昇り、そこでの感激を、畏怖の心情までも込めてその著書に熱く記している。…また、20世紀初頭を駆け抜けるように生きた一人の日本人画家が、この礼拝堂を訪れて、その聖なる空間とミケランジェロの凄みに打たれ、誰もいない無人の礼拝堂の大理石の床上で号泣した事があった。その号泣の様があまりに激しいので、一人の神父が近寄り、突っ伏して泣く男の肩にそっと手をかけてなだめたという。…その画家の名を佐伯祐三という。

 

敬愛する寺田寅彦氏の書いた『人魂』の話を先日面白く読んだ。寺田氏の二人の子供が同時に各々少し離れた場所で人魂が暗闇の上に上がっていくのを見た事から、氏は優れた物理学者の視点から鋭い分析をして、その場合の人魂は眼の構造が生んだ光の錯視であることを解析したのであるが、しかし寺田氏は人魂の存在そのものは否定していない。…そればかりか、文章の最後で(私どもの子供の頃は人魂を敬い、かつ畏れたものであるが、最近の子供は人魂を怖れなくなってしまった。それはかわいそうな実に不幸な事ではないだろうか)という意味の文章を書いていた。…同感である。いつしか人々は大人も子供も怖れる、畏怖するという感覚を失くしてしまった。それは科学万能、第一主義の果てに立っている不毛である。畏怖が生み出す豊かな不可解な存在との共存が、如何に人生を面白くするかという自明の事を私達は失ってしまって既に久しい。

 

 

確かに畏怖の感情は、豊かさの根源に繋がっているな。……そう思っていたら数日して、正に然りという新刊本が、比較文化学者・映画評論家の四方田犬彦氏から送られて来た。題して『人形を畏れる』…そのあとがきで氏は「私は、いや私達は、かつて存在していた神聖なるものを見失ってしまった。恐れおののくという感情を忘れてしまった。…」と書いていて、先に書いた寺田寅彦氏の言葉と重なってくる。…はじめに本を開いてパラパラと全体を見ると、この本は八章から成り、源氏物語折口信夫谷崎潤一郎ココシュカデカルトベルメ-ルベルナ-ル・フォコンつげ義春…と多彩な人物が人形と絡めて次々に登場していて興味がそそられる。

 

 

 

…ではさっそく読み始めようと、第一章の「人形を畏れる」を開くと、いきなり、2頁目に私の名前と、私がかつて持っていた脚が破損した江戸時代後期の人形(画像掲載)の事が書かれていて驚いた。……文章は「美術家の北川健次がいう。富山の方を廻っていて見つけたのだけれど、どうしたものだろう。……」という私の語りから始まり、私から四方田氏に人形が渡されていった経緯がミステリアスに書いてある。…ここに掲載した人形がそれであるが、四方田氏は他の本でも何回かその人形について書いている。氏のオブセッションと想像力のフェティシズムに、直で侵入している、それは強度に畏怖な感情を揺さぶっている人形である。……とまれこの本は、氏の文章力と博覧強記な知性の高さを骨としてなかなかに面白く、私は一気に読破した。……「畏怖の持つ闇の深さと豊かさ」に興味のある方には、ぜひお薦めしたい新刊の書である。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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