#智恵子抄

『ポタン、ポタン……』

…台風一過、またしても猛暑が。…ここは腹を括って長期戦と思い、気分一新で新しいブログを書く事にした。

 

……シャンソンのエディット・ピアフに『パダン、パダン』という曲がある。軽妙なリズムに乗って次第に力がみなぎってくる名曲である。…しかしこれから書くのはそれではなく、ちょっと響が似た『ポタン、ポタン』というお話。…ポタン、ポタン…、すなわち水音(滴)の事である。

 

昨日の夕方、風呂に入っていた時の事。リラックスしようと浴槽の中で目を閉じていると、離れた所からポタン、ポタン…という水滴の規則的に垂れてくる音が気になりだした。。(蛇口の栓がゆるいのだな…、出たら締めよう)…そう思ってまた目を閉じたら、次第にその規則的に落ちる水音が気になりだして来た。内耳から脳に入り込んで来る、その規則的に垂れる音に次第に苛立って来たのである。私は考えた。(…もしこの音をずっと何日も拷問のように休みなく聞かされるとしたらどうだろう?……狂うな、間違いなく‼、ひょっとすると昔の拷問の中にあったかも知れない、…そう思ったのであった。疑問から仮説、そして実証へと移るのは私の常なる思考パタ-ン。さっそく風呂から出て調べる事にした。

 

 

その拷問は、果たしてあった。…中国の公安が尋問する際に水滴の音を規則的に聞かせると、次第にその音に心が乱されて不眠状態に陥り、やがて自白するか、最悪は発狂に至るのだという。また楊貴妃の時代に嫉妬に狂った女官がこの水音による拷問をおこなったという話もある。

 

……以前に京都の先斗町で、京都精華大教授の生駒泰充さんと京都高島屋美術部の福田朋秋さんと呑んでいた時の専らの話題は『古今東西の奇妙な拷問百話』であった。…その時に生駒さんが話した(狭い室内に平行線を引き、その一部を僅かに歪めておくと、その部屋に閉じ込められた人は終には発狂する)という話が今も忘れられないでいる。…その僅かに歪めた角度が何度なのか、後に生駒さんに訊いたが、その文献名を失念してしまっているという。…やむなく私は一人で図面を引いて考え中なのである。目的はただ1つ、長方形の立方体を作り、そこに細い鉄線を5本配して、立体のオブジェを作りたいのである。…題して『Saint Jacques-或いは幾何学の悪い夢』。タイトルだけは先行して出来ている。

 

 

 

〈…ほらほら、この道を狂った智恵子さんが大声で叫びながら走っていましたよ〉…。智恵子とは高村光太郎夫人-高村智恵子の事である。…先日、その『Saint Jacques-或いは幾何学の悪い夢』の構想を、このブログで度々登場する富蔵さんに谷中墓地近くのカフェで話しながら二人で幾つかの簡単な図面を引いた後で、私は一人、千駄木の方角へと向かった。

 

 

…以前に森まゆみさんの本を読んで、文中に高村光太郎の家近くに住んでいて、高村智恵子のその姿を度々目撃していた老婆が森さんに語った…その知られざる逸話を思い出して、向かったのである。…智恵子が叫びながら走っていた、自宅前の細い小路。…それを視る事で、オブジェの立方体の形状と5本の細い鉄線の姿を浮かべる為の舞台案を考えてみたくなったのである。

 

 

文京区千駄木5丁目…に在った、高村光太郎夫妻旧宅跡はすぐわかった。…ご親戚の方なのか、高村の表札があり、件の小路も確認し、私の頭の中に全てが入った。

 

 

 

〈あなたの咽喉に嵐はあるが/かういふ命の瀬戸ぎはに/智恵子はもとの智恵子となり/生涯の愛を一瞬にかたむけた/それからひと時/昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして/あなたの機関はそれなり止まった/写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう

 

 

 

『智恵子抄』『レモン哀歌』を読んだのは中学の時であったか?…特にラストの(あなたの機関はそれなり止まった)の〈機関〉という表現に強く惹かれたものであった。…しかし後に智恵子抄の美しすぎる表現に疑問を持ち始め、数年前に書いたブログで〈智恵子抄に秘められた嘘〉について書き、光太郎が秘めた智恵子への贖罪迄も見破ったように私は書いた。そう、私は光太郎に関する文献を漁歩し、また光太郎の心理に入る試みをして、智恵子が発狂してしまった真の事実をも見破ったのである。

 

 

…後に文章表現は柔らかいが、池内紀さんも、光太郎の秘めた贖罪に気がついているらしく、私と似た視点で書いた文章を読んだ事があって面白かった。…視点を変えて読む事で研究者がついぞ気づかない盲点に光が射す時がある。…それもこれも疑問から仮説、そして立証へと考える事のミステリ-の妙味なのであり、やがて暗示を含んだ作品という虚構へと私の場合、立ち上がっていくのである。

 

 

 

 

 

…さてブログの最後に大事なお知らせを。…私がここ10年近く、ほとんど毎回欠かさずダンス公演を拝見している、勅使川原三郎氏が主宰するカラス・アパラタス(荻窪駅より徒歩3分)で、9月6日より18日迄、佐東利稲子さんのダンスソロ公演『紫日記』が開催されます。

 

……佐東さんは勅使川原氏と共に毎回デュオで見事なダンス表現を開示して、私達観者を深遠で危うい身体表現の極北へと誘い、他に類の無い妙味を刻んでいます。…その佐東さんが放つ美しい存在感は唯一無比なものがあり、今回の『紫日記』というタイトルの妖しさと相乗して、私は今回の公演を楽しみにしています。

 

…ダンス表現だけでなく、光と闇の魔術師とも評される勅使河原三郎氏が照明を行う今回の『紫日記』、…… 〈人は夢と同じもので織られている…〉と書き記したシェイクスピアの言葉をそのままに映すような夢幻性を帯びた公演になるような予感の中、このブログの読者の方にぜひのご高覧をお薦めする次第です。…公演の日時や詳細、または観覧ご希望の方は勅使川原三郎KARASオフィシャルサイトをご覧ください。

 

 

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『ヴェネツィアの春雷in名古屋』

先日の5日、銀座の永井画廊で開催中の、松崎覚さんという方が制作した蝋人形の展覧会を観た。夏目漱石ジョン・レノンサルトル太宰芥川チェ・ゲバラピカソ…他、等身大9体の極めて精巧な蝋人形が画廊に整然と展示された様は、実に異様な気配を発していて眩暈すら覚えた。

 

…ロンドンのマダムタッソ-パリの蝋人形館でも観てきたが、それらの人形に比べて、技術の冴えは松崎さんの方が格段に優れている。体臭や息遣いまで伝わってくるほどに生々しいのである。

…かつての明治期の生き人形も凄味があるが、例えば乱歩の『人でなしの恋』や『白昼夢』に見る如く、この人形という世界の行き着く先にはあやかしの倒錯性が潜んでいて、一種幻葬的な世界へと引き込んでいくものがある。

 

 

画廊の永井龍之介さんと久しぶりに少し話をした。以前に開催された私の個展の後に、新橋の永井さん行きつけの店で話し合った時も、なかなか面白かった。…周りの客の喋りがうるさい中で、店の隅の席で私達が熱く話しあったのは、『水中花』の詩で知られる詩人の伊東静雄高村光太郎についてであった。以前にこのブログでも書いたが、光太郎が書いた智恵子抄に秘められた贖罪について、永井さんの返答がどう来るのか興味があったのである。…永井さんは美術の域を越えて実に博識で、突然話題を変えても、全方位的に更に話が膨らんでいく人である。………永井さんは松崎さんの蝋人形を他と差別化する為に、「蝋彫刻」として今後、展開していくようである。

 

 

銀座の永井画廊を出て、荻窪へと向かった。…ダンスの勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんが海外の公演が長かったための、久しぶりの日本での公演『骨と空気』の初演を観るのである。公演時間はおよそ一時間、……「圧巻」という言葉しか出て来ない見事なその舞台に、しばし失語症になってしまった。……勅使川原さんの突出した才能は、演出、照明にまでも深く及んでいるが、何をおいても身体の動きの速さはまた別格である。

 

…1つの例として、複数のダンサ-と激しい動きをしている時に、高速度カメラで撮影した人がいた。どのような速い動きをしていても高速度カメラでは当然、被写体は停まって写ってしまう筈である。…プリントした時のその画像では、ダンサ-達の姿は確かに停まっているが、唯一人、勅使川原さんだけは、なおもぶれて写っていたという。高速度カメラでもなおぶれて写ってしまうという事は、もはや異常な速さと見ていいだろう。…彼にとっては、その速度もまた美であり、そして詩なのだと私は思っている。そして、その異常な速さが紡ぎだす特異な残像の重なりが、私たち観者の脳内でポエジ-として結晶化し出した頃に、彼の見事な作劇法は大団円としての夢幻へと移ろいを転じて、舞台は暗転するのである。

 

…私は観ている途中でふと、彼の見事な身体表現に最も相応しい観客は誰か…と考え、すぐに世阿弥の事が頭をよぎった。…すると、公演が終わった後で観客に向けて話をする勅使川原さんから、その時、世阿弥の名前が出たのであった。……………猿楽を芸術の高みへと昇華した世阿弥の『風姿花伝』を読むと、その随所の言葉に、勅使川原さんのメソッドと重なるものを私は覚えてしまうのである。

 

………次回の公演は、5月24日から6月5日まで。佐東利穂子さんのソロで『悲しみのハリ-』(映画「惑星ソラリス」より)である。…7月中旬まで展覧会が3つ入っていて制作や準備で慌ただしいが、次回の公演も、私はまた予定を入れているのである。強い刺激と、確かな充電を得る為に………。

 

 

 

先日の9日に、名古屋画廊で開催する、俳人の馬場駿吉さんと私の二人展『春雷疾駆/ストラヴィンスキ-の墓上』展(5月9日〜24日)の初日なので名古屋に行って来た。…展覧会の舞台はヴェネツィアである。私はヴェネツィアには撮影もはさんで5回行っているが、馬場さんは実に10回以上もヴェネツィアを訪れて、それは100作以上の俳句作品になっている。

 

 

 

 

 

 

…夜半に見た真っ暗なアドリア海と真っ暗な空が合わさって巨大な舞台となり、春のある夜にそこに観たのは荒ぶる銀の走りと化したヴェネツィアの春雷であった。その凄まじい荒ぶる様は、ちょうど蕪村が詠んだこの俳句と重なるものがあるだろう。……「稲づまや/浪もてゆへる/秋津しま」。……秋津しまとは日本の事。極東の島国に俯瞰的に走る雷光の様をまるで宇宙から視たような想像力を持って詠んだ蕪村の秀句。………斜めに、或いは横に、そして突き刺さるように垂直に落ちる雷の荒ぶる様を視た私は、その時の強い印象が忘れ難く『ヴェネツィアの春雷』という連作となって10数点の作品を作った事があった。

 

…その体験談をある日、馬場さんにお話をすると、何と馬場さんもその凄まじい春雷を深夜のヴェネツィアで目撃されたという。…今回の二人展の肺種はその時に立ち上がったのである。…この展覧会で、私は20点のオブジェやコラ-ジュ、そして20点のヴェネツィアで撮影した写真を出品し、馬場さんもヴェネツィアを詠んだ俳句を出品されている。……廃市幻想の水の島  - ヴェネツィア。俳句と美術という珍しい形でのイメージの競演をぜひご高覧ください。

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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