#森まゆみ

『2024年が自転車に乗って去っていく…』

アトリエの片づけを3日間続けてやったら、引っ越して来た時に失くしたものと諦めていた手紙がまとめて出て来たのには驚いた。掃除はするものであるとつくづく思った。……作家の森まゆみさん、写真の分野を革新して芸術の高みへと押し上げたツァイト・フォト・サロン石原悦郎さん、私が最も影響を受けた比較文学者の芳賀徹さん、作家の松永伍一さん、…同じく作家の矢川澄子さん、版画家の浜田知明さん、加納光於さん、…他。大事と思って手紙をまとめてアトリエの奥の奥に仕舞っていたのがよくなかったのである。

 

 

…『週刊ポスト』で、私と久世光彦さんの共著『死のある風景』(新潮社刊)の書評を書いてもらったご縁で知り合った作家の倉本四郎さんのご自宅に喚ばれた時に、森まゆみさんとお会いしてご一緒に流し素麺を食べたのが出会いである。

 

…当時刊行したばかりの拙著『「モナリザ」ミステリ-』(新潮社刊)を森さんにお送りしたら、後日に読まれた感想を記したお手紙が届いた。…その末尾には(絵描きにこんな素晴らしい文章を書かれたら困る‼)…という強烈なお褒めの言葉が書いてあって私を喜ばせてくれた。……今、私の書斎には森まゆみさんの著書が20冊以上あり、中でもお互いが好きな樋口一葉に関する著書が最も多い。私が昨今とみに探訪している谷中に関しては、その多くを森さんの著書を導きの杖としているのである。

 

 

 

………芳賀徹さんの『與謝蕪村の小さな世界』から比較文化論的に思考する事の蒙を拓かれた私は、拙著『美の侵犯-蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)と『「モナリザ」ミステリ-』を芳賀さんにお送りしたら後日にご丁寧なお手紙が届き、(『美の侵犯』は、小生も一度はこういう自由自在でまた的確な画文交響を演じてみたいと願っていたような面白さ。

 

…(中略)…モナリザミステリ-は、特にモナリザと漱石を小生論じつつありますので大いに使わせて頂きます。云々)という内容が綴られており、私はこれらの本を書いた事の手応えを芳賀さんのお手紙から最も強く覚えたのであった。

 

……またこの『美の侵犯-蕪村×西洋美術』を刊行してすぐの事であるが、この国の西洋美術史研究の礎を築かれた高階秀爾さんが、高島屋の個展初日に会場に来られ、私に、(新聞の書評で読んだ『美の侵犯…』の事が気になって買いに来ました。)と言われて驚いた。…高階さんは蕪村にかんする造詣も深いのであるが、専門の西洋美術史と蕪村は、高階さんの中ではあくまで別物であった。…それを私が一本の線で結びつけて論じてしまった事に驚かれたというのである。……これも芳賀徹さんからの比較文化論的な影響が奇想の着想を成したのであった。………加納さん、森さん以外は既に逝かれてしまったが、この手紙は私の大事な生きた証しとして大切に持っていようと、あらためて思った。

 

 

さて話は変わって、今度はカニの話を。……先日、私の故郷の福井から越前がにが沢山届いた。送ってくれたのは、高校の美術部の後輩だった小川正隆君である。(…小川君、こんなに沢山送ってくれたら、日本海からカニが絶滅しちゃうではないですかぁ…)と、バカな独り言を言いながら木箱を開け、…そして食べた。……カニの味噌や脚を裂きながらひたすらに食べた。

 

 

 

 

…そして、おもむろにカニの顔を視て恐怖した。三島由紀夫がカニが苦手でカニを出すと卒倒したという話も頷けるという、…何とも怨みがましい顔つき。…いずれの顔も渋い表情でいかにも無念げである。…ふと昔、家に出入りしていた大工の棟梁の留さんの顔を思い出した。頑固一徹の職人に、こういう顔つきの人が時々いる、そう思った。

 

 

………そして、カニと蜘蛛が先祖は同じだという説があるのを思い出し、タブレットで両者の顔を比較した。蜘蛛の顔を初めて視たが、こちらもゾッとする。

しかしよく調べたら同じ節足動物で、分類学上では鋏角亜門に入り、蜘蛛とカブトガニ、サソリは近いが、大別的には先祖はだいぶ離れているというので、少し納得をした。

 

 

 

 

…先ほど書いた、見つかった手紙の束の中に30年前に亡くなった父親からの手紙もあった。久しぶりに読み返すといろんな事が思い出されて来た。……その中にこんな事があった。…私が未だ小学生の頃、町内の家の並びの中で、何故か一軒だけ3メ-トルばかり奥に引っ込んでいる家があった。その空いた空間も私たちの善き遊び場であったが、しかしその家が放つ佇まいが子供心にも暗く不穏であったのを今も覚えている。……確か岩堀、そういう苗字であった。(…どうして、あの岩堀の家だけが奥に引っ込んでいるの?)…ある時に父親に訊いたら、笑いながらこう言った。(あの岩堀の家は稼業が泥棒なんだよ。だけど、市内の遠くで泥棒をしているが、この近所では絶体にやらないので、みんなが大目に見ているんだよ)…笑いながらそう言った。…奥に引っ込んでいるのは、そういう近所への頭を下げた感謝と遠慮を現しているのだというのである。…今では信じ難い話であるが、本当の話である。その頃は、そんなゆるい話がまかり通っていた、そんな時代だったのである。

 

 

前回のブログで盲目の按摩の話を書いたが、その後で旧知の友のMYさん(福岡市在住)と話をしたら、MYさんは面白い話をしてくれた。…昔、子供の頃の話であるが、MYさん宅で按摩にマッサ-ジを頼む為に電話をすると、盲目の按摩の人が自転車に乗ってやって来るのだという(しかももの凄い早さで正確に)。…私は闇夜に笛の音を頼りに按摩を探したが、未だそれは抒情的な方で、MYさんのこの話は、イタリアのフェリ-ニの映画や、唐十郎の舞台を想わせるものがあって面白い。…ベ-ト-ヴェンゴヤは聴覚を失ってから、更にその表現世界は深化したというが、人間がもつ代替の潜在能力たるや恐るべきものがあるのである。……そして、あらためて、自転車で疾走して来る盲目の按摩の姿を想像すると、その身体が一種の「闇だまり」(舞踏家・土方巽の造語)に見えて来た。

 

 

 

……思えばこの一年はろくな事がなかった。…世界はますます狭くなり、一触即発の気配が増す中で、人類はますます滅亡へのカウントダウンを早めているように思われる。…だから、ろくな事がなかったこの闇だまりのような2024年を、自転車に乗せて何処か遠くへと走り去らせたい、今は気分なのである。

 

…では来年は⁉…………その答えは誰もが直観の内に感じとっている事であろう。…決して口には出さないが、その次に来るであろうもっと巨大な「闇だまり」が、チリンチリン…と不気味なベルを鳴らしながら近づいて来ている事を。

 

 

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『登場する明智小五郎』

…いつの頃からか、妙に気になっている場所があった。…場所はJR日暮里駅改札を出て谷中墓地へと上がる石段を上り、天王寺を越えた先の左側の陸橋真下に線路と平行して広がって在る「芋坂児童公園」がそれである。…児童公園とは名ばかりで、児童が遊んでいる姿など見た事が無く、…仮にいたとしても人気の無いこの場所で一人で遊んでいたら、十中八九怪しい男に拐われるだろう。墓地にした方が相応しいのだが何故か墓地にもなっていない。何だか仮っぽく見えるこの土地は、果たして何だろう?

 

……………先日、森まゆみさんの著書『「谷根千」地図で時間旅行』(晶文社)を読んでいたら、あっさりその謎が解けた。そこにはこう書いてあった。(……また三月十日の空襲(東京大空襲)では、いまの日暮里駅に近い児童遊園のあたりに死者が埋葬された。)…と。…古くからある公園の歴史には案外こういう伏せた物語が多い。

 

…例えば墨田区に今もある錦糸公園は、1945年の東京大空襲で命を落とした人たち実に1万余の遺体がこの公園に埋葬されたという。……  (…富蔵さん、児童公園と言いながら遊具など全く無いですね)…跨線橋にもたれながら、私は同行してもらった田代富夫(通称・富蔵さん)さんに、そう呟いた。…すると一人の男性が近づいて来た。訊くとここ谷中墓地の管理をされているとの事。富蔵さんが、この児童公園の来歴を話すと、その方も知らなかったらしく驚いていた。

 

…個展が終わった先日、私は、このブログで度々登場される富蔵さんと日暮里のカフェで久しぶりにお会いして、様々な話をして午前を過ごしていた。午後から私は、件の児童公園~谷中に在った川端康成の旧宅、そして、前回のブログで書いた川端の不気味な短編小説『化粧』の舞台となった谷中の斎場跡(芥川龍之介大杉栄伊藤野枝他を焼いた場所)を探して観ようと思っていた。…午後からの私の行動予定を富蔵さんに話すと、好奇心が強い富蔵さんは付き合ってくれるというので、先ずは児童公園の方へと一緒に向かったという次第である。

 

 

…件の児童公園を見た後で、霊園を抜けて、上野桜木町の川端康成旧宅跡(画像掲載)と隣接して在った斎場跡(画像掲載)を目指すと、すぐにその場所はわかった。

 

 

 

…当時の詳細な地図のコピ-を、私は事前に作って持参していたのである。

 

 

 

 

 

 

 

……川端の小説の中でも最も感性の鋭い時期に書かれたのが、この上野桜木町時代であり、川端康成の122編の短編小説を収録した掌編小説集『掌の小説』(新潮文庫)にその多くが入っているので、ご興味がある方には、ぜひお薦めしたい。

 

 

夕方から用事があるという富蔵さんと上野桜木町で別れて、私は三崎坂を下って、真向かいにV字へと上がっていく急な坂道の団子坂を上がり、次なる目的地へと向かった。…江戸川乱歩の小説『D坂の殺人事件』の舞台となった場所跡を目指したのである。

 

 

………「それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中ほどにある、白梅軒という、行きつけの喫茶店で、冷しコ-ヒ-を啜っていた。…(中略)…さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形の名所だったところで、狭かった通りが市区改正で取り拡げられ、何間道路とかいう大通りになって間もなくだから、まだ大通りの両側にところどころ空地などもあって、今よりはずっと淋しかった時分の話だ。大通りを越して白梅軒のちょうど真向こうに、一軒の古本屋がある。実は、私は先ほどから、そこの店先を眺めていたのだ。みすぼらしい場末の古本屋で、別段ながめるほどの景色でもないのだが、私にはちょっと特別の興味があった。というのは、私が近頃この白梅軒で知合いになった一人の妙な男があって、名前は明智小五郎というのだが、話をしているといかにも変わり者で、それが頭がよさそうで、私の惚れ込んだことには、探偵小説好きなのだが……… 」

 

………という始まりで、話は次第にサディズムを孕んだ陰惨な猟奇殺人事件へと展開していく。…私が目指したのが、正にこの小説の舞台となった団子坂(つまりD坂)であり、後に私立探偵の代名詞となっていく明智小五郎が、この小説で初めて登場するのである。

 

また文中に書かれている古本屋とは、実際に江戸川乱歩が二人の弟たちと営んでいた書店『三人書房』であり、この団子坂を登りきった場所(千駄木五丁目5-14)に乱歩は住んでいたのであった。(…時代は大正8年、あの松井須磨子が自殺した年である。)

 

 

 

この小説を初めて読んだのは高校時代であったが、その時以来、私はいつかこのD坂なる怪しい場所に行ってみたいと思っていたのである。妙にこのタイトルに惹かれるものがあった。…D坂が団子坂という名前である事を知った時は唖然としたが、やがて乱歩のそのタイトルの付け方の妙に私は惹かれていき、影響すら受けたのであった。

 

(これに似たのがクレーの名作『R荘』というのがある)…私がタイトルや、オブジェの中に時々アルファベットの大文字を使うのは、実にこの『D坂の殺人事件』というタイトルからの影響が大きいのである。

 

 

 

……鴎外の旧宅(観潮楼)の跡地に建つ森鴎外記念館が見えて来て、さらに暫く行くと右側の番地が正にその三人書房があった場所。

辺りにいる筈がない乱歩や明智小五郎の影を探すが、時代は既に令和となって抒情も怪しさも、物語の発生する気配すら無い。

 

 

…私はこの小説の芯となっている彼ら「高等遊民」(ある意味、シャ-ロック・ホ-ムズもそうであるが)が生きていた虚構と現実の間(あわい)が好きなので、その影を、もはや暮れ始めて来た、このD坂なる坂道の翳りの中に追ったのであった。…坂を下って途中から左へ折れると、高村光太郎智恵子の旧宅跡、その隣には池田満寿夫さんが若き日に住んだ旧宅跡が在る、それはまた次の探訪の楽しみにするとして、千駄木駅の改札口へと向かったのであった。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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