太宰治

『1987年……阿部定が消えた夏・後編』

このブログは毎月2本、だいたい2週間に1本のペ―スで書いているが、前回のブログは阿部定に至る前の引っ張りが長かったせいか「後編を早く読みたい」との声を多数頂いたので、予定を早めて本日書く事にした。幸い、10月11日から開催される予定の高島屋(美術画廊X)の個展の制作も順調なので、忙中閑ありの気持ちで今日は暫し楽しんで書く事にしよう。

 

 

………………頭髪が伸びたので、昨日髪をバッサリと切りに行った。中年くらいの男性の美容師がカットをしている時に私が「阿部定という名前は知ってますか?」と突然問うと「あっ知ってますよ!」との答え。「では、その阿部定が愛人だった男性の局部を用意していた庖丁で切り取って逃げ去り、捕まった事件は知ってますか?」と問うと「え~マジですか?阿部定ってそんな事をやったんすか!」と驚いた。動揺したのかハサミをパチパチと動かしている。

 

…………どうやら〈ア・ベ・サ・ダ〉という名前の独特な毒のある響きだけは小さい時から覚えていたらしい。ナベサダ(ジャズの渡辺貞夫)でなく、阿部サダヲ(俳優)でもなく、やはりドスンと響く名前は阿部定に指を折る。阿部定という響きには毒がある。何か事件を犯さなくては収まらない濁った凄みがある。更に云えば、苗字の阿部よりも名前の定(サダ)の方に怨念の韻がある。阿部と定が絡んで暗い日陰にどくだみ草の花が咲く。

 

…………さてその阿部定。畳屋「相模屋」の末娘として神田に明治38年に生まれる。(阿部定は本名)。幼少時はお定ちゃんと近所でも呼ばれ、評判の美少女であったらしい。乳母日傘(おんばひがさ)の恵まれた環境であった。しかし14歳の時に慶應の学生に強姦されて以来、生活が一変して乱れはじめ浅草界隈を根城にした不良娘へと変貌。浅草の女極道「小桜のお蝶」と張り合ったりの乱行が目立つようになり、結局見かねた父親に勘当され、女街の世界に売られてしまう。

 

名前を吉井昌子、田中加代……などと、小林旭の名曲『昔の名前で出ています』のように変名しながら芸妓、娼妓、妾、仲居と流転した後に運命の男―石田吉蔵(料亭・吉田屋を経営)と不倫関係になる。やがて石田の妻の知るところとなり二人は出奔。……二子玉川、渋谷丸山町……などの待合や旅館を道行きのように転々と流れ、二人は漂着したように事件の現場となった東京都荒川区西尾久の待合『満佐喜』に逗留。……ひたすらの性愛に浸る時間を過ごした果てに吉蔵を絞殺して局部を切断し、それを持って逃亡。3日後に品川の宿で大和田直の偽名で潜伏中に逮捕される。時に1936年(昭和11年)5月16日、226事件が起きた3ヶ月後の世が政情不安の中での猟奇的かつ禁忌的な出来事に世の中が震撼し、かつ湧いた。

 

 

 

 

その後の裁判では、切断された吉蔵の局部のホルマリン漬けが法廷に登場し、裁判長から(これを見て、今、あなたはどう思いますか?)と問われ、阿部定は静かに、しかし張りのある声で答えた。(……とても懐かしい想いがします)と。

 

吉蔵を腰ひもで絞殺した後、部屋の額の裏に隠しておいた牛刀を取り出し定は局部を切断、現場の布団に血文字で「定吉二人キリ」と書いて失踪したこの事件。

殺された吉蔵はつまりはマゾヒストであったと処理され、定は法廷陳述の際に「あの人(吉蔵)は歓んで死んでいった」と語り、この吉蔵の抵抗なく従容と死んでいった事件が記されているが、果たしてどうなのか?……阿部定の動機と行為にばかり関心がいって語られているが、私には少し気になることがある。つまり、最期の最期に於いて何故吉蔵は抵抗しなかったのか?という事への疑問である。

 

 

 

……ここに1つ例を出そう。1948年に愛人の山崎富栄と玉川上水で心中自殺した小説家・太宰治の例である。どしゃ降りの雨で水かさが増す中、ようやく二人の水死体が上がった。二人は同意の上の心中と思われているが、死体は語るの言葉通り、そこには面白い現象が現れていた。

愛人の山崎富栄の死に顔は達成した満足感に充ちた顔であったが、一方の太宰は、水中の最期の時に至って、逃げ出そうともがき苦しんだ苦悶の相を浮かべながら死んでいたという。二人を縛った紐は何重にも固く結ばれ、あまつさえ、富栄の足が太宰の体をしっかりと絡めとり、逃げ出せぬまま苦悶の内に死んでいったと、現場を記録した伝聞にはある。

 

 

 

……もう1つ逸話を書こう。富栄は心中の前日に鰻屋に一人で行き鰻の肝焼を店にあるだけ注文して食べたという。

店の主人が不審に思ってこう訊いた。(お客さん、なぜそんなに鰻の肝ばかり食べるんだい?)と。富栄は静かにこう言ったという。(あした、ちょっと力の要る仕事があるのよ)と。

 

……私はこの逸話を知った時に背筋を冷たく走るものがあった。昔視た、交尾中の上に乗ったカマキリの雄を、下の牝が振り向くように雄の頭からパリパリと乾いた音を立てて食べはじめ、やがて跡形も無く雄を食い尽くしてしまった光景が甦って来たのであった。

 

 

……吉蔵は、その時、どういう想いで死んでいったのか?……机上の空論のように考えていても何も見えては来ない。蛇の道は蛇ではないが、阿部定、吉蔵に繋がるその筋の友人(輪島在住)に考えを訊く事にして電話を入れた。私の友人としては異色の存在に入るその男は西鶴の世界を地で生きているような性豪の徒であり、顔つきも吉蔵に似た艶のある男である。暗黒舞踏の土方巽ともかつて親交があったが、果たして何で食べているのか、私は今もって知らない。名前を出せないので仮にTとしておこう。

 

……私の質問にTは自らの実体験を重ねるように明るく答えてくれた。「連日の性愛で当然男(吉蔵)は放電し、その失っていく分、相手の女(阿部定)は充電し、無限連続のように艶を増してくるわけだよ。怖いよ女性性の心奥は(笑)。……そう云えば、以前に信州の旅館『大黒屋』という所で、痴戯のつもりで吉蔵のように女性に首を絞められた事があるが、頭が熱くなって思考が鈍るけど、その分脳内モルヒネが次第に溢れて来て、もうどうでも良くなって来るんだよ。今思えば危なかったね。

 

……その吉蔵という男に拍車をかけたのは、当時の軍の台頭によって時代が傾いていった世相とも関係があるんじゃないかな。……昔、君(私)が現場に行ったという岡山の津山三十人殺しの事件は確かその翌年だったよね。吉蔵と、その津山の犯人は刹那的になったという点で似ているんじゃないかな。」

 

 

…………先日、私は、出所後に阿部定が商っていたという台東区竜泉に在ったおにぎり屋『若竹』の跡地を訪れ、その足で三ノ輪駅から都電の荒川線に乗り宮ノ前駅で降り、現場となった待合『満佐喜』跡地を訪れた。

……現在その場所は、阿部定に入れ込んで活動中の女優、安藤玉恵さんの祖母が土地を買い取り、一部は駐車場になっていて昔日の面影は何もない。……ただ数ヵ月前に行った田端435番地の芥川龍之介の自宅跡地と同じく、その土地の記憶が語って来る物語りの余韻というものを私は現場跡から透かし取る事は出来た。……要するに、かつて起きた物語りに対する追憶の感覚と享受である。

 

 

……さて、本日のブログの終わりに来て、私が気にいっている逸話を1つ書こう。……待合『満佐喜』で阿部定事件が起きて世の中が騒然としている最中に、一人の好奇心の強い男性が現場となった『満佐喜』の女将に掛け合い、事件のあったその部屋を観に入った事があった。……新宿紀伊國屋書店を築いた創業者の田辺茂一氏である。田辺氏は、未だ凄惨な事件の余韻が生々しく残る部屋に一番乗りで入って満足気であった。……しかしその部屋の入り口で女将が静かに語った言葉で消沈してしまった。満佐喜の女将はこう語ったという。「この部屋を観に来られたのは、実は田辺様が初めてではありません」と。唖然とした田辺氏が「そいつは何処の誰だい!?」と慌てて訊くと女将は静かにこう言った。「殿方ではありません。和服を着た清楚な感じの物静かな御婦人でした」と。………………「怖いよ女性性の心奥は!」。そう私に語った友人のTの言葉がここでリフレインとなって響いて来る。

 

……とまれ、昭和史を駆け抜けた阿部定は、やがて消息を絶った。亡くなった愛人・石田吉蔵の眠る久遠寺(山梨県身延町)には、阿部定失踪後も命日には花束が届いていたが、それも1987年には絶えたという。

 

…………1987年……阿部定が消えた夏。

 

和服姿の彼女が去っていく、その老いた後ろ姿を追うように、浅草寺仲見世傍にある老舗の甘味処『梅園』。阿部定と吉蔵が事件の数日前に立ち寄ったというこの店の軒先に掛けてあった風鈴が、その時、風にそよいでチリリンとなったか否かは誰も知らない。

 

 

……さて前回にお約束した、もう一人の毒婦・高橋お伝と、文豪・谷崎潤一郎、そしてそこに絡んで来る私との不思議な巡り合わせのトライアングルを併せて書く予定でしたが、文章の流れから考えて後日に書く事にしましたのでご了承頂ければ有り難いです。……乞うご期待。

 

 

 

 

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『128年の時空を超えて』

私は今まで、このメッセージを通して私に起きた不思議な出来事を度々書いて来た事があった。……その不思議な出来事とは、私がこうあって欲しい、或いは、ふと頭の中に唐突に閃いた事が、すぐに、あるいは、暫くの時を経て目の前で現実化してしまうという、一種の予知現象の事である。1回なら、それは偶然で終わってしまうものが、私の場合、10代の後半から、それこそ何十回と起きているので、やはり、私の頭の中の回路の一部は、〈時間〉の捻れと何処かで直結しているように思われて仕方がないのである。

 

その例を少し挙げると、①80年代の終わりに〈都市論〉なるものが流行っていた頃、「東京人」という雑誌が目立って注目を浴びていた時があった。ある日の午前中に、私は何故かふと「東京人」に書いてみるのも面白いなぁ!と想ったのであるが、……その日の午後に、何と、「東京人」の編集部からとつぜん電話が入り、私はその求めに応じて〈岸田劉生の代表作『切通之写生』の現場の今昔の違い〉について書いた事があった。②個展で熊本に行った帰り、私はANAに乗って羽田への帰途についていた。羽田に着くや横浜美術館に直行して、新潮社から刊行したばかりの拙著『モナリザミステリ―』についての講演が待っていたのである。その羽田へと向かう機内の中で、私は機内誌『翼の王国』を読んでいた。イタリアの街について誰かが書いた記事を読んで、生意気にも「私ならもっと艶のある紀行文が上手く書けるのになぁ……」と想いながら地上に着き、2.3日が過ぎた頃、『翼の王国』編集部から電話が入り、代官山で会って面会したいという。……その初めての面会の時に知ったのであるが、私の新刊を読んだ編集者が私に興味を持ち、〈次の紀行文の取材は北川で〉という案が編集会議にかけられたのであるが、正にその時、私は空の高みの機上にいて機内誌を読んでいた、その時なのであった。……そして私は念じた通りとなって、写真家とスタッフの3人でパリへと飛んだのであった。

 

③……「ガウディの建てた、あの異形な建築物〈サグラダ・ファミリア教会〉は、何故バルセロナの〈あの場所〉に建てられたのであろうか!?」……どの研究書にも書かれていない、その詳しい背景について、私は電車(東横線)に乗りながら自らに設問し、かつその答をまさぐっていた。……しかし、建築の専門家でない私にわかろう筈がない。……電車は、まもなく終点の渋谷へと近づいていた。私はふと、網棚の上に新聞が打ち捨ててあるのに気がついた。普段は他人が読み捨てていった新聞になど興味がないのであるが、その時だけ何故かふとその新聞が気になり、背を伸ばして手に取り開いて見た。それは確か産経新聞であったかと思う。パラパラと読み流していく内に文化欄の紙面になり、その紙面を見た私は、我が目を疑った。……そこには正に私がいま自問しながら終にわからないでいた、〈サグラダファミリアが、何故バルセロナのその場所に建てられたのか〉という具体的かつ興味深い理由について、日本人建築家の人が詳しく書いた記事が載っていたのであった。…………「そんなに知りたいのなら、ではそっとお前だけに教えてやろうか!!」……悪戯好きな悪魔が、間違いなく私の傍にいる!!記事を読みながら、私はそう思ったのである。

 

④ 昨年の春5月のある日の夜半、私は民放の「報道ステーション」なる番組をぼんやりと見ていた。北朝鮮についての相変わらずの報道を見ていた時、私は全く唐突に、昔、訪れた事のある太宰治の生家「斜陽館」の事がふと脳裡に浮かび、そこでかつて見たビデオの美しい映像 ― 桜吹雪が舞うなか、ゆらゆらと揺れるように、太宰治の生家近くの金木駅の線路上を走る津軽鉄道の古色を帯びた電車の光景を見た時の記憶がよみがえって来た。私は何故か無性にその映像の事が恋しくなり、「あぁ、今一度あの電車を見てみたい」という突き上げる感情を覚えたのであった。…………すると数分後に司会者の(……それでは、ここで気分を変えて、この映像をご覧下さい)という声が流れるや、画面は一転して深夜の暗い駅舎が映り、そこに今し入ってくる最終電車の、ロ―カルで抒情溢れる映像が画面に中継で映し出された。……〈まさか!!〉と思い驚いて見ると、それは正にその少し前に、突然私の脳裡に立ち上がって激しく見たいと希求した、正にその津軽鉄道・金木駅と電車の光景なのであった。………………………………

 

私に度々起こるこの現象……いわゆる人体に潜む超常能力と超感覚の具体的な現れについては、コリン・ウィルソンの著書『サイキック』(荒俣宏監修)に詳しく記されているが、その現象がまた先日にも起きた。これから記すのは、先日書いたメッセージ『夢見るように眠りたい』の後日譚のようなものである。

 

先日、十日以上前に私は、隅田川・吾妻橋の河岸に建つアサヒビ―ル本社22階のカフェから、関東大震災で崩れ去った異形な高塔―浅草十二階(通称・凌雲閣)の建っていた場所を遠望しながら、その塔への強い拘り、一目見たかったという、その思っても詮無い想いをたぎらせていた。江戸川乱歩の最高傑作『押し絵と旅する男』の一節は次のようにある。「……あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこりんな代物でございましたよ。…………高さが四十六間と申しますから、一丁に少し足りないぐらいの、べらぼうな高さで、八角型の頂上が、唐人の帽子みたいにとんがっていて、ちょっと高台へ登りさえすれば、東京中どこからでも、その赤いお化けが見られたものです。……」。私はこの文に接する度に、遅く生まれてしまった事を悔やみ、もし、明治期に遡って生まれ変われるものであれば、今の生に全くの執着は無い、……それほどに強い想いのままに、カフェの高みから、その蜃気楼、その幻影の塔を透かし見ていたのであった。…………しかし、私が見ていた正にその時、かつて十二階が在ったとおぼしき場所では、信じがたい事が起きようとしていたのであった。

 

「工事中の作業現場から浅草十二階の遺構らしき礎石の一部と赤い煉瓦が発見される!!」という報道が、新聞やネットで流れた日、私は全くその報道を知らずに、前回のメッセージ『夢見るように眠りたい』の文で、正にリアルタイムで、浅草十二階への強い想いを書いている最中であった。そして、その情報を後に知ったのは、シス書店の佐々木聖さんからであった。さっそくネットで見てみると、出てきた浅草十二階の赤煉瓦は、ショベルカーで砕かれ、その破片を、報道を見て駆けつけた人達に配っているという。その群集の中にはアルフィ―の坂崎幸之助さんの姿も混じって映っていたのには驚いた。……そしてネットの最後に、出てきた十二階の赤煉瓦の配布は既に終了し、作業は続行して新しいビルが建つ事、また赤煉瓦の形の良いのだけが数個選ばれて文化遺産として保存される由が記されていた。……その記事を見て万事休す、あぁ、私は何故そこに駆けつけなかったのか!という悔いに包まれた。……しかし、赤煉瓦の配布を終了してから既に十日以上が経っている。私は目の前に現れた蜃気楼が一瞬、現実と交差してふたたび幻となって過去の時の中へ消え去っていくのを覚えた。……しかし、せめて、今回の工事でその建っていた場所が確認された、その場所を見てみたいという思いが立ち上がって来た。東京に出る用事は数日後であったが、それを待たずに明日、行ってみよう、そう思って、その日は寝た。翌朝は雨であった。浅草の雷門に着くと、雨は急に雪へと変わった。薄雪の降りが流れるように美しい。白く霞んで、ふと彼方の昔日の雪をそこに透かし見た。「こぞの雪今いづこ」……そう呟いた中原中也の詩の事がふと浮かぶ。…………白雪の中を、伝法院通り、六区、ひさご通りへと歩いて、ようやくその現場へと私は来た。……しかし、何故か地面を深く掘り下げた作業現場に作業員は全くおらず、ネットで見た、10日前にたくさん駆けつけた人達も当然おらず、現場は不思議な程に全くの無人であった。……私はかつて浅草十二階が建っていたまさにその現場に立ち、ふと何かに誘われるような「気」を覚えて、導かれるままに現場の目立たない一画に目をやった。……そこに私は、信じ難い物が在るのを見てとった。既に配り終えて在る筈の無い赤煉瓦(しかも完全な形のままに)が二つ、ひっそりと薄雪に埋もれるようにして在るのを見たのである。……乱歩の小説の中で「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこりんな代物でございましたよ。…………」と呟いた魔的な呟きが、ふと頭をよぎる。その魔的な何者かが、この浅草の一角を暫し「不思議な時空」へと変えて、あの電車の中で起きた時のように、私に見せてくれた妖かしのこの時、まさに一時のこの時に、128年の時空が捻れて交差した!!……私はそのように思ったのであった。……かくして今、過去の遠い見果てぬ夢、幻の蜃気楼は、具体的な〈時の欠片〉となって、私のアトリエの医療戸棚の中に、ひっそりと息づくようにして在るのである。浅草十二階―通称・凌雲閣。……その確かな現物が、実物を見てみたかったと永年夢見て来た私のアトリエに、かくして息づいて在るのである。

 

〈追記/ 持ち帰った浅草十二階の赤煉瓦(ほぼ完璧な形状のまま)を、現代のJIS規格で決められているレンガのサイズと比較してみると、現代のレンガは三辺が210×100×60であるのに対し、128年前のその赤煉瓦は三辺が175×100×55と、やや小ぶりであるが、今日のそれと比べると遥かに密度があり、ズシリと重い。設計者のウィリアム・K・バルトンの確かな想いがそこから見えてくる。……アトリエに在るその赤煉瓦は、128年間の時間の澱を孕んで深い古色を帯び、それは終わりの無い夢想を運ぶ、もはや完璧なオブジェとして、いま私の眼の前に在る。……とまれ、浅草・吾妻橋沿いのアサヒビ―ル社の22階のカフェから、十二階の在った場所を遠望しながら紡いでいた或る日の見果てぬ夢が、僅か10日の後に、不思議な経路を経て現れ出て、いまアトリエの医療戸棚の中にひっそりと在る事の不思議よ。……私は今日もまた夢見のような気持ちで、浅草十二階のその断片を眺めているのである。〉

 

 

 

 

 

 

 

 

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