『……夏の終わりに』

8月に亡くなった兄の納骨のために福井に帰った。……生前に兄と電話で、私達の本当の「終の住処(ついのすみか)」とは何か、について話した事がある。ここで云う終の住処とは、普通に云う「最期を迎える時まで生活する住まい」の事ではなく、死までも含む私達の個々の存在した最終形を云う。私はそれは「永遠の忘却」だと云うと、兄は激しく否定して、あくまでも形ある墓がそれであると云った。兄弟とはいえ、かくも違う事は面白い。私は、この世は全て幻影(イリュ―ジョン)で構築された劇場だと思っており、故に切なく、故に美しいのだと思っている。しかし、兄は形ある墓に意味を見ていたので、私は兄に合わせるべく納骨に立ち会った。台風が近づいているために関東は雷雨であったが、北陸のこの地は逆に異常に暑い日であった。参列者の珠のような汗が乾いた墓石の上に落ちていった。……翌日、まだ新幹線までの時間があったので、知る人ぞ知る奇景の「丹厳洞」を見に行った。江戸時代の医師、山本瑞庵という人の別邸であるが、橋本左内ら倒幕の志士達が密談を交わした場所であり、漢詩の世界のような、絶対静寂の不思議な池に鯉が泳ぎ、今は料亭になっている所である。……かくして横浜に戻ると、過去に類のない激しさを持った台風一過の惨状を目の当たりにする事となった。近年、太平洋の海水温が更に上がり、日本の台風もアメリカ並みのハリケーンのような凄みを呈して来ているようである。とまれ、もはや私達の知る四季の姿は消え去ったようである。

 

激しい雨の中をぬって、旧知の友人で、優れた映画の企画を何本も立ち上げている成田尚哉さんがアトリエに来られた。成田さんは企画の仕事と並行してミクストメディアのコラ―ジュを作り画廊で発表しているのであるが、9月27日から下北沢の画廊で始まる個展の事で相談があるようである。大粒のシャインマスカットとピオ―ネをお土産に二房も持って来られ、近くの蕎麦屋でご馳走になりながら、個展の話を伺った。成田さんは元々の感性の良さに、映画の仕事で培って来た確かな美意識が相乗して独自な表現の世界を築いている人なので、話をしていて実に愉しい。……個展の事から話題が移り、私は成田さんに、ぜひ映画の企画で「樋口一葉」を一本撮って欲しいと提案した。樋口一葉は皆その名前と、「たけくらべ」などの名作の作者、死の直前に文壇で脚光を浴びながらも極貧の中、24歳で結核で亡くなった事……などを漠然とイメ―ジとして持っているが、詳しい事を知る人は意外に少ない。……しかし、この樋口一葉という女性、関連書を読んで知れば知るほど、井戸の底は底無しのそれと化し、生前に交わった人達が語るそのイメ―ジは、その数だけ明暗に分かれる違う顔を持った、多彩な仮面の顔とニヒリズムの持ち主で、調べるほどに興味が尽きない。紫式部や清少納言の再来として、かの森鴎外や幸田露伴達から絶賛された紛れもない天才であるが、別面、闇深い謎を多分に孕んだまま逝った「逃げ水」や「影踏み」のイメ―ジが濃い樋口一葉。成田さんは最近は文芸路線からは少し離れているが、この樋口一葉を唯の文芸路線でなく、終りなき謎を孕んだ妖しいミステリ―として仕上げれば、必ず名作になること請け合いであるが、果たして、成田さんは動かれるや否や!?……帰り際に今一度私はアトリエに戻り、上村一夫が樋口一葉を描いた劇画『一葉・裏日誌』をお渡しした。『夢二』、『人喰い』、『修羅雪姫』、『上海異人館』、『菊坂ホテル』……数々の名作の中で女性の妖しさと謎を追い求めて来た上村一夫が、死の直前に主題として最期に辿り着いたのが「樋口一葉」という謎めいた人物であった。上村一夫は、おそらく気づいていたのであろう。この一葉という人物が抱えていた底無しの妖しさと情念を……。成田さんから、ならばいっそ北川さんが一葉の脚本を書きませんか!?と言われ、一瞬その気になったが、次第に近づいた10月16日から始まる高島屋での個展の制作の追い込みと、来年に企画での出版の話を頂いている、最初にして最後の詩集を全力で書かねばならないので、残念ながらそちらに没頭しなければならない。……ここはぜひ成田さんの感性が、樋口一葉に向かうのを乞うばかりである。

 

 

 

 

 

 

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『戦艦大和―後日譚』

……私は三人兄弟の末っ子である。昨年の冬に長兄が急逝し、数日前に次兄が逝った。流れからみると来年は私の番かと思い、指折り数えて眼を閉じてみる。しかし、先日届いた健康診断の結果は、血管年齢が20才も若く、意外にも全ての数値が優良であった。2年前からジムに通い出したのであるが、筋肉を鍛える事で免疫力がアップし、常食の黒ニンニク、蜂蜜、もろみ酢……が効いているのかとも思われる。……2才の時に肺の病気で危篤の手前まで死にかけた事があり、以後も私は病弱で、毎朝、病院に寄ってから学校に行くという日々であったが、予測に反して夭折もせず、とりあえずはまだ現し世にいるようである。比較文化論が専門の四方田犬彦氏などは私の事を書いたテクストの中で、「北川健次はどうやら夭折の機会を逃がしてしまったようである。」と書いているくらいであるから、周囲の人の多くは私が早く逝くのが相応しいと思っているようであるが、意外にもまだ暫くは……のようである。さて、二人の兄が亡くなった事で、……家族とは何か?……兄弟という、この縁ある身近な人達とは何かをふと考えてみたくなり、アトリエの奥にしまってあった古いアルバムを開いてみた。……そこには逝った二人の兄の幼い時の姿があり、母がいて、父がいた。もちろん未成熟な私もそこにいる。(そして皆が笑っている。)…………写真とはつくづく不思議な物だと思う。一瞬で永劫忘却へと流れ逝く時間を瞬間で停止させ、その「時」を焼き付け、セピア色へと変色はしていくが、それでも回想するには充分な情報が刻印され、遂にはポエジ―やノスタルジアへの変奏と化していく魔法の装置―写真。……そのアルバムの中の写真を久しぶりに見た事で、私は久しぶりに父と再会した。今回のメッセ―ジは、少しくその父について書こうと思う。

 

……多くの人がそうであるかと思うが、私もまた、父の人生の細かい足跡は知らないままに、父は逝ってしまった。故に切れ切れに聴いた記憶を拙く結ぶ事しか、父の輪郭を映し出すその術はない。……父は長男であったが家督相続の権利よりも自由な人生の方を選び、10代の後半から東京に行き、ギリギリで崩壊する前の浅草凌雲閣を目撃し、戒厳令を潜って2.26事件の現場にも現れた。……最後は銀行員という固い職業で終わったが、父から聴いた話では東京で西洋料理を修行し、またネクタイの行商人もやったりと、……幾つかの職を転々としたようである。その話を裏付けるように、ステ―キやすき焼きだけは母ではなくて決まって父が料理する事になっており、子供心にもその味は確かにプロ級であった。行商人時代にたまたま尼崎に行った時にカフェの女給をしていた女性(つまり私の母)と知り合い、私ども兄弟が生まれたのだという。この時代は職を転々とする時代でもあったのか、例えば、江戸川乱歩などは、浅草の浮浪者、本屋の店主、下宿館の経営など約20近い職を転々として、それが後の「怪人二十面相」の発想執筆に結び付いていく、そういうゆらゆらした、ゆっくりとした時間が怪しく流れる良き時代であったように思われる。……父は「長崎の鐘」などで知られる詩人で作詞家のサトウハチロ―が隣家であった事から仲が良く、よく一緒に遊び廻ったようである。サトウハチロ―と言えば破天荒の代名詞のような人物であるから、案外、奥浅草か三ノ輪辺りに、私の知らない兄弟か姉妹がいる可能性も少しある。……父は戦争が始まる少し前から日本は必ず負けると予見し、犬死にしない為にその方法を考え、猛勉強をして造船の技術師へと変身した。よくまぁ転々と変われるものだと感心するが、短期間で変われるその能力には、息子の私は脱帽するしかない。そう言えば、両親は日本各地(長崎・佐世保・呉・尾道・横須賀……)を転々としているが何れも造船所のある街であり、アルバムには「日立造船」の名前が度々現れている。技師になれば戦争で外地に引っ張られる可能性は薄いと分析したらしく、またその読みは当たった。

 

……まだ私が小学生の頃に、父は私に呉という街にいた時に呉海軍工厰という所に入り、「戦艦大和」を造ったという話をした事があり、幼かった私を驚かせた事があった。父は病弱な私と違い肩幅のある長身の筋肉質であったが、大和は更にその「強さ」を拡大した、子供における大いなる憧れであり、幻影として映っていた。病弱であった私は興奮しながら、自分の中に潜在している強さを何とか引き出すような気持ちで熱心に話の続きを聴いた。とてつもなく巨大な板の囲いがあり、外部からは全く見えない中で大和の造船は続いていったという。……「大和のどの部分を造っていたのか?」と熱く問う私に父は「艦橋のエレベ―タ―」の辺りを主に造っていたと言ったのが、それがその後も、父の善き強いイメ―ジと重なって、記憶の中に強く残った。

 

……父が亡くなって10年ばかりが経ったある夏の日、私は神田神保町の書泉グランデの4階にいて、花や水晶の図鑑を見ていた。その先のカウンタ―に「丸」という戦争に関するマニアックな本がふと見えた。……見ると「戦艦大和特集」の文字が見えたので、ふと手に取って読み始めた。その中に大和を攻撃したアメリカの戦闘機カ―チスSB2Cヘルダイバ―のパイロットの証言インタビュ―が載っていた。いつにない珍しい側からの証言だなと興味を覚え、更に読んでいった。……そのパイロットいわく「驚いた事に、大和があんなに脆いとは思わなかった。」更に続けていわく、「一番最初に火を噴いたのは、艦橋のエレベ―タ―の所だった!!」。……私の目はここで止まった。昔、父が自慢げに話し、息子の私が「おお!」と熱く聴いた、その箇所から、どうも大和が崩れ去っていったという事を、そのパイロットは語っている。……瞬間、私の中で何かが崩れ去っていくのを、その夏の日の時に私は感じた。「いっそ、知らずにいたかった」という言葉があるが、こういう時にその言葉があるのかも知れない……と、少し思った。……かくして幻想は、そうして静かに消えていく、のであった。

 

 

 

……暑い夏の盛りに、スカッとしたくて、映画『アルキメデスの大戦』を観に行った。暑気払いのつもりで観たのだが、なかなかに良く出来ていて面白かった。山崎貴監督のCGの技は『ALWAYS – 三丁目の夕日』で実証済みであるが、映像に魔法の息を吹き込むようにリアルな昔日の時を甦らせてくれる。……冒頭に出て来る大和の巨大な姿の中に、父が造ったという艦橋が映り、私はそこに父を重ね観た。……また先日は、制作が終わった夜に吉田満氏の書いた『戦艦大和ノ最期』を読み耽った。実際の大和の数少ない生き残りであった吉田満氏が、大和の出港から沈没までを時系列に生々しく書いたこの本は名著であり、史的にも価値が高い内容であり、この本はぜひともお薦めしたい本である。…………夏がまもなく去り、やがて秋の気配が俄に立ってくる、今は9月1日。……10月16日から日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xで始まる個展『盗まれた記憶―Francesco Guardiの郷愁に沿って』の制作が佳境である。この1ヶ月が更に私には重要な時間なのである。

 

 

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『佐東利穂子頌』

……レンズを初めて考えついた人は、雨が降った後の葉の表に残った水滴の円い膨らみに、葉脈が拡大して鮮やかに映っているのを見て閃いたのだという話がある。真偽のほどはわからないが、後のスピノザの『エチカ』における汎神論を連想させる美しい話として、私はこの話がたいそう好きである。……純粋に美しいもの。刺すように鋭くもあり、たおやかなまでに馥郁たる大輪の華をも想わせる、美の原点とも云える、理屈抜きに美しい身体表現。……先日、私は荻窪の「アパラタス」での6周年記念公演『ロスト イン ダンス』(勅使川原三郎氏と佐東利穂子さんによるデュオ)を観ている時に、何故かふと、このレンズの逸話の事を連想した。何か私の頭の中で直結するものがあったのであろう。……今回の公演は、6月にパリ日本文化会館で開催された佐東さんの初振付ソロ作「IZUMI」の成功と、近年ますます深化の著しい佐東さんに捧げられた、勅使川原氏からのオマ―ジュ〈頌〉の意味も込められている。

 

今回は、その佐東さんについて少しく書こうと思う。……佐東さんのプロフィ―ルを読むと、海外の活動で、ダンサ―として招聘された出演と共に、振付家としての依頼が多数来ており、特に近年は目立ってその数が多い。日本ではなく、歴史的に見て、その本場と云えるフランスやイタリアから振付依頼が来るという事は、その評価が海外でも極めて高いという事を如実に示している。この事は、偏見の多い彼の地にあってかなり特筆すべき事だと思われる。……私事を語って恐縮であるが、パリの出版社から刊行された、詩人のアルチュ―ル・ランボ―と、彼をモチ―フとした美術作品を集めたアンソロジ―(作品集)のテクストの中で、著者であり、出品作家の人選もしたランボ―研究家のClaude・Jeancolas氏は、私の作品について言及し、その論考の冒頭でいきなり「ランボ―を理解出来るのは、私たち西洋人だけであるという思いを我々ヨ―ロッパ人はひそかに抱いていたが、北川健次の強度な作品は、その考えを覆してしまった。………」という記述がある。テクストは私の作品についてかなり的確に書かれていたが、私がそれを最初に読んだ時に驚いた事は、西洋人(この場合、ヨ―ロッパ)から見た東洋人に対する目線、……西洋で立ち上がった独自な文化は、東洋人にはとうてい理解出来ないという目線の冷やかさと、密かな偏見を今もなお先入観的に抱いているという事を知ったからであった。……こういう偏見は何処から来るのであろう。私の場合はランボ―をモチ―フとした銅版画を通してであったが、文芸に例を採れば、海外のランボ―研究の翻訳書は日本でもかなり読まれているが、日本人が書いたランボ―の研究書は、彼の地に於いては全く一顧だにされていない。……だからその偏見を覆すには、並の表現ではなく、作品がかなりの強度さと、先を超える「何か独自なもの」を持っていなければ、彼の地に於いて、この偏見を覆すのは容易な事ではないのである。……音楽、映像、ダンス、文芸……といった分野は特にそれが大きいかと思われる。……勅使川原三郎氏は、かなり以前からパリのオペラ座でも振付を依頼され、その振付もまた自身の重要な表現活動として新作に反映し、相乗して表現の高みへと螺旋化していっているように思われるが、佐東さんの振付活動も、自身のメソッドが独自化していく上で艶を帯びた貴重な体験となっているように思われる。……そしてそれもまた、ここ近年の、鋭さから柔らかさまでの多様なマチエ―ルを自在に操る表現者としての深度を、加速的に増してきた一因かと思われる。

 

荻窪にあるダンススタジオ「アパラタス」(装置の意味)は、勅使川原氏と佐東さんが新作をほぼ毎月、驚異的な高い完成度と斬新な実験性を持って発表していく為に開いた常設の会場であるが、開設して今年で6年目になるという。私がアパラタスに通いはじめて早いもので5年目になるが、私はほぼ毎回の作品を、その度に熱い感動を持って観ている一人である。……そして佐東さんが加速的に表現者としての幅と表現力を増していき、その艶なる羽化と際限なき変身を遂げていっているのを目撃している一人でもあるかと思う。佐東さんのダンス表現の独自的なところは、女性性の艶ある繊細さと幽けさ、そして、それを越えた、誤解を怖れずに云えば、刺客が確実にその刃を持って相手にとどめを刺すような凄み、との両極の間を自在に往還し、そのマチエ―ルの違いが表現に様々な膨らみをもたらしている事であろうか。それと、役者が配役によって自在に変身するように、毎回、異なる引き出しの中から、違った佐東利穂子さんが現れて、未だにその輪郭がスフィンクスの謎かけのように捉え難いのである。……先日、私は勅使川原氏とデュオをしている佐東さんを観ていて、卒然と、モダンダンスの祖と云われて、自身もまた振付家もこなしたイサドラ・ダンカンの事が思い浮かんだ。かつて映像で見た、彼女の巨大な蝶のように舞う、大きな手の振りと、佐東さんの特徴の一つでもあるそれとが重なったのである。……私は連続撮影で撮られたイサドラ・ダンカンの画像を使ってオブジェを制作した事があったが、ふと佐東さんへのオマ―ジュとしての作品を作ろうという衝動が立ち上がって来たのであった。先日観た『ロスト イン ダンス』は、その圧倒的な美意識を持って観客に迫って来る純度の高いものがあった。

 

……もし、美を数字で表す事が可能であるならば、それは如何なる美の方程式として、私達の前に立ち上がるのであろうか。……そのような事を漠と想いながら、私はアトリエに戻るや、佐東さんからインスパイアされた作品を作り始めた。……作品は深夜までかかったが、かなり集中的に、一気にそれは出来上がった。その作品画像(部分)をお見せしながら、今回は終わろうと思う。

 

 

 

 

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『真盛りの夏に想う事』

……駅からアトリエに戻る緩やかな坂道の途中で、不意の熱中症に襲われた老人が、まさに倒れていく瞬間を見た。全身から力が抜けていくように、膝から情けなくも崩れ落ちていくのである。たまたま、その老人の真横にいた男女の若いカップルが慌てて倒れている老人の手を取り、「おじさん、家は何処?連れて行ってあげるよ!……」と励ましている。その場に来た私は彼らに声をかけた。「家じゃなく、直ぐに救急車をよんで病院で点滴をしないと危険ですよ!」と。すると老人が切れ切れの声で「救急車は……イヤだ。」というので私はその老人に強く言った。「爺ぃさん、あんたそんな事言っていたら、急変して、今日間違いなく死ぬよ!!」と。かくして電話をして救急車が来る段になったので、私はアトリエに戻った。……急な脱力感で道端に倒れてしまったその老人の姿を目の当たりに見て、熱中症の恐ろしさを実感を持って知ったのであるが、その老人が倒れた坂道の片側の竹垣の向こうは、広い墓地である。石を擦るように油蝉が鳴いてかしましい。

 

……さて、「坂道」である。坂道とは、浪漫と不穏さをその傾斜に秘めて、私達を静かに待ち受けている。永井荷風はそんな坂道が持つ特異性を随筆集『日和下駄』(ひよりげた)の中の「坂」の章で「……坂は即ち平地に生じた波瀾である。」と一言で的確に、かつ文芸的に断じている。ではその坂道に「波瀾」という破調めいたものを覚える鋭利な感覚は、その後に誰に受け継がれて行ったか。……いうまでもなく、岸田劉生と彼の代表作『道路と土手と塀(切通之写生)』に、それは重なっていく。年譜を見ると、『日和下駄』の翌年に劉生はその坂道の風景画を描いているので、ほぼ同時代の感覚の覚えか。……そしてその坂道への強いこだわりは次に誰に跳ぶか!?……意外にも、タモリかと私は思う。彼の番組『ブラタモリ』は、云わば、地図、水、路地、閑地、崖、……そして坂の妙に拘り、江戸切図を手に東京の裏町を歩き、市中をひたすら散策して、その時間的断層の中に古き江戸を追想した荷風の名随筆『日和下駄』の、云わばヴィジュアル版のようなものかもしれない。私は昔は、その地で生きていく事の宿命と諦感をテ―マソングの重く暗い曲に込めた『新日本紀行』だけは何故か(特に中・高校時代は熱心に)欠かさず観ていたが、今は『ブラタモリ』をよく観ている。……疲れて凝り固まった頭の中を、あの番組は見事にほぐしてくれるのである。

 

何回か前に観た『ブラタモリ』は九州・熊本の阿蘇山の特集であった。その番組の中で解説する人が「活火山」という言葉を口にした時、タモリの巧みな連想力はその言葉に反応して、相撲取りの名前にその「活火山」を重ね、『熊本県出身・西前頭・活火山』というのがいたらいいね!と言って、タモリ自身がこの発想を面白がっていた。……私は、そういう言葉遊びが大好きなので、この瞬間にいたく反応して、頭の中はタモリのそれを越えるべく、相撲取りの名前で実際にいたら面白いだろうという、その名前作りに没頭した。もはや番組のその先を観ていない。…………先ず浮かんだのは『関の山』であった。関の山、……一見、実際にいそうで、通り過ぎてしまいそうな四股名(しこな)であるが、意味は、「一生懸命頑張ってはいるが、これ以上は、もう、もう出来ない、親方無理です!!!」という、自嘲、自虐的な四股名である。……おそらく関の山は、幕下からどう頑張っても、もはや上に上がる事はないようである。……さて、次に浮かんだのは、これは胸を張ってお伝え出来る自信作と言っていい四股名であるが……『内弁慶』というのはどうであろうか。……〈鳥取県三朝町出身・西前頭四枚目・『内弁慶』。〉……何とも自虐的でキュンと来て、母性本能の強い女性ファンがけっこう付きそうではないか!?。部屋の稽古ではめっぽう荒くて強いが、何か秘めたトラウマでもあるのか、この『内弁慶』。本割りの取組ではかなり脆い。親方夫人が気を揉んで国技館まで付いて来て、「いい?、ガンバよ!!」と励ますのであるが、やはり脆い。いっそ四股名を『弁慶』に変えるか!と親方は言うのだが、本人は、(親方、それじゃ返って荷が重いので)……と言って「内弁慶」にこだわっているところが芯がある。………………………。この四股名に関しては、もっと面白いのが浮かぶのではと、ふとした折りに考える日々が今も続いている。とにかく暑い日々である。水を小まめに飲んで、この四股名作りは、今年の最後の台風が去る日まで、まだまだ延々と続くのである。

 

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『夢の漂流物』

昨年の夏のブログで私は、来年はもっと過酷な暑さの夏になるであろうと書いたが、果たしてその通りの、刺すような暑さの日々が続いている。あまり好きな言葉ではないが、もはや誰もが眼前の死の危険とリアルに戦っている「運命共同体」と化したかのようである。今のク―ラ―の機能では補い切れないような暑さが、「今、そこにある危機」として、近いうちにやってくるような予感がある。……さて、そのような中で、10月15日から開催される日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展の為の新作の制作が、いま山場を迎えている。画廊の空間としては、おそらく日本で最大の広さがあると思われる美術画廊X。……今回で連続11回目となる、この企画展。最初にお話を頂き、打ち合わせに行った時に一目見て、私はこの空間が気にいってしまった。〈個展〉とは期限付きの緊張感に充ちた解体劇だと考えている私にとって、この空間はイメ―ジを展開する為の、厳しくも理想的な美の劇場として映ったのである。思えば、20年以上前に作っていたオブジェから比べると、最近のオブジェは明らかに一点一点が異なった世界を持ち、暗示性と象徴性が入り込んだ、イメ―ジの装置としての面が際立って来ていると私は分析している。美術の分野を越境して、もはやオブジェという言葉では括りきれない、名状し難い何物かを私は作り出しているという強い自覚を懐いているのである。……………さて、その制作であるが、起きている制作時の時とは別に、眠ってからも私は別な感覚の中で、どうやら表現を追い求めているらしい。つい先日には、こんな事があった。……アトリエで、或るオブジェ作品のイメ―ジの詰めをしていたのであるが、その最後の詰めがどうしても決まらない。……しかし、その夜にみた夢の中で、詰めとしての小さな「文字盤」が在るべき場所に完璧に配されており、眠りの中で、作品は完成されていたのであった。……目覚めた私は、その夢の中に出てきた文字盤を、記憶を追うようにしてアトリエの中で探した。私のアトリエには、オブジェに使う為の大小の部品およそ4000点以上が、分類された数々の箱の中に仕舞ってある。……確か、その小さな文字盤があった筈だと思いながら探すと、果たして、数多の箱の中の無数の部品の中に紛れこんでいるようにして、それがようやく見つかった。……部品は無数にある為にとても覚え切れない筈であるが、脳の中の潜在している記憶にはその全てが記憶されていて、私の睡眠時に、もう一人の私が覚醒して、制作の作業の続きをしているように思われる。……また、個展のタイトルや作品のタイトルも私はこだわる人間であるが、なかなか決まらなかったタイトルが、朝の寝覚めに、あたかも夢の漂流物のようにして、完璧な形で出来上がって流れ着いている時が度々ある。また、以前に文芸誌の『新潮』から依頼された書き下ろし執筆の時にも、目覚めている時には結び付かなかった、フェルメ―ルと『エチカ』の著者であるスピノザとの接点、そして、そこからの解釈が、夢の中で1本の線として直に結び付き、私はそこからの執筆が一気に進んだ時がある。……夢とは果たして、何であるのか。私は日々、頭の中で、オブジェ、コラ―ジュ、また新たな領域を求めていて、脳の中はグチャグチャであるが、眠りは、そして夢は、私の混沌を整理して、その奥から時として信じがたい夢の恩寵をもたらしてくれるのである。……制作の日々はまだまだ続く。個展を開催する度に新たな引き出しを開けて、全く別な感覚を開示する事は、表現者としての私の矜持である。……昨年、詩の分野において歴程特別賞を授賞した事も関係しているのかもしれないが、先日、詩の関係の出版社から話があり、来年に初めての詩集も企画出版として刊行される事が決まった。今までも折々に詩は書いて来たが、詩集としての刊行は正に的を得たタイムリ―な企画だと思う。また、私の写真家としての可能性を開いて頂いたギャラリ―サンカイビの平田さんの次なるプロデュ―スで、ミラノ出身の写真家の方との競作展も近々に打ち合わせが予定されている。……私の小さな頭の中で、ジャンルを越境して様々な事が、これから更に待ち受けているのである。夢の漂流物はその折々に静かな恩寵として、また度々流れ着いてくるように思われるのである。

 

 

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『……1通の脅迫状から』

今回のブログは『君は、こまどり姉妹を見たか!?』と題して、私達の記憶の外へと消えつつある「こまどり姉妹」から文章が始まり、やがて転じて私の銅版画の画面の特質である、左右が似て否なる左右非対称(ア・シンメトリ―)への偏愛の分析・資質について書こうと思っていた。……しかし、昨日京都の伏見区で起きた。京都アニメ―ション会社が放火され、33人の死者・36人が(犯人を含む)重軽傷が出るという痛ましい大惨事を目の当たりにして、急きょ書く内容を変更した次第である。才能豊かな夢多き若者達が、屈折した逆怨みの、夢の欠片など全くない一人の愚者によって、前途を突然断たれてしまったという不条理のこの極まり。異常者に対するやり場のない怒りがエンドレスに虚空を泳いでしまう今回の悲惨な事件。……報道によると、この会社には、以前から発信者不明の執拗な脅迫メールが届いていたというが、それが今回の犯人と結び付くか否かをいま調査中であるという。想うに、おそらくはこの犯人で間違いないであろう。……さて、この〈脅迫状〉なる代物。いつ頃から世に在るのかと、ふと起源について考えてみた。……思い浮かぶのは、桜田門外の変の井伊直弼と、明治11年に起きた、紀尾井坂の変の大久保利通暗殺事件である。犯人は、事前に各々に対し暗殺を示唆する脅迫状を送りつけている。しかし、井伊直弼、大久保利通、共に臆する事なく毅然としており、遂に凶事へと繋がっていった。……そして今一つ思いだすのは、6年ばかり前に、この私に届いた、屈折した人間から送られて来た脅迫状の事である。私は先日のテレビの報道画面で、放火魔が路上で仰向けに転がったまま、警官に取り押さえられている姿を見て、私に脅迫状を書いた犯人の事が重なるように思い出されたのであった。……この件は、以前にこのブログで『からさわぎな手紙来たる』と題して書いたのでご記憶の方も多いかと思われる。……私に対し面と向かって堂々と言えないこの小心者の犯人は姑息にも、自分の名前ではなく、既に亡くなって久しい木版画家の小野忠重という男の名前で、私に対し、作家活動や旺盛な個展発表を控えるように、と長文を綿々と書き、便箋5枚の最後に、「……この手紙を無視すると、さぁどうなるかな!?……せいぜい駅のホ―ムでは気をつける事だな。」という殺人予告めいた文章で閉じられていた。これはもはや立件に相当する明らかな犯罪である。……私は手紙を読んでいる途中から犯人を絞りこみ(というよりも、すぐこの姑息な男が、版画家のKである事は見破っていたが)、……あの男が……このような不気味な裏の顔があったのかと哀れみ、かつ無視するつもりでいたが、その最後の文章を読み、今はニヤリと暗い悦に入っているであろう、この男に不測の角度からの一撃を食らわしてやろうと決め、『からさわぎな手紙来たる』と題して、脅迫文の陰湿な手紙の画像をブログに大きく掲載し、この欄の読者に向けてオ―プンに開示した。(ちなみに、私と犯人の両方を知っている読者の何と多い事か!)……まさか、ブログで自分の暗部をアップされようとは!!、……全く予期だにしていなかった犯人はかなり慌てたらしく、数日後に、今度は女性に成りすました不気味な手紙を送りつけて来たが、さすがに私は無視する事にした。……世の定理に倣うならば、この男はやがて自滅していくに違いない。……私はそのように読み、果たして、私の前から次第にこの男は消えていった。……とまれ、この時に書いた『からさわぎな手紙来たる』は、このブログの読者の方々の反響が大きく、また犯人が誰であるかも多くの人に直に伝わったようである。…………反響の大きさ、手応えは、それ以前のブログに書いた『勝新太郎登場!!』(砧にある東宝撮影所で、あるきっかけから出会い、私を役者志望の貧乏な苦学生と勘違いして、延々と、あのドスの効いた声で、役者の心構えを説教してくれた勝新太郎への思い出を綴った内容)と、『未亡人下宿で学んだ事』(森進一の名曲「襟裳岬」の詞から転じて、藤原定家の新古今和歌集に移っていく話)と並び、この陰湿な脅迫状を題材にした『からさわぎな手紙来たる』は、作者として思うに、傑作ブログ三部作に入るようである。……次回は、突発的な事が無ければ、「創造と無意識との関係」、及びイタリアの写真家セルジオさんと私との競作展の打ち合わせについて書く予定です。……乞うご期待!!

 

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『闇の深さ』

 

先日、横浜のそごう美術館で開催していた『水木しげる・魂の漫画展』を観に行った。なかなか上手い会場構成で、生誕から亡くなる迄の水木しげるの波乱万丈の歩みがよくわかり、見応えのある内容であった。初期の油絵を観ると、既にセンスの冴えが光り、後の水木ワ―ルドが開花する、その胚種のようなものが見て取れる。会場では各所に原画がたくさん展示されていたが、特に目を引いたのは、水木しげるの代名詞とも云える、神社の湿った裏の空間や、時間が停まったような民家の暗がり、闇だまり、あるいは黄昏の語源である「誰そ彼!?」の暮れなずまんとする、その闇への移行時に息づき始める「もののけ」の気配を現す為に描かれた、実に細かい線や、点打ちの鬼気迫る描画作業の苛酷さを映す原画の生々しい痕跡であった。……その密度たるや実に凄まじい。点打ちの苛酷さで、アシスタントだったつげ義春などは、毎日が腱鞘炎の日々であったという。……昨今の若い画家が、「幻想」などと云って、安直にただ細かさが売りだけの線描を描いて自足しているが、残念ながらその密度、強度、深み、すなわち現そうとする世界の立ち上がりのリアリティ―において雲泥の差があると云っていい。別な言い方をすれば、1本の線にも、それが描かれた時代の何か本質的なものが刻印されるという事であろうか。まさに1本の線さえも、作者の意図を越えて、その生きていた時代さえもありありと映すという事であろう。…………見えるものと見えないものが交差する、その十字路のような場に息づく不可解な気配、そのアニマの魂の交感。もはや現代に生きる我々がなかなか感じられなくなってしまった感覚、……怖いが、なぜか懐かしい、その郷愁にも似た世界を求めて、会場には実にたくさんの観客が訪れていた。 ……………………その水木しげるが描いた人物に、・民族学者・生物学者で粘菌の研究でつとに知られる「南方熊楠」と、仏教哲学者で妖怪を研究し「お化け博士」と呼ばれた「井上円了」がいる。特に最近は、私は井上円了に興味が傾いており、もっと深く首を突っ込んでみようと思っている。南方、井上の両氏とも実際に不思議な霊的体験を度々経験しているが、かく言う私もまた、四国丸亀の友人宅では、既に亡くなって久しい友人の祖父が二階で確かに歩く足音を聞き、以前のブログでも書いたが、上野の芸大の写真センタ―では、終戦時に集団自決した連隊の一兵士の、明らかに軍人が履く硬い靴音が、寝ている私の周りをひたすら歩きまわる音を聞いたり、幾つかの不可解極まる事を体験しているが、その不可思議な数々の出来事の謎の裏付けや分析を井上円了の書物の奥に探そうと思っているのである。……彼は生涯をかけて全国を歩き回り、数々の不思議な話を収集しているが、そこに私の好奇心がいま向かっているのである。……見えるものと見えないものが交差する十字路のような場。それは、クレーも語っているが、私どもが関わっている芸術というものの根源とも、実は深く結び付いているのである。

 

……6月の初旬辺りからオブジェの制作に熱が入り、アトリエにある大きな二つの作業テ―ブルの上に、次々と新作が並んでいく。7月は特に重要な月で、これからの1ヶ月間が最も集中した日々になっていくかと思われる。異常な長雨は憂鬱なものであるが、こと制作に於いては、意外にも集中を促してくれるのである。

 

 

 

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『鷺が翔んで来た日の事』

 

 

 

 

……アトリエの郵便受けを開くと、知人の画家や美術館、時には未知の作家らしき人からの案内状が届いている事がある。残念ながら興味をひく程の内容ではないので、ほとんど直ぐに忘却へと消えていくのであるが、先日、思いっきり未知の方からの葉書が届いた事があって、少し私の気をひいた。「民事訴訟最終通達書」と印刷された、何の事はない〈振り込め詐欺〉から届いた葉書である。……いつか僕にも来ないかなぁ……と内心ひそかに心待ちにしていたので、実際に手に取ってみて、少し嬉しかった。多くの人は、こういう文書がいきなり届くとパニックで舞い上がってしまうというが、それがよくわからない。……小難しい専門用語を並べて、いちおう頑張って文書化しているが、大事な主語にあたる文言が欠けており、一読、文章として体を成しておらず、故に意味がほとんど伝わって来ない。……この辺り例えるならば、何を伝えたいのかわからない、そこいらにいる美術評論家の文章とちょっと似ていようか。……しかし、ふと考えてみると、昨年、斜め前に住む老婆は、受け子に現金で300万円を渡しているし、今年の春もアトリエのすぐ前で、女性(またしても老婆)が受け子にまさに現金を渡す直前に、その光景に不審を抱いた知人の人が近寄って来たので、受け子は一目散で逃げて行き、事なきをえたが、私の周りだけでかくの如しだから、実際には相当な数の被害が発生していると思われる。……事件が成立する背景には、高額なタンス預金があるという実態と、今1つは独り暮らしの老人のよるべなき孤独が背景にあるのかもしれない。……思うのだが、昔からの友達も相次いで亡くなり、ほとんど誰からもかかってくる事のない電話が、ある日かかって来たら、人の声の懐かしさ、自分の存在を覚えてくれていたという嬉しさで、老人は受話器を先ずは強く握りしめてしまうのではないだろうか。……それがイントロとなり、巧みな話術にはまり、まるで催眠術にかかるようにして相手を盲信してしまう。その〈寂しさ〉という老人の孤独も、事の一端にはあるように思うのだが如何だろうか?

 

………………元来、詐欺師には、そこにアッと云わせる鮮やかさがあった。世間を煙にまいた後に残るカタルシスがあった。……世情、心理学、話術、演劇力に通じており、そこに手品のような虚を突く大胆さがあった。1911年に『モナ・リザ』がル―ヴル美術館から盗まれた事件があったが、その事件の更に裏の背景には、天才的な詐欺師と言われた人物が存在し、『モナ・リザ』がフィレンツェのホテルで発見されるまでの2年の間に、窃盗前から周到に用意していた何点もの『モナ・リザ』の贋作を、主にアメリカの大富豪達を相手に盗まれた本物の『モナ・リザ』と称して売りさばき、巨万の富を成したという逸話がある。当時は今と違い『モナ・リザ』の精巧な複製画はほとんど無く(故に画像としての視覚情報に乏しく)、またモナ・リザ発見後に偽物を掴まされたと知った被害者の富豪達も、盗難品と言われて、それを知りつつ買ってしまった手前、ばつが悪いのと恥ずかしさで、自ら訴える者は一人もいなかったという。……してやったりの醍醐味があるが、「詐欺はインテリの犯罪である」と断じた、ミュンヘン保安警察長ラインハルト・ルップレヒトの名言があるが、昨今の組織化された振り込め詐欺の殺伐さと違い、嘗ては、体制をコケにした鮮やかな〈詐欺師〉としての矜持とスケ―ルがあったように思われる。詐欺師、奇術師、魔術師、……この類いの話は、種村季弘氏の『詐欺師の楽園』に詳しいが、そこには詐欺師の艶のある孤独もまた垣間見えていっそう深いのである。「詐欺師は、匿名性の波間に身を潜める一般者なのだ」「誰も彼らの顔を思い出せない」……種村季弘。

 

 

 

 

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『川田喜久治・勅使川原三郎―表現の深度に沿って』

個展が終わり、アトリエに静かな制作の時間が戻って来た。……語り得ぬ物、立ち上がらんとする何物かを捕らえんとする、イメ―ジの狩人のようなもう一人の私に変わる事の、緊張と静寂に充ちた至福の時間。…このアトリエでは満ち足りたものと、逃がすまいとする焦燥が混在化して、何とも不思議な時間が流れていく。……………その制作の合間を縫って、二日間続けて、以前から楽しみにしていた写真展と公演を観に出かけた。写真の川田喜久治作品展「影のなかの陰」と、勅使川原三郎ソロ公演「青い記録」である。

 

……川田喜久治さんから個展の度に頂くオ―プニングパ―ティ―のお知らせは、いつも決まって実に昂るものがある。私はよほど本物の表現に接する事に飢えているのであろうか、美術家の個展などには全く見向きもしない私であるが、こと川田さんの場合だけは、暦にその日時を書き込み、逸る気持ちを抑えるようにして、その日を待つのである。 ……今回の個展のタイトルは「影のなかの陰」。実に上手いタイトルで、やられた!!と思った。英語ではshadowの一語しかないが、日本語だと書き分けによって、更に〈かげ〉〈蔭〉〈カゲ〉〈翳〉という文字までも孕んで自著のテクストの中に使い分け、そこに複雑な表情を持った陰影のマチエ―ルが立ち上がる。短い言葉の中に、川田さんが抱く「闇の多彩な透層」というものへの様々な拘りと凝視的な視座が伝わって来て、「タイトルとは、こうでなくてはならない」という感をあらためて持った。この短いタイトルだけで、既にして自らの川田喜久治論が饒舌に内包されているのである。……東麻布にある会場の「PGI」の壁面には、新作の写真作品が、やや間を詰めながら、通過する魔群のような表情を帯びて数多く展示されていた。……昨年辺りから、川田喜久治さんはインスタグラムを始められた由であるが、気軽に発信可能という、その意識のフットワ―クの良さを掌中の武器として、また新たな表現世界を顕在化したように思われる。昨年の高島屋の個展に川田さんが来られた際に、私はその被写体として撮られ、それは数日後には川田さんのサイトにたちまちアップされた次第であるが、私もまた、虚構と現実とのあわいに潜む実体不明な住人の一人と化したのであった。……会場で、黒い仮面を付けた、なんとも強い黒の深度を帯びた女性の写真があり、気になったので川田さんに伺うと、その黒い仮面は、ゴヤの版画『ロス・カプリチョス』中に描かれている仮面を実際に作って、妖しいモデルに付けさせた由。……あぁ、確かにあの作品の中にこの仮面があった……と思いが至ると、そこまでゴヤに入り込んでおられたのか!という、その徹底に驚嘆する。私はかつて「……かくして時を経て、ゴヤの遺伝子は間違いなく川田喜久治のそれへと受け継がれた。」という主旨の文を書いた事があったが、その想いをまた新たにしたのであった。……さて川田喜久治さんの写真であるが、そのほとんどがニュ―ヨ―ク近代美術館やテ―ト・モダン……また国内外の主要な美術館に収蔵されているので、なかなかに入手困難であるが、私のアトリエには奇跡的に、その川田さんの代表作二点(ボマルツォの怪獣庭園の巨大な怪物の顔と、日蝕の闇夜を飛ぶ奇怪極まる怪しいヘリコプタ―を撮した写真作品)が、ルドンやホックニ―、ヴォルスなどと共に掛けてあり、我がアトリエの空間をいよいよ緊張の高みへと誘って私を鼓舞してくれるという、コレクションの中でも、極めて重要な作品であり、その黒のメチエは群を抜いて深く、私に様々な示唆を与えてくれるのである。……さて、この個展は7月5日(金曜)まで。お問い合わせは会場PGIまで。入場無料にて開催されているので、ご覧になられる事を強くお薦めする次第である。

 

……川田喜久治さんの個展を拝見した翌日の6月1日の夕刻、私は荻窪にいた。この荻窪にあるスタジオ「アパラタス」を拠点として、まさしくアップデイト(更新)するように、公演の度に新たな身体表現の未踏の極へと迫って留まる事を知らない、勅使川原三郎氏のアップデイトダンス公演(62作目)『青い記録』のソロ公演の、その日は最終日なのである。いつもながら会場は既にして満員。公演は2部構成(「光の裏側」と「白い嘘」)から成る。……川田喜久治さんの闇の透層への拘りは、写真という2次元であるが、このダンス公演では、川田さんとはまた異なる勅使川原氏の拘りを見せて、3次元の舞台空間に妖しくも劇的に開示されていく。……始まりは闇。……そして薄い光が射すや、舞台空間はあたかも、かつて視た銀閣寺の白砂の枯山水の夜の面のような清浄とした表情が点り、その立ち上がりと共に、影から実体へと勅使川原氏の姿が顕と化していく。……そして様々な光のマチエ―ルの移りと共に、身体による様々な変幻が、不思議な時間感覚の中で揺れ動く。そして、一条の過剰な、刃の切っ先にも似た〈或る意思〉を帯びたかのような鋭い光が、勅使川原氏の身体上部(丸い頭部、肩、腕の直線、……指先の先端まで遍く)を貫いていく。……次に一転して、会場を切り裂くように響く、細い板木が執拗に何度も倒れる音。(これもまた聴覚から強引に入り込んで観者を揺さぶる一つのダンスか!!)…………倒れるようにして倒れる事、或いは絶対に倒れないようにして倒れる事。そのしなやかな背反の身体的トレモロ。……2部に移ると、私達の身体が、僅かな最少の骨と筋肉があれば、そこはもはや感情がかしぎこわれ、或いは逆巻く場としての異形な、形なき皮袋である事実を危ういまでに突きつけてくる。もはやこの段では、勅使川原氏は自らの身体にマネキンのごとき客体〈オブジェ〉性を課し、積算された緊張は、対極の緩やかな官能性の襞までも見せてくる。……極限まで引きつった顔の筋肉の戦慄は一転して、ダ・ヴィンチの描いた聖アンナのごとき慈愛の相へと落下するようにして転じ、その極から極への変容を支える、中空に浮くかのような(静の中に動を内包した)アルカイックな美しき身体は、あくまでも勅使川原氏のものであるが、そこに本作の主題である「身体の記録性―記憶の曖昧なる虚ろ性」が絡んで、つまりは、圧巻的に美しい。本作は、記憶の曖昧なる虚ろさよりも、身体に刻まれた記録こそ、或いは確かなのではないか!?……という設問が核にあるが、私は、勅使川原氏が常に自問していると想われる、イメ―ジと偏角性までも孕んだ〈距離の問題〉も、本作に観て取ったのであった。……かつて私は拙作の作品―或る版画集に『ロ―マにおける僅か七ミリの受難』というタイトルを付けた事があったが、本作を観ながら、私は『僅か七ミリの距離を52分をかけて渡りきる試み』という設問を勅使川原氏に伝えたいという、妙な閃きに捕らわれたのであった。……凡庸な表現者であるならば、「そんなのはダンスの主題ではない」「ダンスを知らない者の戯言」と言って、ダンスの狭い概念に汲々として安逸な顔を見せるであろうが、もはやダンスの概念を越境している勅使川原氏ならば、この七ミリの僅かな距離が、遠大にして不到達な距離としてイメ―ジされ、そこに多層的な解釈が加わって艶までも呈するに違いないと私は思うのである。……敏感な人ならば、私のこの設問が、ジャコメッティのオブセッションに繋がっている事に気づかれたかもしれない。……とまれ、次の勅使川原氏の公演へと、もはや私の関心は跳んでいるのであるが、それは間近の今月17日から~25日にわたって早くも開催される事が用意されている。驚異的な速度である。……『マネキン・人形論』(ブル―ノシュルツ原作)。……その案内の葉書には「無限なき物質的生命の陶酔」と記されている。……こちらも、ぜひご覧になられる事をお薦めする次第である。……お問い合わせはKARAS APPARATUSまで。

 

 

川田喜久治『影の中の陰』

会場:PGI
東京都港区東麻布2―3―4 TKBビル3F
TEL:03―5114―7935
時間:11―19時(月~金)11~18時(土)
(日・祝日/休館)
*入場無料

 

 

勅使川原三郎『マネキン・人形論』
(ブル―ノシュルツ原作)

日時: 6月17 ,18,19,20,日/24,25日 20:00
6月22,23日  16:00〜
*受付開始:30分前、客席開場:10分前
料金:一般 予約 3,000円 当日3,500円
学生 2,000円 *予約・当日共

場所:東京都杉並区荻窪5―11―15
カラス・アパラタスB2ホ―ル
TEL03―6276―9136

 

 

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『次なる創造に向けて』

先日の25日、三週間に渡って開催された、銀座・画廊香月での個展が盛況のうちに終了した。画廊主の香月人美さんの知人、そして私の知人が数多く来られ、会場には常に来訪者が誰か必ずいるといった具合で、気を休められないものがあった。……今回の個展で特に良かったのは、遠方にいる私のコレクタ―で、まだ存じ上げなかった仙台や愛媛、そして長崎などにおられる方々に初めてお会い出来た事が嬉しい収穫の1つであった。……いずれの場所もまだ個展をしていない地域であるが、私のサイトや雑誌他の情報から、今回の個展開催を知り、遙々遠方からこの個展を目指して来られたのだという。そして、私の作品を前にして真剣に迷われながら、各々の方の感性に共振する作品を的確に選ばれて帰られて行った。……分けても仙台の方は、後日に名産の『牛タン』を香月さんと私の各々に送って来られ、特に記憶に残る人となった。仙台は、以前に宮城県立美術館で講演を行い、その翌年には講座でも喋ったという場所だけに懐かしい。……また、近々に盛岡で画廊を開設する予定だという初対面のS氏が来られ、即座に私の作品を買われた後で、画廊空間について幾つか問われたので、先ず第一に重要なのは照明の問題である事を伝え、幾つかのアドバイスを更にした。……この方はなかなかに飄々としたものがあり、しかも直感に光るものがあり、以後も何らかの形でご縁が特にあるように思われた。

 

……そのS氏が帰られた夕刻、珍しく来客が途絶えたと思って少し寛いでいると、一人の三十代後半の男性が静かに画廊に入って来られた。……その一瞬の気配で「この人物は……」と思わせる只者ではないものを私は感じた。その人は、画廊内に展示されているオブジェやコラ―ジュ、そして版画をじっくりと観ながら、新作のオブジェ二点と、版画『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』一点を買われた。画廊の香月さんがお茶を出して雑談になった。伺うと、この人は京都の古美術商で未だ修行中の身であるが、私の作品を含め、既にかなりのコレクションがあり、やかては画廊を京都の地に開設する事を考えているのだという。……古典から現代に渡ってかなりの知識があり、鋭い眼識と直感の持ち主と視た私は唐突に「宗達について書かれた幾つもの論考の中で、あなたは誰を第一に挙げますか!?」と問うと、はたして即座に受けて「宗達の中に、大和絵の髄とバロックの強度を同時に併せ視た三島由紀夫以外に、本質を突いた人はいないでしょう!」と返して来た。……本物である。その返しの見事な瞬発力は、「考えるは常住の事、席に及びて間髪を入れず」と語った芭蕉の即応の覚悟を思わせ、また具体的には、私の知る限り最も鋭い眼力の持ち主である、画廊「中長小西」のオ―ナ―である小西哲哉氏を想わせるものがあり、私は嬉しくなって来た。次代に続く若手の画商に人材が絶えて久しいが、まだまだ若いながらも雄伏している人材が確実にいる、その事を知り、私は無性に嬉しくなったのであった。なおも伺うと、昨年のこの時期に福島のCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催された私の個展に、京都から遙々二回も観に行かれたのだという。そして、昨年に刊行した私の作品集『危うさの角度』をはじめ、パリで刊行した画集、美術館の私の図録なども全て持っているとの事で、私は大いに手応えを覚えたのであった。…………まだまだ私の存じ上げていない、私の作品を推す人達がこの国にはたくさんいる。今回の個展は、その事を具体的に知る出会いに恵まれた、そういう個展なのであった。……さぁ、今年前半の個展はこれで終了した。明日からは、凝縮していた新作への創造欲を爆発させる日々が待っているのである。

 

 

 

 

 

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