『ある程度、覚悟した方がいい!!と、…彼は言った』

……個展が終わり、ホッとしたのも束の間、次はオミクロン株なる新参者が急に登場し、世界が混乱を呈している。自称かどうか知らないが、ウィルス感染症の専門家という人達が様々な自説を語っているが、昨今の日本における感染者数激減の原因についてすら、誰一人理詰めで得心しうる意見を語れないのだから、まぁいずれも、話半分に聴いておいた方が心身のバランスの為にいいように思われる。

 

……周知のように、梅毒をヨ―ロッパに持ち込んだのは、1493年にコロンブスの探険隊の隊員と、西インド諸島の原住民との性交渉による感染が発端であったが、その時の感染拡大の速さは「辻馬車」のそれであったという。しかし今はその比でなく遥かに速く、故にオミクロン株なるものは当然、既に日本に入り込んでいると考えた方がよいだろう。

 

しかし今、コロナよりもっと具体的に間近の問題なのは、2ヶ月前から日本各地で頻繁に発生している地震の方であろう。かつて無い程のかなり活発な活動を見せているが、これも地震の専門家と称する人達がまだ穏やかな発言に留まっている中、今朝のテレビで京都大学の教授で地震の専門家なる人(名前失念)がズバリ一言「今回は、もはやある程度、覚悟した方がいい!!」と、重くヒンヤリと語ったのが、こちらの想いと重なってリアルであった。この覚悟という響きの中には、大被害から、私達の死までもが現実的に含まれている。かつて関東大震災の折りに、芥川龍之介川端康成(後に二人とも自殺)が連れだって、視覚のフェティシズム故に被災地を視て回った事があった。その際に彼らが目撃したのと同じ光景、本所の陸軍被服厰跡の四万人という人達の死体の山と化した写真八枚を、偶然に骨董市で見つけて持っているが、それは作家の吉村昭氏が著書『関東大震災』の中で「私が知る限り最も恐ろしい写真」と書いた写真である。さすがにそれはお見せ出来ないが、参考までに、彼ら四万人の都民が火災を逃れて、一斉にここ被服厰跡の広い空き地に逃れて来て、やっと生き延びたと安堵している群集の画像(これはネットでも見れる画像である)を掲載しておこう。悲劇はこの後直ぐに起きて、この写真に写っている人全員が、空から降って来た凄まじい猛火の中に消え、関東大震災の最大の惨事(死者総数八万人の内の半数がここで亡くなった)と化したのであった。………私達の脳は実に怠惰かつ楽天的に出来ているらしく、「自分が生きている間は、関東大震災のような凄いのは来ない!」或いは「よしんば他人は地震で死んだとしても、自分だけは死ぬ筈はない!」と根拠なく思ってしまうのであるが、さぁどうであろう。

 

 

……しかし、いずれにしてもかつて無い不穏な年の暮れではある。……先日、写真家の遠藤桂さんと神田明神近くでお会いする約束があり、何処か落ち着いて話せる喫茶店はないかと先に来て店を探していたら、老舗の甘酒店で知られる天野屋のショーウィンドゥの中に巨大な機関車の模型を見つけた。私の作品のコレクタ―であるTさんが鉄道マニアなのを思いだし、携帯電話のカメラで撮影して送ったら、その夜にTさんから、「画面右側に妙なのが映っているので視て下さい!!」という返信が来た。「!?」と思ってあらためて視たら、確かに、突きだした断末魔の手らしきものが映っていた。視た瞬間、背筋を走るものがあったが、……たぶん、偶然に映った何かの反射かとも思われる。……そう云えば正面の神田明神はかの首塚伝説で知られる平将門を祭った神社……と、まぁ関連して狭く意味付けしては凡庸すぎて面白くない。……むしろ、感染症パンデミック、地震……と不穏な気配が蔓延している今は、世界はパンドラの箱開き、この世とかの世が道続きである様を呈していて、世界の全てが逢魔が時、……この時期だからこそ、このような写真も頻繁に写ってしまうのであろう、……そう考えた方が面白い。

 

 

 

 

 

12月某日。……空気は冷たいが、たいそう陽射しが眩しいので珍しく庭に出て、道沿いの先にある薔薇園に行った。……次回は、そこで考えた、次の詩集の為の詩法について書く予定。……但し、その前に何かが起こらなければ良い……のであるが。とりあえず、乞うご期待。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『キリコ―自らの神話を塗り潰した男』

……あれは、今から何年前の事になるであろうか。確か、私がまだ最後の版画集を作っていた頃であるから2008年の頃、……とすれば今から13年以上前の事になろうか。

 

ある日、私は銀座通りを歩いていて、喫茶店の風月堂の前にさしかかった。ふと視ると店内の窓際に大阪の画商のKがいた。日本の版画の分野は村のように狭い。故にその当時は、Kとも私は面識らしきものがあった。そのKが今日は上京して来て誰かと話し込んでいるらしい。私の視線に気がついたのか、Kが此方に目を向けた。……目が一瞬合った瞬間、Kは何故か私から逃げるように目を反らし、店内のあらぬ方に目をやった。その刹那、私の脳裡に直感的に閃くものがあった。……「やってるな!!」…………考えるでもなく、瞬間的に頭に降りて来るように、何故かそう思ったのであった。「やってるな!」と。…………このブログでも折りにふれて書いて来たが、私は予知、予見、或いはその瞬間に全く別な場所で起きている何か不穏な事を一瞬で正確に察知する事が実に多い。この能力は十代の頃に突然顕れ出し、最近はますます頻繁に起きている。……「やってるな!」……この時に直感した感覚をもう少し解すと、「何か不穏な、ある濁りへの傾斜」「今でなくとも、近いうちに必ずや墜ちていくであろう、取り返しのつかない凶事の予感的な察知」とでも云ったものである。……この時に覚えた直感には、自信といっていい確かなものがあった。……しかし、事件らしきものは何も起こらず、10年以上もの年月が流れていった。……「あの時に覚えた直感は珍しく外れたかな?」……そして私の中で、Kの存在は次第に消えていった。…………

 

……先々月の9月27日、「平山郁夫らの偽版画を制作、販売した大阪の画商Kらを立件へ―警視庁」という知らせが友人から入ったので、その夜、私はテレビでそのニュ―スを観た。……画面には警視庁の捜査官らに脇を固められて自宅を出るKの姿があった。……10年以上前に銀座の風月堂で姿を見て以来のその姿は一変して私には映った。……あの時に覚えた「やってるな!」という卒然と閃いた直感は、奇しくも時を経て当たってしまったのである。そのように、見えてしまう私とは、はたして何者なのであろうか!?…………とまれ報道によると、Kの銀行口座には6億2000万円以上の残高があったというから、10億以上の荒稼ぎをしていた事は間違いないらしい。言い換えれば、それだけ、買った側が見抜けなかった事を意味し、如何にこの国で贋作が流通しているかの、これはその一例を示している。……以前に私は或る画商から「自宅に佐伯佑三と藤田嗣治があるから観に来ませんか?」と自慢気に誘われた事があった。行ってみると半ば予想していた事であったが、佐伯も藤田も一見して贋作と判る酷い代物であった。「知らぬが仏」なので、私は贋作である事を言わなかったが、ふと考えてみると、これは恐ろしい事である。……一体、どれだけの贋作が流通しているのであろうか。……「贋作王国―日本」と呼ばれて既に久しい。以前のブログでも書いたが、今、芸術に関わっている中で美術の分野が一番堕落している、という私の意見は、ここにも投影されている。

 

 

 

さて、ここまでの話は、相撲の番付で云えば謂わば幕下。これから記すのは、海外の真打ち、それも天才級の美術家の登場である。最初に登場するのはハンス・ベルメ―ル(画家、写真家、人形作家…)。この人物については拙著『美の侵犯―蕪村X西洋美術』(求龍堂刊行)でも、その危うい矛盾した異形な精神については触れたが、まだ書いていない事があった。それを書こう。……2年前に亡くなった、私の盟友とも云える親しかった画家、到津伸子さんから聞いた話であるが、パリに住んでいた到津さんは、晩年のベルメ―ルの家に行き直接会った事があるという。……到津さんとベルメ―ルを結び付けた人物は、この人も度々ブログに登場する、パリのパサ―ジュ・ヴェロドダで古書店を商い、私の個展も開催してくれたベルナ―ル・ゴ―ギャンさんである。ゴ―ギャンさんはディレッタントを生きる知的な遊民であり、ベルメ―ル作品のコレクタ―の第一人者としても名高い。……到津さんがゴ―ギャンさんの紹介でベルメ―ルのアパ―トを訪れた時、彼の生活はまるで逃亡者のようであり、何かに怯えるような鋭く不安な目付きであったという。酒や薬に溺れたその生活は金に窮し、遂に禁じ手に手を染めてしまった。あろう事か、他人が作ったベルメ―ル作品を模した版画の稚拙な贋作に、自らの本物のサインを入れてしまったのである。…………これは前述した事件と違い、別な厄介さを帯びている。私がその話を聞いたのはパリに住んでいる時であったが、暫くしてクリニャンク―ルの骨董市で、件のその贋作を見つけた事があった。明らかな贋作に書かれている本物のサイン。……私はベルメ―ルの代表作の版画『道徳小論』の連作を数点持っているが、それではなく、単品の版画の幾つかがそれである。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、最後はジョルジョ・デ・キリコである。キリコはクレ―と並んで私が以前から変わらずに好きな画家である。但し、キリコで私が評価するのは、1909年から1919年迄に描かれた形而上絵画と呼ばれる特異な作品群で、シュルレアリスムの画家達に大きな影響を与えたその作品群は視覚化された詩ともいうべき鮮烈さを変わることなく今も放っている。(私はこの形而上絵画と呼ばれる作品だけを収めたイタリア版の見事な印刷の画集を持っているが、それは金がない学生時に神田神保町の海外の優れた画集のみを商っていた松村書店で偶然見つけ、なけなしの金をはたいて買った程の宝物である。)まぁ、それはさておくとして、キリコは形而上絵画以後はまるで魔法が解けたような、自己模倣の駄作を描き続け、果ては形而上絵画のあの頃の作品は全て贋作であると放言して美術界を驚かせた。……困ったのは、彼から影響を受けたシュルレアリスムの画家達であった事はいうまでもない。……自分達の足場、存在理由が根底から掬われてしまったからである。……キリコの変心と作品の質の無惨な失墜は、長年の私の謎でもあった。同じ作者とは思えない程に、質が低下したからである。そして、私なりにその謎を推理して辿り着いた結論は、形而上絵画の代表的な作品の注文(つまりコピ―)が貴族や画商から殺到し、おそらく彼は金の為にそれに応じ、自らの神話を塗り潰したのではないか……という推理であった。

 

 

 

形而上絵画

 

 

以後の絵画

 

 

 

 

……最近、私の推理を裏付ける文章に出会った。シュルレアリスムを牽引したアンドレ・ブルトンである。ブルトンはデ・キリコが金銭欲のために自身の過去の作品のコピ―を制作していたと非難する。……「私はこんな痛ましい場面に居合わせたことがある。キリコは今現在の彼の手、その重い手をもって、自身の過去のタブロ―を模写しようとした。もっとも、そうすることによってともすれば心を打つものになりうる幻想、或いは幻滅を求めていたからではない。外観を偽ることによって同じ作品をもう一度売ることが期待できるからであった。だが悲しいことに、それは少しも同じ絵には見えなかった!過ぎ去った感動を彼自身の内にも私たちの内にも再現する力がないまま、こうして彼は紛れもない贋作を市場に数多く流通させた。なかには奴隷のように忠実なコピ―があり、さらにそのほとんどに記された制作年が実際よりも前の日付にされており、またはるかに粗悪なヴァリアントもある。奇跡に対するこうした詐欺が嫌と言うほどただただ続けられてきたのである。」

 

 

昨今、日本でも一部の間で、さも意味付けがあるように成されている、作家自身による過去の、破損、或いは無くなってしまった自作の再制作という、美術界の或る傾向。それをどのように理屈や繕った意味付けをしても、ブルトンのこの指摘に抗することは不可能であり、要はその時点に於いて、その作品の価値や意味に気付く者がいなかったという、眼識や卓見を欠いた迂闊さの露呈だけが浮き彫りになってくるだけの話である。とまれ、キリコのそれ以後は魔法が解けた無惨な半生であったが、ことほど左様に、その報いはかくも恐ろしい。作品は、作られたその時点において、唯一の出現した意味があり、その後にその時の自分を裏切って手を染めれば、芸術の深部からの鋭い裁きが自ずから下される事は必定なのである。わかりやすく云おう。今、ここに60年代を席巻した土方巽の暗黒舞踏のあの美意識、あの動き。……また三島由紀夫が1956年に記した『金閣寺』を、誰かがこの2021年に書いても、それは如何にレトリックの妙を持っていても全く意味がなく、あの時代が産んだ、あの時代にしか生まれ得なかった、それは紛れもない珠玉なのである。

 

 

 

 

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『晩秋に一人想う事』

11月8日、3週間開催されていた日本橋高島屋.美術画廊Xでの個展が盛況のうちに終了した。会期が始まる直前からコロナの感染者が不思議な激減を見せ始め、その幸運な時期の中で個展は無事に開催され、たくさんの人が遠方からも含めて会場に来られた。ご来場頂きましたすべての皆様に、心より御礼を申し上げます。

 

 

 

 

……さて、会期中に感じた事であるが、私の作品はよほど強度な引力を持っているのであろうか、人々をして普通に30分以上は会場にとどまり、わけても作品のコレクションを考えている人は1、2時間はじっくりと作品と対峙して、これ!!と断じた作品を一点、もしくは複数を新たなコレクションに決めていく。今回の個展では作品を購入された方の約7割が女性であった。……以前に版画だけを発表していた頃はコレクタ―はほとんどが男性であったが、写真、コラ―ジュ、……そしてオブジェになってからは次第に男女半々になり、今回は遂に女性の方の数が上回った。その決め方も実に真剣勝負で深い鋭さがあり、見ている私には実に手応えを覚える光景である。……また来廊される方は、10代からかなりの年輩の方まで幅広く、世代を越えて各々の感性で、想像力の発火装置である私の作品から自由なイメ―ジを立ち上げているのである。私の持論である「作者は二人いる。私は作品をこの世に立ち上げる作者であるが、作品を観て、そこから自在なイメ―ジを立ち上げ、永い対話を交わしていく人がもう一人の作者なのである」という考えは、会期中、毎日自分の個展に立ち会う度に深まっていく確信である。

 

……来廊する人は、午後から夕方にかけてが多いので、午前中の早い時は静かな時があり、完成した新作70点以上が並ぶ会場で、作品と自分の〈現在のありよう〉を静かに分析している事が多く、これが実に貴重な時間になっている。次作への展開、新たな領域への挑戦をどうするか、……など様々な事が見えて来て実に生産的な時間なのである。……そして、この個展の後に待っている、第二詩集(『自動人形の夜に』)刊行の為の、詩の原稿執筆も画廊の中で始めている。ちなみに第二詩集は、①fragment(断片)②自動人形の夜に③Romanesqe の三部作を構想中である。

 

日本橋高島屋.美術画廊Xでの個展は、毎年連続で開催され、今回が13回目になる。……そして来年秋の第14回目の個展開催も決まり、次の個展のタイトルも会期中に早々と決まっている。……制作に於いて現在の全てを出し切る事で、新たな次の姿が眼前に立ち現れて来る。私には、まだまだ表現したいものが無尽蔵にあるのである。………………さて次回のブログは、一転して「贋作よもやま噺」について書く予定。昨今の話題から、ハンスベルメ―ル、キリコの驚愕的な逸話まで満載。……乞う、ご期待。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『大規模な個展を開催中』

……東京日本橋・高島屋本店6階の美術画廊Xで、新作オブジェ70点以上が一堂に展示された大規模な個展が、10月20日から始まった。会期は11月8日までと、まだ会期は長いが、個展前日の作品展示作業の時から観に来られる方もいて、その場で早々と数点のコレクションが決まるなど、個展の手応えが早くもあった。……そして初日の幕が開くや、奇跡的にコロナの感染者が激減しているという追い風もあり、個展を待ち望んでいた沢山の来廊者で連日、会場は賑わっている。8月、9月のコロナ感染爆発でその頃は開催も危ぶまれたが、10月に入るや、不思議なまでに信じがたい感染者激減の奇跡が現れはじめ、個展が始まると共に、遠方からの熱心なコレクタ―の方々も遙々観に来られ、久しぶりの嬉しい再会が叶っている。……正に奇跡的な好機での個展開催である。

 

 

毎年、秋に開催されている高島屋美術画廊Xでの個展は今回で13回目になる。この企画展の当初から美術部の福田朋秋さんが長年担当されていて、その眼識の高さは実に鋭く、かつ的確なので、私は福田さんに全幅の強い信頼を寄せている。2月頃から開始した制作も次第に没頭の日々が続くと、さすがに未明の混沌の中に入ってしまう時がある。……私はかなり客観的な複眼で自作を分析出来ると思っているが、それでも時として次第に、大海の中での凪に入った舟のように視えなくなってしまうのである。……そういう時に、福田さんから受ける作品への感想や確かな批評は、再びの自信を呼び起こし、最後の追い込みへと入って行くのである。

 

 

今回の個展の打ち合わせを兼ねて、福田さんがアトリエに来られたのは9月のはじめ頃であった。……アトリエに列べた数々の新作を視るや、速断で、今回の作品が今までのオブジェの中で(その数は既に1000点近くに達している)最も、自在なイメ―ジへと誘う深度と完成度の高さに達している事を指摘された時は、さすがに私も安堵を覚え、かつ確信も実感したのであった。だから、今回の個展は必ずや実現したかったのであるが、9月のその頃はまだ先が見えない感染爆発の渦中にあり、多くの展覧会が中止となっていた頃であった。しかし、私はこのブログでも度々書いて来たが、陰陽師と呼ばれるまでの強い運気と、想いが必ず叶い、手繰り寄せてしまう事が出来る予知的な神通力を持っているので、心中の何処かで期するものがあった。……今思い返せば、確かに9月のその頃、不思議に楽観視しているものがあった。……そして、個展がある10月に入るや、信じがたい現象が起こり始め、感染者激減へと動きはじめたのであった。

 

 

今回の個展は、福田さんが速断で指摘したように、今までの個展の中で最も完成度の高いものとなっており、それと同じ感想を来廊された人達も語っている。……それを証すように、画廊の中で30分以上はゆうに過ごす方が多く、完成度の高い作品が多いので、コレクションする作品を決める迄に2時間以上、作品と対峙して決められる方もおられ、作者としての手応えを実感しているのである。

 

 

昔、私がまだ20代の頃、先達の池田満寿夫さんが私に語ってくれた事がある。「作品への一番確かな批評は、批評家の言葉でなく、作品を観る人達がどれだけ時間をかけて作品の前に佇み、作品と対話するか、つまり、その時間の長さである」と。……私は会場に毎日いて、その言葉を実感しているのである。

 

 

 

 

 

……今回の個展のタイトルは『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』。……縦長の広い画廊空間を劇場に見立て、その中に70点以上のオブジェが各々に放つ幻視を鮮やかに立ち上げようというのが主題の根本にある。本展では、今まで無かった鉄や石による「立体書簡」という連作にも挑戦し、会場に異彩を放っている。……まだご覧頂いてない方は、ぜひご来場頂いて、久しぶりの再会や、嬉しい出逢いとなる事を願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』

会期:10/20~11/8  時間:10:30~19:30

会場:高島屋本館6階/美術画廊X

〒103-8265 東京都中央区日本橋2丁目4−1

お問い合わせ ㈹:03-3211-4111

 

 

 

 

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『20日から始まる個展のお知らせ―東京日本橋高島屋・美術画廊X』

前回のブログは反響が特に大きかった。文豪達によるスペイン風邪の感染実態の被害状況を具体的に書いた事で、今のコロナ禍がそれに比べるとまだまだ軽いという事が読者諸氏に具体的に伝わり、安心された方が多くおられた事は良かったと思う。そして、明るい兆しが見えて来たと書いたが、あれから実際、コロナ感染者が激減して来て今日にいたっている。……それを受けて、20日から始まる個展に、昨年はコロナ禍で来られなかった遠方の人達からも、今回は安心して個展に行きますよ!という嬉しいメールが届いている。……ほぼ9ケ月の間、新作のオブジェ制作に専心して来ただけに、コレクタ―の方達からのメールに確かな手応えを今、覚えているのである。

 

 

……さて、では本文に入ろう。

……前回のブログで、芥川龍之介もスペイン風邪に2回感染していた事を書いた。龍之介は第1波、第2波とも感染し、なんとか潜り抜けたが、それから7年後に自殺した。「ぼんやりとした不安」が動機だというが、最初、彼はファンの女性(人妻)と日比谷の帝国ホテルで心中するつもりで直前までいった。しかし、女性の友人であった歌人の柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん―画像掲載)が芥川を一喝してこう言った。「そんなに死にたいのなら、あなた一人で死になさい!」と。この言葉が効いたのか、芥川は田端の自宅で一人で亡くなった。……大正の三大美人と言われ、繊細な顔立ちの白蓮の、しかし内面の腹は肝が座っていて、なかなかに面白い。

 

……問題は、前回のブログに登場した島村抱月松井須磨子の悲恋の場合である。どちらも名前が実にいい。良すぎる。……だからどう考えてもハッピ―エンドに終わる名前ではない。この名前の中にしっかりと来るべき悲劇が内包されているようにさえ思われる。いわゆる負の言霊である。……島村抱月、……月は遠くから静かに眺めるものであって、けっして近寄って抱くものではない。抱けば、ルナティックス(月狂い)という言葉が、少しずつ騒ぎ出す。……

 

 

さて、先日、作品を作っていたら急に別件が頭を過って手が止まった。……それは「松井須磨子」という、美しい響きを持った芸名の由来が、はて何に起因するのかという突然にわいた疑問である。私は分裂型なので、頭の中を同時に様々なものが行き交っている。そして突然、疑問がわいて来てその虜になってしまうのである。…………本名、小林正子から芸名・松井須磨子へ。……タブレットでその芸名の由来を調べてみたが、本人がどういう経緯で「松井須磨子」という芸名にしたのかは不明であるという。……これは面白い。暫し考えて、私なりの答えがすぐに閃いた。

 

……月と云えば先ず浮かぶのは「有明」という言葉であるが、松井須磨子の「須磨」からは、月の名所で知られる須磨の地名がすぐに浮かんで来た。……この須磨(兵庫県神戸市須磨離宮公園)の地は、30代の頃に詩人の時里二郎君(2019年に第70回読売文学賞受賞)と歩いた思い出の場所である。確か不思議な作りの古い洋館があったと記憶する。……そして、この須磨の浜には美しい松林があった。……その須磨の浜の松に自分を重ね、抱月に抱かれるように、ずっとその月の光で私を照らし続けていて欲しい。……そんな切ない熱い恋情から、この名前は来たのではあるまいか!?……そういう結論に想い至った次第なのである。…………そんな事を考えて何になるの?……そういう、意味や効率ばかりを問う今時の声が聞こえて来そうな気もするが、しかし、ふと疑問が湧いて来たのだから仕方がない。以前に刊行して話題になった『美の侵犯―蕪村X西洋美術』(求龍堂刊行)や『「モナリザ」ミステリ―』(新潮社刊行)、また他の執筆も、最初はこういうちょっとした疑問、着想、仮説から実証への強い興味、様々な閃き、そして確信……から立ち上がって来たのである。……オブジェを作っている時のアトリエの中は実に静かであるが、頭の中では、あまねく様々な物語りの断片が次々と幻のように浮かんで来て、たいそう騒がしい。……さて、そのオブジェが今回は70点以上、画廊としては最大の空間である、高島屋の美術画廊Xに一堂に揃うのである。私にとって美術画廊Xの空間は、幻が飛び交う劇場である。20日から始まる個展が、自分でも今から待ち遠しいのである。

 

 

 

 

 

 

『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』

会期:10/20~11/8  時間:10:30~19:30

会場:高島屋本館6階/美術画廊X

〒103-8265 東京都中央区日本橋2丁目4−1

お問い合わせ ㈹:03-3211-4111

 

 

 

 

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『あの芥川龍之介も感染していた!』

……今月の20日から11月8日まで開催される、日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』の作品制作も、新作オブジェ74点の全容が見えて来て、いよいよ最終段階に入って来た。個展の案内状も、そろそろ発送しなければならない。……朝は8時くらいからアトリエに入り12時間制作をして、後は寝る前に読書という日々が最近続いている。……そんな中で、最近面白い本を見つけたので今はその本を読んでいる。題して『文豪と感染症(100年前のスペイン風邪はどう書かれたのか)』(朝日文庫)。

 

 

その本を読むと当時の文豪の芥川龍之介、斎藤茂吉、志賀直哉、菊池寛……を始め、たくさんの人が感染していた事が、彼らの手紙や小説からわかって来て実に参考になって良い。芥川は父親がスペイン風邪で亡くなり、自身も感染してかなり苦しんだ事が、随筆家の薄田泣菫宛の手紙から見えてくる。

 

時代は大正七年(1918年)~大正九年(1920年)頃で、ちなみにスペイン風邪は第2波まであり、芥川は2回とも感染して苦しんでいる。1918年の三月にアメリカで最初の患者があらわれ、あっというまに世界中に広がった。世界では4000万人が亡くなり、日本国内でも38万人~45万人が亡くなった由。この度のコロナでの日本での死者は現時点で17500人くらいであるから、スペイン風邪の猛威が今とは比べ物にならないくらいに凄かった事が見えてくる。……さてその芥川の手紙から。

 

「僕は今スペイン風邪でねています。うつるといけないから来ちゃ駄目です。熱があって咳が出て甚だ苦しい。」また別な日には「スペイン風邪でねています。熱が高くって甚だよわった。病中彷彿として夢あり退屈だから句にしてお目にかけます。……凩(こがらし)や大葬ひの町を練る」……いたるところから葬式の列が出て、その中を木枯らしが吹いている……といった凄まじい当時の光景が透かし見えてくるようである。

 

また面白いのは、与謝野晶子の『感冒の床から』と『死の恐怖』と題する二作の文章で、「今は死が私達を包囲しています。東京と横浜とだけでも日毎に四百人の死者を出しています。……盗人を見てから繩を綯うというような日本人の便宜主義がこういう場合にも目に附きます。……」と書いて、当時の政府の後手後手の無策に与謝野晶子は怒っているのであるが、それを読むと当時と今と全く変わっていない事が見えてくる。

 

その100年前のスペイン風邪で最も悲劇的で有名な話は、女優の松井須磨子と恋愛関係にあった妻子ある島村抱月(劇作家で演出家)の死であろう。最初にスペイン風邪にかかったのは松井須磨子であるが、それが島村抱月に感染し、抱月はあっけなく亡くなった。

 

抱月の弟子の秋田雨雀の日記にはある。「大正七年、十月三十日。ぼくは風邪(スペイン風邪)はなおったが、島村先生は須磨子と共に流行性感冒に苦しめられている。すこし心臓が弱いので、島村先生は呼吸困難を感じていられる由だ。須磨子はかなりよくなったようだ。」

 

「十一月五日。今暁二時七分前、師島村抱月は芸術倶楽部の一室で死んだ。みんな明治座の舞台から帰った時はまったく絶命していた。小林氏(須磨子の兄)もまさか死ぬとは思わなかったらしい。実にひじょうな損失だ。須磨子は泣いてやまない。……」

 

「大正八年・一月五日。昨夜、島村先生のマスクの破れた夢をみた。朝、起きてまもなく島村先生の墓地へゆこうとすると、芸術座から電報がきた。〈マツイシススグコイ〉。ひじょうなショックを感じて、思わず立ち上がった。自殺!という連想がすぐ頭を襲うた。

……芸術倶楽部へいった。道具部屋の物置で、正装して縊死を遂げたのであった。半面紫色になっていた。顔が整っている。無量の感慨に打たれた。……」

 

 

……この本には菊池寛の「マスク」、谷崎潤一郎の「途上」、志賀直哉の「流行感冒」、永井荷風の「断腸亭日乗」、斎藤茂吉の「つゆじもより」……など、作家達のスペイン風邪感染の実体験と奮戦記が載っていて実に参考になり、感染症に対する視野が複眼的になってくる。この本から学んだ第一の事は、100年前のスペイン風邪の凄さに比べると、今日のコロナ禍なるものは、甚だ軽いという事であり、しかも今、感染しても死亡率が格段に下がって来ている事は、先に漸くの明るい兆しが見えてきた感がある。……第6波の感染拡大の可能性も未だ多分にあり、迂闊に軽視する事は禁物であるが、しかし、そろそろの感がある。かつてのコロリ(コレラ)も、スペイン風邪の猛威も不思議な事に、だいたい二年で消えていった。……そして、今日のコロナも、まもなくその二年目を迎えようとしている。

 

 

 

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『交尾を見ながら考えた事』

……「あぁかけすが鳴いてやかましい」と詠んだのは、詩人の西脇順三郎であるが、ここアトリエの前にある桜の樹の上では、先ほどから蝉がしきりに鳴いてやかましい。ジリジリと実にやかましい。あまり異常に鳴くのでさすがに見に行った。……見上げても樹の色に同化した蝉の姿はわからないが、鳴き声のする高みを注視すると、そこに蝉がいた。普段は行く夏を惜しむ抒情の風物として聴こえるが、それにしても今日の蝉の鳴き声は尋常でない。……夏の終わりに急かれたのか、雌を求めて必死に雄が鳴いているのである。

 

……すると別な樹の上から1枚の葉がハラリと落ちたかと思うや、急に風が吹いたようにその雄の側に流れてピタリと停まった。強さを誇示する鳴き声に誘われた雌が遊び女(あそびめ)のように翔んで来たのである。しかし、雄のすぐ横にくっつくのではなく10㌢ばかり間をとっているのは、お安くはないのよ!と言わんばかりの、雌なりの矜持か。見ていると、動かない雌に焦れた雄が下に下がり、次に雌の背後に忍び寄って、約束事のように交尾が始まった。けっこう長い時間、交尾が続き、時おりジジッ、ジジッ……というわけありな声を雄が発している。

 

その交尾中の雌雄の姿を見ていると連想が浮かんだ。……借金の返済を迫られている雌(もとは遊女、今は堅気の商家の妻)。その雌を力尽くで手籠めにしている豪商・穀田屋五兵衛(執拗なかつての男)……。場所は……京都、そうなるとやはり白川辺りが相応しいか。すると、私は雌のすぐそばに、どうしても健気で気丈な娘を配したくなった。……こうなってくると連想が止まらず、物語の一コマがありありと浮かんで来る。私はやはりこういう場面では、水上勉の小説『しらかわ巽橋』が相応しいと思い、記憶の中の登場人物たちの台詞をそこに重ねた。……祗園の一等地である白川巽橋の付近で、焼き鳥の屋台を引いて女手ひとつで娘島子を育てる、茶屋の女中上がりの勝代。……勝代は島子に言う、「〈男は女を喰いものにする動物や、負けたらあかん……うちらは、この世で、ふたりきりや。男を鼻であしらう女にならな、生きてゆけん〉」。すると島子が言う、「そうや、うちも出直しや」。

 

 

 

……私はなおも考えた。……私はそのような事を連想したが、ではこの蝉の交尾現場を見ながら、他の人はどう思うのかと。私の大学の後輩のS・H君(自称spiritual・artist いわき市在住)は、世界の万象全てをエロティシズムの視線で視てしまう特殊な能力というか、煩悩の持ち主なので、『O嬢の物語』的な禁忌、禁断のイメ―ジをそこに過剰に紡いで、おそらくは一人でうち震えるであろう。

 

また上智大学神学科を出て、暫くボロ―ニャ大学で教鞭をとっていたアベ―レ神父(A proposite del prete Abele)ならば、そこに神の荘厳を視て十字を切り、小説の神様と云われた志賀直哉ならば、人間の理性では御し切れない動物的な側面を、人間のどうしようもない業として描いた『暗夜行路』の如く、その微細な動きを容赦ない観察者の眼で写し取り、生の見立てをそこに重ね描くであろう。……要するに同じ事象でも、それは観る人の感性の違いで様々に異なって脳内で再び変容するのである。漱石が『草枕』の中で書いた「……ただ、物は見様でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の女も見様次第でいかようとも見立がつく。」と書いたように。

 

……これは表現作品を観賞する際に全て云える事である。……例えば、映画や演劇、ダンス、能、歌舞伎、音楽……などを観たり聴いたりする時に、会場に1000人の観客がいたとしよう。すると、その作品を観た観客は全て同じものではなく、各々の感性の違いによって実は脳内に映った異なったものを観ている事になる。……ここに、実は内的感動としての1000のかそけき孤独が各々に生まれるのであるが、しかし、劇場の暗い闇の中でその1000の孤独から派生した各々の熱い「気」のようなものが空間で不思議な〈交感〉を産み、そこに生まれる熱いものがエモ―ション(感動)となって、観る人達に相乗した感動をもたらし、その時にこそ、その作品も本当の作品となって立ち上がるのである。

 

……故にそれは、やはり実体験としてのライブ(生)でなければならないのである。(……但し、今私が云っているのは、あくまでも優れた表現作品にのみ云える事であって、凡な駄作は全くこの限りではない。)……また、美術、文芸の詩や小説などは、観賞享受の構造があくまで1対1の関係性ゆえに、作品との孤独な対話さらには観照は、ついに孤独な深化を極める事となる。……ここまで書くと、かつてオランダ・デン・ハ―グのマウリッツハイス美術館で観たフェルメ―ルの代表作『デルフトの眺望』の事を思い出す。この神性の宿りと云っていい美しい作品を観たプル―ストやゴッホ、ジャン・コクト―達が孤独ゆえの熱い感動を各々に文章で残しているが、私も熱い感動をそこに覚えたものであった。その感動とはつまり、いま自分が確かに生きている事の真の高揚感であったと云えるものであるが、この感動は孤独な一人であったからこそ生まれたものであり、もし連れがいたなら、この感動は薄まっていたに違いない。

 

 

なおも私は考えた。私の人生とは何であったかと。その答えの一つとして、想えば、私の人生は交尾ばかり観て来た人生であったのでは……というふうにも云えるだろう。犬や猫の交尾は誰もが見ている。……それに加えて私は蟷螂(カマキリ)の交尾を視、その交尾中に雌によって雄が頭から食べられているのを見た。乾いたパリパリというその音は今もありありと記憶にある。蜥蜴も見た。珍しいのは鶴の交尾であった。……これは正に寸秒で終わるアクロバティックな難易度の高いもので、私は鶴の雄に同情したものである。…そして、今見た蝉の交尾。…… 更に私は、そのものずばり『交尾』という題の小説を書いた梶井基次郎の事を思った。梶井がその小説を書いた現場が見たく、学生の頃に湯ヶ島の梶井が滞在していた宿にはるばる行った日の事を。

 

ふと樹の上を見やると、雌雄の蝉は何処かへと消えていた。あとには蝉の形の妙だけが残った。丁度、幼児の円く膨らませた掌を伏せて、そっと引くと、そこに蝉の幻の形が立ち上がる。そんな感じである。……すると高村光太郎の木彫りの名品『蝉』の事が頭に浮かんだ。光太郎は木彫りの彫刻の方が断然にいい。

わけても『蝉』は、『鯰』や『柘榴』と共にいい。……最近、高村光太郎の事が何故か気になって仕方がない。……高村智恵子が亡くなった後、酒に酔った光太郎が三河島の呑み屋で「智恵子は俺のこの手で焼いたんだ」と、独り呟き、またロダンに憧れ、はるばるパリに会いに行きながらも、実は会わずに、しかしまるで会ったかの如く装う光太郎の内なる矛盾と闇の深度に関心があり、そこが日本近代史の一つの切り口になると私は睨んでいるのである。…………………………そう思っている間に時間がずいぶん経ってしまったので、そろそろアトリエに戻らなくてはならない。……10月20日からの高島屋の個展に向けて、『聖セバスティアンの殉教』を私は今、制作中なのである。

 

 

 

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『わが制作の日々』

……先日、日本橋高島屋本店の美術画廊に行き、10月20日から 11月8日まで開催される私の個展『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』の案内状の2回目の校正を行った。美術部の福田朋秋さん、求龍堂の深谷路子さん、そして私の3人で意見を出し合って、作品画像の配置や、誤植の有無、色やサイズの修正などが行われ、修正案を深谷さんが会社に持ち帰って仮刷りが行われ、また集まって、というふうに校正はこれからも数回続き、決定稿が決まって、ようやく本番の印刷に入るのである。

 

……私は、個展とは期間限定の一種の解体劇であり、案内状を発送した瞬間から幻の劇場、つまり個展は始まっているという考えを持っている。案内状は、個展内容を要約した顔であり、序章のようなものである。だから高島屋美術部の案内状に対するこだわりと合致し、また福田さんや求龍堂の編集者である深谷さんがそれに熱心に関わって、共同で「個展」が次第に形となってくるのである。……私は今回の案内状に、シェイクスピアボ―ドレ―ル各々の一文を引用し、そしてオブジェに関する短い私見を載せた。

 

個展のタイトルである『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』が決まったのは、第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』が完成してすぐの2月初旬頃であった。……いつもそうであるが、タイトルは苦労して考える事はなく、いつも一瞬で啓示が降りてくるようにして出来上がる。比喩的に云えば、この時の閃きを受け取る感覚は、あたかも神の私生児のごとくである。…………ただし閃きにいたる伏線はあった。ガラス透視考、フラグメント(断片、断章……)、ガラスの肌理のエロティスムへの錬金術的な変容、ロマネスク…… といった次のオブジェへのステップなる物をあれこれ混在してアマルガム的に考えていた後に、ある時(それはいつもと同じく寝覚めの瞬間に)、それが『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』というはっきりとしたタイトルとなって出来上がっているのである。おそらくは意識下では切磋琢磨して、もう一人の私が頑張って捻り続いていたのかもしれない。

 

(……そうか、次はこれだったのか!)と想う自分がいる。すると、次第に焦点が定まったイメ―ジの狩猟場である、パリに実在する〈ブロメ通り〉を幻の劇場として、その通りを迷宮と化し、およそ70点前後のイメ―ジの装置、つまりオブジェを放射的に立ち上げるべく、実際の制作行為へと入っていくのである。想像する事の遠心力を全開し、自分がパリに滞在していた時の実際の体験、更には俯瞰したパリの記憶、私小説的な現実、そこに幼年期の記憶、パサ―ジュの暗がりをブロメ通りに繋げて立ち上げる様々な幻想詩の言語と視覚による異なった叙述……。かくしてピカソが語った「芸術とは、幼年期の秘密の部分に属するものの謂である」や澁澤龍彦の「ノスタルジアとは芸術の源泉ではないだろうか」といった、芸術の本質を見抜けた慧眼者の言葉を追い風に受けて、アトリエの中での制作行為に沈潜していくのである。

 

 

……九月になり、アトリエにはたくさんの数の新作のオブジェが並び、最後の仕上げの段に入っている。……今回の案内状にも書いたが「オブジェとは、限りなく正面性を孕んだ謎の総称である」という私独自の考えが形となって、いよいよその出番を待っているのである。作者は二人いる。……私は作品を立ち上げたが、もう一人の作者は、作品を観て自在にイメ―ジを立ち上げ、終なき対話を交わしていく観者の人達である。……とまれ私は作品に『Montparnasse―郷愁の玩具』『三聖頌―ヴィ―ナスの夜に』『ジョコンダ夫人が登場する前に』『フォンテ―ヌブロ―の青の衣裳』……といったタイトルを付け、最後の詰めの仕上げに入っている。……タイトルは重要である。表現とは本質的には抽象的な存在であるが、クレ―がそうであるようにタイトルを介在として観る人は、未視を既視の感覚に換え、内なる感性にポエジ―の息の吹き込みを行為する。そして遠い記憶の原郷に遊び、観者はみな詩情を紡ぐ人となるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『今どきの寓話―美術番外編』

……亡くなった母から生前に度々聞かされた話であるが、私は産まれた時から体が弱く、2才の時に百日咳が悪化して、もはや死は間近に迫っていたらしい。運よく注射した薬が幸いして一命だけはとりとめたが、発達が遅く特に言葉の覚えが悪く、脳に障害があるのでは……と心配したらしい。……その私が3才の時に初めて口にしたのが、日本語ではなく、スペイン語の「バイヤ・コン・ディオス」という言葉であった。

 

この言葉は、ラジオ全盛時であった当時、海外から入って来た曲のタイトルで、日本人では江利チエミが歌っていた。彼女が日本語で朗々と歌いながら途中から転調するように急に流れてくる、この耳馴れない初めて聴く言葉『バイヤ・コン・ディオス』という意味不明の異国の響きに、私は何故か惹かれて興奮したらしく、繰返しこの言葉だけを喋り続けていたらしい。……まぁそこまでは良かったのだが、何を思ったのか、私は早朝に起きて玄関を開け、まだ朝霧に煙る近所の家々に向かって、この言葉を狂ったように大声で絶叫するのが習慣、つまり毎朝の日課になってしまった。当然、近所迷惑になるので母から叱られ、それでも止めないので、何度も母の怒りの鉄拳が頭に飛んできた。……私はこの時に殴られたその痛みだけは、今もありありと覚えている。

 

……先日、吉行淳之介氏と開高健氏の対談集『街に顔があった頃』を何気なく読んでいたら猥談の中で突然この言葉『バイヤ・コン・ディオス』が話題として出て来たので驚いた。そして意味を知って、また驚いた。バイヤコンディオスとは「神と共に行け」という意味なのであった。つまり私は近所の人達に向かって大声で「神と共に行け!!」と絶叫していたわけである。

 

スペイン人のピカソが初めて話した言葉は、確か「lapiz」(鉛筆)であったと記憶する。20世紀を代表する画家へと変貌したピカソのその後を想えば、ピカソが初めて話したその言葉(lapiz)の訳は「我に絵を描く鉛筆を与えよ!」といった意味にでもなろうか?……ならば「バイヤ・コン・ディオス」と云った私は、或いは道を間違っていたのではあるまいか。「神と共に行け!」と世の民に絶叫していた私は、例えば聖職者―伝道師といった道が、ひょっとして相応しかったのではあるまいか。つまり今の自分とはまるで真逆の道が、そこには開かれていたわけである。………… まっ、〈呪われた聖職者〉という言葉もあるので、なったとしたら、むしろそれか。

 

先日、ちょうど台風が日本列島を通り過ぎた頃に、数人の知人から時を同じくして連絡が入った。「ネットを観て下さい、面白いですよ、南瓜(カボチャ)が流されて行きますよ!!」と云う。で、観ると、確かに荒海の中を巨大なカボチャがプカプカと流されていく光景が画面に映った。……おや、これは草間彌生女史のカボチャではないか!?……確かにそうであった。それが波に揺蕩うように沖へ沖へ…と流されていくのである。どこの島か忘れたが、確かこのカボチャは島の岸壁の先端に設置されていたのではなかったか!?……画面の説明では、いつもは嵐の度に、島の職員が安全な場所に移していたという。……しかし、今回の台風がいつにも増して激しい事は事前から気象予報でわかっていた筈だから、察するに面倒くさかったのではあるまいか。

 

 

 

 

 

 

……ふと思い出したのだが、このカボチャの作品については以前に私なりの私見というものがあった。先に登場したピカソに「作品は制作時に於いて七分で止めろ」という言葉がある。作者と観者の関係において、観者の想像力を作動させる為には、作品(表現物)は造り過ぎてはいけないと諭しているのである。……さすがの名言であるが、そのピカソの言に倣えば、このカボチャは確かに造り過ぎていると、私は思ったものであった。「ハイッお仕舞い!」で、観者は唯、眺めるだけなのである。

 

 

 

……話は変わるが、このカボチャの配色は黄色と黒。この配色は強く見せたい動物、例えば虎や雀蜂の配色と符合する。……私は強い!という事は、つまりは母性性の顕れでもあるのか。と、そこまで想うと、急に私の連想は、このカボチャが岸壁で、いつまでも還らぬ息子を待ち続けている戦後に数多いた母親像が重なり、二葉百合子が唄う『岸壁の母』を連想した。「母は来ました今日も来た。この岸壁に今日も来た。届かぬ願いと知りながら、もしやもしや……」のその母親である。その母が還らぬ息子を待ち続ける事に疲れはて、遂に自ら海中に飛び込んだ、……その悲惨な姿を私はカボチャが流されていく画面を観ながら連想したのであった。連絡して来た人達は揃って、桃太郎の話の冒頭にあるドンブラコの桃を連想したという。確かに私も最初はそう見えた。しかし連想は紡がれて、二葉百合子へと至ったのであった。そして改めて思う。『岸壁の母』は、あの時代を映した確かに名曲であると。

 

 

……さて、以前に私が何かの写真でこのカボチャの作品を見た時に、この造りすぎた感のある作品を、如何にすればもっと詰めた作品になるか!?……そう考えた時があったが、ようやく、流されていくカボチャの画面を観て気がついた。……そう、この画像こそが真の作品なのだと思い至ったのであった。カボチャは濁った波に揉みくちゃにされながら、何かにあらがうように流されていく。……詩人の荒川洋治風に書けば、「流されていく私」や「流される私」といった不本意な私ではなく、些かの矛盾を孕んだ「流されていくぞ、私は」、とでもなろうか。……「アクシデントは果たして美の恩寵たりえるのか」といった命題は、私個人の創作における問題であるが、時として自分以外の他者、或いは偶然の悪戯によって、詰めが決まらなかった作品に信じがたい暴力的ともいえる恩寵が訪れる時があるのである。私は、この中が空洞のカボチャの作品を観て、ロダンならば沈む!ブランク―シならば沈む、美はその自らの尊厳の重みによって沈む!……とも思い、ロダンの最高傑作『バルザック』が水底に沈みゆく美しい姿を夢想した。

 

閑話休題。……それはそれとして、ずいぶん昔の話を私はふと思い出した。……それは私が未だ19才の美大の学生の頃に、銀座の或る画廊で開催されていた草間彌生展を観に行った時の話である。画廊の中にまだ若い頃の草間彌生女史がいて、一人の小さな老人と熱心に話をしていた。その小さな老人は、しかし犯しがたい不思議なオ―ラを放っていて、瞬間に私は、シュルレアリスムの日本における唯一の体現者―瀧口修造氏だとわかった(余談だが、その二年後にお会いする、この国の最高の詩人―西脇順三郎氏など、私は様々な場面で時代を造った先達諸氏に遭遇する妙な「気運」を持っている)。瀧口修造氏の言葉は実に小さい為によく聞きとれない。草間女史も、真剣な表情で食い入るように聞いていた。……………………あの日からずいぶんの時が流れた。瀧口修造氏はその8年後に亡くなられ、その死を境にして何か大事なものが崩れ出し、……更にずいぶんな時が流れ、美術の分野は今、周知のように全ての表現分野の中で、最も堕落したものに成り果てた。

 

 

……その美術の分野の堕落を誰よりも早々と予見したのは、マルセル・デュシャンであった。その彼がずっと取り組んでいたのが、大きなガラスの作品『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも』―通称『大ガラス』である。しかしデュシャンは、この作品を作り終えはしたが、全く不満であった。「何か」が決定的に足りないのを、明晰なデュシャンは直感し、長い間、この作品は放置されていた。しかし、美神の仕業としか思えない事が偶然に起きて、この作品は20世紀美術における呪縛的ともいえる名作に一気に昇華した。

 

ある日、この作品を運搬していた運転手の荒い運転によって、作品全面に亀裂が入ってしまったのである。さすがにデュシャンも最初は落胆したが、この聡明な男は、この偶然生じた亀裂によって、つまり人智を越えたアクシデントの力学によって、何かが決定的に足りないと思っていたのが、奇跡的なまでに解決した事を彼は理解したのである。……それから数年間、彼は作品の亀裂を固定する作業に没頭し、この作品は20世紀美術を代表する、云わばイコンとなった。

 

 

 

 

 

……私が先に述べた「アクシデントは果たして美の恩寵たりえるのか」といった私の個人的な命題は、念頭にこの作品があってこそ生まれたのであった。……流れていくカボチャは、やはりこの命題とは違うものであるが、しかし重ねて言おう。この流れていくカボチャの映像は、あたかも今時の寓話として相応しい。出来れば、この映像を作品として残すだけの、表現に関わる者としてのエスプリの高みを期待したいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『さりながら、死ぬのはいつも他人なり』

①……8月17日、午後2時すぎ、小雨。……アトリエで制作していると、蝉の鳴き声が近くに聞こえ、遠くを、悪い夢を運んでいくように救急車のサイレンの音がかしましい。最近、この音をよく耳にするようになった。何かがじわじわと迫って来ている感じである。

 

……昨日は、感染の事態が悪化して画材店なども一斉に休業になるといけないので、万が一の先を考えて横浜駅近くにある店に画材を買いに行った。イメ―ジの閃きは尽きなくても、絵具が無いとさすがに手足がもがれたようなものなので、やむ無くの久しぶりの外出である。しかし、駅の通路は相変わらずの人、人、人で、「緊急事態宣言が追加されました」というアナウンスが流れても誰も全く耳に入っていない様子。有効な唯一の手段のロックダウンも、この国はやる気無し。しかし、先日、現場で奮戦している医師がテレビで「全く打つ手無しのままこの状況が続けば、これからは間違いなく地獄の様相を呈して来る事は必至!策が必要なのに、何も具体的にやらないならば、もはやこの先は人災です」と言っていた言葉が、当然すぎてリアルに気にかかる。……20世紀美術をピカソと共に牽引した男、マルセル・デュシャンの墓碑銘にある言葉「さりながら、死ぬのはいつも他人なり」ではないが、おそらく自分だけは、コロナで死ぬ事はないであろうと、誰もが漠然と思っている節がある。そして相変わらず人の出が絶えない、この光景。駅の構内を、仲良く笑いながら平時と変わらないように行く人々の姿。ひょっとして、ここは異界か?

 

……感染が危ないので早く用事を済ませて帰ろうと思いながらも、歩きながら、……ではどうすれば人流が減るか、と考えてふと、以下のような考えが浮かんだ。(私は度々このように唐突に妄想する癖がある)…………頻繁にテレビで映される重症の患者の姿や医療現場の光景。戦場と変わらない、もはやそこは凄まじい現場。そこに聴こえる患者の苦しそうな咳き、かすれた声で切れ切れに語る、この変異株の想像を絶する猛威の告白……等々を実際に幾つも録音して、政府が断行してBGMのように、駅の構内、電車の中、エレベ―タ―など、人々が行き交ういたる所で執拗に流し続けるのである。けっして役者が演じた嘘の声ではなく、実録の生々しい音に限り、そこに医療現場の切迫感の状況を伝える音も加え、毎日の死者の数も日々更新して流すのである。……そして繰り返される、肺の瀕死の様が伝わってくるような乾いた、あの咳きの音。…………如何であろう、イマジン、……想像して頂きたい、その様を。行く先々どこでも聴こえて来る、今、この私達にとって一番聴きたくないリアルな音を日常空間に流すというアイデア。突飛なようであるが、もはや策はこれしか無いのではあるまいか。……ふざけているのではない。真顔で閃いたこの戦略を前にすれば、外出すれば必ず背後から追ってくるような、つまり視角ではなく、聴覚を通して心の深部にコロナの恐怖が個人個人に伝わって来て、人はむやみに外出する気も失せて、結果としてのロックダウンに似た効果に繋がるのではあるまいか。……政府の「どうかお願いします。外出は控えて下さい。」ではなく、外出が即ち嫌悪に繋がるような策が案外有効なのでは……あるまいか。ジャン・コクト―は『音楽には気をつけろ!』と云ったが、云わんとする事は、聴覚は視角よりも人の心の深部まで一瞬で入り込み、琴線を激しく揺らすという意味である。だから音はゲリラ的に危ういものがある。………………と、ここまで書いて、結局は私個人の妄想に過ぎない事にふと気づき、ブログの書き込みも、……指が止まる。……とまれ、このまま結局は、この国は流れに任せてさ迷う、沈みかかった泥の舟よろしく、「緊急事態宣言」「まん防」しか言葉を知らない無策のままに、無明長夜―けっして明ける事のない長い夜を延々と耐え忍んで行くのであろうか。(下の②に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②追記・ファイザ―のワクチン接種を完了して日が経つが、別に痛みも発熱も全く無い。ただ倦怠感だけはあるが、これは子供の時からのもので、人生に対してずっとある。……抗体が出来ない人は、接種完了者の4パ―セント近くいるというが、多分それか。

 

……閑話休題。さて、以下は気紛れに書いた短い小話のようなもの。ブラッドベリの短編を読むように気軽にお読み頂けると有り難い。

 

 

 

 

 

 

「……西暦2225年(今から204年後)に、ニュージーランドのアビル・タスマン国立公園の近く(場所の詳細は不明)の遺跡から、偶然その場所で遊んでいた二人の少年(パトリック・マクグ―ハン少年とアンジェロ・マスカット少年)によって、約200年前の歴史録の断片が見つかった。タイトルは『ゲノム戦記・第七章』とある。僅かな記述のみの切れ切れの断片には、次のような記述があった。〈2020年頃に中国の武漢から発症したコロナウィルスは、イギリス株、デルタ株等と変異を繰り返しながら猛威を奮っていた。しかし当時の人々は安易に考え、そのデルタ株をもって収束に向かうと楽観視していた。しかし、それは実は初期の序章に過ぎず、ウィルスはその後も何度も変異を繰り返しては強力さをいや増し、容赦なく波状攻撃的に人々を襲い、もはやワクチンすら既に効力は無くなっていた。特に何の策も打たなかった日本とブラジルの民が先ず死に絶えた。(ここから紙の破損が目立ち、しばらく判読不明の箇所多し。)…………と来て、その後、欧州や中近東、ロシア、中国、アメリカ……の順に多くの民がその被害者となり、その多くの民が流民となった。(ここから更に3頁ほど紛失あり。)

 

……そこで、流民となり、死骸の山と化したロンドンからの脱出に成功したキャサリン・ベ―カ―(ロンドン北西部・フィンチリ―コ―ト在住)は馭者に助けられ、ウェ―ルズのポ―トメイリオンから舟で海路をとり、マルセイユからカルカソンヌを経て、更に南下。一路、ニュージーランドを目指した。今では語り草となっている話であるが、信じがたい事に、ニュージーランドだけはコロナウィルスでの被害を免れた唯一の国であった。勿論最初は感染者が出たが、その度に徹底したロックダウン政策を施行し、一人の感染者が出てもロックダウンを行うという賢明な政策のお陰で、奇跡的にこの国だけが国民を被害から守り、他国からの流民の多くを迎え入れた。……ロンドンから脱出に成功したキャサリン・ベ―カ―(つまり、私の曾祖母)は、その後の余生をこの国で平和に過ごした。……しかし、私の母の代になって、〉………………………… 以下は、記述した断片が完全に紛失している為に、話の断片はここで突然終わっている。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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