『断章・二つの展覧会を観て』

 

先ずは写真展から。…先日、東京国立近代美術館で開催中の『中平卓馬 火-氾濫』展(4月7日まで開催)を観に行った。会場の展示が、中平卓馬の作品世界の固有な鋭さを映すように工夫がされていて、その知的配慮とセンスの良さに先ず感心する。

 

 

 

…中平の写真作品は、我が国を代表する写真家の一人川田喜久治の写真が持つ作品世界と共に、不穏な気配、凶事の予感に充ちていて特に惹かれるものがある。しかし川田の作品が個々に時代性を孕みながらも、普遍性という先の時間にもその効力を十分に併せ持っているのに対し、中平のそれはあくまでも60年代のオブセッションの闇に、そのレンズの切っ先が、あたかも同士討ちのように突き刺さっている、そう私には見えたのであった。

 

中平の言葉「…写真は本来、無名な眼が世界からひきちぎった断片であるべきだ」と語っているが、この世界という言葉はこの場合、彼が生きた60年代のそれに錐を揉むような鋭い集中を見せている。…中平の写真には、まるで殺人犯が逃げる時に視えているような風景の映しといった感の脅えがあるという意味の事を、以前に写真評論家の飯沢耕太郎さんに雑談の折りに話した事があったが、その特異なものが何から由来したものなのかを見つけ出す事が、今回、展覧会を訪れた主たる目的であった。…………広い会場の中で寺山修司と組んだ連載の雑誌が幾つか展示されていたのを見た瞬間、「これだ!」と閃くものがあった。…寺山の特異な言語空間(文体)を視覚化すれば、それはそのまま中平のそれと重なって来る。…もう一度、私は「これだ!」と思うものがあった。…寺山の文章が持っている固有な犯意性(犯人は本能的に北へと逃げる-北帰行の心理)とそれが重なったのである。……もう1つ思った事は、川田喜久治の作品各々が一点自立性を持っているのに対し、中平のそれは、引きちぎったメモの切れ端のように見えた事であった。…正に先に書いた中平の言葉そのものを映すように。……

 

 

先日の29日に、ア-ティゾン美術館で開催する展覧会『ブランク-シ/本質を象る』展の内覧会に行く。会の開始は3時からであるが、夕方に用事があるので午後の早い内に美術館に入った。取材中のプレス関係の人が沢山いたが、会場が広いので作品に集中して観る事が出来た。…先の近代美術館の展示と同じく、実に展示に配慮が行き届いていて感心する。展覧会への気合が伝わって来るというものである。…作品の高さ、そして最も大事な照明の具合。その配置。その何れもが作品各々に与えているのは、美というものが放つ超然とした品格である。

 

……周知のようにブランク-シは、ロダンから弟子になる事を求められたが拒絶した。ここに近代とそれ以前との明らかな分断がある事を彼の表現者としての本能が直観したのである。その独歩への意志と矜持と自己分析力が、彼をして時代を画するモダニズムの高みへと押し上げた。…そして、彼の作品の本質が意味するものを見極めていたのはマルセル・デュシャンである。その関係の豊かな物語りが、或る一角の展示の妙に現れていて、いろいろと再確認する機会ともなったのであった。

 

…内覧会の特典は展覧会の図録が付いて来る事であるが、今回の図録は読み応えのある内容で実に面白く、私は帰宅してから一気に読み終えてしまった。この図録はブランク-シについて考える時に今後の一級の資料ともなるに違いない。………中平卓馬の展示では、表現者として写真にも挑んでいる私にいろいろと考える機会を与えてくれ、またこのブランク-シ展では、今、正に制作中の鉄の作品、そして今、構想中の石の作品への善き刺激となる揺さぶりを与えてくれたのであった。…質の高い展覧会を折に触れて観る事は大事な事である。…中平卓馬展は今月の7日迄開催。…そして、このブランク-シ展は始まったばかりで7月7日迄の開催である。

 

 

…最近は制作に入り込んでいるので、なかなか出掛ける事は叶わないが、今、板橋区立美術館で4月14日迄開催している『シュルレアリスムと日本』展と半蔵門にある執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館で4月30日から開催する予定の『砂の時間』展だけは、ぜひ観ておきたいと思っている。…………実は今回のブログでは、『一から三へと拡がっていく話』と題して昨今の事件騒動について書く予定であり、この展覧会の事はその序章のつもりで書き始めたのであるが、体力と字数がここで燃え尽きてしまったようである。…次回は、その事件の話から、優れた芸人だけが持っている性(さが)と、その狂気について具体的に書く予定。……その頃はさすがに桜も散っている頃か。ともかくも、…乞うご期待である。

 

 

 

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『日暮里に流れている不思議な時間…』

…今年は展覧会が5ヵ所で予定されている。…5月は金沢のアート幻羅(5月9日~6月2日)と千葉の山口画廊(5月22日~6月10日)での個展。金沢は初めてなので、私の今迄の全仕事総覧。千葉の山口画廊は全く新しい試みと挑戦による鉄の新作オブジェを中心とした展示。10月9日~14日は横浜の高島屋で、これは個展でなく、宮沢賢治の世界を主題としたグル-プ展。…10月2日~21日は日本橋高島屋ギャラリーXでの大きな個展。11月29日~12月14日は名古屋画廊で、ヴェネツィアを主題とした、俳人の馬場駿吉さんとの二人展である…。今はアトリエで制作の日々であるが、それでも忙中閑ありで、時間を見つけては度々の外出の日々であり、数多くの人と会っている。

 

…その中でも一番多くお会いしているのは、このブログでも度々登場して頂いている、真鍮細工などの超絶技巧の持ち主である富蔵さん(本名、田代冨夫さん)である。富蔵さんは、パリで昔建っていて今は無い建物とその一郭をアジェの古写真を元に精密に真鍮で再現し、その時に流れていた時間や気配までもそこに立ち上げるという、不思議なオブジェを最近は集中的に作っていて、作品のファンが多い。…富蔵さんとは初めてお会いした時から波長が合い、前世からのお付き合いが現世でもなお続いているような、懐かしの人である。昨年からは特に制作の具体的な話から、文芸の話、幼年時代の記憶までも含めて幅広い内容でお会いする事があり、私には気分転換と充電を兼ねた密にして大切な時間がそこに流れているのである。…待ち合わせ場所は決まって日暮里の御殿坂の上、谷中墓地の前にある老舗の蕎麦屋『川むら』であり、その前にあるカフェでさまざまな事を語り合っているのである。

 

3月のある日、その日も富蔵さんとの約束の日で、私は日暮里駅を降りて、御殿坂を上がっていったが、未だ約束の時間には早すぎたので、坂の途中にある古刹・本行寺の境内に入った。…この寺は江戸時代からの風光明媚な寺として知られ、小林一茶種田山頭火も俳句を詠んでいる。また寺の奥には徳川幕府きっての切れ者、永井尚志の墓があるので、それを見に行った。…坂本龍馬が暗殺の危機にあり、周りから土佐藩邸に入るように勧められた時に、龍馬が「自分は永井と会津に面会して、命の保障をされているんだ」と言った、その永井である。結局、龍馬は中岡慎太郎と共に見廻り組によって斬殺されてしまったのは周知の通り。……ちなみに文豪の永井荷風三島由紀夫の先祖である。

 

…墓参して引き返す時に、面白い光景が目に入った。…寺の塀に沿って夥しい数の卒塔婆がズラリと立ち並んでいるのである。その向かい側にはすぐに家々が建っていて、明らかに、その部屋から見える朝からの光景は、障子や窓越しに並んで立っている、卒塔婆、卒塔婆…のシルエットなのである。私はそれを見て思った。「…こういう眺めが平気で住んでいる人というのは、一体どういう人たちなのだろうか?」と。映画『眺めのいい部屋』の裏ヴァ-ジョンである。

 

 

…私は卒塔婆の傍に立って、様々な人物像や、その生活の様を、オムニバスの短編小説を書くようにして想像(妄想)した。…すると、何よりも好奇を好む私のセンサ-が強く反応して「いや、きっと面白い人物が住んでいるに違いない」、そう思い、私は待ち合わせ場所の『川むら』の横にある露地へと入っていった。

 

…昭和然とした家々がひっそりと建っている、その先に、はたして一軒の家が目に入った。

 

 

『湿板冩眞館』と書かれた白い看板。そして見ると、この家を訪れて撮影したとおぼしき、女優の杏さんや北野武、草彅剛の写真がその下にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そして、坂本龍馬を撮影した幕末期の写真機を使って、現在も活動中である由が書かれた看板も目に入った。…入ってみたい衝動に駈られたが富蔵さんとの約束の時間である。いったん戻り、再び私達はその家の前に立って、呼び鈴を押した。

 

 

 

中から出て来られたのは、写真家(写真術師の方が相応しい)の和田高広さん。…玄関壁には今まで撮影された人達の硝子湿板写真(その誰もが現代と昔日のあわいの不思議な時間の中で生きているようだ)。

そして、和田さんに案内されてスタジオの中に入るや、そこは、現代の喧騒とは無縁の、まるで時間を自在に操る光の錬金術師の秘密の部屋に入ったような感慨を覚えた。

 

 

…それから、和田さん、富蔵さん、そして私の、表現創造の世界に人生の生き甲斐を見いだしてしまった、云わば尽きない物狂いに突き動かされている私達三人の熱い話が、堰を切ったように、およそ二時間始まった。…話を伺うほど、和田さんが独学で究めてきた、写真術が未だ魔法の領域に属していた頃の世界に私達は引き込まれていった。

 

 

…私は以前のブログで書いた或る疑問を和田さんに問うてみた。…幕末の頃は写真機の前でポ-ズする時間がおよそ30分位は必要と言われているが、私には1つの疑問がある、それは龍馬と一緒に暗殺された中岡慎太郎が笑って写っている写真があるが、…30分くらい、人は可笑しくもないのに笑っていられるのか?…という疑問であった。…長年懐いていたこの疑問を和田さんは一言で解決してくれた。…(30分くらい必要というのは間違いで、実際は20秒あれば写ります!と。

 

 

…また樋口一葉が手を袖の中に入れて写っているが、その訳は何故か?…その答えは樋口一葉研究者達を一蹴するような、古写真撮影の現場を実際に知っている人にしかわからない話で、私は長年の疑問の幾つかが、忽ち氷解して勉強になったのであった。

 

…富蔵さんの話も面白かった。話が進んでいくと、富蔵さんと和田さんに共通の知人がいる事がわかってくる。私達はアンテナが何処かで間違いなくつながっている、そう思った。…二時間ばかりがすぎて私たちは写真館を出てカフェに行き、余韻の中で更なる会話がなおも続いたのであった。

 

 

2日後の22日に、東京国立近代美術館で4月7日まで開催中の写真展-『中平卓馬 火/氾濫』展を観る前に、私は今少し和田さんにお訊きしたい事があったので、事前に連絡を入れて、再び日暮里の写真館を訪れた。…すると嬉しい事が待っていた。午後から写真を撮られに来る人がいるので、その撮影の為に感光液を新たに作ったので、(その液の試験に)と、私を撮影する準備が出来ていたのであった。いつか私も生きた証しとなるような記念写真を和田さんに撮影してもらいたいと考えていたのであるが、まさか今日!とは嬉しい限りである。…しかも坂本龍馬を撮したのと同じ写真機で。

 

 

 

……思えばつい先日、本行寺に寄って龍馬と関わりがあった永井尚志の墓を見た帰りに、ふと見た卒塔婆に導かれて、細い露地へと入っていったその先に、このような出会いが待っていようとは、だから人生は面白い。…和田さんの二階から見えた本行寺の墓地は実に明るい眺めで、彼岸の陽射しを浴びて墓参に来られた人達もまた穏やかな会話を交わしている。…最初に予想していた逆で、この部屋こそ正に『眺めのいい部屋』なのであった。…ちなみに、私が撮ってもらった写真の仕上がりは、龍馬というよりは、高杉晋作、或いは石川啄木の姿に近いものであった。

 

 

 

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『人魂に魂を入れてしまった男の話』

…東京の大井町線とJR南武線が交わる所に「溝の口」という駅がある。今ではすっかり様変わりして駅前通りが綺麗になってしまったが、昔は溝(どぶ)の口とよばれた、実にロ-カルな渋い場所であった。…この駅から線路沿いにしばらく歩いた所に、多摩美術大学の男子寮があり、私は18才の一年時からそこに入っていた。(…余談だが、寮に行く途中に地味な布団屋があった。後で知ったのだが、私が来るしばらく前に一人の青年がその店でバイトをしていた。…後のタモリである。私はタモリは頭がいいと思って感心した。…布団屋は暇であり、たまに仕事が入って布団を運んでも軽い楽な仕事、しかし時給は他とあまり変わらない。バイトをするなら、忙しいスタバでなく、布団屋に限る。)ま、それはともかくとして、大学に入ってすぐに私は二つの大きな挫折をあじわった。

 

一つは、日本の美術の分野を代表する作家の斎籐義重氏が多摩美で教えていたので習おうと思って勇んで入ったものの、斎籐氏は学園紛争で外部に出てしまい、目標とする人物が大学にはいなくなってしまったのである。…二つ目は、三島由紀夫の『近代能楽集』に強く感化された私は、三島に長文の手紙を書き、その最後に「貴方の美意識を舞台美術で具現化出来るのは、間違いなく私しかいないと思っています」と熱く書いて投函した。…根拠はなくても強烈な自信だけは満々とあったのである。…出してから数日して丁度届いたと思った頃、ふとテレビをひねると、三島由紀夫が決起して市ヶ谷の自衛隊駐屯基地で演説をしている、まさかの姿が中継で入って来た。そして自決。…上京して半年で、前途の目標を失ってしまったのである。(斎籐氏には後に会う機会があり、私のオブジェを高く評価してもらったが、やはり18才の生な時に語り合いたかったと思う。)……、当面の目標が断たれはしたが、しかし私は未だ18才。生きていかなくてはならない。

 

…二年生の夏に、偶然の導きで池田満寿夫氏の版画と出会い、一気に版画表現にのめり込んで行くのであるが、私はもちろんその運命を未だ知る由もない。…文芸評論、映像作家、或いは悪の道。…しかしどの道に進むとしても先ずは充電と思って、映画はフィルムセンタ-に通い、文芸はかなり読み耽った。…金が無いのでバイトは数々したが一番日当が佳かったのは、桜田門や大手町の地下鉄の送風機を取り付ける仕事で、日当5000円(今に換算すると毎日3万円くらいか)であった。…このバイトは力仕事なのに何故か多摩美と芸大の学生だけが独占し、各々の大学から30名づつくらいが、いつも組んで場所を移動しながら稼いでいた。…昨年亡くなった坂本龍一氏の本を本屋で立読みしていたら、彼もそのバイトをしていた事を知って驚いた。…(そうか、あの学生達の中に彼もいたのか…)と思うと共に、彼もその本の中で書いていたが、どの大学も紛争直後で荒廃し、何か空無な気だるい無力感が漂っていた、そんな時代であった。

 

…多摩美の男子寮は、多摩芸術学園と洗足学園音楽大学(寮も含む)の間に在った。…寮の庭から、洗足学園の女子寮の食堂が見えた。華やかな笑い声が時折聞こえても来た。…この大学は、古くは歌手の渡辺真知子や、近くは平原綾香等が出た、いわゆるお嬢様学校。…私どもの寮の食事はほとんど茶色一色。冷えたご飯に生卵を割れば、先ずは白身が沈んで次に黄身も消えるような粗食。先方の寮の食事はカラフルの一語に尽きる、…同じ人間として生まれて来た筈なのに…いささかの理不尽がそこにあった。一言で言えば、晩飯とディナーの響きの違いか。だから寮の先輩からは、こう言われたものである。(洗足女子寮の食事は見るな!…見れば自分たちが辛くなる)と。

 

…私の部屋の隣室に中村敬造さんという2年上の先輩がいた。…デビュー当時の武田鉄矢を講釈師にしたような飄々とした、何とも味のある人であった。…私達は、そして寮の誰もが、真昼時の太陽が沈むのを忘れたかのように……暇であった。…敬造さんの部屋で、(……しかし暇ですなぁ…)と私。(…まったく、何か面白い事が無いかねぇ…)と敬造さん。……私は言った。(いっそ、人魂でも出しますか!?)と。敬造さんは(人魂かぁ、それは面白いかもなぁ。しかしどうやって作るんだ?)と訊くので、(まぁ任せて下さい!)と言って、私は寮の黴びた物置小屋から細い竿を出して来てピアノ線を結んで艶消しの黒を塗り、綿に油画に使う画材のオイルを染み込ませて、アッという間に作り上げた。

 

…(で、何処に人魂を出す?)と敬造さんが言った瞬間、私達は同じ事が閃いた。…やがて夜になった。…私達は寮の塀を乗り越え、一路、隣の女子寮へと向かった。…ある部屋の前に来たものの意外と窓が高い。敬造さんが踏み台になり、私が部屋の中を見た。…しかしそこに見たのは紫煙けむる中、あぐらにコップ酒、花札の中にいる女子達の姿であった。…(北川、何が見える?)と下にいる敬造さんが小声で訊くので、私は応えた。(見ない方がいいですよ、まるで女囚、ここでは人魂を出しても意味が無い)と話して、静かに下りた。…その時であった。ボロンボロンというピアノの音が近くの窓から流れて来たのであった。…見ると、先程とは一転して真面目風な感じの女子2名が熱心にレッスンの最中であった。…(人魂はここがいい!)…私達は綿にライターで火を入れて、ゆるやかに、かつ怨めしく人魂を闇夜にゆらゆらと浮かべ、そしてさ迷わせた。

 

敬造さんが小声で言った。(しかし北川は上手いね!…まるでプロの文楽の人形師のようにリアルだなぁ!)と。(人魂の中に魂を深々と入れるんですよ。悲しく、あくまでも悲しく!)……自分たちでも感心するような哀しい人魂の揺れ具合である。(これで食べていけるのでは)私はふとそう思った。

 

……、その瞬間であった。突然バタンという、ピアノの蓋を激しく閉じる音が響いたと同時に、部屋の中から複数の叫び声がキャ~からギャ~へとけたたましく響いた。その時であった。「こら~!!」という警備員の鋭い声が響き、私どもの方へ走って来るのが見えた。…私達は咄嗟に逃げて、先ずはバタンバタンと転がる人魂を矢投げのように塀の向こうに投げ、続いて私どもの姿も瞬時に多摩美の寮がある暗闇の中へと消えた。

 

問題が起きたのは、その翌日であった。洗足学園の寮から抗議があり、放火魔らしき二人組が出没して多摩美の寮に消えたので、調べて欲しいという内容であった。寮生全員が集められたが、結局名乗り出る者はいなかった。…洗足学園側は、美大の連中はらちが明かないと見て、浸入を防ぐ為の鋭い有刺鉄線が、まるで収容所の塀のようにして、延々100メ-トル近くも張り巡らされたのであった。…敬造さんと私は反省会議を開いた。…あのようにリアルな人魂をもっと人々にあまねく見せたいが、ではそれを何処に出すか…という会議であった。…そして寮の最屋上の給水設備の所から、第三京浜へと向かう車列に向けて、人魂を出す事になり、それはその夜に決行された。

 

…私達は黒服に身を包み、人魂を闇夜に再び揺らしたのであった。効果は予想以上であった。(北川、見ろ!…車が渋滞し、車から出てきたみんながこっちを指差しているぞ!)と。方々のクラクションが鳴り響き、…私達は想像したのであった。…人魂を見たあの人達は、後々までずっと信じるかもしれない。…人魂は本当にいる!何故なら私は、あの夜に溝の口で見たのだから……と。……しかし、その時、私はまだ知らないでいた。…僅か六年後に本当の人魂を見てしまうという事を。

 

…多摩美の大学院を修了した私は、寮を出て、2つの住所を転々と移り、横浜山手の丘の上に在った「茜荘」というアパ-トに移った。…この建物は以前は連れ込み宿であったのを作り直したのであるが、玄関に料金所の名残りがあって、それとわかるのであった。出て右に行くとすぐに真っ赤に塗られた打越橋というのがあるが、そこは飛び込み自殺の名所。…茜荘を出てすぐ左には牛坂と呼ばれる暗い坂道があるが、引っ越して来てすぐに読んだ、『昭和の猟奇事件-ノンフィクション』という中に突然、その坂の事が出てきて驚いた。…なんとその坂道の途中に在った人家で、狂った若い女が家族を皆殺しに殺すという事件が起きたのであった。その話の出だしは「…食っちゃったぁ」と、その狂女がへらへらと笑いながら、踏み込んだ二人組の刑事に話す場面から書いてあった。…救いは山手へと向かう先にあるミッション系の共立女学園の存在。…しかし、ここだってわかったものではない。

 

池田満寿夫さんのプロデュ-スで初めての個展を開催したのが、私が24才の時。…その個展が始まって、確か3日目の夜、銀座の画廊から帰途につき、石川町という駅を出て、地蔵坂という坂道を上がり、途中から石段を登って家路に着くのであるが、その夜は小雨が降っていた。石段の途中の右側がロシア正教の小さな教会、左が江戸時代からの小さな墓石がたくさん立っている、その墓石の私のすぐ近い所に、ポッと鈍く光るものが突然、出現した。「…人魂か!!?」一瞬そう思った私は、その人魂の走る先を凝視した。…人魂は燐が燃えたものと俗に言うが、燐ならば無機質な物質なので林立して立っている墓石の何れかに直ぐにぶつかって消える筈。私がぞっとしたのは、その小さな人魂が、まるで意識があるように、ランダムに立っている墓石を次々と避けるように薄く光りながら流れていき、やがて墓場の先の暗闇に消えていったのであった。

 

……私が人魂を見たのは、それ1回きりであったが、学生の時に作った人魂とは全く違う、静かな不気味さがあり、今も記憶に焼き付いて離れない。…昔作った人魂は、歌舞伎の怪談で、離れた客席まで見せる為の大きな作りであり、人々はそのイメ-ジのままに今日まで到っている。……私の残りの人生の中で、今一度、あのような薄火の、しかしそれ故に芯から恐怖が伝わって来る人魂を見る機会が果たしてあるのであろうか?…ここまで書いて来て、俳句で人魂を詠んだのがないかとふと考えた。…意外になく、只一作だけあったのを私は思い出した。…「ひと魂でゆく気散じや夏の原」である。気散じとは気晴らしの意味。…ひとだまになって、それでは夏の原っぱをぶらりとゆこうかという、風狂達観の意味がこめられた作である。…作者はいかにもの人。葛飾北斎の辞世の句である。

 

 

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『実は、…私はよく知らないんですと、その男は言った!』

先日、知り合いの女性から(横浜の催場で、函館から来た画商という人が閉店セ-ルで3日間だけ西洋版画を商っていて、レンブラントの風景版画が45万円で売っているので、その版画を買おうかと思っているのですが、すみませんが、もし出来たら見に行ってもらえますか?催日は明後日迄です…)という連絡が入った。…打てば響くを信条としている私は、興味もあって直ぐ見に行った。…催場で一目見て思った。「こりゃあいけない、贋作だ!」と。…一見、誰もが知るレンブラントである。インクも強弱があるし、古色も帯びている。…しかし間違いなく贋作である、そう確信して見ていると、店の中から紳士然とした風格のある男が微笑を浮かべながら近づいて来て、こう言った。(このレンブラント、なかなかの掘り出し物だと思いますよ、如何ですか?)と。

 

…私は男に問うてみた。…(版画の左下にエディション(限定)番号48/100と書いてありますが、これは誰が書いたのですか?)と訊くと、男は平然と(レンブラントの当時の画商です)と答え、意味不明なまばたきを2回した。(……その時の心理を映すこの男の癖なのか?)………確かに画商の始まりはレンブラントが亡くなった頃のオランダを祖とする17世紀後半からであるが、しかし私はこう言った。(あれですよね。このエディションという制度は、確かピカソの画商だったヴォラ-ルあたりが始めた制度で、間違いなく20世紀初頭が始まりですよね)と。…一瞬、男の目が泳いだ。私は続けて(昔、オランダのレンブラントの家を美術館にした所で、本物の版画から撮影してカ-ボンティッシュというドイツの写真製版技法で完全に再現した版画を、確か1枚5000円くらいで売店で売っていて、私も数点買って持っていますよ!)と言うと、男は静かに(……実は私は、よく知らないんですよ)と言って、静かに店の奥へと消えていった。

 

………版画に古い年月を感じさせる古色であるが、以前に澁澤龍彦のエッセイを読んでいて感心した事があった。…それは浮世絵の贋作に古色をつけるテクニックであるが、何と、昔の汲み取り式トイレ、通称「ぼっとんトイレ」の真上の天井に吊るしておくと、自然な古色を次第に帯びてくるのだという。…しかも、年中湿気の多い北陸地方(おぉ私の故郷!)が、実にリアルな古色を出してくるのだという。…ここまで追究して贋作を作っている連中は、ある意味たいしたものだと、思ってしまう。

 

昔、ロンドンに住んでいた時に、テムズ川に架かるタワ-ブリッジ傍で朝早くから開催している骨董市(通称、泥棒市)に出掛けた事があった。…そして朝未だ来の薄暗い中で、手紙の束と一緒に在ったレンブラントの風景を画いた銅版画を4000円で入手した事があった。店主はレンブラントの事など知らないらしく(兄さん、これ昔のペン画だよ!)と言う。…後でサザビ-ズの知人に無料で鑑定してもらったら、初刷りの掘り出し物であり、今もアトリエの中に大切に仕舞ってある。

 

…日本の骨董市も玉石混交の現場である。…以前に三島由紀夫の直筆原稿という触れ込みで店頭にそれが堂々と出してあった。一目見て三島のあの流麗な筆致から遠い贋作であるが、先のレンブラントの時と同じくリアルさを出す為に、この時は編集者が書き直しで入れた朱の文字が何ヵ所かに入っていた。これで贋作者は墓穴を掘っているのであるが、知らない人は、その朱色に興奮してしまうのであろう。…断言するが、完璧な三島由紀夫の文章に、朱の文字で編集者が文字を入れる事などあり得ない。…その贋の原稿は確か28万円(考えぬかれた数字!)だったが、その次に来たら無かったので、どなたかが買ってしまったのであろう。(…合掌)  昨日画いたばかりの、色が綺麗な、しかし高価なアニメ-ションフィルムも要注意である。…店頭に出る事は稀であるが、フィルムの裏を見て、彩色された絵に亀裂が入っていないのはかなり怪しい。

 

 

ワンランク上になると高価な書画骨董の類である。人気のある西郷隆盛の書は、特に贋作が多い。…見分け方の一つであるが、西郷の癖でチョンと跳ねる箇所を、西郷は決まってボトンと野太く書く。しかし、そこが危ない。

…贋作者は、西郷のファンがそこを注視するのを熟知しているので、あえて目立つようにボットンと太い点を黒々と置く。こうなると、生半可な知識と悪知恵の化かし合いである。

 

 

……30年ばかり前の話であるが、パリで一番大きな骨董市で知られる「クリニャンク-ルの蚤の市」を歩いていた時の事。20世紀後半の代表的な美術家で、妖しい球体関節の人形の作者でも知られるハンス・ベルメ-ルの版画の明らかな贋作が、その日はやたらと随所の店で目立ち、不審に思った事があった。…しかも何より不可解なのは、そのサインが明らかに本物だったからである。…私のアトリエにもベルメ-ルの代表的な銅版画が何点か在るので、その特徴的なサインの筆跡は記憶に入っており、間違いのない本物のサインだと私は断定出来る確信があるのである。…贋の版画に記された、しかしサインだけは本物とは…?その正体や如何にである。

 

 

……こういう時には、パリの裏も表も熟知している友人の到津伸子女史に訊くにしくはない。彼女は30年以上パリに住み、様々な人物との交流が深い。…その日の夕刻にサンミッシェルのカフェに呼び出して、真相を知っているか?と訊いてみた。…彼女は即答で知っている!と答えた。…それかあらぬか、生前(晩年)のベルメ-ルの家も彼女は訪れていたのであった。

 

(まるで彼は逃亡者のように荒んでいたわ。麻薬の中毒で廃人に近くなっていた彼につけこんで、悪い画商がベルメ-ルの贋作を量産し、金と引き換えに、ベルメ-ルに本物のサインを書かせていたわけよ)。…なるほど、それで昼見た謎がたちまち解けたのであった。……その真相を知った後に感じたのは、しかし苦い感慨であった。…ベルメ-ルは好きな作家だっただけに、やりきれないものが残ったのであった。……………次回は、『人魂に魂を入れてしまった男の話』を書く予定です。乞うご期待。

 

 

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『日本…実は毎日が揺れている』

………ずいぶん前のブログでも書いた事があるが、私は2才の時に百日咳が悪化して危篤になった事に始まり、水死、…落下した鉄棒が頭を直撃して大量の出血、城の高い生垣からの墜落、ガス中毒、またブログではさすがに書けない事までも含めて、…つごう7回、死の間際まで行った事があった。

 

…また、これとは別に今まで3回、重度の食中毒にかかった事があった。…最初は19才の学生時、多摩美大の寮にいた時に、金がなく、寮の近くにあった八百屋が見切り品として箱ごと外に棄ててあった腐ったイチゴを持って来て、夜半に食べてから断末魔に苦しんだ事。…次は大井町駅前広場で車販売で売っていた、安すぎる、いやぁな赤い色をした毛蟹を食べて悪寒の後の失神。そして、猛暑の真夏日に食べた、時間が経ち過ぎたおにぎり……。3回もやれば懲り懲りする筈なのに、つい先日は悪い食べ合わせによる、激しい悪寒、嘔吐、下痢による衰弱で、数日前から無気力な倦怠感に襲われてしまった。作品制作はかなり集中力を使うので、この数日間は自主的に休んでいる。…せっかく入って来た歌舞伎座観劇のお誘いも断腸の思いで断ってしまった。

 

………しかし、今日は少し体調が戻ったので、新木場の倉庫に行き、以前から懇意にして頂いているアンティ-ク店「宮脇モダン」のオ-ナ-の宮脇誠さんに、オランダで入手したという、巨大な球体の硝子の中に水を入れてレンズと化した面白い骨董品を見せて頂いた。直径30センチ大の丸い硝子の球体の中に水を入れて、巨大な拡大レンズになるという代物である。……フェルメ-ルの時代以降、レ-スを編む人は、微細な部分をそこに拡大しながら映して仕上げ、…また蝋燭の火をその巨大な硝子の前に置けば、光が多角的に放射して室内を明るく照らすという、一種魔法のごとき代物である。…私は宮脇さんから話を伺っている内に、数作の新たな詩文がたちまち浮かんで来たのであった。

 

 

……この数年間は、コロナが私達の前にリアルな「死」の恐怖を突き付けていたが、それが薄れると、次は役者が変わったように地震の恐怖がそこに入れ換わっての登場とあいなった。……この度発生した巨大な能登半島地震は、それを予告するかのように、2018年頃から地震回数が目立って増加しはじめ、2023年には震度6強の地震が発生し、その時に能登半島の地殻構造の脆さは指摘されていた事は記憶に新しい。なので、想定外ではなく、やはり遂に来たか‼の感がある事は歪めない。

 

…ふと思いたって、幕末の安政の大地震から今回の地震までで、主要なものの大きさを順に整理してみた。……最大は①東日本大震災(マグニチュード9.0)→②関東大震災(マグニチュード7.9)→③能登半島地震(マグニチュード7.6)→④阪神淡路大震災(マグニチュード7.3)→⑤安政の大地震(マグニチュード6.9)…の順になった。震度はいずれもだいたい最大で7強で、震度における大差はない。……マグニチュードとは地震のエネルギー(規模)、震度とは地震の揺れの強弱で別物である。

 

……東京(江戸も含めて)の場合は、いつの場合も下町低地エリアの被害が甚大である。約半数ちかい死因が圧死で次が焼死。…圧死を避けるのに一番強く安全度が高い家の構造は、「かまぼこ型」である事を何かの本で読んだ事があった。かまぼこ型とは、かつての進駐軍の簡易兵舎や、倉庫を想像してもらえればわかりやすい。……日本は世界で最も地震が多い国であり、体感しない微弱を含めると、実は毎日この国の何処かで揺れているのである。その数、1年間で1000~2000回程度、つまり1日あたり3~6回。日本は毎日がバイブレーションの日々なのである。…その危険な実態を知ると、湾岸沿いに埋め立てたパサパサの盛り土の上に次々と建てられていく巨大な高層マンションの光景は、林立して立つもう一つの卒塔婆の群れか。高い階ほどステ-タスが増すと思っている心理を巧みについて業者は、より上に行くほどもはや億単位で推移高騰しているマンション価格。正に(何とかと煙は高いところが好き)という言葉通りの「天国への階段」がそこにある。

 

 

 

 

…先日、書店で面白い本を見つけたので買って来た。…ラジオ第2放送のNHKテキスト『文豪たちが書いた関東大震災』である。芥川龍之介室生犀星泉鏡花北原白秋谷崎潤一郎柳田国男萩原朔太郎…他44名の作家達が、その瞬間にどう遭遇し、どう生き延びたかを記した本で、これが実に面白い。

 

例えば芥川龍之介は、茶の間でパンと牛乳を食べ終わった正にその瞬間に地震が発生。早々と一人で屋外に逃げたが、妻の文夫人は、二階に寝ていた次男の多加志(後に戦死)を救ってから脱出、父と長男の比呂志(後の名俳優)は下女が救出して屋外に脱出。文夫人が「赤ん坊が寝ているのを知っていて、自分ばかり先に逃げるとは、どんな考えですか」と怒ると、芥川は「人間最後になると自分のことしか考えないものだ」と当然のように言った。

さりげない一言の中に、芥川の利己主義がはっきりと窺える。…話はこの後で芥川の行動の内に、異様な内面性が浮き彫りになっていく。

 

…また野上弥生子は三人の子供と日暮公園に避難、この場所は現在の西日暮里公園という私も度々訪れる場所なので、(あすこにいたのか!)と、その時の弥生子の姿が透かし見えてくる。…与謝野晶子は、10年以上書きためた「新訳源氏物語」の更なる現代語訳原稿を全て焼失。恐怖を感じて避難するその近くで、泉鏡花が裸足で逃げ出す姿が。

 

また鏡花と同じく怪異や幻想を怪しく綴った岡本綺堂は、家財蔵書を全て焼失。綺堂は、明治27年の地震に続いて二度目の被災。…その被災の様はしかし綺堂の美文によって、悲惨の内に幻想味も併せて描写していてさすがである。……この本、時代背景が違うので、今日の実際時に活きるかどうかはわからないが、私は今はこの本の中から先人の知恵をもらうべく読んでいる最中なのである。………しかし、私はなおも生きるつもりなのであろうか?…とも、ふと思う。

 

 

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『誰でも簡単に聴ける神の声-イタリア番外編』

コロナ前の話であるが、今から8年ばかり前に写真撮影の旅でロ-マのバチカンにあるシスティ-ナ礼拝堂に行った時の事。…30年前に訪れた時には無かった事が起きていて興味を持った。…それはとみに増えた観光客によって礼拝堂の中が喧騒で渦巻いていた時の事。その騒音を鎮める事と威厳を保つ為に、礼拝堂の真上の天井画『天地創造』の辺りから、突然、低音の実に響く声で人々を圧して諭すように唯一言、…『silent』(静かに・沈黙を守って…)の言葉が頭上から降って来たのであった。…『be quiet』(静かにしなさい)でなく、より音として垂直的な韻のあるsilent!。…この声はかなり効果的で、その神々しく響く声で観光客は〈あたかも神から叱られたかのごとく〉みな一瞬で静まってしまったのであった。(なるほど、上手い策を考えたものだ)と私は感心した。

 

 

……その、あたかも人々が神に懐いている共通なイメージを具現化したような声を聴きながら(…これはバチカンの司教達が一般までも広く面接した声の審査で、神に近い声の主を決めたに違いない!)と思った。…そしてこの声の実際の人物を見てみたいと思った。

…著名なバリトン歌手から、それこそテルミニ通りの場末にある居酒屋の酒臭い常連客(アントニオ、ドミニコ、エドモンド、パオロ、…果てはイタリア人以外の日本人の低い声の持ち主でたまたまロ-マに在住していた、佐藤弘之、彌月風太郎…まで幅広く)を集めて、〈うん、神に近い!!〉という男を司教達の投票で決めたに違いない、そう思って私は一人で顔を想像して面白がっていた。…女性には声美人という言葉があるが、実際に会って見たら、(え⁉…これがあの…)という事も可能性としては案外高い。要はイメージ、…そう世界は、イメージで成り立っているのである。

 

…………今はバチカンの重要な収入源で、ローマ観光の欠かせない場所と化したシスティ-ナ礼拝堂。しかし、未だ観光などという概念が無かった時代、かつてこの場所は、己を研鑽する人にとっては魂の巡礼の場所であった。例えば18世紀を生きたゲ-テの『イタリア紀行』を読むと、今と違い、ミケランジェロが描いた壮大な天井画『天地創造』のすぐ間近までゲ-テは松明を手にして昇り、そこでの感激を、畏怖の心情までも込めてその著書に熱く記している。…また、20世紀初頭を駆け抜けるように生きた一人の日本人画家が、この礼拝堂を訪れて、その聖なる空間とミケランジェロの凄みに打たれ、誰もいない無人の礼拝堂の大理石の床上で号泣した事があった。その号泣の様があまりに激しいので、一人の神父が近寄り、突っ伏して泣く男の肩にそっと手をかけてなだめたという。…その画家の名を佐伯祐三という。

 

敬愛する寺田寅彦氏の書いた『人魂』の話を先日面白く読んだ。寺田氏の二人の子供が同時に各々少し離れた場所で人魂が暗闇の上に上がっていくのを見た事から、氏は優れた物理学者の視点から鋭い分析をして、その場合の人魂は眼の構造が生んだ光の錯視であることを解析したのであるが、しかし寺田氏は人魂の存在そのものは否定していない。…そればかりか、文章の最後で(私どもの子供の頃は人魂を敬い、かつ畏れたものであるが、最近の子供は人魂を怖れなくなってしまった。それはかわいそうな実に不幸な事ではないだろうか)という意味の文章を書いていた。…同感である。いつしか人々は大人も子供も怖れる、畏怖するという感覚を失くしてしまった。それは科学万能、第一主義の果てに立っている不毛である。畏怖が生み出す豊かな不可解な存在との共存が、如何に人生を面白くするかという自明の事を私達は失ってしまって既に久しい。

 

 

確かに畏怖の感情は、豊かさの根源に繋がっているな。……そう思っていたら数日して、正に然りという新刊本が、比較文化学者・映画評論家の四方田犬彦氏から送られて来た。題して『人形を畏れる』…そのあとがきで氏は「私は、いや私達は、かつて存在していた神聖なるものを見失ってしまった。恐れおののくという感情を忘れてしまった。…」と書いていて、先に書いた寺田寅彦氏の言葉と重なってくる。…はじめに本を開いてパラパラと全体を見ると、この本は八章から成り、源氏物語折口信夫谷崎潤一郎ココシュカデカルトベルメ-ルベルナ-ル・フォコンつげ義春…と多彩な人物が人形と絡めて次々に登場していて興味がそそられる。

 

 

 

…ではさっそく読み始めようと、第一章の「人形を畏れる」を開くと、いきなり、2頁目に私の名前と、私がかつて持っていた脚が破損した江戸時代後期の人形(画像掲載)の事が書かれていて驚いた。……文章は「美術家の北川健次がいう。富山の方を廻っていて見つけたのだけれど、どうしたものだろう。……」という私の語りから始まり、私から四方田氏に人形が渡されていった経緯がミステリアスに書いてある。…ここに掲載した人形がそれであるが、四方田氏は他の本でも何回かその人形について書いている。氏のオブセッションと想像力のフェティシズムに、直で侵入している、それは強度に畏怖な感情を揺さぶっている人形である。……とまれこの本は、氏の文章力と博覧強記な知性の高さを骨としてなかなかに面白く、私は一気に読破した。……「畏怖の持つ闇の深さと豊かさ」に興味のある方には、ぜひお薦めしたい新刊の書である。

 

 

 

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『第10回菊池ビエンナ―レ展 現代陶芸の〈今〉を観る』

昨日の午後、アトリエでオブジェの制作と平行して詩を書いていたら携帯電話が鳴った。誰かからのEメールである。開いて見たら「三田文学に詩を書いています。お読み頂ければ有り難いです」とだけの短文で、全く知らない人の名前が……。現代詩手帖ならばいざ知らず、森鴎外永井荷風等の流れを汲んだ歴史ある「三田文学」での詩ならば面白いかも…と興味が湧き開いて見たら、忽ち〈悪質メール注意〉の警告が!……直ぐに消したが、その後で笑ってしまった。怪しい連中が「三田文学」の角度からも詐欺をやっている、その着想の幅の広さに半ば呆れて笑ってしまったのである。「三田文学」を知っている詐欺師とは、なかなかの知識があるようで面白い。……そして「そうか、この連中は私を詩人としてリストに入れているのか」と思うと、妙に励まされたような笑える気分であった。そして思った。(そうだ頑張って、遅れている第二詩集の為に詩作を急がねば)と。

 

……さてこの度の能登半島大地震であるが、惨事は他人事でなく、いつ私達を襲ってくるかはわからない。正に一寸先の事は誰も知らず、突然ガタガタッと窓ガラスが激しく揺れた時が、この世との訣別の瞬間かとも思われる。……もの凄い揺れに襲われ、玄関の扉も開かなくなったその瞬間、パニックになったあなたはどうするか?……先ず閃くのはテ―ブルの下への避難であるが、しかし大量の二階からの落下物がのし掛かってテ―ブルの脚も折れ曲がり、意に反して脱出が困難になる場合が多分にある。……ここで、先人が助かった例として提案したい場所がある。それは……「トイレ」である。構造が狭い分、重い落下物が周囲に分散し、またトイレは外に隣接しているので、脱出或いは発見される可能性が高い。そしてそこで大事な事は日頃から「笛」・ホイッスル(緊急用救助笛―ちなみに楽天で171円他)をトイレに予め用意しておく事である。……怪我をして次第に脱水症状が出て来ると、救助の呼び声に言葉で返す力も無くなってくる。そうした時に笛は僅かな息だけで遠方に音が響き、発見される可能性がきわめて高い。自力の微かな声よりも、遠くまで響く他力の音が遥かに実際的である。……一例として、阪神淡路大震災の時に自宅が全壊した俳人の永田耕衣さん(1900~1997)は、丁度使用中だったトイレに閉じ込められたが、たまたまそこにあった茶碗を箸で叩いて助かった事がある。とまれ参考にして頂きたく、一例としてこのブログで提案した次第である。

 

 

先日の快晴日に、東京の日比谷線の神谷町駅で下り、大倉集古館のそばに在る菊池寛美記念・智美術館で3月17日迄開催中の『第10回菊池ビエンナ―レ展』現代陶芸の〈今〉』を観に行った。…場所は虎ノ門に在りながら、都会の喧騒とは無縁の静謐な空間を帯びたこの美術館が好きで、私は度々訪れるのであるが、この菊池ビエンナ―レ展は、特に審査のレベルが高く、土でしか出来ないオブジェの可能性を追っている点からも、素材の妙を知る上で、特に私の興味をひいている展覧会である。

 

 

 

 

しかも今回は、女性初の受賞者である若林和恵さんが大賞受賞者であるが、その若林さんは私のアトリエの在る建物の階上に住んでおられ、地下の工房で日夜、磁器の制作に励んでおられるのを長年知っているだけに、感慨もまた深いのである。(私はつごう7回の引っ越しを経て、導かれるように現在のアトリエで制作しているが、世間が静まった夜半に階下から聴こえて来る、若林さんが作陶に挑んでいる土や水の響きが時おり伝わって来て、自分も頑張らねばと、一人の表現者として私は自ずと鼓舞されるのである。)………………

 

美術館の螺旋階段を降りて行くと広い会場である。若林さんの大賞受賞作品『色絵銀彩陶筥「さやけし」』(画像掲載)が先ず展示されている。古典の雅とモダニズムの華やぎとの共存を帯びた圧巻の存在感を放って尚も優美。…観る人をして鑑賞でなく、観照の深みへと引き込む存在の強さがある。…この存在感は、若林さんが芸大を卒業後にピカソの作陶でも知られるイタリア・ファエンツァの国立陶芸美術学校に留学して学んだマヨリカ陶の技術研鑽と共に、体感として享受したアドリア海の硬質な強い光が、感性の中に豊饒なままに息づいており、それが日本古来からの美の湿潤さと静けさの豊かな混淆の放射として産まれた、若林さんの作品だけに固有な独自の存在感のように思われた。

 

……実に照明の配慮が行き届いた館内には、今回の応募総数359点の中から第二審査迄を経て選出された53点の入選作品が展示されていて、各人の技術研鑽の苦労と作品への想いが伝わって来る。しかし、私にはあくまでも既存の「工芸」の領域に作者達の意識が総じて向かっているような一元性を感じさせて映った事は正直な感想である。優れた作品が他を排して存在するのは、作品が孕んでいるもう一つのイメ―ジの揺らぎ、西脇順三郎的に言えば「諧謔」的なものが在るか否かなのである。そして、私が作者を知っているからという単純な身贔屓でなく、私が審査員であったとしたら、やはり今回の大賞は若林さんに一票を投じたに違いないであろう、作品・色絵銀彩陶筥『さやけし』は、そのような作品なのである。………………いろいろと考える切っ掛けになったこの展覧会は、ジャンルを越えて得るところのあった経験であった。今年は元旦から不穏な事が続き、私達の気持ちが日々荒れている感がある。もし時間的に余裕があるならば、喧騒から離れた静かなこの美術館を訪れて、作品の数々に接して自身と向かい合う観照の場にされては如何であろうか。

 

 

 

 

 

 

…………さて、美術館を出ると、なおも日射しは真冬だというのに、夏のような烈々とした強い光である。神谷町駅から日比谷は近い。私は久しぶりのこの快晴の光をもっと浴びたくなり、日比谷公園に行き松本楼で昼食をとった。……そしてフットワ―クの良い私はその足で銀座線に乗って浅草寺に行き、珍しく御神籤をひいた。……「大吉」であった。

 

 

 

 

 

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『2024年…いよいよの波瀾の幕開けか!?』

新年明けましておめでとうございます。今年も命ある限りはブログの連載執筆を続けていきますので、引き続きのご愛読を何卒よろしくお願いいたします。

 

………さて、さて正月と云えば先ず浮かぶのは年賀状の事か?……思い立って明治期の年賀状を調べたら、例えば樋口一葉などは僅かに5通ばかり。他の人もまぁそんなものであった。私なども上京したての頃は知人など一人もいないところから始まったのであるが、生来の明るい社交性が逆に災いとなったのか、年月と共に人とのご縁が雪だるまのように膨み、昨年までは年賀状を数百通も出したり、受け取ったりする始末。……現世で本当にご縁があれば、また何処かで必ずお会い出来る筈!と考えて、今年は濃い血縁者以外の人への年賀状はやめにして、代わりに書き初めの「辰」を書いて、ブログ上からの言寿のご挨拶とする事にした。……それがこれ。書家の井上有一ばりに気合いだけは入れたつもり。

 

 

 

1月1日。さすがにこの日だけは読書だけにしようと思ってアトリエに入ったが、やはり制作へのスイッチが入り、新たな作品作りへと向かってしまった。閃きが洪水のように押し寄せて来て、集中すると時間の感覚さえも無くなってしまっている。ふと気がつくと、14点の具体的な作品構想が出来上がっていた。

 

……4時を少しまわった頃であろうか、突然アトリエが揺れ始めた。……このアトリエの在る建物は地下室もあるので、地盤も含めて造りはかなり頑丈である。なのに揺れるという事は、何処かでかなり大きな地震が発生しているに違いない。……すぐにテレビをつけると、能登半島で震度7、日本海側全域に津浪注意報が出ており、各局いずれも「津浪注意!すぐに避難を!」の声を鋭く連呼している最中であった。……輪島には暗黒舞踏の創始者の土方巽の弟子であった友人がいるので、すぐに電話をしたが、何故か繋がらない。……今度は福井の知人に電話すると「かつて体験した事のない激しい揺れで、次の余震を怖れて、玄関を開けたままの状態でいる」との事。賢明である。

 

……3日経った現在、輪島市、珠洲市だけでも死者は57人に。国土地理院の報告によると、今回の地震で、輪島市が西に1.3m動き、最大4mの隆起による大きな地殻変動があった由。……人知の想像を超えたもの凄いエネルギ―の噴出である。……輪島の友人に再度、電話をしたが今も安否が不明。……大惨事を前にすると、人はかくも無力である事を痛感した。

 

……天災の極みの地震に続いて、翌日の2日、今度は人災の極みとも云える事故が羽田空港で発生した。JAL機が海上保安庁の航空機と衝突し大炎上したのである。乗客乗員379人全員は脱出。保安庁の乗組員5人が死亡。滑走路上でJALの機体は炎上爆発したので379人全員が無事であったのは奇跡といっていいだろう。

 

1日、2日…と立て続けに起きている、この異常な事変。何やらこの一年を、いやこれから先の世界と人心の崩れを暗示したような幕開けと視た人は、私だけではないだろう。…… 想えば、昔日の正月はのどかであった。

 

俳人の与謝蕪村は.正月の言寿を「日の光/今朝や鰯の/かしらより」と詠んだ。……私は拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)の中で、この蕪村の俳句を読み解き「……ふと思うのであるが、実際は雨や雪の時もあったはずなのに、どうして子供の頃の正月の記憶は、いつも決まったように快晴の日として思い出されるのであろうか。年が改まったことの華やいだ気分が印象として強く残り、澱んだ空までも蒼天の青へと変えてしまうのであろうか。……(中略)……新春のことほぐ心を詠んだこの俳句は、そのような記憶の変容までも想い立たせてしまう言葉の力といったものを持っている。………… と書いた。

 

しかしいつ頃からか、新春の朝に覚えた清浄な初日の光や浮き立つような気分は消え失せ、正月は唯の寒いだけの唯の一日となってしまった。……そして、何か先の方からじわじわと押し寄せて来る不気味な崩壊の予感の内に、私達はいつしか身構えるようになってしまった。…あたかも先方が見えない霧の中、関ヶ原の陣に立って、彼方の丘の方から押し寄せて来る家康率いる東軍に対する、元来が胃弱であった石田三成率いる西の陣地にでもいるような。……便利さに快楽や意味を覚えてしまう私達の迂闊な脳が産んでしまったAIも、小早川秀秋よろしく早々と寝返って絶妙な位置に立ち、総崩れ、人間の総家畜化のタイミングを狙って私達へその槍の鋭い穂先を研いで、あからさまな裏切りの時を計っているのであろうや。……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『年末…詐欺師にやられた話』

①あまりに恥ずかしい話なので黙っていたが、思わぬ展開があったので、このブログに書く事にした。……実は今年の始め2月頃に、あろう事かネットショッピングで詐欺師に引っ掛かったのである。いわゆる振り込め詐欺である。(日本文学全集12巻を9840円で。但し2巻だけありません。)の魅惑的な文言に誘われて、銀行から指定の口座に振込んだものの、ただただ冬の木枯らしが吹くばかりで、時が過ぎていった。(やられたな!…まぁいい勉強になったと思えばいいか!)と、無理矢理自分をなだめたものの、やはり燻る悔しさはあった。

 

春になった或る日、都内の某警察署から電話が入った。……なんと、私を引っ掛けた詐欺グル―プの受け子を逮捕したという報せである。実に詳しく話してくれる刑事で、「今回の事件は、あなたをはじめ約50人が被害に遭い、内1人の方が銀行に訴えて、相手の口座を封鎖しましたが、犯人達は別な口座を作って新たな犯罪に入っています。グル―プはヴェトナム人です。我々は今回の逮捕した受け子から本件を立件へと持っていくつもりです!」と熱く語ってくれた。私は「…頑張って下さい」としか言う言葉が無く、季節は春から夏、そして晩秋へと流れていった。

 

……個展の後半に画廊にいた時に1本の電話が入った。東京地検からである。地検を名乗るその人は「今回の事件で被害に遭われた方全員に、受け子が全額を返金したいと話していますが、担当弁護士にあなたの電話番号を教えても宜しいでしょうか?」という確認の問い合わせである。……さぁ、ここからが大事な話で、被害者はキャッシュバックという言葉に釣られて気を許すのが常。……私は東京地検から掛かって来たというその電話番号に(?)を入れて、次なる展開を待った。暫くして、受け子の弁護士を名乗る人物から電話が掛かって来た。「被害金を振込みますので口座番号を教えて下さい」との事。……詐欺師というのは、ちゃんとした道を歩けばかなりの所に行くような、頭の良い人間が多い。政情、話術、心理学に通じた能力があるが、悲しいかな内面の邪気が彼等をして悪へと転落の構図を作っている。……(返金?)……話が巧すぎると思った。連中はどんな角度からでもやって来る。東京地検、弁護士……、詐欺グル―プの部屋に在る何本もの電話各々に確認の応対の為に(東京地検)(○○法律事務所)……の紙が貼ってあるかもわからない。

 

……私は銀行の取引は無いので現金書留で!と要求した。(……わかりました。現金書留での振込みと云うのは例が無いですが検察と検討してみます)との弁護士の返答。……暫くして東京地検から電話が入り、現金書留での返金の是非の確認である。……そして、アトリエに郵便配達人が現れて被害金は全額戻って来たという次第。……この度は東京地検も担当弁護士も本物だった事は慶賀であった。……弁護士に詳しく訊くと、犯人の受け子はヴェトナム人の女性との事。名前もわかった。……何故例外的に今回、被害金が戻って来たかには察するに2つの事が考えられる。①私の普段の行いが良かったから②被害者全員に返金しても50万円くらい。弁護士と犯人が相談して、被害者全員に金を返し、「今回の件は許す」という考えの保証を文書でもらう事で、刑を軽くしてもらうという戦略。

 

……正解は②であった。……しかし当然ながら私は許す考えなど毛頭無い。……今、詐欺の受け子がもの凄く増えているというが、その原因の1つは罪が軽い事に拠る。政治家の愚かな失言も訂正すれば後は誰も責めないのと同じく、実に緩い。……私は思うのだが、犯人の再犯を抑制するには、例えば、入れば案外居心地が良いと言われる刑務所では、骨身に沁みるまでのきつい労働を。そして受け子達も、市中引き回しを復活して、罪の愚かさを身体と精神の痛みで骨の髄まで後悔させる事が肝要だと思うのだが如何であろうか。

 

常々感じるのだが、この国の裁きは、まさかの性善説ではあるまいに、犯人に対し今一度の更正チャンスを与えんとして、それが過度に反映して、時に信じがたいまでに判決が緩く、一方では被害者の遺族には、裁判の後は突き放したように実に冷たいものが現実としてあると聞く。「無事に被害金が戻って来たので許す」という甘い文書が集まれば、この受け子は間違いなく再犯をする事は想像に難くない。そして更なる深溝へと堕ちていく。……犯人が竹で編んだ籠に入れられて衆目の中を、うつ向きながら市中引き回しにされて行く姿。……私は、江戸時代に伝馬町牢屋敷が在った小伝馬町駅を電車で通過する時に、その考えが時に浮かぶのである。

 

 

 

②宇宙は、そしてこの世は、陰と陽の絶妙なバランスから出来ている。①は詐欺師の暗い話であった。……ならば②は明るく愉しい話でこのブログは書かねばならない。それに相応しい話を、今年のブログの最後に書こう。
昨年の年末に、私が最も評価している表現者の一人として、掌に載るサイズの〈覗き箱〉・スコ―プオブジェの中に、無想から紡がれた世界の様々な美しい断片的な光景を封印した夢の錬金術師―桑原弘明君の事を書いたが、今回も再び桑原君の登場となった。忠臣蔵に似て、桑原君は何故か年末に語りたくなる人なのかもしれない。

 

 

 

………先日、その桑原君から素晴らしく美しい本が、わがアトリエに送られて来た。桑原君の極小のオブジェと、泉鏡花文学賞などの受賞でも知られる作家の長野まゆみさんとの、星の欠片のように美しくも危うい共著・競作本、…題して『湖畔地図製作社』(定価.2700円+税)である。発行は確かな本作りで定評のある国書刊行会。……開くと、左頁に桑原君の作品の画像が長野さんの断片的な美文と対にして在り、そして右頁には桑原君の作品のタイトルが作品の外姿と共に在り、また長野さんの短い数篇の小説が載っているという、実に考え抜かれた構成の贅沢な本である。

 

 

……「曲線の愛好家はどちらかといえば/平面図を好むが、/螺旋にかぎっては断面図をえらぶ。」という長野さんの文章には、桑原君の『カノン』と題した、幻惑的な螺旋階段の光景を封印した画像が載り、また、『夢の影』と題した桑原君のフィレンツェと覚しき庭の彫像と噴水の作品画像には対として「落水とおなじく跳ねる水にも/幾何学があり、/それは波状の曲線を画く。」という美しい詩文がパラレルに在り、相乗して私達を無想へと誘っていく。

 

 

……私達はこの本から、例えば稲垣足穂や、自分が想像した架空の国の切手を4000枚以上も生み出した夭折の画家・ドナルド・エヴァンスの夢想へと連想の近似値が傾くかもしれないが、それらには無い豪奢な夢の綴りの韻が、このオブジェ的な奇想書には溢れている。……一人で隠って頁を開くも善し、また親しい人に贈るにも善しの最適な本である。珍しく私が推す本である。

 

 

 

 

この本の入手を望まれる方は、先ずは最寄りの書店、もしくは発行所の国書刊行会(TEL03-5970-7421)、(https://www.kokusho.co.jp)、或いは企画した画廊―スパンア―トギャラリ―(東京都中央区京橋5-22キムラヤビル3F・TEL03-5524-3060.
Email―contact@span-art.comへお申し込み下さい。

 

 

……今年のブログは、今回で終了します。いつもご愛読されている読者諸兄の方々には感謝しております。来年はより内容の幅を拡げて参りますので、更なるご愛顧のほどを宜しくお願いします。皆さん、良い新年をお迎え下さい。 北川健次

 

 

 

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『十二月の怪談夜話』

……昨今の世情があまりに喧しいので、最近の私は寝る時に「怪談本」を読みながら眠るようにしている。お好きな方は首肯されると思うが、怪談話には実に情緒豊かな空気が流れていて、懐かしい気配もあるので、眠りに落ちていくのに丁度良い。

 

 

……今、読んでいるのは河出文庫の『日本怪談実話〈全〉』田中貢太郎著。どれも短いので読みやすい。「戦死者の凱旋」「松井須磨子の写真」「手鏡」「死児の写真」「窓に腰をかけた女」……等々全234話。

 

 

 

 

怪談話は夏が相場と決まっているようだが、さにあらず、…… 冬に食べるアイスクリ―ムが意外と美味しいように、この師走、まぁ「ガリガリ君」(深谷の赤城乳業)をかじるようにお付き合い頂けたら有り難い。

 

 

……その怪談話234話の中から1話、先ずはここに書こう。タイトルは『画家の死』…………そう、他人事ではない。

 

……横井春野君が某日に神宮球場へ野球を見に往っての帰途、牛込納戸町まで来たところで、向うから友人の月岡耕漁画伯がやって来たので、「やあ、しばらく」と云って懐かしそうに寄って往くと、ふと月岡君の姿が見えなくなった。おやと思ってその辺りを見まわしたが、どこにも見えないので、不思議に思いながら帰って来た。するとまもなく月岡君の令息から、「チチシス」と云う電報が届いた。横井君は月岡君が病気していることも知らなかったので、驚いて月岡君の家へ往ってみた。耕漁画伯の死んだのは、横井君が納戸町の街路でその姿を見たのと同時刻であった。

 

……この話を読んだ時、これと酷似した話があったのを私は思い出した。……1985年に38歳の若さで肝臓癌で亡くなった画家・有元利夫さんの話である。話はたしか芸術新潮か何かの追悼号であったかと思う。……。有元さんの友人が銀座に在ったみゆき画廊に行こうとして、そのビルの階段を上がっていったら、上から有元さんが降りて来た。……その友人は有元さんが入院していたのを知っていたので快復したのだと思い「もう元気になったの!?」と声をかけた。すると有元さんはただ笑顔を浮かべたまま無言で階段を降りて行き、やがて消えていったという。……有元さんが亡くなった知らせがその友人に届いたのは、間もなくの事であった。みゆき画廊で友人が有元さんとすれ違った時、実際の有元さんは病院にいて危篤の状態であったという。……ちなみに、有元さんが初めての個展を開催したのが、そのみゆき画廊であった。亡くなる直前に、人の意識は自身の身体や病床を離れて、思い出の地をさすらうのであろうか。

 

 

……亡くなった、或いは亡くなる直前にその人が、なんらかの形で知らせに来る。そういう経験は何度か私にもある。……今から25年ばかり前の事、私はアトリエの籐椅子でうたた寝をしていた。すると、明らかに力強い現実の感触で私は肩をたたかれて、一瞬で目が覚めた。瞬間、何故か「松永さん!」だと思った。……果たして、その後すぐに松永伍一さん(詩人・文学.美術評論・作家) が心不全で亡くなられたという知らせが入った。……松永さんだ!と思った時、既に松永さんは亡くなられた直後であった事を後で私は葬儀の時に知人を経て知ったのであるが、不思議でならない事がある。……それは、人並みに様々な知人がいる中で、なぜ肩をたたかれた瞬間に、私の脳裏に松永さんの名前が浮かんだのだろうか……という事である。死者の最期の強い意識は、他者の脳の中の意識に自在に、或いは容易に侵入出来るのであろうか。……

 

もう1つの話は、やはりアトリエでの出来事である。今から5年前の夏。私は個展が近づいていたので、アトリエ内で制作の追い込みに没頭していた。部屋に無数にある引き出しの中には作品に使う様々な古い断片があり、その引き出しを開けて私はピタリとくる断片を探していた。……そして、その下の次の引き出しを開けた所に、場違いな、あまりに場違いな年賀状が1通入っていた。見ると、版画家の浜田知明さんから2年前に届いたものであった。裏を返すと浜田さんの直筆で「これからも良いお仕事を続けていって下さい。」と書いてあった。……意外に私は整理整頓するので、制作の材料はアトリエの1ヶ所にまとめてあり、手紙や年賀状等は全く離れた別な引き出しの中にまとめて入れてある。……熊本の浜田さんの地元で私が個展をした時は、2日続けて画廊に来られたりと、年長の先達の人でありながら、浜田さんとは懇意な関係であった。……私は直感した。間もなくその知らせが来る事を。そして直感通り、在る筈の無い引き出しから年賀状を見つけた時は、既に浜田さんは老衰のため病院で亡くなられていたのであった。

 

かなり以前のブログで書いたが、この『日本怪談実話〈全〉』に登場する「戦死者の凱旋」という話にある、日露戦争で死んだ軍人達が行進しながら麻布連隊の兵舎にザックザックと靴音を立てながら戻って来る不気味な靴音と、同じ音の体験を、私は芸大の写真センタ―で深夜二時頃に聞いていたり、書いていけばきりがない程に数多くの体験をして来た。……そして今思う事がある。それは死者と生者にはなんら境がなく、この世とは、そのあわいに在る多次元的でねじれた構造なのではあるまいか……と。

 

 

師走、……この月になると薄墨色の葉書が届くようになる。知人からの死去を報せる喪中の葉書である。以前はその知らせに哀しい感情が立ち上がっていたが、……今の私は静かに受け止めるようになっている。

 

 

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