今日は8月15日。豪雨の後にまた暑さが戻って来た。…熱波の日々でみんなの疲労が蓄積し、免疫力が低下して、この時期は誰もが最も危険な時かもしれない。……さて、疲れを取る私のやり方は、夕方に38度くらいのぬるま湯に入り、15分以上、無心に目を閉じる。すると百会(頭の天辺)から次第に悪い汗が流れて来る。…そして、遠くの森から蝉時雨が聞こえてきて気分はもはや浄土である。…あぁ、このまま死んでしまうのも善いかなぁ…と、ふと想う。
先日、九州全土を襲った豪雨は凄まじかった。私の大切な友人が、鹿児島、熊本、そして福岡に住んでいるので、他人事ではなく気にかかる。…前線が本州に動けば明日は我が身でもあるのである。…昨今の気象の狂いには不気味なものがあるが、思い返せば、まだ20年前頃までは、それでも四季折々にいろんな表情をした雨が降っていたように思われる。周知のように、雨にはいろんな言葉があって、実に情趣豊かな名前がついていた。そしてそれが私達の詩心へと繋がるような感性を育んでも来た。様々な雨を指す言葉、…その数56とも、いや400はあるとも諸説云われている。
…白雨.驟雨.錦雨.氷雨.端雨.慈雨……etc。中には日照雨.天気雨という言葉を指して(狐の嫁入り)という言葉さえ生まれている。更に思えば各々の雨には私達の人生と関わっている物語りさえ時にあったように思われる。その例として「遣らずの雨」(やらずのあめ)という言葉がふと浮かぶ。
しかし今や雨の呼び名は四季を通じて1つに極まった。…すなわち線上降水帯がもたらす〈ゲリラ豪雨〉これ一本である。
…日本全土の中の河川分布状況を見ると、一級河川を除いた細い河川状況はまさに毛細血管の如くである。人的被害をもたらす豪雨が降り続き、ミシリと前夜に小さな音を立てていた後ろの山が突然崩れて人家を一瞬でのみ込む光景はもはや日常化しており、
(…いやいや何百年も何もなかったから)(…大丈夫、ご先祖様が守ってくれている)は、最早命取りの考えである。
川端康成の小説『山の音』は、ふと聴いた〈山の音〉に死期の告知をみた初老の男の情趣ある深い話であるが、昨今の現実の「山の音」は、情趣どころか具体的な死の予兆(今そこにある危機)である。
最近、豪雨が去った後の街角インタビュ-を観ていると、みんな同じように(バケツをひっくり返したような雨が降ってました…)とお決まりの言葉を使っているが、もはやバケツではないだろう、と私はふと思った。…ではどんなものをひっくり返したようなのが相応しいかと自問した。
……たらい、湯船ではないな。…ならば思いきり拡大して、相模湾、あるいは太平洋をひっくり返したような…という言葉が浮かんだが、それでは腕が痛くなる。…結局だんだん戻っていって、先ずはたらいに返ったが、たらいだと〈水〉が具体的に浮かんで来ない。…やはりバケツのバの濁音が効いているのか…と思って元に落ち着いた。しかしこのバケツをひっくり返したような…という表現、気になって調べてみたら、韓国やイギリスでも〈バケツ〉という言葉を使って豪雨を表している事がわかって妙に納得するものがあった。
…以前のブログで登場して頂いた『マルロ-との対話』他の著作でも知られる、仏文学者の竹本忠雄さんから分厚い小包がアトリエに送られて来た。
包みを開くと中から、新刊書の『幽憶』(ルネサンスから現代まで/新フランス詩華集)が現れた。…竹本さんは現在93歳であるが実にお元気で、上田敏以来のこの翻訳の大業をコロナ感染という非常時の中、四年もの月日をかけて執筆され、ついに刊行されたのである。…帯には、フランス政府から贈られた〈ルネサンス・フランセ-ズ大賞〉受賞記念出版と銘記されている。
…さっそく開くとヴェルレ-ヌ、ユゴ-、ボ-ドレ-ル、ランボ-、ヴァレリ-、マルロ-、マラルメ、リルケ…などの詩が、竹本さんによる実に美しい日本語で綴られた深い翻訳となって載っている。
…そして、各々の詩に合わせてユゴ-、モロ-、ロダン、ブラック、ゴヤ、マネ、ミケランジェロ、…などの絵画や彫刻作品が深い配慮に依って的確に選定されて載っており、ランボ-の詩『太陽と肉体』のところでは、ピカソの版画作品が、そして『少年ランボ-の面影』と題したヴェルレ-ヌのところでは私の銅版画作品『肖像考-Face of Rimbaud』が載っていて、実に相応しい組合せで構成されている事に作者である私は強い手応えを覚えたのであった。作品が確かな形で活かされている、…そう思ったのである。…この竹本さんの『幽憶』はこれからも度々開いて耽読していく大事な本になっていくであろう。
10月15日から11月3日まで日本橋・高島屋の美術画廊Xで開催予定の個展『逆さ文字-吊り下げられたブレヒトの七月の感情』であるが、先日、リ-フレット(案内状)の打ち合わせも終わり、これからは作品を暗箱やアクリルケ-スに固定していく第2段階に入るのであるが、新作60点以上作り終えたというのに、埋火のように未だ新作創造への余熱が消えずに、新たなイメ-ジが閃いては、なおも今、制作を続行している日々である。…これからはこのブログで、個展の予告編のように、新作の主なのを数点掲載していこうとも思っている。
次回のブログは、「原爆の父」として知られ、核戦争の扉を開いてしまったロバート・オッペンハイマーとスマホについて書く予定。…このブログ、書く話題がいつも八方に飛び交っている。