「個展開催中のお知らせ」

今月21日まで、東京・日本橋高島屋本店6F美術画廊Xにて、新作オブジェ65点を一堂に展示した個展『狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ』を開催しています。…多くの方々のご来場、ご高覧をお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: Event & News | タグ: , | コメントは受け付けていません。

「10月21日迄、日本橋高島屋で個展開催中」

……私が24才の時に、東京国立近代美術館で開催される「東京国際版画ビエンナ-レ展」の日本の代表作家の一人として選出された時に、当時ニュ-ヨ-クに住んでおられた池田満寿夫さんから祝電のお手紙が届いた事があった。その手紙の末尾に、(私はアメリカを代表する作家の一人として出品します。共に頑張りましょう。)と書いてあり、私は燃えるような気持ちで熱くなった事がある。

 

…また、その手紙には(…あなたは、これからはコレクタ-の人達と一緒に人生を生きていく事になるでしょう)と書いてあり、当時の私はその箇所だけは、些か疑問を抱いた事を覚えている。…作品は本質的に匿名である故に、具体的な人達と接点を持つべきではないと思ったのである。…しかし、個性ある作品を遺した人達の生涯の記録を読んでいくと、その人達が具体的なコレクタ-の人達と実に深い生きた物語を交わしながら、作品の質を高めていったかを知るにつれ、私の考えは変わっていった。…コレクタ-の人達もまた作品収集をするという行為を通して、その人自身の人生を豊かに紡いでいるのであり、それもまたその人達における表現行為なのだと次第に気づいていったのである。

 

…想えば、私の版画はそのほとんどが、その人達によって評価され、収集されていき、完売による絶版という形で、私のアトリエに版画作品はほとんど残っていない。…そしてそこに、私を支え続けてくれた人達との不思議な「ご縁」としか言いようのない豊穣な物語が実にたくさん残っている事を、私は時に思い出すのである。…そして、作品を収集するという行為もまた深い創造行為なのだと、私は実感を持って想うのである。

 

版画の次に、私は精力的にオブジェを作り続けて来た。その作品数は既に1200点以上であるが、アトリエに残っているのは僅かに40点くらいである。…考えてみるとこれは驚異的な事であり、表現者としてこれほど幸せな事はないとつくづく思うのである。…その1000点以上の作品は今、各々の作品との出逢いを通じてコレクタ-の人達の身近でまた新たな尽きる事のない豊かな物語を紡いでいるのである。

 

…最近つくづく思うのであるが、人生という限りある時間の中で一番大事な事は、人と人とを結んでいる「ご縁」というものではないかと思う。…ご縁という不思議な運命の筋書き。振り返ってみると、本当にその不思議な縁によって、実にたくさんの面白い出逢いがあった事を思い出し、私は豊かな気持ちになるのである。…昨今のように相手の顔も知らずにネットで不毛な刹那的触れ合いをして、次に消去を繰り返している時代にはもはや、豊かな物語を作る土壌は無いと私は見ている。…時代は寒い方へと傾斜を墜ちていっているが、私はその「ご縁」という不思議なとしか言いようのない現象のドラマにこだわり、それを大切に考えていたいと思っている。

 

…さて、日本橋高島屋での個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」が2日から始まった。…それに関して、「月刊美術」10月号の新刊で、この個展に関する展覧会評が出たので、以下にご紹介しようと思う。…個展は21日迄、休み無しで開催されている。…そして私は毎日、画廊にいて、私の作品と、その作品と出逢った人との不思議な、しかし何かに結ばれているとしか思えない、その出逢いの瞬間に立ち会うのである。…そして、その作品の次なる作者は、私からその人へとなっていくのである。

 

 

 

 

 

カテゴリー: Event & News | タグ: , , , | コメントは受け付けていません。

個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」開催のお知らせ

 

先日、ギャルリ-東京ユマニテで開催中の故・中川幸夫ガラス作品展に行って來た。個展の制作に忙殺される日々であったが、この展覧会だけは必見と思い、美と毒と妖しさを多分に吸収するつもりで行ったのである。

 

 

 

……作品はガラス作家の高橋禎彦氏との共同制作であるが、ガラスを強度に加熱して歪ませ、或いは全方位的に垂らし、その瞬間々々の神経の集中によって、ガラスは強度な狂気性を帯びて、遂には狂女にも似た結晶へと変容する。しかしこの結晶には強度なるものと共に、あえかなともいうべき儚げな一面も併せ持っていて、いっそう謎めいている。……作品を観てあらためて、正しく中川幸夫は天才と断ずるに足る人であったと痛感した。…生前その中川さんには一度だけであるがお会いしてお話を交わした事がある。…場所は銀座のザ・ギンザアートスペースでの佐谷画廊企画のオマージュ滝口修造展:中川幸夫「献花」オリーブ展での中川さんの個展の時であったか、確かドイツ文学者の種村季弘さんの紹介であったと記憶するが、それは今としては貴重な体験であった。刹那ではあるが、先達の内に狂おしいまでの才を帯びた人との魂の交感は得難い財産となっている。

 

 

………………さてともあれガラス、そして新たなるガラスの表現。………私は自作のオブジェの中に、ここ数年来、割れたガラスの断片、或いは螺旋状にねじれたガラスなどを取り入れて、それもまた私の作品中の、限りなく正面性を帯びた劇場の中で、一つの詩の言葉、或いは活人劇の役者として機能している。…まことにガラスとは両義牲を持った不思議な素材で、脆いと思えば強かに硬く、透けているのに閉ざした一面もあり、エレガントかと思えば凶器的でもあり、何処かしらノスタルジアを喚起する不思議な表情をその内に秘めている。私の内なるオブセッションとフェティシズムが揺れて、ますますガラスは私の作品の中で重要な存在となっていくであろう。

 

 

…………さて、10月2日から21日まで、東京日本橋・高島屋本館6階の美術画廊Xで、個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」を開催するが、その出品作の中にはガラスが様々な表情をして、劇中に配されているので、各々の変容した様と、その演技を観て頂けれはと思っている。…またこの展覧会では、タイトルにも登場する「螺旋」が様々な表情や役割をしているので、それもご覧頂きたいと思っている。出品数65点の新作が一堂に展示されています。ぜひご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」

場所:日本橋高島屋・美術画廊X(本館6階)

会期:10月2日(水)~ 21日(月)

時間:10時30分 ~ 19時30分

 

 

 

 

カテゴリー: Event & News | コメントは受け付けていません。

『存在感を放つ戸嶋靖昌記念館-東京・半蔵門』

…ここ数年来、千葉のDIC川村記念美術館から毎回送られてくる展覧会の招待状から次第に「気」が抜けて来ているなと思っていたら、案の定、来年1月から休館に入るという。収蔵されているコ-ネルほかの名品の行方を危ぶむ声が届いていて、その存続を願う動きが起きているという。しかし、多くの人々は気づいていない。美術館の実質は、建物や収蔵品が第一に非ず、ひとえにそれを企画する館長の理念と気概、学芸員のセンス、知性、そして発信するという事は知の揺さぶりなのだという有機的な自明の事を認識しているか否かの是非にあるという事を。…確かに千葉の佐倉は遠くて不便ではある。しかし、展覧会の質が高ければ、人は己を高める為に其処に行くのである。伝わって来る休館(或いは移転説)に至った経緯を読むと、運営における資金面や他の諸事情はあるとしても、つまりは人、人材が美術館というものの実質的な骨格なのである。

 

……例えば、10月2日から始まる高島屋での大きな個展の後、私は、11月29日から名古屋画廊馬場駿吉さん(美術評論・俳人)とヴェネツィアを主題とした二人展を開催する予定であるが、その馬場さんが以前に館長をされていた当時の名古屋ボストン美術館の展覧会の企画力は、実に素晴らしいものが続いており、その多くを観た私の記憶には今もそれが鮮明に残っている。馬場さん自らがその多くの企画の立ち上げから関わり、また優れた学芸員がそこに能力を発揮していて、展覧会には常に観る事の愉楽と知との華やぎがあった。ジム・ダイン展、北斎展、ゴ-ギャン展…と様々な名品展が次々に開催され、会場はいつも沢山の観客で溢れていた。…繰り返すが、その美術館の館長が抱いている理念の高みと、それを具体化する能力のある優れた学芸員の存在があれば、その美術館へと人は己を高めに積極的に行くのである。

 

 

しかし問題はDIC川村記念美術館だけでなく、アトリエに届く、他の多くの美術館の案内状からも同様に「気」が抜け落ちていて、何やらぼんやりとした黄昏時の感がある。…そのような中で例外とも云えるのが、このブログでも度々紹介して来た、東京・半蔵門にある戸嶋靖昌記念館からの展覧会の案内状であり、その記念館が刊行している冊子「ARTIS」が届いた時である。…郵便受けに届いていると、まるで私宛に届いた果たし状か挑戦状のような気配が既にしてそこから伝わって来る。

……「戸嶋靖昌記念館」…館長の執行草舟さんは、実業家、啓蒙家であると共にまた数多の著作を執筆刊行している人であるが、美術作品や書などの収集も精力的にされており、現在の収蔵品は既に数千点を超えており、今なおその作品数は増え続けている。…ちなみに私のオブジェや銅版画も多数そのコレクションの中に入っている。…昨年、この美術館の数多ある収蔵品の中から選抜してスペイン大使館で『禅と美』と題する展覧会が開催されたが、その企画の切り口の鋭さを感受した人々が会場を訪れて連日賑わいを呈していた。…前述したが、発信するという事は知と美の揺さぶりであり、この展覧会はそれを具現化した一例なのである。

 

 

…執行さんは「美とは、部分の調和によって成り立つ。それは、目に見えるものと見えないものとの間にある」というダ・ヴィンチが遺した言葉を知る人であり、その見えないものの深部迄も直観で感受出来る人なのだと、私は時おり感じることがある。

 

田中昇 「イタリア風景」1971年制作

…今、この戸嶋靖昌美術館では『イタリアの響き』というテ-マで、40代で夭折した画家・田中昇展を11月30日迄開催中である。…デュ-ラ-ゲ-テは烈々たる過剰な光を精神に受容せんとして希求するようにイタリアへと赴いたが、田中の描いたイタリアには、私達が知るその光が無く、むしろ謎めいた静寂を帯びていて、遺された画面には、ミステリアスな一人称めいた韻が静かに流れているのである。…

 

 

 

…さて、前述したが、この美術館では冊子「ARTIS」を刊行している。それは僅か10頁前後の薄い冊子であるが、その内容の知的密度には無尽蔵な深みと緊張があって、私は毎回送られてくるのを待ち遠しくしているのである。内容は主席学芸員の安倍三﨑さんから執行さんへのインタビュ-が主であるが、10代にして三島由紀夫や小林秀雄と対話して鍛えて来た人だけに直観の鋭さと知性の洗練が深みを帯びていて、その文章を読む事それ自体が私達に突きつけられた挑戦状であり、美的享受ともなっている。また安倍さんが執筆している巻頭の〈一点を追う〉、自由企画の〈いま、ここで〉は、9月号では田中昇さんの作品への詩的抒情に充ちた文章が綴られ、次回、10月1日から刊行配布される「持続する思考」特集号では、私のオブジェについての論考が掲載される予定である。

 

 

 

 

…………さて、最後に大事なお知らせを。…隔月毎に刊行されているこの「ARTIS」。希望される方には無料で送られてくるので、ぜひ読んで頂きたいと思っている。
申し込み方法は、①戸嶋靖昌記念館直通の電話番号03-3511-8162か、②主席学芸員の安倍三﨑さんのアドレス-abemi@biotec1984.co.jpに、お名前・ご住所・お電話番号を連絡すれば、次回、拙作のオブジェへの論考が掲載されている号から、無料で隔月毎に送られてくるので、ぜひのご愛読をお勧めする次第である。

 

 

……………さていよいよ、10月2日からの高島屋での個展『狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ』展が近づいて来た。出品総数65点。…今回は私の感性にいつしか呪縛的に入り込んでいる螺旋という構造が放つ狂いのオブセッションから、美を立ち上げるという試みである。全作品に私の神経が放射されており、深く突き刺さっているという手応えが強くある。今月末のブログにはそれについて書く予定。…乞うご期待である。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『台風直下に登場する宮沢賢治』

…かつて死者3000人以上を出した伊勢湾台風に匹敵する強烈な台風が発生し、九州地方で猛威を奮った後で、今、東へと向かっている。…このブログを書いている時点で、ようやく台風は熱帯低気圧に変わったが、これから関東にやってくる為、まだ大量の雨の心配が残っている。…止まらない海水温度の更なる上昇は、来年以降、前代未聞の破壊力を持った台風へといよいよその狂暴さを増していく事は必至である。…(ここはヴェネツィアか⁉)と映るほどに、特に東日本は水都(いや廃都)と化し、車が水に漬かっている光景が、もはや日常的になって来た。

 

山は常に大量の水を孕んでいるので、今や何れの山も、実質は砂山のように脆い。特に、山を真後ろに背負って暮らしている人々にとっては、梅雨から秋まではメメント・モリの心境ではあるまいか。

 

人類におけるカタストロフ(悲劇的な破局)が、遠くから次第に、うっすらと視えて来てでもいるような…………

 

 

…話は変わるが、少し前に親しい知人の方から、私の書いたいわゆる直筆原稿なる物がオ-クションに出品されているという事を教えて頂いた事があった。…寝耳に水の事で早速ネットを開いたら、確かに私の書いた原稿が、入手した誰かによって出品されていた。…それも原稿3枚で3万円の高値であった。競売でこれから更に上がっていく気配で、私は驚いた。原稿が高値で流通しているという話は小説家ではよく聞くが、美術家では例がない。

 

…小説家の直筆原稿で一番高いのは、漱石樋口一葉を筆頭に、三島由紀夫もかなり高い。…私の価格のクラスでは、色紙の北原白秋がやや近いか。……その話を友人に話したら嬉しそうに喜んでいる。彼が持っている私の年賀状や手紙に未来を託してでもいるのだろうか。…しかし当人の私としては疑念が残って気持ちが悪い。…ネットで視た私の原稿は30年以上前に書いた原稿で、老舗書店の丸善から刊行しているお堅い冊子に書いたものであったと記憶する。確か英文学者の高山宏氏からの依頼で書いた原稿で、その号には荒俣宏氏ほか何名かの方も書いていた記憶があった。

 

…(何故、その原稿が流れてオ-クションに出ているのであろうか??)…流して売ったのは誰か!?まさかとは思うが、消去法で考えていくと、忽ち一人の人間に辿り着いた。丸善の当時の編集者である事は間違いがない。…そう思うと、その痩せた小柄な編集者の顔や姿がありありと浮かんで来た。…当時私はシェイクスピアに関心があったので彼にその話をしたら、頼んでもいないのに直ぐに分厚いシェイクスピア学会の大事な名簿のコピ-を送って来た事があった。(この人物、ちょっとバランスを欠いているな)…そういう印象を、その編集者に持った事が思い出されて来た。…

 

高山宏氏から自由に書いてほしいと言われたので、私は宮沢賢治と、アッサンブラ-ジュの先駆者として知られるジョゼフ・コ-ネルに共通する試論のような事をその原稿に書いた。……宗教を信仰するという事は、ある意味、他力本願の要素があるので、自力を持って道を切り開く事を旨とする表現者とは道が違うと思われる。少なくとも私自身はそう思っている。…しかし客観的に考えてみると、私の知る限りでは、二人の表現者が宗教の教義を背景にして創作活動をしていたな!…という共通点が見えてきた。…それが宮沢賢治でありコ-ネルなのである。私はその事をその原稿に書いた覚えがある。…

 

周知のように宮沢賢治は法華経との出逢いにより、あの特異な宇宙観を自らの物とした。…一方のコ-ネルが信じた宗教はクリスチャン・サイエンスというキリスト教系の新宗教で、世界は、つまりはイリュ-ジョン(幻影)であるという考えである。なるほど、その視点から視るとコ-ネルの消え入りそうな表現世界の芯がそこには視えて来る一面がある。

 

 

…ちなみに拙著『美の侵犯-蕪村X西洋美術』(求龍堂刊)でもその事が出て来て、更にミステリアスなコ-ネルの震撼すべき姿へと話は発展して書いているので、ご興味があり、まだ未読の方は、お読み頂けたら有り難い。

 

…今年の始め頃から何故か宮沢賢治の事が度々気になって仕方がない。文芸史の域を超越した彼の表現世界の特異さに関心がやたらに行くのである。…私が何か或る事を強く思っていると、向こうからそれがやってくるという事は度々あるが、今回もそういう事が起きた。横浜高島屋美術部の荒木さんから、宮沢賢治を主題とした展覧会を今秋(10月9日から14日まで)開催するので、という出品依頼が届いたのである。

 

…私は秋(10月2日から)の日本橋高島屋の個展と、11月29日からの名古屋画廊への出品予定があるが、宮沢賢治ならば話は別とばかりに、6月に宮沢賢治作品への想いを具現化した一点の作品を作り、その作品に『幾何学に封印された銀河鉄道の幻の軌跡』というタイトルを付けた。…すると先日、荒木さんから自作に寄せた文章を書いて欲しいというメールが来たので、私はそれを一気に書いた。今回のブログはそれを掲載して終わろうと思う。

 

 

「『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニと、親友のカムパネルラとの薄雪の結晶のような透視的なまでの詩的叙述の旅。

……賢治の特異な宇宙観や自然界との強い交感力は、現実の世界とは異なる位相への同化を希求してはじめて獲得出来た、云わば自己放棄ゆえの精神的な達成であった。

……本作品『幾何学に封印された銀河鉄道の幻の軌跡』は、その詩的結晶に迫る試み、…語り得ぬゆえの、オブジェに秘めた硬質な試みである。」

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

「…果たしてその時、エアコンは動いていたのか!?」

…私の美大の後輩でS君というのがいる。普段は実家のある岡山に住んでいるのだが、たまに上京してくるので、その時は私の好きな哀愁漂う浅草で会って食事をしたりする、まぁ長い付き合いの友人の一人である。

 

先月、S君が久しぶりに上京したので浅草で会って話をした。すると驚く事を語りだした。何と、昼夜、温度差がなく暑い熱波地獄の中、彼はエアコンの無い部屋で暮らし、夜は寝ているのだと言う。「熱中症で間違いなく死ぬぞ‼」…私がそう言うと、彼が語ったのは、信じがたい身内の事情の話であった。…昔はイラストレーターで稼ぎもあったが、パソコン技術の進化で仕事が激減し、やむなく故郷の岡山に帰り、今は兄夫婦の家で食事を食べさせてもらい、悲しいかな居候をさせてもらっているのだと言う。しかも今、彼は無職なのだと言う。(そういえば、別な友人のイラストレーターも職代えしているので、今、その方面の仕事はなかなか難しいらしい。)…そういう前途の見込みが薄い居候の弱い立場なので、言われるままにエアコンのない部屋で一人で暮らしているのだという。

 

(何という気弱な話である事か。)一度エアコンを…と兄夫婦に頼んだらしいが金が無いという理由で相手にされなかったという。……双方とも根本的な事が欠けている情けない話に唖然としたが、「エアコンの有る無しは別問題だよ、もう一回言うが、間違いなく熱中症で死ぬぞ‼」…と、別れ際に私がそう言うと、彼は哀しい顔を浮かべ、隅田川河岸の吾妻橋の方へと消えていった。

 

……「大丈夫だろうか?」さすがに心配になり、先日電話をしたら、果たして明け方に軽い熱中症になったらしく、体がぐったりして気持ちが悪い…と言って、力なく電話が切れた。

 

なんとも「悲惨物語」を地でいく話であるが、どうもその後の事が気になって仕方がない。……エアコンが唯一の生命線となった現在、それを使わずに亡くなっている人が次々と病院に運ばれて、毎日たくさんの人が亡くなっているのは周知の事実。…そう思っていると、足下にク-ラ-の風のようなのがひんやりと流れて来たと思った瞬間、ある疑念のような仮説が卒然と湧いて来た。

 

 

……兄夫婦が何故、そこそこの出費で何とか買えるであろうエアコンを弟のS君の部屋に設置しないのか?…今やかなりの確率で死へと至らしめるこの危険な状況を何故、兄夫婦は持続しているのか。…高い確率でS君は今や死線にいる事は間違いない。

 

…仮にS君が熱中症で亡くなったと仮定しよう。すると、もしそこに高額の生命保険がかけられていたとしたら、さぁどうだろう。…保険金詐欺、その多くが事故死に見せかけて使うのはトリカブトや、大量の風邪薬を摂取させたりする犯罪である。しかし司法解剖によって、そのほとんどが露見し、ことごとく逮捕されている。しかし、…毎日たくさんの人が、(特にエアコンを嫌う老人などが)熱中症で病院に運ばれて亡くなっていて、もはやその死が日常の中に紛れ込んでいる現状の今。熱中症はもちろん掛け金というリスクはあるが、かなり高い確率で死へと至らしめられる、何処にも証拠なしの合法という隠れ蓑を被った不気味なものへと一変しよう。……私の考え過ぎならいいが、しかしS君は今もなお死線の日々を送っている事は間違いがない。

 

 

…読者諸兄をはじめ、人は私のこの考えを突飛な妄想として一笑に伏すであろうか。…しかし実はこのような疑念(或る確率をもって死へと至らしめる犯罪の可能性)を題材として一篇の小説に仕上げた先人がいるのである。…大谷崎と評された文豪・谷崎潤一郎である。

 

…大正九年に発表した『途上』という小説で、彼は新しい表現を模索する中でその題材に着目し、探偵小説という形で人の心理の奥に潜む暗い闇を照射したのであった。

 

小説の中で主人公は先妻を、高い確率で死へと至らしめる様々な、しかし何処にも犯罪として他人が切り込む隙が無いような合法的な方法で試み、遂には先妻を死亡させてしまうのである。しかし主人公に疑念を抱きじわじわと追い詰めていく探偵は語る「…ちょっとお断り申しておきますが、あなたがあなたの最愛の奥さんを、あれほど度々あの自動車へお乗せになるという事は少なくとも、あなたに似合わない不注意じゃないでしょうか。一日置きに一と月の間あれで往復するとなれば、その人は三十回衝突の危険に曝される事になります。」…これに対して犯人の主人公は「けれども僕はこう考えたのです。自動車における衝突の危険と、電車における感冒伝染の危険と、どっちがプロバビリティーが多いか。……」と。

 

 

江戸川乱歩が推理小説の傑作として讃えたこの作品、実は当時の谷崎が自身の潜在的な「妻殺し」を「探偵小説」の意匠を借りて断罪した実験小説であったというから面白い。……ともあれ昔、学生の時に読んで記憶にあったその視点が、友人に迫っている今、そこに有る危機として卒然と思い出したのであろう。

 

…………今日は異常な熱波から一転して、異常に凄まじい猛威の台風が迫っている。どのみち異常な日々に変わりはなく、もはや天が割れて気象が狂い、人心は疲れきっている。………〈そうだ、〉と思い、S君に電話を入れてみた。…意外にも元気であった。S君は少なくとも今日は未だ生きている。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , | コメントは受け付けていません。

「火炎地獄の夏は、ひんやりとした話を…」

①…ふと思うのだが、今の時代、もしこんな猛暑の中にク-ラーが無かったら、熱中症で毎日毎晩何万人という死者が出る事はもはや間違いない。…想像するに、火葬する焼き場が足りず、積み上げられた死体の山は、中世のヒエロニムス・ボスの絵を遥かに越えて凄惨なものとなっていたであろう。

 

……火葬場といえば、私の少年時代にこんな事があった。今でこそ火葬場はまるで結婚式場のような綺麗な造りであるが、少年時代、特に田舎の火葬場といえば山の上の暗い場所にあり、湿った緑蔭に蔦が繁っていかにも何かが出るという不気味な雰囲気があった。

 

…確か8才の頃であったが、遊びに飽きた私達ガキどもは胆試しがしたくなり、火葬場を探検しに行く事にした。人家が次第になくなって来て、そこへと続く一本の坂道が私達を誘っているようであった。…先頭にいた私は、その坂道の途上で、薄い煙があがっている角状の小さな欠片が落ちているのを見つけ、それをつまんでみた。瞬間それは指にくっつくような、絡み付くような冷たさで、思わず私はそれを捨てた。…(何だろう?)…その疑問は数年後の夏に解けた。…それは蓋をする前に棺の中に入れて死体の腐敗を防ぐ為のドライアイスだったのである。

 

 

…しかし疑問は続く。…私達が来る前に通っていったであろう何台かの霊柩車。その黒い車の中に、釘打ちされて厳重に開けられない棺の中に入っている筈のドライアイスが、何故1個だけ、あろう筈がなく棺から飛び出して何故そこに落ちていたのだろうか!?そんな事がありえるのだろうか?……夏ゆえにドライアイスは死者の体をびっしりと覆うように詰められている。…私はその一片のドライアイスを通して、顔さえ知らないその死者と………。

 

 

②度々このブログでも登場して頂いている田代冨夫さん(通称・富蔵さん)は、以前にも書いたが、鉄や真鍮などで実に超絶的な細密なオブジェを作って発表している人である。…ここ数年来、私は気心の知れた富蔵さんとは頻繁にお会いしているのであるが、場所は決まって日暮里・谷中墓地近くの老舗の蕎麦屋「川むら」で食した後で、静かなカフェで過ごすのである。少年時代の話や、幽霊の話、最近は富蔵さんの不思議な体験談など話は尽きないが、先日はこういう事があった。

 

…私がその時に持っていたのは、作家の吉村昭さん(1927-2006)の「私の普段着」(新潮文庫)と題するエッセイ集であった。

 

その中に吉村さんの少年時代(昭和9年頃)に体験したトンボ捕りの話が出て来る。吉村さんの生まれ育った町は、今、私達がいるカフェや谷中墓地の近くなのである。

 

「…谷中の墓地は、トンボ捕りの格好な地で、私は、連日のように歩きまわっていた。ある日の早朝、墓地に入ると、今は焼けてない五重塔の近くに二、三名の警察官がいて、縄が張られていた。異様な雰囲気で、恐るおそる縄の張られた中をうかがってみると、墓石のかたわらの松から白いものが垂れさがっているのが見えた。白い着物を身につけた若い女性で、白い帯を松の枝にかけて、縊死している。…素足の伸びきった先端がわずかに地面にふれていて、私はトンボ捕りどころではなく、逃げるようにその場を離れた。……」

 

 

吉村さんの少年時代の話は、次に谷中墓地内に眠る徳川慶喜の墓所で、人目を避けて営まれていた男女の切迫した暗くて熱い営みの目撃談へと続くのであるが、…つまり、この墓地はかつてはエロスとタナトス(死の本能・衝動)の真剣な舞台であり、現場だったのである。

 

(………ここ谷中の墓地は桜の名所。ほとんどが桜で松の木は数本有りや無しや。…しかも五重塔(放火の為に今は塔は無い)の礎石は今もそのまま残っている)。…ここのカフェは次にお茶が出てくる。…私達は出された熱いお茶を呑みながら、殆ど同時に同じ事を考えていたらしく、それが好奇心の強い私達の目に表れていた。

 

…店を出て向かったのは、その松の木であった。…五重の塔跡に近づくや、富蔵さんが(在った!)と言って指を差した。盆栽などにも造詣が深いので植物の見分けもさすがに瞬時である。…しかし枝分かれした部分(つまり白い帯をかける場所)がかなり高い。およそ9m以上も上に在るのである。(果たしてここなのかな?)……その時、友が以前に教えてくれた知識(松の木は20年で2m伸びる)が卒然とよみがえって来た。…私達は現在から逆算して当時の枝分れの場所を推理して、およそ2m位の高さにそれが在った事を推定した。…ならば、90年前に吉村少年が目撃したそれとピタリと符合する。

 

……ここか、ここで吉村昭さんはその縊死の現場を目撃し、そういう体験の蓄積が、三島由紀夫久世光彦が評価した名作『少女磔刑』やその他の密度の濃い作品へと羽化していったのだと私は思った。

 

 

 

 

…富蔵さんと私は、その若い女性が90年前にこの松の木の下で深夜に紐を掛けるに至ったであろう、その時代の物語りについて、結論などない事を知りながらも話し合ったのであった。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

「狂った空の下で書く徒然日記-2024年・狂夏」

災害級の猛暑に、ゲリラ雷雨…。そんな中を先日、馬場駿吉さん(元・名古屋ボストン美術館館長・俳人・美術評論家)と11月29日-12月14日まで開催予定の二人展の打ち合わせの為に、名古屋画廊に行って来た。ヴェネツィアを主題に、馬場さんの俳句と私のビジュアルで切り結ぶ迷宮の幻視行の為の打ち合わせである。馬場さん、画廊の中山真一さんとの久しぶりの再会。打ち合わせは皆さんプロなので、短時間でほぼ形が見えて来た。…後は、私のヴェネツィアを主題にした作品制作が待っている。

 

その前の10月2日-21日まで、日本橋高島屋の美術画廊Xで私の個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」を開催する予定。今年の2月から新作オブジェの制作を開始して7月末でほぼ70点以上が完成した。6ケ月で70点以上という数は、1ヶ月で約12点作って来た計算になるが、その実感はまるで無い。私は作り出すと一気に集中し、没頭してしまうのである。…2.5日で1点作った計算だが、しかし上には上がいる。ゴッホは2日で1点、佐伯祐三は1日で2点から3点描いていたという証言がある。…二人とも狂死に近いが、私の場合はさて何だろう。

 

 
…そんな慌ただしい中を先日、月刊美術の編集部から電話があり、横須賀美術館で9月から開催する画家・瑛九展があるので、この機会に瑛九について書いてほしいという原稿依頼があった。…さすがに忙しくてとても無理である。…何故、瑛九論を私に依頼したのか?と訊いたら、私と同じく、画家、写真家、詩人、美術評論…と多面的に彼が先駆者として生きた事、そして瑛九と関係が深かった池田満寿夫さんと、私との関係からであるという。

 

…以前に私の写真集刊行の時に、版元の沖積舎の社主・沖山隆久さんが、印刷に入る3日前に、写真80点に各々80点の詩を入れる事を閃いたので、急きょ書いて欲しいという注文依頼があった。時間的に普通なら無理な話であるが、私は不可能といわれると燃える質である。3日で80点の詩を書き上げた。…その詩を沖山さんが気にいって私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』の刊行へと続き、また詩の分野の歴程特別賞まで受賞したのだから人生は面白い。

 

………(とても無理ですね)と最初はお断りしたのだが、今回も瑛九に関して次第に興味が湧いて来て、結局原稿を引き受ける事になり、一気に書き上げた。短い枚数なので逆に難しいのだが、誰も書き得なかった瑛九小論になったという自信はある。

 

 

…しかしそう多忙、多忙と言っていても人生はつまらない。忙中閑ありを信条とする私は、先日久しぶりに骨董市に行って来た。…今回はスコ-プ少年の異名を持つ、細密な作品を作り、このブログでも時々登場する桑原弘明君の為に行って来たのである。

 

…明治23年に建てられた異形の塔・浅草十二階の内部の部屋を、彼は細密な細工で作品として作りたいらしいのだが、外観の浅草十二階の写真は余多あるのに何故か、その塔の内部を撮した写真が一枚も存在しないのである。…先日は、その幻の写真を私が彼の為に見つけんとして出掛けていったのである。(彼とは今月末に、その浅草十二階について語り合う予定)。

 

 

………昔の家族や無名の人物写真、出征前に撮した、間もなくそれが遺影となったであろう、頭が丸刈りの青年の写真などが段ボールの中に何百、何千枚と入っている。…しかし、件の浅草十二階の内部を撮した写真など、見つかりそうな気配は全くない。

 

 

 

 

…私は、次から次と現れる知らない人達の写真を見ていて(…考えてみると、これは全部死者の肖像なのだな)…という自明の事に気づくと、炎天下ながら、背中にひんやりと来るものがあった。……そしてふと想った。…もしこの中に、紛れもない私の母親の、未だ見たことのない若い頃の写真が二枚続きで突然出て来たら、どうだろう。…そしてその横に私の全く知らない男性が仲好く笑顔で、…そしてもう1枚は、二人とも生真面目な顔で写っていたとしたら、さぁどうだろう⁉…と、まるで松本清張の小説のような事を想像したのであった。

 

 

…考えてみると、両親の歩んで来た物語りなど、実は殆んど知らないままに両親は逝き、今の私が連面と続く先祖達のあまたの物語りの偶然の一滴としてたまたま存在しているにすぎないのである。

 

 

 

 

 

 

…ここまで書いて、初めてアトリエの外で油蝉がかまびすしい声で鳴いているのに気がついた。………今は外は炎天下であるが、やがて日が落ちる頃に俄に空が暗転し、また容赦の無い雨が激しく降って来るのであろう。…

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『占星術vs信長xダ・ヴィンチ』

…かつての春夏秋冬の気象体系はもはや壊れ、抒情的な夏のイメ-ジさえももはや失せ、激しい熱波が支配する、異常な気候となって既に久しい。狂いは加速的に増して来て、今月の後半からは40度越えも視野に入って来る可能性もあるだろう。……さて、今回は前回の後編である。前回は占星術師のSさんが登場したが、今回は安倍晴明、そして次に私が登場する。

 

 

………陰陽師の安倍晴明は幼い時から既にして非凡であったという。未だ少年であった晴明が、陰陽道の師・賀茂忠行の夜行に供をしている時、前方の夜道に鬼の姿を見て忠行に異変を言うと、師は(…お前にも視えるのか‼)と言って驚き、以後は少年の晴明を特訓して天文道を伝授したという。

 

 

…ことほど左様に視え過ぎる、或いは視えてしまう人間の例として、次に私自身について話そう。

 

 

 

 

…天才舞踏家の土方巽が亡くなって数年後の話。…土方巽の夫人で舞踏家の元藤燁子さんが『土方巽とともに』という本を筑摩書房から出す事になり、その装丁者に、種村季弘さんの推薦で私が担当する事になり、土方の遺品や資料を見に宇佐美にある別宅に元藤さんと一緒に訪れた事があった。…その時の事である。

 

元藤さんが玄関を開けて薄暗い中に入った瞬間、私の頭上高く、つまりは天井の暗がりに足を掛けて平蜘蛛のように這いつくばるような姿勢で鋭く突き刺すように私を見ている男の視線を私は敏感に感じ取ったのであった。男は間違いなく土方巽だと直感した。…直後、土方に心酔してこの家の遺品を守っている弟子の青年が奥から現れた。…元藤さんが私を紹介した時に私は青年にこう言った。「ここ、出るでしょ!!」と。…青年はよくぞ訊いてくれたとばかりにこう言った。「毎晩です。夜半になると決まって、この長い廊下を、もの凄い奇声をあげながら一瞬で駆け抜けていくのです‼」と。元藤さんはと見ると、この動じない人は既にこの現象を青年から聞いているようであった。

 

…その日の私は特に視えすぎるようであった。…奥の部屋で、土方巽の為に書いた三島由紀夫寺山修司たちの直筆の原稿を見せてもらっていると、ふと机の下に厚紙で包んであった分厚い物が見えた。私にはそれが何であるかが直感的にすぐ視えた。「鎌鼬(かまいたち)ですね」と私が一言言うと、元藤さんは低い声で(良かったら1冊持っていっていいわよ)と言ったので、遠慮なく頂いた。

 

 

 

 

 

…「鎌鼬」…土方巽を被写体とした、写真家・細江英公の代表的な写真集であり、三島由紀夫を被写体とした『薔薇刑』と共に、この国の写真集を代表する名作である。私が頂いた初版本は当時250万円くらいの評価があった。

 

…後日、細江英公さんにお会いした時に、金のサインペンで署名をして頂いたその写真集はアトリエの中に今もある。…これに絡めて面白い話があった。…澁澤龍彦三周忌の際に挨拶に立った詩人の吉岡実さんがこう言った。「澁澤の魂(霊)は見事に昇天しました。…しかし土方巽の霊は今もこの地上をさ迷っています」と。…また別な時に、美術家の加納光於さんと、横浜山手のカフェで話をしている時に、私が体験する、あまりにもたくさんの、もはや超常現象としか言えない話をすると、加納さんは静かにこう言った。「あなたが、そういう人である事は、最初にお会いした時から私は気づいていました」と。

 

 

…占星術、陰陽道、易学、果ては人相学に手相学と、人類の発展と共に、その道もまた歴史の変遷を歩んで来たかと思われる。…しかし知性の高い合理主義者、実証主義者達の中で名だたる人物達がこれに異義を唱えるように反論しているというのも面白い事実。先ずはダ・ヴィンチから。…彼は自筆の手稿の中で手相学についてこう反論している。「船が難破して砂浜に打ち上げられた死者達の手相を観るが良い、死者達の手相がみな違っていることを知るであろう」と。…私はダ・ヴィンチのこの短い文章を読んだ時、「確かに、実に説得力のある簡潔な喩え」だと感心したものであった。

 

…しかし、今の私は少しく違う。「この喩えは確かに巧い。しかしダ・ヴィンチは言葉だけの比喩で、本当の実証はしていない筈であるし、そこまで遭難者の死体をチェックした者は他にいない筈である。あくまでも机上の論で、現場百回を旨とする刑事の如く、手相のチェックを目的として、砂浜の死体全てをチェックして、まさかまさかの、死者達全員がほぼ似たような手相であったとしたら、…さぁどうであろう。…ダ・ヴィンチの話から一転して、これはけっこうゾッとする話にはなるまいか。

 

 

 

さて次は、中世の常識や慣例を打ち破って近代への扉を押し開いた男…織田信長である。…当時、彼ら武将は己の生年月日を敵方に知られるのを最も警戒していたという。…敵方が行う呪詛への恐怖があったからである。しかし、徹底した知的合理主義者であった信長だけは違っていた。

 

…彼はそれより、産まれた年月日、更には産まれた時間によって運命が決まってしまうという、いわゆる占星学や易学に異義を唱えたばかりか、実際に自分と同じ年月日に産まれた人間が、自分とどれくらい重なるのか、或いは全く重ならないのかを見極めるべく、兵士を総動員して安土城の城下に住まう、その人物を探しだして、城に連れて来て、実際に検分したという。…唯一無比、己を神と思っている信長の事、或いは、城に連れて来られたその男を斬殺した可能性すら、この検分した話からは見えてくる。「信長公記」にはその顛末が記されてないが、ともかく信長という男は徹底した実証主義者であった事は間違いない。

 

 

……さて、ここからは私の物書きとしての想像力が紡ぐ話であるが、これはどうだろうか。……もし…安土城下に信長と同じ年月日産まれの男が他にもう一人いて、兵士達の捜索から逃げ切り、暗夜に安土を離れて、例えば堺に行き、そのセンスの良さ、人柄の順にして忠なるを気に入られ、茶人の嶋井宗室の弟子になったとしよう。…そして…天正10年6月1日、その男は師の宗室と一緒に本能寺へと行く。…翌2日に信長主催の茶会(別名・信長の名物狩り)が開催されるのである。

 

 

…2日の早朝、本能寺の周りに水色桔梗の家紋が突如たなびき、一万以上の明智光秀の兵士が取り囲む。…師匠の嶋井宗室はその動乱の中を空海筆の「千字文」を持ち出して素早く遁走。火柱がもうもうと立つ中を光秀の兵から逃れるようにして、男は奥深い一室へと逃げ込んだ。

 

…そしてそこに視たのは、正に自刃する直前の信長の姿。…一瞬見合う、信長と男。…同年月日、同じ時間に産まれた二人の男達が磁力に引かれるようにして、そこで遭遇する…という、本能寺異聞は如何であろうか。

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『占星術vs実証主義的人間』

…横浜山手の根岸の坂を上がった所に、相模湾を眺望できるレストランがある。荒井由美(松任谷)の初期の代表曲『海を見ていた午後』の舞台となったレストラン『ドルフィン』である。その眺めのいい坂を少し下がった所に山下清澄さんという銅版画家の友人が住んでいたことがあった。ロマネスク趣味のその作品は三島由紀夫マンディアルグ寺山修司らが評価していた。

 

…ある日、彼の自宅で話をしていると山下さんがこう言った。(僕の知人で女性の占星術師がいてね、実によく当たる。なかなかの美人で確かミス慶応だったと思うけど、裕次郎から映画界入りなどの話があっても彼女は全く関心がなく、ひたすら占星術の技を究める事だけに生きているような女性でね。この世の万象に起きる事や人間各人の運命が、その人間が産まれた時の星の配列と何らかの因果関係があると確信するようになり、ひたすらその技の研鑽のみに専心して生きている不思議な女性だよ。彼女は最近、元町(横浜)の裏通りに店を出しているけど、どう?…よかったら紹介するけど、今から行かないかい?)……私は2つの日本語で返事をした。…ぜひ…と。

 

…その当時、私は横浜山下町の海岸通に住んでいたので、歩いて中華街を越えれば元町はすぐである。…(こんな近くにこんな店があったのか)…そう思って薄暗い店内に入ると件の女性(仮にSさんにする)はいた。確かにSさんは美しい人だと思ったが、それよりは一見して直感力の鋭さを内に秘めたものを私は強く感じた。その時に未だ小学生だったお嬢さんも一緒だった。Sさんはゴヤが好きだというので話が盛り上がり、やがて山下さんと私は店を出た。…後でSさんから聞いた話であるが、お嬢さんは勘が鋭いらしく私達が帰っていった後でこう言ったという。(さっき来た二人で、ママとずっとお付き合いしていくのは、あの北川さんの方よ)と。…そして事実そうなった。またSさんも、私が店内に入って来た瞬間に、普通と明らかに違う鋭い気を放っているのを感じとったという。

 

…その頃は版画をあまり作っておらず、またオブジェの妙に目覚める前だったのでかなり暇な時であった。だから日々の散歩がてらに元町のその店に度々行き、私の中学生時代に体験した(著名な俳優夫妻の幼児が、住み込みの家政婦に浴室で絞殺された事件があった時に、私は夢の中で正にその殺されていく瞬間を生々しくリアルタイムでカメラを回すように透かし視てしまった)話や、その後も思った事が現実になる予知夢を頻繁に視てしまう話などをたくさん語った。…Sさんいわく、占星術の店といっても実際に来る客は、浮気の話や相手を代わりに呪い殺してほしいという俗な依頼ばかりで全く面白くない。…だから、私が話す体験談は、本当の占星術の深みに絡んで来るので実際に面白く、具体的に勉強になるのだと話してくれた。誤解がないように云うが、占星術師といっても、皆がみな万能的に当たるのではない。医者と同じで、ほとんどの者は素人に毛が生えた程度と見て間違いないだろう。

 

…元来、直感力の鋭い人間が古代から伝えられて来た、例えば占星術の場合、カ-ドを介した透視術を更に研鑽する事で漸くその内の何人かだけが本物になっていくのである。…だから依存性の強い人間が客になった場合、占星術を商いにしている似非占星術師にとっては待ってました!の大事な客であるが、Sさんのような人はそういう客は煩わしいので殆ど避けている。……Sさんの場合、資産は潤沢にあるので、食べていく為にやっているのではなく、あくまでも稀人のような手応えのある人物の出現を期して店を開いているようである。

 

私の知人・友人は各々に独自の道を究めている個性的な人が多いので何人かを連れて行きSさんに紹介した事があった。…例えば、この国を代表する詩人の一人であるTさんを連れていった時は特に面白かった。…生年月日をTさんが言うとSさんが机上にカ-ドを並べてこう言った。(ごく最近、とても親しい人を亡くされましたね)と。…Tさんは私に小さく耳打ちし(…吉岡実さんの事だね)と言った。…西脇順三郎以後のこの国を代表する詩人の一人、吉岡実さんはつい数日前に逝去したばかりなのである。……Sさんは続けてカ-ドを読み解きながら、Tさんにこう断言した。(近いうちに大きな賞を取りますね)と。…果たして、二週間ばかりして、Tさんは賞としては一番評価の高い読売文学賞を、故・澁澤龍彦さんと共に同時受賞したのであった。

 

…私はいつも無料で視てもらうのであるが、海外に留学する文化庁の在外研修員の試験の前に開催した個展の時には、このような事があった。…個展が始まる1週間前にSさんは私に次のように助言してくれた。(作品をプリントした紙やきの写真を二枚と、作家としての詳しい履歴書を一枚用意しておいた方がいい)と。…何故なのかは訊かなかったが、ともかく私は用意して個展初日を迎えた。…初日の午後に築地の朝日新聞本社の学芸部長で美術評論家の小川正隆さん(後の富山県立近代美術館館長)が画廊にふらりと来られた。…小川さんは池田満寿夫さんを介して面識はあったが、個展の案内状は出しておらず、また画廊側も出していなかった。…何かに引かれるようにして個展に来られた小川さんはこう言った。(とてもいい個展なので文化欄で紹介したいのですが、作品を撮した紙やきはありますか?)と。私は用意していた作品の紙やきの写真を渡すと、(あぁ助かります。これがあれば直ぐに載せられます)と。…会期の後半直ぐに新聞に写真入りで大きく紹介されたので、人がたくさん来てくれて個展は盛況であった。

 

…小川さんが画廊に来られた時に(そうだ!)と思い、私はこう言った。(実は文化庁の試験に応募したいのですが、小川さんに推薦状を書いて頂く事は可能ですか?)と。…私は群れるのが嫌なので団体展の組織に入っておらず、もう一つの美術評論家連盟は、面識のあった土方定一さんや坂崎乙郎さんは既に故人の為、知己は無かったので、他に推薦状を書いてくれる人が浮かばず困っていた時に、小川さんが現れたのであった。(推薦状、もちろん書きますよ。そうだ、北川さんの経歴を書いた書類のようなものはありますか?)と。…小川さんに履歴書を渡して、間もなく推薦状が送られて来た。…画廊から去っていく小川さんを見送りながら(…そうか、Sさんが用意しておくようにと言ったのは、この事だったのか…と私は思った。

 

……そして、文化庁の留学試験日がやって来た。…版画部門のその年の倍率は確か800倍くらいであったと記憶する。…もちろん自信はあるが、受かる為に事前に裏工作とか必死で仕掛けて来る者がいるらしい。…一次、二次の書類選考を突破して最終選考は面接である。…残った40名ばかりの作家が控え室で自分の名前が順に呼ばれるのを待っている。…私は官庁内の古くて薄暗い天井をぼんやりと見ながら(まるで処刑前の赤穂浪士みたいだなぁ…)と思った。……面接員は左右に役人20名づつ。正面に審査委員長、美術評論家ほか数名の書記官がいた。…この時の美術評論家はよりによって私が最も評価していない人物であった。…よほど私はこの相手が嫌いなのであろうか、喋っている途中から怒りに似た妙な感情が沸いて来て、私は止せばいいのに、この評論家にグイグイと逆に迫った。

 

審査が終わった後で、(あぁ、やり過ぎてしまったなぁ、)と思ったが後の祭。………2週間ばかりして元町のお店に行くとSさんが含み笑いをしながら、面白そうにこう言った。(この前の面接の時、もの凄く強気で攻めていたでしょ)と。…(確かにバンバン攻めましたが、どうしてわかるのですか!?)と訊くと、その面接の時間に私の事が気になってカ-ドで視ていたのだという。……そして、Sさんは笑いながらこう言った。(来年は、北川君は日本にいないと出ているから、大丈夫、受かっているわよ)と。…半信半疑の妙に浮わついた気分のまま家に帰ると、留守電がチカチカと点いていた。…受話器を取ると、録音の声で文化庁からであった。…在外研修員に内定した事を知らせる電話であった。

 

…占星術を信じる人、信じない人、各々にいて当然である。…信じない人、そこに確とした論拠は実は無い。何故なら体験していないから(だけ)である。また依存するように過信、盲信するのも気持ちが悪い。…というより他力本願になり、その実人生に拠って立つ足場が弱くなってしまう。…ただ私のように度々不可思議な事を実体験すると、占星術、またその他にある占い云々といった概念的なものを超えて、何か不可思議な交感の法則めいた絶対律のようなものが、私達の人智や想像力を越えて存在する事は否定できないように思われるのであるが、読者諸兄はどう思われるであろうか?…想えば、無から美という有を引き出す営みとしての芸術も然り、また詩の発生する瞬間に立ち上がる瞬発力もまた何物かとの交感する発火行為に他ならない。…不可思議。…ただそれだけが残るのである。

 

…さて次回は、この占星術に真っ向から挑んだ二人の人物、織田信長とレオナルド・ダ・ヴィンチの知られざる逸話を紹介する予定。引き続きの乞うご期待である。

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律