『突然、喉が……』 

先日、スパンア―トギャラリ―のオ―ナ―の種村品麻さんと話をしていたら、実に嬉しい逸話を話してくれた。品麻さんのお父上はドイツ文学者の種村季弘さんであるが、この人の眼力は三島由紀夫も絶賛したくらい、物の本質を見極める名人である。種村さんは、美術家から依頼されて個展の序文も書かれるので、その御礼や交遊の記念にと、美術家たちは自作をプレゼントするので、種村さんのコレクションの数たるや実に多い。この点は双璧と評された澁澤龍彦さんと似ている。北鎌倉の澁澤さん宅に今に残るコレクションもやはり多くの寄贈から成り立っているのである。……その種村品麻さんいわく、「親父が自分で購入したのは、北川さんとハンス・ベルメ―ルの作品だけですよ」と。……確かに拙作の『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』は、種村さんを特集した日曜美術館でも特別に愛蔵されている感じで映像に流れた事があったが、それよりも、私が高く評価しているベルメ―ルと対である点が実に嬉しく、私は素朴に喜んだ。そして私の作品について執筆する構想を抱いておられたが、果たせず亡くなられた事の具体的な詳細を私は品麻さんからお聞きした。確かにこれほど自信の裏付けとなる心強いものはない。……しかし、喜びのすぐ後で予期せぬ悲劇が私を襲った。突然声がかすれて来て、遂には言葉が出なくなってしまったのである。品麻さんも私の急な変調を心配されたが、また出直しますよとかすれ声で云って、私は画廊を出たのであった。……度々私を襲うこの奇妙な病気、しかし遂に咽頭癌の症状が出たかと私は焦ったのである。

 

過去に確か4回はあったと思われる、この奇病。さっそくクリニックで診てもらったところ、急性咽頭炎と診断された。全治2週間は要するとの事である。タブレットで調べてみると、美輪明宏さんも患い舞台をキャンセルした由。……歌は歌わないが、喋るのが存在の証しのようによく喋る私にとって、喋れないというのは1種の死刑宣告にも似た酷がある。更にタブレットで調べてみると恐ろしい事が記してあった。この病気が悪化した場合、最悪は喉から肺に至る気道が炎症によって塞がれる為に呼吸不全で死に至るとの由。……2週間経っても快復しないので、内科から耳鼻咽喉科のクリニックに変えてみたら、ようやく改善の兆しが見えてきた。……私はそこの看護婦さんから面白い事を聞いた。声がかすれている為にどうしてもヒソヒソ声で喋るようにしてしまうが、却って声帯の筋肉を弱くしてしまい、治った後もずっと小声になってしまうので、どうしても伝えたい時には、普通の喋りで簡潔に!と教わったのである。私がそれを聞いてすぐに連想したのは、瀧口修造さんの事であった。今では、その存在は伝説と化しているが、その瀧口さんが、全く聞き取れない感じで小声で喋るのは有名な話で、先日読んだ立花隆著『武満徹・音楽創造への旅』の文中で武満さんも言及しており、かなり聴き逃した貴重な話があった由である。その小声の原因は、奥さんが小声で喋るので、それに瀧口さんが合わせている内に小声になってしまったのである。その瀧口さんの小声での囁きは、あたかも聖なる話の秘技的な伝達であるかのように今日では神話化されているが、事実は声帯の筋肉の衰弱にあったとは面白い話かと私は思う。……今では神話化して伝わっている、その瀧口修造さんが小声で話される現場に偶然遭遇した事がある。……私がまだ美大の学生であった時、銀座の西村画廊で開催中の草間彌生展に行った時に、会場に瀧口さんが座っておられて、その横に草間彌生が座って、小声で話す瀧口さんの言葉を聴き逃すまいとする真剣な姿があった。自分の存在を全く主張しない事によって逆にブラックホ―ルのような強度な存在感を放っている、その老人の姿を最初に見て、ただ者ではない事は察したが、近寄って、その老人が瀧口修造さんである事を知って私もまた緊張したのを今もありありと覚えている。瀧口さん亡き後、その周囲にいた美術家のほとんどが俗世の欲に自身を落としてしまったが、それを思うにつれ、ますます瀧口さんの存在だけがより美しく、より孤高化していく観を覚えるのは私だけではないであろう。……閑話休題、長かったこの病気も日に日に快復してきているので、オブジェの制作もまもなく加速していく事であろう。暫く休んだ分、いま猛烈な創作への意欲が湧いているのである。

 

追記:   先月、ギャラリ―・サンカイビでの個展の時に、私はコレクタ―の土手秀人さんから実に貴重で興味深い贈り物を頂いた。……生前に瀧口さんが愛蔵されていた古い皿である。瀧口さんが亡くなられた後に、瀧口さんのコレクションの整理に関わった骨董商から土手さんへと渡り、そして縁あって私のアトリエに漂着したという次第である。青い絵具で一気に描かれたとおぼしき植物の線が部分的に滲んで妙味があるが、日本の器とは絞りきれない情趣があって面白い。推測するに、その器を諒とした感性を想えば、小林秀雄、永井龍男、堀辰雄、中原中也達と関わりのあった「山繭」の時代に入手した器かと思われる。…………また、画廊の視点から現代の美術の分野を牽引し、今では伝説的な画廊となった佐谷画廊の佐谷和彦さんは長年『オマ―ジュ瀧口修造』展を企画して、タピエス、デュシャン、そして、武満徹さんや駒井哲郎さん達が関わった実験工房と瀧口さんとの関連を軸に展覧会を毎年開催して来られたが、そのオマ―ジュ瀧口修造展の最後の作家として考えていたのが私の個展であった。私は佐谷さんからその企画構想がある事を打ち明けられた時は、荷が重いです、と語ったが、佐谷さんがやって来られた展覧会の唯一無二なレベルの高さを思えば、私は佐谷さんが抱かれた私への評価を素直に受け取って、以後の表現活動に鞭打つ覚悟である。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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