『ダリオ館の怪―in Venezia』

今回は、前回の京都の話から一転してヴェネツィアの話。かの地に現在も進行中の或る館にまつわる怪異譚の話である。……その館の名はダリオ館(Palazzo Dalio―1479年に商人のジョヴァンニ・ダリオが娘の婚資の為に建立)。アカデミア橋を渡り、グッゲンハイム美術館に向かう途中の大運河沿いにある館で、多色の大理石を使った円盤の目立つ造りが運河に面し、半ゴチック、半ルネサンス様式の一目でそれとわかる特徴的な作りである。

 

(その外観と内部の画像を掲載しよう。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今までに5回ヴェネツィアを訪れているが、そのダリオ館の名とそこにまつわる奇怪な話を知ったのは3回目・2002年の時であった。……後に刊行する事になる拙著『「モナリザ」ミステリ―』(新潮社刊)のダ・ヴィンチの足跡を実際に辿る為に先ずはロ―マから北上し、フィレンツェ・ミラノ・そしてパリへと至る取材の旅の途次にヴェネツィアに立ち寄ったのである。……季節は春であった。私はこの地に在住している建築家のS氏と会うため、サンマルコ広場にある「Cafe.Florian」で待ち合わせて、夕刻にゴンドラに乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴンドラは、私が部屋をとってあるアカデミア橋河岸沿いのウェスティン ヨーロッパ &レジ―ナの側にある船着場から出発し、ゴンドリエ―レ(船頭)の巧みな漕ぎによって、忽ち私たちは大運河の中心へと滑り出た。すると突然、彼は漕ぐのを止めて対岸にある一軒の古い館を私たちに指差した。……それがダリオ館との出会いであった。S氏の通訳によると、その館では、創建時から悲劇が起こり、ダリオの娘の結婚相手が刃物で刺殺され、悲嘆した娘は館内で自殺。二人の息子も強盗によって殺された。その後も、私が好きなフランスの詩人アンリ・ド・レニエはダリオ館の伯爵夫人から館に招待されるも重病にかかりヴェネツィアを去るが、その際に「館には何故か異様に巨大な鏡と時計があった」「深夜に人の呟くような声がした」と語っている。その後、館の所有者となった大富豪の愛人が自殺。

 

 

有名なテノ―ル歌手がダリオ館を買う契約書に署名の為にヴェネツィアに行く途中で車の事故で重傷。その後はトリノの伯爵が館の庭で刺殺される。……有名なロックバンド「ザ・フ―」のマネジャ―はダリオ館滞在中に麻薬にのめり込み後に逮捕・破産。しかしまだそれまでは軽かったかもしれない。その後は所有者が次々とこの館で動機不明の自殺が続く。……私が最初にヴェネツィアに滞在していた時はまだ存命だった所有者は、その2年後にピストル自殺。

 

 

……私がゴンドリエ―レから話を聞いた時、彼は心配気に「今は、ウッディ・アレンがダリオ館購入に乗り気だ」という。そしてこう付け加えた。「彼は間違いなく死ぬだろう!!」と。……それを聞いた私は「館に忍び込んで自殺者が続く原因を調べてみたいものだね」と軽く口にした。「止めておけ!!」その言葉を塞ぐようにゴンドリエ―レの鋭い言葉が返ってきた。……その後、ウッディ・アレンはまわりの忠告を聞いて購入を断念したという話が後日に入って来た。

 

 

……しかし、と私は思う。しかし、私の場合になぜ、このゴンドリエ―レのように暗く思い詰めたような、つまりは面白い人物に出逢うのであろうか?……謎をこよなく愛する私の何かが呼んでいるのでもあろうか?……実際、このゴンドリエ―レは私が「もっとダリオ館の近くまで寄っていってほしい」という希望を受けて、ゴンドラを館の傍に滑るように寄せてくれたのであるが、この大運河に浮かんでいる観光客を乗せた他のたくさんのゴンドラからは陽気なカンツォーネが明るく高らかに流れているのであった。

 

 

……「止めておけ!!」、私の言葉を塞ぐようにゴンドリエ―レはそう忠告した。しかし、私の中では次第にダリオ館への興味が膨らんで行き、4回目の撮影では無人と化していた館の裏側から近づき、5回目にヴェネツィアを訪れた時は、本気でダリオ館の塀を登って館の庭に侵入する気で、暗がりの中を近づいた。すると、意外にも館内に灯りがともっていた。そして館には、現在の管理をしている会社名「オリベッティ社(タイプライタ―の創業社)」のプレ―トが闇の中でうっすらと見えたのであった。……この体験は私をして創作のイメ―ジとなって閃き、『ヴェネツィアの春雷』という連作となり、コラ―ジュ、オブジェにそれは結び付いていった。そして昨年に刊行した第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』所収にも『ヴェネツィアの春雷』というタイトルで登場する事となった。

 

 

 

『ヴェネツィアの春雷』

「水のメランコリ―が元凶ならば/並びの人はみなラグ―ナに沈む/ビザンツの黄金/ヴェネツィアの伝承を徒然として/

 

夜の一人称が元凶ならば/ダリオは/タイプライタ―が打たれる前に/引き金を引く/打つ音の前に自らを撃つ/灰にしてその人も沈む/

 

〈巨大な時計〉〈深夜の呟き〉/………………………………/レニエのきれぎれの言葉は/迷宮に引き込む雅語の葬列/方位を狂わす図法という叙述/

 

〈狂わされたのか〉或いは〈狂ったのか〉/韻は韻のままに雅びを孕んで/アドリアの海に/一条の銀が走る。/

 

 

 

 

 

 

 

……今までのブログでも書いて来たが、私は津山三十人殺しの現場に行き、また八王子の山中で起きた立教大学女子大生殺人事件でも現場に行き(私と大人数の警視庁が現場に入ったのはまさに同日であった)、また版画家・藤牧義夫が突然、その姿を消した最後の現場(向島・小梅)にも赴いてその謎を詰めて推理し、またその他にも虚構ではない実際に起きた現場に度々訪れ、……そして、上野の芸大の写真センタ―内では、深夜に研究室で頭から寝袋に入って寝ている時に、私の周りを、明らかに軍隊の陸軍が履く革靴の硬い音が響き、私が寝袋から顔を出した瞬間にそれは消えた、……などの、……つまりは土地の記憶、場の地霊か何ものかが成したとしか思えない不穏な事件現場に向かうのであるが、思うに、この世とかの世が地続きであるような交感の場に惹かれる傾向が異常なまでに私は強いのであろう。簡単に言えば不穏なものへの好奇心、大人になり損ねた子供と言えば足りるか。……こういう間に、よく数々の作品を作ったり、詩や文章の執筆が出来るものだと我ながら可笑しくなってしまう時がある。

 

……さて、今回のダリオ館の話。次回、ヴェネツィアを訪れた時はどのようにしてダリオ館に入ろうかと日々の思案が続いている。今までも非公開の場所を様々な秘策を練って突破して来ただけに、難題な程、私は異常に燃えるのである。ダリオ館の並びはベギ―グッゲンハイム美術館などの豪奢な館が並び、その一つの館の購入相場がだいたい200億はするという。……しかし、最近驚くべき話が飛び込んで来た。……オリベッティ社が手放したのか知らないが、このダリオ館という物件、あまりに不吉だというので買手がつかなかったのであるが、最近買手が現れ、何とたった12億円(10分の1以下の価格!!)で購入したという。……たった12億!……ならば何とかならなかったのかと自分を責めてみる。そして思う。……無理だったと。

 

しかも、面白い話が飛び込んで来た。……このブログを書く為にふとダリオ館の〈現在〉を調べたら、何と、次第に知れ渡って来たダリオ館の話に興味を持つ人が増えて来たらしく、事前に申し込めばツア―でこの館に入れる事が可能になったのである。しかし、たったの15分だけであるという。……たいていの見学者はそれで満足するかもしれない。しかし、私が考えているのはダリオ館に泊まり、かつてレニエが聞いたという深夜の呟きを聞き、巨大な鏡や時計を見、やがて私に近づいてくるであろう危うい気配を静かに待ち、その妖しい〈気〉と対峙しながら、どっぷりとその〈気〉を体感し、どうしても、この館の謎を理詰めで解き明かしたいのである。……たとえ相討ちで私が亡くなったとしても……。一説によると、ダリオ館の前にその場所は、墓地であったという。

 

原因を解くには、その場所の古い歴史から先ずは探っていく必要があるであろう。……ダリオ館と私。……この関係はしばらく続いていきそうである。……あの時に偶然(本当に偶然だったのか!?)出逢ってしまった、まるで何かへの導きの為に、或いは私を待ち受けていたかもしれない、あの時のゴンドリエ―レに感謝を覚えながら。

 

 

 

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