『10月からの個展を前に……』

……先日、竹橋の東京国立近代美術館で開催中の『ガゥディとサグラダ・ファミリア展』を観に行った。行って驚いた。まるで祇園祭かと想う程の人、人、人の入場者数である。その中をぬってガゥディの脳髄の中に入るようにして、彼の奇想にして、表現の原質とも言えるものに再会する。……再会というのは、以前30年前にバルセロナに一時住んでいた時に、ガゥディの数々の作品に直に触れていたからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………そのガゥディについては、拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)に、私の体験談も含めて詳しく書いているので未読の方はご一読頂ければ有り難い。その中でガゥディと、当時未だ幼かったダリが実際に出逢っていたという、ほとんど知られていない奇跡的な逸話が入っていて、読まれた方はかなり衝撃を覚えられたようである。

………(閑話休題)、…………私がバルセロナにいた時には未だ建設途中であった(当時の画像掲載)が、そのサグラダ・ファミリア贖罪聖堂がまもなく完成との事。…………かなり以前のブログでも書いたが、ガゥディ亡き後、日本人の主導者によって建設は進められたが、彼が語ったという「故人の意志を継ぐ」という一見美しい響きを持った言葉には、しかし絶対的な無理がある。言葉を変えて、故人➡ガゥディ➡天才に言葉を入れ換えてみると、天才にあらざる者が「天才の意志(つまり才も含めて)を継ぐ」になる。

 

……ダ・ヴィンチの作品は未完成の作品が何点かあるが、例えばダ・ヴィンチの『聖ヒエロニムス』の未完成の部分に「故人の意志を継ぐ」と言って、誰が筆を入れる事など可能であろうか。理屈はそれと同じである。

 

……だからガゥディの凄さを体感したいならば、私はお薦めしたいのだが、真正面(ガゥディの手になったファサ―ド部分)の下から仰ぎ視るに限る。すると頭上からは魔的にして荘厳な雫がアニマのように容赦なく降り注いで来るのを体感出来るのであるが、間違っても聖堂の裏側には廻って視ない事をお勧めしたい。……残酷なまでの生な現実を目にしてしまうからである。

 

……しかし、サグラダ・ファミリア贖罪聖堂はまもなく完成するという。……ダ・ヴィンチの未完成の絵と同じく、未完成のままで良いと私は思っている。……「完成」……!?……相手が突出した天才である場合、そこにいかほどの意味があるのであろうか。

 

 

……ガゥディ展を観ながら、私は30年前のその街で過ごした時間を思い出していた。オリンピック前の未だ善きバルセロナ、最期のバルセロナの暗き闇と、眩い地中海を映した光との深い明暗が未だそこにあったと思う。…………さて、そのバルセロナという地名であるが、その語源についての洒落た面白い解釈があるのをご存知であろうか?

 

……バルセロナは三つの言葉で出来ているという。すなわち、①bar(酒場)②Cielo (空)③mar(海)……この三つを繋げると、Un bar flotande entre el cielo y el marとなり、訳すと「空と海の間に浮かぶ酒場」になり、それがバルセロナという地名の語源なのだという説があるが、私はそれを洒落た発想ゆえにたいそう気にいっているのである。(……一説にはカルタゴの名家バルカ家の領土であった事から来ているという説が有力であるが)。……「空と海の間に浮かぶ酒場」、……人生まことに一酔の夢と視れば、生きる事と酩酊は同義語とも映るのである。……さてこのガゥディ展は、しかし充実した展示で見応えがあり、私は多くの友人達に観る事を勧めたのであった。これは私にはめずらしい事である。

 

 

……私の最初の銅版画集、写真集、そして第一詩集を出版社側の企画で刊行して頂いた、沖積舎の沖山隆久さんから先日、突然お電話があり、沖山さん所有の二十点以上の李朝の掛け軸の中から、私が一番気にいったのを一点プレゼントして頂けるという願ってもないお話を頂いた。……こういう時は動くのが私は早い。さっそく神田神保町にある沖積舎に行き、深みと品格のある、鳥と古園を画いた一点を速決で選んだ。

 

 

 

……その後で、沖山さん所有のコレクション(三島由紀夫、西脇順三郎、江戸川乱歩などの書、ルオ―の名品ミゼレ―レ他無数)を次々に視ていたら、あまりの驚きでアッ!!という声を出してしまった。……私が30年も前から探していた月岡芳年の有名な残虐絵(版画)を見つけてしまったのである。

 

……私は前に、芳年の代表作―『英名二十八衆句』をシリ―ズの内から二点持っているが、その内容の残虐性、そのエロティシズムの深さ故に、さすがに画像を未だ今はブログでお伝え出来ないのは残念であるが、その作品は三島由紀夫、江戸川乱歩、芥川龍之介他も入手出来なかった名品であり、私はずっとその作品を探していたのであった。

 

……その事を話し、芳年の作品中でも名品中の名品で市場に全く出て来ないその一点(もし市場に出れば、40万円以上はするであろう)を、私の旧作の銅版画一点と交換トレ―ドを申し込むと、あっさりと了解されたのには驚いた。感謝の一語しかなく、有り難い話である。今、その芳年は我がアトリエに在り、その必然とも云える、想いの一念は岩をも砕くの言葉を噛み締めているのである。

 

 

日本橋高島屋本店6階のギャラリ―Xで、今秋10月11日から10月末日迄開催予定の個展(『幻の廻廊―Saint.Michelの幾何学の夜に』)の為の制作が大詰めであるが、以前から法政大学出版局から依頼されていた原稿(主題は『記憶と芸術』)執筆の締切日が八月末なので、大急ぎで30枚近くを書いて、私の作品画像と一緒に編集部の人に渡した。この本は年末に刊行予定であるが、共著なので、美学の谷川渥さん、前橋文学館館長の萩原朔美さん他15名から成る本である。

 

 

私が書いた原稿のタイトルは『記憶と芸術―二重螺旋の詩学』である。……ただ、この本の企画が面白いと言われ、途中から執筆者に加わられた海野弘さん(幅広い執筆活動で知られる評論家で作家)が4月に虚血性心不全で急逝されたのは本当に残念である。………………果たしていつが自分の最期になるのか、誠に人生とは一酔の夢、……せめて能う限り美しい幻を紡いでいたいものだと思う、昨今である。

 

 

 

 

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