異界からの参入

制作に疲れた時は読書に限る。そういうわけで、最近読んでいるのは主に、岡本綺堂や内田百閒といった作家たちの怪談物である。岡本の「影を踏まれた女」「一本足の女」等々、そして内田の「冥途」「件」「サラサーテの盤」等々。彼ら名人の筆で立ち上がった異界の様はリアルで、私たちの感覚の琴線を揺さぶり、底無しの恐怖に包んだ後に名状し難い郷愁へと運び去ってくれる。

 

先日は、内田百閒の「蜥蜴(とかげ)」を読んだ。「・・・私は時々女の手を握って見た。女の手はつるつるしていて、手触りが冷たくて、握って見ると底の方が温かかった。・・・」という描写があるこの小説は、蜥蜴が妖しい女に化身した話である。私はイメージ過多の人間なのか、小説の中に入ってしまい、その中に登場するものが、異界から現実に虚構の皮膜を破って参入してくる事がある。「蜥蜴」を読んだ翌日、アトリエへと続く坂道を上がって行くと、その途中で奇妙な光景を見た。二匹の蜥蜴が死闘している最中なのである。しかし、近寄った私を見て二匹は共に仮死を装ったまま全く動こうとしない。面白いと思った私はアトリエから定規を持って来て、ズシリと重い二匹の蜥蜴をひっくり返した。生白い腹部が熱い陽光を浴びて、妙に官能的で艶っぽい。

 

見ると、一匹の蜥蜴は尾の先端を自らが寸断し、その弱い方の腹部を、対の蜥蜴の口が深々と噛んでいる。すると瞬間に連想が立ち、何故かそれが、アナーキストの大杉栄と伊藤野枝の性愛図に見えて来た。葉山の日陰茶屋で大杉を刺した神近市子ではなく、伊藤であるのは勿論、私の趣味に拠る。私の視線は、トンボの羽を無邪気にむしり取る少年の残酷なイノセントへと移って行く。しかし少年は転じて、一人の憲兵大尉、甘粕正彦の冷酷な視線へと変わる。このあたりの目まぐるしい連想は、まるで丸尾末広のそれである。・・・・・私がいつまでも見つめていると、二匹の蜥蜴はさすがに飽きたのか仮死の演技を止め、新橋演舞場の楽屋から帰宅を急ぐ役者のように、西と東へと各々が去って行ったのであった。− そういう訳で、以下にお見せするのは、その時に撮った蜥蜴の死闘図である。めったに見られないこの姿、「待ち受け画面」として使っていただければなお嬉しい。

 

 

 

 

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