『タイムスリップの現場』

長い間、気になっていた事があった。いや、個展のことではなくて・・・・赤穂事件(1702年)の事である。赤穂浪士たちが吉良邸に討入るには、町中に設置してある幾つもの木戸門を通らなくてはいけない。火事場装束を装って木戸門の番人をだまして通過したというが、実際は私たちがイメージしているあのような装いでは無かった。あれは、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の衣装である。討入り時には既に軍資金も底を尽き、浪士たちは腕に白い布を巻いて味方の証としたのが真相であった。

 

では何故、彼らはスムーズに吉良邸に辿り着けたのか!?私は以前にもこのコラムで書いたが、それはおそらく水路を舟で行き吉良邸近くの河岸から一気に上陸したのではなかったか・・・・という推理をしていた。一種の奇襲戦法である。23日まで個展を開催中の森岡書店の裏には亀島川という川があり、そのすぐ近くの道が、悲願達成後に浪士たちが泉岳寺へ向かった道である事は既に知っていた。しかし今回の個展の前日に展示が終わり、近くを散歩していたら、すぐ近くに巨大な石碑があるのが目に入った。近づいて見ると、それは「堀部安兵衛」の住居跡を示すものであった。それが亀島川の河岸に接して在る。・・・・そう云えば、赤穂浪士たちは確か三カ所くらいに分かれて各々の場所から出発し、吉良邸近くで集合したと聞く。しかもその一カ所は堀部安兵衛宅がそうであったと聞く。

 

・・・・とすると、私が立っているこの場所から亀島川を舟で行き、吉良邸へ・・・・。その可能性は高い。そう考えると、夜陰に乗じて水路を行く浪士たちの緊張がリアルに伝わって来る。個展を開催している井上ビルは昭和2年築のレトロな建物で、不思議な趣に充ちているが、それを超えて江戸時代までタイムスリップ出来る空間がこの土地にはある。森岡書店の窓からは眼下にその亀島川の流れが見えて心地よい。昭和が見える。大正が見える。明治が見える。・・・・そしてこの窓からは江戸時代までが透かし見えるのである。

 

森岡書店の店主、森岡督行氏は神保町の一誠堂書店を経て、ここに七年前に森岡書店を開いた。半分はプラハなどから入って来た貴重な写真集や画集が並び、半分はギャラリーである。唯、企画の私の場合だけ、全てがギャラリーへと変貌する。私がここで個展を企画してもらうのは今回で連続四回目である。画廊と違って客層は三十代が最も多い。そして彼ら達は私の作品と出会い、それをコレクションしていく。巧みな表現の言葉は持っていないので、ひたすら「カッコいい!!」と形容している。言葉は単純であるが、「カッコいい!!」というのはひとつの批評の「極」である。そこからスタートして芸術というものの面白さを彼らの人生の彩りにしていけば、そこから豊かな人生が広がっていく。作家とコレクターはほぼ同世代であるのが、他の作家たちの常であるが、私の場合は十代から八十代までと幅広いのがひとつの大きな自信である。このビルはミステリアスな雰囲気があり、映画やテレビのドラマの撮影が連日のように行われていて、会場に入ってくるまでが面白い。しかし一歩、森岡書店の中に入ると雰囲気は一変して静謐である。そこに広がっているのは、紛れもない私の作品が放つイメージ空間なのである。

 

 

 

 

 

 

 

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