『去年今年(こぞ・ことし)』

先だって、北朝鮮の兵士が南北の境界線を越えて韓国に逃げこんだが、被弾しながらも、脱走へと彼をして突き動かした最大の動機が、韓国から大音響で流れてくるK-POP 、J-POPを聴いてたまらなく魅了された事に拠るという。ジャン・コクト―かジュネのどちらの言葉であったかは忘れたが、「音楽には気をつけろ」という言葉がある。……これは聴覚から忍び入る音楽の力は、一瞬で感覚の中枢にある琴線を揺さぶり、理屈を越えて内面を激しく揺さぶる効力(場合によっては魔力)を発揮するという意味である。……そう、確かに音楽の力の持っている速度と浸透力はゲリラ的に凄まじいものがあるだろう。……例をあげれば、ジョン・レノンの名曲『イマジン』は、眼を閉じて想像さえすれば、国境さえも無くなるというコンセプトに、美しい韻律の音楽の力が相乗している為に、そのメッセージ力は大きく、静かに、そして確実に人心を動かす力を持っている。社会主義、資本主義を問わず国家の権力者達がこぞって忌み嫌うものこそが、この「イマジン」する事の力なのである。想えば自明な事であるが、国家というものの実質も、つまりは概念が産んだ幻想の産物に過ぎず、その砂上楼閣を崩すには「イマジン」の力をもって攻めるにしくはない。ジョン・レノンを撃った犯人とされるマ―ク・チャップマンとは別に、その場にジョン・レノンを確実に仕留める為に、プロの暗殺者がもう一人いたという説、……またそれを裏付けるかのように、暗殺現場のダコタハウスの入り口付近には、チャップマンが犯行に使用した銃(チャ―タ―ア―ムズ・38スペシャル弾用回転式、通称リボルバー)の、彼が実際に撃った五発の弾より多い数の弾痕が確認されている事、また犯行時に犯人のすぐ間近にいたダコタハウスのドアマンことホセ・サンヘニス・ペルドモという人物は、元CIAのエ―ジェントであったという事実は、チャップマン単独説に抗うかのように、何事かを暗示してなお余りあるものがある。閑話休題、……ようするにイマジン→想像する力、ひいては概念の力、更には観念の力というものは面白く、かつ不思議なものがある。……私達が具体的に体験するその一例として、大晦日から一瞬後に新年が来るわけであるが、あの新年が今来たという慌ただしい心と気持ちの切り替えには性急に強いられるものがある。……そして不思議な事に、つい先ほど数秒前であった12月31日の23時59分前が、いかにも大急ぎで去っていって色褪せてみえるから面白い。……しかし、新年は迎えたが、「時間」というもう1つの流れ、これまた観念の産物であるが、去年と今年という概念を繋げて貫くものが確かに在ると感ずるのも、また事実なのである。その事を詠んだ俳句がある。客観写生を理念としたホトトギスの俳人・高浜虚子の作「去年(こぞ)今年 貫く棒の 如きもの」が、それである。

 

話は変わるが、先日、あまりに蒼い空の美しさに誘われるようにふと思い立って、大田区馬込にある三島由紀夫邸を見に行った。事件から既に47年の歳月が流れているが、三島邸は時が止まったかのように凛とした気配を放って不思議なまでに鮮やかなままであった。門壁の表札には、故人の名を記した「三島由紀夫」の文字がゴチック体で掛かっている。今まで何度か訪れてみたいという衝動はあったが、何故か行かないままに時だけが過ぎていった。……自分が最もその美意識において影響を受けたという、その相手に対しては、何故か微妙な躊躇いというものがあるものである。思えば、私の先達の知人の多くが実際に三島と交際があり、その逸話の多くは直接的に聴かされていた。18歳の時に、三島美学を映した彼の戯曲の舞台美術をやれるのは自分以外にはいないという、根拠のない、しかし有り余る不遜な自信のままに三島由紀夫に手紙を書いて送ったが、果たせるかな、それと僅かにずれるようにして三島が自刃してしまったのは、私の人生に於ける、最初にして最大の無念な挫折ではあった。…………メモした住所をたよりに閑静な住宅街の中に入っていくと、一際大きな白亜の建物があり、それは容易に見つかった。……あの戦後史最大の事件が起きる日の午前に、一台の迎えの車がこの門前に止まり、この鉄の黒い門扉を開けて三島は静かに出て来て市ヶ谷の自衛隊駐屯地へと向かった。……それがまるで劇中の夢のような朧な感覚のままに、辺りは静かで、空の高みにはひと刷けの雲もない蒼穹の拡がりがあった。「人生は夢のようなものだと言うけれど、ひょっとすると、本当にそれは夢そのものなのかもしれないな」……三島の本質を理解していた澁澤龍彦は亡くなる直前に病床でそう語っているが、私は彼のこの言葉が最近はたいそう好きである。……とまれ、2018年がいま、眼前にある。私はまた新たなイメ―ジの領土を求めて歩いて行かなければならない。

 

 

 

 

 

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