『……夏の終わりに』

8月に亡くなった兄の納骨のために福井に帰った。……生前に兄と電話で、私達の本当の「終の住処(ついのすみか)」とは何か、について話した事がある。ここで云う終の住処とは、普通に云う「最期を迎える時まで生活する住まい」の事ではなく、死までも含む私達の個々の存在した最終形を云う。私はそれは「永遠の忘却」だと云うと、兄は激しく否定して、あくまでも形ある墓がそれであると云った。兄弟とはいえ、かくも違う事は面白い。私は、この世は全て幻影(イリュ―ジョン)で構築された劇場だと思っており、故に切なく、故に美しいのだと思っている。しかし、兄は形ある墓に意味を見ていたので、私は兄に合わせるべく納骨に立ち会った。台風が近づいているために関東は雷雨であったが、北陸のこの地は逆に異常に暑い日であった。参列者の珠のような汗が乾いた墓石の上に落ちていった。……翌日、まだ新幹線までの時間があったので、知る人ぞ知る奇景の「丹厳洞」を見に行った。江戸時代の医師、山本瑞庵という人の別邸であるが、橋本左内ら倒幕の志士達が密談を交わした場所であり、漢詩の世界のような、絶対静寂の不思議な池に鯉が泳ぎ、今は料亭になっている所である。……かくして横浜に戻ると、過去に類のない激しさを持った台風一過の惨状を目の当たりにする事となった。近年、太平洋の海水温が更に上がり、日本の台風もアメリカ並みのハリケーンのような凄みを呈して来ているようである。とまれ、もはや私達の知る四季の姿は消え去ったようである。

 

激しい雨の中をぬって、旧知の友人で、優れた映画の企画を何本も立ち上げている成田尚哉さんがアトリエに来られた。成田さんは企画の仕事と並行してミクストメディアのコラ―ジュを作り画廊で発表しているのであるが、9月27日から下北沢の画廊で始まる個展の事で相談があるようである。大粒のシャインマスカットとピオ―ネをお土産に二房も持って来られ、近くの蕎麦屋でご馳走になりながら、個展の話を伺った。成田さんは元々の感性の良さに、映画の仕事で培って来た確かな美意識が相乗して独自な表現の世界を築いている人なので、話をしていて実に愉しい。……個展の事から話題が移り、私は成田さんに、ぜひ映画の企画で「樋口一葉」を一本撮って欲しいと提案した。樋口一葉は皆その名前と、「たけくらべ」などの名作の作者、死の直前に文壇で脚光を浴びながらも極貧の中、24歳で結核で亡くなった事……などを漠然とイメ―ジとして持っているが、詳しい事を知る人は意外に少ない。……しかし、この樋口一葉という女性、関連書を読んで知れば知るほど、井戸の底は底無しのそれと化し、生前に交わった人達が語るそのイメ―ジは、その数だけ明暗に分かれる違う顔を持った、多彩な仮面の顔とニヒリズムの持ち主で、調べるほどに興味が尽きない。紫式部や清少納言の再来として、かの森鴎外や幸田露伴達から絶賛された紛れもない天才であるが、別面、闇深い謎を多分に孕んだまま逝った「逃げ水」や「影踏み」のイメ―ジが濃い樋口一葉。成田さんは最近は文芸路線からは少し離れているが、この樋口一葉を唯の文芸路線でなく、終りなき謎を孕んだ妖しいミステリ―として仕上げれば、必ず名作になること請け合いであるが、果たして、成田さんは動かれるや否や!?……帰り際に今一度私はアトリエに戻り、上村一夫が樋口一葉を描いた劇画『一葉・裏日誌』をお渡しした。『夢二』、『人喰い』、『修羅雪姫』、『上海異人館』、『菊坂ホテル』……数々の名作の中で女性の妖しさと謎を追い求めて来た上村一夫が、死の直前に主題として最期に辿り着いたのが「樋口一葉」という謎めいた人物であった。上村一夫は、おそらく気づいていたのであろう。この一葉という人物が抱えていた底無しの妖しさと情念を……。成田さんから、ならばいっそ北川さんが一葉の脚本を書きませんか!?と言われ、一瞬その気になったが、次第に近づいた10月16日から始まる高島屋での個展の制作の追い込みと、来年に企画での出版の話を頂いている、最初にして最後の詩集を全力で書かねばならないので、残念ながらそちらに没頭しなければならない。……ここはぜひ成田さんの感性が、樋口一葉に向かうのを乞うばかりである。

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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