『富山にて個展開催中!!』

3月14日(土)から29日(日)まで、富山のぎゃらり―図南にてオブジェを中心とした個展を開催中である。今回で8回目、2年に1度というスパンで開催しているので、画廊のオ―ナ―の川端秀明さんとのお付き合いは、早いもので今年で16年になる。……16年前、川端さんが東京に来られて初めてお会いした時の事は今も鮮明に覚えている。私は極めて直感型の人間なので、お話しを伺う前の座席に座る瞬間に「あっ、私はこの人とは強いご縁があるな!」と直感した。果たしてお話しを伺うと、私の作品に対し強い評価を持って頂いている事、また美術界全体に関する考えや批評が一致する事、そして何よりも私の個展を開催したいという強い想いが熱く伝わって来て、私は嬉しかった。その熱意の強さは、70、80年代の美術界を画商としての切り口から牽引して来られ、今では伝説的な人物として語られる、故・佐谷和彦さんの強い「気」と重なるものがある。画商と作家という関係を越えて、気が合い、本音で語り合える人間としての関係を私は何よりも最優先にしているのである。……16年前と云えば、私は版画集を自分の企画で毎年刊行している時であり、また表現の幅が版画にとどまらず、オブジェ、コラ―ジュ、写真、執筆……と拡がりを見せ始めていた頃なので、正にタイムリ―な時にお付き合いが始まったのであった。……初日の早い午後に画廊に着くと、あいにくの雨にも関わらず、コレクタ―の人達が次々に来られ、気にいった作品を決めていかれる。或る女性の方は30点くらいの展示作品の中から僅か10秒足らずで作品を複数、コレクションに決められ私を驚かせた。……新型コロナウィルスの影響を懸念して人出が危ぶまれた今回の個展であったが、川端さんが言われた「本当に強い作品は、こういう時にあっても関係がなくぶれない。」という言葉を裏付けるような手応えを私は実感として強く覚えた。確かにこういう時こそ、作品の真価が問われ確かめられる時なのであると、私は実感したのである。翌日は、富山の医学の分野では著名な方で、私の作品を多数持っておられるコレクタ―の方が遠方から来られて、私が考案した独自な技法で制作した珍しい作品を即決で購入された。……その方は90歳になられるが、好奇心と行動力に富んだ方で、つい最近もタンザニアに行かれた話をされて私を驚かせた。その先生いわく、健康の秘訣は、尽きない好奇心とプラス思考、この二つに極まるという。私も全く同感である。……90歳のこの方から10代の学生の人までと、男女に関係なく私のコレクタ―の方は実に幅が広い。その全ての感性に向かって、私の作品が持っているイメ―ジを紡ぐ装置としての何物かがあまねく放射し、それを各々の人が、各々の感性に即したリアリティ―を持って享受されるのだと思う。……初日の夜、小説『螢川』の舞台になった河畔の瀟洒な小料理屋の座敷で、川端さんご夫妻のおもてなしを頂き、富山の冬の味覚を頂いた。川端さんご夫妻に感謝しながら、暫しの時間、話は八方に跳んで実に愉しい時間を過ごす事が出来、記憶に深く残っていく思い出を胸にして、翌日の夕方に私は横浜へと戻ったのであった。

 

……さて、今日はブログの余話として、私の作品について少し記そうと思う。先ずは作品の画像を何点か掲載しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行く春を近江の人と惜しみける」 ……よく知られた松尾芭蕉の句であるが、芭蕉の数ある中でも私が最も好きな作品である。……句意は、春光の麗らかに打ち霞む琵琶湖の湖上に、去りゆこうとする春の情緒がたゆとうている。自分はこの近江の国の人と共に、心ゆくばかりに惜しんだことだ。……という芭蕉が意図したイメ―ジが伝わって来て、自らの内にある「近江」➡「琵琶湖」➡「寂とした永遠の彼方への遠望と、そこに絡まる切ない記憶の断片のリアルな立ち上がり」……へとイメ―ジが自動記述的に拡がっていく。……行く春、近江、惜しむ の三つの言葉が連関作動して、人々が内実、豊かに誰もが持っている想像力に火がつくのである。この句の場合の骨頂は「近江」である。これが近江だからこそ、人は行く春に、蘆原に霞む琵琶湖が立ち上がって来て、内なる記憶、美しくも切ない既視感がその底から少し遅れながら相乗的に沸き上がってくるのである。……もし、これが近江でなく、例えば丹波、津軽、日高、佐世保……つまり、近江以外であったら、そこに何もイメ―ジは立ち上がって来ず、惜しむという感覚は沸き上がっては来ない。実にデリケ―トな線上に、この「近江」という言葉が在るのである。…………数多(それこそ無限に)ある言葉の中から瞬時に、必然的に「決め言葉」を引き出して来る営み、……このイメ―ジの紡ぎ方が、実は私のオブジェの制作メソッドと重なってくるのである。ただ、自分一人の良し悪し、好みに留まらずに、同時に観者の人々の普遍をも立ち上げる事が己に強いられており、私はその緊張のびしびしと迫りくる豊かな強度の中で、正しく瞬時にして、「人々の想像力を立ち上げる装置」としての様々な「物語の断片」を速攻で組み込んでいくのである。……そして、そこに「ポエジ―へと繋がる見立」と「マチエ―ル」と、「文脈の異なる組み合わせ故のバイブレ―ション」が合わさって、夢見のような感覚へと直に誘うのである。私の作品を観た人達が揃って口にする言葉―「何故か無性に懐かしいが、しかし今まで全く観た事がない不思議な世界」という一致した感想を聞く度に、私はさらに誰も分け入った事がない、観照としての次元に達した何物か、語り得ぬ表現の高みに更に達したいという強い想いが出てくるのである。もはや美術のジャンルを越境したと考えている私が、厳しくも範としているのは、「考えるは常住のこと/席に及びて間髪を入れず」と語った、芭蕉のこの言葉なのである。

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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