ディアギレフ

『人形狂い/ニジンスキ―と共に』

満開の桜がいよいよ散りはじめた今日は、3月31日。……イタリアでは3月の事を〈狂い月〉と云うらしいが、それも終わって、いよいよエリオットが云った〈4月は最も残酷な月〉への突入である。アトリエの私の作業机の上には、何枚ものニジンスキ―の様々な写真が無造作に置かれている。これから、ニジンスキ―を客体として捕らえた残酷な解体と構築、脱臼のオブジェが何点か作られていくのである。

 

「われわれはヨ―ロッパが生んだ二疋の物言う野獣を見た。一疋はニジンスキ―、野生自体による野生の表現。一疋はジャン・ジュネ、悪それ自体による悪の表現……」と書いたのは三島由紀夫であるが、確かにニジンスキ―を撮した写真からは、才気をも超えた御し難い獣性と、マヌカン(人形)が放つような無防備で官能めいた香気さえもが伝わってくる。私はその気配に導かれるようにして、この天才を題材にした何点かの作品を作って来た。……版画では『サン・ミケ―レの計測される翼』、『Nijinsky―あるいは水の鳥籠』、オブジェでは『ニジンスキ―の偽手』という作品である。

 

版画では、彼の才能を操り開花させ、ダンスそれ自体を高い芸術の域に一気に押し上げた天才プロデュ―サ―、ヴェネツィアのサン・ミケ―レ島の墓地に眠るディアギレフとの呪縛的な関係を絡めた作品であったが、オブジェの方はニジンスキ―を解体して、全く別な虚構へと進んだ作品である。しかし、全てはあくまでもオマ―ジュ(頌)と云った甘いものではなく、客体化という角度からの、ある種の殺意をも帯びて。

 

……以前に、来日したジム・ダインは、拙作『肖像考―Face of Rimbaud』を見ながら、パリの歴史図書館とシャルルヴィルのランボ―博物館でかつて一緒に展示されていた時の私の作品への感想を語り、彼の作ったランボ―をモチ―フとした連作版画(20世紀を代表する版画集の名作)の創作動機を、ランボ―への殺意であった事を話し、私の創作動機もそこにあった事を瞬時にして見破った。……難物を捕らえる為には、殺意をも帯びた強度な攻めの姿勢が必要なのである。

 

 

 

 

 

 

 

ロダン作 「ニジンスキー」

 

 

 

……かつてスティ―ブ・ジョブズから直々に評伝を依頼されて話題となった、ウォルタ―・アイザックソンが書いた『レオナルド・ダ・ヴィンチ』を読んだ。……ダ・ヴィンチに関しては拙作『モナリザ・ミステリ―』(新潮社刊)で書き尽くした感があったので、以後は遠ざかっていたが、久しぶりに読んだこの本はなかなか面白かった。その本の中でダ・ヴィンチが書いた手稿の一節に目が止まった。『……そこで、動きのなかの一つの瞬間を、幾何学的な単一の点と対比した。点には長さも幅もない。しかし点が動くと線ができる。「点には広がりはない。線は点の移動によって生じる」。そして得意のアナロジ―を使い、こう一般化する。「瞬間には時間的広がりはない。時間は瞬間の動きから生まれる」。………………』     読んでいて、先日拝見した勅使川原三郎氏のダンス理論、そのメソッドを垣間見るような感覚をふと覚えた。

 

 

 

3月25日。勅使川原三郎佐東利穂子のデュオによる公演『ペトル―シュカ』を観た。ストラヴィンスキ―作曲により、ニジンスキ―とカルサヴィナが踊った有名な作品を、全く新たな解釈で挑んだ、人形劇中の悲劇ファンタジ―である。ニジンスキ―、そして人形……。先述したように、私は今、ニジンスキ―をオブジェに客体化しようとしており、また人形は、今、構想している第二詩集『自動人形の夜に』の正にモチ―フなのである。天才ニジンスキ―に、天才勅使川原三郎氏が如何に迫り、また如何に独自に羽撃くのか!?また対峙する佐東利穂子さんが如何なる虚構空間を、そこに鋭く刻むのか!?……いつにも増して私は強い関心を持って、その日の公演の幕があがるのを待った。

 

ちなみに、この公演はヴェネツィア・ビエンナ―レ金獅子賞を受賞した氏が、7月の受賞式の記念公演で踊る演目でもあり、その意味でも興味は深い。……「人形とは果たして何か!?」「人形が死ぬとはどういう事なのか!?」「踊る道化」「内なる自身に棲まう、今一人の自分……合わせ鏡に視る狂いを帯びた闇の肖像」……そして命題としての……人形狂い。私は彼らが綴る、次第にポエジ―の高みへと達していくダンスを観ながら激しい失語症になってしまった。言葉を失ったのではなく、観ながら夥しい無数の言葉が溢れ出し、その噴出に制御が効かなくなってしまったのである。

 

…… 開演冒頭から巧みに仕掛けられた闇の深度、レトリックの妙に煽られて、ノスタルジアに充ちた様々な幼年期の記憶が蘇って来る。……不世出のダンサ―というよりは、闇を自在に操り、視覚による詩的表現へと誘っていく、危うい魔術師と私には映った。……そして、かつて『ペトル―シュカ』を踊ったニジンスキ―にも、どうしても想いが重なっていく。翔び上がったまま天井へ消えたという伝説を生んだニジンスキ―もまた魔術師であった。……開演して一時間の時が瞬く間に経った。……そして私がそこに視たのは、生という幻の、束の間の夢なのである。人形狂い……ニジンスキ―。1911年の『ペトル―シュカ』と2022年の『ペトル―シュカ』。時代は往還し、普遍という芸術の一本の線に繋がって、今し結晶と化していった。

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律