新年早々におもしろい映画を観た。タイトルは『もうひとりのシェイクスピア』。200年以上前からささやかれていたシェイクスピア別人説(つまり、シェイスピアは仮の名で実作者は別人であった)に迫る第一級のミステリーの映画化である。私たちの知っている(と思っている)男、英国ストラトフォード出身のウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)という人物は、実は読み書きの出来ない商人の息子。そんな男に、高等教育を受けなければ得難い学識や、宮廷生活、外国語にも通じていてはじめて執筆可能な芝居「マクベス」「リチャード三世」「ロミオとジュリエット」などの戯曲が書けるはずがない。ゆえに間違いなく作者は別にいたという推理の視点から始まり、文武に秀でた貴族エドワード・ド・ヴィア(オックスフォード伯)に実作者としての焦点が絞られていく。事実、この人物に冠せられたあだ名は「槍をふるう人(spear-shaker)」であるが、それを反対にすれば(shake-spear)、つまりシェイクスピアになる。他にもフランシス・ベーコン説など幾つかあるが、ともあれ、キューブリックの『2001年宇宙の旅』を私は〈視覚による進化論〉と評しているが、この映画はその意味で〈視覚による第一級のミステリー〉といっていいほどの面白さであり、ぜひお勧めしたい映画である。
私がシェイクスピア別人説に興味を持ったのは今から二十年以上前である。私のアトリエにはシェイクスピアのデスマスクとして伝わる石膏像があった。それはいわゆる私たちの知るあの有名な面相をしているが、もし別人説が事実であるとすれば、今私が持っているマスクは果たして何者なのか!?という事になり、マスク自体が更なる仮面性を持って入れ子状の無尽の謎が立ち上がって来た。その勢いのままに、ここに掲載したオブジェを一点作り上げたのである。画面ではよく見えないかと思うが、この二つのマスクは何本もの細いピアノ線で編むように結ばれており、全体の形状は、円というよりも横長の楕円状である。楕円は私が最も好む形であるが、それは、平面上の二定点からの距離の和が一定となるような点を連ねた曲線(長円)の事を言う。つまり、中心点(焦点)が二つ在るという意味で、それはシェイクスピア別人説の意味とピタリと重なるのである。オブジェという言葉は、日常的に人々は安易に使っているが、フランス語の本来の意味〈正面性を持って迫ってくるもの〉から深めて、私における意味は〈言葉で語りえぬものの仮の総称〉として存在する。その意味でもこのシェイクスピアというモチーフは恰好のものであり、私は個展で発表する作品ではなく、私的な作品としてこれを作ったのであった。別ヴァージョンとして、反対称と鏡を主題とした版画集の中に所収した銅版画を一点作っているが、ここに掲載したオリジナルのオブジェを実際に見た人はおそらく少ないであろう。この作品は制作した直後に、アトリエに作品購入の件で来られた福井県立美術館の館長である芹川貞夫氏の目に止まり、今は他のオブジェの代表作と共に美術館のコレクションに入っていて、私の手元には既に無い。
私がシェイクスピア別人説に興味を持ってオブジェを制作したちょうど同じ頃に、この映画の脚本を書いたジョン・オーロフと監督のローランド・エメリッヒは、やはり別人説に興味を持ち、封印された完全犯罪に挑むようにして、この度実現した映画化の準備に着手していたようである。日本でいえば、ちょうど関ヶ原の合戦の頃にシェイクスピアは円形劇場のグローブ座を建てているが、当時のロンドンの街並みがリアルに再現されていて目をみはるものがある。ロンドンはやはりミステリーがよく似合う。私は久しぶりにイメージの充電をした思いで、映画館を後にしたのであった。