オブジェ

『個展開催中』

1月30日から2月24日まで、私の個展『光の劇場 ー魔群の棲むVeneziaの館で』が京橋の72ギャラリーで開催されている。72ギャラリーは本来は写真のギャラリーであるが、今回は、ヴェネツィアとパリで撮影した中からの主要な作品と、オブジェ・コラージュ・ミクストメディアの中から選んだ作品を第一会場と第二会場で構成して展示してある。個展のタイトルが示すように、水都・廃市・魔都としてのヴェネツィアを〈劇場〉に見立て、その光の中に息づく魔的なるものの顕現をそこに謀っている。個展の企画の依頼を受けてから一年後の実現となったが、美術の画廊とは異なる写真のギャラリーからもこのような話を頂く事は本当に嬉しい事である。写真家としての私の形は、二年前に沖積舎から刊行された写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』に凝縮されているが、写真の仕事の次なるステップの為に六月のイタリアでの撮影を予定している私としては、必要な節となる重要な個展になっていると思う。

 

 

 

 

 

さて、魔都としてのヴェネツィアであるが、歴代の館の主が決まって自殺(ピストル自殺が多い)しているという、実在する妖しい館、ダリオ館の存在は今も気になって仕方がない。窓外に見る運河(カナル・グランデ)の水がメランコリーを生むのであるならば、運河に面した多くの館から悲劇は起きる筈。しかし何故にダリオ館だけが・・・・!?二年前の厳寒の冬に行った時は、もう人は住まなくなったといわれたダリオ館に、高い塀を伝って忍びこむ予定でいた。しかし、観光客の絶えた夕暮れ時に行ってみると灯りがついていたのには驚いた。また新たな悲劇の誕生が用意されていたのである。カナル・グランデに面した館を購入するには桁違いの百億単位の資金が要る。後で調べた記憶では・・・確かオリベッティ社か何処かが購入したらしい。今年の六月は北イタリアの墓地にある彫刻を巡って撮影する予定であるが、ヴェネツィアも予定に入れてある。ヴィチェンツァ→ブレンタ運河→ヴェネツィアは更なるイメージの充電として、やはり私には好ましい。昨日、写真家の川田喜久治さんが個展を見に来られ、私は次の撮影にあたり貴重なアドバイスを多く頂いた。生涯現役たらんとする川田さんの気概からは、本当に多くのプラスの強い波動を頂いている。一定の場所に停まらず、次の新たなるイメージの狩猟場を求めて表現者たる者は歩まねばならない。表現者にとって「生きる」とは、そういう事である。今回の個展は約1ヶ月間と長く、その間の2月10日(日)には、画廊での私の講演『写真の視点から解き明かすフェルメール絵画の秘密』も予定に組まれている。定員は30名で事前申し込み制となっているので、ご興味のある方はぜひ御参加下さい。

 

北川健次写真展(オブジェ・版画・コラージュ他も併せた展示)

『光の劇場 – 魔群の棲むVeneziaの館で』

72Gallery (TOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHY内)

1月30日(水)ー 2月24日(日)

休館は月曜日と火曜日(平日ですのでご注意ください)

水~金   12:00~20:00

土・日・祝 12:00~19:00

最終日は17:00まで

 

 

カテゴリー: Event & News | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『シェイクスピアは別にいた』

新年早々におもしろい映画を観た。タイトルは『もうひとりのシェイクスピア』。200年以上前からささやかれていたシェイクスピア別人説(つまり、シェイスピアは仮の名で実作者は別人であった)に迫る第一級のミステリーの映画化である。私たちの知っている(と思っている)男、英国ストラトフォード出身のウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)という人物は、実は読み書きの出来ない商人の息子。そんな男に、高等教育を受けなければ得難い学識や、宮廷生活、外国語にも通じていてはじめて執筆可能な芝居「マクベス」「リチャード三世」「ロミオとジュリエット」などの戯曲が書けるはずがない。ゆえに間違いなく作者は別にいたという推理の視点から始まり、文武に秀でた貴族エドワード・ド・ヴィア(オックスフォード伯)に実作者としての焦点が絞られていく。事実、この人物に冠せられたあだ名は「槍をふるう人(spear-shaker)」であるが、それを反対にすれば(shake-spear)、つまりシェイクスピアになる。他にもフランシス・ベーコン説など幾つかあるが、ともあれ、キューブリックの『2001年宇宙の旅』を私は〈視覚による進化論〉と評しているが、この映画はその意味で〈視覚による第一級のミステリー〉といっていいほどの面白さであり、ぜひお勧めしたい映画である。

 

私がシェイクスピア別人説に興味を持ったのは今から二十年以上前である。私のアトリエにはシェイクスピアのデスマスクとして伝わる石膏像があった。それはいわゆる私たちの知るあの有名な面相をしているが、もし別人説が事実であるとすれば、今私が持っているマスクは果たして何者なのか!?という事になり、マスク自体が更なる仮面性を持って入れ子状の無尽の謎が立ち上がって来た。その勢いのままに、ここに掲載したオブジェを一点作り上げたのである。画面ではよく見えないかと思うが、この二つのマスクは何本もの細いピアノ線で編むように結ばれており、全体の形状は、円というよりも横長の楕円状である。楕円は私が最も好む形であるが、それは、平面上の二定点からの距離の和が一定となるような点を連ねた曲線(長円)の事を言う。つまり、中心点(焦点)が二つ在るという意味で、それはシェイクスピア別人説の意味とピタリと重なるのである。オブジェという言葉は、日常的に人々は安易に使っているが、フランス語の本来の意味〈正面性を持って迫ってくるもの〉から深めて、私における意味は〈言葉で語りえぬものの仮の総称〉として存在する。その意味でもこのシェイクスピアというモチーフは恰好のものであり、私は個展で発表する作品ではなく、私的な作品としてこれを作ったのであった。別ヴァージョンとして、反対称と鏡を主題とした版画集の中に所収した銅版画を一点作っているが、ここに掲載したオリジナルのオブジェを実際に見た人はおそらく少ないであろう。この作品は制作した直後に、アトリエに作品購入の件で来られた福井県立美術館の館長である芹川貞夫氏の目に止まり、今は他のオブジェの代表作と共に美術館のコレクションに入っていて、私の手元には既に無い。

 

私がシェイクスピア別人説に興味を持ってオブジェを制作したちょうど同じ頃に、この映画の脚本を書いたジョン・オーロフと監督のローランド・エメリッヒは、やはり別人説に興味を持ち、封印された完全犯罪に挑むようにして、この度実現した映画化の準備に着手していたようである。日本でいえば、ちょうど関ヶ原の合戦の頃にシェイクスピアは円形劇場のグローブ座を建てているが、当時のロンドンの街並みがリアルに再現されていて目をみはるものがある。ロンドンはやはりミステリーがよく似合う。私は久しぶりにイメージの充電をした思いで、映画館を後にしたのであった。

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『「十蘭錬金術」刊行さる』

私のオブジェ作品を表紙の装画に使った久生十蘭の「十蘭錬金術」が河出文庫から刊行された。「十蘭万華鏡」「パノラマニア十蘭」「十蘭レトリカ」に続いて四冊目であり、全て私のオブジェを表紙に採用して異例の売行きであるという。特に今回の表紙は、本が届いた時に見て、デザイナーの山元伸子さんのレイアウトセンスが実に良く、間違いなく人気が出ると直感した。はたして、今回の本は刊行直後にして、既に文庫本全体の中から売行きの良い本のベスト5にランキングされており、一ヶ月に出る文庫本の新刊総数が200冊から300冊ある事を思えば、作品を提供した者として嬉しい限りである。唯、本の表紙を御覧になった方から、その作品を入手したいという問い合わせを今回も数件頂いたが、上記の四冊に採用されたオブジェは全て、コレクターや画廊のオーナーの個人コレクションに既に入っている為にお渡し出来ないのは残念である。版画と違って一点しか存在しないオリジナル作品のため、残念ではあるが、いたしかたのない事である。

 

今月から来月にかけて、上記の本以外に私の作品を表紙の装画にした本が続けて刊行される。筑摩書房、東京創元社、国書刊行会の三冊である。稀代の言葉の錬金術師 – 久生十蘭、そして難解な数学書(ガウス数論論文集)、ミステリーなど各々の異なった表現世界の表紙になる事で、私の作品世界が今一つの別な装いになる事は、作者としての秘かな興味がある。そして、書店というマスメディアを媒体として、その角度から私の作品の存在を知る人が更に増えてもらえれば、イメージを共有し合える関係がより確立し、広がっていくという意味において、お互いにとって良い事なのだと思う。ぶれない確とした美意識を持った「確かな眼」の持主は、まだまだ現実に存在している筈であると、私は確信している。

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律