版画家

『晴子・浅草・マジョーレ湖』

ミュゼ浜口陽三で今月20日まで開催中の『絶対のメチエ ― 名作の条件』展は、連日たくさんの来場者で賑わっている。先日、私が行った時には美術大学の学生が目立った。おそらく版画家を目指しているのであろうが、皆が熱心に見入っている。普段は名作と称されるような作品に接していないのか、眼と精神の飢えが彼らを沈黙させている。パソコンの画像ではなく、実際に本物の前に立って直視する事。豊かなる体験とは、そういうことである。地方の美術館での巡回展を望む声もあるが、20日で本展は終了する。未だご覧になっていない方には、ぜひのご高覧をお勧めしたい充実した展覧会である。

 

先日の小保方晴子嬢30歳の会見は、サムラコウチよりは面白かったが、底意が見え見えの浅いものであった。純粋客観をもって諒とする科学者と比べ、主観・思い込みの激しさを常とするこの女性。適性を欠いたこの人物をリーダーに配した理研。そのどちらも茶番の極みであるが、そこに巨額の税金が投じられている事の実態は、そのままこの日本の構図の断片であろう。

 

先の会見、その感想を三島由紀夫の戯曲風に書けば、以下のようなものになるであろうか。「あぁ、晴子お嬢様。貴女のその眼にかかれば、この世で見えないものなど何もないのですね。その水晶体の硬い煌めきの奥には、バビロンの空中庭園も、アレクサンドリアの大灯台も、それから・・・・始皇帝が夢見た不老不死の火の鳥の、高みを翔ぶ銀の羽撃きさえも、何もかもが、ありありと立ち上がるのですわ。今、そこに無い物が、あぁ、晴子お嬢様、貴女にだけはそれが見える!!・・・・それは観念や幻視のうつろいを越えた、もはや一篇の詩だわ!!そこに孤独や罵倒があるとしたら、それこそが恩寵の賜物・・・・、そう、それこそが絶対の恩寵なのですわ。」

 

昨日、私は江戸期に生きた二人の天才の墓が見たくなり、浅草へと向った。二人の名は、平賀源内と葛飾北斎。北斎の墓があるのは誓教寺、しかし源内の墓は橋場という所に在るが、寺は移って墓のみが史跡としてある。源内のように多才にして風狂たらん事を欲し、また北斎のように突出した存在となる事を私は自らに課して来た。しかし未だ未だ道半ばである。北斎の墓の側面に彫られた辞世の句「人魂で  ゆく気散じや 夏の原」の文字が実に美しい。帰りに浅草六区に立ち寄り、かつてその地に聳え立っていた凌雲閣(浅草12階)を想像のうちに透かし見た。悪魔が人間たちに異界の幻妙さを見せるために建てたといわれるこの高楼。実際に建てたのはイギリス人の建築家WK・バートン。この人物は後に日本全国の水道局の建物を作り続けたのであるが、それらの建築がことごとく美しく、又、幻想的である。誰もこの人物に着目していないのであるが、私は時間を作って、この幻視の建築家の生涯を調べてみたいと思っている。

 

さて、先に私はバビロンの空中庭園について触れたが、それを現実に模して建てた場所が、イタリアとスイスの国境近い、マジョーレ湖の水上の島に存在する。1630年頃に貴族のボロメオ家の当主カルロ三世が奥方のために造営した別荘があり、三つの島(イゾラ・マードレ・イゾラ・ペスカトーリ・イゾラ・ベッラ)から成る。庭園は五階層のテラスで豊富な植物が茂り、雉や白孔雀が遊歩している。島の一番高いテラスには大小の彫刻群がそそり立つ円形劇場やグロッタの洞窟が在る。私の今回のイタリアでの最初の撮影は、このマジョーレ湖から始まる。20年前の夏に私は一度この地を訪れているが、また再び来ようとは!!この場所に関する記述はジャン・コクトーの『大膀びらき』や、澁澤龍彦の『ヨーロッパの乳房』所収の「マジョーレ湖の姉妹」にその詳しい言及がある。ご興味のある方はご一読をお勧めします。

 

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『空騒ぎな手紙 – 来る』

以前にNHKで放映していた『シャーロック・ホームズ』(英国・グラナダTV)は、毎回面白くヴィクトリア末期の雰囲気が見事に再現されていて、完成度が高かった。その中で私が特に覚えている場面がある。それは窓辺から霧のロンドンの街を見下ろしているホームズが「・・・何をしているんだ、何故出て来ないんだ」と一人で呟くシーンである。何かに苛立っているようなホームズ。実は彼の推理力が発揮できる事件が最近全く起きていないために、ホームズは退屈し、何らかの事件の発生を待ち望んでいるのである。私がこの場面が特に好きなのは、私自身がそうだからである。三島由紀夫の『真夏の死』の主題と同じく、私には凶事を待ち望む癖がどうやらあるらしい。

 

先日、横浜高島屋の個展が終わり、今月の30日からは京橋の72ギャラリーで写真の個展を開催するのであるが、その間の谷にあたる昨日に、一通の手紙がアトリエに届いた。上記の癖が届いたのか、開いて読んでみると、それは今年以内に私を殺すという、云わゆる殺人予告の手紙であった。差出人を見ると杉並区・・・と住所が明記してあり、名前が小野忠重とある。小野とは木版画家の名前であるがとうの昔に亡くなっている。以前このブログでも記したが、木版画家の藤牧義夫の謎の失踪について真相を知っていると云われている人物である。届いた手紙は、霊界にいる小野が私に書いた設定で始まっている。その出だしは「私が藤牧を殺したのか、版木と共に焼却したのか、さぁどうだろう。・・・」と怨念めいていて面白い。しかし気取っているのも出だしの三行だけで、次の段は一転して〈北川健次〉という呼び拾てから〈北川君〉へ転調し、私の次々と展開している作家活動、そしてその作品内容に対し、文面から溢れ出る露までの恨みや妬み、つまりもの凄い嫉妬がほとばしっているのである。そして、末尾はふと我に帰ったように、出だしの小野忠重に戻り、「この手紙は、こちらの獄への招待状。事故死なのか、病死なのか、殺されるのか、自殺か、・・・それは年内に起こるのか・・・」と記し、明朝の太文字で最後に大きく小野忠重で終わっている。つまり、手紙全文をまとめると、要するにこれ以上精力的な表現活動や執筆活動を続けていると、近々に殺すぞ!という脅迫文の内容なのである。

 

この犯人は知らないのであろうか。私が美術家に留まらず、ミステリーも書き、津山30人殺しの現場や、切り裂きジャックの殺人現場を歩き巡り、1970年に起きた80件以上という、日本最大の放火魔事件の神出鬼没と云われた犯人のアジトを警察よりも早く突き止める程の、謎解きを好む人物であるという事を。

 

さて、封筒の切手に押されている投函場所を示す消印を見てみると、薄すぎて全く見えない。しかし、切手の印刷と消印のインクは性質が違うため拡大コピーの極薄にかけてみると、ありありと差が出てきて、「川崎中央」の文字が出て来た。しかし、私はこれは犯人の陽動作戦と直感し、対象から外すことにした。さて、一見誰が書いたかわからないこの気持ちの悪い手紙。私はアトリエの前の図書館に行き、机の前のガラスにこの手紙をテープで貼り、嫉妬に荒れ狂っている文面を腕を組んで凝視した。犯人はよほど感情にまかせて書いたのであろう、何れの行からも犯人を絞り込んで特定していくに足る充分な手掛かりが、これもまたありありと立ち上がって来た。決定的な指紋とも云える文体、温度感、・・・そして私とかつて交遊があった事がそれとわかる、うかつな口調。—— 私は調べ始めておよそ十分足らずで、小野忠重の名を偽った犯人の正体を突きとめた。小野忠重と私が共通するキーワードは「版画家」である。すると犯人は私共の住所が全て明記してある版画家名鑑を持っている確立が高い。また前述したように霊界からの手紙を装った発想(極めて古くさく笑ってしまうが)から、この犯人もミステリーのファンであるらしい。そして勿論、素人の域ではあるが、レトリックを駆使している様から少しは文才もあるらしい。又、文章が活版で印字されている事から、自宅に凸版の活字と凸版プレス機を持っている。整理すると、犯人は「版画家」「私への不当なライバル意識」「ミステリー好き」「そこそこの文才あり」「粘着気質」「自己愛が強い」「自宅に文章が組める凸版プレス機あり」「文章の臭いから60代前半」等々が絞られ、この手紙に至る動機と、かつて付き合った人間関係から絞って消去していくと、唯一人の人物が、そこに現れた。もしこの犯人も私同様にミステリーを書くならば止めた方が良い。このような脅迫文を書くには、そして自分が誰であるかが知られたくないならば、プロの推理小説家が皆そうであるごとく、冷静な複眼の目線で巧妙にやらなければ、昨今の読者は誰もついては来ない。どうせ私に脅迫文を書くならば、シャーロック・ホームズが希求した程の、あのモリアティ教授のような手応えのある相手であって欲しかった。

 

「僕の版画を持っていてくれないか・・・。」かつてこの犯人は私に五点ばかりの版画をくれた事があった。しかし、私はこの犯人に対し、十年ばかり前からは全くの関心外となった。そして今、・・・この犯人に対し私が抱くのは〈失望〉のみである。断言して言うが、殺人予告を書くような鬱屈した負のエネルギーからはもはや絶対に「芸術」という形而上学は生まれない。

 

昨日届いた脅迫文。これは小野忠重氏の住所が明記してある事で、ご遺族からは、名誉毀損及び迷惑防止条例の民事訴訟の対象となり、私へのあからさまな殺人予告文は、より重度な罪としての後々の刑事訴訟の際の証拠となる為に保存する事にしよう。封筒に付いた犯人の指紋、切手の裏についていると覚しき犯人の唾液からはDNAの鑑定も充分に可能であるのでこれも保存しておこう。それはかつて私宛に届いたその男からの実名入りの手紙と照合すれば、完璧に結び付く筈である。「持っていてほしい。」—— そう言われて受け取った版画は、さっそくに処分した。ルドンベルメールジャコメッティ芳年駒井池田ゴヤデュシャン。・・・それらの名作と並べるには釣り合わず、もともと作品ケースの奥にそれは在った。しかしそこから感じていたマイナーな負のエネルギーは、全く私に良い波動を与えては来なかった。しかし、それにしてもこの殺人予告書。期待して読み始めたが、底が浅く犯人がすぐに判明してはつまらない。何とも空騒ぎな話ではある。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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