鏡面のロマネスク

『この人、沖積舎・沖山隆久氏!!』

福井県立美術館での私の個展『鏡面のロマネスク』も、いよいよ25日(日)で終了する。7部屋もある展示会場を巡りながら、自分の作品と向き合って様々な想いが去来した。そして、自分があんがい多作家である事を知って驚いたのであった。私の初期の版画を一途に愛する方々もおられるが、私の展開はまぎれもなく、その質と幅を広め、今だに誰も予測のつかない方向へ向かっているという事を、私自身の内なる醒めた批評眼をもって確信できた事が、本展における私にとっての最大の収穫であった。

 

先日刊行された私の写真集の仕掛人である沖積舎の沖山隆久氏は、17年前に私の最初の銅版画集を企画刊行して頂いた恩人であり、先見の人である。はるばる福井の個展にも来られ、実際に数多の作品を御覧になった後に、私に「今度は北川さんのオブジェの作品集を作りますよ、それも近い内に!!」と言って、私を驚かした。しかし、沖山さんは今回の写真集も予告どおり僅か1ヶ月で刊行したように、有言実行の人である。間違いなく、私のオブジェの世界の特質に照準を合わせた、ミステリアスで創意に充ちた「奇書」が、刊行されるであろう。沖山さんのような慧眼の人が身近に在るという事は、表現者にとって心強い限りなのである。

 

今、私の手もとには、刊行されたばかりの写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』がある。作品に沿った詩を書いてほしいと提言されたのは、沖山さんであった。私は打てば響く人間である。感性を削るようにして計72篇の詩を三日間で書き上げた。そして、その一篇づつが、全く自立したものとなっている。もし、沖山さんの提言がなかったら・・・。そう思う程に、この写真集は、他の写真家による写真集とは異なりを見せている。一月には、この写真集の限定版が50部のみ刊行され、各々に未発表のオリジナル写真が入る事になっている。そして、私はその写真を沖山さんに既に渡してある。さてそれがどのような仕上げとなって世に出るのか、今から、私は楽しみにしているのである。

 

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『鏡面のロマネスク』

日本橋の高島屋本店での個展が、かつてない大盛況のうちに終了した。多くの方が見に来られたが、十代から八十代までの幅広い層に作品が支持され、多くの作品がコレクションされていった。〈現代美術〉と称しながら、内実は弱く、完成度も全く無い現況の美術界に対する厳しい批評が、例えば私の作品を支持する形になったと思っている。ポエジー、文学性、毒、エスプリ、色彩表現の深度、ミステリー性,完成度の高さ,・・・・その他、視覚芸術に様々な人が求める多面性が私の作品には含まれているという確信が私にはある。以前にも書いたと思うが、自分の作品の前で、見る人の視線を一秒でも長く引きつけていたいというのは,表現者にとっての本能的な気持ちであり、作品の質が明らかに問われる形でもある。そしてその事を思いながら今回の個展会場での観客の動きを見ていると、実に長い時間をかけて、年代は関係なく、私の作品との静かな対話をされている姿が目立った。やはり、誰もが深い感受性を抱いており、その眼は正直なのだと思う。来年の個展の話も早々と決まった。次回はまた、よりハードルを高めた新しい試みに挑みたい。

 

個展が終って休む間もなく、次は福井県立美術館での個展に頭を切り換えなくてはいけない。そして今日、美術館の野田氏からポスターとチラシの案が送られて来たが、これがなかなかハイセンスな仕上げになっていて、私を驚かせた!!展覧会名は『北川健次展 KENJI-KITAGAWA – 鏡面のロマネスク』。私がお願いしたウンベルト・エーコの「虚像の中に落ちるためには、ただ一枚の鏡の表面をゆがめるだけでよい。」の文も入っている。このセンスでいくとカタログの出来も多いに期待が出来る。またこれからもメッセージで、展覧会に関する新たな情報をお送りしたいと思う。

 

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『いっそ知らずにいたかった!!』

昨日まで三日間、福井に滞在していた。11月下旬から福井県立美術館で開催される私の個展の打ち合わせと、コレクター、画廊、美術館から集められた250点近い私の作品のチェックの為である。ここに掲載した画像は、その一部分であるが、収蔵庫に並べられた処女作から最新作までを一堂に見るのは初めての事なので、いろいろと考えるものがあった。作家活動を始めてから35年間の私の人生の〈形〉が眼前に並べられている事に、それなりの感慨を覚えたのである。しかし、これは回顧展ではない。あくまでも現在、そして未来の私の作家活動の展開を照射するための展覧会なのである。タイトル名は,北川健次展『KENJI・KITAGAWA — 鏡面のロマネスク』である。

 

滞在期間中、講演の打ち合わせや新聞での連載執筆の話をする為に様々な方とお会いした。その中の一人のA氏と話をしていた折、Fという人物の話が出た。話していくと、Fは私の中学時代の親友と同一人物である事が解った。Fは半年以上、風呂にも入らず勉強していたという誇張された逸話がある程のガリ勉であった。しかしそのFが最近あろうことか女装して銭湯の女風呂に侵入して現行犯逮捕されたという。話を聞きながら,私はもう一人、やはり中学時代の友人であったYの事を思い浮かべた。Yは、歩きながら本を読んで勉強していた程の、これまたガリ勉であった。Yは東大の 文科Ⅰ類に入ったが、学生時に郵便局に侵入して放火をし、やはり現行犯で捕まっている。過度の勉強、過度の禁欲は,成長時の少年の脳,特に扁桃帯に歪みを生じるのであろうか。そこへ行くと,少年期に早々と野生に向かって吠えていた北川少年は、昨今すこぶるバランスが良い。しかし、そうは言ってみても、やはり旧友の後日譚はあまりにも哀しい。

 

私たちは放課後に自転車に乗って郊外に行き、輝く山の白雪を遠望しながら、(大人になったら・・・・)という淡い夢を語り合ったものである。そう、まるで映画『青い山脈』の少年版のように。その美しかった記憶が今、切れ切れになった散っていく・・・・。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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