パリ

『巴里炎上』

……あれは、3年くらい前の9月頃であったか、ベルギ―とパリに撮影に行った時の話。まだイスラム過激派組織(IS)が盛んにテロ活動をしていた時、私と写真家のM氏はバスに乗っていて「ISがパリのメイン観光地を狙うとしたら、次は何処を標的にすると思うか!?」という物騒な話をしていた。そして私は言った。「自分がISだとしたら、狙うのはル―ヴル美術館かノ―トルダム寺である」と。……最も打撃が大きいのは、この二つであると考えたのである。……その翌日、私はセ―ヌ沿いの古書店「Shakespeare and Company」の脇の道を撮影の為に歩いていると、パトカーが何台も停まっていて不穏な気配。……後日知ったのだが、私が危ない発言をしていた正に同じ頃、以前にISのテロリスト達が射殺されたのを恨んだ女性たち四人組が、正に私の予言通り、ノ―トルダム寺院に、ガスボンベを積んだ車ごと激突しようという杜撰なテロ計画が進んでおり、私が古書店の脇を通る数刻前に、計画を察知したパリ市警によって、その通り近くで決行直前に逮捕されたのであった。(この未遂事件は後日、NHKでも特番で報道されたので、ご覧になった方も多いかと思う。)……ともあれ、その時、ノ―トルダム寺院は危うく難を逃れたのであった。

 

 

しかし、歴史的にも象徴的な意味でも最もパリの心臓部と云える、そのノ―トルダム寺院が、原因未だ不明の火災によって炎上し、建物の中心上層部がことごとく灰塵に帰した。その炎上する様は中継で報道され、世界中が驚愕し、悲しんだ。……私がその炎上する様を観て、すぐ脳裡に重ね合わせたのは昭和25年に起き、三島由紀夫が題材とした『金閣寺炎上』を撮影した記録映画の場面であった。観念の美と現実の美が相乗して燃え盛る様は、悪魔的なまでに美の顕現化した姿であり、私達の原初的な感覚を揺さぶって、ある意味エロティックでさえもある。私はノ―トルダム寺院が巨大な黒のシルエットとなり、その後ろで加虐的なまでに燃え盛る業火の様を見て、今、この瞬間に、暗夜のノ―トルダムに一目散に走った俊敏な映像作家が必ずやいるに違いないと想った!……1ヶ所に定点観測のようにビデオカメラを設置して、この瞬間に、美の結晶的刻印を絡め取らんと冷静に凝視している俊敏な人物が、悲嘆にくれる民衆の群れ中に紛れ込んで、間違いなくいるに違いないと想った。もしいたとしたら、その人物は私の稀有な美的同胞であるに違いない!!……サイレントで流されるノ―トルダムの崩れいく映像の姿は、もはや神の代わりにAI なるものを絶対神として仰ぎはじめている、愚かな現代の歯止めなき傾向に対して、我々にとって真に貴重な物は何だったのか!?を突きつけながら、過去の時間の知の殿へと去り行く告別の姿としてもそれは映ったのであった。……そして美とは毒を孕んだ強度にして麻痺的なものであるという意味でも、ノ―トルダムの燃えいく姿は、多くの示唆を含んだものとして私には映ったのであった。……しかし、世の多くの人々は、この度のノ―トルダム寺院炎上を、人類史的な意味や世界遺産的な意味も含めて大いなる損失と叫んでいるが、実は、その意味で今回のノ―トルダム寺院炎上よりももっと大変な、取り返しのつかない事が、それ以前に、このパリで現実に起きてしまっているという事に全く気付いていないのである。……それについて、次回、強い憤りと共に私は書きたいと思っている。

 

 

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『戦前のこわい話』

今、甲子園では全国高等学校野球選手権大会が炎天下の熱戦をくり広げており、私の地元からは常連の福井商業高校が出場している。乾いたバットの打撃音、選手たちの掛け声、巨大な峰状の白雲、青い空・・・。それをTVで見ていると、蘇ってくる記憶がある。

 

私の家は、その福井商業高校の近くに在り、夏休みになると、小学生の頃の私は小さな自転車に乗り、度々そこへと向かった。目的はその高校のグランドの裏にある神社で昼寝をするためである。考えてみると私はずいぶんと準備の良い少年であったかと思う。昼寝のために自転車の荷台に愛用の枕と新聞紙を乗せていたのであるから、今思えば、なかなかに渋い小学生であった。その神社の近くには小川もあり、風が梢を揺らし、冷たいまでの風が吹いていた。蝉時雨の下、父や母や友達も遠くに在り、唯その時の私は、抒情とだけ結ばれていた。自分の将来がどのようになるのか,又、数十年後には地球が熱波に包まれて動植物が死滅の様相を呈する事など勿論想像する筈もなく、ひたすら私は心地よい午睡の中にいた。・・・私ばかりではない。・・・誰もが夏の到来を待ち望んでいた。誰もが白雲の彼方の青の蒼穹を見ては、今生きている事の喜びの中にいた。

 

時が経ち、1990年の冬の或る日、私はミラノからパリへと飛ぶ機中に在り、眼下にはアルプスの山頂の鋭く尖った白雪が見えた。更に20年の時が経った冬の或る日、再び私の眼下に見るアルプスの山頂には、以前に見た時とは全く異なる、鋭さの全く無い、例えるならば、とろりと溶けたアイスクリームのような雪が在り、溶けてむき出しとなった岩肌が汚く露出していた。それを見た時に、僅か20年での地球の病みと狂いの進行の早さを思い、「あぁ・・・もう、駄目だな」と思ったのであった。

 

夏は終わった。もはや私たちの知っている夏は、唯の観念の中へと消え去り、今、私たちの前に在るのは、熱くグロテスクな、未だ名状し難い不気味なまでの様態である。熱中症で多くの死者が出ているが、未だ見つかっていない死者たちが、クーラーの壊れた家の中でひっそりと横たわっている事は十分に考えられる事である。そのひっそりとした人家の屋根を、唯ひたすらに長雨が濡らしている。通りに歩く人影は絶え、(かつて経験した事のない)唯、しとどに降る長雨が地表を濡らし、家々を濡らし、・・・・・・風景を容赦なく濡らしていく・・・・・・・・

 

消えた抒情を求めるように、最近私は、古書店で一冊の本を見つけた。本の題は『戦前のこわい話』(河出文庫)である。副題に〈近代怪奇実話集〉とある。事実は小説よりも奇なりという言葉の通り、この実話集にはフィクションが適わない事実ゆえの凄みがある。凄惨で不気味極まりない七話集であるが、文中に息づいているのは、まぎれも無いこの国特有の風土が生んだ抒情である。

 

私はこの本を読んで、5年前の夏に訪れた岡山県の美作加茂駅を降りて向かった〈貝尾〉という名の寒村を思い出した。この地名を聞いてピンと来た方はかなりの通であるが、昭和13年5月21日の深夜に起きた、「津山30人殺し」の現場である。私はそこで二人の老婆と話しを交わした。その一人は犯人と幼なじみ、今一人は彼女を除く一家全員が殺された、その生き残りの女性であった。熱い夏であったが、私は今となっては貴重な証言を彼女たちから知らされたのであった。・・・・・・・・眼前の狂った夏は確かに怖い。しかし、もう一つ怖いのが、死者ではなく、現実に生きている人間の心の闇の底無しの無明である事を、この本は教えてくれる。興味のある方はぜひ御一読をお薦めしたい、この時期にピッタリの一冊である。

 

◀お知らせ▶

7月6日〜8月26日まで、和歌山県立近代美術館にて開催中の『美術の時間』展に私の版画三点「DiaryⅡ」「Friday」「ドリアンの鍵」(全て同美術館収蔵)が展示されています。他の出品作家は、ロバート・ラウシェンバーグクリスト河口龍夫工藤哲己他。

和歌山県立美術館:和歌山市吹上1-4-14 TEL.073-436-8690
詳しいお問い合わせは、学芸員・青木加苗氏まで。

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『VICENZA – 私を変えた街』

旅の記憶というのは不思議なもので、僅かに一泊しただけであるのに、時を経るにつれて源泉の感情を突いてくるように忘れられなくなってしまう〈街〉というものがある。例えば私にとってのそれは、イタリア北部に在るビチェンツァ(Vicenza)がそうである。

 

別名「陸のヴェネツィア」と呼ばれ、16世紀の綺想の建築家パラディオによる建造物が数多く残るこの街は世界遺産にも登録され、中世の面影を色濃く停めている。私がビチェンツァを訪れたのは20年前の夏であった。パラディオ作の郊外のヴィラや、バジリカ、そして画家のキリコに啓示を与えたオリンピコ劇場などを巡り歩いた午後の一刻、歩き疲れた私は宿に戻り束の間の仮眠をとっていた。すると窓外に俄に人々のざわめきが立ち始め、嗅覚に湿った臭いが入り込んで来た。- それは突然の驟雨であった。私はバルコンの高みに出てビチェンツァの街を見た。

 

西脇順三郎の詩集「Ambarvalia」の中に、「・・・静かに寺院と風呂場と劇場を濡らした、/この静かな柔い女神の行列が/私の舌を濡らした。」という描写があるが、私はこの古い硬質な乾いた石の街を銀糸のようにキラキラと光る雨の隊列が濡らしていくまさにその様を見て、〈官能〉が二元論的構造の中からありありと立ち上がるのを体感し、私の中に確かに〈何ものか〉がその時に入ったという感覚を覚えたのであった。・・・・・・夜半に見るビチェンツァの街は私以外に人影は無く、私はオペラの舞台のような不思議な書き割りの中を彷徨うようにして、この人工の極みのような街を、唯ひたすらに歩いた。・・・そして私の中で、今までの私とはあきらかに違う〈何ものか〉が生まれ出て来るのを私は直感した。それは銅版画のみに専念していた私から、オブジェその他と表現の幅を広めていく私へと脱皮していく、まさにその契機となるような刻であったのだと、私は今にして思うのである。

 

今月の11日(月)から23日(土)まで茅場町の森岡書店で、私の新作展が開催される。タイトルは、そのビチェンツァの街に想を得た『VICENZA – 薔薇の方位/幾何学の庭へ』である。今回の個展は、今後の私にとっての何か重要な節になるという予感が漠然とではあるが、私にはある。タイトルにビチェンツァが入ってはいるが、それは私の創造の中心にそれを置く事であり、イメージは多方へと放射している。パリ、ブリュッセル、そしてイギリスのポートメリヨン等々、様々なイメージが〈ビチェンツァ〉を核にする事で立ち上がっているのである。まさに現在進行形の私の今の作品を見て頂ければと願っている。

 

〈追記〉

写真の撮影や取材などでヴェネツィアへはその後も幾度か訪れているというのに、私はその僅か手前にあるビチェンツァの街を再び訪れてはいない。イメージの深部にいつからか棲みついてしまったこの不思議な街のくぐもりに光を入れるのを恐れるかのように、私はこの街に対してまるで禁忌にも似たような距離をとっている。今年は本が二冊刊行される予定であるが、いずれは私は〈詩集〉という形でもこのビチェンツァの街の不思議を立ち上げてみたいと思っている。ビチェンツァは、様々な角度から攻めるに足る,捕え難い妖かしの街なのである。

 

北川健次新作展『VICENZA – 薔薇の方位/幾何学の庭へ』

2013年3月11日(月)〜23日(土)

時間:13:00〜20:00(会期中無休)

場所:森岡書店 tel.03-3249-3456

東京都中央区日本橋茅場町2−17−13第二井上ビル305

*地下鉄東西線・日比谷線「茅場町」下車。3番出口より徒歩2分。

永代通りを霊岸橋方向へ向かい橋の手前を右へ。古い戦前のビル。

(会期中は作家が在廊しております。)

 

 

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『個展開催中』

1月30日から2月24日まで、私の個展『光の劇場 ー魔群の棲むVeneziaの館で』が京橋の72ギャラリーで開催されている。72ギャラリーは本来は写真のギャラリーであるが、今回は、ヴェネツィアとパリで撮影した中からの主要な作品と、オブジェ・コラージュ・ミクストメディアの中から選んだ作品を第一会場と第二会場で構成して展示してある。個展のタイトルが示すように、水都・廃市・魔都としてのヴェネツィアを〈劇場〉に見立て、その光の中に息づく魔的なるものの顕現をそこに謀っている。個展の企画の依頼を受けてから一年後の実現となったが、美術の画廊とは異なる写真のギャラリーからもこのような話を頂く事は本当に嬉しい事である。写真家としての私の形は、二年前に沖積舎から刊行された写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』に凝縮されているが、写真の仕事の次なるステップの為に六月のイタリアでの撮影を予定している私としては、必要な節となる重要な個展になっていると思う。

 

 

 

 

 

さて、魔都としてのヴェネツィアであるが、歴代の館の主が決まって自殺(ピストル自殺が多い)しているという、実在する妖しい館、ダリオ館の存在は今も気になって仕方がない。窓外に見る運河(カナル・グランデ)の水がメランコリーを生むのであるならば、運河に面した多くの館から悲劇は起きる筈。しかし何故にダリオ館だけが・・・・!?二年前の厳寒の冬に行った時は、もう人は住まなくなったといわれたダリオ館に、高い塀を伝って忍びこむ予定でいた。しかし、観光客の絶えた夕暮れ時に行ってみると灯りがついていたのには驚いた。また新たな悲劇の誕生が用意されていたのである。カナル・グランデに面した館を購入するには桁違いの百億単位の資金が要る。後で調べた記憶では・・・確かオリベッティ社か何処かが購入したらしい。今年の六月は北イタリアの墓地にある彫刻を巡って撮影する予定であるが、ヴェネツィアも予定に入れてある。ヴィチェンツァ→ブレンタ運河→ヴェネツィアは更なるイメージの充電として、やはり私には好ましい。昨日、写真家の川田喜久治さんが個展を見に来られ、私は次の撮影にあたり貴重なアドバイスを多く頂いた。生涯現役たらんとする川田さんの気概からは、本当に多くのプラスの強い波動を頂いている。一定の場所に停まらず、次の新たなるイメージの狩猟場を求めて表現者たる者は歩まねばならない。表現者にとって「生きる」とは、そういう事である。今回の個展は約1ヶ月間と長く、その間の2月10日(日)には、画廊での私の講演『写真の視点から解き明かすフェルメール絵画の秘密』も予定に組まれている。定員は30名で事前申し込み制となっているので、ご興味のある方はぜひ御参加下さい。

 

北川健次写真展(オブジェ・版画・コラージュ他も併せた展示)

『光の劇場 – 魔群の棲むVeneziaの館で』

72Gallery (TOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHY内)

1月30日(水)ー 2月24日(日)

休館は月曜日と火曜日(平日ですのでご注意ください)

水~金   12:00~20:00

土・日・祝 12:00~19:00

最終日は17:00まで

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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