CCGA現代グラフィックア―トセンタ―

『回想・浜田知明さん』

……先月の16日、午後から私の作品集の色校正に向かう前に少し時間があったので、引き出しを開けてオブジェの断片に使うコンパスを探していた。その引き出しは工具以外は入っていない筈なのに、何故か1枚の葉書がそこに紛れこんでいた。……妙だなと思って手に取ると、それは以前に版画家の浜田知明さんから頂いた年賀状であった。自筆の青いインクで「これからも良い作品を作り続けていって下さい。浜田知明」と書かれた、私への励ましの文が記されていた。……一瞬ヒヤリとする予感が背筋を走った。以前に、佐谷和彦さん(画廊の立場から日本の現代の美術界を強力に牽引された)が亡くなられる数日前に、夢の中で、背中に眩しい光を放ちながら、私に満面の笑みを送ってくる佐谷さんの夢をみた、その2日後に佐谷さんは急死されたのであるが、それに似た感覚がその時に卒然と立ったのであった。……果たしてその翌日の17日に浜田さんは逝去された。享年100才。その報は、いま私の個展を開催中のCCGA現代グラフィックア―トセンタ―館長の神山俊一さんから頂いた。

 

私が独学で銅版画を始めたのは19才の時であった。当時は版画が活況で、『季刊版画』という密度の濃い季刊誌を読みながら、その中に登場する、駒井哲郎、棟方志功、池田満寿夫……といった人達の記事を読みながら、自分も版画史の中に入っていくような作品を作りたいという熱い想いに没頭するような日々を送っていた。その後、幸運にも駒井哲郎、棟方志功、池田満寿夫といった先達に評価されて、版画家としてスタ―トしたのであるが、若年の私には、いま一人の意識する先達がいた。それが浜田知明さんである。浜田さんと同じ壁面に作品が飾られるという体験をしたのは、私が30才の時、東京都美術館が企画した『日本銅版画史展』であった。そして、実際に浜田知明さんに出会えたのは翌年に開催された『東京セントラル美術館版画大賞展』の受賞式の時であった。この展覧会で私は大賞を受賞したのであるが、その選考委員の一人に浜田さんがおられたのであった。式の時に、やはり選考委員であった池田満寿夫さん達と話をしていると、会場の奥から浜田さんが、私を鋭くじっと見ながら近づいて来られた。版画の分野を越えて、戦後の日本美術史にその名を刻む人を前に、まだ若僧の私はいささか緊張した。しかし、浜田さんは開口一番、笑みを浮かべて「あなたの今回の受賞作『アンデスマ氏の午後』を大分の美術館に入れたいのですが、まだ在庫はありますか?」と云われたのであった。その作品は、この展覧会の直前に番町画廊で開催した個展で完売してしまっていたのであるが、私は自分用に取ってあるAP版ならありますと答えたのであった。……それから浜田さんはご自分で開発された秘伝の技法というべき貴重な隠しテクニックをその時に詳しく教えてくれたのであった。……私にとって必要な、しかし前に進むには未だ知らない技術を、浜田さんは拙作を観て鋭く感じとられていたのである。……しかし、その後、浜田さんは熊本に住まわれていてなかなかお会い出来ず、年賀状のやり取りが続いたのであるが、後に版画集の個展を熊本の画廊で開催した時に、浜田さんは二日続けて画廊に来られ、長い時間、じっくりと私は浜田さんとお話しをする幸運な機会を持てたのは、今思い返しても貴重な体験であり、表現者としての財産となっている。「私はあなたの作品が大好きなんですよ」と何度も云われた浜田さんに、私の作品のどういった面が好きなのですか!?」という大事な、当然聞いておくべき事を聞いておかなかったのは不覚であるが、それが何であるかは、実は私は想像がついている。後日、私が熊本の個展を開催した画廊の人が運転する車で空港へと向かって行く時に、浜田さんと偶然、道で再会したのであるが、その時に私に向かって強く手を振っておられた光景は、何故か駒井哲郎さんのありし日の姿と重なって今もありありと眼に浮かぶ。駒井哲郎、浜田知明。このお二人は精神が無垢なままに通じ合う、戦後のある時代を共有するパイオニアであった。……そして版画の黎明期を支えるべく、真摯に版画と向かい合った先駆者であった。私は彼らから銅版画のみに潜むエッセンスを吸収したが、それは通史としての版画史の核に通じるものでもある。……浜田知明。この澄んだ魂と、反骨にして深く人間の不条理を凝視し続けた人の事は、私は年賀状に青いインクで書かれた励ましの言葉と共に決して忘れないであろう。

 

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『個展、始まる』 

15日の午前9時、私は、福島の須賀川市にあるCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で、明日から9月9日まで開催される私の個展『黒の装置―記憶のディスタンス』の展示作業の最終チェックに立ち会うために新幹線に乗った。新幹線、……どうしても、先日発生した無惨な事件の事がリアルに頭に浮かんでくる。思うのだが、最近、新幹線の安全神話が雪崩のように崩れて来ている感がある。……台車の亀裂、車内での焼身自殺にまきこまれた婦人の焼死、そして今回の悲惨な事件。椅子が取り外せて万が一の際に防御の働きが出来るようになっていますとJRの職員は、ごく当然のようにTVで話していたが、そんな事、知っている一般人など一人もいない!!。また防御一方で、犯人に対して攻撃が出来ない場合、いつか殺られる。……巻き添えにならない為には、我々も何らかの武器を携帯しなければ、明日は我が身の、何とも危機迫る時代となったものである。……今まで何度かこのメッセージ欄で書いた事があるが、昔、ロ―マのコロッセオの近くでフェンス越しに、フォロロマ―ノ(ロ―マ帝国時代の遺跡)の発掘光景を見ていた事があった。ふと風が吹いて来たので振り返ると、いつしか、横並びで私にじわじわと迫ってくる40人ばかりのジプシ―の集団がいた。背後はフェンスの高い金網で、もはや私に逃げ場は無い。……おぉ、そうだ!……「被害者にならない為には、そう、こちらが加害者になるしかない!!」……戦闘モ―ドに切り換えた私は、不気味な昂りを覚えつつ、敵の集団の中にこちらから突っ込んで行った。……ふだん襲ってばかりいる連中は、逆に、襲われている事に馴れていない。……突っ込んでいったその先は、まるで千手観音の中での砂煙舞う乱闘であるが、これが実に面白く、そして、敵が怯んだ一瞬の隙をみて、私は乱闘の砂煙舞う中を抜け出て、人々のいる場へと走りさって難から逃れ出た事がある。しかし、今回のように犯人が鉈や庖丁を持っている場合はそうとうに難しい。……この場合は、こちらに運よく傘を持っている場合は、相手の凶器を持った手や腕でなく、ひたすら相手の「眼」を刺すように攻めて、相手に恐怖を与えるしか策はない。より狂った方が勝ちなのは喧嘩の定理であるが、まぁ、たいていは手ぶらであり、ひたすら性善説を信じるしか策はない。……この問題は、また近々に考えて、このメッセージ欄で書くとしよう。

 

さて、話を展覧会の事に戻すとしよう。……美術館に着くと館長の神山俊一さんが出て来られて、さっそく会場の中に入った。   ヤマトの美術品担当の方々がまさに展示作業の真っ最中である。……緻密で行き届いた展示内容。本展では銅版画の原版も多数展示してあり、観に来られた方々は、創造の舞台裏も見れるので、間違いなく興味を持たれるに違いない。……また主要な版画と共に近作のオブジェも展示してあり、ひたすら圧巻の感がある。……このメッセージ欄で、展示作業中の光景であるが、幾つかの画像をアップするので、ご覧頂けると有り難い。……展覧会初日は私の講演があり、レセプションがあり、……そして翌日は、郡山から東京駅に着いたその足で紀尾井町の文藝春秋ビルに行き、求龍堂から近々に刊行される、オブジェを主とした作品集の構成チェックの為に、休日の休み返上で打ち合わせが待っている。併せて、10月から高島屋で開催される個展の為の制作が、そろそろ加速しつつある。……暫くは、この三つを併せた内容のメッセージを書いていくように思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『吾妻橋を渡って』

……「吾妻橋のまん中ごろと覚しい欄干に身を倚せ、種田順平は松屋の時計を眺めては来かかる人影に気をつけている。女給のすみ子が店をしまってからわざわざ廻り道をして来るのを待合しているのである。/橋の上には円タクのほか電車もバスももう通っていなかったが、二、三日前から俄の暑さに、シャツ一枚で涼んでいるものもあり、包をかかえて帰りをいそぐ女給らしい女の往き来もまだ途絶えずにいる。…… 」……永井荷風の小説『墨東綺譚』の1節であるが、荷風の小説には、このように吾妻橋〈画像掲載:新旧の吾妻橋の写真〉が度々登場する。吾妻橋……あづまばし。荷風は隅田川にかかる橋の中で、この吾妻橋が一番好きだと記しているが、風情があって、寂しさや哀感があり、私もまた好きな橋である。特に往来の人々が影の中に姿を隠してしまう日没の頃が良い。荷風が『墨東綺譚』を書いたのは昭和十一年頃であるが、それから80年後の夕刻の吾妻橋を、機会があってここ最近、私は度々渡るようになった。……硝子によるオブジェの新たな可能性に挑むべく、理化ガラスなどの制作で第一人者の八木原敏夫さんの工房を訪れ、八木原さんの話される詳しいガラスの製作過程の中から、ガラスが持つ危うさと共にエロティシズム、郷愁、二元論……と云った、ガラスでしか出来ない表現メソッドと、私の内なる硬質なるものへの資質的偏愛を絡めて、未踏の表現の形に達したいと考えているのである。八木原敏夫さんは三代目というから、八木原ガラス工房の歴史は古い。……最初に訪れた時には、プラハの錬金術師の実験室を想わせるその造りに驚いたものである。数多のガラスの表に数ヶ所からの光が鋭く射し込み、室内は金属質的な硬質な緊張感に充ちていて、私はたいそう興奮したのを覚えている。……その八木原さんは緻密で積算的な、実に精度の高い技術の持ち主であり、私は、破壊・アクシデントの方向にその可能性を見ているという真逆の方向を目指しているので、建設的で理想的な話が八木原さんとは出来、その場で閃く事が以前から度々あった。……実は、私のガラスのメチエへの拘りは20年以上も前からあり、文芸誌『新潮』で、『水底の秋』と題した随筆の中で、私はガラスのメチエへの強い想いを綿々と書いている。……だから、今、私がガラスに挑むのは必然的な展開なのである。これから私の表現の中で、鉄、箔などと共に、ガラスはますます重きを置いたものとなってくるのを予感として感じ取っている。

 

 

 

 

 

……さて、今年の6月16日から9月9日までの長期に渡って、福島県須賀川市にあるCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催される私の個展「北川健次: 黒の装置―記憶のディスタンス」展の準備がいま佳境に入っている。カタログのテクストは、詩人の野村喜和夫さんが実に鋭く、緊張感を帯びた、詩的断章とも云うべきテクストを既に書かれ、拙作の版画『肖像考―Face of Rimbaud』を使った巨大なポスタ―と美麗なカラ―のチラシの校正刷りがようやく終わった。テクスト執筆は、野村喜和夫さんと共に、美術館側からは、木戸英行さん、神山俊一さんが各々の視点から書かれるので、今はその執筆完成を楽しみにしている段階であり、執筆が完了次第、一気に展覧会の準備は最後の詰めへと入っていくのである。……作品は、私の版画やオブジェのコレクタ―の方からお借りするので、その作品の受け取りが5月の連休明けに待っている。……昨年の9月に、私の前に個展を開催された加納光於さんの展示を観に、会場の美術館を訪れたが、実に清潔感が漂った中に緊張感があり、また天井からは美しい採光が入って、理想的な空間である。展示は、私の版画(処女作~最後の版画集まで)を主体に、近作のオブジェも展示される事になっており、2011年に開催された福井県立美術館での個展内容とはかなり異なった構成になるので、全く違った角度からの私の表現世界が新たに立ち上がるかと思われる。……まだ会期は少し先であるが、乞うご期待を願う次第である。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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