1990年代のアートフェアーは横浜で開催された〈NICAF〉などに代表されるように、海外からも一流の画商が参加して質の高いものがあった。私も個展という形で当時の取扱画廊であった池田美術が出品したが、その時は真向かいのブースでドイツの画商がJ・コーネルの箱の作品を十点ちかく出品し、なかなかに緊張感の漂う見応えのある展示内容であった。
しかし、次第に個性のある画廊が姿を消して、代わりに右並えの流行ばかりを追った画廊(とは言い難い)がぞろぞろと出てきて、先述したアートフェアーも質の高さが次第に消えていった。数年前に訪れたアートフェアーもかくのごとくで、仕切られた各々の空間での展示は、そのほとんどが唯、並べただけの美的センスの伝わって来ないものが多く、私は未だ途中であったが帰ろうと思って出口へ向かった。すると、或る画廊の空間がふと目に入って来て私は足を止めた。他の画廊とは全く異なる緊張感がそこからは伝わってきて、私は引き寄せられるようにその前に立った。そこに展示されていたのは、私も生前にお会いした事のある天才書家、井上有一の今までに拝見した中でも最高の書(それはクレーやタピエスと同質の凄みを持っていた!!)、そして瀧口修造のデカルコマニー、山口長男など、決して数は多くはなかったが、圧倒的な質の高さと、何より張り詰めた美意識がその空間からは伝わってきて私を魅了した。画廊の名前は「中長小西」(NAKACHO KONISHI ARTS)。初めて知る名前であった。その時、オーナーは不在であったが、私は一人の眼識を持った人物がそこにいる事を直感した。その中長小西のオーナー小西哲哉氏とお会いするのは、それから一年後のことであった。
中長小西が開廊したのは2009年の秋である。銀座一丁目にあるその空間は、まるで無駄をそぎ落とした茶室を連想させた。黒を基調とした壁面には、山口長男・斎藤義重、李禹煥・・・といった現代作家から陶芸の加守田章二、深見陶治、そして奥には村上華岳の掛軸がある。又後日訪れた時にはジャスパー・ジョーンズやマルセル・デュシャン・・・といった作品があり、時代・ジャンルに促われずにトップクラスの作品だけを紹介していこうという画廊のコンセプトが静かに伝わってくる。オーナーの小西氏は、中長小西の開廊までは14年間、老舗の水戸忠交易で平安時代から現代までの美術に対する修行を積み上げてから独立したという筋金入りの歩みがあり、その眼識に一本のぶれない眼差しがある理由を私はそこで理解した。
その中長小西で私のオブジェの個展『立体の詩学 — 光降るフリュステンベルグの日時計の庭で』が今月の20日(木)から10月6日(土)まで開催される。私の持論であるが、或る作品が本物であるか否かは、例えば、洗練された美意識の極を映した茶室に掛けてみれば瞬時でよくわかる。本物はそこに同化し、偽物は弾かれる。例えばクレー、デュシャン、ジャコメッティー、・・・彼らの作品を茶室に掛けてみる事を想像して頂ければ、私の云わんとするところが伝わるかと思う。その茶室の本質を画廊空間に移したような洗練が、この中長小西には存在する。その厳しい空間での展示は、私の表現者としての本能を激しく揺さぶってくるものがある。オブジェという、この名付けえぬ不可思議な存在物が、〈客体〉となってどう映るのか。個展を間近に控えた私の最大の関心がそこにあるのである。
住所:〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目15-14 水野ビル4F
TEL/FAX:03-3564-8225
営業時間:午前11時~午後7時
日曜休 *22日(祝)は開廊