月別アーカイブ: 12月 2014

『届いた二つの朗報』

本屋に行くと、その度に平台の上の新刊本が次々と入れ変わっている。もの凄いエネルギーで、日々、知の産物が本屋に届くのである。そして読者の心を掴まなかった本は数日で返本となり、絶版となっていく。はたして、一年間にどれくらいの数の本が世に出てくるのであろうか。ふと気になって或る婦人雑誌の編集者に年間出版点数を聞いてみると、約8万点という数字が返って来た。日々に換算すると、毎日200点以上もの新刊本が世に出ている事になる。その中に、今年の七月に刊行した拙著も入っているのである。

 

先日、その拙著『美の侵犯 — 蕪村Ⅹ西洋美術 』を刊行した求龍堂の担当編集者から嬉しいニュースが飛び込んで来た。日本の出版界の情報をつぶさに記している『週間読書人』の年末の特集〈2014年の収穫 ― 40人へのアンケート〉で、拙著が年間ベスト3の中に選ばれたという朗報である。拙著の推薦者は、文芸評論家で俳人でもある齋藤慎爾氏。書評家としても知られる慧眼の人である。齋藤氏は書評の中で「・・・蕪村VS西洋美術 を『美の侵犯』が到達したレベルで他の誰が為しえよう。蕪村研究のオーソリティ、美術評論家が束になってかかっても恐らく敗退せざるをえないほど、見事な達成、収穫となって差し出された」と評し、最後に「澁澤龍彦久世光彦が狂喜するような博覧強記、絢爛の美学。」という言葉で締めくくっている。まぁ、博覧強記というのは氏の買いかぶりだと思うが、絢爛の美学という評価は素直に受け入れたいと思う。私は執筆中に、自らの感性の飛躍の様を美しい日本語で刻印していくという難題をいつも自分に課していたからである。三島・澁澤が書いた美術評論を除けば、数多くいる自称美術評論家たちが記す文章の様は、読むに耐えないものがあるが、彼らに向けるその疑問・批判の刃の切っ先を、私は常に最後には自分に向けていたのである。

 

年末に届いたこの嬉しいニュースに加えて、もう一つ嬉しい話が入って来た。この本を刊行した求龍堂が、続いて私の作品集を特装本と共に刊行したいという企画を立ち上げて来たのである。早々と第一回目の打合せは終わり、年明けからは、私の作品 ― 銅版画・オブジェ・コラージュ・写真の今迄に撮った膨大な作品画像の中から厳選して絞っていく作業が待っている。そして、その中に、私は新たに書いた詩も入れてみようかと思っている。どのような本になっていくかは未だ青写真の段階であるが、ともかく、私が存在した事を刻んだ証しとしての美しい造本にしたいという想いだけは、そのイメージの核にある。

 

以前のメッセージにも記したが、今年は本を刊行し、個展に出品する新作のコラージュを100点近く、そしてオブジェを30点以上作り、イタリアでは写真を800枚近く撮影した。さすがに疲れた今は深山の山猿のような気分で、ひなびた温泉にでも行って体を休めたい気分である。・・・ふと、乳頭温泉という名前が何故か浮かんだが、それが何県に在ったのかがわからない。わからないままに、今は唯々、魂が抜けたようにボーっとしている。来年もまた慌ただしくなるであろう。今しばらくはそれに備えての充電のような気分なのである。

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『キリコ』

先日、久しぶりに私は展覧会なる物を二つ続けざまに見た。『国宝展』と『キリコ展』である。国宝展で私の目を引いたのは雪舟と快慶であった。キリコ展は、入ってすぐに展示してあった1910年代の優れた三作のみが見応えがあったが、他は自分の黄金期の作をなぞったコピーのような作品ばかりである。しかし、その魔法が解けたようなキリコの生態に接するのも面白く、私はたいそう楽しんだ。短かった黄金期のキリコと同一人物とはとても見えない中期から晩年の駄作の山。だが、その駄作を「意味があるもの」として評価している人物が二人いる事は、意外と知られていない。・・・・その二人とは、それまで厳としてあった「美」の偶像的概念に「否」を突きつけたデュシャンとウォーホルである。

 

以前に、ANAの機内誌『翼の王国』から執筆を頼まれて取材先のパリを訪れた折、私は、以前にもこのメッセージ欄で登場した事のある、パサージュ「ヴェロ=ドダ」の古書店主のベルナール・ゴーギャン氏に、その事に関する意見を聞いてみた事があった。勿論、ゴーギャン氏はデュシャンとウォーホルのみが認めている事を知っていたが、破顔という言葉がピッタリの笑い声を立てながら「それは彼ら一流のエスプリだよ。他者がやる前に、自らが自作のコピーを作るという事への、機知を含んだ共鳴だよ。しかし、それは彼らの方向性に沿った肯定であり、おそらくは、したたかな戦略なのだろう。あまり意味を深く追うべき内容ではないと思う」と、一発で完璧な答を返してくれたものである。ゴーギャン氏は実際にウォーホル達とも親交があった人だけに、彼らの建て前と内面の本音の差異という舞台裏をさすがに見破っている。

 

さて、私はそのキリコ展の会場で、昔の自作画をコピーした絵の部分を見ていて、ふと、面白い事に気が付いた。それが、ここに掲載した作品の部分であるが、これだけを見ると、誰かの作品と酷似してはいないだろうか!?・・・・そう、まるでヘンリー・ムーアである。帰宅してから私は本棚に大切にしている一冊の画集を取り出した。昔、神田の洋画集専門の松村書店で購入した、キリコの真の黄金期の作品のみを収めた完全版である。それを開いてみるとオリジナルの制作は1918年とあり、ヘンリー・ムーアがここからおそらくは着想し、私たちが知る、あのムーアのスタイルを確立していった事が“仮説”の内に立ち上がってくる。その時、ムーアはまだ20歳で未だ自分のスタイルを確立していなかったからである。画集の説明に拠ると、キリコはこのフォルムをギリシャ彫刻から着想を得ているとあるが、この辺りについてのキリコとムーアとの関係について言及している論考があるのか否や、私は寡聞にしてそれを知らない。とまれ、再びゴーギャン氏に会う事が出来れば、彼はまたしても即答を返してくれるに相違ない。私はそれを楽しみにして、この冬が明けるのを待とうと思うのである。

 


 

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