月別アーカイブ: 5月 2015

『五月の終わる頃に』

NHKの『日曜美術館』で、拙著『美の侵犯 ― 蕪村 X 西洋美術』(求龍堂刊)が放送される事になり、プロデューサーの方との打ち合せを行った。打ち合わせは、この日で三回目である。西洋美術という、全く蕪村とは遠いところに在る作品のイメージが蕪村の俳句のイメージと各々にピタリと通底する事の不思議(妙)に気付いて書き上げたものであるが、それを通して〈人間が持っている想像力とは果たして何なのか!?〉に焦点を合わせた番組にする為に、再三の打ち合わせは重要なのである。放送は7月19日の予定。

 

その『美の侵犯』の中のマックス・エルンストの章の最後で、私はダンスの勅使川原三郎氏について言及し、『 …… 彼の作品が突出して艶があるのは、一つには近代美術の名作からもそのエッセンスを掌中に取り込んでいるからではあるまいか。 ― 私はこの天才が紡ぎ出す巧みな作劇法ともいえるものの秘密の一端を、『百頭女』を通して透かし見た思いがしたのであった。」と書いた。私に氏のダンスをぜひ見るようにと勧めてくれたのは詩人の高橋睦郎氏であったが、それは正しかった。私は勅使川原氏の舞台を拝見し、たちまち、ダンスの分野の中に一人の天才が存在する事を直感したのであった。身体表現の分野において天才の系譜は土方巽から勅使川原氏へと直結し、そこに余人の表現者は入らない。この二人に共通しているのは、表現に対して、複眼的であり、実に冷静であり、そしてそれを超えて、犯意をも秘めた深いポエジーと危うさを併せ持っている事であろうか。先日、私は荻窪に行き、共通の知人である春原憲一郎氏を介して、勅使川原氏とお会いした。「表現とは、つまりは、見る人の想像力を発火させて立ち上げる為の装置ではないだろうか!!」という点で、私たちの意見は一致した。

 

美学の谷川渥氏から新刊の『幻想の花園』(東京書籍刊)を頂いた。副題に「図説 美学特殊講義」と記されているが、先ずこの本の優れた点は、美しいカラー図版が実に百点以上も入っている事である。本来、美術書とはそうでなければ意味は半減するものであるが、現実はなかなかに難しい。しかしこの本はその難題を超えて実に美麗な本に仕上がっている。そして、その美しい器の中で、この国の美学の第一人者である谷川渥氏の博覧強記ともいえる知の叙述が、「花」を切り口として古今東西の美に言及し、私たちを知のラビリンス ― 読む事のアニマ・知的快楽へと誘って、実に深い内容となっている。アトリエの書斎には、三島・澁澤・そして種村季弘氏と並んで、谷川渥氏の本の諸作がその一角を占めている。思えば私は谷川氏の本から、多くのヒントや、着想、そして仮説であったものが確信へと変わる裏付けをそこに数多く見出してきたものである。そのような発見は、私のような実作者に限らず、美の本質に触れてみたいと思う人々にあまねく照射するものを氏の数多の著作は秘めている。ぜひ御一読をお勧めしたい本である。

 

5月22日の夕刻、品川の原美術館サイ・トゥオンブリー展の内覧会に、田村暁氏からのお誘いを受けて行く。田村氏は私のオブジェを中心に多くの作品をコレクションされているが、荒川修作ほかの作品も数多く持っておられる慧眼の人であり、一緒に会場内を巡りながら感想を言い合い、実に楽しい時間を過ごす事が出来た。サイ・トゥオンブリーは画集では見ている人は多いが、実際にオリジナルが日本で直接見れる機会は今までほとんどなく、故に貴重な展覧会となっている。そのマチエールの微細な効果と作者の天性ともいえるハイセンスな感性が相乗して、私たちを、実に深い視覚の喜びへと誘っていく。しかしその魅力について言葉で言及する事は、特にサイ・トゥオンブリーの場合は難しく、事実、今までにその優れたテクストを私たちは有してはいない。この展覧会も、前述した谷川渥氏の『幻想の花園』と併せて強くお勧めしたい、必読・必見の内容である。

 

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『水原紫苑歌集 — 『客人』』

一年の内で、今頃が一番すごしやすい時期かと思う。未だ早い午前に、アトリエの庭に長椅子を出し、読書をするところから、最近の私の一日は始まる。個展が終わり、次なる着想を得るための、しかし、それは大切な時間である。最近読んだ本では、平凡社新書の『ジョルジョ・モランディ』(岡田温司著)が面白かった。モランディの作品に寄せる岡田氏の強い共鳴と、冷静な分析とのバランスが実に気持ちよく、また説得力があり、確かな歩調で、モランディ作品の核に迫っていく知的感興というものを私は味わった。モランディの作品が宿している光と時間の澱は、いかにもイタリア固有のそれであるが、確かなる物のみが孕んでいる「絶対性」を題材として、私たちはそこから「読むことのアニマ」の豊かさを体感するのである。

 

読むことのアニマ、 ― この切り口から強くお薦めしたい本が最近刊行された。わが国の短歌の第一人者である水原紫苑さんの歌集『客人(まらうど)』がそれである。個人的な話で恐縮であるが、その歌集の表紙を飾っているのは私の写真作品『Reims ― 薔薇の聖堂』である。そして帯文を執筆しているのは、詩人で作家の小池昌代さんの文 ― その幻視の世界の序をゆるやかに、見事に開いてみせた名文である。「水原紫苑は巨峰のような眼球を持った、あどけなく瑞々しく怖ろしい歌人である。一首を駆け上る幻想の肢体は、善悪をまたぎ越す強靭な肉をつけている。あまりに生々しく、手を伸ばせば触れそうだ。だが触ったら消えてしまうかもしれない。だからわたしもまた読むのでなく歌の向こう側を幻視する。・・・・(以下略)」

 

 

「プリンセスの車に遇ひし劇場よ心臓という赤き劇場」

「わらふ狂女わらはぬ狂女うつくしき滝の左右に髪濡るるかも」

「花神(フローラ)に扮したるサスキアの眉うすければ雷ちかからむ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・かくのごとき、眩いまでの毒と詩と魔と狂を孕んだ「美」なるものの幻視が、短歌という詩型の器の中で絢燗なまでに結晶化しているのである。この唯美な感性を持った稀人は、師の春日井建のその先にいる定家をも想わせてしまう、まぎれもない「本物」の歌人であろう。

 

私に本の表を飾る装画の依頼を水原さんと出版社から受けた時、迷わずに即決で選んだのが、ランスの聖堂を撮影した、この写真である。今までにも、久世光彦氏や須賀敦子さん等の本の表紙を私の写真で飾って来たが、今回の水原さんの歌集を担当するに当たり、先ず浮かんだのが、この歌集を総じて評するともいうべき「水晶伽藍」という言葉であった。だから私は、それに最も見合う作品をこの歌集に献じたのである。その写真の中心に金の箔押しで「客人」の文字が刻印されて、実に美しい結晶を成している。今日の美術や文学や音楽からは本物の「美」が消えて久しいが、その事を強く実感している方々には強くお薦めしたい歌集である。

 

 

水原紫苑歌集 ― 『客人』

沖積舎刊行

千代田区神田神保町2-10 TEL.03-6261-1312

 

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