月別アーカイブ: 4月 2018

『銀座・画廊香月個展PART②』

ずいぶん昔、まだ20代の頃に、犬山市にある「明治村」を訪れた事があった。広大な敷地の中に、移築した実際の漱石の家や帝国ホテルなどの貴重な遺構が数多く点在し、まさにタイムスリップの醍醐味があって、一日中、嬉々としながら過ごしたのであった。夕刻、明治村の閉門の時が来て出る時に、「もし、この広大な敷地の中の貴重な建物の中に、そっと人が潜んでしまったらどうなるか!」……その点の警備の事に興味が湧いて、係員に訊ねた事があった。係員の答は素晴らしかった。「閉門30分後になるといっせいに犬を放して潜伏者を見つけ出します」。

 

刑務所から逃走して向島の中に10日以上潜んでいるという男の話は、辞職に追い込まれた財務省の男や新潟県知事の弛んだ話よりもよほど面白く、私は興味を持って注視している。逃走者1名VS警官2000名。……品川区ほどの広さがあるという向島。その中で今もなお(尾道に泳ぎ渡ってしまった可能性もあるが)逃走劇は続いているのである。……未だ捕まらないという今回の報道を見て、私が思い出したのは、先ほど記した明治村の犬を放つという話であった。島民を向島の一ヶ所に集めて、性格の荒いド―ベルマンをいっせいに八方から放つと、さてどうなるか!?……それを私はいま想像しているのである。この向島には20年ばかり前に訪れた事があるから、この想像は1種のリアルさを帯びて浮かんでくる。

 

この向島には1000軒以上の空き家があり、その家々をチェックしている警官は、家のチェックが終わるとその家の目立つ場所に〈チェック済み〉の緑のシ―ルを貼って次の捜査に向かうという。……しかし、その緑のシ―ルを貼ってある家(既に捜査済み)に、そのチェック法を知ってか知らずか、逃走者が夜陰に乗じて密かに入ってしまったら、事は厄介である。……この逃走している孤独な男の、追い詰められた「眼差し」に、光眩しい西海道、春ことほぎの向島の空や海や緑陰は、はたしてどのように映っているのであろうか。……この男の脅える視線がそのままにカメラのレンズとなって風景を撮したら、その写真は犯意を映した陰りのマチエ―ルを帯びて、なかなかに面白い写真が出来そうな気もする。あぁ、そのような犯意を帯びた視線のままに、また撮影の旅に出たいと思う、春四月末の私なのである。

 

―さて、24日まで開催中の銀座・画廊香月での個展も後半に入った。連日、遠方からも個展を観にはるばる来られる方が多く、私の現在の表現世界をゆっくりと時間をかけて鑑賞されている。私が造り出すオブジェの表現世界。個々がこの世に一点しかないオリジナル故に、各々の作品をどなたがコレクションされていくのかを見届ける事は、私の表現行為における、ある意味での最終行為である。私は、その作品をこの世に立ち上げた。……そして、コレクションされた方は、これから後、その作品と長い時をかけて対話を交わし、様々なイメ―ジを紡いでいく、もう一人の紛れもない作者なのである。その意味で、個展の最終日まで、私の表現活動は続いているのである。……この個展の後は、6月から開催される郡山のCCGA現代グラフィックセンタ―での、版画を主とした大規模な個展。……また求龍堂から刊行される、私のオブジェ(近作を主とした)の作品集の打ち合わせ……と、多忙な日々が待っているのである。

 

 

 

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『銀座・奥野ビル・画廊香月 PART①』

銀座一丁目通りの喧騒を抜けるようにして、東銀座寄りの二つ目の通りに入ると、一転して静かな空間となる。その静かな中に、時間の澱を孕んだ無国籍な気配の怪しいビルが建っている。昭和初年頃の築というから87年以上も前の建物。銀座で戦火を免れた、云わば時代の移りを呼吸している重厚な建物で、その趣を例えるならば、日本というよりも、昔日の上海、或いはプラハにそれは近いか。

 

その建物の中は、事務所、古美術店、画廊、個人の隠れ部屋……などと様々であるが、私がこのビルの存在を知ったのは20年ばかり前の事である。……『日曜美術館』というテレビ番組があるが、たまたま観ていた特集が、ドイツ文学者の種村季弘さんの特集であった。……初めに、石の床を這うようにして、低い視線のカメラのアングルが、あたかもプラハの古いビルの中をさすらうようにして薄暗い空間を映していく。やがて階段を昇り始めたと思うやその途上に立ちはだかるようにして立つ、金の細い額に入った銅版画にカメラの視点が定まり、作品の細部が拡大されて映った。……若き日のフランツ・カフカの立像と、象徴的なアンモナイトを暗示的に配した画面。……私は自分の作品『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』が突然映りだされた画面を観て驚いた。……何故、私の作品が!?……しかし、その後に登場した種村季弘さんを観て、すぐに了解した。種村さんがコレクションしている拙作のこの版画は、種村さんが気にいって画廊で買い求め、今回の自分の番組のイントロにと閃いて、拙作が登場したのである。(ちなみにカフカの翻訳でも知られるドイツ文学者の池内紀さんも、この版画を書斎に掛けて愛蔵されている由。)……そういう経緯があって、私はそのプラハの古い室内を想わせる建物が銀座にある事を、この番組の後日にお会いした種村さんから教えて頂いて知ったのであった。

 

かくして、私はその奥野ビルの存在を知りさっそく見に行った。……重いガラス扉を押し開けて中に入ると、そこは正に昭和初期へのタイムスリップの回転扉。拙作『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』の重層的なマチエ―ルとピタリと重なって来て、種村さんが番組の冒頭に拙作を登場させたセンスの冴えが伝わってきて面白い。私は一目見て、この建物が気にいってしまった。

 

……佐谷画廊の佐谷和彦さんは、美術館クラスの名企画展を次々に開催して、日本の80・90年代の美術界をギャラリストの側から牽引した、今では伝説的に語られる人物である。その佐谷さんからある日、電話が入った。事務所を銀座に探しているのだが一度相談に乗ってほしいという内容である。銀座の画廊を閉じて荻窪のご自宅を事務所にして、ライフワ―クである『オマ―ジュ瀧口修造展』という、これも今では伝説的な企画展を継続して毎年開催しておられたのであるが、荻窪では諸事の打ち合わせが不便なので、銀座に店舗を探しておられ、私にも情報を求められたのである。。私は佐谷さんに食事をご馳走になりながら、「奥野ビル」の事を提案した。そしてその足で二人で見に行くと佐谷さんはすぐに気にいり、また私達はカフェでお茶をした。……私は「実は、私もあの奥野ビルの一室を借りようと思っているのですよ」と告げると、佐谷さんは「ほう、それは面白い!君と一緒に借りれば、こんな愉快な事はない!……ところで、君は部屋を借りて何に使うのかね!?」と当然の質問を話されたのであるが、その時私は、「えっ、いや、ちょっと…………」と、私にしては珍しく返答を濁したのであった。佐谷さんとは、その直前まで、瀧口修造の事、日本の美術界の現状の奇妙さ、そしてクレーの事についてバンバン話していたのであるが、……私が実は奥野ビルを借りれたら実現しようと思っていた「探偵事務所」開設の構想は、さすがに話の流れからいって、ちょっと話しにくかったのである。しかし私はその時に想像した。……佐谷さんが夜の7時頃に奥野ビルの事務所を出て帰られたその後、私のシルエットが7時半すぎ頃に現れて「佐谷画廊・事務所」の看板を静かに裏返す。すると一転して、芸術とはかけ離れた「北川健次探偵事務所」が現れる。……そして私は事務所の中に入って、いつかかって来るかわからない、難事件の解決依頼の電話を待ちながら、例えばベンヤミンの本を読み耽っているその姿を……。しかし、この後で佐谷さんはご病気になられ、惜しまれながら逝去されたので、事務所の構想は夢のままに潰えたのであった。

 

現在、練馬区立美術館で「戦後美術の現在形」と題した個展を開催中の池田龍雄さん(1928~ )は、まさに戦後美術の最古参の方であるが、その池田さんから「奥野ビルの画廊香月という画廊のオ―ナ―・香月人美さんという人は、実に手応えのある人物なので、一度ここで個展をやってみませんか!?」と言われたのは、銀座一丁目の画廊・中長小西で、私がダンテの『神曲』を主題にした個展を開催中の時であった。……私は池田さんを先達の美術家として密かに尊敬しているので、池田さんから申し出のあった画廊香月で、翌年の春に個展を開き、以来毎年の春に個展を開催して、現在、個展『Prelude―記憶の庭へ』を今月の24日まで開催中である。……かくして、種村季弘さん、佐谷和彦さん、池田龍雄さんという三人の優れた先達によって私はいま、その奥野ビルの中で、導きのように、時の移りを経た厚い壁面に、オブジェやコラ―ジュ、そして銅版画を展示している。これも何かの縁なのであろう。……私は、日曜・水曜の画廊の休み以外は毎日画廊香月に出掛け、また折りを見ては、この時間迷宮のようなビルの中を陶然とした気分で歩き廻っている。……今は亡き種村季弘さん、佐谷和彦さんという不世出の骨太の才人達の事を偲びながら。

 

 

北川健次展『Prelude―記憶の庭へ』

画廊香月にて4月5日―24日まで開催中。

13時―18時30分 日・水曜日休廊

東京都中央区銀座1―9―8 奥野ビル605 TEL03―5579―9617

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『吾妻橋を渡って』

……「吾妻橋のまん中ごろと覚しい欄干に身を倚せ、種田順平は松屋の時計を眺めては来かかる人影に気をつけている。女給のすみ子が店をしまってからわざわざ廻り道をして来るのを待合しているのである。/橋の上には円タクのほか電車もバスももう通っていなかったが、二、三日前から俄の暑さに、シャツ一枚で涼んでいるものもあり、包をかかえて帰りをいそぐ女給らしい女の往き来もまだ途絶えずにいる。…… 」……永井荷風の小説『墨東綺譚』の1節であるが、荷風の小説には、このように吾妻橋〈画像掲載:新旧の吾妻橋の写真〉が度々登場する。吾妻橋……あづまばし。荷風は隅田川にかかる橋の中で、この吾妻橋が一番好きだと記しているが、風情があって、寂しさや哀感があり、私もまた好きな橋である。特に往来の人々が影の中に姿を隠してしまう日没の頃が良い。荷風が『墨東綺譚』を書いたのは昭和十一年頃であるが、それから80年後の夕刻の吾妻橋を、機会があってここ最近、私は度々渡るようになった。……硝子によるオブジェの新たな可能性に挑むべく、理化ガラスなどの制作で第一人者の八木原敏夫さんの工房を訪れ、八木原さんの話される詳しいガラスの製作過程の中から、ガラスが持つ危うさと共にエロティシズム、郷愁、二元論……と云った、ガラスでしか出来ない表現メソッドと、私の内なる硬質なるものへの資質的偏愛を絡めて、未踏の表現の形に達したいと考えているのである。八木原敏夫さんは三代目というから、八木原ガラス工房の歴史は古い。……最初に訪れた時には、プラハの錬金術師の実験室を想わせるその造りに驚いたものである。数多のガラスの表に数ヶ所からの光が鋭く射し込み、室内は金属質的な硬質な緊張感に充ちていて、私はたいそう興奮したのを覚えている。……その八木原さんは緻密で積算的な、実に精度の高い技術の持ち主であり、私は、破壊・アクシデントの方向にその可能性を見ているという真逆の方向を目指しているので、建設的で理想的な話が八木原さんとは出来、その場で閃く事が以前から度々あった。……実は、私のガラスのメチエへの拘りは20年以上も前からあり、文芸誌『新潮』で、『水底の秋』と題した随筆の中で、私はガラスのメチエへの強い想いを綿々と書いている。……だから、今、私がガラスに挑むのは必然的な展開なのである。これから私の表現の中で、鉄、箔などと共に、ガラスはますます重きを置いたものとなってくるのを予感として感じ取っている。

 

 

 

 

 

……さて、今年の6月16日から9月9日までの長期に渡って、福島県須賀川市にあるCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催される私の個展「北川健次: 黒の装置―記憶のディスタンス」展の準備がいま佳境に入っている。カタログのテクストは、詩人の野村喜和夫さんが実に鋭く、緊張感を帯びた、詩的断章とも云うべきテクストを既に書かれ、拙作の版画『肖像考―Face of Rimbaud』を使った巨大なポスタ―と美麗なカラ―のチラシの校正刷りがようやく終わった。テクスト執筆は、野村喜和夫さんと共に、美術館側からは、木戸英行さん、神山俊一さんが各々の視点から書かれるので、今はその執筆完成を楽しみにしている段階であり、執筆が完了次第、一気に展覧会の準備は最後の詰めへと入っていくのである。……作品は、私の版画やオブジェのコレクタ―の方からお借りするので、その作品の受け取りが5月の連休明けに待っている。……昨年の9月に、私の前に個展を開催された加納光於さんの展示を観に、会場の美術館を訪れたが、実に清潔感が漂った中に緊張感があり、また天井からは美しい採光が入って、理想的な空間である。展示は、私の版画(処女作~最後の版画集まで)を主体に、近作のオブジェも展示される事になっており、2011年に開催された福井県立美術館での個展内容とはかなり異なった構成になるので、全く違った角度からの私の表現世界が新たに立ち上がるかと思われる。……まだ会期は少し先であるが、乞うご期待を願う次第である。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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