月別アーカイブ: 11月 2018

『今年最後の個展を開催中』

……前回のメッセ―ジを読まれて、上野のデュシャン展に行かれた方がかなりおられたらしく、〈確かに『大ガラス』(この作品のみ和製)の、マチエ―ルへの配慮を欠いた作品のみが、著しく劣って見えた〉という感想が何通か届いた。やはり、表象に宿るマチエ―ルは重要であり、ある意味でそれが全てなのである事をあらためて痛感した次第である。

 

さて、そのマチエ―ルであるが、それの豊かな宿りを持った作品について具体的に考えていくと、幾つかの作品に思い至るのであるが、そこには「霊妙」といっていい境地に達した作品が幾つか浮かんで来て、陶然とした感慨に包まれる事がある。

 

……例えばダ・ヴィンチの『モナ・リザ』、宗達の『牛図』、劉生の『切通し』の絵や、菱田春草の『菊慈童』などがそれであるが、しかし今、脳裡に先ず鮮やかに浮かぶのは、それらを排して松本竣介のニコライ堂を描いた作品である(掲載画像参照)。竣介絶筆の『建物』は絵画の不思議さを映す一つの極であるが、『ニコライ堂』の持つマチエ―ルの権能が霊妙へと私達をして導く危うさはまた別格なものがある。……夢の中のノスタルジックな懐かしさと、見てはいけないものを見せられたような禁忌の韻の混交は、この絵画をして竣介の才能の高みを証して余りあるものがあるのである。

 

前回のメッセ―ジでお伝えした通り、12月1日まで、本郷の画廊・ア―トギャラリ―884で作品集刊行記念の個展『狂った方位―幾何学の庭へ』を開催中なので、日々画廊に通っているが、ある朝早めに御茶ノ水駅に着いたので、松本竣介の描いたニコライ堂の現場を探してみる事にした。基点は聖橋である。かつて中原中也が「去らば東京、おぉ我が青春」と橋上で叫び、また竣介がモチ―フを求めてさすらった聖橋は、まだその面影を色濃く残して、そのままにある。ただ、竣介のいた当時の静かな情緒はさすがに薄れ、彼が描いた地点に立つと、車に跳ねられてしまうのが少し辛い。湯島聖堂周辺は、竣介の眼差しをなぞるほどに気配は残っているが、彼の手法は、幾つかの視点を組み合わせたモンタ―ジュなので、ピタリと重なる地点はない。しかし、彼の生きた残余の韻は今も伝わって来て、暫しの感慨に私は包まれた。今日の美術界はご存じのように拝金主義に堕ちて久しい。竣介の生前は殆ど評価されない無名の人であったが、死後に、画家の岡鹿之助や評論家の土方定一らが寄せた評価によって、忽ちその才能が評価されるようになった。竣介の生涯などを見ると、やはり表現者は、その分野が未成熟な黎明期に生きるのが幸せであって、飽和期に生きるものではないなと、ふと思う。……その日の午前、私は竣介の生に己が身を重ねる試みをして暫しの時を過ごし、昼前に、我が個展の会場へと入ったのであった。……今年は例年になく多忙な一年であったが、今年最後の個展も12月1日に終わり、暫くの充電へと私は入る予定である。……しかし、このメッセ―ジはまだまだ続く。次回も乞うご期待である。

 

 

作品集刊行記念展『狂った方位―幾何学の庭へ』

ア―トギャラリ―884

東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884お茶の水ビル1F

TEL03―5615―8843 11時―18間30分 月曜休み

最寄り駅・JR御茶ノ水駅

千代田線・丸の内線 新御茶ノ水駅より徒歩5分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『湯島詣と、マルセル・デュシャン』

今夏の8月に求龍堂から刊行された私の作品集『危うさの角度』の特装本(限定100部)が完成し、それを記念した個展『狂った方位―幾何学の庭へ』が、東京の「ア―トギャラリ―884」で今日から12月1日(月曜のみ休み)まで開催中である。画廊の住所は、文京区本郷3―4―3 ヒルズ884お茶の水ビル1F TEL03―5615―8843。11時~18時30分・最終日は16時まで。ここは旧湯島で、近くには、湯島聖堂や神田明神などがあり、昔日の江戸の風情が透かし見える良き場所である。高島屋の個展が終わって、急きょ組まれた、いわば休む間もない個展であるが、作品集の刊行記念展ならば頑張らねばならない。……しかし、この地は東京でも私が最も好きな場所であり、あたかも湯島詣でのような気持ちで、会期中は通う日々が続きそうである。……アトリエに秘かに仕舞ってある、なかなかご覧になっていない珍しい作品も出品しているので、ご高覧頂けると有り難いです。

 

……さて先日、高島屋の個展が終了した数日後に、上野の国立博物館で開催中のマルセル・デュシャン展に行った事は書いたが、その後でまた観たくなり、もう一度行ってみた。行って改めて感心した事は、この展覧会の実に神経の行き届いた照明の見事さである。以前に観た運慶展でも感心したが、その照明の巧みさは、運慶解釈の、またデュシャン解釈の1つの提示と言っていいまでに巧みで行き届いた配慮があり、私をして酔わせるものが多分にあった。また、掲載した画像をご覧頂けるとお分かりかと思うが、作品の壁面に掛けられた高さの位置の絶妙さである。私も作品を高めに展示するが、その高さは、作品本来が持っている深部を把握している事であり、目線と水平に作品の中心が合えば、視覚から脳髄に直に伝わるものがあり、故に作品の深部と、観る側の感性が結び付く。しかるに、この国の大多数の画廊や作家は、その自明な重要点に配慮が至らず、結果いたずらに作品が低く掛けてあり、あたかも紐が緩んでずり落ちたパンツのごとき、だらしのない展示が実に多い。何故にあまりに低く掛けているのか?……その理由を実際に聴くと、(……皆さんそうですから)、(……最近は低いのが流行りですから)といった、素人ばりの返答に呆れるばかりである。二次元の作品は当然ながら正面性を併せ持つ。……故にもっと神経を使って、展示には細心の注意をするべきであろう。本展を観て、彼らが学ぶべき事、大である。……さて、今回のデュシャン展で最も大きな出品作品は、デュシャンが作ったオリジナルではなく、彼の死後に日本で制作された『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも』(通称―大ガラス)という巨大なガラス作品であり、他は全てフィラデルフィア美術館から持って来た作品であるが、この大ガラス作品が、見た瞬間にわかるほど、アニマがなく貧弱な事は歴然としている事に多くの人が気づかれたかと思う。理由ははっきりしていて、デュシャンの大ガラスのレプリカであり、制作に当たったのは、瀧口修造監修、多摩美大の東野ゼミの学生に拠るものであり、その先頭に立って制作に燃えたのが、私の同級生のS君であった。(……Sよ、意味がないから止めておけ、あの大ガラスを意味ある物にしているのは、あのガラスに偶発的なアクシデントで入った扇情的な亀裂だよ!……その亀裂を欠いたレプリカは意味がなく、絶対に底浅い物になるから、Sよ止めておけ!!)と、当時、大学院生であった私は忠告したが、Sは耳を貸す事なく、東野芳明の間違った解釈をなぞるように没頭し、今、その結果が私の眼の前にあからさまに在る。芭蕉の俳句の言葉ではないが(……無惨やな!)である。「網膜の美より、観念の美の方に意味がある」と提唱したデュシャンであったが、彼はマチエ―ルの重要性を実質的に知っていた。だから、本展に於ける他の出品作品には巧みなマチエ―ルが配されていて観る者を惹き付けている。しかし眼前にある和製の大ガラスにはマチエ―ルの富が無く、まるで表象のペラペラなのを見て、学生時にSに語った自分の先見性が間違っていなかった事を私はあらためて確認したのであった。(表象の皮膚こそが最も重要であり、最も意味がある。……そう、誰もが知るように、表こそが最も深い。)という言葉があるように、網膜の美、観念の美の是非云々を問う以前に、マチエ―ルは表現の核にある必須である事をデュシャンは知っていた!!……それだけであり、私が先に書いたデュシャンのパラドックスの妙もそこに尽きるのである。……デュシャン展、そして私の個展。ぜひのご高覧をここにお薦めする次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『市ヶ谷は、意外にも華やかだった』

……先日の10日の6時から、市ヶ谷アルカディア(私学会館)で、第五十六回歴程賞の受賞式があり出席した。……2011年に宇宙飛行士の毛利衛さん・山中勉さんが宇宙ステ―ションから『宇宙連詩』を発信したのが評価されて歴程特別賞を受賞して以来、私は七年目・2回目の受賞となる由。受賞した理由は、私の全業績に対してとの事で、作品が持っているポエジ―の具現化がその理由であるらしい。「自作を、人々の想像力を煽り、ポエジ―を立ち上げる為の詩的な装置」と昨今、特に強く意識しはじめているだけに、確かな後押しとなるタイムリ―な時期での受賞だったかと思われる。……歴程同人が内輪で集まった渋くて地味な式かと思って会場に入ると、意外にも実に華やかな雰囲気の中、100名以上が入る大きな室内のメインテ―ブルに、私や他の受賞者の名前が大きく記されていて、大切な友人・知人の方々が次々にたくさん来られたので、私は嬉しさと驚きでテンションが上がってしまった。予想よりも遥かに大きな、まるで結婚式か出所祝いのような賑やかな式だったのである。……私を含む三人の受賞者各々に、その人物について語るスピ―チの人が付き、私の場合は、美学の第一人者である谷川渥氏が、表現者としての私の像について実に雄弁に語られて、会場にピンと張り詰めた心地好い緊張感が漂った。谷川渥氏、さすがの役者であり、これ以上の人物は他にいない。氏の明晰な分析によって語られていく私の像について聴きながら、まるで名医の執刀によってさばかれる病める患者のような気持ちで、実に興味深く拝聴した。なるほどという部分と、そうか、そういうふうに映っているのか……という箇所が交錯して実に面白かった。……谷川氏に続いて、私は自作とポエジ―について語り、ランボ―にのめり込んだ20才の頃の話、駒井哲郎さんとの出会い、瀧口修造・西脇順三郎・吉岡実……といった今では伝説の中に入りつつある人との幸運な出会い、……また天才詩人アルチュ―ル・ランボ―の肖像をモチ―フとした拙作が、ジャコメッティ、ピカソ、ミロ、クレ―、エルンスト、ジム・ダイン……といった20世紀を代表する美術家達と共に選ばれて、ランボ―の生地のフランス・シャルルヴィルのランボ―ミュ―ジアムで展示された事や、その2年後にもパリ市立歴史図書館で展示された時の手応えある展示の事などを話した。そして、私は既に美術という狭い分野を越境して、今は独自なところから制作をしているという、自負にも似た認識を語って、スピ―チを終えた。……私は賞というものに、権威や名誉や、また徒な意味を抱いてしまうような凡夫ではないが、ポエジ―の可能性を、言葉による詩表現だけにとどまらず、各分野にもその対象者を探して顕彰するという高い理念を持っているのは、この国に於いては歴程賞だけであるので、私はその純度の高さに於て、快く今回の受賞を快諾した次第なのである。……さぁ、明日からはその事も忘れて、新たな表現の場へと進んで行こう。……次回は、再び観た『デュシャン展』について、新たに気付いた事などを書く予定。……乞うご期待!!

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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