月別アーカイブ: 7月 2021

『狂える夏の調べ』

①「夏日烈々」という言葉が正に相応しい猛暑の中、最近の私は本郷の坂道をよく歩いている。谷中と共にここ本郷一帯は、風情、情緒…といったものが、東京の地で最後に残っている場所である。そして、一葉、啄木、宮沢賢治…が、その天才を燃焼させるがごとく、あまりにも短い生を駆け抜けた舞台でもある。

 

その本郷にある画廊「ア―トギャラリ―884」で、今月の31日まで「北川健次展―鏡面のロマネスク」が開催中である。この画廊での個展は三回目になるが、昨年の秋・12月に予定されていたのがコロナ禍で延期され、満を持しての7月10日からの開催となったもの。コロナ禍とはいえ、私の個展は何故かいつもぶれずに強く、今まで未発表だった珍しい作品も展示してある事もあり、連日観に来られる方が多く、好評の中、会期はいよいよ最終章へと入った。画廊の中は心地好い冷気が充ち、たいそう居心地が良いのか、来られた方はのんびりと時を過ごされている。……ご興味のある方の為に、場所や日時を以下に記しておこう。

 

 

 

『ア―トギャラリ―884』

○東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884 お茶の水ビル1F

○TEL/FAX .03―5615―8843

11時~18時 月曜休み

(最終日は16時まで)

 

JRお茶の水駅・丸の内線お茶の水駅・千代田線新お茶の水駅下車

➡順天堂医院本館➡サッカ―通り手前角寄り。(駅から徒歩7分くらい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②日活のロマンポルノ全盛期にその異才を発揮し、その後に『櫻の園』『遠雷』『海を感じる時』『ヌ―ドの夜』……など、数々のヒット作を企画・製作し、この国の映画史にその名を刻んだ成田尚哉氏が、享年69才で昨年の9月11日に逝去してから早くも一年が経とうとしている。……本当に早いものである。その成田氏は度々このブログでも登場したが、三年前の晩秋に、私は彼に樋口一葉の裏日誌(いわゆる、文藝とミステリ―の融合)のような、妖しくも奇想に充ちた映画を作ってもらおうと思い立ち、彼を誘って本郷菊坂を中心にロケハンのように二人で歩き、老舗の鰻屋『鮒兼』で、…明治26年、霧の中の浅草十二階の暗い内部の描写から始まる場面構想を熱く語ったものである。……あぁ、あの時、二人でこの道を、あの階段を歩いたなぁ……と想いだしながら、先日も西片町、真砂町、菊坂、初音町……を歩いた。

 

……その成田尚哉氏の一周忌に合わせた追悼展の企画が現在進行中である。……彼は映画の分野でその異才を存分に発揮しながらも表現欲は留まる事を知らず、その才能をオブジェやコラ―ジュにも加速的に発揮し、私は彼の表現者としての深度が年々深まっていくのを間近で目撃していたのであった。その集中の様は凄まじく、後から思うと、自分の生の時間が残り少ないという事を、どこかで予感していたようにも思われる。

 

……追悼展の事は昨年の秋に企画が早々と決まり、彼が作品を発表していた下北沢の画廊『スマ―トシップ』の三王康成氏と私、そして奥様の成田可子さんとの打ち合わせが、平井のご自宅で五月と先日の二回、行われた。……私は六月末に個展案内状に載せるテクスト文を書き上げ、三王氏がデザイン構成他を担当し、順調に仕上げの段階に入った。成田尚哉氏の追悼展は今年の9月10日から18日までであるが、会期が近づいたら、またこのブログで詳しくご紹介する予定である。

 

 

③……異常な長雨の梅雨がようやく去ったと思ったら、入れ替わるように、明らかに昨年の夏を越える感の異常な猛暑の夏の到来である。……そして、強力な感染力を持つデルタ株がいよいよその凄みを増すという8月に向かい、最悪のタイミングで、拝金主義にまみれたオリンピックが蓋を開けようとしている。BBCなどの主要な海外メディアは揃って「今回の東京オリンピックは史上最悪のオリンピックになる!」と至極当然の論調である。……先日、イギリスのジョンソン首相は「コロナウィルスとの共生の道を選ぶ」という指針を示し、その流れが今、注視されている。この共生への道は、最初はその早急さ故につまずくと思われるが、やがて定着していくであろう。…….. さて、私はこのジョンソン首相がけっこう好きである。世界に感染が拡がり始めた当初に、私の考えと同じく、ウィルスのどしゃ降りの中に突っ込んで潜り抜ける姿勢(農耕ではなく遊牧、騎馬民族的な、この期に及んで是非も無し、強い者のみが抗体を獲て残ろうぞ!という中央突破的な考え)を提案し国民の顰蹙をかい、結果、本人もコロナに感染し、一時は生死の境をさ迷った。……しかし、いつも何かに追われているように必死な、さすがにシェ―クスピアの国を想わせる演劇的表情過多のこの人は、度々様々な着想を提案し、けっこう闘っているのが伝わって来て、何処かの国のボ~っとした覇気の無い、眼力の無い人物の無策、詭弁、信念の無さに比べると遥かに良い。いや面白い!!。

 

……彼が提案した「ウィルスとの共生」という考えは、完全な収束を願うよりも一番理に叶っている。地球が誕生したのは今から46億年前。ウィルスは30億年前に出現。人類は未だ20万年の歴史しかない。地球全史を1年に圧縮すれば、ウィルスは5月に生まれ、人類が生まれたのは大晦日の夜の11時頃にすぎないという。つまり圧倒的にウィルスの方が大先輩なのである。しかもウィルスは不気味なまでに賢く、人類の進化にも寄与している部分が大であるという。スペイン風邪の猛威は何億という人間を死に至らしめたが、何故か自然収束して、その姿を消した(正確には隠した!……それはシベリアの凍土の下に姿を隠し、また出現の時期を計っているという説もある)。そのウィルスは人類がいないと自分達も繁殖しないので、自らの意志があるかのように、人類をギリギリまで追い詰めて、最後は生かしておいて、後日の変異した我が身の温存をそこに計るのである。……この辺り、新宿の盛り場で、ボコボコに相手を殴ったチンピラが「今日はこれくらいにしてやるから感謝しろよ!!」と、毒のある捨て台詞を言いながら厳つく去っていく姿と少しだぶる。

 

……とまれ「お・も・て・な・し」が、正しくは「コロナで貴方をお・も・て・な・し」となった今日。選手村は予想された事だが陽性者の巣窟と化し、デルタ株はねずみ講のように拡がり、今年の8月は正に『八月の狂詩曲』ならぬ『八月の狂死曲』となるであろう。…………今年の夏は至るところで、死影のような今まで見たことがない陽炎が立つように思われる。

 

 

 

 

 

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『坂の上の歪んだ風景―熱海・代々木篇』

①熱海篇……司馬遼太郎の小説に『坂の上の雲』という、とてもロマンチケルな題名の作品がある。…確かに坂道は私達の詩情を煽って、たいそう穏やかで、春昼の浪漫的な夢想を誘う何かがある。しかし一方、永井荷風の『日和下駄』では、坂道を評して「坂は即ち地上に生じた波瀾である」と断ずるように書いていて穏やかではない。……確かに、坂はそういう一面も持っていて、時に坂は不穏に見える事がある。ましてや傾斜がきつい急坂は、いつか起きる凶事の予感を秘めて不気味でさえある。……その感の極まりが、先日の熱海の伊豆山中から崩れ落ちた土石流の惨事である。しかしこの惨事は、不法に大量の廃棄物を隠すために意図して盛り土を積み上げた悪質業者と、行政の指導の怠慢を突かれたくない県や市の責任転嫁に必死な様との、まさしく泥仕合で、つまりは集合的な人災の感は免れない。

 

……あれはもう何年前であったか?私はこの惨事となる現場を歩いた事があった。……頼朝関連の場所として、この崩落現場の上にある伊豆山神社に興味があり、後の現場となる盛り土があった道を通って神社に行き、正に崩れ落ちた坂道のあの場所を下って熱海駅に戻ったのであるが、傾斜がきつい坂道に奈落へと落ちるようにして点在する民家を見て、よくこういう場所に住んでいるな……と思ったのを記憶している。……あれは、熱海の海光町に住んでいた池田満寿夫さんが亡くなって、暫く経ってからの事であったかと記憶する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②代々木篇……5月初旬に東京国立近代美術館で開催中であった『あやしい絵展』を観に行った。幕末から昭和初期までの病める側面をデロリと映した、妖美、退廃、エロティシズム…を一同に集めた展示でたいそう面白かった。熱心に観入っている観客をぬって、上の階に行くと『幻視するレンズ』展が開催中。やはり川田喜久治さんの『ラストコスモロジ―』連作の写真は圧巻であった。わけても、以前に川田さんから直接プレゼントして頂き、我がアトリエの壁にも掛けてある代表作『太陽黒点とヘリコプタ―』は実に怪奇にして玄妙なモノクロ―ムの結晶である。

 

次に常設の、靉光『眼のある風景』を観にいくも残念ながら展示されておらず、次なる岸田劉生の切通しの坂を描いた『道路と土手と塀(切通之写生)』(大正4年作)を観にいく。……実に不穏でミステリアスな坂道の描写で、紛れもなく近代絵画の秀作であるが、面白い符合があり、前述した永井荷風が、「坂は即ち平地に生じた波瀾である」と評したのと同じ年(大正4年)に、劉生は、それを強調したかのような視点でこの不穏な坂道を描いている点が面白い。

 

場所は道路開発中で切り崩されている最中の当時の代々木。……以前にこの現場を月刊誌『東京人』からの執筆依頼があって観に行く必要があり、劉生に詳しい、当時の京都国立近代美術館長の富山秀男氏に電話して場所を伺い訪れた事があったが、この坂はこの傾斜のままに現存する。

 

 

 

 

 

 

さて、この劉生の作品、暫く見ていると、画面下の道路を横断する黒い影(実際は電柱の影)が、何やら電柱に装うった怪しい人の気配のようにも見えて来ないだろうか?……この坂道の絵が不穏な気配を私達に直に伝えて来るのは、間違いなくこの黒い影の効果なのであるが、この絵をさらに怪しくしている点(劉生が意図的に仕掛けた)が、実はもう1つある。……それは画面上部左側の、塀と坂道の交わる消失点が微妙にずれており、更には先日の盛り土の惨事ではないが、不気味に不自然な僅かな盛り上がりがあり、その崩れそうな気配(気)が、この絵画を名作足らしめているのである。

 

 

 

 

 

 

……画面内に意図的に仕掛けられた異なる2つの遠近法、そして不穏な黒い影(シルエット)。この劉生の絵に最も近い近似値を他に探すと、たちまち私達はジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画『通りの神秘と憂愁』(1914年作)へと辿り着く。…… (1914年、……期せずして、岸田劉生のあの坂道の不穏な絵と、正に同年時に、このキリコの絵は描かれたのである)。一つの画面に異なる複数の遠近法を仕掛ける事、また影(シルエット)による不協和音とでも言いたい不安な気配の屹立。……それは、近代に芽生えたモダニズム(近代主義)の精神や意識が産んだ具体的な一様態でもあるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

……さて、ここに唐突にレオナルド・ダ・ヴィンチの名前が登場する。そして2004年に刊行した拙著『「モナ・リザ」ミステリ―』(新潮社)からの引用が登場する。

 

「……私は、今までの定説を否定するように「モナ・リザ」だからこそ必ず何か記しているに違いないという眼差しで、彼の遺した手稿の中に、それを追った。そして、遂に気になる一文に眼が止まった。それは昭和十八年に刊行された、今では古色を帯びた『レオナルド・ダ・ヴィンチの繪画論(翻訳書)』の中に在った。―109章の〈自然遠近法と人工的遠近法の混用について〉と題する中でレオナルドは、自然遠近法と人工的遠近法を一つの画面の中に混淆した場合、その絵は、〈描かれている対象が全部奇怪なものに見えてくる〉と記しているのである。これは音楽用語における「不協和音」と一致する。そのまま流せば素通りしてしまう、この記述。しかし私はこの一文に注視して、そこに「モナ・リザ」の絵を当て嵌めてみた。すると驚くべき事が透かし視えてきたのであった。

 

「モナ・リザ」の絵を今一度、見てみよう。手を組んだ女人像は私たちの視点と水平に描かれている。では、その視点のままに背景に目を移せばどうであろうか。…あきらかに背景は、上部から眼下を見下ろした俯瞰の光景として描かれている。つまり「モナ・リザ」には二つの異なる視点が、それと知れずたくみに混淆されているのである。レオナルドは記す。「自然遠近法と人工的遠近法を一つの画面の中に混淆した場合、その絵は、描かれている対象が全部奇怪なものに見えてくる」と。私たちが「モナ・リザ」を見て先ず最初に覚える印象は、美しさではなく、むしろ奇怪とでも云うべき不気味さである。しかし、それは私たちが共通して抱く主観というよりも、レオナルドの記述のとおりに解せば、それは前もって画家自身が意図したものという事になる。訳者はそれを「奇怪」と訳しているが、原書の言葉には如何なる解釈の幅があるのであろうか。残念ながら原書は入手不可の為、訳者を信じる他はないが、訳の幅はそれ程には無いのではあるまいか。ともあれ、私たちが「モナ・リザ」に対して抱く奇怪なる印象、それはあらかじめ画家がこの絵を描く際に秘めた一つの主題としてあった事は確かな事と思われる。果たして画家は「奇怪さ」を帯びさせることで、この絵に如何なるメッセ―ジを宿らせようとしたのであろうか。……」

 

拙著の記述はこの後も延々と続くのであるが、とまれ、ここで大事な事は、劉生はダ・ヴィンチからもかなりな事を学び、それを自己流に消化して自らの方法論の深部に取り込んでいるという事である。……モダニズム云々という、歴史を分断した直線的な切り方でなく、その深部に貫通する、美を美たらしめる為の思索の水流は、各々の時代の時世粧という変容を経ながらも、その本質の瑞々しさは変わらずに「今」を流れ続けているのである。

 

いや、次のように言い直すべきかも知れない。……すなわち、人類最大の知的怪物であるレオナルド・ダ・ビンチの透徹した認識の視座から視れば、近代はおろか現代までも、またその先までも、あらゆる物が彼の掌中に既にして、呪縛的なまでに包括されているのである、と。

 

 

 

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『銀座・永井画廊での展覧会が終了』

先日の7月3日、永井画廊での展覧会『北川健次展―彼らは各々に、何をそこに視たのか』が、連日盛況の内に無事終了した。このコロナ禍で来場される方の入りがさすがに気になっていたが、始まってみると、連日たくさんの方が観に来られて、本当に有り難がった。棟方志功さん、駒井哲郎さん、池田満寿夫さんの三人の版画史の先達と、自選した私の代表作とのぶつかり合いという展覧会の切り口の妙、そして、永井画廊と画廊主の永井龍之介さんの知名度の高さ、また、現代の版画の状況への懐疑と問題提示、などが展覧会の開催意義と重なり、多くの目利きの方を刺激する展覧会となった。

 

 

 

 

会期中に来られた棟方志功さんのお孫さんの石井頼子さんからは、棟方志功さんについて詳しく書かれた著書『棟方志功の眼』がアトリエに届き、私は面白く、また懐かしく読み耽った。そして実に鋭くこの鬼才の本質に触れられていて、棟方志功解釈に於いて多くの得るところがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また最終日には、駒井哲郎さんのご長男の駒井亜里さんが、画廊に来られて実に45年ぶりの嬉しい再会が叶った。私が美大の学生時、亜里さんには一度だけ駒井さんのお宅でお会いした事がある。痩せて貧乏学生だった私に、駒井さんから、奥様が作られたカツ丼をご馳走して頂き、そのテ―ブルに亜里さんもおられて私達は一緒に食べたのであった。金もなく毎日ろくな物を食っていなかったので、本当にその時のカツ丼の美味しかった事が懐かしく思い出される。(……駒井さんは、懐が深く実に優しく、そして厳しかった。……確かその日の私は、かなり過激な事を駒井さんに喋りまくり、食ってかかったというのに……)

 

画廊で、私と永井さんは、亜里さんから、駒井さんの制作時の貴重な逸話を伺い、その作品に秘めた駒井さんの意図が見えて来て興味深いものがあった。……私は亜里さんに、全く誰も気にかけていない駒井さんの作品で、孤高の民俗学者にして国文学者であった、折口信夫(釋迢空)を描いた肖像(一点だけのモノタイプ作品)の行方について伺った。……以前に『文芸読本』の折口信夫特集の表紙を飾っていた作品で、駒井さんの中では異質な作品であるが、駒井さんの精神の闇が如実に出ている逸品である。しかし、駒井哲郎展では全く展示された事のない作品で、私はずっとこの作品の事が気になっていたのである。亜里さんは、たぶん自宅に在る筈と言われ、探して頂けるという事なので、私はそのオリジナル作品をぜひ拝見したく、その日が今から待ち遠しい。ちなみに、この折口信夫特集の執筆者は、西脇順三郎、小林秀雄、柳田国男と揃っており、三島由紀夫の小説『三熊野詣』の老いた国文学者のモデルであり、何とも奇怪でグロテスクな感さえある三島の鋭い描写であるが、駒井さんが描いた折口信夫のそれとピタリと重なるものがあり、実は駒井芸術における重要な作品のひとつと私はかねがね睨んでいたのであるが、例えば学芸員達には、全くその作品の事が頭から抜け落ちているらしい。

 

 

 

 

最終日に、池田満寿夫さんのパ―トナ―であったヴァイオリニストの佐藤陽子さんも来られる予定であったが、線状降水帯の激しい豪雨で熱海の山頂から凄まじい量の土石流が流れ落ちて来て、新幹線が運行停止の可能性が出て来た為に上京が不可能になり、久しぶりの再会(山の上ホテルでの澁澤龍彦さんの三十回忌以来)は叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

私が池田満寿夫さんと出会った時、池田さんは芥川賞を受賞する前の最も多忙にして、最も感性が鋭い時であった。駒井さん、棟方さんは私にぶれない表現者としての矜持と自信を与えてくれたが、実質的にプロの作家への道を作って頂いたのは、その後の学生時に出会った、まことにこの池田さんの導きが大きかった。……棟方志功さんと同じくヴェネツィアビエンナ―レ展の版画部門国際大賞を受賞したこの人は、版画に留まらず、作家、陶芸、彫刻、映画監督、写真家……と実に多才であったが、この国の実に偏狭な価値観は、その実の芯を視ずに、表面的な器用さと誤解し、それが池田さんにとってはかなり抵抗感があったと思われる。今、私は版画に終止符を打ち、オブジェ、美術に関する著作執筆、写真、詩と様々に自由に展開し、存分に手応えを覚えているが、僅か40年前のこの国の狭い偏見は、当時この人に対して不当なものがあった。またその華やかさに対して、世の人々が抱いた羨望や嫉妬もそこに動いていた感は確かにあった。……今、時代的に見て、淘汰か否かの渦中にあるが、池田さんの優れた作品に対して、眼力のある人が数人出て来たならば、この人の正しい評価は間違いなく確かなものになっていくという確信が私にはある。ただ、この人の多才な才能の幅に渡ってあまねく語れる論者、識者が未だいないだけの話である。専門だけに留まらず、分野を越境して語れる側の人材があまりにいないだけの話なのである。池田満寿夫再考、再評価が実に待たれるのである。

 

……今回の展覧会場―永井画廊で、池田満寿夫さんと棟方志功さんの作品が隣どうしに並んだのであるが、おそらくこの組み合わせは今までに無かった、永井龍之介さんの着眼力と創意性の確かさから出たものである。比較文化論的に言えば、強度で意外な物がぶつかり合う事で、今まで見えなかった新たな意味がそこに鮮やかに立ち上がる。……棟方志功さんの作品も動くし、また池田満寿夫さんの作品も動いて、今までに無かった新たな妙味がそこに立ち上がるのである。……初日前日、私が展示の為に画廊に来た時、既に全作品が床に並べて立て掛けてあったが、私は一目観て、永井さんの構成のセンスに唸った。そして、そこに今までに無かった新たな可能性の揺らぎをも直感したのであった。

 

会期中に永井さんに「日本美術史の名作の中で、永井さんがこれ一点は何かと問われたら、何と答えますか?」と伺ったら、即座に長谷川等伯の『松林図屏風』という答えが返って来た。私ならば今は宗達の『舞楽図屏風』であるが、……問題はその思考の速度である。芭蕉の「考えるは常住の事、席に及びて間髪を入れず」ではないが、私は時々この質問を相手にする事がある。その返しの速度と何を返して来るか!?を知りたいのである。会期中、度々私と永井さんは、古今東西の美術史を越境した様々な話をして実に愉しい時間を過ごせたのであった。こういう体験は最近実に珍しい事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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