月別アーカイブ: 2月 2026

『美術史上最大の謎『モナ・リザ』に挑む』(完結編) 

…前回のブログで、私はモナリザの背景を真ん中から切断して、画面を左右に入れかえると、それまでずれた感のあったモナリザの背景が、実に整然と左右に繋がる事を書いて実証的に示した。

……下図がそれである。

 

 

…そこまでは見えて来た。(確かなダ・ヴィンチの意図として)…しかし、その先の〈何故〉がわからない。…ダ・ヴィンチはそれを描く前後で、果たして何を考えていたのであろうか⁉ ダ・ヴィンチの考えを知るには、やはり遺された彼の手稿を調べるにしくはない。…しかし、モナリザの背景の謎に迫れそうなヒントとなるダ・ヴィンチ自身の言葉など、そこに書いてあるのだろうか?

 

 

…私はこの国で翻訳されている限りの手稿を読み漁り、モナリザの背景の左右が反転している謎に絡んでいる…と思われる箇所を幾つか見つけ出し、そこから見えて来た推論を書いた。…その箇所を拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』(新潮社刊)の次に刊行した『絵画の迷宮』(新人物文庫・『「モナ・リザ」ミステリ-』に加筆した改訂版)から転載してみよう。

 

(……そして、思い至ったのは、レオナルドが絵画の文脈を超えて「モナ・リザ」を、立体絵画の為の視覚実験の装置としても考えていたのではないか、という結論であった。一見この着想は、度を過ぎた閃きではあるだろう。しかし、レオナルドが手稿の中で繰り返し記した言葉……「絵画において最も重要なことは、その表現する対象が浮き上がって見えねばならぬという事である」という言葉と、それを裏付けるべく彼が手稿の中で夥しく描き示した、「見る対象は、水晶体を通った際に左右が反転し、脳に送られて再び反転して正像化するという視覚のメカニズム」に関するデッサンの数々が在る事を思えば、あながち考えられなくもないのである。…群を抜いて最高な知性を持つ科学者でもあった男が、絵画史においても突出して最高に優れた絵画「モナ・リザ」を描いた。…ここではそう見た方が、レオナルドの本質に近づくのではないだろうか。……私はそう書いた。…問題はここからである。

 

…上述したダ・ヴィンチが書いた絵画の在るべき理想を読むと、手稿から自ずと立ち上がって来たのは、作品を3D化(立体的な画像の可視化)しようとする、とてつもない目論見である。…..推論の思わぬ展開に自分でも驚きながら、では私と同じ推論に現在至っている人物が他にいないかをネット検索で調べてみた。…そして、私と同じ着想をしている人物が、日本でなく、海外に二人いる事を初めて知った。……ドイツ人研究者のクラウス・クリスティアン・カルボン教授と、ヴェラ・ヘッスリンジャー博士である。…ともあれ、私と同じ推論を立てた人物がいる事を知って、私は自分の着想に同行者を得た思いであった。両氏の研究は詰めを得たものであった。……ル-ヴル美術館にあるモナ・リザのオリジナルと酷似したモナ・リザの絵(同寸)がプラド美術館に収蔵されている事は以前から知られているが、その絵とオリジナルのモナ・リザは左右に2.7mm微妙にずれて描かれていて、それは私達の左右の目の間の平均的な距離に近い事を調べ上げたのである。…そして、その詰めは、画像が立体的に見えるステレオスコ-プ(立体鏡)の原理と一致する事を突き止めた。

 

(注意・プラド美術館のモナ・リザの絵は明らかに稚拙である事から、弟子のメルツィに師のダ・ヴィンチが命じて描かせた物であろう。大事な事は本画のモナ・リザから右に2,7mmずらして描く事であり、モナ・リザの顔の描写や背景のアバウトに描かれた臼青い描写はさほど重要ではないだろう。…要は、2,7mmの右へのずらしが、掛けた眼鏡のような2つのレンズを通して、果たして立体画像に見えるか否かに、ダ・ヴィンチの実験の主たる目的はあったと、私は推理する。)

 

 

 

…よく美術館のグッズコ-ナ-で、同じ名画を少しずらして並べてプリントし、それを簡易なメガネで視ると立体画像に見える物が商品として売られている。…それを見て、もしダ・ヴィンチがそれを見たら狂喜するに違いないと私は想像する事がある。そして、こうも思う。…二点のモナ・リザを並べて、果たしてダ・ヴィンチは、その立体画像化に成功したのであるか否かと。……

 

………私が数回に分けて書いて来たモナ・リザ論考。しかし多くの読者諸氏は、或いは荒唐無稽すぎる感を懐かれたのではないだろうか。…しかし、この荒唐無稽という言葉こそ、またダ・ヴィンチの無尽蔵の発想と創造力を一番的確に表した言葉ではないかと、私は書き終えた今思う。

 

…ル-ヴル美術館に行き、『モナ・リザ』を観た後に各館に展示してある絵画を通史的に観ると(あぁ、それぞれ時代は異なっても、一元論的な意味では、絵画の文脈に全て収まっているなぁ…と思い、物足りなさを覚えてしまう事がある。…しかし、こと『モナ・リザ』だけは、絵画の文脈を超えて、様々な試行錯誤や思念、はたまた懐疑、声なきダ・ヴィンチの自問…といったものが多角的にぎっしりと詰まっていて、身震いさえ覚える事がある。…………レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた『モナ・リザ』は今もなお、その推理が万人に開かれている、正に尽きない最高にミステリアスな現場なのである。

 

 

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『迷宮の絵画-モナ・リザの謎に迫る試み』

前回のブログは『モナ・リザ』に描かれた女人像の謎について書いた。…私は実に美的なまでの効果を帯びて入っている顔の亀裂について自論を展開し、…それがダ・ヴィンチ自身の緻密な意図に依って仕掛けられた亀裂であり、モナリザの顔は、実はその内に真意と、更なる謎の問い掛けを封印した仮面(ペルソナ)ではあるまいか、…人の顔に入る筈がない亀裂は、その仮面性を暗示しているのではあるまいか⁉…という、あくまでも仮説ではあるが、その提示であった。

 

 

……さて今回は、以前から疑問を持っていた、モナリザの背景について書こうと思う。

 

……先ずはモナリザの背後に描かれている風景の画像を注意して見て頂きたい。……ふと観ると奇妙な感がしないだろうか?……モナリザの背後、左側の風景描写に比べ、右側の風景がやや隆起したように上に持ち上がって描かれている事を……。

 

……私は以前からその事がずっと気になり、出ている限りのモナリザの論考を読んだが、これもまた不思議な事に、全く誰もその事について言及している人はいなかった。……厳然として、その奇妙さはありありと目の前に在るというのに、研究者はなぜ誰もそこに疑問を呈しないのであろうか?……。

 

………………『「モナリザ」ミステリ-』を執筆していた或る日の事であった。…トイレで用を足そうとして便座に座った正にその瞬間、頭上から閃光が落ちて来るように、とんでもない仮説が降りて来た。〈モナリザを真ん中から切断して、左右を逆に入れ換えてみたら、果たしてどうなるか…!?〉…そう思った私は、早速モナリザの画集を持ってコンビニに走り、モナリザを2枚コピ-してアトリエに戻り、1枚のコピ-をカッタ-で真ん中から切断し、左右を入れ換えてみた。

 

…すると、どうであろう‼…閃いた予感はすぐに確信へと変わった。…それまでずれて見えていた背景は、まるで手品の隠されたトリックを暴いたように整然と繋がったのであった。最奥の霞んだ岩山は横になおも拡がり、水を貯めた湖面はさらに平らかになり、欄干真下から拡がる地平の石橋の在る道は右側の道へとS字形に連なり、……つまり、そこにはあたかも雪舟『破墨山水図』にも似た幽玄ささえも鮮やかに立ち上がったのであった。

 

 

 

……………………その瞬間、何か大きな扉が開かれたのと同時に、更なる深い謎が隠し扉の向こうになおも待ち受けているのを私は感じた。…絵画の文脈から逸脱して、まるで何かの視覚実験を思わせるような奇怪な仕掛けをこのモナリザの中に取り入れた、ダ・ヴィンチという魔的なまでに高い知性を帯びた男の暗い影が、…その先に待ってでもいるような、……見つけてしまった故の冷たい緊張の走りを私は覚えた。…この先にとてつもない難題が控えている。…その事への高ぶりでもあった。

 

 

………………………モナリザの背景が何処なのかを論じたのは、私が最もその眼識に信頼を寄せているイギリスの美術史家のケネス・クラ-ク卿である。…氏は、背景の現場がアルプス山脈であり、ミラノ時代のダ・ヴィンチが少なくとも2回、アルプスに登攀している事を突き止めている。

 

アルプスと云えば奇妙な感を人は懐くかもしれない。…しかしミラノからアルプス山脈は近く、ダ・ヴィンチは地球の地殻大地の構造と隆起の謎(例えば、山頂に海底の貝の化石が在る事など)を調査する上で、アルプス山脈への登攀は重要な事であったのである。

 

……ケネス・クラ-ク卿の本を読んでいた私は、ダ・ヴィンチの執筆取材で訪れたミラノからパリに行く機上から眼下に拡がるアルプス山脈の光景を見て不思議な感慨を覚えた。…まるでモナリザの絵の中に入っているような感覚になったのであった。険しい岩山、その間を走る細い川の流れ。…そして、モナリザの背景そのままに冷たい水面を映している小さな幾つもの湖……。

 

私のアトリエには、ダ・ヴィンチの貴重な資料が2つある。……1つは日本テレビのルネサンス番組を永年手掛けていたスタッフから頂いた、原寸大のモナリザの実に精巧な画像を貼ったパネルである。…ル-ヴル美術館への莫大な資金援助の返礼として、ガラスを外したモナリザを至近からの撮影許可を得て作る事が出来た、原寸大は世界でも一点だけという貴重な画像。…拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』(新潮社)が刊行され、日本テレビの美術番組で本が紹介された時に記念に頂いた物であり、私はこの原寸大のモナリザを立て掛けて静かな自問自答をしている事が多い(今回もそうである。)……もう1つは、ドイツの出版社のTASCHENから刊行されたダ・ヴィンチの画集で、全絵画・素描が入っている事で貴重であるが、実に重いのが難である。

 

(モナリザの背景はアルプス山脈を描いている)…ケネス・クラ-ク卿の言葉を確認すべく、私はTASCHENの重い本を開き、全素描を精査するように確かめた。…そしてモナリザ正図の左方の最奥に描かれている嶮しい岩肌を見せる形状の連なる形が、アルプスを登った際に描かれた中の二点のスケッチと酷似している事を突き止めたのであった。……ダ・ヴィンチはモナリザの背景にアルプス山脈の光景を、あたかも地球という進行変化形の生命体の謎を封印するようにして描いている。…これは間違いのない事である。

 

…では、それを正図として描かず、切り離して左右に入れ換えて描いている、その真意は何なのか⁉ …私は数日間、その意図を探るべく思案した。…そして、見えて来たのは全く予想だにしない事であった。…『モナ・リザ』が通史以来の絵画の概念を遥かに越えた、とてつもない産物であるという結論に達したのであった。(次回に続く)

 

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『「モナ・リザ」はいつ割れたのか⁉…part②』

拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』を刊行してから20年が過ぎた、昨年秋の事。高島屋の個展会場にいると、ある日、年輩の女性の方が現れた。(…直感で、美術に関わっている人だな…)と思い話しかけると、修復を生業にされているとの事。ならばと思い、『モナ・リザ』の事で以前から少しずつ気になっていた事があったので、話題をそこに向けてみた。

 

…(以前から疑問に思っていたのですが、モナリザの絵にある亀裂ですが、原因をどう思われますか?…ダ・ヴィンチの技法はスフマ-トという、時間をかけて絵の具を薄く何層も重ねていく技法で、彼の他の絵には亀裂はなく、モナリザだけに何故か亀裂が入っていますが…?)と私。…(あれはたぶんニスのせいではないでしょうか…)と、その方は話された。…ダ・ヴィンチが最後に塗ったニス、そして後世の何度かのニス塗りによる経年劣化の為に亀裂が生じたのだというのである。

 

…しかし私には疑問が残った。ダ・ヴィンチはフランソワ1世に招かれて最期の地であるフランスのアンボワ-ズに赴いた際に、遺作『洗礼者ヨハネ』『聖アンナと聖母子』と共に『モナ・リザ』も携えており、ダ・ヴィンチは最期まで絵に手を加えていたという。…そして手の描写からモナリザは未だ未完成であったという指摘もある。………ならばダ・ヴィンチは生前には仕上げのニス塗りを未だしていなかった事も考えられて来る。…亀裂のもう1つの原因として、モナリザが描かれた薄いポプラ材の板の収縮がそれではないか…という説もある。(しかし、おなじ支持体の板を使った他の絵には亀裂は無い…)

 

…………年が明けた元旦の日に、例の小野・藤牧事件について推理の詰めをしていた時に、突然横から割って入って来るように(…もしかすると『モナ・リザ』の亀裂は、ダ・ヴィンチ自身が意図的に入れたのではないか⁉)…という大胆な着想が卒然と閃いた。…この説を考えた先人はいないか⁉…と思い、早速AIでチェックした。(AIは使いようでは思索が次々に進むので効率的に便利である)…すると(ダ・ヴィンチ自身が意図的に亀裂を入れた事を裏付ける資料や専門家の見解は存在しない。)という返答。…つまり私以前に誰もこの説を立ち上げた人物は具体的には500年間いなかった事になる。

 

私は頭の中に入っている西洋美術史において亀裂の目立つ作品を、2つばかり思い浮かべてみる事にした。先ずはAの画像の作品(作者・題不明)。…次にBの画像(ペトルス・クリストゥス作・『若い女の肖像』)は、中国の実に美しい絵皿を想わせ、むしろ亀裂がこの作品を名画たらしめていると言っても過言ではない作品。しかし共に後世に入った亀裂と思われる。…描いた絵の具が完全に乾くのを待たずに次の絵の具の層を入れると、異なる乾燥による捻れで、亀裂が起きて来る。しかし、ダ・ヴィンチが考案したスフマ-トという技法は、極薄の半透明な色彩層を何度も塗り重ねる技法で、亀裂が生じにくいダ・ヴィンチ独自の唯一無二の技法である。上記した二例の作品は全面的に亀裂が入っているので、永い時を経て起きた劣化による亀裂である事がそれとわかる。

 

 

(A)

 

(B)

 

…では私が、仮説ながらも『モナ・リザ』の亀裂はダ・ヴィンチがある意図を持って自身が入れた亀裂であるという根拠をこれから書こう。上記の2つの画像を見てわかるように、外因によって生じた亀裂ならば、画面全面に亀裂が入っている筈である。…ではこれから掲載する『モナ・リザ』の顔の部分アップ画像はどうであろうか⁉

 

 

 

 

…如何であろう。…もし後世に入った亀裂ならば先述した二点と同じく、モナ・リザの顔にも全面的に均一に亀裂の走りが入っている筈である。…しかしご覧になっておわかりのように、顔の最もハイライトの部分(つまりより立体感を出す明るい部分)には亀裂が目立たなくなっており、うっすらと亀裂の上をなぞるようにして、あたかも化粧の仕上げを描写するように、更なる筆の走りが実に巧妙に在る事を。これはダ・ヴィンチが描画の或る段階で亀裂が入るように絵の具の乾燥を操作し、亀裂が入った時点で、絵の具を柔らかい薄い布で亀裂を強調する為に詰め、その後をまた明るい肌色の絵の具で最も明るい部分を
描いていった事が、可能性として想像の上に見えては来ないだろうか。

 

前回のブログで拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』の内容について幾つか書いたが、もう1つご紹介しよう。ダ・ヴィンチが遺した手稿には、数々の考えが書かれているが、モナ・リザに関しては一切の記述・言及が無い…というのが研究者や識者の間での定説であった。…私はむしろ絶対に書いてある筈!という考えで、この国で読める手稿の全てを読破し、間違いなくモナリザについて言及している箇所というのを見つけたのであった。それにはこう書いてあった。…「或る作品の中で、異なった2つの遠近法が使われている場合、その作品は不気味で不安な印象を観者にもたらす」と。

 

 

モナ・リザの絵を観ると、腕を組んで妖しく微少する女性像は真正面から描かれているが、背景の謎めいた山河は、やや上から見下ろした視点で描かれた俯瞰的な描写という、異なる2つの視点、つまり異なる2つの遠近法で描かれているではないか。正にダ・ヴィンチの言葉そのままの事がモナ・リザには描かれているのである。

 

………(その絵は不気味で不安な印象を観者にもたらす……)、…私達がモナ・リザを観て率直に懐く印象は、正しくダ・ヴィンチが意図して手稿に記したそのままである。

 

 

………………………さて、私はここまで書いて来て、はたと気がついた。今回のブログの書き方でいくと、大変な分量になり、ブログというより、例えばフランス学士院に提出するような膨大な量の内容になってしまうのではないか…という事を。……一昨年に、アンドレ・マルロ-の見事な翻訳でも知られる竹本忠雄さんに、拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』をお読み頂いた際に、この本は、翻訳してフランスでも実際に問うに値する内容と高く評価して頂いた事を、今、書いていて思い出した。このままいくと、とてもこのブログでは収まりきらなくなってしまうのである。なので少し先を急がねばならない。

 

 

〈実は亀裂は美しい。〉…というよりも、観る人にある意味、扇情的といってもいい程の感性を揺さぶる効果を与えるという事は、美学的にも謂えるかと思う。…その例を3つ挙げよう。…先ずは亀裂に美を見出だした「金継ぎ」という先人の優れた感性。…次に、先に掲載したペトルス・クリストゥスが描いた絵画の亀裂がもたらす効果は、まるで李朝の割れた皿の白い肌のように美しく、かつ妖しい。

 

 

…そして最後は、ピカソと並んで20世紀美術の美に対する新たな認識を呈示したマルセル・デュシャンの代表作・通称大ガラス作品『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも』に視られる亀裂の大なる効果である。…デュシャンは途中まで作った処でこの作品を放棄した。…最後の詰めが浮かばなかったのである。ガラスに亀裂が入ったのは偶然であった。…作品をトラックで運んでいた際の運転手の運転が荒く、運搬途中でガラスに偶然亀裂が走った。…最初にそれを見たデュシャンは悲嘆したが、さすがにデュシャンである。…彼はこの事故による亀裂を恩寵と捉え、そこに視覚と観念の美を見出だしたのであった。

 

 

『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも』

 

 

 

前回のブログで、ダ・ヴィンチが晩年に描いた、或る奇妙な一点の素描(晩年のダ・ヴィンチの後頭部に肉付けして描かれている後ろ向きで微少する女の描写)を掲載した。…私がこの素描こそ、晩年のダ・ヴィンチが秘かに描いた『モナ・リザ』の真意を暗示した素描であるという推理を込めて。

 

 

 

…それと、亀裂をダ・ヴィンチ自身が意図的に入れた…という事を併せ読むと、1つの仮説の内にモナ・リザに込めた真意のようなものが立ち上がって来る…それは『モナ・リザ』の顔は、『ペルソナ』(仮面)を意図して、その内にダ・ヴィンチ自身が孕んでいる、両性具有的にして、不可解極まる本源的な謎を封じたのではあるまいか⁉…という考えである。

 

 

 

 

…………しかし、この推理が仮に当たっていたとしても、それを確認する事は、未だ行方不明になっている残りのダ・ヴィンチの手稿が見つかって、そこに真意が書かれていない限りは永遠に謎である。…何故ならダ・ヴィンチは既に死んでしまって、永遠に答えてはくれないからである。…あくまでも仮説、しかし仮説を立てる事には大事な意味がある。

 

…芸術の意味とは、深い美を享受する感性の力であると共に、限りなく思索するという、人間にしか出来えない知の力の表れでもあるからである。

 

 

 

 

 

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『「モナ・リザ」はいつ割れたのか!?…part①』

…私はオブジェも作るが、時にまとまった文章も書くという二股の人生を生きている。オブジェという、言葉では決して語り得ない領域と、言葉の権能を駆使した、文章という語り得る領域との、右脳と左脳の間を慌ただしく行き来するのが面白く、いつしか二股の人生になってしまった。とにかく、仮説から実証へと向かい、何らかの形が見えて来るのが面白く、今まで読んで頂いたブログでもおわかりのように、人生をミステリ-漬けにして生きているのである。…言い換えれば、成長に失敗して大人になれなかった、ただ好奇心だけが強い子供のままなのかもしれない。

 

 

………………一年間ばかり制作を中止して「モナ・リザ」一点が孕んでいる様々な謎を説くべく200枚近い原稿執筆のみに専念し、『「モナ・リザ」ミステリ-』と題する本を新潮社から刊行してから既に20年の月日が経つ。…早いものである。

 

それまでに、『デルフトの暗い部屋』と題するフェルメ-ル論を、…そして『停止する永遠の正午-カダケス』と題したピカソダリデュシャン論を文芸誌の『新潮』に発表していたが、さすがにダ・ヴィンチが描いた『モナ・リザ』だけは、まるでスフィンクスの謎かけのように手強い難物であった。…それ故に、こちらの感性と直感力も、推理する刃の切っ先を鋭く研いでかからねば攻めきれない、故にこんな面白い対象はない相手であった。

 

 

 

 

 

…執筆時は、日々頭の中がモナ・リザ一色に渦巻いていて、ダ・ヴィンチという最高な知性と、計り知れない闇の底の持ち主に挑むように書き進んでいったのであった。書くとなったら私は徹底してやる性格で、……執筆の為に、イタリアとフランスに飛び、ダ・ヴィンチの足跡を追うように各地を巡り、哲学者の木田元さんからの紹介状を持って京都大学大学院の発達心理学の教授に会い、意見を交換しながらダ・ヴィンチの鏡面文字の謎に迫ったりもした。私の推理して立てた仮説の客観的な整合性を問うべく、専門家の意見も取り入れて裏付けを更に固める為である。…結果、私が解いた「鏡面文字の謎」の解析によって、今まで謎とされていた事は謎でなくなり、私達の多くが発達の段階(4歳頃)の一時期に鏡面文字を書いている事を立証したのであった。

 

 

 

…………ダ・ヴィンチは肖像画のモデルが誰であるかを、絵の中の何処かにヒントとして忍ばせているが、モナ・リザだけにはそれが無い!…というのがそれまでのダ・ヴィンチ研究家の間での定説であったが、定説なるものを単純に受け入れない私は(あの「モナ・リザ」だからこそ、秘めたヒントは必ず有るに違いない)…と考えて、「モナ・リザ」の大きく開いた襟ぐりの縁に描かれた飾り模様のレ-ス部分に着目し、国立国会図書館に赴いて、あるだけの文献を漁り、そのレ-ス模様が「柳の細枝」を意味するvinciである事を突き止め、モナ・リザのモデルがダ・ヴィンチその人を暗示して描かれた組紐模様である事に辿り着いたのであった。…私のこの推論は、最近ではレオナルド研究にも学説として取り入れられており、モナ・リザ解析の一歩が更に進んだという観があって面白い。

 

レオナルド晩年の素描

 

 

…また私はイギリスのクライスト・チャ-チ美術館が収蔵しているダ・ヴィンチが描いた1枚の素描にも着目した。……「真実」を映すという円い手鏡の前で、その映された自身の姿に恐怖しておののく一人の老人(明らかにダ・ヴィンチ自身を想わせる)の横顔。…そしてその後頭部に不気味にくっついた肉付きの一人の妖しく微笑する女の顔(何故かモナ・リザのそれと重なって見える)。…その膨らんだ腹部から、この人物は妊婦である事に気付くが、…モナ・リザの絵の女性像も組んだ両手奥の膨らみから妊婦である事が、今日の研究で指摘されている。…私はこれらの複合的な点から、この1枚の素描が、実はダ・ヴィンチが密かに吐露したモナ・リザの秘めた主題であると断じて、それも書いた。

 

………このようにして一年を要して書き終えた「モナ・リザ」論は、先に文芸誌に発表した二作と併せて『「モナ・リザ」ミステリ-』と題して刊行されたが、反響は予想以上に大きかった。…全国の主要な新聞の書評欄に記事が載り、「わが国におけるモナ・リザ論の至高点」と評された時は、さすがに嬉しかった。…美術書としては異例の増刷になり、二万部が読まれた事を知った時は、一年間の執筆の疲れから解放され、…モナ・リザについては全て書き尽くしたという達成感があった。

 

 

…しかし、その後、20年の月日が経ち、その間に、与謝蕪村の俳句の中に古今の西洋絵画に通低する、云わば時空を越境したイメ-ジの共通性が有る事を、比較文化論的な視点で気づいたので『美の侵犯-蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)として刊行し、また詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』(沖積舎刊)を書いたりしたが、次第に表現の比重は、オブジェの制作に重きを向けた方に進んで来たのであった。……以来、この20年間で、およそ1500点近い数のオブジェが作られ、その多くが私の手元を離れていった。

 

 

…………………………………しかし、もうそちらの方に向く事は無いと思っていた『モナ・リザ』は、20年を経て、再び私の前に、あの絶対の静けさと不気味極まる薄笑いを帯びて、或る日卒然と、立ち現れたのであった。……未だ解き明かしていない謎があるぞと言わんばかりに。…そして、その謎は今まで500年間もの間、確かに誰もその事に全く気づかなかった、まさか‼…と思うような謎の問い掛けなのであった。

 

 

……次回の『「モナ・リザ」はいつ割れたのか⁉…part②』は、その謎の真相に迫りながら、昔、学生時に深夜の上野公園内にある国立科学博物館の真っ暗な闇の中で体験した、レオナルド・ダ・ヴィンチと私との、実に幻想的な交感体験について書く予定です。…乞うご期待。

 

 

 

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