マルセル・デュシャン

『今どきの寓話―美術番外編』

……亡くなった母から生前に度々聞かされた話であるが、私は産まれた時から体が弱く、2才の時に百日咳が悪化して、もはや死は間近に迫っていたらしい。運よく注射した薬が幸いして一命だけはとりとめたが、発達が遅く特に言葉の覚えが悪く、脳に障害があるのでは……と心配したらしい。……その私が3才の時に初めて口にしたのが、日本語ではなく、スペイン語の「バイヤ・コン・ディオス」という言葉であった。

 

この言葉は、ラジオ全盛時であった当時、海外から入って来た曲のタイトルで、日本人では江利チエミが歌っていた。彼女が日本語で朗々と歌いながら途中から転調するように急に流れてくる、この耳馴れない初めて聴く言葉『バイヤ・コン・ディオス』という意味不明の異国の響きに、私は何故か惹かれて興奮したらしく、繰返しこの言葉だけを喋り続けていたらしい。……まぁそこまでは良かったのだが、何を思ったのか、私は早朝に起きて玄関を開け、まだ朝霧に煙る近所の家々に向かって、この言葉を狂ったように大声で絶叫するのが習慣、つまり毎朝の日課になってしまった。当然、近所迷惑になるので母から叱られ、それでも止めないので、何度も母の怒りの鉄拳が頭に飛んできた。……私はこの時に殴られたその痛みだけは、今もありありと覚えている。

 

……先日、吉行淳之介氏と開高健氏の対談集『街に顔があった頃』を何気なく読んでいたら猥談の中で突然この言葉『バイヤ・コン・ディオス』が話題として出て来たので驚いた。そして意味を知って、また驚いた。バイヤコンディオスとは「神と共に行け」という意味なのであった。つまり私は近所の人達に向かって大声で「神と共に行け!!」と絶叫していたわけである。

 

スペイン人のピカソが初めて話した言葉は、確か「lapiz」(鉛筆)であったと記憶する。20世紀を代表する画家へと変貌したピカソのその後を想えば、ピカソが初めて話したその言葉(lapiz)の訳は「我に絵を描く鉛筆を与えよ!」といった意味にでもなろうか?……ならば「バイヤ・コン・ディオス」と云った私は、或いは道を間違っていたのではあるまいか。「神と共に行け!」と世の民に絶叫していた私は、例えば聖職者―伝道師といった道が、ひょっとして相応しかったのではあるまいか。つまり今の自分とはまるで真逆の道が、そこには開かれていたわけである。………… まっ、〈呪われた聖職者〉という言葉もあるので、なったとしたら、むしろそれか。

 

先日、ちょうど台風が日本列島を通り過ぎた頃に、数人の知人から時を同じくして連絡が入った。「ネットを観て下さい、面白いですよ、南瓜(カボチャ)が流されて行きますよ!!」と云う。で、観ると、確かに荒海の中を巨大なカボチャがプカプカと流されていく光景が画面に映った。……おや、これは草間彌生女史のカボチャではないか!?……確かにそうであった。それが波に揺蕩うように沖へ沖へ…と流されていくのである。どこの島か忘れたが、確かこのカボチャは島の岸壁の先端に設置されていたのではなかったか!?……画面の説明では、いつもは嵐の度に、島の職員が安全な場所に移していたという。……しかし、今回の台風がいつにも増して激しい事は事前から気象予報でわかっていた筈だから、察するに面倒くさかったのではあるまいか。

 

 

 

 

 

 

……ふと思い出したのだが、このカボチャの作品については以前に私なりの私見というものがあった。先に登場したピカソに「作品は制作時に於いて七分で止めろ」という言葉がある。作者と観者の関係において、観者の想像力を作動させる為には、作品(表現物)は造り過ぎてはいけないと諭しているのである。……さすがの名言であるが、そのピカソの言に倣えば、このカボチャは確かに造り過ぎていると、私は思ったものであった。「ハイッお仕舞い!」で、観者は唯、眺めるだけなのである。

 

 

 

……話は変わるが、このカボチャの配色は黄色と黒。この配色は強く見せたい動物、例えば虎や雀蜂の配色と符合する。……私は強い!という事は、つまりは母性性の顕れでもあるのか。と、そこまで想うと、急に私の連想は、このカボチャが岸壁で、いつまでも還らぬ息子を待ち続けている戦後に数多いた母親像が重なり、二葉百合子が唄う『岸壁の母』を連想した。「母は来ました今日も来た。この岸壁に今日も来た。届かぬ願いと知りながら、もしやもしや……」のその母親である。その母が還らぬ息子を待ち続ける事に疲れはて、遂に自ら海中に飛び込んだ、……その悲惨な姿を私はカボチャが流されていく画面を観ながら連想したのであった。連絡して来た人達は揃って、桃太郎の話の冒頭にあるドンブラコの桃を連想したという。確かに私も最初はそう見えた。しかし連想は紡がれて、二葉百合子へと至ったのであった。そして改めて思う。『岸壁の母』は、あの時代を映した確かに名曲であると。

 

 

……さて、以前に私が何かの写真でこのカボチャの作品を見た時に、この造りすぎた感のある作品を、如何にすればもっと詰めた作品になるか!?……そう考えた時があったが、ようやく、流されていくカボチャの画面を観て気がついた。……そう、この画像こそが真の作品なのだと思い至ったのであった。カボチャは濁った波に揉みくちゃにされながら、何かにあらがうように流されていく。……詩人の荒川洋治風に書けば、「流されていく私」や「流される私」といった不本意な私ではなく、些かの矛盾を孕んだ「流されていくぞ、私は」、とでもなろうか。……「アクシデントは果たして美の恩寵たりえるのか」といった命題は、私個人の創作における問題であるが、時として自分以外の他者、或いは偶然の悪戯によって、詰めが決まらなかった作品に信じがたい暴力的ともいえる恩寵が訪れる時があるのである。私は、この中が空洞のカボチャの作品を観て、ロダンならば沈む!ブランク―シならば沈む、美はその自らの尊厳の重みによって沈む!……とも思い、ロダンの最高傑作『バルザック』が水底に沈みゆく美しい姿を夢想した。

 

閑話休題。……それはそれとして、ずいぶん昔の話を私はふと思い出した。……それは私が未だ19才の美大の学生の頃に、銀座の或る画廊で開催されていた草間彌生展を観に行った時の話である。画廊の中にまだ若い頃の草間彌生女史がいて、一人の小さな老人と熱心に話をしていた。その小さな老人は、しかし犯しがたい不思議なオ―ラを放っていて、瞬間に私は、シュルレアリスムの日本における唯一の体現者―瀧口修造氏だとわかった(余談だが、その二年後にお会いする、この国の最高の詩人―西脇順三郎氏など、私は様々な場面で時代を造った先達諸氏に遭遇する妙な「気運」を持っている)。瀧口修造氏の言葉は実に小さい為によく聞きとれない。草間女史も、真剣な表情で食い入るように聞いていた。……………………あの日からずいぶんの時が流れた。瀧口修造氏はその8年後に亡くなられ、その死を境にして何か大事なものが崩れ出し、……更にずいぶんな時が流れ、美術の分野は今、周知のように全ての表現分野の中で、最も堕落したものに成り果てた。

 

 

……その美術の分野の堕落を誰よりも早々と予見したのは、マルセル・デュシャンであった。その彼がずっと取り組んでいたのが、大きなガラスの作品『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも』―通称『大ガラス』である。しかしデュシャンは、この作品を作り終えはしたが、全く不満であった。「何か」が決定的に足りないのを、明晰なデュシャンは直感し、長い間、この作品は放置されていた。しかし、美神の仕業としか思えない事が偶然に起きて、この作品は20世紀美術における呪縛的ともいえる名作に一気に昇華した。

 

ある日、この作品を運搬していた運転手の荒い運転によって、作品全面に亀裂が入ってしまったのである。さすがにデュシャンも最初は落胆したが、この聡明な男は、この偶然生じた亀裂によって、つまり人智を越えたアクシデントの力学によって、何かが決定的に足りないと思っていたのが、奇跡的なまでに解決した事を彼は理解したのである。……それから数年間、彼は作品の亀裂を固定する作業に没頭し、この作品は20世紀美術を代表する、云わばイコンとなった。

 

 

 

 

 

……私が先に述べた「アクシデントは果たして美の恩寵たりえるのか」といった私の個人的な命題は、念頭にこの作品があってこそ生まれたのであった。……流れていくカボチャは、やはりこの命題とは違うものであるが、しかし重ねて言おう。この流れていくカボチャの映像は、あたかも今時の寓話として相応しい。出来れば、この映像を作品として残すだけの、表現に関わる者としてのエスプリの高みを期待したいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『さりながら、死ぬのはいつも他人なり』

①……8月17日、午後2時すぎ、小雨。……アトリエで制作していると、蝉の鳴き声が近くに聞こえ、遠くを、悪い夢を運んでいくように救急車のサイレンの音がかしましい。最近、この音をよく耳にするようになった。何かがじわじわと迫って来ている感じである。

 

……昨日は、感染の事態が悪化して画材店なども一斉に休業になるといけないので、万が一の先を考えて横浜駅近くにある店に画材を買いに行った。イメ―ジの閃きは尽きなくても、絵具が無いとさすがに手足がもがれたようなものなので、やむ無くの久しぶりの外出である。しかし、駅の通路は相変わらずの人、人、人で、「緊急事態宣言が追加されました」というアナウンスが流れても誰も全く耳に入っていない様子。有効な唯一の手段のロックダウンも、この国はやる気無し。しかし、先日、現場で奮戦している医師がテレビで「全く打つ手無しのままこの状況が続けば、これからは間違いなく地獄の様相を呈して来る事は必至!策が必要なのに、何も具体的にやらないならば、もはやこの先は人災です」と言っていた言葉が、当然すぎてリアルに気にかかる。……20世紀美術をピカソと共に牽引した男、マルセル・デュシャンの墓碑銘にある言葉「さりながら、死ぬのはいつも他人なり」ではないが、おそらく自分だけは、コロナで死ぬ事はないであろうと、誰もが漠然と思っている節がある。そして相変わらず人の出が絶えない、この光景。駅の構内を、仲良く笑いながら平時と変わらないように行く人々の姿。ひょっとして、ここは異界か?

 

……感染が危ないので早く用事を済ませて帰ろうと思いながらも、歩きながら、……ではどうすれば人流が減るか、と考えてふと、以下のような考えが浮かんだ。(私は度々このように唐突に妄想する癖がある)…………頻繁にテレビで映される重症の患者の姿や医療現場の光景。戦場と変わらない、もはやそこは凄まじい現場。そこに聴こえる患者の苦しそうな咳き、かすれた声で切れ切れに語る、この変異株の想像を絶する猛威の告白……等々を実際に幾つも録音して、政府が断行してBGMのように、駅の構内、電車の中、エレベ―タ―など、人々が行き交ういたる所で執拗に流し続けるのである。けっして役者が演じた嘘の声ではなく、実録の生々しい音に限り、そこに医療現場の切迫感の状況を伝える音も加え、毎日の死者の数も日々更新して流すのである。……そして繰り返される、肺の瀕死の様が伝わってくるような乾いた、あの咳きの音。…………如何であろう、イマジン、……想像して頂きたい、その様を。行く先々どこでも聴こえて来る、今、この私達にとって一番聴きたくないリアルな音を日常空間に流すというアイデア。突飛なようであるが、もはや策はこれしか無いのではあるまいか。……ふざけているのではない。真顔で閃いたこの戦略を前にすれば、外出すれば必ず背後から追ってくるような、つまり視角ではなく、聴覚を通して心の深部にコロナの恐怖が個人個人に伝わって来て、人はむやみに外出する気も失せて、結果としてのロックダウンに似た効果に繋がるのではあるまいか。……政府の「どうかお願いします。外出は控えて下さい。」ではなく、外出が即ち嫌悪に繋がるような策が案外有効なのでは……あるまいか。ジャン・コクト―は『音楽には気をつけろ!』と云ったが、云わんとする事は、聴覚は視角よりも人の心の深部まで一瞬で入り込み、琴線を激しく揺らすという意味である。だから音はゲリラ的に危ういものがある。………………と、ここまで書いて、結局は私個人の妄想に過ぎない事にふと気づき、ブログの書き込みも、……指が止まる。……とまれ、このまま結局は、この国は流れに任せてさ迷う、沈みかかった泥の舟よろしく、「緊急事態宣言」「まん防」しか言葉を知らない無策のままに、無明長夜―けっして明ける事のない長い夜を延々と耐え忍んで行くのであろうか。(下の②に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②追記・ファイザ―のワクチン接種を完了して日が経つが、別に痛みも発熱も全く無い。ただ倦怠感だけはあるが、これは子供の時からのもので、人生に対してずっとある。……抗体が出来ない人は、接種完了者の4パ―セント近くいるというが、多分それか。

 

……閑話休題。さて、以下は気紛れに書いた短い小話のようなもの。ブラッドベリの短編を読むように気軽にお読み頂けると有り難い。

 

 

 

 

 

 

「……西暦2225年(今から204年後)に、ニュージーランドのアビル・タスマン国立公園の近く(場所の詳細は不明)の遺跡から、偶然その場所で遊んでいた二人の少年(パトリック・マクグ―ハン少年とアンジェロ・マスカット少年)によって、約200年前の歴史録の断片が見つかった。タイトルは『ゲノム戦記・第七章』とある。僅かな記述のみの切れ切れの断片には、次のような記述があった。〈2020年頃に中国の武漢から発症したコロナウィルスは、イギリス株、デルタ株等と変異を繰り返しながら猛威を奮っていた。しかし当時の人々は安易に考え、そのデルタ株をもって収束に向かうと楽観視していた。しかし、それは実は初期の序章に過ぎず、ウィルスはその後も何度も変異を繰り返しては強力さをいや増し、容赦なく波状攻撃的に人々を襲い、もはやワクチンすら既に効力は無くなっていた。特に何の策も打たなかった日本とブラジルの民が先ず死に絶えた。(ここから紙の破損が目立ち、しばらく判読不明の箇所多し。)…………と来て、その後、欧州や中近東、ロシア、中国、アメリカ……の順に多くの民がその被害者となり、その多くの民が流民となった。(ここから更に3頁ほど紛失あり。)

 

……そこで、流民となり、死骸の山と化したロンドンからの脱出に成功したキャサリン・ベ―カ―(ロンドン北西部・フィンチリ―コ―ト在住)は馭者に助けられ、ウェ―ルズのポ―トメイリオンから舟で海路をとり、マルセイユからカルカソンヌを経て、更に南下。一路、ニュージーランドを目指した。今では語り草となっている話であるが、信じがたい事に、ニュージーランドだけはコロナウィルスでの被害を免れた唯一の国であった。勿論最初は感染者が出たが、その度に徹底したロックダウン政策を施行し、一人の感染者が出てもロックダウンを行うという賢明な政策のお陰で、奇跡的にこの国だけが国民を被害から守り、他国からの流民の多くを迎え入れた。……ロンドンから脱出に成功したキャサリン・ベ―カ―(つまり、私の曾祖母)は、その後の余生をこの国で平和に過ごした。……しかし、私の母の代になって、〉………………………… 以下は、記述した断片が完全に紛失している為に、話の断片はここで突然終わっている。

 

 

 

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『湯島詣と、マルセル・デュシャン』

今夏の8月に求龍堂から刊行された私の作品集『危うさの角度』の特装本(限定100部)が完成し、それを記念した個展『狂った方位―幾何学の庭へ』が、東京の「ア―トギャラリ―884」で今日から12月1日(月曜のみ休み)まで開催中である。画廊の住所は、文京区本郷3―4―3 ヒルズ884お茶の水ビル1F TEL03―5615―8843。11時~18時30分・最終日は16時まで。ここは旧湯島で、近くには、湯島聖堂や神田明神などがあり、昔日の江戸の風情が透かし見える良き場所である。高島屋の個展が終わって、急きょ組まれた、いわば休む間もない個展であるが、作品集の刊行記念展ならば頑張らねばならない。……しかし、この地は東京でも私が最も好きな場所であり、あたかも湯島詣でのような気持ちで、会期中は通う日々が続きそうである。……アトリエに秘かに仕舞ってある、なかなかご覧になっていない珍しい作品も出品しているので、ご高覧頂けると有り難いです。

 

……さて先日、高島屋の個展が終了した数日後に、上野の国立博物館で開催中のマルセル・デュシャン展に行った事は書いたが、その後でまた観たくなり、もう一度行ってみた。行って改めて感心した事は、この展覧会の実に神経の行き届いた照明の見事さである。以前に観た運慶展でも感心したが、その照明の巧みさは、運慶解釈の、またデュシャン解釈の1つの提示と言っていいまでに巧みで行き届いた配慮があり、私をして酔わせるものが多分にあった。また、掲載した画像をご覧頂けるとお分かりかと思うが、作品の壁面に掛けられた高さの位置の絶妙さである。私も作品を高めに展示するが、その高さは、作品本来が持っている深部を把握している事であり、目線と水平に作品の中心が合えば、視覚から脳髄に直に伝わるものがあり、故に作品の深部と、観る側の感性が結び付く。しかるに、この国の大多数の画廊や作家は、その自明な重要点に配慮が至らず、結果いたずらに作品が低く掛けてあり、あたかも紐が緩んでずり落ちたパンツのごとき、だらしのない展示が実に多い。何故にあまりに低く掛けているのか?……その理由を実際に聴くと、(……皆さんそうですから)、(……最近は低いのが流行りですから)といった、素人ばりの返答に呆れるばかりである。二次元の作品は当然ながら正面性を併せ持つ。……故にもっと神経を使って、展示には細心の注意をするべきであろう。本展を観て、彼らが学ぶべき事、大である。……さて、今回のデュシャン展で最も大きな出品作品は、デュシャンが作ったオリジナルではなく、彼の死後に日本で制作された『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも』(通称―大ガラス)という巨大なガラス作品であり、他は全てフィラデルフィア美術館から持って来た作品であるが、この大ガラス作品が、見た瞬間にわかるほど、アニマがなく貧弱な事は歴然としている事に多くの人が気づかれたかと思う。理由ははっきりしていて、デュシャンの大ガラスのレプリカであり、制作に当たったのは、瀧口修造監修、多摩美大の東野ゼミの学生に拠るものであり、その先頭に立って制作に燃えたのが、私の同級生のS君であった。(……Sよ、意味がないから止めておけ、あの大ガラスを意味ある物にしているのは、あのガラスに偶発的なアクシデントで入った扇情的な亀裂だよ!……その亀裂を欠いたレプリカは意味がなく、絶対に底浅い物になるから、Sよ止めておけ!!)と、当時、大学院生であった私は忠告したが、Sは耳を貸す事なく、東野芳明の間違った解釈をなぞるように没頭し、今、その結果が私の眼の前にあからさまに在る。芭蕉の俳句の言葉ではないが(……無惨やな!)である。「網膜の美より、観念の美の方に意味がある」と提唱したデュシャンであったが、彼はマチエ―ルの重要性を実質的に知っていた。だから、本展に於ける他の出品作品には巧みなマチエ―ルが配されていて観る者を惹き付けている。しかし眼前にある和製の大ガラスにはマチエ―ルの富が無く、まるで表象のペラペラなのを見て、学生時にSに語った自分の先見性が間違っていなかった事を私はあらためて確認したのであった。(表象の皮膚こそが最も重要であり、最も意味がある。……そう、誰もが知るように、表こそが最も深い。)という言葉があるように、網膜の美、観念の美の是非云々を問う以前に、マチエ―ルは表現の核にある必須である事をデュシャンは知っていた!!……それだけであり、私が先に書いたデュシャンのパラドックスの妙もそこに尽きるのである。……デュシャン展、そして私の個展。ぜひのご高覧をここにお薦めする次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『次なる未踏の表現の場へ』

高島屋美術画廊Xでの個展『吊り下げられた衣裳哲学』が盛況の内に終了した。最初は人の入りもやや緩やかであったが、会期後半に入り、特に残り1週間になると沢山の方が入れ替わるように次々と来られ、最終的には前年の数を更に越える作品数が、人々のコレクションになっていき、またも記録を更新する事になった。そして、来年の10月中旬からの次なる個展(来年は連続11回目)の企画が早々と決まった。来年はかなり一新した展示内容を既に私は構想しているが、この画廊Xの大規模にして魅力ある空間を劇場に見立て、如何に変容させるかの様々な切り口が浮かんで来て、様々な意味で実に生産的な個展となったのであった。個展の度に更にハ―ドルの高さを上げていき、未開の内なる表現の引き出しを半ば強引にこじ開けていく。そして、実験性と完成度の高さを併せ持ち、現在と普遍に向けて作品を立ち上げていく。……プロフェッショナルの矜持とは、そこに尽きると私は思っている。全くぶれない作家と云われて久しいが、今回の個展で得た更なる自信は、これからの作品に艶の光彩を放っていくように思われる。

 

今回の個展では、旧知の親しいコレクタ―の方々に加えて、私の作品を愛する新たなコレクタ―の人達に出会えた事も大きな収穫であった。……例えば、コ―ネルの作品を日本人で最も多く個人所有し、また私の作品を高く評価したクリストとも親しいコレクタ―の人(この方は、今回の個展で私の作品を六点まとめて購入されたが、私とコ―ネルの作品の違い〈コ―ネルは一人称であるが、私の作品は各々に巧みな虚構の華がある事〉を実に的確な言葉で指摘された。また別な方は、クレーの水彩画やジャコメッティの彫刻・素描を所有し、また別な方は、広重のほぼ全作を持ち、次なる方は、やはりコ―ネルや北斎をコレクションし、仕事ではアングルの油彩画などを広く商うプロのディラ―の方であったりと、美の核心を見抜く確かな眼識を持つ慧眼の方々に作品がコレクションされていったのは大きな手応えであった。〈コレクタ―〉という言葉で一口に括っても、表現者と同じで様々な質の違いがある。今回の個展で、私の作品を評価する人達は、各々に自分の確かな眼と美意識を持つ最高な(ゆえに厳しい)人達であるというのを実感し、故に次回はもっと上をと、感性の熱い高まりを覚えるのである。

 

さて、今回の個展の半ば頃に、ミラノのデザイナ―で写真家のセルジオ・マリア・カラトロ―ニさんが、ギャラリ―サンカイビの平田さんと共に会場に来られた。平田さんは私が写真家としても表現していく契機をプロデュ―スされた恩人である。セルジオさんとは初めての出会いであった(ギャラリ―サンカイビの個展で写真の仕事は既に拝見済み)が、直ぐに親しくなり、私の作品への感想を実に詩的な美しい表現で語り、たちまち私を魅了した。……画廊が終了する時間に、私達三人は再び高島屋のレストランで待ち合わせて、食事をしながら今後の打ち合わせに入った。平田さんの企画で、私とセルジオさんとによる、写真を主とした、かつてないような知的感興とエスプリ、そして写真による光の魔性を刻印するような展覧会を、平田さんは構想しているのである。今後二回目の打ち合わせは、近々に、セルジオさんが住まれる、鎌倉建長寺内のご自宅でする事になっているが、生き急ぐ私達の打ち合わせは順調に進み、どうやら来年の早々に私はパリに撮影の為に行く事になるかと思われる。……他の写真家や美術家には絶対に出来ない私だけのメソッド―写真とオブジェの硬質な融合に拠る作品の顕在化。その実現の為に私はあえて待っていたのであるが、堅くて薄い凹凸のある石面に鮮明に画像を焼き付ける高い技術が、私の読みに合わせるように、今年に入って完成したのである。実にタイムリ―なこの切り口、ここ数年、私の写真発表は控えなものであったが、いよいよ動き出す時期が来ているように思われる。

 

個展が終わった二日後の午後、秋晴れの中、上野の博物館で開催中の『マルセル・デュシャンと日本美術』を観た。フィラデルフィア美術館から、『遺作』を除く主要な作品を持ってきただけに、なかなかに充実した見応えのある、近年稀な展覧会であった。マルセル・デュシャン。……日本では美術評論家の東野芳明が専売特許のようにデュシャンについて語り、多くの美大生がその明かに歪んだ解釈に乗せられて、浅いままに墜ちていった。まだ美大生であった私は東野のゼミに顔を出していたが、まだ作家としては卵でありながらも、東野の語るデュシャン像は〈絶対に違う!!〉と直感し、私はすぐに東野のゼミに見切りをつけて去った。……将来、自分の表現者としてのスタンスが確かなものになった時、デュシャンは知的に遊ぶものとして当時20才であった私は、関心の脇に置く事にしたのである。それから20年の時を経て、私は『停止する永遠の正午―カダケス』を文芸誌「新潮」に書き下ろしで発表し、その中でデュシャンとカダケスの関係について熱く語った。……「デュシャンの遺作は、カダケスのあの光から来ていると思う。」……デュシャン存命中にテ―トギャラリ―で実に見事なデュシャン展を企画開催した美術家のリチャ―ドハミルトンは、私と同じ視点で、『遺作』誕生の出自について語ったが、対談相手の東野芳明は、デュシャンの本質を突いたハミルトンのこの鋭い指摘に注視せず、話は別な方向に流れてしまった。ハミルトン、東野ではなく、私はここに、表現の舞台裏に終には入って来れない、評論家というものの総じての限界を観てとったのであった。……私は更に拙著『美の侵犯』の一章で再びデュシャンの謎多き『遺作』について言及しているが、とまれデュシャンの知的なパラドックスに充ちた作品は観ていて、今、最も面白いもののひとつである。かくして、私はこの展覧会場の中でかなりの時間を過ごしたのであった。まだ未見の方には、ぜひお薦めしたい見応えのある展覧会である。

 

……と、ここまで書いて今回のメッセ―ジを終えようとしたら、実にタイミングよく、個展の疲れを癒やしてくれる嬉しいメールが入って来た。……私の親しい知人に歌舞伎の関係者がおられるが、その方から、11月初旬に歌舞伎座のご招待を頂いたのである。毎年、季節の折々にご招待を頂いており、勉強と充電を兼ねて、歌舞伎は出来るだけ観る事にしているが、さて、さてその歌舞伎である。……デュシャンと日本美術に通低するものを一つだけ挙げれと問われたならば、それは「結果としての、見立ての美学」という表現に尽きるかと思うが、歌舞伎の場合はやはり形、つまりフォームの問題に指を折る。何れの表現にしてもその核にフォームが無ければ、そこに美は存在しないが、歌舞伎はその極に当たるかと思われる。…………ご招待頂いたのは夜の部で、『桜門五三桐』吉右衛門・菊五郎ほか、『文売り』雀右衛門、『隅田川続俤』は、珍しくも猿之助の法界坊である。今から楽しみである。……とまれ、個展が成功の内に無事終わり、今は達成感と同時に、少しだけ休みたいという想いがある。今年は、2月の雪の降る珍しい日に、工事現場からタイムスリップのように現れ出た浅草十二階の遺構との不思議な時間の交感を経て、十二階の赤煉瓦(完全な形のまま)の原物を奇跡的に入手した事から始まり、福島の美術館(CCGA現代グラフィックア―トセンタ―)での大きな版画の個展、そして作品集『危うさの角度』(求龍堂)の出版、歴程特別賞受賞(11月10日に授賞式)、そして、高島屋美術画廊Xでの個展……と、かなり多忙な日々が続いた一年である。……今少しで今年も終わるが、既に来年の個展企画も5つばかり既に入っている。…………やはり、今は暫しの休みの中に微睡んでいようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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