谷中墓地

『一枚の写真から始まるひとつの物語』

…イタリアでは3月後半の気象変動の激しいこの時期を〈狂い月〉というらしい。狂い月なのは日本も同じで、桜の話題が出たと思ったら、いきなりの雪で、仕舞った冬服を出せば、次には一気に汗ばむような25度の暑さに。……狂っているのは気象だけでなく、かろうじて踏ん張っていた世界のバランスらしきものは、今や二人のずば抜けた愚者が演じる、名付けてトランプ-チン現象によって完全に箍が外れ、総じての破滅の底へと加速的に堕ちていっている感がますます強い。……と言うわけで、今回のブログは、『室生犀星の真実と嘘』を書くつもりでいたが、いささか抒情過ぎて、この狂い月の頃には物足りないのでは…と思い、今回は予定を変えて、狂い月のこの時期に相応しい内容にした次第。…暫しのお付き合いを。

 

さて、……ここに一枚の写真がある。…高い石塀に囲われた薄暗い隅で行われているのは、訳ありな若い男女が人目を忍んでひたむきに集中している、もはや獣の雌雄と化した、愛の、恋の営みの現場の写真。…場所は、このブログでも度々登場するのでお馴染みとなった谷中墓地。

 

…この写真が特異なのは、(暗くて少し見えにくいかと思うが、)男の上に跨がった若い娘の背中で背負われている幼児(見た感じでは幼女)が、この激しい現場をじっと視ているという事である。…服装から推察すると時代は昭和12年頃か。…脇に投げ出された風呂敷包みが臨場感を醸し出している。…

 

丸刈りの青年は、場所や姿から察するに、上野広小路にある老舗デパ-ト松坂屋裏の自転車屋『内山』の奉公人、吉野留吉。…名前から察するに末っ子で口べらし。故に福島の四ツ倉から常磐線で上京して、…早10ケ月が過ぎた頃か。…

 

一方の若い娘は名前を鈴木八重。断ずるに19才頃か?…こちらは島根県の大桂島出身。

…八重も口べらしで最初は大阪の船場にあるカフェ『香彩房』で女給として働くも身持ちの悪さ故に店の金を持って男と逃亡、…今は名前を寺島千鶴と変えて子守りをしながら、日暮里駅裏の丸安呉服店で奉公するも、…かくのごとし。

 

……私が何故この写真を持っているか…には訳がある。今から30年前に台東区の額縁屋で修行していた知人のT氏からもらい受けたのである。…そのT氏から写真の来歴を訊いた事があった。…すると面白い答えが返って来た。

 

…何と、この写真を撮影した人物は、谷中の交番に勤務している警官で、墓地内を巡察しながら、さも仕事らしく肩にカメラを担いで、退職するまで隠し撮りを生涯の趣味として生きていたのだという。〈警官にして同時に覗き魔、これならば絶対に捕まらない構図である。〉…そして、退職した時に、自分が生きた記録として、数多ある写真を現像し数冊のアルバムを遺して逝ったのだという。…(めぐり巡った、それが、これ!)とT氏は言い、アルバムに見入っている私に(…もし気になるのがあったら1枚だけあげるよ‼)と言ったので、ならばと私が選んだのが、今回掲載したこの写真なのである。

 

ちなみにこの頃(昭和10年頃)、例の阿部定など金に余裕がある男女は渋谷の円山町や新開地の二子新地などの旅館に行ったが、余裕がないアベックは、葉の繁る日比谷公園や人気のない墓地を目指して行ったという。…面白い話がある。…その頃、深夜の広い谷中墓地にはおよそ100組ものアベックが夜毎現れていたらしい。…そしてその数を上回る覗き魔も…。真っ暗な闇の中で、時々、頭にぶつかる物があるので、何だろう⁉と思って見上げると、桜や松の木の上で縊死したばかりのぶら下がった死体の冷たい足が、……といった事もあったらしい。恋の場所、そして死に場所としても谷中墓地は人気があったらしい。

 

……今、このブログを書いていて思ったのだが、もの凄く強力なサ-チライトで深夜の谷中墓地全体をいっせいに照らし出したら、さぁどうなるであろうか。…下半身だけが裸の男女、白い死装束姿で首に縄を巻いたままの女性、或いは男が、そして覗き魔と化した、会社で堅物と言われている係長や、自称愛妻家で真面目一徹との噂さえある男達が、まるで蜘蛛の子を蹴散らしたかのようにいっせいに墓場から飛び出してくる姿は考えてみるだけでも面白い。…正に人生の縮図、お祭り騒ぎの光景がそこには…。

 

 

(……では富蔵さん、そろそろ参りましょうか‼) 冷やしコ-ヒ-を飲みながら私は静かに田代富蔵さんに言った。…昨年の夏の熱い真盛りの頃であった。…私は持参したA3のコピ-紙を富蔵さんに渡し、谷中墓地のそばにあるカフェを出た。私もその同じコピ-を持っている。…(熱いですねぇ、こんな日に決行するというのは命懸けですねぇ)と言いながら…… 私達が手にしているのは、今回掲載した写真を大きく拡大したコピ-なのである。向かう先は谷中墓地。

 

…ずいぶん前から考えていた事があった。…それは、およそ90年前に、その警官が隠し撮りをしたその現場をこの目で見つけてみたい‼という事であった。その同行の盟友として、このブログで度々登場する富蔵さんは実に息が合って相応しい。私達はよほど好奇心の波長が合うのか、何より富蔵さん自身がやる気満々なのが実に嬉しいのである。しかし、この谷中墓地は無限に広く、ある意味で迷宮といっていい。およそ1万基はあるという墓地内で、ピンポイントでその現場を見つける事など、しかもこの酷暑の中で探索する事など不可能といっていい。……しかし富蔵さんと私は、そのコツがある事を本能的に知っていた。…人目を避ける、或いは追い詰められた気分、つまりはその男女の切迫した気分に自分を同化すればよいのである。…蛇の道は蛇…である。私達は二手に分かれて動いた。

 

……およそ30分くらい経った頃であったか、私の進んで行く先の暗い繁みに富蔵さんが既に立っていた。見ると、おぉ‼とばかりに、その富蔵さんの目の先に件の高い石塀の連なりがあった。…そして、90年以上前の男女のその現場がその奥に今も暗いままに在った。正にあの写真そのままである。

…〈間違いないですね。…この塀の尖った水切りの形、突き出た石塀の段の数……。) そこに、たまたま通りかかった、年配の墓地の掃除係の人が来たので、私達はそのコピ-を見せた。…(その写真の場所はここですよね)と富蔵さんが確認の為に問うと、その人はかなり興味深げに写真に見入りながら(間違いないです‼)と断言した。(しかし、この写真、どうして持っているのですか‼?)と興味深げに訊くので、(ちょっと訳ありなんですよ)と私は応えた。…私はお礼に持っていたコピ-をその人にあげると、嬉しそうに眺め入っていた。

 

………写真のこの男女はその後、果たしてどういう人生を辿ったのであろうか⁉…時代からみて青年は戦死した可能性も高い。…そういえば、作家の吉村昭さんの随筆の中で、少年時代にこの谷中墓地の徳川慶喜の墓地の敷地内で、出征する男と、若い女性が交合している現場を偶然見てしまったという話を書いている。

 

……写真の娘の方も既に亡くなっていると思うが、……その背にいた、背負われていた娘は今は………。その原風景に潜在光景として、その現場は記憶の中に消える事なく入っていたのであろうか。………とまれ、まるで人生という演技を終えたようにその男女はこの世から幻のように消え去り、現場の石塀や樹木だけは今もそのままに在る。…

 

 

私はロンドンやパリで入手した古い手紙を沢山持っている。その中には明らかに恋文と思われる手紙も混じっている。…その文字を見ていると、筆跡から伝わってくる熱い感情の名残はそのままに、あたかも埋火のように今も生々しい。…しかし、その恋文の書き手と受取人はもういない。……考えてみると、生きる…とは、見返りなどを求めずに、自分にある固有の生のエネルギ-を全方位的に熱く激しく放射する事、詰めて語れば、唯それだけなのかもしれない。

 

 

さぁ、まもなく3月が終わり、詩人のT.S.エリオットが〈4月は残酷な月である〉と語った、更に狂える月がやって来る。…私の場合を云えば、4月1日から先ずは福井の個展から始まり、年内は5つの個展と、2人展が控えていて、アトリエは正に混沌とした制作の現場と化している。…その混沌とした空間が私は好きである。未知の作品が次々とそこから立ち上がって来る、私はその最初の目撃者になれるからである。

 

 

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『……大日本陸軍の闇がそこにはゴッソリと!!』

①……よく知られているように、江戸川乱歩は強度な「隠れ蓑願望」の持ち主であった。自分にまとわりついている社会的な属性を一切捨てて、見知らぬ町に隠れ家を見つけて住み、もう一人の自分として別な呼吸をして生きたいという、一種の変身願望である。私にもそれは多分にあって、時々遠方の地を歩きながら、隠れ家にむいたエリアを物色している時がある。

 

……最近気にいっている場所は谷中・初音町。…(はつねちょう)という響きが実にいい。森鴎外樋口一葉が愛した谷中の墓地からも近く、鴎外の『青年』の舞台としても登場する。必ずやいつか!……と思っていたら、この場所に先客がいるのを最近知った。その住人とは、……ゲゲゲの鬼太郎である。漫画にはこう書いてあった。

 

「……東京に、こんな古めかしいところがあるかと思われるような谷中初音町に……おばあさんと孫が、昔おじいさんが三味線を作った残りかすの猫の頭などを売っていたが、今時こんなものを買う人もない。そこで二階を人に貸したのだ。借りた人は鬼太郎たちである。……」 隠れ蓑願望の強かった水木しげるもまた、谷中初音町にアンテナがいっていたのかと思うと嬉しくなってくる。ともかくそこは、昔から全く時間が動いていない、停止した空間なのである。

 

 

 

②私の出身地である福井のギャラリ―サライ(松村せつさん主宰)では、10年前から隔年毎に私の個展が開催されている。今年はその開催年になり、4月1日から今月末まで開催中である。私は初日から3日間の慌ただしい滞在であったが連日画廊につめていた。……初日の夜は、福井県立美術館、そして福井市美術館の館長はじめ学芸員の人達が多数集まり、歓迎の宴を催してくれた。また3日目は、高校の美術部の後輩達がこれもまた小料理屋での宴を催してくれたりと、懐かしい人達との嬉しい再会の時間が流れていった。

 

中2日目は、福井新聞社編集局の伊藤直樹さんが記事の取材に来られ、私のオブジェの特質である「二物衝撃」と、観者の人たちの想像力の関係の不思議について話をした。伊藤さんは実に思考の回転が早く、話す事の核心を的確に汲み取る人なので、話をしていて実に手応えがあって愉しい。……また、画家のバルテュスとも個人的に親交が深く、近・現代版画の優れたコレクタ―であり、そして私の作品も多数コレクションされている荒井由泰さんが来られ、最近新しくコレクションされたという谷中安規の代表作「自画像」の版画(微妙に刷りが異なる珍しい二種類の版画)を見せてもらい勉強になった。

 

……ギャラリ―サライの松村さんは人望があるので、来客が実に多い。……その中で一人の男性の方が静かに語りかけて来られ、「北川さんは、戦時中に武生(福井県)に陸軍の中国紙幣の贋札工場が在ったのをご存知ですか?」と切り出して来られ、私の関心は一気に沸騰した。この魅力的な切り出しは「その話、じっくり聴かせて頂こうではないですか!」となって来る。……名刺を頂いた。見ると、先ほどの伊藤さんと同じ福井新聞社の論説委員の伊予登志雄さんという方であった。「北川さんのブログは毎回拝読しています。実に面白いので、あのブログは纏めてぜひ本にすべきです」と言われ、有り難いと思う。……それから、伊予さんが語られた話はどれも戦慄する内容の洪水であった。

 

……戦時中の「アメリカ本土を攻撃した風船爆弾」スパイのゾルゲ事件」「人体実験で知られる731部隊」「日本陸軍が作製した精巧な蒋介石の顔を印刷した贋札工場」「帝銀事件」……と、次々に伊予さんが話される大日本陸軍の闇、闇、闇の具体的な話。伊予さんは以前にその関係者や生存者に直接会って取材して来られたという経緯があるので、話の重みと迫真力が違う。そして、それらの実際の現物や資料が、神奈川県川崎市の多摩区東三田にある明治大学生田キャンパス内の『登戸研究所資料館』(この資料館の在る場所が、戦時中に実際の機密組織として様々な研究や活動をしていた場所)に保存されていて一般に公開されている事を教えて頂いた。……松本清張の『日本の黒い霧』『小説帝銀事件』など殆どの著書を読破している私としては、この伊予さんとの出会いは天啓であったと言えよう。

 

〈…………しかし、2年前にこのサライで個展があった時は、佐伯祐三について来客の方と話をしていたら、その隣にいた方が話に入って来て、実に佐伯について詳しく話され、「明日、北川さんに面白い本を持って来るので良かったら差し上げますよ!」と言われ、早速翌日にその方が来られて『二人の佐伯祐三』(馬田昌保著)という本を頂いた。いわゆる佐伯祐三にまつわる贋作事件、それに連座してのこの国の美術評論家の実態、福井の武生市が女性詐欺師に騙された話など、それまで切れ切れであった話がこの本で一気に繋がった。……私の気から発する何かがその人達を喚んでいるのか、ともかく不穏な話、興味深い話が何故か自ずと集まって来るのである。〉

 

 

 

③私はフットワークが実に早く、そして軽い。横浜に戻って直ぐに大日本陸軍の闇を書いた本を図書館で借りて来て読み、件の『登戸研究所』にさぁ行こうとして、ふと郵便受けを開くと伊予さんから詳しい資料が入ったお手紙が届いていた。正にこれから出発という、その絶妙なタイミングである。「今から行って来ます」と伊予さんにメールして電車に乗った。

 

小田急線の生田駅を下車して件の研究所を目指して坂を上がって行くと、まもなく大学構内に入る。……するとさっそく不穏な建物が出迎えてくれた。「弾薬庫」と呼ばれる暗い廃墟である。

 

研究所内に入ると係の方の説明があり、何室かに分けられた資料室があり、731部隊、スパイ養成所であった「陸軍中野学校」、特務機関、諜報・謀略活動……暗殺の為の腕時計…、贋札の実物、…等々、わけても私の注意を引いたのは、部屋の隅にさりげなく展示されていた帝銀事件の際に犯人が実際に使用したのと同じ型のスポイド、被害者の銀行員たちが呑まされて多数が毒殺された湯呑み茶碗であった。実に生々しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……敗戦と同時に「特殊研究」に関する書類や実験器具は焼却、埋設処分するなど証拠隠滅作業は徹底的に実施された由なので、この研究所内に原物がいろいろ展示されている事自体が奇跡に近いかと思われる。研究に関わっていた人達はGHQによって徹底的に尋問を受けたが、不思議にも実際に戦犯指名を受けた者はいないという。何故か!?……考えられる事は唯一つ、731部隊の隊長、石井四郎と同じく、当時のアメリカ軍に情報提供を条件に免責された可能性は大きいが、真相は遂に闇の中へ。………………今回は撮影して来た写真を掲載して終わりとしよう。とまれ百聞は一見に如かず。ご興味がある方は、この研究所見学をぜひお薦めしたいと思う次第である。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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