『山が消えた』

10年くらい前から大学に博士課程なるものが設置され、その資格を取るために学生たちは、ほぼ1年間を労して論文を書き、最後に面接の審査を受けるのだという。多摩美大からその審査員を依頼されていたので先日、大学のある橋本駅へと向かった。審査は教授3名と私の計4人。その光景を横から50人くらいの関係者が立ち会うというものものしさ。外部の私が何故?と思ったが、文部省の方針で外部から作家や評論家を招いて公平を計るのだという。

橋本駅から車で大学へと向かう途中、町田街道に面した正面に険しくて深い山が、かつては在った。学生時代に私はその深山に分け入って行った事があった。〈ある目的の為に・・・・〉しかし今、目の前に見えて来た場所に山は無く、あろう事かその正面に道路が出来て、周囲はベッドタウンと化していた。つまり・・・・山が丸ごと消えてしまったのである。

 

大学に着くと、事務員のT氏が迎えに出て来た。構内の廊下を歩きながら私はT氏に言った。「すっかり風景が変わってしまいましたね。これじゃ、かつての山の中の別荘で殺人事件があった事など誰も覚えていないんじゃないですかね?」すると突然、T氏の足が止まり真顔で私にこう言った。「いや、勿論覚えていますよ。あれは消えた女子大生が何処に埋められているかをめぐって、日本国中が一億総探偵のようになって連日騒いでいた事件でしたからね。」

 

・・・・今から三十五年以上前。立教大学の教授と学生の不倫が公になり、追い詰められた教授は、妻と娘と共に熱海の錦ヶ浦の断崖から車ごと海中に入水自殺した。そして女子大生の姿もまた消えた。殺されているに違いない女子大生の死体は果たして何処に埋められているのか!?最後に教授と話をしたという赤坂の女占い師の謎めいた証言なども加わって、連日テレビや新聞をにぎわしていた。死体は大学の構内か?自宅の庭か?はたまた場所が飛んで、度々教授に同行したという京都か?・・・・・・。

 

当時、多摩美大の世田谷校舎の三年生であった私は、皆がそろそろ進路を真面目に考えていた頃に、(私立探偵でもして食べていこうかな・・・)と考えていた。だから、この事件に飛びつかない筈がない。橋本の山中にある教授の別荘の近くに死体が埋められているに相違ない!!・・・私がそう目星をつけたのは、後輩から入ってきた小さな情報であった。〈橋本の山中にある教授の別荘の隣にある農家の犬が、土砂降りの雨の降る深夜に異常に吠えまくっていた〉というのである。間違いない!死体は橋本の山中に在る!!私は電車で橋本に行き、山が見えた手前のバス停で降りて、一人、山中へと分け入って行った。全く人影の無いひんやりとした山道の中を、別荘を目差して。

現場近くから見た周囲の風景

まるで火曜サスペンス劇場に登場しそうな不気味な黒塗りの山小屋風の家が、その教授の別荘であった。刑事数名と三十人ばかりの警官が必死になって捜査している、その現場に暗い山中から突然出て来た私を見て刑事は驚き、さっそく職務質問が始まった。「日本画を専攻している隣の美大の学生で、自然観察をしていますが・・・」すると刑事は、「なるほど、でもこのヒモの中へは入らないように!!」と言った。見ると、別荘の裏のテニスコートまでヒモが張られている。後輩から聞いた話では、その別荘はかつて殺人事件があり、安く売りに出していたのを教授が買い求めたのだという。という事は、同じ家で二つの殺人事件が時を隔てて起きたという事か・・・!?

 

私は捜査の実態を見たくなり、ふと目についたテニスコートの側の薮の入口に在った小さなお花畑(畳一畳くらいの広さ)の上で、持参して来た弁当を食べながら見物と決め込んだ。ふと辺りを見ると、至るところに小さな穴があいている。後日に『死体は語る』の著者の上野正彦氏の本を読んで知ったのだが、この広大な山中の土の中の死体を捜す事の困難さから、上野氏が頼まれて〈検土杖〉なるものを考案した、その痕跡がそれであった。死体は50センチよりも下に埋めると警察犬でもわからない。故に手当たり次第に空洞の鋭いパイプを地中に深く突き刺して異臭を求めるのだという。・・・食べ終えた私は、警官たちの間を抜けて隣の農家に回った。犬がいた。(・・・あぁ、この犬だな、土砂降りの中、夜中に女子大生の死体を引きづりながら、埋める場所を求めてさすらった教授の脅える心情をキャッチして吠えまくったという犬は)。表に出ると別荘の門柱までも壊されていた。警察の捜査はそこまで徹底されていた。

 

それでも死体はようとして出て来ず、時が経過していった。しかし、私がそこに行った時から半年以上が経った或る日の夕刊の一面に〈死体発見!!〉の報が大きく載っていた。やはり私の直感は当たり、別荘の裏に死体は埋められていた。その現場を示す地図を見て、私は二度驚いてしまった!!!地図のX地点には〈花畑〉と記されていた。つまり、私は女子大生の死体の真上で弁当を食べていた事になる。花畑は畳一畳くらいであったから、間違いなく私の真下である。発見には、やはり件の検土杖が役立ったと記事は記してあった。私は驚きつつも、ふとよぎる確信に近いものが次に立ち上がって来た。それは、強い日差しの中、ふとよぎったひと刷けの雲によって陽光が遮られ、一瞬ひんやりとした冷気に包まれるような、そんな感覚であった。

 

今から思えば、山の中にはいかにも不自然な花畑の人工的な存在。死体を隠す為に土を掘れば、当然、湿った土が表に出て、そこだけが違ったものとなる。捜査の目は当然そこに行く。とすれば、あの花畑の花々は、犯人がそれを隠すために植えた工作であったに相違ない。・・・私は別荘から遠く、おそらくは都心の花屋で花を買い求め、その黒い土を隠すために葉々の広い花々を植えている教授の姿が、うっすらと透かし見えてくるのであった。

 

新聞によると、死体が見つかった日は、別荘での捜査をこれで打ち切るという、まさにその前日だったという。或は、女子大生の最後の念がそこに動いてでもいたのだろうか。とすれば、埋められている自分の上の地表にいた学生さん―つまり私は、少し重たかったのではあるまいか!?しかし、それにしても現場で犯人の工作に気付かなかった私は未だ未だシャーロック・ホームズにはほど遠い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんな遠い日の事を思いだしながら、私は審査会場へと入っていったのであった。

 

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