『君は、お遍路に行くの か!?』

無能、無策といわれていた菅総理が、最後になって思わぬ能力を見せている。権力保身のための〈粘り腰〉に周囲が情けないことに押し切られているのである。かつて市川房枝からの薫陶を得た若者として政界に参入した時、この男には艶があり、華があった(と見えた)。しかし今や、「権力は人を腐らす」の言葉どおりの末路を辿っている。「気のないタヌキは目でわかる」というが、この男の目には、自分への自信の無さがありありと現れている。粘り腰は政治家に必須の一つであるが、この男のそれは質が違う。ただの駄々っ子のそれであり、理念を欠いた自己愛ゆえの妄執に過ぎない。もはや完全なる「裸の王様」。忠臣不在は哀れな喜劇に過ぎないが、この日本の非常時に在っては大きな人災である。この人災の大きさは福島原発における東京電力のゴテゴテの無策と並んで悲惨であり、その罪は甚大である。

 

さて、菅直人は総理を退いた後に何をやるか?おそらくかつてパフォーマンスを演じた四国88カ所の残りの(お遍路)を歩くのであろう。カメラの前で、意地の笑顔を演じながら。しかし四国路の秋に一陣の風が吹き、この男にもそれが流れる時、この男の胸に去来するのは何であろうか。・・・・・それは砂を噛むような虚無の感覚ではないだろうか。そして、実感するのは、権力と云うものが真にイリュージョン、一人称の錯誤にしか過ぎない虚しさに充ちたものであるという事の、身を切るような実感であろうと思われる。・・・・・間違いなく。

 

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