『バルセロナの福井さん』

(今一度会いたい人)というのは誰にでもいるだろう。私の場合、それは20年前にバルセロナで出会った福井さんという人物である。今から思えば、福井さんこそが、今の私にとっての、導きのような不思議な人であったからである。

1年間の留学の機会を得て、最初の目的地としたのはスペインのバルセロナであった。研修先になってくれた、画家のタピエスの版画工房が用意してくれた「チキート」という名の、理由ありの日本人が経営する宿が、私の拠点であった。この宿は日本人の旅行者が多く、様々な人々が出入りしている。



ミロやタピエスが多用している〈カーボランダム〉という版画の技法があるが、これが何故か日本には全く伝わっていない。留学の表のテーマは、それを日本に導入する事であり、昼はそれを工房で学び、夜は宿の食堂で出される日本食を食べる日々であった。そしてそれ以外の時はバルセロナを巡っていた。
(写真は、私が通ったタピエスの版画工房。奥にいるのは刷り師のジョアン氏。数多くの名作が、ここで生まれた。)

 

ある夜に食堂にいると、丸刈りで眼光鋭い男がそこに現れた。異様に腰の重心が低い。私は(—この男、ただ者ではないな!)と直感した。私の横にいる客が〈福井さんだ!!〉と呟いた。ちらと噂では聞いていたが、時々この宿に現れるらしい。客ではなく、既にバルセロナに住んで長いのだという。日本から大根の種を持って来て、この荒れたカタロニアの大地に栽培するのが夢との事。そして福井さんは男色家でもあるらしく、まぁ一般の人からは敬遠されているようである。その福井さんなる男は、20人ばかりで食事をしている席に座った。瞬間、私と目が合った。そして私を見たその目が異様に輝きを帯び始め、あろう事か、突然、その場で私に向かって、〈お願い!お願いだから、僕の首を刎ねて!〉と私の目を見据えて、絞り声で言った。どうも芝居がかっている。客たちは関わり合いになりたくないのか、皆、下を向いて聞かぬふりである。どうやら私は気に入られてしまったらしい。私は言った。〈首を刎ねて差し上げてもいいですが、私もまだ少しは先のある人間ですからね。まぁ、やめておきましょう。〉・・・聞くと、三島の影響が濃いらしい。

 

その夜、私が部屋で『ドン・キホーテ』を読んでいると、その福井さんがいきなり入って来た。そして勝手に椅子に腰をかけて話し始めた。〈さっき君を見て思ったのだけれど、唯の旅行に来ているとは思えない節がどうもある。一体君はここに何をしに来たのかね!?〉。・・・どうも福井さんは好奇心の強い人らしい。私もまた、いつしかこの人物に興味を持ち始めており、ここに来た本当の目的を打ち明けた。〈このバルセロナに伝わる言葉に、「バルセロナには今もなお、一匹の夢魔が逃れ潜んでいる」というのがあるのを知っていますか!?私はこの謎めいた文句にある夢魔なるものの正体と、その潜んでいる隠れ家を探しに来たわけですよ。夢魔というのは、深夜に女性の部屋に忍び込んでその女を犯すが、そこから天才が生まれるという言い伝えがある怪物です。又、このカタロニアの地は、ダリやミロやガウディといった天才たちが突然のように単性生殖的に生まれている不思議な土地。ピカソはマラガ出身ですが、この地に移って来て、突然その才能が羽化している。・・・・とにかく、その美術史上の謎を解きに来たわけですよ。〉・・・私がそう告げると、福井さんの目がますます輝いた。思うに男色以上の興味を私に持ったらしい。そして私に、〈このバルセロナは不思議な磁場があり、光と闇に溢れている。光が君の解きたい答なら、先ずは闇を知らなくては見えて来ない。どうだろう、その闇をこれから見せてあげるから一緒に行かないか!?〉と云う。時は既に夜半であるが、私は言った。〈ぜひ行きたいですね!!〉

 

私たちは宿を出て、深夜のバルセロナの街を歩き始めた。途中で福井さんがチラッと〈これから行く所は、君が先程言った人物の中の一人と、ちょっと絡んでいる場所だよ。〉と謎かけのように言った。カタロニア広場を抜けて、地中海へと下る坂道のランブラス通りを下り始めた。左に行くとゴチック地区、右へ行くとチーノ地区という危険地域である。福井さんは進路を左に変え、無人の通りをくねくねと曲がり始めた。そして、アヴィニョン通りという更に薄暗い通りに入って、その先の古い趣のある館に私を導いた。重い扉を開けると、一瞬にして世界が変わった。真っ赤な原色のライトが人工的な雰囲気を作り、紫煙がけだるく煙る場所、― そこは巣窟のような淫売宿であった。福井さんがここの女主人と二言、三言話をしている。女主人はチラリと私を見て、何かを了承したような目線を放った。年齢は八十才近く、体型は今で云えば、マツコ・デラックスのそれ、顔相は二十年後の夏木マリにやや近いか。

 

隠花植物のように怪しげな娼婦たちの間を抜けて、私たちはエレベーターに乗り地下へと下った。ふと、こういうシーン何処かで見たなと思うや、すぐに思い出した。映像の魔術師・フェデリコ・フェリーニの映画『フェリーニのローマ』の一場面、地方から出て来た青年フェリーニが、〈ローマ〉を知る為に、謎の人物と共に淫売宿のエレベーターを下る場面、そのものであった。そして私たちは或る一室に入った。・・・そこは、政府の高官などの特別な客が演ずる痴態を覗き見る事が出来る秘密の部屋であった。『失われし時を求めて』の著者のマルセル・プルーストは、執筆以外はパリのそういう部屋に入り浸っていたというが、今の私たちはまさにそれである。私は元来が視覚型の人間であるが、そこで見たものは◯◯◯◯◯であり、それを充分に満たしてくれるものであった。福井さんは、私にこれを見せた事が嬉しくてたまらないような顔をしている。

 

しかし、事態が突然一変した。急に上の方で呼び笛がけたたましく鳴ったかと思うや、娼婦や全裸の客が各室からいっせいに飛び出して来た。誰か(おそらく店側の)が投げつけた物で、辺りは煙幕のように何も見えなくなり、絶叫が各所に響いた。見ると、何と、警察の一斉取り締まりにぶつかってしまったのである。気がつくと、既に福井さんは消えている。私もこういう時の逃げ足は早いが、それにはコツがあるのを知っている。警官と娼婦たち、そして客の乱闘しているそこにあえて向かって突進し、身を低くして走り抜けるのである。運良く非常階段がその先にあり、私はそれを伝って昇り、重い扉を押し開けて外へ出た。昼は喧噪のこの街も、今は全くの無人。11月の深夜の冷気は心地良いが、私は警官の追っ手を避けるためにカタロニア広場まで走った。そして、そこのベンチに寝ころばって汗を冷やし、満天の星々を見上げた。何処からか、風に乗って地中海の潮の匂いがする。静かな時間が流れていった。

 

・・・・何故、福井さんはあすこに私を連れて行ったのだろうか?私はつらつらと考えながら、そしてようやく気がついた。〈アヴィニョン通り〉・・・・確かにその名前が付いた場所。ならば間違いない、あの淫売宿こそは、かつて青年のピカソが訪れた場所であり、彼はそこでの体験を元にして、あの、20世紀絵画の幕開けとも云える『アヴィニョンの娘たち』を1907年に描いた。まさにその場所に、福井さんは私を連れて行ってくれたのである。そこがピカソのインスピレーションに与えた波動は美術史における謎であるが、あの場所には磁場の強い〈何ものか〉が確かに轟いていたのを、私は思い出していた、(これから行く所はバルセロナで最も古く、100年以上前からの所だから・・・・。)行く途中に、そう云えば福井さんは、そうも話してくれていた。しかし・・・その福井さんは何処に消えたのだろうか。

 

2・3日してもチキートに現れず、ようやく4日目にして福井さんは夜の食堂に現れて静かにご飯を食べていた。あの後の事については何も語らず、唯、私に悪戯小僧のような微笑を放った。それから福井さんは私を度々、バルセロナのいろいろな場所に導いてくれたが、中でも、研究書には載っていない、郊外に在るガウディの異形な建物を教えてもらったのは忘れ難い。それからしばらくして福井さんは、突然、チキートから消えた。・・・風の噂では、福井さんはバルセロナ近郊のシッチェス(ここは男色家が多く住む町)に移ったとも、日本の高名な映画監督の奥さんと不倫関係に落ちていったとも聞く。その後、先述した旅の目的を私なりに解き、その年の暮れに私はパリへと移って行った。しかし、福井さんが導いてくれたあの夜の体験が、何故かその後に膨らんで、私の旅は確かな形あるものとなり、その後のイメージの充電の大きな契機となった事は間違いない。〈人間 ― この謎めいたもの〉そのリアリズムの極みを見た事で、私はその後、創作における人工美の極みに専心出来るようになったのである。旅は人生そのものであるが、はたして福井さんとは何者であったのか、私は未だよく解らないままでいる。もし福井さんが今もなおバルセロナにいるならば、いつか行く機会があれば、ぜひ会ってみたい懐かしい人である。・・・あの荒涼としたカタロニアの赤い大地に、福井さんは、夢であったという「だいこんの花」を見事に咲かせたのであろうか!?

 

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