『絶対のメチエ ― 名作の条件』

4月20日(日)まで、東京メトロ半蔵門線「水天宮前」駅近くにある美術館「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」で『絶対のメチエ ― 名作の条件』と題する展覧会が開催中である。出品作家は、ルドンエゴン・シーレヴォルスフォートリエルオーホックニー、サルタン、メクセベルゴヤ、そして日本の作家は、加納光於駒井哲郎川田喜久治斎藤義重浜口陽三長谷川潔、そして私を含む計16名である。この展覧会の立ち上げに際し、私は美術館から顧問としてアドバイスを求められたので、展覧会名とその主題(名作とマチエールとの必須関係)、そして出品作家に写真家の川田喜久治氏を加える事によって、〈マチエールとはただ単に表象の物質感を指すという安易なものではなく、見えるものと見えざるものとの両義性を孕むミステリアスな問題である〉という、この展覧会の主旨が明瞭に立ち上がる事などを提案した。思えば、作家も評論家も気付いていない事の一つに、美術の分野から「名作」という言葉が冠せられるような作品が生まれなくなってから久しいものがある。特に版画の分野では・・・・。私はその辺りの事を、先月号の美術誌の『美術の窓』に書いているので、その文の冒頭をここに記しておこう。

 

「芸術とは、元来私たちの感覚の髄を突いてくるものであるが、その強度が薄くなったあたりから、現代の美術表現の迷走が始まったと言えるであろう。わけても今日の版画家たちの作品が見せる衰弱ぶりは、目を覆うばかりである。― 求心性を欠いた曖昧な主題、未熟なメチエ、その核であるべきマチエールの不在、そして何よりも表現者本人の批評眼の欠如。この展覧会は、そういった状況に対する懐疑から立ち上げた〈美の襲撃〉といってよい、秘めた主題をも孕んでいる。」(後略)

 

1月25日から始まっているこの展覧会はかなりの盛況で、多くの版画ファンたちが訪れて、自問するように長時間をかけて、じっくりと作品との無言の対話を交わしているという。私は初日に訪れてみて、写真家の川田喜久治氏に加わって頂いた事が正解であった事を確信した。川田氏の代表作のひとつとも言える、イタリア・ボマルツォの怪物庭園を撮った「地獄の入口」と題する写真作品は、私とルドンの作品の間に展示されているのであるが、その強度なマチエールが放つ光と闇の輪舞の凄みは、写真の意味を〈記録〉にしか見ない凡百の写真家たちや現代の版画家たちに、痛烈な美と魔の刃の切っ先を突きつけているのである。そして、ルドンの代表作、駒井・加納の秀作、ホックニーの最高傑作、またメゾチントの表現の地平を切り開いた長谷川・浜口両氏の作品が初めて並ぶ事など、本展の見所は多く、この展覧会に寄せる学芸員の方たちの情熱が伝わってきて、見応えのある内容になっている。また併せて、〈銅版画という硬質な表現における可能性とは何か!?〉を問い続けながら形にして来た、私の作品も御覧いただければ嬉しいかぎりである。

 

さて、今の私は、3月15日から銀座の画廊・中長小西で開催される二回目となる個展『反重力とバルバラの恩寵 ― ダンテ「神曲」地獄篇より』のための制作で、ほとんど毎日、アトリエの中にいる。既にコラージュ40点近くは作り上げ、今はオブジェの新作に取り組んでいる。先日降った雪がアトリエから見る庭を白く染めはじめ、それが次第に積もり、なおもしんしんと降り続く白の抒情は、私のノスタルジックな情感を呼び起こし、オブジェに注ぎ入れんとするポエジーの核とリンクして私を喜ばせた。雪は、雪国で育った私の遠い記憶を突いてきて、私を元気にしてくれる。その時、作品と向かい合っている私は今の私ではなく、幼年の時の私がそこにありありといるのである。

 

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