『未亡人下宿で学んだ事』

 

 
 
私が未だ20才を過ぎた頃、横浜の高台にある一軒の家に下宿していた時の話を今日は書こうと思う。…その下宿の大家は40代半ばの女性であった。夫は本牧の米軍基地にいた将校であったが不慮の事故で亡くなって既に久しいらしい。……つまり、その大家は未亡人なのであった。その頃の私は美大の大学院生であり、いわゆる血気盛んな頃である。……ここまで書いた時点で、勘の鋭い方はもう想像を逞しくされているかもしれない。〈何かあった筈だと!!〉そう、私は確かにそこで〈或る事〉を学んだ。今日はそれについて正直に書く事にしよう。
 
不動産屋の紹介で私がその家を訪れたのは初夏の頃であった。やんごとない事情で真向かいの坂の上に住んでいたアパート「宝山荘」という所を急ぎ移らねばならなくなり、私は急いで次の住み処を見つけるべく焦っていた。次の貝殻をあわてて探す全裸のヤドカリのような心境であった。
 
「…この部屋の日当りはどうですか?」と私。「日当りは最高ですよ」と、その大家の女性はニッコリと言ったので、そこを借りる事に決めた。そして早速に荷物を運んだ次第であるが、翌日の午後に、現実を知る事となった。…確かに日当りは最高であった。傾いた太陽が西へと移ろいを見せた頃から、燦々と室内がまぶしくなり、やがてうだるような西陽が刺すように、部屋を、そして私を赤く染め出したのであった。つまりその部屋は〈西陽の強烈に当たる部屋〉だったのである。このままでは脱水症状で死ぬ!と真剣に思った私は近くの寺の境内に行き、ようやく息をつくようにして涼んだのであった。そういう日が……何日も続いていった。
 
太陽の後の責苦は〈音〉であった。その大家は森進一の大ファンであり、私が寝ている早朝から最大のヴォリュームで森進一の、あの、ザラつき、鳴咽する声が廊下を伝って私の部屋に響いてくるのであった。そればかりか、叩きをかけながら合唱する大家の声も響いて来て、あたかも部屋の中には、二人の森進一が立っているようであった。敷金も払ってしまったので引っ越す金など当然無い。私がそこで考えた苦肉の策は、前向きな姿勢になる事であった。つまり、……森進一の歌を何とか好きになるしか、もはや道は無いと思ったのであった。
 
 

襟裳岬    作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
 
北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
……………………………………
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黙りとおした歳月を ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です

 
 
……仰向けのまま、しんみりとその曲を聞いていた私は、上手い詞だなと思った。そして最後の〈何もない春です〉に至っては、その作詞家の思い切った勇気あるセンスに感心した。〈何もない〉という表現は、下手をすればその歌の世界を台無しにしてしまうからである。そして私はこの作詞家がおそらく〈定家〉を知っているなと推察した。そう、この詞の構造は新古今集の藤原定家の、あの秀逸なる和歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ」のレトリック(修辞学)の構造に直結していたからである。
 
凡庸な国文学者の手にかかると、この和歌の解釈は「何の色彩もない殺風景な秋の夕暮れの海辺の情景を詠んだものであるが、花・紅葉という春と秋を代表するもののいずれもない状態の枯れた美を認めるような時代になったことを示す歌といえよう。」となり、その実としての定家の美の本質からはほど遠い。しかしこれが、三島由紀夫の眼識にかかると、定家がこの和歌に仕掛けた美の本質が鮮やかに立ち上がってくる事になる。すなわち…「なかりけり」こそが、つまりは要の字句であると主張し、花も紅葉もと言いかけて、それを言葉の上で否定していても、花や紅葉という言葉が出て来た以上、そのイメージは残る。そればかりか、「なかりけり」と言う事によって、かえって寂しげな海岸風景にうっすらと華やかなヴェールがかかったように、イメージは艶を帯びてくると解いているのである。
 
三島がもし自死を計らなかったならば、絶筆となった『豊饒の海』の次に構想していたのは、藤原定家の美的世界について書く事であった事はよく知られている。しかし果たせずに彼は死に、人はその構想を惜しんでやまない。しかし実は定家について、彼は絶筆の主題に於いて、また、その最終行のイメージの凝縮された文章の中で、その全てをも書き尽くしていたのであった。先に挙げた定家の歌と重ねながらそれを読めば、「見渡せば花も紅葉もなかりけり……」の変奏がそこにありありとある事が見てとれよう。
 
 
「…そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日盛りの日を浴びてしんとしている。……」
 
 
三島がここで立ち上げたのは言葉による美の大伽藍であるが、私がその時に気付いたのは、総じての人間が持つ想像力なるものの豊かさであった。「なかりけり」と否定すれば、私たちの想像力の内に、鮮やかに花や紅葉のあでやかな光彩が咲き点(とも)る。つまり、美は確かに作者を離れてもなお、他者の感性の内に伝わっていくのである。未亡人下宿で私が学んだのはかくのごときものであり、私が作品の内に〈暗示〉を強い確信を持って入れるようになったのは、それを契機としてからの事なのであった。
 
 

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